ボスポラス海峡
1983年日本で平均視聴率52%を誇ったNHK連続テレビ小説。
おしん。
これは後で世界中59ヶ国でも放映された。
中でもイランではおしんが大ヒット。
大変な人気であったという。
地図をみると分るとおり、イランは大半が高原山岳乾燥地帯である。
平野部はごくわずか。
カスピ海とペルシア湾に面した部分に少し平野があるだけである。
しかしカスピ海沿岸地方は亜熱帯気候で雨も多く米が作られている。
これらの村に入ると水田が広がり、何だか日本にいるみたいな錯覚にとらわれると言う。
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ヨーロッパを旅行すると多くのタクシーの運転手がイラン人である事に気がつく。
きいてみると昔はイランでは数学の教授だったりする。
1979年のホメイニー師によるシーア派イスラム・イラン革命当時の亡命者である。
彫りの深い端正な顔。
そんな時、歴史上はじめて世界帝国(多民族国家)を作ったペルシャの偉大さを心からたたえる。
数千年来の洗練されたイラン文化を一生懸命にほめる。
そうすると満面の笑顔でうれしそうである。
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<イラン>は<アーリア人の国>という意味である。
西洋ではペルシャとよばれてきた。
実は、西洋人もイラン人もインド・ヨーロッパ語族(印欧語族)とよばれる同じ言語グループに属している。
ではその印欧語族の祖先の故郷はどこだろう。
いまから7000年前に麦作農耕が始められたアナトリア高原(今のトルコ)がその源郷であるという説が有望。
しかし問題は大変微妙なのである。
ヨーロッパ人はこれを声高に言いたくないのである。
トルコはいつもヨーロッパからは半人前として扱われているからである。
だから中央アジアとか、南ロシアだとか言ってとお茶を濁すのである。
農耕の起源についても中国の長江流域では、麦作よりはるか以前の13000年前くらいから稲作が始まっていた。
でもこれも認めたくない。
それが正直なところなのである。
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何故トルコは半人前に扱われるのだろう。
なぜ、ボスポラス海峡が2つの世界を分ける境界線になっているのか。
実はこの境界線にはペルシャ戦争以来続いてきた2500年にわたるヨーロッパの伝統が横たわっているのである。
その最初の事件は今からおよそ2500年前。
3回にわたるギリシャとペルシャの戦争である。
その戦争の原因はなんだったのだろう。
新興の貿易国アテネはエーゲ海の制海権を握った。
そこに古代中東地域をまとめあげた歴史上はじめての世界帝国(多民族国家)であるアケメネス朝ペルシアが割り込んできた。
つまりエーゲ海と地中海の、制海権と商権をめぐって両雄が争ったのである。
この2つの勢力はBC499年のイオニア(今のトルコ)におけるギリシャ都市のペルシャに対する反乱事件を契機にぶつかったのである。
これから、えんえんと20年にもわたるギリシャ連合軍とペルシャの戦争が続く。
最後の第3次戦争の前にアテネはデルフィに使者を送り神の預言を 求めた。
その答えは<木の砦>。
ギリシャ軍のテミストクレスはそれを船による海戦と理解した。
つまりアテネの町の放棄と海上での決戦である。
BC480年アテネのアクロポリス陥落。
テミストクレスはギリシア海軍をまとめ、サラミス沖でペルシア海軍を撃破。
またギリシャは陸上でのプラタイアイの戦いにも大勝利。
ペルシア軍はテーバイに逃げて籠城。
ヘロドトスによれば257000人のペルシア・テーバイ兵がギリシャ兵に殺された。
問題なのはギリシャの勝利の意味である。
この戦い以後、<民主主義の西欧>、<東の専制主義のアジア>という定式が生まれるのである。
それから<西は東に常に勝つ>というイデオロギーも。
それが今回も同じとは限らないのに.........。

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