ミニ菜園の世界
近頃、おもしろい本を読んだ。
■<ちゃんと育つよ。ベランダ・ミニ菜園 >(たなかやすこ著、集英社)という本である。
何がおもしろかったかって?
それはおいおい説明する事にしよう。
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まず野菜菜園を初めてやろうとする人は図書館とか本屋さんでそれに関する本を探して読むだろう。
わたしも同じである。
市立図書館で色々な本を借りて読んだ。
でも<初めての野菜作り>等々のタイトルの本はどれも似たりよったりで、最初に<土作り>とか<肥料>とかの基本の説明があり、あとはキュウリとかトマトなどの個別の野菜の作り方の説明が続いている。
だから味もそっけもなく、読んでいておもしろ味に欠けるのである。
それらの本の著者達はそれが客観性を重視した書き方だと考えてそうしているのであろう。
ノウハウ本とはそういうモノだと言えばそれまでである。
しかしわたしはそうは思わない。
どんなノウハウの本も、専門書も所詮は人間が書いたもの。
本当のノウハウ本には、人を引きつけるおもしろさがある。
それと同時に最後には、一人の生身の人間のひそかな息遣(いきづか)いが紙面から伝わってくるものなのである。
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わたしが心の奥で求めているもの。
それは野菜園芸の<基本哲学(エトス)>なのかもしれない。
人間が一つの分野に分け入り、集中し、それを持続的にやるには、その世界に入る為の基本姿勢というものを身につけなくてはならない。
例えば、商売人になろうとする人は商品の原価と売価、それに粗利益、コストなどを良く理解しなくてはならない。
しかしそれと同時に最初に身につける必要があるのは、<お客の問題を解決しようとするひたむきな情熱と忍耐>である。
<あきない(商い、飽きない)>の情熱と忍耐をどこかで学び取る必要があるのだ。
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上記の本には野菜園芸への情熱が綴られているとわたしは思う。
まず全体の調子である。
この種の本にありがちな<説明風>にではなく、<エッセイ風>に書いてあるのは大変ありがたい。
多くの写真やスケッチやイラストで読者が肩の力を抜いてどんどん読めるように工夫されている。
何よりも大切な点は筆者が何故、野菜作りに踏み込むようになったのかという動機と経過、その後の展開が書かれている事である。
エッセイ風の本文に混じって、個別の野菜の育て方が簡潔なレシピ風に書いてある。
つまり読者は本文を読んでいくにつれて、特に意識しなくても、色々なノウハウを同時に学ぶ事ができるのである。
わたしが驚いたのはノウハウ本の形式にとらわれずに、自由に色々な要素を文庫本サイズの一冊に纏め上げたそのユニークさである。
表装も洒落(しゃれ)ている。
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本の著者も書いているが、考えてみるとベランダでの野菜作りには<菜園セラピー>とでも言うことができる<ある種の治癒力>がひそんでいるのではないだろうか。
<森林浴>が人の心と身体(からだ)に良い事は一般に広く知られている。
しかし<野菜のベランダ・ミニ菜園>が同じような効果を秘めている事を知っている人はそれほど多くはないのではないかと思う。
多くの都会人は狭い住居で生活している。
コンクリートで固めた、空調機のある密室風の狭い部屋である。
隣の人には気を使い、会社では人間関係に神経の休まる暇もない。
車社会なので、自然から遮断され、どこまで行ってもまわりは人工的な環境だけが広がっている。
わたし達は皆、ある種の息苦しさと孤独とストレスの中で生活しているのである。
それを打ち破り、広くて深い自然の中の自分を発見する。
それが野菜との出会いなのである。
さあ野菜のあるベランダに出てみよう。
ひと時のあいだ、<ストレスと利害損得の世界>を離れてみよう。
野菜は何も口をきかない。
寡黙なのである。
しかし良く観察すれば、野菜は色々な苦しみとか喜びを表現している。
それを続けていると、段々野菜がかわいくなってくる。
野菜との対話が始まる。
野菜は動かない。
いつでもそこにいて、わたし達の愛情を受けとめてくれる。
写真を撮ってもスケッチをしても何も文句をいわずに受け入れてくれる。
しかし野菜の本来の力を引き出し、めでたく収穫にまでこぎつけるには、こちらサイドにも多くの努力が必要である。
野菜に関する色々な本も読む事になる。
季節季節に合わせて種を撒くには細かい計画を立てなくてはならない。
育児日記があるように野菜の観察・栽培日記もある。
そして、いつの間にか頭脳をフルに回転させている自分がある。
野菜作りはわたし達の脳や意識を活性化するのである。
更に花とか木などの園芸と野菜作りが違う点は<収穫のあるなし>である。
野菜園芸では最後に、葉や根や果実を取り、それを食べるという行為がある。
最後に<味覚>が関係してくるのである。
この点が野菜園芸のユニークなところである。
一言で言えば、野菜作りは<人間の心と身体を新鮮に保つ力>を秘めているのである。
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ある日曜日の午後、自転車で散歩の途中、畑の中にいた夫婦に思わず声をかけた事があった。
<すばらしいキュウリですね>とわたしは言った。
そうするとその老夫婦は収穫したキュウリを手にいっぱい抱(かか)えて<これを持って行くか>と自転車の荷物カゴに入れてくれた。
彼らの目は微笑み、輝いていた。
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