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2006-07-23

団塊世代とビル・ゲーツ

団塊(<だんこん>ではなく、<だんかい>)の世代、およそ800万人がまもなく、リタイアーの時期を迎える。

昭和22年から24年生まれの団塊の世代。Dannkainosedaitoukei

この数がダントツに多い世代が2007年から2010年の間に定年退職の時を迎える。

*

ここでは団塊の世代とコンピューターの関係を見てみたい。

コンピューターは団塊の世代が生まれたちょうど同じ頃に生まれた。

世界初のコンピューターは1945年に生まれたENIAC(エニアック)。

パソコン用に作られた初めてのOSはCP/Mで、これが生まれたのが1974年。

団塊の世代が25-27才の頃である。

つまり彼らが社会に出る頃にパソコンは生まれているのだ。

団塊世代とパソコンはいつも一緒に発展してきた。

そのパソコンをWindowsでリードしてきたマイクロソフトのビル・ゲーツ氏が2008年に引退を表明している。

その彼が引退する。

つまり、一つの時代が終わったのである。

*

ビル・ゲーツは去って行く。

ではその後に来る世界はどんな世界なのだろうか。

それはGoogleのような<検索サイト>の世界だ。

ワードとかエクセルのCD-ROMオフィス・プログラムを買う時代が終わりに近づいているのだ。

<ITサービス自体を売る時代>への変換が今起きているのである。

Googleはサンと組んでマイクロソフトの<オフィス・プログラム>に対抗するGoogleオフィスを発表。

マイクロソフトつぶしが始まっているのだ。

*

商売でもインターネットの中ですべてが完結する時代へわたし達は急速に向かっている。

まもなく以下のような光景が会社で普通に見られるようになる。

Aという会社が、ある事務用品を100個、買うことになった。

購買担当の人はまず検索サイトに行く。

品物のタイプを入力する。

検索サイトの<購入フォーム>が現れる。

そのフォームの中に既に、その町にある会社で、その品物を供給出来る会社名が価格と一緒に、安い順にリストアップされているのだ。

サービスと品質の良いと思われる会社名を選ぶ。

数量をタイプする。

これで終り。

後は検索サイトがすべてやってくれるのである。

品物はすぐに届けられる。

支払いは電子的に検索サイトに対してなされる。

*

これは普通電子商取引とよばれているアプリケーションである。

しかし普通の人がこれを使えるようになるには以上のような、手軽さ、シンプルさが求められるのだ。

そのサービスをやれるサイトは限られてくる。

書籍でいえば、紀伊国屋とかアマゾンとかのサイトである。

この頃、書籍を購入するのは大変便利になっている。

書籍の名前が分っている場合、60秒位の時間しかかからない。

わたしの場合、紀伊国屋のサイトに行く。

ログインする。

書籍の名前を打ち込む。

注文する。

これで終りである。

下手すると全部で30秒で済んでしまうかも知れない。

*

この書籍購入の便利さが書籍以外の他の商品に及んで行く。

すべての商品、すべての商売に、この便利さが及んで行く時代。

もちろん国境を問わない。

というのは検索サイトにはチャンと翻訳コンバーターが装備されているからである。

もちろん翻訳コンバーターをつけないでやるオプションもある。

*

団塊の時代は去ったのだろうか。

老兵は消え去るのみのなのだろうか。

*

 

 

2006-07-15

超小型コンピューターSONY-UX

SONYはUXという超小型のコンピューターを売り出した。

超小型コンピューターSONYのVGN-UX90PS。

すぐに試してみた。Leafs 

その結果分った事を以下に少し書いてみよう。

OSはWindows XP Pro。

CPUは1.06GHz.。

メインメモリー 512MB。

タッチパネル式LCD液晶、ワイド4.5型TFT。

ハードディスクドライブ 約30GB。

スライド式キーボード付き。

Sonyux_1 指紋センサー付き。

重さ約520グラム。

*

コンピューター雑誌記事でSONY-UXが紹介されている。

その中で記者がいろいろと書いている。

やれ小さすぎて使いにくい。

やれキーボードが使いにくい。

などなど。

しかし実際に使ってみると、それらの記述が実は評論家の無責任で、いい加減な<うそ>である事が分る。

*

使ってみた結論として言える事は以下の通り。

SONY-UXは現時点で実用として使える世界で最も小さいXPコンピューターである。

特にその長所は、520グラムの軽さと、写真で見て分るようにサイズが小さいという点にある。

いままで普通のコンピューターで使い続けてきたプログラムが、そのまま使えるのである。

モバイルな活用をめざしてさまざまなPDA(小型携帯用機器)が市場にたくさん出ている。

携帯電話もふくめて、それらのPDAを使った事がある人は知っているだろう。

"いつもXPコンピューターで

使っているプログラムが

PDAでは使えないストレスと

欲求不満を。"

SONY-UXではそれが皆無なのだ。

つまりSONY-UXだけでXPコンピューターとPDAの2通りの使い方が一台で出来るのである。

これがSONY-UXの最大のメリットなのだ。

*

用途としては、今のところ、わたしが使っているのは以下のようなものである。

●日常生活に使うカレンダー。

●日常生活に使う手書きメモ。

●Excelの学習。

●日記。

●電子書籍、特にPDF書籍。

*

まずカレンダーである。

やや古いカレンダープログラム。

<ザナ日誌 XANATECHS日誌 Version1.14>をむかしのコンピューターから発見して、それを使ってみた。これが大変快適に使える事が分った。SONY-UXの4.5型TFT液晶画面にピッタリである。

次に手書きメモ。

これは大変重要なアプリケーションである。何かあった時にすぐさまメモを取る。その時にスライド式のキーボードを引き出してエディターで書くその時間的な余裕はない。

だから手書きメモを即立ち上げ、ペンで画面にメモを書く。その為の手書きメモプログラムが必要になる。この用途に最適なプログラムはないか。古いコンピューターで使ったその類のプログラムを探した。

そうするとCIC社の<QuickNotes Desktop Version 1.0>というプログラムが見つかった。使ってみると正にピッタリ。

*

次にエクセルである。

これは使い慣れているエクセルが手の平の上で使える。大変快適である。

特にエクセルで重要なのは<ランチャー>としてエクセルを使う事が出来るという点である。

SONY-UXは小さい。

だから操作を出来るだけ簡単にする必要がある。

やり方として一番効率が良いのは、SONY-UXの左側についている<VAIOタッチランチャー>のボタンにエクセルで作った<プログラム・ファイル立ち上げランチャー>を登録しておく。

こうしておくと、SONY-UXを使うときには<VAIOタッチランチャー>のボタンを押す。

エクセルで作った自分のランチャーファイルを立ち上げる。

そこにワンタッチで立ち上げられるように、良く使うプログラムとかファイルをリストアップしておくのである。

*

次に日記である。

日記をかくには<フロントページ2000>というHTMLエディターを使う。

そのプログラムをインストールする。

実際に日記を書いてみる。

使い慣れているプログラムなので非常に快適である。

SONY-UXに装備されているスライド式のキーボードは日記を書くのには使えない。

だから小型のUSBキーボードをSONY-UXの左側の上方にあるUSBに差し込んで使うのである。

文字のサイズを6にするとタッチタイプで普通のコンピューターと同じようにドンドン書ける。

*

次に一番重要な用途。

PDF電子書籍の閲覧である。

つまりSONY-UXをPDF電子書籍のリーダーとして使うのである。

しかしこのテーマに入る前に注意するべき点は、現在、市場で電子書籍として販売されているディジタル・電子書籍は書籍の種類も数も少なすぎてあまり利用する価値がない。

ではどうするか。

自分で紙の書籍をPDF化して電子書籍を自作するのである。

これしかない。

そうすれば一般の書店で売っている紙の書籍が全部、電子書籍としてコンピューターの上で読めるのである。

では自分で紙の書籍をPDF化するには、どうすればいいのだろうか。

*

Scansnappfu その為にまず必要なものはドキュメント・スキャナーという機器である。

PFU社の<ScanSnap S500>というスキャナーがこの用途にピッタリである。

ただし自分で紙の書籍を切断してバラバラにして数百ページをスキャンするには、それなりの工夫が必要になる。

書籍をバラバラにして切断する時に大切な点は切り口がきれいになるように新品の大型のハサミを使う事である。

次に重要な点は紙が安定的にスキャンされるように工夫する事。

数多くの失敗の後、次のような工夫をすればよいという事が分った。

● 写真の矢印にあるように

  紙を置く台の左右に紙が

  安定して直進出来るように

  添板を付ける。

*

PDF電子書籍をコンピューターで読むメリットは大変大きい。

● 30冊以上の書籍が何の困難もなく運べる。重さはいつもSONY-UXの重さ。520グラムである。
● いつでも何処でも書籍が読める。バッテリーが続く限り。
● 特にサイズが大きい書籍、それから400ページ以上の重い本はPDF化するメリットが大きい。
● カラーの写真も鮮明に見れるので画集とか写真集もPDF化するメリットが大きい。
● 小さい辞書類もPDF化できる。英語の辞書はディジタル版が販売されている。しかし英語以外の辞書はPDF化してコンピューターの中に入れておくメリットは大きい。

*

アクロバット・スタンダードというプログラムが<ScanSnap S500>に付属品としてCDで添付されている。

これを使うとPDF書籍を読んでいる時にメモが書ける。

例えば英語の本をPDF書籍化して読んでいるとしよう。

分らない単語が出てきた。

すぐにSONY-UXに入れているLogoVista電子辞書、英和和英辞書を開く。辞書でその単語を引く。その意味をコピーする。PDF書籍にペンで下線を引く。下線を左クリックするとポップアップのメモが出てくる。そのメモ用紙に単語の意味を貼り付ける。そうすると下線のところにマウスを置くだけで単語の意味が表示されるのである。

日本語の書籍も読んでいる時に重要なところには赤や青の線を引ける。

ペンで書籍の余白にメモを書くのも問題なく出来る。

液晶画面に直接手書きのメモとして書けばいいのだ。

それから重要なのはシオリである。

<CNTRL+B>でしおりが出てくる。

途中で読むのを止める時は、これでしおりを呼び出して、その名前を入力してsaveする。

次に読み始める時には、しおりをクリックすれば、そのページに飛ぶ。

紙の本を読んでいるのと全く変わらない。

辞書の意味を貼り付けたりできるので、紙の本を読む以上に便利。

*

結論として超小型のコンピューターを使うのに一番向いている用途は以下のような使い方である。

● 学習マシーンとして使う。

● 自作PDF電子書籍のリーダーとして使う。

● 実際に生活の中でコンパニオンとしてPDA的に使う。手書きメモとかカレンダー等。

*

SONY-UXは実用として使える世界最小の完全なXPコンピューター。

<スキャンスナップ  S500>はすばらしいPDFスキャナー。

どちらも日本が世界に胸をはって誇るに足りるオンリーワンの機器である。

日本のすばらしいマシーンに感謝。

*

2006-06-08

学習マシーン

コンピューターがこれだけ普及した中で、こんな質問は野暮だと思う人もいるかも知れない。

しかしもう一度、考えて見よう。

Smallvaiocomputer_2 コンピューターは何の為にあるのか。

一つには事務の仕事を効率的にこなしていく道具である。

この為のコンピューターは普通、オフィスの机の上にある。

しかしそれ以外で、個人で使っているコンピューターは何の為にあるのだろう。

携帯電話を使えば、メールも出来るし、インターネットも出来るし、コンピューターはいらないのではないか。

何故コンピューターが個人用に必要なのだろう。

*

コンピューターのメーカーもその用途探しに困っているらしく、テレビとして、ゲームマシーンとして、DVDとか、音楽とかのオーディオ・ヴィジュアル機器として、コンピューターを使えるよう常に性能をアップし続けている。

コンピューターで音楽を聴いたり、そのDVDドライブで映画を見たり、ゲームをしたりするのである。

これは娯楽用の用途である。

ではコンピューターは<仕事>と<娯楽>の為だけにあるのだろうか。

そうではないと思う。

むしろ個人用のコンピューターの主な用途として一番重要なものは、<学習>ではないかと思う。

つまり、コンピューターを<自分の開発>の為に使うのである。

<自分の学習マシーン>として使う。

コンピューターを意識的に<学習用の道具>として使う。

自分への投資。

自分の開発の為の道具として使うのである。

*

例をあげてみよう。

まず、日記を書く。

むかしのように紙の日記帳に書くのではなく、コンピューターで書く。

現在売られているコンピューターには40....80ギガバイトのハードディスクが装備されているので、日記は無限に近く書ける。

プログラムとしてはワードを使っても良いし、エディターで書いても良い。

またはフロントページ2000を使って、日記を書いて、それを<.htm>でハードディスクにsaveしてもいい。

データの名前は、例えばnikki-20060607.htmのように日付付きのデータにする。

そうすれば、あとで日付別に日記を取り出してインターネット・エクスプロラーで見ることが出来る。

フロントページ2000で日記を書くと、テキストだけではなく、画像も組み込めるので大変おもしろい日記が出来る。

もちろん日記を毎日たくさん書くと、自然にキーボードに親しむので、気が付いたら、タッチタイプをしている自分を発見するだろう。

タッチタイプが出来るようになったら、後は、もう簡単である。

次にコンピューターの中に辞書を入れる。

英和、和英、国語辞書、百科事典の類をハードディスクに入れる。

こうすれば辞書を快適に使える。

世界地図も入れよう。

検索欄に地名を打ち込むと、世界のその部分がパッと出てくる。

地図の拡大、縮小は自由自在である。

次に明日、学校でやる社会科、歴史の予習をするのに、年表が要る。

インターネットのGoogleの検索欄に<日本史年表>と打ち込む。

いろいろな日本史年表が出てくる。

その中の一番見やすい年表をハードディスクに入れる。

次に世界史年表も同じように入れる。

青空文庫も時どき雑誌に織り込んだCD-ROMとして入手できる。

そのようなCD-ROMを見つけたら、すぐ買って<青空文庫を全部>を、自分のコンピューターのハードディスクにコピーしてしまおう。

こうして自分のコンピューターがだんだん、ちょっとした図書館のようになって行く。

*

ここで気をつけなくてはならない点は学習には2つの面があるという点である。

一つは<吸収・学び>である。

学びは<まね>する。

つまり<なぞる>、<繰り返し>である。

繰り返してなぞり、理解して自分のものにする。

もう一つは理解した事を<自分のものとして使う>、または表現する事である。

これは1セットになっている。

だから<書かない学習>はなかなか身につかないのである。

上記の事をモダンな言葉に置き換えるとまず<インプット>があり、次に<アウトプット>がある。

教科書を読むのがインプット。

ノートに書くのがアウトプットである。

だから学習はこの二つを交互に持続する事で成功するのだ。

では<自己開発のアウトプット>はどうやってすればいいのだろう。

それが日記なのである。

例えば、本を読む。

読後感想を日記に書く。

しかも読みながら、気が向いたときに、コンピューターで日記の中に書いていく。

日記を日常学習の、出力(アウトプット)の場所として使うのだ。

紙の日記帳の場合、その紙の量が限られているので、いろいろな物をそこに詰め込むのには多少無理がある。

すぐに一杯になってしまうからである。

しかし40-80ギガバイトのハードディスクの場合には、とにかく何でもそこに記録していける無限に近いキャパがある。

これを利用しない手はないのだ。

しかもGREPなどの、検索プログラムがあれば自分が書いたものは一瞬の間に全文検索ができるのである。

コンピューターで書く日記をあらゆる自分のアウトプットの場所にする。

これは以上のような理由で、理にかなっているのである。

*

次に自分が関心を持っている分野の中で役に立ちそうなメルマガを予約して定期的に読もう。

日本のオンライン新聞も一つか二つは定期的に読むようにしよう。

何か重要だと思う事にぶつかったら、その部分のテキストをすぐコピーして、自分の今日の日記の中に感想やコメントと一緒に、貼り付けてしまおう。

その日に学んだ事の記録になる。

英語のオンラインニュースとしては、読みやすい<BBC>など、一つに絞って、しかしなるべく毎日その中の一つか二つの記事を読もう。

知らない単語はコンピューターの中の英和辞書で調べて覚えよう。

辞書で引いた英語の単語と意味は、やはり日記を開いて、そこに貼り付けよう。

つまり日記をノートとしても使うのである。

日記兼ノートなのだ。

肝心な事はどんどん先へ行く。

忘れたらまた辞書を引けばいいのだ。

わたしの場合はBBCの経済欄だけは毎日、読むようにしている。

現在のインターネットは、それ自体として巨大なディジタル図書館である。

いくらでもその中から必要な情報を取り出せるのである。

それから、毎日、エクセルの練習をしてはどうだろう。

教科書を決めて、毎日最低1ページづつやるのだ。

Excelは、現代のビジネス生活では最低限、必要なスキルだからである。

自分でやったExcelのシートは日付の入ったファイル名でsaveする。

これが毎日、集積されていく。

自分の学習の歴史である。

あまり深刻にならず、遊びのような軽い気持ちやるのがコツ。

*

自分が毎日やる事を決めて続ける。

これが基本である。

<持続こそチカラ>である。

ある程度続けると、それが癖になってしまう。

日課が基礎ベースになる。

それをベースにして、そのうち、これもやりたい、あれもやりたいと、自然に広がっていくのだ。

例えば、<浮世絵>とか<錦絵>をインターネットで集めてもいい。

いろいろな浮世絵がある。

それらの絵をみていると、この絵は誰が描いたのだろう.....等、いつの間にか、詳しくそれを調べている自分がいる。

つまりどんどん知識が広がっていくのである。

その場合、集めたデータをすぐに使える形にどうやって整えるか。

それは自分に合ったやり方を工夫するしかない。

わたしの場合にはフロントページにテキストも画像も丸ごとコピーして、適当なファイル名をつけて、どんどんハードディスクに入れ込んでいく。

あるいはインターネットのページごと、アクロバットを使ってPDFデータに直す。

そしてそれに適当なファイル名をつけてハードディスクに入れ込む。

そのファイルを探し出す<検索用のプログラム>は2-3種類用意してある。

状況によって最適の検索プログラムを使う。

いつでも必要なファイルのありかがすぐに分るように今でも工夫を続けている。

*

学習にコンピューターを<道具>として使う。

これは初めのうちは、なかなか、うまくできない。

だから苦労する時もある。

しかし、あれこれと試行錯誤を続けるうちに、だんだんコツがつかめて来る。

いくら何かを自分で学ぼうとしても、その為の<道具>がない場合、いつの間にか、その決意が鈍って、気が付いて見ると三日坊主になって、やめていたりする。

何でもそうだが、精神論だけではダメなのである。

その為の<道具>があるか否か。

それが成否を決めるのだ。

だから、自分の学習のプラットフォームになる<道具>がそろっている場合には、結構楽しみながら学び続けられるものなのである。

学ぶ仕組みをコンピューターの上に作り、ある意味では、それを固定出来るからである。

<学習を仕組み化>すると言ってもいい。

いままでの学習道具は、ノートと教科書、参考書、問題集などであった。

そこにコンピューターを持ち込む事で、学習の効率を飛躍的に高める事が出来る。

コンピューターを使って学ぶ楽しさがだんだんその中で分ってくる。

そして、ひとたび、覚えた<学びの術>は、その人が生きている限り、使えるのだ。

<自分で学び、自分で楽しむ>。

人に迷惑はかけない。

しかも殆ど金はかからない。

この世にはいろいろな分野があるので、自分と相性の良い分野を発見する事は、そんなに困難な事ではない。

それに本当にイヤになったら、分野を変えても良いのだ。

だれも文句を言う人はいない。

<自分で学び、自分で楽しむ>。

視野がどんどん広がり、深くなって、楽しくなる。

生きて学べるということは、実に楽しい。

*

 

2006-05-07

エクセルはおもしろい

長い事エクセルに対して、

わたしには何故か恐怖心があった。

なぜ同僚の人はあんなにスムーズにエクセルを操作出来るのだろうと、反対に、ねたんだ時もあった。Excel97iijimahirobumi

しかし、<人間には、いつか懸命に戦う時がやってくる。>

遂にわたしは追い込まれた。

短い時間に相当の仕事量をこなさなくてはならないハメになったからである。

エクセルなしでは絶対に不可能である。

そこでハタと考えた。

どうやってエクセルをマスターすれば良いのだろうかと。

いろいろな教科書とか実践書を読んで練習した。

でもどうしてもエクセルがピタッと自分の身につかないのである。

自分の肌に密着したという感じがどうしてもしないのだ。

異物感がある。

もがいた。苦しんだ。

そこにやっと両手を差し伸べてくれる人がいた。

それが飯島弘文さん。

いや正確に言えば、彼の書いた2冊の本であった。

● Excel97実践テクニック 計算編
● Excel97実践テクニック 操作編

わたしははじめて知った。

アプリケーション・プログラムの解説の本にも、分りにくい、薄っぺらな、単なる実用書ではないものもあるという事を。

いやむしろ、アプリケーション・プログラムの説明書にこそ<哲学>が必要であるという事を。

Excel97iijimahirobumi2 エクセルは簡単ではない。

相当の時間と手間をかけて理解した上で、無意識のレベルでそれが使えるようにならなくては、仕事のいろいろな場面で、実際の生活の中で使う事はできない。

つまり必要なその瞬間に自分のスキルとしてパッと使える。

こうなる為の方法をわたしは上記の2冊から学ぶ事ができたと今は思っている。

*

その秘密の方法は。

何とそれは

<エクセルをおもしろいと思う事、エクセルが好きになる事>

だったのである。

飯島さんの本は一見すると、普通の操作方法の実用書である。

でも実際にその本に従ってエクセルを練習していくうちに違いが分ってくる。

ページの冒頭に掲げてある実際例を、自分のコンピューターでやってみる。

その後で彼の説明を読んで行く。

それを毎日30分くらい続けていった。

毎日、毎日。 1....2ページやる。

そうすると不思議な事にエクセルに対しての遊び心というか、おもしろいなという感じが日に日に大きくなっていくのに気がついた。

考えてみると飯島さん自身が持っている、エクセルはおもしろいくて、好きだという、その<こころ>がちょっとずつ、わたしに伝わってきたのだと思う。

ある日、エクセルに対する異物感とか、恐怖感がひとかけらもなく消えていた。

そして残ったもの。

それは何とエクセルであれこれと遊んでいる自分だったのである。

そして何か大切な事を学んだ気がした。

つまり人間はそれを、おもしろいと思い、好きになれば、難しいものも、いろいろと、もてあそびながら、学べるものだという事を。

一番むずかしいのは結局、スキル自体というよりむしろ、<おもしろさ>を伝えるという事だったのである。

こうなると、それを伝えようとしている人自身が本当に<おもしろい>と思っていなかったら、人には伝わらない。

その時に教えようとしている人の一貫性、つまり<哲学>が問われるのである。

わたしがいろいろな実用書でエクセルを学んでいた時は、きっと勉強だからといって味も素っ気もない本を無理に読んでいた気がするのである。

しかし、これを続けても意味はない。

何故なら無意識レベルで瞬間的にエクセルで仕事をこなしていく場合には、本当に身についたスキルしか役に立たないからである。

自分即エクセル。

エクセル即自分。

その間に異物感はない。

一心同体。

これが目標である。

エクセルに限らず、運転でも馬術でも、どんな技術(英語ではアートという)でも、最後は同じこの境地を目指している。

一旦この境地を目指し始めると<本当のおもしろさ>を伝えられる先生が必ず要るのだ。

もちろん<おもしろさ>の中身は<難しさ>とか<忍耐>も含まれる。

何故か。

それは難しい例題を辛苦の末に分った時の喜びとか、毎日のつらい練習を忍耐強く続けた後の深い充実感とかがないと<おもしろくない>からである。

わたしは未だ自分即エクセルとかエクセル即自分とかの境地には到ってはいない。

その途上にある。

しかしエクセルで仕事をする楽しさは今ではよく知っている。

エクセルのおもしろさを教えてくれた先生。

上記の2冊の本に感謝。

 

2006-05-03

エディターについて

<エディター>を辞書で引くと、"新聞・雑誌の編集者"という説明が出てくる。

でも、ここでいう<エディター>はテキストとかコンピューター・プログラムの編集ソフトの事である。Kami

わたしはプログラマーではないのでエディターでプログラムを書くわけではない。

でもエディターは普通の人にも欠かせないプログラムである。

テキストの処理にこれを多用するのである。

いろいろなエディターが市場で売られている。

その中でも手放せないエディターが<紙>である。

これはどういうエディターかというと、インターネットとか、メルマガ等で熟読したいというテキストがあったら、それをマークしてコピー。

そして<紙エディター>を開いてそのテキストを紙の新しいページの上にに貼り付ける。

文字のサイズも自由に変えられるし、読みながら重要なところは黄色とか青色でマークしながら読めるのである。

Wzeditor テキストだけではなく、インターネットも画像ごと、そのまま紙に貼り付けられる。

いままでに貼り付けたものはそのままスクラップとして残る。

紙の数は限りがないのでちょうど終わりのないノートに新聞を貼り付けているような感じである。

つまり<紙>はテキスト・リーダーであり、かつまた同時にスクラップ帳でもある。

その上、日記も書けるし、アルバムにもなる。

これを使い始めてから、目が痛んだりする事がもうなくなった。

感謝。

大変すぐれたプログラムである。

もう一つのエディターの大切な機能は<中性化>である。Emeditor

例えばエクセルの中のテキストをコピーして、他のプログラムの上に移したい時、それをいくらやってもうまく移せない場合がある。

それはエクセル上のテキストにいろいろな付属的な情報が付け加わっている為である。

そういう場合には一旦コピーしたテキストをエディターを開いて、それに貼り付ける。

そのテキストを一番いい形に編集した後で、それをもう一度コピーして、他のプログラムに貼り付けると最適なテキストだけがきれいに移動できるのである。

そうする事でテキストは付属的な情報を剥ぎ取られ一番純粋な<数字と文字>だけの情報に生まれ変わるのである。

エディターはこの場合、テキストの洗濯機とも言える働きをしている。

これはバスのターミナルでいろいろな方向へ行くバスを選んで乗り換えるような感じである。エディターは数字と文字だけのターミナルなのだ。

わたしの場合にはエディターは上に述べたような使い方で、毎日重要な働きをしている。

エディターなしの生活はもう考えられない。

<紙>の他にいろいろなエディターがある。

有名なところでは

WZエディター
秀丸
EMエディター

などである。

おのおの長所と短所がある。

実際にためして使ってみるしかない。

自分にピッタリのエディターを見つけたら、それは一種の宝物になる。

エディターはコンピューターができて以来はじめから、ずーっと使われ続けているプログラムである。

Hidemaru3_1 それは純粋な<数字と文字>を処理する道具だったからである。

その意味で、<エディター>はすべてのコンピューター・プログラムのルーツ、故郷といえるのかもしれない。

ビル・ゲーツはウィンドウズという基本プログラムだけではなく、ワードとかエクセルとかのアプリケーション・プログラムも自分で作り、世界市場で独占的な地位を確立している。

しかし不思議な事にエディターの部分はほとんど何もやっていないのである。

その理由についてはいろいろな人がいろいろな事を言っている。

彼は自分がコンピューター・ソフトのプログラマーなので、自分が一番よく使う分野のプログラムの領域では、ベストなプログラムは自由な競争の中からしか出て来ない事を知っていて、意識的にこの分野を避けているのではないかという人もいる。

*

 

 

2006-04-09

読み書きソロバン

江戸時代の庶民は<寺小屋>でものを教わった。

教わった内容は手習い(習字)と素読。手習いではまず数字を書かせられた。次に<いろは>。素読(声を出して本を読む)では読解はしなかった。本を声を出して読み、暗記させられた。

ソロバンは広く普及していたアナログ計算機である。つまりこの時代の教育はごく基本的な素養に集中していたのである。Tukushi3

では今のディジタル時代に必要な基本的な素養とは一体何なのだろう。

インターネットとメール。どちらもONラインのフロー情報に関係している。これだけではディジタル時代を生きる基本的な素養としては充分とはいえないだろう。

それと同時にOFFラインの側に着目する必要がある。情報を受けた後、自分でその情報を加工処理して蓄積ストックしていくちから。そしてそれをまた発信するちから。

バランスの取れたON-OFF双方のちから。これがディジタル時代の基本素養なのである。

ではそれを身につけるには具体的には何をすればいいのだろう。今の読み書きソロバンとはなんだろう。

独断と偏見で簡単な提案をしてみよう。

次の3点セットがディジタル時代の<読み書きソロバン>であると思う。

●タッチタイプ
●アクロバットリーダーPDF
●エクセル

まず手習いにあたるのがタッチタイプ。コンピューターのキーボードで文章を書くことである。日本語の場合はアルファベットを兼ねてローマ字入力がいい。とにかくキーボードを見ないで書く練習をする。うまい下手はあるが、これは練習すればだれにでもできる。

これができるとコンピューターへの恐れといった壁がなくなる。練習しているうちにキーボードに慣れてしまう。それが大切なのである。

次にコンピューターで文書を読む事。これに現在もっとも適しているプログラムはアドベ・アクロバットである。世界の主な言語すべてをカバーしてしかも非常に安定している。これを学べばほとんどすべての文書を読む基本ができた事になる。

タダで最新のアクロバットリーダーをダウンロードできるし、PDF文書はすでに社会では広く使われている。だから練習すればだれにでもできる。

Soroban_1 次に文字と数字を実際に書き、それを操作処理する事を学ぶ。これを学ぶのに最適なプログラムは何だろう。

現代のオフィスでの仕事は大きく分けて3つの要素でできている。書く、計算する、データベースの3つである。

これらを同時にこなすプログラムはあるのだろうか。全部のものを1つのプログラムでカバーできれば理想的である。1つに集中できるからである。

<エクセル>である。

エクセルは表計算プログラムとして売られているので、この事はあまり一般には広く知られていない。

ところがよくみると<エクセル>の中にははじめからエディター機能、つまり文書を書く機能が内蔵されている。しかもデータベース機能も同時に備えている。ソロバンにあたる計算はもちろん快適にできる。

だからエクセルはオフィスの仕事を全部これだけで処理できる一種の万能プログラムともいえるのである。

もう一つのエクセルのメリットは自分なりに使える点にある。エクセルはフレキシブルにできている。だから自分の目線で使える。今のニーズとわざのレベルに応じてだれでもが自分なりに使えるのである。

何故この事が広く知られていないのかって?

その理由ははっきりとはわからない。しかしそれを広く知らせるとワードとかアクセスなど,他のプログラムの売れ行きに関係してくるからという人もいる。

2006-04-08

グーグル依存症対策

今、検索サイトの<勢い>に世間の注目が集まっている。

それは何故だろう。

アナログ情報の場合、必要な情報を探し出すには多大な時間と労力が必要である。

図書館に行って必要な本を探し出すような場合。アナログ時代のやり方は、1つの本につき題名と著者の各々2つの書籍カードを作る。 Flower1_1 内容は、本の題名,著者名、簡単な内容、本の保管場所である。  それをあいうえお又はABC順に整理して箱にいれておく。図書館に来た人はそれを使って必要な本を探し出すのである。ディジタル時代の今では、これがコンピューターで瞬時にできるようになった。

それを可能にしたのはデータベース検索とよばれる技術である。

以前は紙で作っていたカードをディジタル化したもの。それがデータベースである。コンピューターにキーワードを打ち込む。めざすカードがあっという間にリストアップされる。

これがデータベース・キーワード検索である。

ここで想像してみよう。わたしたちは今、一緒に図書館に行こうとしている。その図書館の名前は<インターネット>。必要な本をカードで探している。それがGoogle検索にあたる。インタネット図書館の本の数は毎日どんどん多くなっている。

検索サイトなしにはインターネットは使えなくなっているのである。

これが今、検索サイトに熱い関心があつまっている理由なのである。

いってみればわたしたちはみんな、<グーグル依存症・症候群>に悩まされているグーグル患者なのである。わたしたちがそれに依存すればするほどGoogleの株価が上がる。そういう<しかけ>になっている。

ここでチョッと見方をかえてみよう。

OFFラインで検索の便利さを使えないだろうか。そうすればグーグル依存症・症候群から逃れられるのではないだろうか。

そう考える理由は現在のインターネットは一種の巨大なゴミの山であるとも言われているからである。それを逃れ、ある程度、編集整理された自分のパソコンの中のデータをもう少し有効に使えないだろうかと考えを切りかえてみるのである。

そうすると2つのタイプの検索のやり方があることに気がつく。

●ファイルの名前だけで検索するやり方。ファイル名検索。Effective_search
●ファイルの中身も検索するやり方。

エディターに含まれている<GREP>機能に似ている。

これはファイル名だけではなく、ファイルの中身、内容も検索するというやり方である。

前者のファイル名検索からみてみよう。

まずパソコンのハードディスクに入っているデータをファイル名だけで検索するやり方である。これを使えばパソコンのハードディスク内にあるファイルを瞬間的に検索できる。

つまり前の例でいえば、ハードディスク全体が図書館。その中のファイルが本という事になる。そしてファイル名検索は本の題名と著者だけで本を探すというやり方である。

実際にやってみると、これは大変すばらしい。高速である。何しろファイル名だけであるからコンピューターにしてみれば数万個のファイル名を探すのに数秒とはかからない。

これを使い始めたらもう止められない。マイコンピューターとかエクスプローラーで必要なファイルをたくさんのフォールダーを開きながら探していた自分の過去が石器時代のように遠くにかすんで見える。

しかしこれを使うには前提条件がある。普段からファイル名の中に2-3個のキーワードを含める事。ファイル名をつける時に、そのファイルをファイル名検索で取り出す場面を想像しながら決める事である。

それからフォールダーの数をあまり増やさないことである。できたら数個のフォールダーだけで我慢する。

検索はそのハードディスク全体の名前、例えばC全体でやるようにする。つまりハードディスクを丸ごと検索するやり方である。

例えばDATAというフォールダーに全部のファイルをほおりこむだけにする。あまり細かくフォールダーを分けると、どのファイルをどのフォールダーに入れるかという<分類>の仕事が増える。そのため、適当なフォールダーを探すだけで多くの時間がかかる。

それよりも、何も考えないで、DATAという名前のフォールダーにどんどんファイルを入れていくだけにする。検索はCとかD全体でするのだから、どのフォールダーにどのファイルが入っているかという点にはほとんど意味がなくなっているのである。

つまりファイルの分類という作業が殆ど不要になるのである。極端に言うと入れるフォールダーの場所はどこでもいいのである。

次に後者の内容検索のやり方。

これは本の例で言えば、題名、著者名だけではなく、本の内容テキスト本体も検索の対象にするやり方である。

残念ながら、Googleは<デスクトップ検索>という名前ですでにこのサービスを始めている。だからもっと重症の<グーグル依存症>になりたい人はこれを使うのも1つの良い方法である。

<デスクトップ検索>をやるには、前もって全部のファイルの圧縮作業をやらなくてはならない。その為に毎日誰かにONラインでハードディスクの中をのぞかれているという気持ちになる。

<インターネット検索だけでウチは間に合ってます>。
とレジスタンスしている無力なわたし。