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2009-10-25

ノコンギク

今年もノコンギクの咲く季節になった。

庭のところどころに紺色(こんいろ)のノコンギクが咲いている。Nokonngikuiii20091025

その名のゆかりは<野>に咲く<紺>色の<菊>でノコンギク。

わたしはノコンギクを見ると何故かこころを動かされる。

その場に佇(たたず)んで青紫の花びらと真ん中の金色の筒状花(とうじょうか)をいつまでも見ている。

今でこそノコンギクは我が家では大切に扱われている。

しかし、この家に移ってきた当初は何の花か分からず、花壇を作る時に抜いてしまったのである。

ある時、花屋さんでこれと同じような葉っぱを見た。

Nokonngiku20091016 名札(なふだ)を見ると<アスター>と書いてある。

さては抜いてしまったのは<アスター>だったのかとその時は思った。

アスターは中国原産で、別名<エゾギク>と呼ばれている1年草である。

ところが、抜いたはずのそのエゾギクが何時(いつ)の間にか、再び元の場所に生えて群落を作り始めたのである。

根元の土を掘り返して見ると、地下茎が伸びている。

地下茎で増えていく多年草・・・。

その時にやっと、わたしはこの菊がエゾギクではなく多年草のノコンギクである事を知ったのである。

ノコンギクの原産地は日本である。

楚々(そそ)として静かな美しさをたたえて咲いている。Nokonngikuii20091025

ノコンギクを見ていると、何だか数万年の日本の大地の歴史があたりに漂(ただよ)っているような気がする。

目立たないが、実はしたたかな生命力を持っている。

日本の大地にしっかりと根を張って咲く強い花。

それがノコンギクなのである。

2009-10-12

愛読書

誰にでも、機会があるたびに繰り返し読んでいる、いわゆる愛読書というものがあるのではないだろうか。Daimonnjisou91012

わたしの場合、バッグの中に常時、数冊の本を入れ、散歩の時にも、買い物にも、トイレにも、枕元にも持参し、暇を見つけては読むことにしている。

バッグはコンパクトタイプなので新書か文庫サイズで3冊くらいしか入らない。

まず1冊目は<ヘンリ・ライクロフトの私記(ギッシング著)>である。

何故かわたしはこの本を繰り返し読んでいる。

緑と静寂につつまれた田舎に移って以来、何度この書物を手に取った事であろう。

主人公の1語1語がわたしのこころにつきささってくるのである。

恐らくこの本は著者ギッシングの内奥を吐露したものにちがいない。

つまりこれは形は散文ではあるけれども、実体は彼のこころを映した詩であり、歌であるように思われる。

いわゆる<散文詩>である。

非常に個人的な、孤独な1人の人間の生の声がこの私記からきこえてくる。

繰り返し読むたびに味わいが深くなる。

2冊目は<万葉集>である。Nokonngiku91012

世間では色々な万葉集が出版されている。

しかし試行錯誤の末、わたしが見つけたのは斉藤茂吉の岩波新書版の万葉秀歌上下2冊である。

和歌が読みやすく工夫されている。

それに歌の注釈も多すぎず、少なすぎず適度の分量に抑えてある。

わたしは上下2冊をノリで張り合わせて1冊の本にした。

こうすると、バッグの中に入れて持ち歩くのに大変便利なのである。

朝食のパンが焼ける間に1つの和歌を読む。

今朝、読んだ歌は大津皇子の以下の歌である。

<あしひきの

山の雫(しずく)に

妹(いも)待つと

われ立ちぬれぬ

山の雫に>

(上巻P77、巻2・107)

わたしの場合、1度に2つ又は最大3つの歌しか読まない。

それ以上読んでもこころの中にすんなりと入っていかないのである。

5・7・5・7・7という短いフレーズの中に人のこころの微妙な姿を凝縮したのが和歌である。

それをイザ味わう場合、まず凝縮された中身を自分のこころの中で解凍して暖めるという作業が欠かせない。

その作業に結構、集中力がいるのである。Akatonnbo91012

なにしろ1200年以上も前に生きた人が詠んだ歌を今読んでいるのだから。

少し位の忍耐と集中力をもって読むのは当然の事なのである。

これからも、毎日2-3個の万葉集を読み続けて行こうと思う。

3冊目は学研社の<植物図鑑(ポケット版)>である。

これの大版タイプの図鑑のサイズは約29cmX23cm。

厚さ3cmで重さは1キロもある。

とてもバッグの中には入らない。

ポケット版の方はおよそ新書サイズなのでバッグに入れて持ち歩くのにはちょうど良い。Rinndou91012 

多くの植物を、写真や絵とともに、簡単な説明を付けて載せている。

わたしはポケット版を2冊購入し、1冊は居間に置き、もう1冊はバッグに入れて持ち歩いている。

暇があると、図鑑をパラパラとめくり、目についたページを、ポカーンと口を開けて見ている。

2009-10-07

れんげそう

昨年の5月、わたしは故郷(ふるさと)の村を訪れた。

そこに自宅はもうない。

でも、とにかく村の中をゆっくりと歩いてみたかったのである。Komurasaki91007

朝早く旅館を出た。

そして我家(わがや)のあった方向へとゆっくり歩いて行った。

左手に学校が見える。

わたしが通った小中学校である。

道にそって小川が流れ、センダンの木が並んでいる。

大変なつかしい。

それを過ぎて少し行くと、右側にむかし小さい売店があったところは今ではJAの野菜直販センターになっている。

この道は往時には舗装されていない砂利道であった。

車が通ると砂埃(すなぼこり)が舞い上がっていた。

今ではここから20キロメートル位先にある中都市にむかう高速道路が村を貫いて走っている。

その高速道路によって村が栄えたのではないかと思ったが、良く見ると、反対に村は以外にさびれていた。

春だというのに、人影はほとんどなかった。

何台もの大型トラックだけがうなり声をあげて次々に通り過ぎていく。

要するに村は物流の通り道になっただけだったのである。

幹線道路を右に曲がり山の方に向かう。

バス停近くに売店が何軒か軒を連ねている。
その内の1軒はむかしのまま色々な駄菓子を売っていた。

学校の帰りにいつも眺めた光景が目の前にあった。

わたしは、急にふわふわしたような感じに襲われた。

何だか夢の中を漂っているみたいな感じである。Yamanami91007

少し行くと川があり2つの橋がかかっていた。
1つは古い石橋。

もう1つは新しい鉄製の橋である。

わたしは古い方の石橋を渡った。

橋の真ん中で川を眺めた。

中州には葦が茂り、清らかな水が音を立てて流れている。

毎日学校の行き帰りに見た風景である。

橋を渡るともう山が迫っている。

なだらかな山並みに沿って家と田畑が点々と見える。

殆どが農家である。

ふと田んぼの土手を見るとうっすらとした赤紫の色の線が目に入ってきた。

あれは何だろう?

そう思って近づいてみると、< レンゲソウ>である。

レンゲの花が土手に沿って続いているのである。

わたしはレンゲソウの花を1つ手折って手帳にはさんだ。

あれは昭和34年(1960年)の頃であった。

わたしの少年時代である。

まだあの頃は、田植え前の田んぼにはレンゲソウが咲き乱れていた。

春の日曜日の午後。

うららかな日和(ひより)に誘われてわたしは外に出た。

友達の家に行ったが彼はいなかった。

帰り道の事である。

ぽかぽかと暖かい。Mizuhiki91007

わたしは田んぼに厚く茂ったレンゲの花のふとんに仰向けになった。

頭の先、鼻の先には赤紫のレンゲの花が見える。

どこかで蜜蜂がぶんぶんとうなっている。

目の前には澄み切った青い空が広がっている。

その中を真っ白い1つの丸い雲がゆっくり東の方へ流れていく。

わたしは、いつの間にかウトウトと眠りに落ちていた。

9月の末、わたしはレンゲソウの種を買ってきて自宅の庭の至る所にまいた。

花壇にもまいた。

鉢とプランターにもまいた。

畑の畦(あぜ)にもまいた。

垣根の木の根元にもまいた。

庭の入り口にもまいた。

2週間後、レンゲソウの芽がいっせいに顔をだした。Renngesounome91007

丸い、かわいい、たくさんの葉っぱを繁らせながら・・・。

<レンゲソウ>。

それはわたしの<心のふるさと>なのである。

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