コンピューターがこれだけ普及した中で、こんな質問は野暮だと思う人もいるかも知れない。
しかしもう一度、考えて見よう。
コンピューターは何の為にあるのか。
一つには事務の仕事を効率的にこなしていく道具である。
この為のコンピューターは普通、オフィスの机の上にある。
しかしそれ以外で、個人で使っているコンピューターは何の為にあるのだろう。
携帯電話を使えば、メールも出来るし、インターネットも出来るし、コンピューターはいらないのではないか。
何故コンピューターが個人用に必要なのだろう。
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コンピューターのメーカーもその用途探しに困っているらしく、テレビとして、ゲームマシーンとして、DVDとか、音楽とかのオーディオ・ヴィジュアル機器として、コンピューターを使えるよう常に性能をアップし続けている。
コンピューターで音楽を聴いたり、そのDVDドライブで映画を見たり、ゲームをしたりするのである。
これは娯楽用の用途である。
ではコンピューターは<仕事>と<娯楽>の為だけにあるのだろうか。
そうではないと思う。
むしろ個人用のコンピューターの主な用途として一番重要なものは、<学習>ではないかと思う。
つまり、コンピューターを<自分の開発>の為に使うのである。
<自分の学習マシーン>として使う。
コンピューターを意識的に<学習用の道具>として使う。
自分への投資。
自分の開発の為の道具として使うのである。
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例をあげてみよう。
まず、日記を書く。
むかしのように紙の日記帳に書くのではなく、コンピューターで書く。
現在売られているコンピューターには40....80ギガバイトのハードディスクが装備されているので、日記は無限に近く書ける。
プログラムとしてはワードを使っても良いし、エディターで書いても良い。
またはフロントページ2000を使って、日記を書いて、それを<.htm>でハードディスクにsaveしてもいい。
データの名前は、例えばnikki-20060607.htmのように日付付きのデータにする。
そうすれば、あとで日付別に日記を取り出してインターネット・エクスプロラーで見ることが出来る。
フロントページ2000で日記を書くと、テキストだけではなく、画像も組み込めるので大変おもしろい日記が出来る。
もちろん日記を毎日たくさん書くと、自然にキーボードに親しむので、気が付いたら、タッチタイプをしている自分を発見するだろう。
タッチタイプが出来るようになったら、後は、もう簡単である。
次にコンピューターの中に辞書を入れる。
英和、和英、国語辞書、百科事典の類をハードディスクに入れる。
こうすれば辞書を快適に使える。
世界地図も入れよう。
検索欄に地名を打ち込むと、世界のその部分がパッと出てくる。
地図の拡大、縮小は自由自在である。
次に明日、学校でやる社会科、歴史の予習をするのに、年表が要る。
インターネットのGoogleの検索欄に<日本史年表>と打ち込む。
いろいろな日本史年表が出てくる。
その中の一番見やすい年表をハードディスクに入れる。
次に世界史年表も同じように入れる。
青空文庫も時どき雑誌に織り込んだCD-ROMとして入手できる。
そのようなCD-ROMを見つけたら、すぐ買って<青空文庫を全部>を、自分のコンピューターのハードディスクにコピーしてしまおう。
こうして自分のコンピューターがだんだん、ちょっとした図書館のようになって行く。
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ここで気をつけなくてはならない点は学習には2つの面があるという点である。
一つは<吸収・学び>である。
学びは<まね>する。
つまり<なぞる>、<繰り返し>である。
繰り返してなぞり、理解して自分のものにする。
もう一つは理解した事を<自分のものとして使う>、または表現する事である。
これは1セットになっている。
だから<書かない学習>はなかなか身につかないのである。
上記の事をモダンな言葉に置き換えるとまず<インプット>があり、次に<アウトプット>がある。
教科書を読むのがインプット。
ノートに書くのがアウトプットである。
だから学習はこの二つを交互に持続する事で成功するのだ。
では<自己開発のアウトプット>はどうやってすればいいのだろう。
それが日記なのである。
例えば、本を読む。
読後感想を日記に書く。
しかも読みながら、気が向いたときに、コンピューターで日記の中に書いていく。
日記を日常学習の、出力(アウトプット)の場所として使うのだ。
紙の日記帳の場合、その紙の量が限られているので、いろいろな物をそこに詰め込むのには多少無理がある。
すぐに一杯になってしまうからである。
しかし40-80ギガバイトのハードディスクの場合には、とにかく何でもそこに記録していける無限に近いキャパがある。
これを利用しない手はないのだ。
しかもGREPなどの、検索プログラムがあれば自分が書いたものは一瞬の間に全文検索ができるのである。
コンピューターで書く日記をあらゆる自分のアウトプットの場所にする。
これは以上のような理由で、理にかなっているのである。
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次に自分が関心を持っている分野の中で役に立ちそうなメルマガを予約して定期的に読もう。
日本のオンライン新聞も一つか二つは定期的に読むようにしよう。
何か重要だと思う事にぶつかったら、その部分のテキストをすぐコピーして、自分の今日の日記の中に感想やコメントと一緒に、貼り付けてしまおう。
その日に学んだ事の記録になる。
英語のオンラインニュースとしては、読みやすい<BBC>など、一つに絞って、しかしなるべく毎日その中の一つか二つの記事を読もう。
知らない単語はコンピューターの中の英和辞書で調べて覚えよう。
辞書で引いた英語の単語と意味は、やはり日記を開いて、そこに貼り付けよう。
つまり日記をノートとしても使うのである。
日記兼ノートなのだ。
肝心な事はどんどん先へ行く。
忘れたらまた辞書を引けばいいのだ。
わたしの場合はBBCの経済欄だけは毎日、読むようにしている。
現在のインターネットは、それ自体として巨大なディジタル図書館である。
いくらでもその中から必要な情報を取り出せるのである。
それから、毎日、エクセルの練習をしてはどうだろう。
教科書を決めて、毎日最低1ページづつやるのだ。
Excelは、現代のビジネス生活では最低限、必要なスキルだからである。
自分でやったExcelのシートは日付の入ったファイル名でsaveする。
これが毎日、集積されていく。
自分の学習の歴史である。
あまり深刻にならず、遊びのような軽い気持ちやるのがコツ。
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自分が毎日やる事を決めて続ける。
これが基本である。
<持続こそチカラ>である。
ある程度続けると、それが癖になってしまう。
日課が基礎ベースになる。
それをベースにして、そのうち、これもやりたい、あれもやりたいと、自然に広がっていくのだ。
例えば、<浮世絵>とか<錦絵>をインターネットで集めてもいい。
いろいろな浮世絵がある。
それらの絵をみていると、この絵は誰が描いたのだろう.....等、いつの間にか、詳しくそれを調べている自分がいる。
つまりどんどん知識が広がっていくのである。
その場合、集めたデータをすぐに使える形にどうやって整えるか。
それは自分に合ったやり方を工夫するしかない。
わたしの場合にはフロントページにテキストも画像も丸ごとコピーして、適当なファイル名をつけて、どんどんハードディスクに入れ込んでいく。
あるいはインターネットのページごと、アクロバットを使ってPDFデータに直す。
そしてそれに適当なファイル名をつけてハードディスクに入れ込む。
そのファイルを探し出す<検索用のプログラム>は2-3種類用意してある。
状況によって最適の検索プログラムを使う。
いつでも必要なファイルのありかがすぐに分るように今でも工夫を続けている。
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学習にコンピューターを<道具>として使う。
これは初めのうちは、なかなか、うまくできない。
だから苦労する時もある。
しかし、あれこれと試行錯誤を続けるうちに、だんだんコツがつかめて来る。
いくら何かを自分で学ぼうとしても、その為の<道具>がない場合、いつの間にか、その決意が鈍って、気が付いて見ると三日坊主になって、やめていたりする。
何でもそうだが、精神論だけではダメなのである。
その為の<道具>があるか否か。
それが成否を決めるのだ。
だから、自分の学習のプラットフォームになる<道具>がそろっている場合には、結構楽しみながら学び続けられるものなのである。
学ぶ仕組みをコンピューターの上に作り、ある意味では、それを固定出来るからである。
<学習を仕組み化>すると言ってもいい。
いままでの学習道具は、ノートと教科書、参考書、問題集などであった。
そこにコンピューターを持ち込む事で、学習の効率を飛躍的に高める事が出来る。
コンピューターを使って学ぶ楽しさがだんだんその中で分ってくる。
そして、ひとたび、覚えた<学びの術>は、その人が生きている限り、使えるのだ。
<自分で学び、自分で楽しむ>。
人に迷惑はかけない。
しかも殆ど金はかからない。
この世にはいろいろな分野があるので、自分と相性の良い分野を発見する事は、そんなに困難な事ではない。
それに本当にイヤになったら、分野を変えても良いのだ。
だれも文句を言う人はいない。
<自分で学び、自分で楽しむ>。
視野がどんどん広がり、深くなって、楽しくなる。
生きて学べるということは、実に楽しい。
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