最上川
五月雨を
あつめて早し
最上川
(さみだれを
あつめてはやし
もがみがわ)
*
所は山形県の最上川。
最上川と芭蕉。
<最上川>とくると<芭蕉>を連想する。
この組み合わせは誰一人知らない人はいない位である。
なぜこんなに多くの人の口に、この句がくちずさまれているのだろう。
*
まず<奥の細道>の本文を読んで見よう。
"最上川 のらんと、
大石田と云所に日和を待。
爰(ここ)に古き俳諧の種こぼれて、
忘れぬ花のむかしをしたひ、
芦角一声(ろかくいっせい)の心をやはらげ、
此道にさぐり足(あし)して、
新古ふた道にふみまよふといへども、
みちしるべする人しなければと、、
わりなき一巻残しぬ。
このたびの風流、
爰(ここ)に至れり。"
(最上川の舟下りをしようと、
大石田というところで、
天気がよくなるのを待っていました。
そうすると、この地にも、
むかし誰かが植えた俳諧の種が芽を出して、
俳諧連歌を詠む人たちがいました。
歌が栄えた遠いむかしを慕い、
頑張っている人たちがいる。
しかし情報の乏しい田舎にいると、
俳諧道に入っても、
いま起きている新しい動きが分からず、
伝統俳諧への批判も理解できないまま、
俳諧の道に迷ってしまう。
道しるべになり、
指導をする人がいない。
だから、
大石田の高野さんの家で
一栄さんとか川水さんと
一緒に詠んだ
連歌の一巻を残して行こう。
今回の旅で
このような草深き東北の地にも、
新しい蕉風俳諧の種を植える事ができた。
こんなに嬉しい事はない。)
*
芭蕉はただ単に東北地方をアッチコッチとうろついていたわけではないのだ。
彼は行く先々で、地方の風流を知った人たちと<連歌俳句会>を開いていた。
彼らと一緒に実際の連歌を作る中で、今の時代にふさわしい俳諧の道を教えたのだ。
つまり彼の東北の旅は、今の言葉で言えば地方にいる同好の士への<On the job training>(現場実習指導)だったのである。
日本全国に芭蕉の句碑がある。
それは芭蕉という俳句の師匠への感謝の印なのだ。
芭蕉にはこの意味で<教育者>の風貌がある。
上の芭蕉の俳句は、この連歌句会の発句、つまり最初の一句である。
*
非常におもしろいのは、もともと、この俳句は、
五月雨(さみだれ)をあつめて涼し最上川
であった事である。
それを芭蕉は後で
五月雨をあつめて早し最上川
に変えた。
なぜだろう。
この変化をよく比べる事により、芭蕉が目指した蕉風がどんなものであるかを知ることができるのではないか。
<涼し>の方は最上川の見物(けんぶつ)になってしまう。
短い575の文字の中に、どれだけこころの風景を凝縮するか。
<早し>には俳諧の<旅>を行く文人としての誇り。
きびしい俳諧道の源から勢いよく、連綿と流れ下る人たちへの愛情と激励の意味が込められているのではないだろうか......。
*

コメント