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2008-09-11

山川草木に合掌

わたしは元来、胃が弱く正露丸が離せなかった。

ラッパ印の正露丸がいつも台所の引き出しの中に入っていた。Kurinoki20080911bb

それを飲んで仕事に出かける事が多かったのである。

家内はそんなわたしの姿を、<また薬なの・・・>と心配そうに見ていた。

わたしの胃弱は母からの譲り物かも知れない。

思い返すと、毎日多忙な母にとって正露丸なしの生活は考えられないほどであった。

わたしも仕事の多忙さとストレスの中で正露丸依存症になりかけていたのかもしれない。

そんなわたしが今では殆ど薬を飲まなくなった。

何故だろう。

それは現役を退いて、田舎に移ってストレスがなくなったからではないかと思う。

わたしはもともとは田舎生まれである。Kyuurinohana20080911cc

生粋の都会人ではないのである。

だからいまは古巣に帰ってきたような気持ちがする。

周囲には山と川があり緑の自然に満ちている。

温度も都会と比べると2-3度は低い。

早朝、家のまわりをゆっくりと歩く。

霧のかかった山を見上げ、庭の木々や草花を見る。

秋ジャガイモの植わった小さい畑を良く観察する。

プランターのミニトマト、ナスビやキュウリに水をあげる。

夕方、庭をまわっているとそこここに赤とんぼが飛んでいる。

なつかしい。

少年だった頃に戻ったみたいである。

あの頃は数え切れないほどのたくさんの赤とんぼが稲田の上を飛んでいた。

佐々木小次郎のまねをして、竹棒を振り回しトンボを追いかけていたのを思い出す。

昨日は久しぶりの快晴である。

夜暗くなって、庭に出てみると澄んだ空にお月様が出ていた。

半月である。Higanbana20080911aa

あたりには虫の音がきこえる。

早速、双眼鏡を持ち出してお月様を見た。

半月の光と影の境目に大きなクレーターが輝いているのが見える。

月のすぐ横に宵の明星、金星が瞬いている。

夜の星を見上げたのは久しぶりである。

田舎ではまだ山や川や草木や星が生きている。

その片隅に生きている小さな自分がある。

虫の音だけがあたりいっぱいに響いている。

わたしは双眼鏡を首にかけたままいつしか月に向かって手を合わせていた。

2008-09-08

ジョージ・ギッシング

本屋さんで岩波文庫の棚の本を何気なく見ていると奇妙なタイトルの本があった。

ヘンリ・ライクロフトの私記>。Kakinoha20080904aa_3   

さっそく手にとってペラペラとめくって拾い読みをした。

<私は新しい生活へはいっていたのだ。それまでの私と、その生まれ変わった私との間にははっきりとした相違があった。わずか1日のうちに、驚くほど私は成熟していた。いわば、知らないうちに徐々に私の内に生長していた力や感受性を、私は突然はっきりと知るにいたったのである。その1例をあげるならば、それまで私は植物や花のことはほとんど気にもとめていなかったが、今やあらゆる花に、あらゆる路傍の草木に、深くこころをひかれる私であった。歩きながら多くの草木を摘んだが、明日にも参考書を買って、その名前を確かめようと考え、独りで悦にいっている私であった。事実またそれは1時の気紛れではなかった。そのとき以来、野の草花に対する私の愛情と、それらを皆知りつくしたいという欲望を失ったことはないからである。当時の私の無知ぶりは今から考えると真に恥ずかしいものだったが、要するに、都会に住んでいようが田舎に住んでいようが、とにかく当り前の人間のごたぶんにもれなかっただけの話である。春になって、垣根の下から手当たり次第に摘んできた5、6種の草の俗名を、はたして幾人があげることができようか。私にとっては、花は偉大な解放の象徴であり、驚くべき覚醒の象徴であった。私の目が突如として開かれたのである。それまで真っ暗闇の中を私は歩いていたのだ、しかもそのことに気がつかなかったのである。・・・>

わたしは驚いた。

それはわたしが体験してきた事ではないか。

急いで他のページを拾い読みする。

<”家”をもつということの、なんといいいようのない祝福感!30年間も想像をたくましくしてきたものの、いつまでも”わが家に住める”という安心感のうちに、なんというしみじみとした豊かな喜びが潜んでいるかということは、ついぞ私には理解できなかったものである。・・・われわれがわが家にすむとき、近くにあるあらゆるものに対していかにわれわれの愛情がわいてくることであろうか。私はかねてからいつもデヴォン州のこの1隅をいとおしく思っていたが、現在日1日と私の心のなかで強くなってゆく愛情と比べたらそれはものの数ではない。まずわが家だが、その1本の木、1個の石も、自分の1滴1滴の血のように親しみ深く感じられる>。Akijyagaimo20080904cc_3

これも、わたしが感じている事である。 

誰だろう。

この文章を書いたのは。

すぐに著者名を見る。

ギッシング作。

イギリス人らしい。

わたしは取りあえずすぐにその本を買い、急いで帰宅してインターネットでギッシングについて調べてみた。

ジョージ・ロバート・ギッシング(George Robert Gissing、1857-1903年)。

夏目漱石が生まれたのが1867年。

つまりギッシングは夏目漱石より10才位若いということになる。

という事は夏目漱石が学んでいたヴィクトリア朝末期の同じロンドンでギッシングも生活していたかもしれないのである。Kibanakosumosu20080901bb_2

“ヘンリ・ライクロフトは長い貧乏作家生活の後、突然、知人の遺産を得て、かねてから好きだったイギリス西部のダヴォン州の家で悠々自適の生活を送る。”

それが<ヘンリ・ライクロフトの私記>の背景である。

ギッシングはライクロフトという人物に託して、自分の理想とする老後の生活や信念、長い貧乏生活の思い出、美しいイギリスの自然などを春夏秋冬の4章の中に随想として書いたのである。

ギッシング自身は恵まれた老後を送ることはなかった。

彼は上記の本を出版して数ヵ月後に肺炎で亡くなっている。

わたしはギッシングというイギリスの作家の心根にこの作品を通して少しだけ触れることができたのではないかと思う。

そして都会を離れ田舎で生活しているライクロフトに今の自分をいつの間にか重ね合わせていたのに気が付いたのである。

2008-09-06

週末の散歩

今日は土曜日。

週末でゆっくりしている。

午後、自転車で散歩に行った。Akatonbo20080904bb_2

公民館の横を通り、広い田んぼの真ん中を突き抜ける農道を自転車で走る。

草が生えている狭い農道である。

耕運機の轍に自転車がのめりこまないようにバランスをとりながら走る。

ふと右側を見ると一面に豊かに実った稲の穂がサワサワと揺れている。

すばらしい稲田である。

とても気持ちが良い。

その向こうを見ると、私の好きな円錐形の山が見える。

あたかも緑のピラミッドである。

農道の真ん中にポツンと1本の大きな栗(くり)の木が立っている。

その木の下をゆっくりと走る。

沢山のイガグリが道に落ちている。

それをよけて走る。

農家の人がクワを担いで向こうからやってくる。

帽子を取って<こんにちわ>と丁寧(ていねい)に挨拶した。

少し行くとせせらぎの音が聞こえてくる。

橋を渡る。

石にぶつかっては砕ける川の水を橋の上からぼんやりと見つめた。

このあたりから上り坂になるので懸命にペダルをこぐ。

左側に立派な中学校の校舎が見えてきた。

山に囲まれた、自然豊かな学校で学べるというのは子供たちにとって大きな幸せである。

学校に子供たちの元気な笑い声があるかぎり日本の未来は洋々と開けていると思う。

自転車の上から私が気をつけて見るのは周囲の畑である。

色々な作物が育っている。

ナスビはすっかり背丈が大きくなった。

紫色のナスビが沢山実っている。

それから生い茂るサツマイモ畑が続く。Kaki20080901ee_2

マルチだけがかけてある畑もある。

何を作ろうとしているのだろうか。

あちこちの畑で目立つのは大きなサトイモの葉っぱである。

巨大な葉っぱがぎっしりと重なり合って続いている。

サトイモの葉っぱはこんなに大きくなるのかと目をみはりながら自転車のペダルをこぐ。

<畑ウォッチング>はとても楽しい。

散歩道に沿ってあちこちに民家がある。

その庭に植えてある花を見るのも散歩の楽しみの1つである。

<花ウォッチング>である。

塀にそって植えられている黄色のカンナの花やキバナコスモスが美しい。

マーガレット・コスモスもある。

反対側の道に沿って咲いているピンクの花はハナトラノオであろう。

たくさんのハナトラノオが1団になって咲いている。

自転車をバックさせて、もう一度じっくりと花を観察する。

出来ればそのうちの1本だけを掘り出して自分の庭に植えてみたいなという衝動にかられる。Kumo20080901gg

でもそれは良く考えるとドXXウではないか。

ドXXウはいけない・・・と再び自転車に飛び乗って散歩を続ける。

山の中の舗装された車道に出る。

でも車はほとんど通らない。

道は上り坂と下り坂が交互に混じっている。

上り坂をフウフウ言いながらこぐ。

下り坂では前から風を受けて猛烈なスピードで走る。

恐ろしくなるほどである。

まわりの山々にはうっすらと霧がかかっている。

雨が降り出す兆候である。

わたしは自宅を目指してペダルをこぎ続けた。

2008-08-30

万葉集

万葉集を読んでいる。

岩波文庫にある佐々木信綱編の上下2冊である。Fusafujiutsugi20080827bb

読み始めたが、最初は中々とっつきにくかった。

他に何か読みやすい万葉集はないかと色々とあたってみた。

例えば講談社文庫の中西進編の万葉集4巻とか、集英社文庫の伊藤博編の全10巻とかである。

毎日気分に応じて交互に読み進めた。

でも結局、最後にいつも枕元にあるのは岩波の2冊なのである。

4500首という膨大な数の歌を上下2巻の読みやすい形の中にまとめ上げた佐々木信綱さんの努力。

それに対していつの間にかありがたいと感謝している自分があった。

何故だろう。

何故わたしは佐々木さんの2冊に引きつけられるのだろう?

考えてみると色々な理由がある。

1番の理由は、たった2冊だから、わたしでも最後まで読破できるだろうという<希望>を与えてくれるからである。

他の万葉集は4冊と10冊である。

佐々木さんのものはその半分あるいは5分の1である。

旅に出る時などは、2冊をさっとカバンに入れる。

これで万葉集がまるごと旅の道連れになる。

これは大変ありがたい。Higanbana20080830aa

もう一つの理由は中西さんの文字のサイズが比較的、小さくて読みづらいのである。

わたしは寝る前にベッドの中で読む事が多い。

そうするとどうしても佐々木さんの方に手が伸びてしまうのである。

では伊藤さんの10巻はどうなのだろう。

これは初めから終わりまで、1つの読み物として通読できるような形になっている。

歌とその解説が連続しているのである。

それぞれの歌の歴史的な背景や、歌の解釈。

それに歌の作者に関する説明等が続く。

初めのうちは喜んで読んでいた。

しかしそうこうするうちに、これが少しうっとうしくなる。

というのは今度はその説明の部分に分からないところが出てきて、気がつくと、肝心の歌という焦点がぼやけてしまうのである。

やはり歌そのものに光があたっている方が良い。

佐々木さんは、読者が歌から歌へ自分の想像力を駆使して読んでいくのを期待していたのである。

最小限の注釈は歌の下の部分にある。

それで十分だと考えたのである。

もともと万葉集は大部である。

そのすべての歌を全部理解する事は至難である。

むしろ、より重要な事は読者が自分の想像力を頼りに、夫々の歌のこころの中に入っていく。

全部の歌を理解する必要はない。

自分の触覚に感じる歌があれば、それを何回も繰り返し味わう。

それが大切なのだと考えたのだろう。

だから気軽に携帯できるように2冊に収めようと努力したのに違いない。

上記の3種類の万葉集には各々にその特徴がある。

だから読者によって、これを好む人、あれを好む人と色々あるだろうと思う。

冊数が少なく大き目の文字が好きな人は佐々木さん。

原文、全訳、注釈つきのものが好みの人は中西さん。

万葉集を詳しい説明と一緒に読み物として読みたい人は伊藤さんという事になる。

わたしはまだ万葉集を読み始めたばかりである。

しかしそれでも万葉集は以外に分かり易いと思う。

それは例えば芭蕉の俳句などと比べてみればすぐに分かる事である。

芭蕉の俳句はパッと読んで分かるものは以外に少ない。

古い万葉の歌の方が、新しい芭蕉の俳句より、現代人にとって分かりやすい。

それがどこから来るのかは良く分からない。Teppouyuri20080827aa

わたしが直感的に言える事は万葉集は未だ大陸の影響が少ない8世紀に成立したもので、日本本来のこころが未だその中に残っているのではないかという事である。

朝鮮や中国の影響、それに仏教や儒教がまだ深く浸透していない時代の歌なのである。

万葉集は、いわば1万年ほど続いた<縄文>を引きずっているのではないか。

だから同じ日本人のDNAを持つわたしのこころに素直に響いてくるのではないか。

そう思うのである。

例えば次の歌。

<東(ひむがし)の
野にかきろいの立つ見えて
かえりみすれば
月西渡(つきかたぶ)きぬ>
(万葉集48)

(東の方を見ると
日の出の太陽が
いま昇ろうとしている。
広い野原のうしろを
ふり返ると西の空には
月が山の上にかかり
沈もうとしているところである)。

日本のどこにでもある風景が平易な言葉で詠まれている。

何処からともなく、次のような歌が浮かんでくる。

<菜の花や
  月は東に
   日は西に
       (蕪村)>

この場合は夕方である。

1面の菜の花畑である。

日が西に落ちて、東からは

今や月が昇ろうとしている。

念の為。

太陽も月も

東から昇り

西に落ちていく。

2008-08-23

ミニ菜園の世界

近頃、おもしろい本を読んだ。

<ちゃんと育つよ。ベランダ・ミニ菜園 >(たなかやすこ著、集英社)という本である。Nasubi80823aa

何がおもしろかったかって?

それはおいおい説明する事にしよう。

まず野菜菜園を初めてやろうとする人は図書館とか本屋さんでそれに関する本を探して読むだろう。

わたしも同じである。

市立図書館で色々な本を借りて読んだ。

でも<初めての野菜作り>等々のタイトルの本はどれも似たりよったりで、最初に<土作り>とか<肥料>とかの基本の説明があり、あとはキュウリとかトマトなどの個別の野菜の作り方の説明が続いている。

だから味もそっけもなく、読んでいておもしろ味に欠けるのである。

それらの本の著者達はそれが客観性を重視した書き方だと考えてそうしているのであろう。

ノウハウ本とはそういうモノだと言えばそれまでである。

しかしわたしはそうは思わない。

どんなノウハウの本も、専門書も所詮は人間が書いたもの。

本当のノウハウ本には、人を引きつけるおもしろさがある。

それと同時に最後には、一人の生身の人間のひそかな息遣(いきづか)いが紙面から伝わってくるものなのである。

わたしが心の奥で求めているもの。Shuumeigiku80823gg

それは野菜園芸の<基本哲学(エトス)>なのかもしれない。

人間が一つの分野に分け入り、集中し、それを持続的にやるには、その世界に入る為の基本姿勢というものを身につけなくてはならない。

例えば、商売人になろうとする人は商品の原価と売価、それに粗利益、コストなどを良く理解しなくてはならない。

しかしそれと同時に最初に身につける必要があるのは、<お客の問題を解決しようとするひたむきな情熱と忍耐>である。

<あきない(商い、飽きない)>の情熱と忍耐をどこかで学び取る必要があるのだ。

上記の本には野菜園芸への情熱が綴られているとわたしは思う。

まず全体の調子である。

この種の本にありがちな<説明風>にではなく、<エッセイ風>に書いてあるのは大変ありがたい。

多くの写真やスケッチやイラストで読者が肩の力を抜いてどんどん読めるように工夫されている。

何よりも大切な点は筆者が何故、野菜作りに踏み込むようになったのかという動機と経過、その後の展開が書かれている事である。

エッセイ風の本文に混じって、個別の野菜の育て方が簡潔なレシピ風に書いてある。

つまり読者は本文を読んでいくにつれて、特に意識しなくても、色々なノウハウを同時に学ぶ事ができるのである。

わたしが驚いたのはノウハウ本の形式にとらわれずに、自由に色々な要素を文庫本サイズの一冊に纏め上げたそのユニークさである。

表装も洒落(しゃれ)ている。

本の著者も書いているが、考えてみるとベランダでの野菜作りには<菜園セラピー>とでも言うことができる<ある種の治癒力>がひそんでいるのではないだろうか。

<森林浴>が人の心と身体(からだ)に良い事は一般に広く知られている。

しかし<野菜のベランダ・ミニ菜園>が同じような効果を秘めている事を知っている人はそれほど多くはないのではないかと思う。

多くの都会人は狭い住居で生活している。

コンクリートで固めた、空調機のある密室風の狭い部屋である。

隣の人には気を使い、会社では人間関係に神経の休まる暇もない。

Teppouyuri80823hh 車社会なので、自然から遮断され、どこまで行ってもまわりは人工的な環境だけが広がっている。

わたし達は皆、ある種の息苦しさと孤独とストレスの中で生活しているのである。

それを打ち破り、広くて深い自然の中の自分を発見する。

それが野菜との出会いなのである。

さあ野菜のあるベランダに出てみよう。

ひと時のあいだ、<ストレスと利害損得の世界>を離れてみよう。

野菜は何も口をきかない。

寡黙なのである。

しかし良く観察すれば、野菜は色々な苦しみとか喜びを表現している。

それを続けていると、段々野菜がかわいくなってくる。

野菜との対話が始まる。

野菜は動かない。

いつでもそこにいて、わたし達の愛情を受けとめてくれる。

写真を撮ってもスケッチをしても何も文句をいわずに受け入れてくれる。

しかし野菜の本来の力を引き出し、めでたく収穫にまでこぎつけるには、こちらサイドにも多くの努力が必要である。

野菜に関する色々な本も読む事になる。

季節季節に合わせて種を撒くには細かい計画を立てなくてはならない。

育児日記があるように野菜の観察・栽培日記もある。

そして、いつの間にか頭脳をフルに回転させている自分がある。

野菜作りはわたし達の脳や意識を活性化するのである。

更に花とか木などの園芸と野菜作りが違う点は<収穫のあるなし>である。

野菜園芸では最後に、葉や根や果実を取り、それを食べるという行為がある。

最後に<味覚>が関係してくるのである。Aoshiso80823cc_2

この点が野菜園芸のユニークなところである。

一言で言えば、野菜作りは<人間の心と身体を新鮮に保つ力>を秘めているのである。

ある日曜日の午後、自転車で散歩の途中、畑の中にいた夫婦に思わず声をかけた事があった。

<すばらしいキュウリですね>とわたしは言った。

そうするとその老夫婦は収穫したキュウリを手にいっぱい抱(かか)えて<これを持って行くか>と自転車の荷物カゴに入れてくれた。

彼らの目は微笑み、輝いていた。

2008-08-22

消えたホウレンソウ

相変わらず家の庭で野菜作りに取り組んでいる。

苗を買ってきて囲い畑で育てたトマト、キュウリ、ナスは比較的順調に育ち、まあまあの収穫があった。Yuri80820aa

中でも驚いたのはピーマンの生命力である。

病気もせず、グングンと大きくなり、今までに8個位の実を取る事ができた。

そして未だ4個くらいの小さい実がなっている。

自分で作ったトマトやキュウリ、それにもぎたてのピーマンを食べた。

柔らかくておいしい。

わたしの小さな<ビギナーズ・ラック>である。

これに気を良くして、今度はタネを買ってきて<直播(じかまき)>に挑戦した。

播く場所は囲い畑ではなく、持ち運びが出来る<プランター>にした。

最初に播(ま)いたのは<ホウレンソウ>である。

数日経って一斉にかわいい芽が出たまではよかった。

でも間引きをして、その後順調に育つかと思ったら、次第にナヨナヨとしてきた。

その後、2週間くらいの間に、土に溶けてなくなってしまったのである。

大失敗である。

ホウレンソウは何故、消えてしまったのだろう?Begonia80820bb

土に苦土石灰を入れるのを忘れたからだろうか。

太陽の光が足りなかったのだろうか。

それとも水のやり過ぎ・・・?。

疑問が疑問をよぶ。

ホウレンソウの失敗で出鼻をくじかれたが、わたしはもう一度、直播栽培に取り組んだ。

今度は<ニンジン>である。

失敗の後だから念には念を入れて細部に注意をした。

幸い順調に芽が出て、その後、間引きや追肥も終わり、問題はないと思っていた。

しかし、数日前の大雨に打たれて、4センチにも伸びていたニンジンの苗は全部なぎ倒されてしまった。

今日の朝、その苗を一つ一つ起こしながら再度、間引きをして、土寄せも行った。

これでどうやら全滅は逃れる事ができたようである。

色々な体験を通じて分かった事は、<野菜は作れない>という事である。

<野菜は結局のところ自分で育つ>のである。

わたしに出来る事は<野菜本来の力>が発揮できるような条件作りである。

毎朝、庭の野菜を見るたびに<ホウレンソウ>の姿を思い出す。

そして思う。

<謎だ。
  あのホウレンソウ。
   あれは何故溶けてしまったのだろう?>。

2008-08-16

天地のドラマ

<あはれいかに
草葉の露のこぼるらむ
あき風たちぬ宮城のの原>
(西行、山家集0013)Akinokumo80816aa

空を見上げて家内がポツンと言った。

<秋の雲ね・・・>。

そういえば高く澄んだ空に薄い雲が流れていく。

吹く風もそこはかとなく秋の匂いがした。

それにしても昨夜の嵐は本当にすごかった。

夜8時ごろであった。

にわかにかき曇って、夕立が来る気配がした。

わたしはバタバタと2階に上がり、開けていた窓を閉めようとふと外の暗闇を見た。

その瞬間である。Retasunome80816dd

強い閃光がパッパッと光った。

家の前の双子山(ふたごやま)の全体が昼間のように光り輝いた。

山の木のひとつひとつが鮮明に見える。

それが2-3回繰り返された。

その時である。

ドドーン、ドドーン。

ガラガラー、ドカーン。

雷の音が響き渡る。

同時に家の電灯が消えた。

Asagao80816ee 停電である。

家内が懐中電灯をもって2階まで上がって来た。

間もなく電灯は元通りについた。

でも雷光に照らされた双子山の姿。

その姿がわたしの心から離れない。

わたしは2階の部屋の電灯を消して、暗闇の中、もう一度、山の方をじっとみつめた。

そうすると今度は巨大な稲妻が山の斜面を裂くように走った。

2度、3度と稲妻が走る。

双子山の全体が強く照らされ、暗闇の中にポッカリと浮かび上がる。

1木1草がはっきりと見えるようである。

このような光景を見たのは生まれて初めである。

大地は女神である。Mukuge80816ff

双子山は横たわる女神の乳房だ。

女神を貫く巨大な雷光は父なる天神。

次々と繰り返される天地の交わり。

厳かな天地のドラマがそこにあった。

わたしは唖然として息をのんで見つめていた。

激しい雷と雨の音を聴きながら。

2008-08-06

狐のいたずら

隣の家との境界の斜面に見慣れない花が咲いている。

橙色(だいだいいろ)をしている。Kitsunenokamisori80806aa

奇妙な事に緑の葉の姿は見えない。

草むらから茎が飛び出して、その先にオレンジ色の花がついているだけなのである。

しかも花は群落をなしている。

斜面はうっすらとしたオレンジ色の花に覆われて、絨毯(じゅうたん)をしいたようになっている。

<あれは何の花なんだろう>。

わたしは庭の草取りをしている家内に尋ねた。

<ヒガンバナじゃない?>と彼女は言う。

でもヒガンバナにしては時期が早すぎる。

Kitsunenokamisori80806bb それにヒガンバナはもっと真っ赤な色をしている。

わたしは庭に出る度(たび)にその花の事が気になって仕方がなかった。

<一体何という花なのだろう>。

心の中でいつもその疑問を引きずりながら、既に一週間が過ぎた。

昨日の夜、居間で植物図鑑をパラパラとめくっていた。

その時である。

あの花の写真が目に飛び込んで来たではないか。

そこで見た花の名前は?

<キツネノカミソリ>。

一瞬わたしは心の中でつぶやいた。

<何じゃこりゃ。
狐(きつね)の剃刀(かみそり)とは・・・>。

急いで説明を読む。

●スイセンに似た葉っぱは夏には枯れてしまう。
●その葉っぱの形がカミソリに似ている。Kitsunenokamisori80806cc
●その緑の葉っぱがパッと消えてなくなり、突然、その場所に派手なオレンジ色の花が咲く。<あの葉っぱはどこに消えてしまったのだろう。もしかして誰かが葉っぱを花に変えてしまったのだろうか>。不思議な感じを与えるので狐に化(ば)かされているような気分になる。だからその花をキツネノカミソリというのだそうである。
●キツネノカミソリの花が咲くのは8月の<お盆>の時期である。
●一方、ヒガンバナは9月の<お彼岸>の頃に咲く。

昔の人はおもしろい名前をつけたものである。

2008-08-04

次のバブル

まだわたしが子供の頃であった。

御飯を食べ終わって<ごちそう様!>と言って立ち上がろうとすると、父が激しい口調で言った。Hana80724gg

<御飯粒がまだお茶碗についているよ。
もったいない。
きちんと最後まで全部食べなさい! >。

1960年代の頃、それは日本のどの家庭でも見られたごく当たり前の光景であった。

当時の子供たちはこうして<もったいないの精神>を親から教え込まれて育ったのである。

ではこの<もったいないの精神>は一体どこから生まれたのであろうか。

考えてみるとそれは<戦後の食料難>という背景から生まれたものである。

第2次世界大戦が終ってみると、国敗れて人々は食べるものがない状況に直面した。

多くの家では、急いで新たに開墾したりして田畑を作り、自家栽培で米や野菜を作って食べた。

Tomato80724cc それでも足りずに、山菜を取って来て栄養を補ったのである。

春のツクシやワラビ取りの思い出が鮮明に蘇ってくる。

その他にカキ、モモ、タケノコ、キノコ、ミョウガ、フキ、サンショウ、セリ、ヤマイモなどを取って来て食べた。

更に多くの家では鶏やヤギなどを飼って卵とかミルクも自家でまかなおうとしていた。

さて、その<もったいないの精神>は現代の日本にまだ生きているのだろうか。

もしかすると<勤勉の精神>と一緒に忘れ去られてしまったのではないだろうか。

賞味期限の過ぎた弁当とか食料が毎日、無駄に捨て去られているという現実がある。

まだ十分に食べられるモノがポイポイと無残に捨てられているである。

テレビを見ると芸能人が大きな口を開けて色々なモノを食べるシーンが次から次へと映し出される。

あたかも食物が自由に手に入る状態がこのままいつまでも続くかのように・・・。

あたかも食物が無限に輸入できるかのように・・・。

何故日本人はこのような幻想におぼれてしまったのだろうか。

<多くの日本人にとって食物がないという経験はした事がない>というのが原因の一つとしてあげられるであろう。

食物がないという事が一体どういう事なのかを想像する事ができないのである。

この頃、おもしろい本を読んだ。

<次のグローバル・バブルが始まった!
   (山崎養世著、朝日新聞出版)>。

この本で山崎養世さんは以下のような意味の事を述べている。

●わたし達はアメリカのサブプライム(不動産バブル崩壊)問題に目を奪われているが、むしろその先にある問題に注意を向ける必要がある。

●その問題とはアメリカとか日本の低金利が次のグローバル・バブルを生み出しているという点である。

●不景気の日欧米から<余った金>がどんどんインド、中国、ベトナム、ブラジル、トルコ、中東、東欧、ロシアなどの高金利で高度成長を続ける新興諸国に流れ出ていく現象が続くだろう。

●もはや日欧米は世界経済のエンジンの役目を果たす勢いはない。現在の世界経済は高度成長を続ける新興諸国にリードされるようになっている。

●今までの円キャリーに加えて、ドルキャリーが巨大な規模で行われ、それが新興諸国に投入され、その結果、世界的な規模のバブルが生じつつある。
新しく30億人規模の人たちが資本主義化して、先進国化を目指して日々、怒涛の前進を続けているのである。

●その結果、わたし達は今、世界的なインフレ時代を迎えようとしている。

●特に食料、エネルギー、水などの諸資源が不足して、世界中に紛争が多発するようになるだろう。

●そして巨大なグローバル・バブルが破裂した時、世界的規模の崩壊に現在の世界経済は耐えられないかもしれない。

●でも100年単位で見ると新興諸国の成長はバブルを乗り越えて続いて行くであろう。誰にもそれを止める事は出来ない。

全体的に見て、その通りであるとわたしは思う。

<飽食の時代>などと日本で騒いでいるうちに、世界の舞台は次のシナリオに向かって急速に進んでいるのである。Sarusuberi80801aa

2015年。

東京のある家庭の様子。

<おいこら、味噌汁を残すやつがあるか。最後まで食べなさい!もったいない!>

ふと外を見ると、家の庭やベランダには野菜栽培用のプランターがぎっしりと所狭しと並べられている。

ニンジン、ジャガイモ、ナスビ、キュウリ。

その家では、ほとんど全部の野菜が自家栽培でまかなわれているのである。

2008-08-01

色々な花

朝早く庭に出ると紫色のアサガオが咲いていた。

透き通るような青を見ていると気が遠くなりそうである。Asagao80801bb

いつまでも見ていたい青色である。

納屋の近くにあるキンカンの木に白い花が咲いている。

Kinkan80729bb 沢山の蜂がブンブンと花のまわりを飛んでいる。

キンカンの蜜は蜂の大好物のようである。

見慣れない花を見つけた。Tessen80726dd

蔓(つる)の上に咲く紫の花。

テッセン(鉄線、クレマチス)である。

日本には江戸時代に渡来した花で、鉄線のように強靭であると言うことからこの名前が付けられたという事である。

Mukuge80801cc_2 毎日飽きずにムクゲの花を眺めている。

この世にこんなに清楚な花があったのかと思う。

2008-07-26

山川草木の時代

テレビで養老孟子さんが次のような意味の事を言っていた。Hinode80724ff

<都市の生活をしている人は5感を使わないので、脳への刺激が1面的になり心と身体のバランスを崩してしまう。<脳>が都市、<身体>は田舎と考えよう。本来は一体のものなのである。だから自然の中に出て五感を開放して命のバランスを取り戻す事が大切である。その為には田舎と都市の生活を交互にミックスするような生活へ徐々に移行していくべきである。それがモダンな生き方なのである>。

その通りであると思う。

工業化、都市化の波にのって、田舎の男女が東京にあこがれて出てくる。

そういう日本列島改造論の時代はもう終ったのである。Kikyou80726bb

あれからもう36年。

1つの時代が終った。

これからは新しい時代が始まる。

キーワードは<sustainable、サステナブル、持続循環ができる>。

今度は都市の男女が緑の森と里山を求めて田舎にやってくる時代なのだ。

<山川草木の時代>がやって来たのである。

わたしの家では1匹のネコを飼っている。

クロちゃんである。

Fusafujiutsugi80726aa 彼女を見ているとおもしろい。

家の中にいる時はリラックスしている。

食べ物を食べたり、寝そべったりしている。

しかし一旦家の外に出ると耳をピンとそばだて、目はギラギラと輝く。

彼女の5感が開かれ、いっせいに活発に動き始める。

色々な危険に対して備えているのである。

クロちゃんは外では、ある意味で強い野生のネコに戻るのである。

そうして1日中外に出ていたクロちゃんは夕方、腹をすかせてまた家に帰ってくる。

都市と田舎のミックス。Bara80726cc

田舎の中に都市があり、都市の中にも田舎がある。

そういう環境が作り出せないものだろうか。

あれかこれかではなく<あれもこれも>。

頭脳と身体が一体になっていくやり方。

町と田舎が一体となっていくやり方。

これこそが日本の21世紀の姿なのではないだろうか。

幸いまだ遅くはない。

やれロハスとか、イングリッシュ・ガーデンとか言う前に、外国崇拝はいい加減に止めようではないか。

まず日本の良いところを自分自身で知ろう。

そして日本の歴史についても知っていこう。

それを生かした生き方をして行こう。

日本にはまだ沢山の森が残されている。

日本の森林率は66%余である。

これは先進国中フィンランドに次いで世界で2番目である。

水もまだ豊富にある。

森と水を生かした都市と田舎の<ミックスエコライフ>。

これこそ日本がこれから新たに作り出す超先進文化なのである。

2008-07-24

希望を求めて

朝起きて庭に水をやる。

ひょっと上を向くと、白い花があった。Mukuge80724aa

納屋の横の木槿(むくげ)の花が開いてわたしに<おはよう>と言っている。

酷暑の中でたくましく咲いている涼しげなその姿にわたしは魅せられた。

平安時代に中国から伝来してきた花である。

暑さ寒さに耐え、1日花でありながら次から次へと10月頃まで花を咲かせ続ける。

韓国ではこの花を無窮花(ムグンファ、終わりのない花)とよび、国花として大切にしている。

そう言えば韓国の人はムクゲのように元気である。

今日はアメリカ産牛肉輸入反対のデモ、明日は竹島問題でデモと声をからして毎日元気一杯である。

まるで<無窮花>である。

それとは反対に、日本では桜の花のようにバブルの花を散らし、その中でわたし達は静かにひっそりとたたずんでいる。

Kingyosou80724ee_2  しかしこの頃ではもうそれも限界に近い。

給料は上がらず、諸物価は高騰、先の見えない不安。

真綿で首を絞められるように、我慢強いわたし達日本人も悲鳴を上げ始めているのだ。

世間を見渡せば、希望が持てない人がどんどん増えている。

昨今の無差別殺人事件の数々を見ているとその底流に<伝統の継承の欠如>、< あらゆる共同体の崩壊>、<個人の深刻な孤独感>を感じるのである。

残された最後の擬似(ぎじ)共同体。

それがケイタイでありインターネットであり、テレビ等の各種メディアなのである。

しかしそれでも心は満たされない。

ネットには実体がないのだ。

そして空虚なネットに依存して落ちていく幾多の人々がいる。

いつ頃から日本の悪循環が始まったのだろうか。

わたしには<改革、改革>と叫んでいたあの人達の姿が目に浮かぶ。

国の富を丸ごと他国に売り飛ばした恥知らずの指導者達。

しかしそのような愚かな政治家を選んでしまったのもわたし達国民自身なのである。

2度とあのようなふざけた人間を選挙で選んではならない。

庭の隅の木の下でジャガイモの小さい苗が生えているのを見つけた。

プランターに入れて育てている。Jyagaimo80724dd

ホウレンソウの種を買って来て、プランターに撒いた。

自分で作り自分で食べる。

そういう生活が出来たらなあと思う。

2008-07-21

西行とヘッセ

■  ここをまた
     われ住み憂(う)くて 浮かれなば
     松はひとりに ならんとすらむTsubakinomi80721bb

 (もし私が また この仮の庵(いおり)を
 住みにくいといって 他のところに
 移っていったなら、松よ お前は また
 ひとりぽっちになってしまうなあ)

西行は庵のそばに立っている松の木にささやいた。

先に西行がなぜ突然出家したのかを見てきた。

人生の大転換である。

それは彼にとって、同時に歌人としての真の出発でもあった。

西行が出家した1140年からおよそ800年を経過した1919年、母国ドイツを捨て、故郷を捨て、家族とも別れてただ一人、異国の地で再出発をしようとする一人の人間がいた。

ヘルマン・ヘッセである。

第1次世界大戦中、彼は平和を説いた論文を発表した。

そして、それ故に、母国ドイツでは<裏切り者、売国奴>の烙印をおされてしまったのである。

精神的な打撃を受けた彼は家族を捨て、スイスのアルプス南麓の山里に移り住んだ。

彼は書いている。

<私の文筆活動を何よりも第一に考え、ただそれだけに専心して生き、家庭の崩壊も、重大な金銭上の心配事も、そのほかのどんなことも深刻に考えまいと思ったのである。それがうまく行かなければ、私はおしまいであった>。

人生の大転換である。

それは彼にとって、同時に文人としての真の出発でもあった。

彼はスイスの山村を終(つい)の棲家(すみか)として43年後、そこで死んだ。

西行とヘッセには他にも多くの共通点がある。

まず上に述べたように人生の半ばで人生の大転換をしている。

二人とも詩人である。

写真を見ると顔もどことなく似ている。Hesse80721dd 

西行は仏教の僧侶である。

ヘッセの父はインドに渡りキリスト教(新教)の宣教師として活躍した人である。

インド生まれのドイツ人牧師の娘と結婚してドイツに帰ってきてヘルマン・ヘッセは生まれた。

それ故にヘッセは仏教と非常に関係が深く、<シッダルタ>(釈迦の俗名)という題名の小説を書いている。

大胆に言えば、ヘッセは<隠れ仏教徒>と言えるのではないかとも思う。

2人とも孤独と自然と放浪を愛した。

それに女性を大変愛したという点でも同じである。

西行は月(女性の象徴)を多くの歌に詠んでいる。

ヘッセは54才にして36才の女性と3度目の結婚をしている。

後鳥羽上皇の勅命によって編まれた<新古今和歌集>に入集した西行の和歌は94首で最多である。

一方、ヘッセは、第2次世界大戦終結後の1946年にノーベル文学賞とゲーテ賞を受賞している。

詩人あるいは作家として見ると、2人は最後は使命を果たして本望だったのではないだろうか。

更に2人とも天寿をまっとうした。

ヘッセは享年85才。

一方、西行が亡くなったのは73才である。

そして彼は次のような歌を残している。

  ■ 仏(ほとけ)には

    桜の花を たてまつれ

    わが後の世を 人とぶらわば

 (死後に わたしを訪れてくれる人がいたら

   どうか仏前には桜の花をあげて

     くれませんでしょうか)。

2008-07-20

ひぐらし

暑い・・・。

猛暑である。Asagao80720aa

今日も熱帯夜かと思うとぐったりとしてしまう。

しかし夕方5時ごろになると、どこからともなく、<ひぐらし>のカナカナカナ・・・・という声が響いてくる。

それが聞こえる頃になるとようやく冷たい夜の風が窓から忍び寄ってくる。

■夕影(ゆうかげ)に 来鳴(きな)くひぐらし
  ここだくも 日ごとに聞けど
    飽かぬ声かも

(夕暮れ時になると ひぐらしの
鳴く声がしきりに聞こえてくる。
毎日聞く声ではあるが、その涼しい声は
いつ聞いても風情があって
気持ちが良いなあ。
     万葉集十巻 2157
     ここだくも = 甚しく・ひどく・しきりに。)

2008-07-17

ノウゼンカズラ

夕方、庭に出て夕涼みをしていた。

ふと家内が言った。Nouzenkazura80716aa_2

<あそこのあの屋根の上の花は何なの?>

ガレージの上を見ると橙色(だいだいいろ)の見慣れない花が咲いている。

近寄って良く見ると、杉の木に絡(から)みついた直径3センチほどの大きなツタのような植物が高く登っている。

5メートル以上の高さである。

わたしは葉の形からもしかしたら藤(ふじ)の木ではないかと思っていた。

しかしいつまで待っても紫色の藤の花は咲かない。

<ハテおかしいな。
では何の木なのだろう>。

そう思っていた矢先であった。

色々と図鑑を調べた。

そうすると花の写真が見つかった。

<ノウゼンカズラ>である。

中国原産のツル性植物。Nouzenkazura80716bb_2

家内に木の名前を言った。

<ノウゼンカズラ?
愛染(あいぜん)かつらみたいね>。

<花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる途
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独り行く・・・・>

という歌の歌詞が頭に浮かぶ。

ノウゼンカズラ・・・アイゼンカツラ・・・。

これでノウゼンカズラという名前はもう忘れないだろう。

2008-07-16

新しい時代

朝早く起きた。

花壇に水をやろうかなと思って庭に出た。Yuri807016bb

するとどこからともなく、良い香りが漂ってくる。

周(まわ)りを見渡すと、竹やぶの近くのヤマユリが白い花を開いているではないか。

10日くらい前から3つの蕾(つぼみ)が垂れ下がっているのを見て知っていた。

いつ咲くかいつ咲くかと心待ちにしていたのである。

でもヤマユリの花の香りが、こんなに遠くまで届くなんて知らなかった。

花壇にジョロで水をあげようとしてアッと驚いた。

朝顔の花が咲いていたのである。

Asagao80716aa 手塩にかけて育ててきたアサガオの第1号である。

紫色の花を見ていると、涼しい風が吹いて来るような気持ちになるから不思議である。

納屋の裏手で薄いピンクの花を見つけた。

人知れずひっそりと咲く目立たない花、ヤブランである。Yaburan80716cc

見ると藪(やぶ)のあちこちに咲いている。

樹下の半日陰に好んで咲く山野草である。

世間が大変騒がしくなってきた。

四川省の大地震ではないが、何か巨大な波が迫って来ているような気がする。

この分では2009年は大変な年になりそうだ。

その波を乗り越えて新しい時代を開いていかなくてはならない。

2008-07-08

庭の風景

朝早く起きる。

庭を歩く。

<羽毛(うもう)ケイトウ>の花の色が緑に映える。Umoukeitou80708aa



その傍(かたわ)らに植えた<コスモス>の苗が3本立っている。

みるみる内に大きくなり、今では私の背丈ほどの高さになって驚いた。

堆肥を沢山あげたのが効いているのかもしれない。

Kosumosu80707ff まだ花は咲いていないが、枝とか葉が何とも言えずに美しい。

湖(みずうみ)の波が幾重にも広がっていくような爽(さわ)やかさである。

その下には<ペチュニア>の花が咲いている。

外国産という事がひと目で分かる。

派手な色の花を次から次に咲かせる。

その生命力の強さに驚かされる。

枝を切って挿芽(さしめ)にすると2-3日ですぐに活着して花を咲かせ続ける。

雨にぬれながら咲いているのは橙色(だいだいいろ)の<ノカンゾウ>の花である。Nokanzou80708bb

ユリの花に似ているが、ユリよりも、すこし大胆な、野生味のある感じである。

1日花なので次々にしぼんで落ちる。

しかし新しい花がどんどん咲くので落ちた花が目立たない。

雨の中に咲くもう一つの花がある。

<ヒメヒオウギスイセン>である。Himehiougisuisen80707dd

細長い葉っぱを雨の中に大きく広げて、その中からスゥーと伸びてきた茎の先端に橙色の花が垂れ下がる。

見ると庭のあちこちに咲きはじめている。

わたしは朝顔が好きである。

大切にしまっていた昨年の<アサガオ>と<ヨウジロアサガオ>の種を取り出して5月の初めに庭にまいた。

夜、水につけて、翌朝(よくあさ)ナイフでタネの皮に傷をつけて発芽しやすいようにした。

庭の色々な所にまいた。

それから、長い竹竿を何本も買ってきて斜めに立てた。

やがて、愛らしい双葉の芽が庭のあちこちに出てきた。

双葉の芽から葉が出て、葉の中からツルが伸びてきたので竹竿に絡みつくように誘導してあげる。

中には誘いに抵抗してあらぬ方向へ伸びていくツルもある。

驚いたのはその葉の大きさである。Asagaonoha80707gg

堆肥をあげたせいか、手の平くらいの大きさの葉っぱが重なりながら竹竿を伝ってどんどん上に伸びていく。

ある日の朝、コスモスを見ていると、3本の内の1本がしおれて倒れそうになっている。

水をやって介抱してみたが、ダメだった。

2度と立ち上がれなかった。

恐らく虫かモグラが根を食い荒らしたのかもしれない。

生と死が入り混じって、交錯する庭の風景。

それをいつまでも飽きずに眺めている。

2008-07-01

西行、出家の謎

■ 空(そら)になる
     心は春の かすみにて
     世にあらじとも 思い立つかな Tamasudare807031

これは当時(1140年)、鳥羽院の北面の武士であった佐藤義清(西行の俗名、さとうのりきよ)が出家する前に詠んだ歌である。

(心は春のかすみがかかった
空(そら)のようになって
わたしは俗世間を絶ち
出家しようと思い立ったので
ございます。)

また仕えていた鳥羽院あてに次のような暇乞(いとまご)いの歌を詠んでいる。

■惜しむとて 
   惜しまれぬべき この世かは
   身を捨ててこそ 身をも助けめ

(いくら私が世を惜しんでも
惜しまれるような世の中でしょうか。
ここは、我が身をすててこそ
自分は救われるのです。)

わたしには不思議でならなかった。

一体、何故、彼は突然、武士としての地位や妻子を捨ててまで出家しようとしたのだろうか。

Saigyou807011 それも23才の若さで・・・・。

当時、院の北面の武士といえば、文武両道にすぐれ、財産もあり、容姿端麗な武士しかなれなかった。

彼の未来は洋々と開けていたのではなかったのだろうか。

こんな素朴な疑問が湧き上がってくるのである。

もう一度冒頭に挙げた歌を良く読んでみる。

そうすると彼はここで、次のように言っているかのようである。

<わたしは
ひばりのように
春の広い空に
飛び立ちたいのです>と。

次の院にあてた歌をよく見ると、彼はここでも次のように言っているのではないだろうか。

<わたしにとって、出家は
身分に縛られた息苦しい
今の世間から出る事なのです。
わたしは一個の自由な人間として
生きて行きたいのです>。

上記2つの歌から見えてくるもの。

それは、世を厭(いと)って僧院に入りたいという姿よりも、むしろ今の宮仕えを止めて、<自分の自由な人生を突き進みたい>というひとりの勇敢な青年の姿なのである。

西行は、僧形(そうぎょう)の歌人として生きるために世間を捨てて出家したのである。

それは命をかけた決断であった。

そうに違いない。

わたしの疑問はこうしてゆっくりと解けていったのである。

2008-06-30

かくれんぼ

小さかった頃にした<かくれんぼ>遊び。

その場面をふと思い出すことがあるのではないだろうか。

<もういいかい>・・・<まあだだよ>。Hana806301

軒先の廃材の陰に隠れ、身を横たえてジッと動かないで息をころしていた童子。

まだ幼かった自分がそこにいる。

老境の西行は次のような歌を詠(よ)んでいる。

■ むかしせし 
隠れ遊びに なりなばや
片隅(かたすみ)もとに 
寄り伏せりつつ

(かくれんぼ遊びをした
むかしの幼い時分にかえりたいな。
あの時は物の片隅に隠れて
じっと身を寄せていたなあ)

この歌を読んでわたしは思う。

西行さんは日本人のこころの底にある原風景を日本語を使って、すなおな言葉にして残していった人であるという事を。

2008-06-26

SLOW READING

いつものように昨夜はベッドに入って本を開いた。

この本を読むのはもう何回目だろう。

今回は好きな章だけを読む。Hiiragimochi806173

最初に読んだ時の感動が再びわたしのこころに伝わってきた。

読み終わったと思うと・・・いつの間にか、わたしは眠りに落ちていた。

果たして読書は何のためにするのだろうか。

一般的には知識や情報を得るためと考えられている。

その為には<効率>が優先する。

そして<量>をこなす事が求められる。

速読術などが盛んに行われているのはその為である。

世はディジタルの時代。

読書にもコピー・アンド・ペースト方式が通用するのだろうか。

いくら早く読んでも読書の質は変わらないとでも言うのだろうか。

わたしは自分の速度で本を読みたいと思う。

スロー・フードがあるように<スロー・リーディング>もあって良いのではないか。

食物をゆっくりと味わって食べる。

それは胃にも腸にも身体にも良い。

と同じように、<ゆっくり読書>は目にも、脳にも、心にも良いのである。Natsutsubaki806261

もちろん読んでいる本にもよる。

書かれている内容に何故(なぜ)か強く引き込まれる本は、できるだけゆっくりと読む事をすすめたい。

というのはそういう本に出会う事自体が稀(まれ)な事だからである。

そうして幸運にもその類(たぐい)の本に出会ったら、何度でもくり返し読む事をすすめたい。

キーワードは<ゆっくり>と<くり返し>である。

これが読書に際してわきまえるべき、重要な秘密なのである。

反対に言えば、<ゆっくりとくり返し>読めない本は自分にとってあまり良い本ではないという事になる。

そういう類の本は早く読むか、必要なところだけを効率的に読むか、あるいは読まないで済ませる事である。

その本を<ゆっくり>読みたいか?

その本を<くり返し>読みたいか?

本を手に自分に問いかけてみよう。

つまり基本的に<ゆっくり読書>をする事によって本の選別が非常に明確に出来る事になる。

Himetsurusoba806253 果たして読書は何のためにするのだろうか。

読書は知識と情報を得るためだけにするのだろうか。

もちろんそういう類(たぐい)の読書もあるに違いない。

その一方では<魂(たましい)>に、自分の人格全体に迫ってくる読書もあるのではないだろうか。

それは何の為に学校へ行くのかという問いに似ている。

知識や情報は確かに必要であろう。

その一方、学校の先生や友人との接触により、魂(たましい)や人格全体の成長に必要な栄養を得る事も重要である。

そして結局それがその人の長い人生の生き方や方向さえも決めるのである。

庭の手入れを始めた時、わたしは正直言って途方にくれてしまった。

園芸について何も知らない自分がいたからである。

色々な本を買って読んだ。

しかし<ゆっくりとくり返し>読んだ本は今のところ1冊しかない。

それは以下の本である。

<ものぐさガーデニングのススメ
(斉藤吉一著、山海堂)>。

何故この本はわたしにとって良い本なのだろうか。

それは第1に何も知らないわたしの園芸に対する不安を取り除いてくれたからである。

肩の力を抜いてくれたからである。Ajisai806262

自分らしい園芸に目覚めさせてくれたのである。

第2にこの本にはこれを書いた著者の基本的な考え方が平易な言葉で素直に書かれている。

いってみれば<園芸家たましい>とでもいえるものである。

わたしはくり返し読む事でその<園芸家たましい>を吸収する事ができたように思う。

例えば、<園芸の80%は観察する事、良く見る事にある>などである。

園芸にはその世界独自のエトスがある。

園芸に向かう基本姿勢とでもいうものがある。

昔はそれを学ぶ為には師匠についた。

師匠の姿から<基本姿勢>や色々な技術を学んだのである。

今の時代に師匠に弟子入りするのは困難である。

その代わりにわたし達がやるべき事は、これという本を精読し、くり返し読む事である。

不思議な事に選び抜かれた書物には本音が書かれている確率が高い。

本を書くという作業は大変な重労働である。

それを最後まで書き上げる為には使命感にも似た動機が必要である。

その結果、多くの本には損得を越えた、その人の<たましいの声>が込められているのである。

その声を聞く。

それが読書の本当の醍醐味であると思う。

これからもそういう本に出会ったならば、ゆっくりとそしてくり返し読もうと思う。

2008-06-22

雨にぬれるアジサイ

雨が降っている。

日曜日の雨である。

昔の人は梅雨(つゆ)の事を五月雨(さみだれ)といった。Ajisai5   

さみしい雨だれの意味なのだろうか。

何もする事がない。

降りしきる雨の音だけがきこえる。

ウツ病の人が増えている。

8人に1人の割合という調査もある。

自殺者はこの10年間連続して3万人を越えて減らない。

Jisatsutoukei 自殺者数の国際比較では日本は世界で9位。

第1位から8位までの国の名前は、リトアニア、ベラルーシ、ロシア、カザフスタン、ハンガリー、ガイアナ、スロベニア、ラトビアである。

ガイアナというのは見かけない国である。Jisatsushasuutoukei

ガイアナはどこにあるのだろうと調べてみると南米の南端にあるベネズエラの東側にある小国である。

他のすべての国は不思議な事に、大なり小なり昔の社会主義の国々である事が分かる。

崩壊したソヴィエト連邦及びその衛星国である。

このリストから分かる事は何だろう。

表の顔とは裏腹に、日本も実は社会主義的な国だったのではないだろうか。

東西冷戦が終り、世界は超競争(メガコンペティション)時代を迎えた。

日本はそれに合わせて体制を変えるべきところを先延ばしにして、新しい出発が出来ないままにグローバルな大波をかぶってしまったのではないか。Kabocha2 

そのしわ寄せがいま一番弱い人たちのところに積もりに積もっているのではないだろうか。

もしそうだとしたら、今こそ日本は<自分の本来の幸せ>とは何かという事を考えるべき時にきているのではないだろうか。

わたしは日本は<身の丈(みのたけ)>に合ったホッと安心できるような行き方をするべき時であると思う。

ふと外を見ると、アジサイの花が咲いているのが見える。

毎日の雨の中に咲く花。

アジサイ。

アジサイは大量の水をすう。

五月雨(さみだれ)にぬれるアジサイ。

この花を見ていると何故(なぜ)か母を思い出す。

母の慈愛が雨にぬれたアジサイの大きな花のようだったからなのかもしれない。

つややかな大きな緑の葉っぱの中にぽっかりと浮かぶ白い花。

その姿が母のやさしい暖(あたた)かさを思い出させるのかも知れない。

わたしの母は忙しい日々の中で小さい花壇を作っていた。

台所を出たところの日当りの良い壁。

その壁に沿って石で縁取りをした簡単なものである。

わたしは未だ5才くらい。Biyouyanagi806193

母が花壇にタネをまいているのをわたしは横でかがんで見ていた。

毎日水をあげる母。

小さい芽が顔を出した。

それがどんどん大きくなる。

そうして花が咲いた色とりどりのマツバボタンの花。

その花々の輝きを今でも鮮明に覚えている。

身寄りのない母にとって、小さな花壇の花々は一体、何だったのだろう。

それは見るたびにホッとする<安心のよりどころ>であったにちがいない。

2008-06-18

小さい畑

裏庭の片隅に小さい畑を作った。

いや畑というより<畑のような囲い>と言ったほうがいい。

1畳ほどの広さをレンガで囲んだものである。Tomato806182

仮にこれを<囲い畑>とよぶ事にする。

その囲いの中に新しい土を加え、良く耕した。

タネから育てる知識も経験もないので、ホームセンターで売っていた野菜の苗を買って来て植えた。

イチゴ、ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、それにスイカである。

少し欲張り過ぎたとは思う。

狭くなったのでイチゴとキュウリはプランターに植えて<囲い畑>のそばに置いた。

初めの頃は小さい苗が頼りなさそうに風にフワフワと揺れていた。

でも5月中旬頃から急に大きくなった。

朝早く水をあげる。

苗と苗の間の土を掘って、その中に堆肥を埋め込んだ。

毎日、朝と夕方には畑をのぞいて見る。

今日の朝、すっかり大きくなった2本のトマトを見ていると青い実がなっていた。

数えてみると全部で大小合わせて5個もある。

ここまで来るのに、支柱を立てたり、脇枝を切ったり、雑草を取ったり、竹酢液を撒いたりと色々と世話をして来た。

その成果である。

大変うれしかった。

あまりうれしいので、まだ青い実を一個取って、仏前に供(そな)えた。

Bara806181 しかし油断は出来ない。

というのはプランターに植えていた2本のイチゴは今までに全部で4個以上実をつけたものの、実が赤くなりはじめると、すぐに誰かがそれを全部食いちぎっていってしまったからである。

恐らく鳥か何かに食べられたのだと思う。

トマトは絶対にそうさせてはならない。

カボチャは急に大きく伸びて、今では<囲い畑>のレンガを越えてドンドン横へ横へと伸びている。

これも良く見ると花の後(うしろ)に小さい実をつけている。

ピーマンも実を枝からたらしているが、まだ小さい。

プランターの3本のキュウリには1週間位前に支柱を立ててあげた。

見るとヒゲを支柱に巻きつけて上に向かって伸び始めている。

黄色い花が咲き始めたところである。

3本のナスビは狭い<囲い畑>の中で伸び悩んでいた。

でもこの頃、すこしづつ伸び始めた。

昨日、花が咲いているのを見つけた。

紫色の花がかわいい。

何故かとてもなつかしい花である。

わたしはこれまで一度も自分で野菜を育てた事はない。

これが初めてである。

花を育てるのとは大分趣(おもむき)が違う。

花は育てて、そしてそれを見て楽しむだけである。Kingyosou806183

一方、野菜は大切に育て、その後に収穫しなくてはならない。

そして、野菜は、最後には自分の身体(からだ)の中に入るのである。

わたしはこれからも両方ともやっていきたいと思っている。

野菜作りについては、今はほとんど何も知らない。

でも、この小さい<囲い畑>での経験をスタート地点として今後、色々と学び、ノウハウを集めて、将来、裏庭にキチンとした畑を作りたいと考えている。

わたしの夢はそこにサツマイモやジャガイモを植えて収穫する事である。

でも、ネコの額ほどの<囲い畑>から、普通の畑への飛躍はどうすれば出来るのだろう。

<自分の中のイメージが
ハッキリと固まるまで
焦らずに前進するだけさ。>

と自分に言いきかせた。

わたしの畑作りの道は長い旅路である。

自分で作ったサツマイモとかジャガイモを仏前に供えられる日はいつになるのやら・・・。

2008-06-16

進化した掃除機

わたしは元来、掃除はきらいな方ではない。

だから週末に家中を掃除機で掃除するのはわたしの仕事になっている。Ayame806165

しかしこの頃、掃除していてもちっとも楽しくない。

それどころか汗だくになってとにかく疲れるのである。

この頃、何故掃除がこんなに負担になってきたのだろうか・・・と考えてみる。

そうすると2-3思い当たる事がある。

第一に我が家の掃除機はもう20年以上も前の古いタイプなので、絨毯(じゅうたん)の場合、中にもぐりこんだゴミはいくらゴシゴシと掃除機をかけても中々取れないのである。

これでいっぺんに疲れてしまう。

恐らく掃除機のパワーが小さすぎるのである。

第二に我が家のアイドル・キャツ、クロちゃんの毛が居間のいたるところに散乱している。

特に隅の方に隠れている毛を取るのが中々むずかしい。

イライラする。

第三に古いタイプの掃除機からでる排気の中から細かいハウスダストが室内に出てしまうので掃除する時はマスクをしなくてはならない。

これがつらい。

ある日、たまたまテレビ・ショッピングでD社の掃除機の宣伝をしているのを見た。

サイクロン式で排気口からダストは出てこない仕組みになっているという。

更にゴミがゴミ袋にたまっても、掃除機のパワーはダウンしないで一定のレベルを保つ等と盛んにアピールしている。

Hana806161 わたしは家内にD社の掃除機をインターネットで購入したいと提案した。

はじめは<まだ古い掃除機は使えるわよ>とか何とか言って反対していたが、わたしが余りにも何度も真剣に頼むので、やっと了承した。

彼女はわたしに言った。

<でももし買うのならインターネットは止めてちょうだい。

掃除機を実際に自分の目で見て、自分の手で触って、カタログも良く見て、本当にこの家に合っているのかを確かめてから買うようにしてよ。>

週末、家内と一緒に家電の店に行った。

D社の掃除機が展示してある売り場で、店員さんに色々と質問をした。

でも彼が言うには今一番売れているタイプはD社のものではない事。

そしてD社の掃除機のパワーが比較的小さい事を強調して、現在日本で一番パワーの大きいN社の掃除機を強く勧めたのである。

わたしは両方の掃除機のパワーを比べた。

そうするとN社の方は、D社のものに比べて3倍近くのパワーがある事が分かった。

それにN社の掃除機の排気口からは細かいダストは出てこないフィルターの構造になっている事が分かった。

また部屋の隅っこを掃除するのに便利な小さいノズルがワンタッチで出てくる仕組みになっている。

<これは良い>と店員さんについ言ってしまった。

つまりわたしはすぐにその場でD社からN社に転向。

そして、N社の掃除機を買って帰った。

次の日、新しい掃除機をマニュアル片手に試してみた。

そうすると

<ビンゴー!>

それは全くすばらしい掃除機であった。

わたしは感激してうれしくなった。

特に感激したのは、<20ミクロンのハウスダストもとらえるハウスダスト発見センサー>である。

絨毯等を掃除している時、どこにどれだけ小さいゴミがあるのか、普通の目で見ただけでは分からない。

でもそのN社の掃除機は20ミクロン以上の微細なゴミを発見すると、ハンドルの上下に2つの赤いLEDランプがつくのである。

微細ゴミを吸引し終わるとLEDランプが消えるのでその部分はきれいになった事がはっきり分かるのである。

これは非常に強力な<インテリジェント掃除チェッカー>である。

絨毯の上のクロちゃんの小さい毛の掃除がこれでいっぺんに楽しく出来るようになった。Zeranium806167

ありがたい。

部屋の隅っことか、テレビの下などを掃除する時には、足で普通のノズルをはずすと、小型ノズルがパッと現れる。

それでパッと掃除して、また普通のノズルにワンタッチで切り替える。

これも実際にやってみると大変便利である。

そして一番基本的な要(かなめ)。

掃除機の巨大なパワー。

これがまたすばらしい。

古いタイプと比べるとまるで天地の差である。

家の掃除を終ってホッと一息ついで、わたしはふとつぶやいた。

<これはすごい。

掃除機が進化したんだ。>

わたしは元来、掃除はきらいな方ではない。

こうして遂にわたしは、むかしの<掃除の楽しさ>を再び手に入れたのである。

2008-06-15

消えた蜜蜂

テレビで<ミツバチの集団疾走(CCD:
蜂群崩壊症候群)>についての番組を見た。Nanten2

2006年秋ごろからアメリカの養蜂家が飼っているミツバチが突然、集団でいなくなる現象が起きて、それは今も続いている。

アメリカ50州のうち、27州でこの現象が起きている。

アメリカ西部地域では飼われているミツバチの60%が、東部地域では70%が既に消えてしまったという。

アメリカだけではなく、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、イタリア、スイス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパでも同様な現象が報告されているというのだ。

たいへん驚いた。

そして、何かそら恐(おそ)ろしくなった。

恐ろしい事が今、地球上で起きているのではないか・・・・。

一緒に見ていたわたしの家内も<何だか不気味な話ね・・・ >と不安を隠しきれなかった。

Nanten3 色々な原因が考えられている。

● ウイルスやダニによる障害
● 農薬や化学肥料による化学汚染
● ストレスによる過労死
● モノカルチャー作物の花粉だけを食べ続けて起きた免疫低下
● 携帯電話の電磁波障害
● 遺伝子組み換え作物の副作用
● その他、諸々の原因

しかしはっきりとした原因は未だ明らかにされていない。

わたしが非常に驚いたのはカルフォルニア州の見渡す限りの平野いっぱいにアーモンドの木だけが植えられていた光景である。

そしてそこにおいて散布されていた強力な除草剤。

ミツバチは蜜を集めるのではなくアーモンドの花の受粉をさせられているのである。

もやはこれは農場というよりも、巨大なアーモンド製造工場である。

その過酷な環境で働かされている蜜蜂の気持ちが何となく分かる。

更に驚いたのは研究所では、ミツバチの集団疾走の原因を徹底究明するのではなく、アフリカ蜜蜂との交配によって、集団疾走しない新型の蜜蜂を開発する事に集中しているという事実である。

これはいってみれば、<地球がダメなら火星があるさ>という発想である。Nanten5

そこに自分たちの犯した自然破壊に対する反省とか、環境破壊に対する恐れなど微塵も見られない。

自然全体のバランスにたいする畏怖の心が完全に欠落しているのである。

自然を搾取することだけに没頭しているのである。

長年、京都議定書を無視して、世界の潮流に逆行してきたアメリカ。

そこに全く異質な自然に対する姿勢を見るのはわたしだけであろうか。

2008-06-11

永遠を求めて

日本の歴史の上でナンバーワンの詩人は誰でしょう。

色々な答えがあると思う。Fujisan2

しかしその中で非常に多い答えは恐らく<西行(さいぎょう)>ではないかと思う。

彼は今から800年あまり前の人である。

西行が亡くなったのは1190年。

鎌倉幕府成立の2年前である。

彼が49歳の時に平清盛が太政大臣になっている。

平家にあらずば人にあらずという隆盛を誇る平家が源氏との合戦にやぶれ没落していくのを彼は見ていた。

つまり彼は貴族が治める日本の古代世界が崩壊し、新しい武士の世界が成立する、その狭間(はざま)の混乱の時代に生きていたのである。

この時代のキーワードは<無常>である。

あらゆる確固たるモノが、崩れていく。

永遠なものはないこの世界。

中世の時代は統一が崩れる時代である。

社会のすべてのモノが、何もかもバラバラに分解し、分散して、崩れて行く。

何も頼れるものがない時代。

従って中世は同時に宗教の時代でもあった。

僧形(そうぎょう)の西行は旅と自然の中に永遠の感動を求めてさまよった。

<松風の
音(ね)あわれなる
山里に
さびしさそふる
ひぐらしの声>。

西行はむずかしい言葉を使わない。

彼はいつも平易な日本語を使って歌を詠んでいる。

上記の歌はその典型である。

しかし言葉はやさしくても、歌のこころは深い。

山里の寂しさは、同時に彼のこころの寂しさでもあった。

そしてそれは、生きている事、存在そのものの寂しさでもある。

頼れるもののない孤独なこの世界。

西行の歌は、現代の日本に生きる人々のこころにも切々(せつせつ)と語りかけてくるのである。

現代が新しい中世の時代である事の証拠でもあろう。

今まで世界を統合していた力が、グローバリズムや官僚政治などの様々な力により壊され、バラバラになって行く時代なのである。

<風になびく

富士の煙の

空にきえて

ゆくえも知らぬ

わが思いかな>。

69歳の西行は京を離れ陸奥(みちのく)への旅に出た。

その途中、富士の山を見て詠んだ歌である。

<扶桑略記>に富士山焼燃とあるように富士山は1083年に噴火している。

この時、富士山には噴火の余韻である煙が頂上から風に吹かれてたなびいていた。

旅の途中、草の上に腰をかけて、雄大な富士とその煙を見ている西行の姿があった。

ゆくえも知らぬ思い。

煙とともに、はてしのない永遠へと流れているのは自分のいのちであった。

その時、悠大な自然と西行は一つのものであった。

求め続けた

永遠がこの時、

彼の中にあった。

2008-06-08

一期一会

誰にでも運命の出会いがある。

そんな時に人はよく<一期一会(いちごいちえ)>という言葉を使う。Hakoneutugi2

この言葉は茶道から来たものらしい。

<茶会に臨む際に、主客ともにその機会は一生に一度のものと思い、互いに誠意を尽くす心得>という事である。

つまり一生に一度だけの機会という訳である。

今日は日曜日である。

暑くもなく寒くもない。

絶好の散歩日和(びより)である。

昼過ぎに自転車を押して散歩に出かけた。

初夏の風が心地よい。

いつものように川に沿って自転車を走らせた。

川辺に青々とした葦の茂みが美しい。

このところの雨で水量が増した川の音を聴きながら走る。

橋を渡った。

ふとその時、橋のたもとに白とピンクの花が混じり合って咲いている低木が見えた。

自転車を降りて、近づいて見る。

3メートル位の木である。

葉を見るとアジサイの葉を少し小さくした感じ。

じっとその花をみていると、わたしは何故か、和(なご)やかな気持ちに包まれた。

その時、木の花の精がささやいた。

<わたしをあなたの家の庭に植えてみませんか・・・>。

わたしは木の精に答えた。Moon2_2

<ええ。喜んで。でもまさかあなたを掘り出して連れて行く訳にはいきません。どうすればよいのでしょう。>

木の精は答えた。

<昨日、誰かがわたしを剪定(せんてい)したようです。木の根元に切り枝が捨ててあるでしょう。それを持って帰って庭の土に挿(さ)してください。>

わたしは急いで木の根元から丈夫そうな枝を選びバッグに入れた。

散歩から帰るとすぐに枝を取り出して5つ位の挿し木を作った。

それらを庭のあちこちに丁寧(ていねい)に挿し木した。

そしてジョロで水を注いだ。

わたしは心の中で祈った。

<どうか、この木を根付かせて下さい。木の精との約束を守らなくてはなりません。それに何故かこの花を見ていると心が穏(おだ)やかになるのです。>

挿し木を終えたわたしは花木の名前を知りたいと思い、すぐに植物図鑑を調べた。

<初夏の花木>のところを必死に見ていく。

あった。

あの和(なご)やかな花の写真が出ている。

<ハコネウツギ>である。

<これだっ!>と思った。

その時、木の精がまたわたしにささやいた。

<ありがとう。これであなたと一期一会の出会いができました。>

2008-06-06

もう一人の子供

わたしはいつも朝5時頃に起きる。

顔を洗ってトーストを焼き、居間のテーブルで朝食を食べているとニャーニャーという小さい声がきこえる。Yama2

ネコのクロちゃんが隣の部屋のケージの中でないているのである。

彼女は静かなネコで決してギャーギャアと騒ぐ事はない。

小さい声でニャーというだけである。

<ケージの戸を開けて>と言っているのだろう。

すぐに隣の部屋に行って戸を開けてあげる。

クロちゃんはケージから出ると背伸びを1-2回して居間に入ってくる。

腹が減っているらしく、わたしの足に擦り寄ってニャーとないている。

飼育係のわたしはケージのトイレの始末をする。

その後で缶詰のキャッツフードを皿に入れてあげる。

彼女はフアフアガツガツと一生懸命に食べる。

その食べている姿を見ると何故か笑ってしまう。

自然体のクロちゃんがわたしは好きなのである。

クロちゃんを飼うようになってもう3ヶ月近くが経ってしまった。

その間いろいろな事があった。Hana3

数日前、朝から薄ら寒く、雨がふっていた。

でもクロちゃんはいつもの様に外に出たいとニャーニャーなくので仕方なく外に出した。

3時間くらい経って、ガラス窓のところでしきりにニャーニャー叫んでいるクロちゃんがいた。

中に入れてあげるとブルブルふるえている。

全身ずぶぬれである。

急いでタオルで拭いてあげる。

全く元気がない。

見ていると、自分で隣の部屋のケージの中に入って行く。

こんな事ははじめてである。

ケージの中のベッドに自分で登り、横になっている。

雨にぬれて風邪をひいたのかもしれない。

寒そうなので、赤い大きなタオルを取り出して体の上にかけてあげる。

そうこうしている内にもう赤いケットをかぶってスヤスヤと寝ている。

小さい赤ちゃんみたいである。

そのまま次の日の朝まで何も食べずに寝ていた。

次の日の朝、起きてケージの中を見ると、やっと元気になったクロちゃんが丸い目をしてニャーとないている。

庭に出てクロちゃんと遊ぶ。

わたしがダーと走り、クロちゃんを追いかけると彼女は走って逃げる。

庭の木々の間に隠れる。

それをまた追いかける。

彼女は必死に逃げる。

Kurochan5 庭の向こうの柿の木の上にすばやくのぼる。

柿の木の大きな枝の上でクロちゃんはいつまでも、じっと座って前を見ている。

まるで、まわりの山々を見ながら俳句でも作っているかのようである。

その真剣な顔を見ながらわたしは思う。

もう一人の子供ができたのだと。

2008-06-02

葉っぱの園芸

雨上がりの朝、いつものように庭をまわっていた。

ボタンの葉の上に水滴がのっている。Botannnoha1

ボタンの葉をじっと見つめた。

何と美しい葉っぱなのだろうと、はじめて気が付いた。

花が咲くのを待ち、それだけに集中して、葉っぱは今まで無視してきたのではないだろうか。

その時に思った。

花の園芸があるのなら、葉っぱの園芸もあるはずだと。

あらためて庭を眺めなおしてみる。

そうすると、次々に色々な葉っぱが美を競っているではないか。

Happa2 わたしは自分の目を疑った。

そうして花だけに目を向けてきた今までの自分の愚かさにあらためて気がついたのである。

考えてみると園芸の根本にあるのは草木(そうもく)をいつくしむ心である。

種から始まり、芽を出して段々と大きくなり、葉を茂らせ、花を咲かせ、種が出来てそれを散らし、最後には枯れていく。

それは命の姿そのものである。

わたし達も生まれ、幼年時代を送り、成長し、仕事を見つけ、家庭を作り、子供を生み、老いて死んでいく。

命あるものはだれもが、この命の円環の上を回っているのである。

そう考えると見えてくる。Happa5

種も葉も、

花も実も、

じつは植物のあらゆる姿が美しいという事が。

2008-05-29

カドタ式堆肥づくり

暇をみつけて庭の手入れをしている。

一番手がかかるのは草取りである。Shakuyaku80529_2 

やっと草を取ったと思ったらあれよあれよという間もなくまた草が生えてくる。

この頃はもう観念して草取りは庭の手入れで一番楽しい仕事であると自分に言い聞かせながらやっている。

ただ取った草の処理が問題である。

最初のうちは、袋に入れてゴミとして出していた。

しかしそれを繰り返すうちに、段々と何か変な気持ちになってきた。

これらの草はもともと庭に生えていたものである。

という事は、ひょっとしたら、草はその中に庭の土の栄養がつまっている大切なモノなのではないだろうか。

そう思い出したのである。

そんな時である。

本屋さんで次のような本を見つけた。

生ゴミ堆肥ですてきに土づくり
(門田幸代著、主婦と生活社)。

一読してこれだと思った。

Sanshou80529 門田さんは言う。

●土嚢袋を使えば生ゴミ、花がら、草などを使って堆肥を作り出せる。
●必要なものは土嚢袋、米ぬか、庭の土と水である。
●最後の熟成は庭の土に埋めて行うので土の改良が同時に出来る。

取った草だけではなく、木々の剪定によって出来たゴミや、毎日台所から出てくる生ゴミなども堆肥づくりの材料として使える。

それらの宝物をゴミとして出していた自分の愚かさにあらためて気がついた。

全部もとの土にかえしてあげる。

それによって堅い庭の土もふかふかの土になるのである。

さっそくホームセンターで土嚢袋、米屋さんで米ぬかを買ってきた。

そうして<カドタ式土嚢袋堆肥>作りに取り組んだまではよかった。

でもなかなかうまく行かない。

失敗するたびに上記の本を読み直した。

ノートにメモを取りながら読んだ。

5回くらいくり返し読んだ。

あきらめずに何回も取り組んだ。Murasakikatabami80529_2 

そうこうしているうちに、段々と準堆肥が土嚢袋の中に出来始めたのである。

熟成の為に家の周りに点々と準堆肥を埋め戻して行く。

それが楽しい。

未だ時々失敗をすることもある。

発酵は周囲の温度と材料に含まれる水分に微妙に影響されるからである。

でもわたしはこのカドタ式堆肥づくりを続けていこうと思う。

特にわたしが感激した点は以下の点である。

●誰でもどこでも手軽に出来る。
●土嚢袋、米ぬか、土などの手に入れやすいもので出来る。
●庭の土の中に含まれる微生物を存分に利用する。

自分が生活している家と庭で出来る有機物を再び大地に返しながら園芸を楽しむというカドタ式堆肥作りは本当にすばらしい。

合掌。

2008-03-24

クロちゃんの隠れ家

色々、紆余曲折があったが、野良ネコのクロちゃんはとうとう拙宅の家ネコになった。

わたしがまだ幼かった頃、家には一匹の三毛ネコがいた。Ajisainoshinnme2

つまりわたしはネコと遊びながら大きくなったのである。

だから<ネコを飼う事など超簡単・・・>と安易に考えていた。

ところが今回、実際にクロちゃんを家ネコとして飼うことになって、わたしはハタと気が付いた。

<わたしはネコについて
 何も知らない>という事を。

トイレの設置の仕方。

どんな餌を何時与えるのか。

留守の時にネコをどうするのか。

ネコはどんな時にどんな行動をするのか、etc. etc.・・・。

ネコの生態について知らないのである。

Fuki3 ある日の早朝、6時頃。

クロちゃんに朝の食事のキャツフードと水をあげる。

わたしも朝食を済ませてテレビを見ていると、ドアのところでクロちゃんがニャアニャアないている。

ドアを開けてあげると彼女は家の中の部屋を次々に見て回り始めた。

まず脱衣場と風呂場。

次にトイレの中。

そして物置部屋の中に入っていく。

いろいろな物が詰まっている物置部屋。

その奥の暗がりの中に入ってなかなか出てこない。

やっと出てきたかと思うと2階に通じる階段をトコトコと登っていく。

そしてわたしの書斎に入って、机の上とか椅子の上に登って棚の上とか外をきょろきょろと見ている。

はじめ、わたしはクロちゃんが何をしているのか分からなかった。

しかし良く観察するうちに段々と分かり始めてきた。

彼女は外ネコだった頃、いわゆる<なわばり>を持っていたのである。Kumomagusa1

<なわばり>を見て回るのがクロちゃんの日課だったのである。

家ネコになった今は<なわばり>は家の中という事になる。

だから家の中の様子は細大もらさず全部くわしく観察しているのである。

ある夕方、クロちゃんがいない。

方々探した。

でもどこにもいない。

さんざん家中を捜し歩いた。

2階の部屋の押入れの戸が半開きになっていた。

中をのぞいてみた。

そうするいたいた。

奥の隅の方にある古着類がつまっているボックスの中でクロちゃんがスヤスヤと寝ているではないか。

ここがなわばり巡回の時に見つけたクロちゃんの隠れ家なのである。

<四六時中人間と
一緒ではたまらない。
チョッと一人になりたい>。

クロちゃんの寝顔がそう言っているようである。

わたしは、そっと階段を降りた。

2008-03-13

埋もれた石碑

いま少し時間に余裕ができたので、本を読もうと考えている。

それも様々な本を。

濫読である。Goyoumatsunokihada

色々な本を平行して読んでいる。

読む場所もいろいろである。

居間で読む。

庭にでて石に腰掛けて読む。

自分の部屋で読む。

電車の中で読む。

トイレの中で読む。

寝床の中で読む。

この頃読んだ本で一番驚いたのは<老子>である。

彼は今から2300年以上も前(紀元前300年頃)に南中国、長江流域の楚(そ)という国に生まれたといわれている。

そして彼は北方の黄河流域、中原を制覇した孔子の儒教に対して激しい反対の声をあげた。

その後、彼の考えは<老子道徳経(81章)>としてまとめられていく。

よく見ると中国の思想は表の儒教だけではなく、その背後に老荘の思想が控えているのである。

つまり中国の思想の根本には黄河流域の北方中国の考え方と長江流域の南方中国の考え方の2つが重なりあっているのである。

老子で一番驚いたのは、その考え方全体に違和感があまりなく、非常に身近に感じるという点である。

Tsubaki35 それは何故だろうか。

一つには日本とよく似た自然環境の稲作地帯である長江流域で生まれた考え方であるという点があげられる。

もう一つは日本が生まれた時代背景と関係があるのではないかと思う。

日本は630年から894年までの264年間、遣唐使を派遣して中国の文物を学んだ。

老子の姓が唐朝を開いた李淵と同じく<李>であった事から、唐朝では何よりも道教があがめられた。

玄宗の時代には皇帝みずから道徳経の注釈書を作ったり、道教の学校も設立している。

つまり当時、日本が必死に遣唐使を派遣してまで学ぼうとしていた唐の文化とか制度の中心に道教があったのである。

それが日本にもたらされなかったという事はありえない話である。

国家鎮護の為のおおやけの仏教の陰に隠れてはいるものの実際には日本に持ち込まれ、仏教や神道とも交じり合いながら民間の中に静かに深く浸透していったと思われるのである。

その証拠の一つとして<庚申(こうしん)信仰>がある。

田舎に行くと寺の入り口や、神社の庭、それに街道の辻々に庚申供養塔が立っている。

これはその村落の人々が道教に由来する三尸説(さんしせつ)の行事を行ったというあかしとして建てられた石碑である。

その数は大変多く例えば岩手県では4700基前後あるそうである。

先日、近くの寺に散歩に行った。

寺の入り口の石段の前の庭に庚申石碑が5体もひっそりと立っていた。

もう石碑の字が読めないほど古い石碑である。

だれももう何の為のものか知らない。

しかし、わたし達の祖先が日々の生活の中で懸命に作って建ててきたのは確かな事なのである。

日本文化の中の道教。

それは埋もれて見えなくなってはいるが、それ故に深い影響をわたし達の生活に及ぼし続けているのである。

2008-03-10

老子3

今日は老子の最初の第1節を読んでみよう。

まず最初に読み下し文。

次に英訳。

第1

道の道とすべきは、
常の道にあらず。

名の名づくべきは、
常の名にあらず。

名無し天地の始めは、
名有り万物の母には。

故に常に無欲にして
以てその妙を観、

常に有欲にして
以て其の徼(きょう)を観る。

此の両者は
同じく出でて名を異にす。

同じく之を玄と謂う。
玄の又玄、
衆妙の門。

The Tao that can be told
is not the eternal Tao.

The name that can be named
is not the eternal name.

The nameless is the beginning
of heaven and Earth.

The named is the mother
of the ten thousand things.

Ever desireless,
one can see the mystery.

Ever desiring,
one sees the manifestations.

These two spring from the same source
but differ in name;
this appears as darkness.

Darkness within darkness.

The gate to all mystery.

(これが道だという道は
本当の道ではない。

これがその名前だという名前は
本当の名前ではない。

もともとこの世界の始源には
名前はなかった。

しかし母なる万物には
名前があった。

だから、万物を区別し
名前を知る欲望がなければ、
万物一体の妙なる世界を見る事ができる。

しかし反対に物事を区別して
名前を知りたいという欲望をもてば、
千差万別の現象世界が現れる。

これらの二つは、
もともとは同じ源から流れ出ている。

その源とは底のしれない深み。

更なる深みの深み。

あらゆる妙が流れ出てくる源なのだ。)

サンシュユ

今日はあいにく曇り。

窓から庭を見ていると玄関のところに黄色い花が見えた。Sanshuyu1

すぐに外に出て確かめてみると・・・サンシュユ(山茱萸)の木に花が咲いていた。

まだ咲きかけた姿である。

宮崎民謡の稗搗節(ひえつきぶし)に<庭のサンシュの木 鳴る鈴かけて>とある。

これが山椒(サンショウ)か山茱萸(サンシュユ)かという議論がある。

歌の歌詞は<サンショウ>ではなく<サンシュ>なのでこれは庭木の山茱萸(サンシュユ)なのではないだろうか。

Sanshuyu3 それにこの歌は恋の歌という事である。

つまりロマンチックな歌なのである。

としたらサンシュユの木の方が場面としてふさわしいのではないかと思う。

サザンカのツボミを見つけた。

一般にサザンカは秋に咲き、ツバキは春に咲くといわれている。Sazanka5

でもこのサザンカは春山茶花(ハルサザンカ)とよばれている種類である。

庭の奥の方にチューリップの芽が出ている。

Tulip2 青々とした芽が清々(すがすが)しい。

この頃は暖かくなってきたので日に日に大きくなっていく。

2008-03-08

ジンチョウゲ

町の花屋さんをのぞいてみた。

アッと息をのんだ。Jinchouge3

小さいジンチョウゲの木がおいてあるではないか。

2つのかわいい花をつけている。

匂いをかいでみた。

すばらしい春の香りだ。

わたしは長いことこの花を探していたのである。

すぐに買って帰った。

2-3日窓辺の日当りの良い場所においておいた。

部屋にほのかにジンチョウゲの香りが漂っている。

今日は良い天気である。

わたしはジンチョウゲの花を鉢から出して窓辺の花壇に移した。

この木は移植がむずかしいとされている。

どうか無事に花壇に根を生やして欲しいと祈りながら植えた。

葉の周りに白い縁どりがあるので<フクリンジンチョウゲ>ではないかと思う。

2008-03-07

老子2

老子の道徳経(Tao te king)の最終節、第81節は先回読んだ。

今日はその手前の第80節を読んでみよう。Mitsumata

まず英訳から。

A small country has fewer people.

Though there are machines

that can work ten to a hundred times

faster than man, they are not needed.

The people take death seriously

and do not travel far.

Though they have boats and carriages,

no one uses them.

Though they have armor and weapons,

no one displays them.

Men return to the knotting of rope in place of writing.

Their food is plain and good,

their clothes fine but simple,

their homes secure;

They are happy in their ways.

Though they live within sight of their neighbors,

And crowing cocks and barking dogs

are heard across the way,

Yet they leave each other in peace

while they grow old and die.

(小さい国がある。

人口も少ない。

人力の十倍も百倍も早く

仕事ができる機械はある。

でもそれらの機械は使われない。

人々は死を深く受け止め

それ故に遠くへは行かない。

船も車もあった。

しかし誰もそれを使わない。

よろいもかぶとも武器もある。

でも誰もそれを見せようとはしない。

文字を書く代わりにみんな

ヒモを結ぶ昔のやり方をしている。

食べ物は質素でおいしい。

着物は清潔で、しかも簡素。

そして安全な住処(すみか)。

そうやって彼らのやり方で幸せに暮らしている。

隣国はすぐ近くに見え

通りをはさんで

鶏のなきごえも

犬のほえる声もきこえるけれど

お互いに争うことはない。

その国の人たちは

そうして年をとって

死んでいくんだ。)

 

 

2008-03-06

うちのクロちゃん

その日は快晴。

起きて台所に行くと、いつものようにクロちゃんが戸口のところでニャンニャンないている。Kurochan5

急いで戸を開けてあげるとすばやく居間の自分の場所に走っていく。

朝食のペットフードと水をあげる。

ガツガツ食べる。

食べ終わると顔を洗ったり、毛づくろいをする。

それが終るといつもの椅子の上で昼寝を始める。

昼過ぎ、自転車で買い物に出かけようとすると、クロちゃんはわたしについてくる。Hanadaikonnshokkasai

自転車を押して坂をのぼって行く。

クロちゃんは足早についてくる。

クロちゃんは必死に坂を登ってくる。

神社の前の通りにぬける。

神社の前の通りは下り坂で自転車はスピードを上げる。

振り返ってみるとクロちゃんは坂の上でいつまでもこちらを見ている。

すわってこちらを見ているクロちゃん。

その姿が頭から離れない。

ネコがこんなにかわいいものだとは想像もしなかった。

もう少ししたら病院に連れて行ってワクチン等をして家ネコにするか・・・・・。

2008-03-05

自分の中の治癒力

誰でも一つや二つの病気を持っているものである。

どうやってこれらの病(やまい)と付き合って行くか。Fumeinahana3

それは人によって様々(さまざま)であろう。

わたしの場合、非常に弱気になった時にはつい病院に行きたくなる。

しかし<気力>が充実している時は、その病は表には出てこない。

不思議である。

命というものの不思議さ。

それを痛感するこの頃である。

<病気は気から>。

<病気と仲良く付き合っていく>。

わたしの父は一貫してこの生活哲学を持っていた。

父は既に亡くなったが、91才で亡くなる寸前を除いて、ほとんど病院には行かなかった。

わたしの場合は気が弱くなると、つい病院や薬を求める気持ちが強くなる。

そんな時にはわたしは尊敬する医者が書いた本を読んで気を取り直すのである。

Tsubaki8_2  例えば、斉藤茂太さんと言う医学博士が書いた●<病気になりたくなかったら、急がない、怒らない(新講社ワイド新書)>とか石原結實さんという医学博士が書いた●<病気は自分で見つけ、自分で治す!(KKベストセラーズ、ベスト新書)>等の本である。

これらの医学博士の言葉の中には、本来日本に長く根付いていた伝統的な考え方が脈々と流れている。

わたし達はつい次の肝心な点を忘れてしまう。

<病気を治すのは

結局は自分の中の

治癒力である>。

医者とか薬は結局、自分の生命の中に備わっている治癒力を助ける事しか出来ないのである。

最後は自分に返ってくるのである。

病を直すのにプラスなモノを食べるとか、病を直す為に日常やるべき事を毎日実行するとか、自分の日常生活の中で出来る事を着実に自分で実行する他にはないのである。

上記の本を読むと、わたしの場合、以下のような事が大変体に良いということである。

●腹を冷やさない事。
●ほうれん草などの野菜を良く食べる事。

早速、<腹巻(はらまき)>を買ってきた。

その日から腹巻を巻いて腹を冷やさないように気をつけるようになった。

それにほうれん草等の野菜を努力して毎日食べるようになった。

そうすると段々からだの調子が良くなってきた。

薬に頼らないで、普通の生活の中で、自分の命の中にある治癒力を強める為の努力を積み重ねていく。

それが病と仲良く付き合って行くための基本なのではないかと思う。

2008-03-04

のどかな春

のどかな春がやって来た。

庭のそこここにヒヤシンスの芽を見つけた。Hiyashinnsu3

毎日どんどん大きくなっていく。

数えてみた。

全部あわせると10個以上ある。

ヒヤシンスに水をやっていると、裏庭の崖の竹やぶのところでケンケンというキジの鳴き声がきこえた。

ふと見上げると一羽のキジの姿がそこにあった。

Kiji 目の周りが赤く、美しい青色の首が輝いている。

胸は緑色で、羽根は褐色である。

このきらびやかな姿からすると雄(オス)である。

音を立てずに急いでカメラを取りに家にもどりようやく一枚の写真を撮った。

キジは日本の国の国鳥である。

ジッと観察していると、彼はするすると竹やぶの中に消えた。

野良ネコのクロちゃん。

Kurochan5 クロちゃんはその後、毎日朝早く来て、戸口のところでニャンニャンなく。

食べ物をねだっているのである。

食べ終わると暖かい居間の椅子の上に乗って昼寝をする。

のどかな春の陽が照っている。

2008-03-03

老子1

もう3月である。

だんだんと風も春らしくなってきた。Fukinotou2

納屋の裏手で草を取っていると、突然目の前に<フキノトウ>があった。

驚いた。

春を告げるフキノトウさん。

こんにちわ。

先日、久しぶりに上京した。

以外に早く仕事が終ったので南麻布(みなみあざぶ)の有栖川宮(ありすがわのみや)記念公園を散策した。

白と赤の花が入り混じった梅の木を見つけた。Ume5

老子の道徳経の最後の一節を英訳で読んでみよう。

< Truthful words are not beautiful.

Beautiful words are not truthful.

Good men do not argue.

Those who argue are not good.

Those who know are not learned.

The learned do not know.

The sage never tries to store things up.

The more he does for others, the more he has.

The more he gives to others, the greater his abundance.

The Tao of heaven is pointed but does no harm.

The Tao of the sage is work without effort.>

(真実の言葉は美しくはない。

美しい言葉は真実ではない。

良き人は論じない。

論じる人は良き人ではない。

智人は学人ではない。

学人は智人ではない。。

賢人は決して多くの物を持とうとはしない。

人の為に尽くせば尽くすほど彼は多くのものを得る。

人に与えれば与えるほど彼は豊かになる。

天の道は偉大であるが人を傷つけはしない。

賢人の道は自然の中に開かれる。)

ふと向こうを見ると<六本木ヒルズ>のビルが見えた。

あそこに住んでいたあの人たちの世界。

金がすべてという世界。

そこには人間として何か大きなものが欠けているのではないだろうか。

2008-02-21

庭の花

もう2月も下旬というのに寒い日が続いている。

庭で咲いている花はほとんどない。

さびしい庭である。Ooinunofuguri

ある日、庭の端の草むらに小さい花を見つけた。

一人ポツンと咲いている。

るり色の可憐な花である。

何の花だろうと思っていたら偶然テレビでこの花の写真を見た。

その花の名前も書かれていた。

<オオイヌノフグリ>というそうである。

やわらかい葉には一面に毛が生えている。

数日後、散歩に行ってふと道端を見るとこの花が土手一面に数え切れないほど咲いているではないか。

その時、他の山野草に先駆けて咲くオオイヌノフグリは偉いなあと思った。

もうひとつの花を見つけた。

Suisen スイセン(水仙)である。

家の玄関の近くの石垣に沿って水仙があるのは知っていた。

でも見るのはいつも青い葉っぱだけ。

いつ咲くか、いつ咲くかと待っていたが、やっと今日、三つくらいの花が開いているのを見る事ができた。

下を向いて風にゆられている。

水仙は英語でナルシスス(narcissus)という。

その由来はギリシャ神話の美少年の名前からきている。

彼が泉の水面をのぞきこんだ時、そこに写った自分の姿に恋をしてその場を離れずに死んだ。

その場に水面を向いて咲いていたのが水仙の花だったという・・・。

ここからうぬぼれやさんの事をナルシストというようになった。

もうひとつの花を水仙の近くで見つけた。Fumeinahana1

珍しい見慣れぬ花である。

Fumeinahananoha2 葉っぱも奇妙に地をはっている。

花の名前は分からない。

2008-02-20

本来の自分に帰る

今日も朝日が東の山から昇ろうとしている。

山並みにたなびく雲が美しい。Yoakenokumo3

いまからおよそ1600年も前の中国で書かれた陶淵明の詩。

それがわたしのこころに響いてくる。

不思議である。

<園田の居に帰る>

少(わか)きより俗に適する韻(いん)なく

性(せい)本(も)と邱山(きゅうざん)を愛す

誤(あやま)って塵網(じんもう)の中に落ち

一去 (いっきょ)十三年

羈鳥(きちょう)旧林(きゅうりん)を恋い

池魚(ちぎょ) 故淵(こえん)を思う

荒(こう)を 南野の際(さい)に 開かんと

拙(せつ)を守って園田(えんでん)に帰る

方宅(ほうたく) 十余畝(じゅうよほ)

草屋(そうおく) 八九間(はっくけん)

楡柳(ゆりゅう) 後簷(こうえん)を蔭(おお)い

桃李 (とうり)堂前(どうぜん)に羅(つら)なる

曖曖(あいあい)たり 遠人(えんじん)の村

依依(いい)たり 墟里(きょり)の煙

狗(いぬ)は吠(ほ)ゆ 深巷(しんこう)の中(うち)

鶏(とり)は鳴く 桑樹(そうじゅ)の巓(いただき)

戸庭(こてい)塵雑(じんざつ)なく

虚室(きょしつ) 余間(よかん)あり

久しく 樊篭(はんろう)の裏(うち)に在りしも

復(ま)た 自然に返るを得たり

(若い頃から世間と

折り合いをつけるのが苦手で

生まれつき山や丘の自然が好きだった

まちがって俗世間の塵(ちり)の中におち

役人生活もすでに13年

かごの中の鳥は古巣の林をおもい

池の魚はもといた川の淵(ふち)をなつかしむ

南の野原の荒地(あれち)を開墾(かいこん)しようと

世渡り下手(へた)の分を守って田舎に帰った

十畝ほどの宅地に

部屋の数は八九の草ぶきの家

裏庭には楡(にれ)と柳(やなぎ)の木が影をおとし

桃(もも)や李(すもも)は家の前に並んでいる

遠くには村がかすんで見え

村の上にはなつかしい煙が見える

犬が路地裏でほえ

鶏(とり)は低い桑(くわ)の木の上で鳴いている

庭にはごみひとつなく

部屋はゆったりとして静か

ああ長い間 かごの中に閉じ込められていたが

やっと本来の自分に帰る事ができた)

2008-02-18

へルマン・ヘッセ

ある古本屋で偶然一冊の本を見つけた。

わが心の故郷アルプス南麓の村>という題名。

著者はヘルマン・ヘッセである。Ticinonomuranosougenn_2 

彼のエッセイに混じって32点のカラー水彩画が含まれている。

すぐに買って帰った。

本棚に入れたまま数ヶ月が過ぎた。

しかし田舎に居を移して周りの山川草木を身近に見て過ごすうちに、いつからともなくヘッセの本を寝る前に床の中で読み始めていた。

その中の詩の一節。

<晩秋行路>
・・・・・・
・・・・・・
私にとって実(み)とは何?

目標とは何!-

私は花咲いた

咲くことが私の目標だった

今私は枯れる

枯れることが私の目標だ

ほかの何ものでもない

心が定める目標は間近にある

*

神は私の中に生き

私の中に死ぬ

神は悩む

私の胸の中で

私にはその目標で十分だ

正しい道でも迷い道でも

花でも実でも

すべてはひとつだ

すべては呼び名にすぎない

・・・・・
・・・・・

ヘッセはドイツ南部の黒い森(シュバルツバルト)のカルフという小さな山村に1877年に生まれた。

日本では江戸幕府が倒れた大政奉還からちょうど10年目にあたる。

夏目漱石が10才の頃である。

1919年、傷心をかかえた42才のヘッセは南スイス・ティチーノ州ルガーノ近郊の山村モンタニョーラに居を構えた。

それ以来この美しい自然に満ちた山村を第二の故郷として43年後、1962年にその村で死去した。

彼は<晩秋行路>で老いを迎えた自分のこころをうたっている。

<すべてはひとつ>、それで十分なのだと言っている。

彼は水彩で沢山の風景画を描いた。

それを見ていると村や周りの自然と一体になった彼のこころが静かに伝わってくる。

同じく傷心をかかえ故郷の村に帰り自然の中での生活をうたった陶淵明がヘッセの姿に重なって見えた。

2008-02-16

陶淵明

長い間、わたしは詩を読んでもピンと来なかった。

Mansaku 商売に明け暮れ、利を追い求め、散文的な毎日を送ってきたからであろうか。

しかし何故か近頃は床につくと時々詩を読みたくなる。

詩を読みながら眠りにつく事が多くなってきた。

ここでは最近読んだ陶淵明の詩を一つ。

<飲酒>

廬(いおり)を結びて人境に在り

而かも車馬の喧(かまびす)しきなし

君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと

心遠ければ地も自ずから偏なり

菊を采る 東籬の下(もと)

悠然として南山を観(み)る

山気 日夕に佳(よ)く

飛鳥 相与(とも)に還る

此の中に真意あり

弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る

(粗末な家を人里にかまえ

人里にいるとはいうものの

車や馬の往来のにぎやかさはない。

人は言う。

なぜそういう事ができるのかと。

それはわたしのこころが

世俗から遠く離れているので

自ずから住むところも辺鄙(へんぴ)になるのだ。

菊の花を東のまがきの下で採り

悠然として南山を眺める。

山に日が落ちて

かすみたなびく夕焼けの空を

鳥が連れ立って

ねぐらへと飛んでいく。

この何気ない一瞬。

その中にこころを動かす真実がある。

それを説明しようとしたが

言葉にはならない。)

今日ふと納屋の右横で見つけた不思議な花。

何の花か分からない。

さっそく調べてみた。

マンサクである。

2-3月、山中で最も早く花をつける。

葉より先に黄色い独特の花を咲かせる。

花の形からすると、

これは<シナマンサク>かもしれない。

2008-02-15

6体のお地蔵様

良い天気である。

久しぶりに自転車で散歩に出た。

山の方にどんどん走る。Ojizousama3

杉の山のふもとを走っていると、すぐそばの岡の上にお地蔵様が見えた。

自転車を止め、よく見ると入り口に石井家の墓と書いてあり、6体のお地蔵様の像が立っている。

その先に全部で15個位の墓が並んでいる。

墓の上に刻まれた文字を見ると明治・・年とある。

もう文字が磨り減って読めなくなっている墓もある。

苔が墓全体をうっすらと覆い尽くしている墓もある。

このような山の奥には寺はない。

田舎の人たちはお地蔵様の像を建て、そこを一族代々の墓どころとしたのであろう。

わたしは墓は寺の裏にあるものだと思っていたので、お地蔵様のある墓どころを見たとき、びっくりしてしまった。

不思議に思ったので調べてみると、わたしが見たお地蔵様は<六地蔵>と言われているもので六体の地蔵菩薩像は人間の六道、つまり六つの生命状態(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)のそれぞれを救うという意味なのだそうである。

地獄というのは苦しみ。

餓鬼はむさぼり。

畜生は愚かさ。

修羅は怒り。

人は普通の分別のある平らかな命。

天というのは喜びの命である。

Ojizousama8_2 仏教では六道輪廻を説いている。

人間は普通、喜んだり、悩んだり、怒ったり、成功したり、失敗したりしながら、六道という迷いの道をぐるぐると巡りながら死んでいく。

この草深い山里で代々生きてきた人々はみんな、六地蔵に見守られながら死んでいったのであろう。

今日、わたしは都会の喧騒を離れた山里に来た。

多くの人間がこの山奥の土地に何百年もの間、生き、老いて、そして死んでいった。

その姿をわたしは六地蔵のある墓でまざまざと見た。

考えてみるとわたしも人生の峠をとっくの昔に越えている。

もしわたしが死んだら、わたしの好きな山野草が花咲く岡の上にこの身をうずめたい。

そう思いながら、まだ雪が溶けていない山道を自転車で走った。

2008-02-09

おいしいイチゴ

スーパーで買い物をしていると、赤いイチゴの実が目にとびこんできた。

わたしはイチゴが大好きである。Ichigo

売り場には博多のイチゴとか、群馬県産のイチゴとかが並べられている。

その中で大粒の<やよいひめ>という名前のイチゴを買って帰った。

<やよいひめ>というブランド名が気になってイチゴについて少し調べてみた。

●イチゴはバラ科の植物である。
ふつう日本で食用に栽培されているイチゴは、バージニアイチゴとチリイチゴがオランダで交配されて出来たもので一般に<オランダイチゴ>とよばれている種類である。そのオランダから日本へ渡来したのは江戸時代の後期。

●<やよいひめ>は群馬県産のオリジナル品種で、全国的に人気のある<とちおとめ>と大粒の<とねほっぺ>という品種を交配して2005年に作られた新しい品種である。

実を言うとスーパーで、わたしの目がイチゴに行ってしまったのには訳がある。

数日前にわたしはホームセンターでミキサーを買った。

IWATANIの<ミルサー>という小型のミキサーである。

健康のために果物で生ジュースをつくって飲みたいと思ったからである。

さっそくミルサーを取り出して試してみた。

<やよいひめ>のヘタをとって実を適当な大きさに切る。

それをミルサーに入れ、すこし水を加え蓋をして電源ON。

アッという間にイチゴ・ジュースの出来上がりである。

ちょっとだけ砂糖を入れて飲んでみる。

おいしい。

さわやかな香りと甘みにうっとりとしてしまう。

これはクセになるかもしれないとおもった。

Ichigo3 普通、イチゴの採れる時期は4-5月である。

今は厳寒の冬。

なぜこんなに寒い季節にイチゴが食べられるのだろうか。

実は日本で栽培されているイチゴは温室の中で育てられ10月の下旬から、翌年の5月ごろまで収穫されているのである。

もちろん温室の中の温度は20度前後の適温に保たれる。

わたしの食べたイチゴにはそれだけの大量のエネルギーが詰まっていたのである。

どこかでもうひとりの自分がささやいている。

<CO2の削減目標・・・・>。

それでもイチゴ・ジュースの誘惑に負けてしまう自分・・・・。

*

*

2008-02-05

雪のある風景

2月3日、日曜日。

朝起きて窓を開け外を見た。

アッと驚いた。Yukiwokabuttananntenn

白白白の一面の雪の世界が広がっている。

いつも見ている南天の実が今日は目にしみる。

さっそく長靴をはいて外に出た。

いつも通る神社の近くを歩いた。

Yukiwokabuttakeyaki ケヤキの大木が雪をかぶって立っていた。

まるで水墨画を見ているような気持ちである。

白と黒の世界だ。

これがいつも、毎日見ている風景なのだろうか。Keyaki5

草木と雪が織り成す不思議な世界である。

*

2008-01-22

我輩はネコである

この頃わたしの家に黒い野良ネコが来るようになった。

わたしはそのネコに勝手に名前をつけた。

クロである。Kurochann3

昨日は1回。

今日は2回来た。

来てにゃーおとおねだりするような声でなく。

腹が減っているのだろうとパンくずを皿に入れて出しても食べようとしない。

でも雑煮の残りを出すと一生懸命にガツガツと食べて汁もペチャペチャと皿ごとなめて名残惜しそうにしている。

またにゃーおと言うのでまだ食べたいのかと思い、ご飯に汁をかけて出すと全く食べようとしない。

この頃の野良ネコは好き嫌いが激しいのか。

お腹がいっぱいになると庭の日当たりの良い石の上で、顔を洗ったり、毛つくろいをしたりしている。

未だ年は2才くらい。

若いメスネコである。

ヒモをもって誘うとネズミを捕まえるようなかっこうをしてパッと飛びかかる。

庭を走り回るかと思うと突然、カエデの木にどんどん登って枝の又の部分に座ってわたしを見下ろしている。

<ほらこんなに上手に登れるでしょう>とパーフォーマンスをしているのである。

お勝手の戸を開けてあげると怖がる事なく家の中に入ってくる。

多分、このクロちゃんは昔はどこかの家の飼い猫だったのだろう。

何かの事情でその飼い主がいなくなって野良ネコになったのではないかと思う。

その後で外に出た。

庭の一番広いところで、うしろからクロちゃんを抱いて<タカイタカイ>をしてあげた。

何度もタカイタカイをした後、地面に降ろすと、何もなかったかのように、わたしの足に背中をすりよせてくる。

クロちゃんは、それだけ人に慣れているのである。

そうこうするうちに、遊びに飽きたのか、勝手にどんどん庭を横切って隣の家の方に姿を消した。

ネコはいわゆる個人主義者である。

ネコはイヌとちがって人間に対する情とか忠誠心とかはあまり持ち合わせていないみたいなのである。

基本的に自分の好きなように生きている。

わたしはその自由な自然体のクロちゃんが好きである。

また明日、クロちゃんが来るかどうかは誰にも分からない。

2008-01-05

ボケの花

あけまして おめでとうございます。

今日は2008年1月5日。

ここは山に囲まれ、川の流れる緑豊かな田園である。Bokenohana

わたしは意を決して、長い都会生活から離れ、田舎の家で生活を始めた。

家のまわりには庭があり、色々な草花とか樹木が生きている。

毎朝、霜の降りた庭をマフラーをして一回りする。

大晦日の日に山から取ってきて庭の隅に植えた木いちごの木。

葉上の白々とした霜が朝の太陽を浴びて輝いている。

冬の植物を見ると偉いなあと思う。

寒さにジッと耐え、春を待っているのだ。

待つだけではなく、春の成長に必要な養分を蓄え続けている。

草木というのは考えてみると大変偉大である。

太陽光エネルギーを元にして、土から吸収した水分と養分だけで自給自足で生きているのは生物の中では植物だけである。

他の生物はその植物を食べたり、他の生物を食べたりして命を支えている。

唯一草木だけは太陽光と二酸化炭素と水から炭水化物を自分で合成して生きている。

他の生物はその意味で植物なしでは生きていけない。



近くに小さい神社がある。

その庭にはケヤキの大木がある。

胴回りは3メートルはあるだろう。

200年から300年以上の古木である。

葉を落とし風を受けて一人立つ大木を見上げていると凛としたものを感じる。



街の花屋さんでフト見た<ボケの木>。

まだ小さいつぼみをつけていた。

すぐにその鉢を買い家の中の窓際に置いた。

暖かいのでアッという間に花が咲いた。

艶やかで美しいボケの花。

この花のように明るい年が開けますようにと祈りつつ。

合掌。

2007-06-04

ステキなミニボン

市の図書館に行った。

本を借りた後、市民会館の入り口で看板を見た。Minibonn2 

<さつき展>。

さつき? 

さつきとは何だろう。

そう思って展示会場を覗いてみた。

市民会館の2つの部屋いっぱいに<つつじ>のような花の大型の盆栽が並べられていた。

いづれも見事な盆栽である。

特等賞とか最優秀賞とかの札がついているものもある。

<さつき>。

ツツジ科の一種。

皐月躑躅(さつきつつじ)の略称。

旧暦の皐月(5月、さつき)に咲くのでこの名前で呼ばれている。

学名はロードデンドロン・インディクム (Rhododendron indicum インドのバラの木)という。

さつきとつつじの違いは何だろう。

それは咲く時期にある。

サツキの方は5月中旬以後と、ツツジより咲くのが遅い。

いろいろな種類があり、現在1500種にものぼるといわれている。

さつきの盆栽を一つ一つ丁寧(ていねい)に見ていく。

ハッと気がつくと、わたしの目は、大型の皐月盆栽ではなく、その脇にそっと置かれている付録のような小さな盆栽の方に引きつけられていた。

Minibonn1_1 手の平にのるくらいに小さい付録の盆栽の方を無意識に見ている自分。

小さい皿のような盆の中に苔や野草、それに緑の小さい木などが植えられている。

それが、イキでかわいいのである。

わたしはこの小盆栽に<ミニボン>という名前を付けた。

小さいボンサイという意味である。

わたしの父も盆栽が好きだった。

仕事から帰ってくると庭の盆栽の手入れをしていた後姿を思い出す。

自作の有機肥料をやり、枝をきり(剪定)、枝の形を整える為に針金をかける。

毎日水をやる。Minibonn5

大変な手間と時間をかけていたのである。

幸い当時の庭は広く、盆栽の棚は3段くらいの大きな物であった。

お気に入りは曲がった松の木と藤の花。

特に見事に咲いた藤の花は父の心の<誇り>そのモノであった。

わたしは大学進学の為に田舎から東京へ出た。

庭のない狭いアパート。

忙しいだけの仕事。

帰りは深夜近く。

時々花屋さんの店先で盆栽を見た。

でも盆栽はいいなと思う事はあっても、それに手をつける環境も余裕もなかった。

ミニボンを見て思った。

わたしは従来の盆栽よりミニボンが好きだと。

これなら若い女の人にも出来る。

ミニボン自体が若々しく美しい。

盆栽の形式的な堅苦しさがなく、柔らかく自由である。

イキで可愛くて自由でモダン。Minibonn3_1

これなら自分も出来そうだ。

松の木は無理だが、野草は得意だ。

ハイキングに行った時に、これぞという野草を取ってくればいい。

藤の花はダメだが苔(こけ)くらいは大丈夫。

家の中は狭いがミニボンだと机の上にも置ける。

庭がなくても出来る。

それに手入れも比較的、簡単なようである。

日本の千年の伝統。

<盆栽>。

それを受け継いで新しく出てきた<ミニボン>。

熟年の人だけではなく、だれでも、どこでも、みんなができる小盆栽。

これは日本だけではなく、世界中の人々の間に広まっていくであろう。

日本生まれの<ミニボン>万歳!

 

 

2007-05-16

伊都の国

久しぶりに九州に行ってみたくなり博多に飛んだ。

勢いのある博多の町をあとにして、わたしは日本最古の国、伊都国に行った。Nonohana3

前原市、早良、周船寺、今宿の地域である。

そこへ行って思った。

日本中が車社会に転換してしまった。

駐車場つきの大店舗が新開地区に一斉に展開。 

伊都の田舎に行っても、車道が整備され、幹線道路沿いには、同じようなチェーン店がどこまでも続いている。

それにつれて、旧来の古い町並みのある場所には人の気配が薄れていく。

この10年、日本中が車に適応して大変化を遂げているのである。

村や町や隣近所の付き合いは薄れ、自家用車で都市に通勤する人たちの住む個人ベースの生活スタイルが一般的になってきた。

自動車があればドアツードアでどこへでも行ける。

自動車の中では個人は自由である。

この快適さを味わうと、もう車なしの生活は考えられない。

どこへ行くにも車、くるまである。

更にインターネットが個人の便利なメディア・ツールとして生活の中に浸透してきた。

パソコンがあれば一人の個人が世界中の情報をアクセスし、なおかつ情報を発信できる。

Web2を使えば、電子メール、カレンダー、アルバム、住所録、文書とか表計算までもインターネット上に置き、それらを管理できるようになっている。

全部タダである。

ネット空間では、個人はどこまでも自由であろうとする。

もう一つの個人ベースのツールは<携帯電話>である。

このごろは携帯電話でもインターネットができるのでパソコンと携帯は融合しつつある。

<車とネットと携帯>。

この3つが個人の力をどんどん拡大しているのである。

時代は急速に変化していく。

ストレスがたまる事もあるだろう。

そんな時には、うしろを振り返るのも良いのではないだろうか。

筑前・前原駅の真ん前に貸し自転車屋を見つけた。

一日500円。

自転車を借りて、前原から周船寺を目指して出発した。

幹線道路から少し外れて山際に入る。

Marukumayamakofunn <丸隈山古墳(まるくまやまこふん)>がある。

古墳にのぼり、あたりを見まわした。

谷あいに点々と古墳が続いている。

前に今津湾。

後ろに高祖山(たかすやま)

美しい豊かな自然。

瑞梅寺川(ずいばいじかわ)や雷山川(らいざんかわ)が開いた肥沃な平野。

これが伊都の国である。

今宿に入った。

すぐ左手に大きな緑の山が見える。

行ってみると山の入り口に鳥居があり、石段がはるか上の方まで続いている。

右側に立っている石柱を見てアッと驚いた。

<今山石斧遺跡>。Imayama8

<これがあの有名な今山の太形蛤刃石斧(ふとがたはまぐりはせきふ)を作ったところなのか>。

時は弥生時代。

今からおよそ2000年前である。

Imayamasekifu この今山の玄武岩で作られた磨製石斧は北九州一帯で売られ、木を切り倒し田畑を拓く為に使われたのである。

ここは言うなれば石斧の大量生産工場であった。

今山の石斧は、その後、大陸から入ってくる青銅とか鉄の道具におきかえられていく。

ちょうど、私たちの生活が今急速にネット社会に突入しているように今山の石器は急速に鉄の時代に追い抜かれていく。

どんどん石段を登っていく。

急な坂を上る。

途中、色々な形の玄武岩がゴロゴロころがっている。Imayamanogennbugann

頂上まで来た。

ここから見る今津湾の眺めはすばらしい。Imazuwann

白い砂浜の先に<生の松原(いきのまつばら)>も見える。

むかし、神功皇后が新羅に出発する時に松の枝を逆さに挿して、帰還を祈ったという生の松原である。

セブンイレブンで弁当を買って、砂浜へ降りて食べた。

Nokonoshima 目の前には<能古島(のこのしま)>が大きく横たわっている。

日本神話によると、イザナキとイザナミが青銅の矛(あめのぬぼこ)を混沌とした下界に突き刺し、コオロコオロとかき混ぜて引き上げると、矛の先から滴り落ちた塩が積もり重なって島になった。これがオノゴロ島である。

2神はオノゴロ島に降り立ち、そこに天御柱(あめのみはしら)を建て、島々や神々を生み出した。

日本神話の青銅の矛を持ったイザナキ・イザナミの国産み・神産みの舞台となる淤能碁呂島(おのごろじま)。

オノゴロ島は普通、架空の島と考えられている。

しかし能古島は大陸から来た人たちが伊都の地に上陸する前の前進基地として最適な場所ではないか。

オノゴロ島は実は能古島(のこのしま)ではないか。

わたしはこころの中でつぶやいていた。

2007-05-14

ノスタルジア

遠い昔、自分が住んでいたアパート。

もう一度あの場所に行ってみよう。Tree5

そういう気持ちになった事があるのではないだろうか。

わたしが学生だった頃のあの小さなアパート。

あれはどうなったのだろうか。

忙しい毎日の仕事に追われて、すっかり忘れていたあのアパート。

週末に電車に揺られて、久しぶりに東京へ出てみた。

新宿にある街の一角に足を運んだ。

地下の電車の駅を降りて地上に上がる。

しかし、そこが一体どこなのか分からない。

あたりがすっかり変わっているのである。

ウロウロしているうちに、どこかで見た事のあるタバコ屋さんがあった。

突然、自分がいる場所が分かった。

あの角を曲がって少し行ったところ。

そこにわたしが住んでいたアパートがあるのだ。

でもその場所に建っていたのは、ピカピカの新しい戸建の家屋であった。

木造のアパートの影も形も今はない。

そのあたりを歩きまわる。

毎日の買い物をした商店街。

そこには未だ活気がある。

アッと驚いた。

風呂上りに何時も立ち読みをしていた<古本屋さん>。

それがまだ残っていたのだ。

金の無い時には、ここで本を売って夕食代にした。

台に座っていたおじさんも本にハタキをかけている。

中をのぞくと台所ではあのおばさんが夕食のしたくか何かをしている。

わたしはいつしか時を忘れていた。

一瞬、学生の頃の自分がそこにいた。

アッという間に過ぎ去って行った<時>。



東京は不思議な街である。

新宿の中心街はドンドン変化していく。

最新のトレンドを追いかける。

新しい大きなビルが建っていく。

車や電車の道路が建設される。

しかし表通りを一歩はいると、もうそこには庶民の生活の空間が広がっている。

ゴチャゴチャした狭い商店街の姿。

Shoutenngai3 それは変わらない。

そこには車が入り込めない。

だから何時までも昔の姿が残されていく。

古本屋さんのおじさんが台所のおばさんに話しかけている。

<ネエ、あの前の本、あれ800円で売れると思うよ>。

古本屋さんのうしろ姿を見ながらわたしはおかしさをこらえた。

夕暮れ時の空は澄み渡り、心地よい風が吹いていた。

2007-05-06

丸い小石

丸い石を川原から拾ってきて楽しんでいる。

手の中に握りしめる。Maruiishi

ボールのように投げては手の中に落として遊ぶ。

たあいもない遊びである。

でも何故かこれが楽しい。

夕方、渡良瀬川に自転車で行く。

太陽がやや西に落ちていくころ。

川原にでる。

大きな広い川原。

Kawahara せせらぎの音だけがサラサラと聞こえる。

広い川原には上流から流されてきた小石が一面に広がっている。

流れてくる途中、石と石とがぶつかって石の表面の角が取れて丸みを帯びている。

大きな石はぶつかるときに小さく砕ける。

だから河の岸に打ち上げられた石は、ほとんどが握りこぶし位の大きさになっている。

その何万、何十万個の石の絨毯(じゅうたん)の上をゆっくり歩きながら、これぞと思う石をみつけて手に取る。Kawahara22

これは良い。

これはダメ。

そうやってもう5個も石をひろってカバンの中に入れた。

カバンが大分重くなってしまった。

どんな石が良いのか。

どんな石がダメなのか。

それは説明できない。

石を見た感じ。

パッと見た印象。

その石を手の中に握った、その瞬間の感触。

それがすべてを決めるのだ。

なぜその石を選んだかって?

それは不思議な直感としか言いようがない。

そばの葦(あし)の茂みから雉(きじ)のなき声がきこえた。

<ケンケン・・・・>。



何でもない川原の石。

それを手の中で握りしめる。

何となくこころが暖かさに満たされる。

不思議な石のちから。

2007-04-27

スケッチのすすめ

時々ふと子供の頃の図画の時間を思い出す時があるのではないだろうか。

写生の時間。Choujyuugiga_1 

図画用紙をもって、みんなで外へ飛び出して描いた風景画。

クレヨンの香り。

あの頃はノートの端っこにも鉛筆で色々な絵を描いた。

人工衛星。

自動車。

赤胴鈴之助。



お墓参りに田舎に帰った時、物置部屋でふと見つけた自分の子供の頃の絵日記。

なつかしい絵である。

あの頃の絵心はどこへ行ってしまったのだろう。

仕事に忙しい毎日。

絵心などの入る余裕はない?

そうだろうか。

あんなに好きだった図画の時間。

もう一度挑戦してみてはどうだろう。



もやもやした気持ちでいた時、本屋さんですばらしい本を見つけた。

● <絵を描きたいあなたへ>、
水沢まこと著。 講談社。

それから、もう一冊。

● <絵が描きたくてたまらない>、
水沢まこと著、講談社+α文庫。



むずかしいデッサンから入るのではなく、ペンで<線描き>から始めようと水沢さんは言う。

早速やってみた。

近くの文房具屋さんでB5サイズの水彩画用のスケッチブックを買った。

ペンはパイロットの<Hi-Tecpoint 5>。

おずおずと水沢さんの言う通りにやってみた。

出来た!

スイスイできるではないか。Kawabe3 

これには自分でもビックリした。

今まで水彩画を、あまりにも大げさに考え過ぎて、中々始める事が出来なかったのである。

まず線で輪郭を描く事から始める。

これは1つの革命である。

<絵は線画で気軽に始める>。

そうすると何となく出来てしまう。

それに後で色を塗るのは簡単。

絵心が生まれたらその時に即、ペンをとる。

これが肝心な事だと知った。



レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)は言ったという。

<ものにはいくら眺めても、輪郭線などは無い。何よりも陰影が大事だ>。

つまりヨーロッパの絵画は<線の否定>で始まったのである。



でも、レオナルド・ダ・ヴィンチさんには、勝手に言わせておこう。

我が、ミズサワ・マコトは言う。

<何よりもまず線で形を描く事だ>。

レオナルド・ダ・ヴィンチよりも300年も前に日本では天才的な線画家が既に出現しているのである。

絵巻物<鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)>(鳥獣戯画)を描いた達人画家である。

国宝。

作られたのは12-13世紀。

これが日本における絵画のルーツである。

もういい加減に西洋崇拝は止めようではないか。

自分たちのアイデンティティーに自信を持とう。

それを大切にしよう。

わたしは日本の絵巻物の伝統が大好きである。

これは日本のマンガとかアニメのルーツでもある。

何よりも自分で絵を描くことを楽しむ。

それが一番肝心なのだ。

それにしても、わたしが、もう少しうまく描けたら・・・・。

2007-04-25

運慶

ある晴れた日。

足利市の近郊にある行道山に登った。

かなり急な坂道が沢山ある。Mujyaku_1 

フウフウ言いながら登る。

木の枝を拾って杖にした。

それをつきながら登る。

ようやく道はなだらかな山の稜線に出た。

アッと驚いた。

Bishamonntenn 日光連山、赤城山、筑波山などの山々が連なる光景。

その美しさに心を打たれた。

石尊山の見晴らし台にて、山々を見ながらおにぎりを食べた。

一休みして山を下る。

20分くらい下り坂を歩く。

そうすると突然、森の中に巨大な杉の木が聳え立っている。

<ウワーすごい!>

わたしが見たその木は堂々としてまっすぐに立っていた。

30メートル以上はあるかと思われる。

それを見上げて、何か不思議な生命を感じた。

木は一種の神々しさを放っている。

ふとむこうを見ると寺堂がある。

大岩山最勝寺である。

境内を歩いた。

庭に樹齢600年を超える杉がある。

こちらの方は、雷や風雪に耐え抜いてやっと生き抜いてきたという姿をしている。

石段を降り、山門をくぐる。

ふと両側を見るとギョッとするくらいすざましい顔の仁王像が左右に立っている。

立札を見ると<運慶作>とある。

こんなところにあの<運慶>が作った仁王像があるのか。

そう思って驚いた。

家に帰って、<運慶>の事を調べてみた。

1148(又は1151)年生まれ。

1224年に逝去。

彼が生きた時代は日本の激動期であった。

藤原氏による摂政関白の時代は終わり、白河上皇により院政が始まる。

その下で武士が台頭する。

彼が20代を迎えた頃、京都では平清盛が武士として最初の太政大臣となった。

そして源平の合戦。

源頼朝が関東の武士を中心にした鎌倉幕府を開いた。

頼朝死後、実権は北条氏に移り、執権政治が始まった。

1203年、運慶は50代である。

運慶はその年に、父の弟子、快慶とともに東大寺南大門金剛力士(仁王)像をつくった。

これを見る人は、その仁王像の中に何を見るのだろう。

わたしはそれを<武士の時代の息吹>であると思う。

貴族の時代の終わりである。

日本の歴史を見ると、国の大変革はほとんどいつも外国の圧力によってなされている。

例えば、<大化の改新>や<壬申の乱>は、中国の大国、<唐>の外圧を背景に起きている。

その結果、奈良、平安の律令体制が出来上がり、紀記万葉を生んだ貴族社会が栄えるのである。

鎌倉幕府がつぶれて、乱世が始まったのも、中国の<元(蒙古)>の外圧が背景にある。

これが戦国時代へと続く。

織田信長の日本統一の背後には鉄砲の伝来に見るように、西欧のアジア進出がある。

その後、徳川の幕藩体制を終わらせたのはアメリカの黒船の到来であった。

日本の民主化はアメリカのGHQによるものであった。

それでも、日本の歴史をよく見ると、一つの例外がある。

日本が自分で自分を変革した時代があった。

それが貴族から<武士の時代>への変革である。

武士が東国に幕府をかまえ、京都の天皇を中心とする律令体制に対して自分達の作った法律、貞永式目を持って立ち上がった時代。

<運慶>が生きたのはそういう自己変革の時代である。

基本的に<武士>は京都より東の地域の、東国の農民である。

自分たちの手で山地や荒蕪地を開拓した農民であった。

土地を貪欲な代官や盗賊から守る為に彼らは自ら武装していた。

彼らの武力に目をつけて、それを利用しようとしたのが、院政を始めた上皇たちであった。

最初に平氏を、次に源氏を取り立て、自分たちの身辺警護とか、反乱鎮圧にこき使ったのである。

貴族の下で奴隷のように、こき使われた元開拓農民の侍(さむらい)達。

彼らがその底辺から這い上がって、権力を握るまでには長い厳しい試練の時代があった。

模範も、教科書もない苦しい変革期。

産みの苦しみに満ちた時代である。

そこには時代を担っていく者の持つ厳しさと現実主義 (リアリズム)があった。

それをはっきりと示している彫像がある。

同じく<運慶>の作った木造無著立像である。Mujyakuzou_1

日本彫刻史上、最高傑作と言われている。

運慶の作った無著像を、その300年後にイタリアで作られたミケランジェロのダビデ像とDavid22 並べて見てみよう。

2007-04-22

失われた母を求めて

ある時、両毛線の駅名を何とはなく見ていた。

両毛線というのは、栃木県小山市の小山駅から群馬県、前橋市の新前橋駅までを結ぶJR東日本の鉄道路線の名前である。

ある駅名が私の目を引いた。80238hana 

<岩宿>。

あの有名な岩宿?

いつか一度行ってみたいと思っていた岩宿。

それがこんな所にあるのか。

週末、意を決して両毛線に乗って、岩宿へ向かった。

足利から桐生(きりゅう)を通って行く。

足利、山前、小俣、桐生、岩宿。

とうとう岩宿駅に着いた。

田舎の小さな駅である。

戦争が終わって間もない1949年(昭和24年)の夏の事である。

その日、一人の青年が赤城山麓を自転車で納豆の行商を終わり、笠懸村の岩宿を通りかかった。

青年の名前は<相沢忠洋(あいざわただひろ)>。

彼の趣味は石器や土器などの収集である。

彼はいつものように岩宿の切りとおしの赤土の崖を熱心に調べていた。

そしてとうとう、その赤土の層の中にうずもれた黒曜石の石器を見つけたのである。

Sekkiiwajyuku_3 赤土の層には土器は見つからなかった。

<縄文時代>。

これは誰でも良く知っている。

日本列島の各地で縄目の模様がある土器が発見され、その土器が使われた時代を<縄文時代>と言っているのである。

日本列島はもともとは、大陸とは地続きであった。

今からおよそ1万2千年前に大陸から切り離される。

日本列島の誕生である。

それと同時に縄文土器の時代が始る。

それは紀元前3世紀までの1万年間続いた。

では縄文時代以前の土器のない時代 (無土器時代、先土器時代) には日本列島に人間はいたのだろうか。

縄文時代以前は別名、<氷河時代(更新世)>といわれている。

氷に覆われる<氷期>と、氷が解ける<間氷期>が相互に繰り返された時期である。

またこの時期には、富士山などが激しく噴火して火山灰が関東地方一帯に降り注ぎ、それが堆積して<赤土>の厚い層を作った。

縄文土器の一番古いものは、いつもこの赤土の一番上の層で発見された。

その下の赤土の中には土器も遺跡もない。

つまり<日本列島には縄文以前には人のいた痕跡はない>。

これが当時の考古学の常識であった。

だから考古学者にとって、土器のない赤土層を調べるなど馬鹿げた事だったのである。

結果としてその常識が覆される事はなかった。

相沢青年が発見した石器は長年の考古学の常識を破壊する爆弾のような効果を発揮した。

<日本の旧石器>誕生の瞬間である。

常識の壁が打ち破られた後は早かった。

今では日本の各地において5000箇所もの旧石器遺跡が発見されているのである。

いつの時代も、一度定着した学会の常識を覆すのは至難のわざである。

そしてそれを打ち破る人は、その道のプロではなく、強い情熱をもって問題に取り組む素人(アマチュア)であった点に注目したい。

80237green_4 相沢青年の岩宿旧石器発見はあるドイツ人を思い起こさせる。

ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが実在することを発掘によって証明したハインリッヒ・シュリーマン(1822-1890)である。

彼は相沢青年と同じ貧しい境遇からスタート。

どちらも少時より雑貨商のもとで働いた。

少年の頃の夢を忘れずに持ち続け、世間の常識に屈しなかった。

常人を逸した独学学習の努力の末に最後には、自分の夢を実現した。

それに2人とも自伝を書き残している。

シュリーマンの自伝は<古代への情熱-シュリーマン自伝>として角川文庫から出ている。

相沢忠洋の場合は<岩宿の発見-幻の旧石器を求めて>という自伝が講談社文庫の中にある。

わたしは<岩宿の発見-幻の旧石器を求めて>を読んでこころを打たれた。

最後に彼は書いている。

<私の歩みはいつも、
どこかに遺されたはずの祖先の
一家団らんの場を求めている>。

彼は離散した家庭に育った自分の孤独を、祖先の一家団らんの場を捜し求める事で癒してきたのである。

暖炉を囲んでいる父母と子供の一家団らんの姿。

それを彼は時間を越えた悠久な古代の人間の営みの中に見出そうとして来たのである。

注 :  相沢 忠洋(あいざわ ただひろ) (1926- 1989)

2007-01-14

橋のある風景

わたしは橋のある風景が好きである。

何故だろう。
Ashikaga7  
考えてみると何故か良く分からない。

でもそのこころの奥にある心理を探っていくうちに、次のような事に気がついた。

<橋>には夢があるのだ。

橋は元来、2つの領域、2つの世界を結ぶものである。

橋によって、人、物が相互に動く。

それにつれて物の考え方などの<文化>も交わるのである。

交叉が刺激を生み、新たな展開が生まれる。



久しぶりに旅をした。

栃木県の足利市。

町の真ん中を貫いて流れる清流。

渡良瀬川(わたらせがわ)。

その上にかかる渡良瀬橋と中橋をゆっくりと歩いた。

冬の風は冷たいが快晴のすがすがしい週末日和である。

豊かな水量をもって流れる水を上からじっと眺めた。

美しい川、まわりをぐるりと囲んでいる山々。

流れる雲。

日本は本当に美しい。

すばらしい国であるとつくづく思った。



ますます多くの外国の人々がこの日本の美しさを発見するだろう。

町を歩いても数人の外国人に出会った。

日本の美しさの再発見。

それはもう時間の問題である。

2006年の外国人の日本への入国者数は810万7684人。

前年比、8.8%増。

昨年よりおよそ66万人も増えている。

過去最高である。

当然である。



やさしい、豊かな自然にまもられた日本。

そこを一歩出ると、もう全くちがう世界が展開する。

ヨーロッパと比較すると、一番違うのは<太陽>である。

太陽の光線の強さが全く違う。

日本の太陽は強く、明るい。

ヨーロッパの太陽はそれに比べて弱々しい。

感覚的には日本の40%位である。

日照時間も日本に比べて大変短い。

ヨーロッパの人々はその暗い太陽に耐え続けてきた。

それ故にあの頑丈・堅固な石の建物を必要としたのである。

室内を暖かく快適に作る。

家屋と自然は厳しく対立している。

城のような家屋なしには彼らは生活する事は出来ないのである。

かれらはその堅固な室内であの堅固で合理的なヨーロッパの思想を作り上げたのである。

その象徴が一神教である。

一方、日本では住んでいるところはあまり立派ではない。

建物自体が周囲の自然に溶け込んでしまっている。Ashikagagakkou

外には明るい太陽があるから、それでも精神的に耐えられるのである。

日本はその豊かな自然をもって、多神教的な文化を代表している。



もう一つの大きな違い。

それは<水>である。

ヨーロッパの水はいわゆる硬水。

石灰質で普通そのままでは飲めない。

日本の水は軟水。

周囲の緑豊かな山々から流れ出る水が平野を潤している。

水は清らかで、そのままでも飲む事が出来る。



中橋の上から渡良瀬川のせせらぎの音を聞きながら、わたしは周囲の山々をじっと眺めていた。

2006-12-21

九州の意味

いつも思っていた。

日本の南の島をなぜ<九州>と言うのだろう。

大辞林という辞書で調べてみた。Kyuushuu2

そうすると、意外な事が書いてある。

*

<きゅうしゅう〔キウシウ〕【九州】

中国、夏(か)王朝の始祖

禹(う)が中国全土を

九つの地域に分けたもの。

<書経>禹貢によれば、

(えん)・冀(き)・

青(せい)・徐(じよ)・予(よ)・

荊(けい)・揚(よう)・雍(よう)・梁(りよう)>。

*

九州というのは、9つの国があるということではない。

九州とは、古代中国では、天子が直接治めるところを意味していた。

そこに天子がいた地という意味。

<中心>なのである。

九とは中国では最高の数字。

最高というのは天子の事である。

*

つまり<九州>という言葉は、Kagamiwithgoldhirabaruoubo2

今の言葉でいえば<全土>という意味なのだ。

この名前こそ、日本の最初の本格的な国が、

やはり<九州地方>にあった証拠なのだ。

当時<倭国>とよばれていた国は、

<大和地方>ではなく日本の南の島、

九州にあったのである。

*

(えん)は

En2_1

*

*

実は、この事は日本の歴史をさかのぼれば、自然に理解できる事なのである。

日本の都は、いつも<西>から、<東>へと移動して来た。

最初に九州。

次に奈良、京都。

それから鎌倉時代には鎌倉へ移動。

その後に江戸(東京)へ移っていった。

*

更に決定的な点がある。

大和朝廷自身によって作られた歴史書、<日本書紀>も(<古事記>においても)、日本の国が東へ移動したという点においては、それを認めているのである。

神武東征(じんむとうせい)の物語である。

*

神武東征自体が語っているものに目を向けてみよう。

これは、つまり、九州にあった

ある勢力が大和に移ってきて

大和朝廷を築いたという事を

伝えようとしたと見る事ができる。

その由来を神話的に

述べたものなのである。

*

2006-12-18

さざれ石の伝説

ドーハ・アジア大会が終わった。

あとは2008年の北京オリンピックを待つだけである。

オリンピック大会で日本勢が優勝した時、演奏される歌。

Menou2_1 それが日本の国歌、<君が世>である。

その中の一節。

いつもひっかかる箇所がある。

<さざれ- いしの.......>の一節である。

*

<さざれいし>。

そんな言葉は知らない。

何の事だろう ?

そう思って調べてみた。

*

さざれいし。

細石とも書く。

Sazareishi1_1 学名は<石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)>。

石灰岩は雨水に溶ける。

それが乳液状になり、大小さまざまな石を巻き込んで、集結。

そして、長い時間をかけて固まり、大きな岩になったもの。

それが<さざれ石>なのである。

*

さざれ石はおめでたい石であるとされている。

しかし、おめでたいと言われるからには、そのきっかけがあったのではないだろうか。

その<起源>(ルーツ)はどこにあるのだろう。

日本の一番古い<宮廷>は九州にあった。

だから<さざれ石>も九州に起源があるに違いない。

そう思って調べてみた。

*

Itokoku2 そしてそれがあったのである。

魏志倭人伝に出てくる一大卒のいる<伊都の国>。

その中心部分。

2つの川にはさまれた平野の真ん中。

川原川と端梅寺川にはさまれた平野の中央に<三雲>(みくも)という部落がある。

福岡県、前原市三雲。

三雲の南側に森がある。

そこにあるのが<細石神社>(さざれいしじんじゃ)。

神社のある、小字名は<鑓溝>(やりみぞ)という。

*

江戸時代の天明年間(1781-1788年)。

鑓溝という所から多数の副葬品とともに甕棺が発見されている。

銅鏡21面、巴形銅器3個、刀剣の類、鎧の板の様なものなどが出土。

出土した銅鏡はすべて中国製。

これらは弥生時代後期(約2000-1800年前)のものとされている。

豪華な副葬品から考えて伊都国王の墓であると考えられる。

*

では<細石神社>(さざれいしじんじゃ)は誰を祭っているのだろう。

祭神は<木花開耶姫>(このはなさくやひめ)と、その姉の磐長姫の二柱である。

<木花開耶姫>(このはなさくやひめ)はニニギノミコトの妃である。

つまり<木花開耶姫>は実はこの伊都の姫君だったのだろう。

*

さざれ石の由来を求めて、わたしは日本で一番古い国。

伊都の国というルーツにたどり着いた。

この国が<さざれ石>の<おめでたい伝説>の生まれた本当の故郷なのではないだろうか。

*

 

2006-12-17

蕎麦とヨーグルト

ある日突然、家内が倒れた。

その前日にレストランで食べた貝があたったみたいなのである。

Soba2 激しい嘔吐を繰り返し、歩けないし、立てない。

脱水症状が出て、頭も朦朧(もうろう)としている。

すぐ医者に来てもらい、診てもらい、薬ももらった。

お陰で、その後、彼女はゆっくりと回復した。

その回復途上の事。

まだ普通の食べ物は体がうけつけない。

しかし、麺類は食べた。

特に、わたしが気がついたのは、<かけ蕎麦(そば)>は喜んで食べた事である。

*

わたしは思った。

蕎麦(そば)は<体にやさしい>という事を。

そして蕎麦(そば)について調べてみた。

*

蕎麦が初めて文献上で確認出来るのは、1574年(天正2年)。

長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の古文書である。

建物修復完成に際して書かれた寄進物一覧の中に<振舞ソハキリ 金永>という一文が確認できる。

当時は蕎麦の事を<蕎麦切り>と言っていたのである。

*

蕎麦の作り方。

まず、ソバの実を乾燥させる。

石臼(いしうす)で挽いて粉にする。

水を加えて練り上げる。

普通、これを、<ソバを打つ>と言う。

打ち粉を木の台に移す。

麺棒を使って板状に延ばしてから、まな板に移す。

小間板(駒板)と呼ばれる定規を当てながら蕎麦切り包丁で幅1-2mm程度の線状に切断。

ゆで上げて麺の完成となる。

*

蕎麦粉100%のソバを生蕎麦(きそば)という。

しかし生蕎麦はゆでた時に切れやすいので、つなぎとして小麦粉やSoba3_1 山芋、ふのりなどを混ぜることが多い。

もっとも普通の食べ方は、冷やしたソバをつゆにつけながら食べる<盛りそば>と<ざるそば>。

または、軽くゆがいたそばを丼(どんぶり)に盛り、温かいつゆをいれた<かけそば(すそば)>である。

*

蕎麦は食べるときに音を立てることが許されている.

というよりむしろ<ソバの香り>を味わうためには<音を立てて食べる>のが一番良いとされている。

空気と一緒にすすりこみ、鼻孔から抜くようにして食べる。

ワインを味わうときのあの独特の仕草に通じるものがある。

ちなみにヨーロッパでは、レストランなど食べ物を食べる時に、<音を立てて食べる>のはタブーとされている。

時々、日本人の人が、ヨーロッパのレストランでスプーンでスープを音を立てて飲んでいるのを見かける。

あれは、その地では、実は<タブー>なのである。

子供たちは、それぞれの家庭で、<スープを音を立てず食べる>ようにしつけられて育つ。

やり方はスープをスプーンでまずすくう。

そのスプーンを口の中まで<深く入れる>。

そのあと口を閉じる。

スプーンを抜く。

こうすれば、音がしない。

それからヨーロッパでは一般的に皿とか器類はテーブルの上から取り上げる事はしない。

日本人は<味噌汁>をすするときに、器ごと手に取って口に当てる。

このような仕草はヨーロッパのマナーにはない。

食事のマナーに善悪はない。

その地の<シキタリ>があるだけなのである。

*

上記のように<蕎麦>は日本の伝統的な食べ物。

それも現地で作られる最高の<健康食品>といえるのではないだろうか。

蕎麦は体にやさしいのである。

*

体にやさしいと言えば、思い出す事がある。

スウェーデンを旅した時の事である。

ある朝のホテルでの朝食の場面。

朝食のビュフェーがあった。

いろいろな食べ物が、テーブルに一杯並んでいる。

よく見ていると、ほとんどの人がある場所に並んで待っている。

何を取っているのだろう。

それが<ヨーグルト>であった。

しかも大きな丸い入れ物に入っている。

それを各人がスプーンで深底の皿に入れている。

わたしも早速、並んでヨーグルトを試してみた。

日本ではイチゴなどの味付きのヨーグルトが多い。

しかしスウェーデンの人が主として食べるのは真っ白の<自然ヨーグルト>なのである。

その上に、コーンフレークなどをパラパラとかけて食べている。

わたしもそれを食べてみた。

砂糖なしで、そのまま食べる。

そうすると、草の香りが口一杯に広がって、あたかも広い草原の中にいるような爽快さを味わった。

わたしはその味にビックリした。

初めての味だったからである。

それ以来、ヨーグルトがヤミツキになり、今でも自然ヨーグルトをほとんど毎日食べている。

少しだけ砂糖をかけて......。

*

体にやさしい<蕎麦>やヨーグルトに感謝。

合掌。

*

2006-12-16

お金の秘密

わたしはいま一冊の本を読んでいる。

タイトルは<お金の心配をせずに
暮らしたい人のマネー管理帳>。

原題は<THE MONEY MYSTIQUE>(お金の秘密)。Okane2

カレン・シェリダン(Karen Sheridan)著。

彼女は普通の家庭の主婦であった。

ある時に目覚めて、お金の勉強を始めた。

そしてウォール街で活躍する金融のプロへと転身したのである。

*

わたしの過ごしてきた過去を振り返ってみよう。

やっと大学を出た。

そして会社に就職。

結婚。

子供が出来た。

馬車ウマのように毎日、懸命に働いた。

そして子供たちは巣立っていった。

気がつくと定年である。

その間、家庭とサイフと子供の教育は家内にまかせきり。

税金は会社で処理。

お金を節約して銀行に貯金するだけ。

ゼロ金利下ではお金は増えない。

更にわたしには、いろいろと<お金>について口にするのは<何かハシタナイ>という変な倫理観が付きまとっている。

そういうわけで、わたしは、<お金>を管理するノウハウがほとんどないままに、ズルズルと、ここまで来てしまった。

だから退職金が出ても、それをチャンと管理運用する事が出来ない。

挙句の果てに、詐欺まがいの人につけこまれたりする人もいる。

そして、ウマイ話に乗って、なけなしのお金をだまし取られてしまう。

今の世の中には、そういう人も結構多いのである。

*

それでも、わたしは、ノウハウを得るために勉強しようと決意。

金融、運用関連の本を探して読んだ。

でもイザ読んでみると難解な用語と持ちまわった説明でチンプンカンプン。

つまり、わたしの欲求。

<分りやすい言葉で、

ズバリその物を説明してくれる本>。

そういう本はほとんどないのである。

探し求めて行きついたのが、この本である。

<お金の心配をせずに暮らしたい人のマネー管理帳>はわたしの欲求にピッタリである。

*

女性向けに書かれたというこの本。

しかし良く見ると、書かれている内容は女性にも男性にも通用する普遍的なものである。

非常にやさしい言葉で明快に書かれている。

だから、誰でも、読めばスーっと理解できる。

大変すぐれた本である。

*

一般的に、この種のアメリカのノウハウの本は分りやすい。

なぜなのだろう。

それはアメリカという国には<歴史>がないからである。

アメリカが誕生したのは、実質的にはアメリカ合衆国憲法が制定された1789年のことである。

つまりアメリカはたかだか200年あまりの歴史しかないわけである。

それに加えて、アメリカは基本的に世界中の多くの国から海を越えてやって来た移民が作り上げた国である。

さまざまな国から来た移民の人たちに理解出来る最大公約数的な言葉。

シンプルで明快な言葉。

それがアメリカで出版される書籍には使われているのだ。

<米語>はいわゆるイギリスで使われている<英語>ではない。

微妙な意味やニュアンスをもって使われている<英語>(イギリス語)とはハッキリと区別されなくてはならない。

良く言えば米語は<シンプル、明快、実践的>。

英語は悪く言えば<ヨーロッパの長い歴史のひだひだを感じさせる微妙で複雑で難しい言葉>なのである。

特にこの性格が強く出てくるのは、いわゆる<ノウハウ物>である。

ここで取り上げる<THE MONEY MYSTIQUE>(お金の秘密、お金の心配をせずに暮らしたい人のマネー管理帳)もその系列に入る。

*

では本の中の一節。

<銀行預金がたくさんあれば

安心だと思っていませんか?

そう思っているとしたら、

それは間違いです。

安心感は、自分自身に対する

信頼から生まれるものです>。

*

 

2006-12-15

女性の反乱

世界の地下深く、秘密の地下水脈が流れている。

<女性>である。Merkel3_3   

今まで男の下で、料理や子育てにひっそりと生活して来た<女性たち>が反乱の火の手をあげているのだ。

今、<女性>がどんどん社会のあらゆる分野に進出している。

政治の分野でも、女性がトップに立とうとする<きざし>が見える。

*

イギリスで最初の女性首相が生まれたのは1979年。

当時、イギリス病で苦しんでいた英国経済を強い意志と行動で蘇生させたのは、<鉄の女>(Iron Lady)とよばれたサッチャー首相(マーガレット・ヒルダ・サッチャー(Baroness Margaret Hilda Thatcher))であった。

彼女の名言を1つ。

<もし誰かに言ってほしい事があれば、

男に頼みなさい。

でもやってほしい事があるときは

女に頼みなさい>。

*

ヨーロッパで、このサッチャーのあげた火の手に続いたのはドイツ。

ドイツでは2005年、旧東ドイツ出身のメルケルという女性がドイツ史上最初の連邦首相に就任した。

アンゲラ・メルケル(Angela Dorothea Merkel)。

ライプツィヒ大学で学んだ物理学博士である。

英国のサッチャーも同じく保守系で、科学者。

(サッチャーはオックスフォード大学で化学を学んだ)。

*

そして今、革命のふるさと、フランスでも。

今年の11月26日に開かれたフランス社会党臨時党大会で、大統領候補として、女性が選出された。

マダム、マリー・セゴレーヌ・ロワイヤル。

52才。

ENA(フランス国立行政学院)に学んだあと行政裁判所判事として活躍。

その後に政界に入った。

もし彼女が2007年のフランス大統領選に勝てば、ヨーロッパの中心国、英独仏において、1つのタブーが破られる事になる。

女性が政治のトップに座るというタブーである。

*

ヨーロッパだけではない。

太平洋を隔てた対岸のアメリカでも火の手が上がっている。

もとアメリカ大統領クリントンの奥さんとして<最強のファーストレディー>よばれていたヒラリー・クリントンが次期大統領をねらっているのである。

ヒラリー・ローダム・クリントン(Hillary Rodham Clinton)。

アメリカ初、弁護士のファーストレディー。

現在は民主党のニューヨーク州選出上院議員である。

*

このように、欧米では今、女性が反乱を起こしている。

では日本ではどうなのだろう。

中国の後漢の歴史書、<後漢書東夷伝>に次のようにある。

<桓霊間倭國大亂

更相攻伐歴年無主>。

桓帝・霊帝の治世の間(146-189年)。

倭国は大いに乱れた(倭国大乱)。

互いに攻め合い、何年も王がいない状態が続いていた。

そんな中、一人の女子が現れた。

名前を<卑弥呼>(ひみこ)と言う。

年長で、鬼道を用いてよく衆を惑わしていた。

*

今、世界を見ると、正に<世界大乱>である。

という事は世界は、二世紀末に生きた卑弥呼の時代を体験しているのではないだろうか。

最後にサッチャーの言葉を1つ。

<核兵器の無い世界ではなく、

戦争の無い世界を目指すべきなのです>。

*

 

2006-12-12

日本語の挑戦

<米事務受託大手アフィリエイテッド・コンピューター・サービシズのマーク・キング最高経営責任者(CEO)とウォーレン・エドワーズ最高財務責任者(CFO)は11月26日、ストックオプションに絡む不正疑惑で辞任した。>Japan5

これは12月12日の読売オンラインの経済欄の記事の一節である。

*

インターネットで新聞を読んでいる人はたくさんいると思う。

以上の日本語をもう一度、よく見てほしい。

記事をパッと見る。

まず一番初めに目に飛び込んでくる文字は<漢字>である。

漢字は象形文字、表意文字なので、ひとかたまりになっている。

<米事務受託大手、最高経営責任者、

最高財務責任者、絡、不正疑惑、辞任。>

このように、日本語は、漢字の塊(かたまり)だけを目で追いかけてみても、大体の文意がつかめるようになっている。

何故だろう。

それは日本で最初に文字として使われた言葉は<漢字>であったという事を意味しているのである。

最初の文字は日本では、もともとは全部<漢字>だったのである。

*

759年頃に成立したとされる日本最古の歌集<万葉集>。

万葉集は万葉仮名で書かれている。

万葉仮名というのは形としては漢字。

しかしその内容は日本語である。

例えば山上憶良が中国の唐という国に行った時に作った歌。

<万葉仮名文>

去來子等 早日本邊 

大伴乃 御津乃濱松 

待戀奴良武

(いざ子ども 早く日本へ 

大伴の 御津(みつ)の浜松 

待ち恋ひぬらむ(卷1-63))。

つまり漢字の意味(訓)と漢字の読み(音)を組み合わせて日本語を表記したものなのである。

<古事記>も<日本書紀>も同じ書きかたである。

ただ<古事記>は<呉音(呉というのは南方にあった中国の国の名前)>が使われている。

<日本書紀>の方は<漢音>が使われている。

*

のちに、この万葉仮名の草書体から<平仮名(ひらがな)>が作られる。

<仮名(かな)>というのは<表音文字>という意味である。

例えば<あいうえお>は<安以宇衣於>を早く崩して書く形から出来た。

<ひらがな>は純粋に日本語の<おと>(名)を表す<表音文字>である。

では、いつ頃、<平仮名(ひらがな)>が出来上がったのだろう。

それは大体、900年頃であると考えられている。

いまから1100年前に日本語のひらがなが漢字から生まれたという事。

*

カタカナはどこから来たのだろう。

それは次の例を見ると分る。

阿 → ア(阿の左側部分)
伊 → イ(伊の左側部分)
宇 → ウ(宇の上の部分)
江 → エ(江の右側部分)
於 → オ(於の左側部分)

つまりカタカナも漢字がもとになっているのだ。

ただ漢字の一部を切り取って使っているのである。

だからカタカナを漢字では、<片仮名(かたかな)>と書く。

つまり半端な形の<表音文字>。

出来たのは800年頃。

今から1200年前である。

カタカナは最初の読売オンラインの文章でも分るとおり、主に外国から来た外来語を表記するのに使われている。

<アフィリエイテッド・コンピューター

・サービシズ、マーク・キング、

ウォーレン・エドワーズ、

ストックオプション>。

カタカナだけを読んでも、なかなかピンと来ない。

*

次に日本語で使われているのは数字とアルファベットである。

数字は1234......。

アルファベットはABCDE.......。Nimainohappa2

特に近頃では、上記の読売オンラインの文章のごとく、<CEO>とか<CFO>等の外国語の原語が直接、日本語の中に組み入れられている例が増えている。

*

わずか数行の新聞の文章を基点にして、日本語に関しての考えをまとめてみると、次のような点があげられる。

● 古代日本語、日本祖語(倭人語)は、
   北九州および南朝鮮の人々
   の言語が、中国の長江流域の
   文化と言語との衝撃をうけて
   成立したとみられる。
      それは今から2300年頃である。
      倭人語を話していた人たちは、
      もちろん1万年にも及ぶ縄文人の
      伝統を継承した。
   (縄文時代以来の日本のこころ)。

● 日本語の表記には漢字、ひらがな、
   カタカナ、数字、アルファベット
   という5種類の文字の
   混合物を使う。

● 日本の文字はもともとは漢字。
   そこからひらがなとカタカナを
   自分で工夫して作り上げた。

● 日本語は今では、西欧のアルファベットも
   その中に組み入れつつある。

*

以上の事から、未来の日本の文化を作り上げる理想的な主体者の姿がおぼろげながら、予想できる。Ichimainohappa1

その主体者はまず、日本の<縄文以来の日本のこころ>を理解できなくてはならない。

更に、現在の日本語から出発して、漢字の文化を継承する事である。

漢文の素養がある事。

漢詩とか漢文の書籍を読む事が出来る。

出来れば現代の中国の文化も良く分る。

次に西欧の文化もカバーしている。

という事は欧米の言葉をマスターしている。

日本語のキャパというのは、こうやって見ると巨大なものがある。

日本の文化を1つの木に例えてみよう。

その木は、縄文以来の日本のこころに深く根を張っている。

もう1つの根は中国をはじめとするアジアに。

もう1つの根は欧米全体にわたって伸び、栄養を吸収している。

地上に出た全体の木の姿が日本の文化である。

これが日本語の姿。

*

日本語を見れば見るほど、そのキャパの大きさに驚くしかない。

入れ物の大きさ。

これは日本人に対する大きな<挑戦>である。

その器に未来の日本人は、どんな内容物を入れる事が出来るだろうか。

*

 

2006-12-09

エチオピアの女

わたしには忘れられない画像がある。

ある日テレビを見ていた。 Kashiopeaza2_2

エチオピアのどこかの村の風景が放映されている。

緑豊かな村である。

その村のはずれの川に向かって水をくみに行く黒い素肌の女。

その美しさ。

言い表しようのない美しさ。

アッという間に画像は消えた。

しかしその映像はまぶたに焼き付いて今も消えない。

*

その時に思った。

なるほど。

だからこんなにいろいろ、美女にまつわる伝説がエチオピアにあるのだ........と。

*

その第1番目。

<カシオペア>(Cassiopeia)。

Hokkyokusei5 北極星を探すときに見るW型の星座の名前。

実はこれはギリシア神話で語られている<古代エチオピアの女王>の名前なのである。

その物語は次のようなものである。

*

むかしむかしエチオピアに、カシオペアという女王様がいました。

王様の名前はケフェウス。

娘の名前はアンドロメダ。

カシオペアは美しい女でした。

自分でも、世界中に、自分より美しい女はいないと思っていました。

ある日、その自信がこうじて、つい、次のような言葉をはいてしまったのでした。

<わたしや娘のアンドロメダの美しさと

比べたら、エーゲ海のニンフ(妖精)たちの

美貌も、あせて見えるに決まってるわ>。

エーゲ海の妖精たちはこれを聞いて腹を立て、海神のポセイドンに泣きつきました。

ポセイドンもそれに怒って、青い海に大きな津波を起こし、国の田畑をメチャメチャに破壊してしまいました。

困ったケフェウス王とカシオペア女王は神殿に行き、祈ります。

そこに神託が下る。

<王女アンドロメダを海岸

に連れて行き、生け贄として

<化け物鯨>(これが後にくじら座になる)

に捧げなさい。>。

苦悩する王と女王。

でも神託には逆らえません。

海岸に縛り付けられた王女アンドロメダ。

そこを通りがかったのが、ペルセウスという勇者。

天馬ぺガススに乗って、アンドロメダを助け、鯨の怪物を退治する。

*Ethiopiamap5

エチオピアの美女伝説のその第2番目。

旧約聖書の中にある古代ユダヤの歴史書、列王記。

その中に<シバの女王>(Queen of Sheba)の物語がある。

ある時、今からおよそ2800年前の事。

エルサレムの知恵者として知られたソロモン王のもとに、遠方のシバ国から大勢の随員を伴った女王がやって来た。

そしてシバの女王はソロモン王に金、宝石、乳香、白檀などのを贈り物を捧げた。

<シバの国の女王マケダ>の美貌にソロモン王は一目ぼれ。

ソロモン王とマケダの間に生まれた子は、その後、エチオピア国の始祖・メネリク1世となった。

*

このような話をみてくると、エチオピアの女は美しいという伝説はエジプトやギリシャ世界では3000年も前から定説になっているようなのである。

その歴史的な伝統の上に、イタリアの作曲家ヴェルディのオペラ<アイーダ>の話が作られたのである。

古代エチオピアの<王女アイーダ>の物語。

エジプトのファラオのもとに奴隷女として囚われの身となっているエチオピアの王女アイーダ。

その彼女にひそかに思いを寄せるエジプトの若き将軍ラダメス。

アイーダもラダメスに心をときめかす。

奴隷女と将軍の恋。

そこに恋敵(こいがたき)が現れる。

エジプトの王女アムネリスもラダメスを慕(した)っていたのである...........。

*

ではこれらのエチオピア美女伝説はなぜ生まれたのだろう。

その理由は何なのだろう。

恐らくその背景として考えられるのは次の点である。

古代シリアも、エジプトも、ギリシャも、南方の国、エチオピアに産する<金>に対して強い関心を持っていたハズである。

つまり本当の美女とは<金塊>というわけである。

しかし、もしそうだとしたら、

わたしがあの日に見た

エチオピアの美女は

何者だったのだろう。

*

少子化について

日本の総人口はグラフを見ると、

2005年あたりが分水嶺。Jinnkouyosoku3

2005年、日本の人口は戦後初めて下降に転じた。

日本は今、少子化の真っ最中である。

どんどん人口が減って、2100年には、日本の総人口は3500万人になるといわれている。

*

なぜ日本の人口は減っているのだろう。

それに対して増田俊男さんがメルマガにおもしろい事を書いている。("少子化を簡単に改善できるチャンスが目の前にある!それは北朝鮮の核!?")。

<そもそも人間を含めて動物は

なぜ子供を生むのか。それは生物の

<生存本能>のためである。

つまり<少子化は人間(生物)本能の問題>

である。........先進国アメリカの人口が

最近3億人に達した。移民効果もあるが、

実際アメリカ人の出生率は上がっている。

...........生命に対するリスクが種の

生き残りのためより多くの生命を生む

のである。.........強盗・殺人・家庭内暴力は

アメリカ社会の日常茶飯事。

さらに9.11のようにアメリカ人の生命は

世界のテロリストの標的!先進国で

アメリカほど生命の危機に晒されている

国はないのである。

だから先進国でアメリカのみ、

人口が増加しているのである。

いまや少子化は安全で

幸せな国家の象徴である。

ところで、少子化が安全で

幸せな国家の象徴なら

なぜ不幸な国家を目指すのか。

幸せな小人口国家のビジョンが

あってもいいのでは>。

*

これはおもしろい見方である。

この見方を少し延長してみよう。

● 生命の危険、不自由、互助が強化される、家族のつながりが密接=>多産。

● 安全な国家、自由、独立、家族のつながりが希薄化、バラバラでも生活出来る=>少子化。

もう少し延長してみよう。

● 安全な社会、自由、独立、
  個人が強くなる。家族のつながりが
  バラバラになる。=>文明化=>少子化。

● 危険な社会、不自由、互助的な社会、
   家族のつながりが強くなる。
   =>非文明化=>多産。

だれもが普通に、ピストルをバッグに入れて持ち歩いている国が本当に文明国なのだろうか。

ほとんどの人はそうは思わないのではないだろうか。

*

とすると増田俊男さんの結論が正しい事になる。

<少子化が安全で幸せな国家の象徴なら

なぜ不幸な国家を目指すのか。

幸せな小人口国家の

ビジョンがあってもいいのでは>。

*

落ち着いた、個人が最高に花開く社会を目指すなら、

少子化と、コンパクトな社会は

良い事なのではないだろうか。

こども2人の家庭。

これがコンパクト・ファミリーである。

それとも、あなたはコンパクトな家庭より、大家族が良いと考えるのだろうか。

*

 

2006-12-08

しおりの作り方

色々な本を平行して読む人がいる。

そういう人はどんな<しおり>を使っているのだろうか。

Tsuta3 本を読んでいて、一番困るのは、自分でどこまでよんだのかを忘れてしまった場合である。

わたしは一時、読み終わった場所のページを折り曲げて<しおり>の代わりにしていた時期があった。

しかしこれを続けると、文庫版などは、本が最後には変な形になってしまう。

だからページを折り曲げるのは止めた。

*

Pin3_1 次に使ったのは写真にあるようなピンである。

しかしこれは使いにくい。

ピンを止めているところがふくらんで見栄えが良くない。

それに問題はピンをいつもどこかに置き忘れてしまうのである。

*

次にわたしが試みたのは、青い美しいヒモである。

贈答品を包装するきれいなヒモをデパートで見つけた。

ひと巻き、10メートル。Aoihimo10meter

これを適当な長さに切って、片面がノリになっているステッカーを半分に切って、写真にあるように青いヒモをノリの側につける。

それを本の最後のページにくっつける。

自作<しおり>の完成である。

これは大変実用的である。

本もいたまないし、見栄えも良い。

だいいち、本に固定されているので、置き忘れる事がないのが良い。Jiskushiori2

*

こうしてわたしは濫読用の<しおり>を得たのである。

*

 

 

2006-12-03

8世紀以前

わたしの知人、ドイツから来たマウスさんは大の親日家。

煎茶(せんちゃ)が大好きで、日本全国のいろいろなお茶をとりよせては自宅で味わっているというチョッと変わった趣味の持ち主である。Sekiba2

そのマウスさんとある日、喫茶店で会った。

<日本の歴史を見ると、

 8世紀以前は文字も

 文化もほとんどなく

 日本は野蛮な国だったのですね>。

恐らく彼は日本最古の歴史書<日本書紀>が720年に出来た事。

日本最古の歌集<万葉集>が759年に出来たという事を何かの本で読んで、わたしにこう問いかけたのである。

わたしは彼から、一種の<挑戦>を受けたのである。

*

わたしは言った。

<そうではありません。

マウスさん。

日本では、およそ10000年前から

縄文をつけた土器を中心とした

成熟した狩猟採取・畑作文明が

紀元前3世紀にいたるまで

8000年間も続いています。

*

その後の紀元前3世紀から

AD3世紀までの

およそ500年間は

弥生時代と言われています。

この時代は大陸や朝鮮から

米作りとか青銅や鉄が導入され

日本に広まった時代です。

*

しかし残念ながら、3世紀から8世紀までの

時代に関しては謎が多く、神話として

伝えられているのでハッキリした事が

分らないのです。

*

例えば<文字>。

日本では漢字が

日本書紀や万葉集が出来る

8世紀以前にも大いに使われていたのは

間違いないのです。

漢字で書かれた多くの書物がそれ以前に

あったハズなのです。

しかしそれは現存していません。

恐らく誰かが意識的にこれらの漢文書籍を

隠滅したのでしょう。

*

もう1つの例。

<仏教の伝来>。

これは公式には538年とも

552年ともいわれています。

しかしアジアの中国と朝鮮の歴史を良く見ると

それはありえない事が分ります。

アジア史全体から仏教の日本伝来の時期を

計算すると、380-420年頃になります。

この頃に当時<倭>といわれていた、

恐らく九州にあった国に仏教が

Sekijinn3 伝来しているのは、ほぼ間違いないでしょう。

しかしここでも日本書紀以前の書物が

隠滅されているのでハッキリとした証拠

が残っていないのです>。

*

マウスさんは、わたしの言う事を聞いてうなずいていた。

<そうだったのですか。

実はわたし達の国の場合、ゲルマン人が歴史に登場するのは、ローマ人のシーザーが紀元前58年-51年に書いた<ガリア戦記全8巻>が最初なのですよ。

これは8年間にわたるガリア遠征についてシーザー自身が書いたものです。

つまりローマ人がラテン語で書いた書物にゲルマン人が最初に登場するのです。

もう1つ、ゲルマン人について書かれた有名な書物があります。

タキトスというローマ人がAD97年頃書いた<ゲルマニア>という本です。

ゲルマニアがローマにとって大きな脅威である事を説いた本です。

彼が予言したように西ローマは476年にゲルマン人に滅ぼされています。

でも、ゲルマン人は腕っぷしは強かったのですが、文化的には非常に遅れていたんですね。

実を言うと、ドイツ最古の文献は、8世紀頃(750-780年)に書かれたアブロガンス(Abrogans)と呼ばれる、ラテン語とドイツ語の対訳表なんですよ。

一種の辞書ですね。

日本では、同じ頃に、日本人自身が自分で、自分達の言葉で、自分の歴史とか歌集を書物として残しているのですからすばらしい。

わたしは正直言ってビックリしているわけです>。

*

わたしはホッとした。

これで現時点での、

<日本の国の本当の姿>を

彼に伝える事ができたからである。

*

 

2006-12-02

ラマダン

家に帰ってきた。

だれもいない。

彼女はどこに行ったのだろう。 Irogami1

腹がへってたまらない。

冷蔵庫を開けてみる。

冷蔵庫の奥に<塩鮭>の食べ残りを見つけた。

急いでちっぽけな塩鮭を御飯に乗せてお茶漬けを作ってかきこむ。

そのおいしさ。

腹にしみる。

フゥと一息ついた。

*

これに似た体験をされた方もあるのではないだろうか。

空腹は最高のコックなのである。

腹が減って食べる物は何でも本当においしい。

<なにごとの

  おわしますかは

  しらねども

  かたじけなさに

  なみだこぼるる>

という西行法師の歌を

思い出すほどの感激である。

*

でもフト思う。

わたしは誰に感謝しているのだろう。

突然、知人のモハメッドの顔が浮ぶ。

モロッコ出身のモハメッド。

<断食>(ラマダン)だからとみんなが昼食に行く中でポツンと事務所に残っていた彼の姿が忘れられない。

*

<ラマダン>。

ラマダンとは一体何なのだろう。

断食?

断食に何の意味があるのだろう。

<ラマダン>というのは

イスラム太陰暦の<9月>の意味。

9月は神がクルアーン(コーラン)を示した月とされている。

それを記念して、13億人ともいわれる世界中のイスラム教徒は、ラマダンの、ひと月の間、断食をする。

具体的には、朝の日の出の時間の約1時間半くらい前から、夕方の礼拝の後まで、飲食(喫煙)をしない。

クルアーン(コーラン)には次のように書かれている。

<信仰する者よ、

 なんじらの以前の者に定めたように、

 なんじらに斎戒(断食)が定められた。

 おそらくはなんじらは

 主を畏(おそ)れるであろう。>

 (クルアーン第二章 雌牛 台一八三章)

*

ラマダンの断食には次のような意味があるといわれている。

● 欲望に無制限に従うより、
   それを自制する事を学ぶ。
● 同じく断食行をやっている
   10億人以上の人間に思いをはせる。
● 神に対する畏敬の念を高める。

イスラム教徒の間では、ラマダンが出来て初めて一人前として認められる。

*

ラマダンやイスラム教はさておき、

上記の断食から何か学べる事があるのではないだろうか。

*

わたしは次のような不思議な体験をした。

<夜出来るだけ早く寝る。

そうすると、あら不思議。

アラーム時計をかけて寝ても

あれだけ、朝時間通りに

起きれなかった自分が、

アラームなしに、

パッと4時に起きれるようになった。>

つまり体内時計の活性化である。

人工的に強制的に目を覚ます必要が一切なくなった。

そのお陰で、体が非常に楽になったのである。

*

これに似た断食の効果がある。

習慣として今までやって来た事を見直す。

出された物は全部食べるという癖を止める。

<自分が本当に、

  食べたい時に食べる。

 もう少し食べたいなと思う時に

 食べるのを止める>。

わたしの言う断食はこれである。

食べたくないのに食べる。

この場合は食べ物のおいしさを殺してしまう。

無理をして腹いっぱい食べる。

それは健康に良くない。

満腹の一歩手前で止める。

人間の体が本来持っている体内のリズム。

それに合わせて食べる。

*

黒マグロの値段が上がっている。

マグロを捕りすぎているのである。

世界中の人が寿司屋さんでマグロを食べ過ぎているのである。

マグロは捕獲されすぎている。

本来の人間の体の持っているリズムに戻る事で、マグロも生き残っていけるのではないだろうか。

チョッとした断食。

それはすばらしい。

*

 

2006-11-29

ほほえみの文化

ヨーロッパ旅行から日本に帰ってくる。

日本に着くとホッとする。

Hohoemi2_1 なぜだろう。

良く考えてみると、女の人の<ほほえみ>が関係している事に気がついた。

英国でもドイツでも、女の人は普通、笑わないのである。

アジア、特に日本に帰ってきて、ホッとするのは、日本の女性のほほえみを見た時なのである。

これで、ああ日本に帰ってきたと思う。

*

では何故、ヨーロッパでは女の人は笑わないのだろう。

もう一度思い出してみるとヨーロッパでは、女の人だけではなく、男の人も通常あまり笑わない。

笑いにも<文化>が関係しているのだ。

*

日本には江戸時代には士農工商という4つの身分があった。

一番上は武器(刀)を持っている武士(士)。

次は土地に固定された農業を営む、お百姓さん達(農)。

この2つが江戸時代のベースを形成した。

武士は給料として、米をもらった。

2万石とかいうのは、米の量を表している。

*

他の職人さん(工)とか、商人(商)はそれ以下の身分であった。

つまり日本は土地を基本にした農業重視の体制を長い間、採用してきたのである。

その為に土地を耕していない階級は、軽視されてきた。

そして、日本の都市は、城下町として、政治の中心の<城>のまわりに作られた。

日本の都市の主人公はいつも<武士>(武器を持った支配階級)であった。

*

それにもかかわらず日本には幾つかの商業都市が生まれた。

安土桃山時代(あづちももやまじだい、1573-1603)の<堺>などはその例である。

キリスト教の布教のために来日していたイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書<耶蘇会士日本通信>の中で次のように書いている。

<堺の町は甚だ広大にして

 大なる商人多数あり。

 この町はベニス市の如く

 執政官によりて治めらる>。

つまり当時の堺の町は、ヨーロッパで富強を誇っていたベニスと同じく、職人、商人の治める自治都市だったのである。もちろん自分達の町を守るために堺は武装していた。

残念な事に発展途上の堺の町は織田信長、豊臣秀吉らにつぶされた。

自由な自治都市の機能は解体されてしまったのである。

一言で言えば、日本ではこれが分水嶺になって、自分の町は自分で守るという、都市の市民は生まれなかったのである。

*

一方、ヨーロッパでは職人と商人が次々に都市を作り、支配階級から自治権を獲得して、自分達の手で自由に都市を運営していったのである。

都市の中心には厳重に守られた大きな<武器庫>があった。

緊急事態の時にはみんなその武器庫から武器を取って敵に向かったのである。

そして彼らは武器と富と外交を使って、支配階級から自分達の町を断固として守りぬいた。

これがヨーロッパと日本を微妙に分けている点である。

*

では何故、自治都市の発展と<笑い、ほほえみの文化>が関係があるのだろう。

商人というのは<利益とか計算>を中心に生きている。

しかし計算をし始めると、疑い深くなるのだ。

もっとアケスケに言うと商人の世界は<だましの世界>なのだ。

だまし、だまされる。

これが基本的なスタイルである。

だから、それを避けようとして<約束や契約や裁判>が発展するのである。

常にだまされる事を避ける。

それが成功への基本なのである。

普通の言葉では<損をしない>という事である。

これは<緊張>を強いられる生き方である。

だからヨーロッパの人は、理由がない限り、決して笑わないようになったのである。

<ほほえみながら、笑いながら近づいてくる>危険(リスク)。

それに対して本能的に身構えるのである。

*

もう1つの点は、ヨーロッパではキリスト教が生活のベースになっている。

そのキリスト教では、人間の本性は<悪>であると教えている。

だから罪を悔い改め、神の教えに従う必要があるとしているのである。

従って、他の人間に対しては、すぐには信用しない。

だから見ず知らずの人に対しては笑わないのである。

*

一方日本では、この反対である。

日本では商人や職人がトップではなかった。

だから他人に対しての<疑い、不信、緊張>を強いられなかったのである。

それに日本では神道も仏教も人間の本性は<善>であると教えている。

みそぎをして心も体も清浄になれば、そして修行して悟れば、<本来の善い本性>があらわれる。

これが日本教の教えである。

どんな人間ももともとは善人であるという確信。

こうして、日本では見ず知らずの人に対しても、初めからあけ広げにほほえむという文化が出来上がったのである。

*

ヨーロッパの町を歩いていると、時々、同じく日本から来た人々に出会う。

それは遠くからでもすぐに分る。

日本から来た人達は

いつも楽しそうに

ほほえんで、お互いに

笑いあっているからである。

*

しかし次のような諺(ことわざ)がある。

<郷にいれば郷に従え>。

だからヨーロッパ人と歓談する時は

特に笑う理由のない限り、

なるべく笑わないようにした方が良いのかもしれない。

*

 

2006-11-27

ロシアのルーツ

ロシアは広大な国である。

それだけに、つかみどころがない。Stnicolaipetersburg

広大すぎて、何が何かわからない。

ここではロシアの最古の町はどこか。

それをヒントとして

ロシアのルーツを見てみよう。

*

バルト海に面して、かつてのロシア帝国の首都、

サンクトペテルブルクがある。

Novgorod2 日本で言えば、さしずめ<大阪>(難波なにわ)であろう。

その南方に小さい湖がある。

イリメニ湖。

そこから流れ出る川がある。

ヴォルコフ川。

川に沿って1つの町がある。

<ノヴゴロド>(Novgorod)。

<ノヴゴロド>の意味は<新しい街>。

ロシア最古の都市。

人口はおよそ29万人。

ここは日本で言えば、奈良であろう。

ちなみに奈良の人口は約37万人。

*

サンクトペテルブルクの東にかなり大きい湖がある。

ラドガ湖。

ここから船でヴォルコフ川をさかのぼると、イリメニ湖に達する。

9世紀なかば、北方のスウェーデンにルス族というヴァイキングがいた。

首長の名前はリューリク。

彼はイリメニ湖一帯に住んでいたスラブ人を征服してノヴゴロドを中心にロシア最古の国家を作り上げた。

それが862年。

日本はそのころ、平安時代。

894年に日本は遣唐使を派遣するのをやめ、日本独自の国風文化を作り上げる。

そして<竹取物語>が出来る。

同時に藤原氏の専横も目立ってきた頃である。

*

当時のヨーロッパ世界の中心は東ローマ帝国である。

国教はギリシャ正教。Kiev5_1

首都はコンスタンティノープル。

いまのトルコの首都、イスタンブールである。

当然、ルス族は最大の市場コンスタンティノープルをめざして南下する。

Kiev3 リューリクの子、イーゴリの時代。

黒海に通じるドニエプル川の流域に進出。

ルス族のオレーグは882年、<キエフ大公国>を建設した。

黒海は日本で言えば<琵琶湖>。

<キエフ>の町が京都である。

(キエフは現在のウクライナの首都)。

*

地図をみるとわかる。

北から南のコンスタンティノープルをめざして進出するルス族。

彼らがその途上に作ったのが<ノヴゴロド公国>と<キエフ大公国>なのである。

*

では質問。

ロシアの現在の首都<モスクワ>は

日本で言えばどの町に当たるでしょう。

*

答えは<東京>。

*

 

 

2006-11-25

川の流れのように

どの分野にも一人の象徴的な人物がいる。

その人について語る事。

それはある種の忌避。Aoishikaku

*

なぜなら、その人について語る事は

同時に自分について語る事になる。

そういう人物がいる。

その人物への評価は

かえって鏡のように

評価しているその人自身を

映し出してしまうのである。

*

日本の歌謡曲の世界では

そういう人物の一人が<美空ひばり>である。

<昭和時代>を象徴する歌手。

彼女が歌った歌を歌う。

それはある種の冒険である。

というのはそれによって

自分の本当の姿が映し出されるからである。

美空ひばりが1988年(昭和63年)、その人生の最後に歌ったのが

次の歌である。

*

<川の流れのように>

知らず知らず 歩いてきた

細く長い この道

振り返れば 遥か遠く

故郷(ふるさと)が見える

でこぼこ道や 曲がりくねった道

地図さえない それもまた人生

ああ 川の流れのように ゆるやかに

いくつも 時代は過ぎて

ああ 川の流れのように とめどなく

空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

*

生きることは 旅すること

終わりのない この道

愛する人 そばに連れて

夢 探しながら

雨に降られて ぬかるんだ道でも

いつかは また 晴れる日が来るから

ああ 川の流れのように おだやかに

この身を まかせていたい

ああ 川の流れのように 移り行く

季節 雪どけを待ちながら

*

ああ 川の流れのように おだやかに

この身を まかせていたい

ああ 川の流れのように いつまでも

青いせせらぎを 聞きながら

( 秋元康作詞・見岳章作曲 )

日本人のこころの風景を歌った歌

といえるのではないだろうか。

*

1989年1月11日に出たシングル盤は累計150万枚の大ヒット。

そして美空ひばりは、その同じ年の6月24日に亡くなったのである。

享年52才。

*

 

2006-11-24

隠された世界

ニュースをみるとバカになる10の理由>というタイトルの本がある。

ジョン サマービル  C.John Sommerville著。

衝撃的な題名である。Hana1124

その目次を見てみよう。

● ニュースに出ていることは
   すべて現実だと思い込む 
● 毎日新しいことが起きていると
   信じ込む 
● ニュースをみれば事情通に
   なれると思い込む 
● 国家はニュースにあわせて
   運営されていると考える 
● 政治ショーを政治だと
   思い込む 
● ニュースで報じられたことが
   歴史だと信じる 
● 科学がつねに新発見を
   していると信じる 
● 世の中を数字だけで
   判断できると考える 
● ニュースをみれば道徳的に
   なれると信じる 
● ニュースを知的文化であると
   思い込む 
● ニュース中毒を治すために
   何が必要か

一言で言えば、この本が述べているのは以下の点である。

<情報社会ではわたし達は

 実は本当の世界から

 目をそらされる危険にさらされている。>

*

実を言うとわたしも一時、ニュース中毒の患者であった。

それも重症患者である。

新聞とか有名な雑誌を、とにかくたくさん買って読む。

それをよんでいる自分を何か偉い事のように錯覚していた。

そして、活字になっている物事をすぐに信じてしまうのである。

*

ところが転機が訪れた。

新聞とか雑誌を読む時間と金がなくなったのである。

どんな人間も一生に一度は<必死に戦う時>が来る。

わたしにも、その時がやって来た。

そして、毎日必死の戦いが続いた。

わたしは新聞も雑誌も読むのをやめた。

ゼロである。

そうすると全く新しい世界が目の前に広がってきた。

*

例えば会社の税理士が事務所に来た。

<いま経済は順調ですよ。

 GDPは....%の成長。

 企業は最高利益を更新中ですよ。

 御存知ないのですか。>

とバカにしたような顔で言う。

わたしは内心、思った。

このような幼児のようなメディアへの信頼。

そのような時代もわたしにはあった。

でもそれはもう終わったのだ。

なにか懐かしい遠いむかしの古き良き時代を思い出していた。

*

誰にでも1つや2つの秘密がある。

人間だけではない。

物事も同じなのである。

だから世間では<・・・の謎>とかいう題名の本が売れるのだ。

真実は何時も幾重にも折れ曲がっている。

2回、3回と折れ曲がっている。

それを正面の玄関の側から見ても

その奥行きは見えない。

つまり全体がつかめないのである。

*

1つの例をあげてみよう。

Rann1124 ギリシャのソクラテス。

ギリシャ哲学の巨匠と見られている。

しかし本当のソクラテスの姿は?

少年愛 (しょうねんあい,ドイツ語 Knabenliebe,英語 Pederasty,ギリシャ語 Παιδεραστια) の達人であった。

少年愛というのは、成人男性と思春期前後の少年のあいだの恋愛関係、性的関係である。

ソクラテスは<しびれエイ>という綽名(あだな)を持っていた。

どんな美少年もソクラテスの手にかかると口説き落とされたからである。

彼が、当時の美青年の代表とも言えたアルキビアデスをくどき落とした言葉(殺し文句)。

<人々は、君の肉体の美しさを賛美する。だがぼくは、君の外見の美しさではなく、君のたましい、つまり君自身の本質を愛しているのだ>。

もう1つの例。

同じくギリシャの哲人、プラトン。

この人は実は今の言葉で言えば<レスリングの選手>であった。

10代の頃、イストミア祭の格闘技大会では2度優勝している。

そこでオリンピック大会(オリンピアの祭典)にも出場した。

しかしここでは負け続けた。

つまりプラトンは青白い哲学者ではなかった。

屈強な体の丈夫な堂々たる体格を誇っていたのだ。

*

つまりわたし達が、いま考える風景とは全く違った世界がギリシャ哲学の周囲に広がっていたのである。

ソクラテスとかプラトンが本当に考えていた事は、現在広く流布されている抽象的な哲学とは、全く違うのである。

*

現代のメディアも、大学教授の講義も信じられないとすると。

何を手がかりにすれば良いのだろう。

わたしはそれは自分のいのちに響いてくるものであると思う。

もしわたしというものが世界それ自体から生まれたとすると

世界の全体の種がわたしの中にあるはずである。

その種に響いてくる音。

それに耳をすませる。

こころが動く。

こころが揺さぶられる。

その一瞬を大切にする事だと思う。

物事とか人間を知る道はこれしかないと思う。

それが基本である。

その基本から新聞とか雑誌を批判的に読む。

つまりそれらは仮の言葉であるという事を知りつつ読む。

裏から読む。

これが重要なのである。

*

1つの例。

新聞に美談が載っている。

わたしは美談の裏に悲劇も見たいと思う。

その反対も同じである。

なぜか。

それはわたし達の人生はどんな人も1点においては同じなのである。

良き事の裏には悪い事がある。

悪い事の裏には良い事があるのだ。

*

 

 

2006-11-20

耳をすましてごらん

耳をすましてごらん

轟音(ごうおん)とともに

刷られていくお札。

吹き上がる石油のしぶき。Orora2

倒れていくアマゾンの木。

*

ルソンのモンスーン。

三線の沖縄。

かすかに聞こえる清流の音。

母がつけるキムチ。

京劇の甲高い叫び。

*

耳をすましてごらん

疾駆する馬。

しょうしょうと吹く砂嵐。

コールセンターのキーボード。

町に響くアザーン。

嘆きの壁の祈り。

けたたましい象の声。

*

演説するプーチン。

ワインを試飲する紳士。

若い2人のささやき。

サンピエトロ広場の雑踏。

ピストンの音が響く

自動車工場。

*

耳をすましてごらん

満ち潮。

オーロラのゆらぎ。

*

 

2006-11-19

中東とインド

ユーラシア大陸の東と西に時を同じくして

秦・漢帝国とローマ帝国が生まれた。

それは紀元前3世紀のはじめである。Aoimosuku2

そして、その2つの帝国をつないだのが草原の道(ステップ・ロード)を馬に乗って疾駆する騎馬民族である事は先に述べた。

*

では砂漠地帯に点在するオアシスを貫いて走る<絹の道>(シルク・ロード)を抑えたのは誰だろう。

それは基本的には砂漠の民。

ソグド人とか、シリア人、イラン人などである。

砂漠の民の住む乾燥地帯は、一般に<中東>とよばれている。

ヨーロッパから東方に行く中間点。

だから<中東>である。

*

そのオアシスにも騎馬民族はいた。

しかし騎馬民族とオアシスの民は共生していたのである。

騎馬民族はその機動力と武力で貿易路の安全を図る。

オアシスの民は商売に励むというような協力関係が成立していた。

*

ここで一番重要な事は次の点である。

なぜ、中東と言われている地域に世界で一番古い文明が栄えたのか。

都市文明も、農耕文明も、文字も、金属精錬技術もメソポタミア、シリア、アナトリア等の中東地域で最初に生まれているのである。

それは中東の位置と関係している。

この地方は太古の昔から東西の市場を結んだ交易に従事してきた。

北方のロシア地方からインドに向かう商品の通り道でもある。

その為に<貿易・商売・交易>が栄えたのである。

東西南北に行き来する民族によって、新しい知識とか技術が運ばれ、この地方に拡散して交じり合った。

つまり知識や、ノウハウがこの地方に最初に集積・蓄積された。

もう1つの要素は金(かね)である。

利益の大きさである。

農業と交易の粗利益を比べてみよう。

秦・漢帝国もローマ帝国も基本は農業を主とする農業帝国であった。

交易や商売の粗利益は農業に比べて、ダントツに大きいのである。

その莫大な利益が集積・蓄積されたのが中東地方であった。

人、物、金、情報が中東に集積されて、最初の古代都市文明の花が開いたのである。

中東からみると東西南北には物と市場があった。

イスラム教を起こし、中東地域をまとめたマホメットの職業は<商人>である。

*

では中東という交易路の南にあるインドはどういう地域なのだろう。

インドは上記の中国やヨーロッパの市場から、遠く離れている。

中東の大交易路からも離れている。

世界の尾根、ヒマラヤ山脈が高い壁のようにインドの北方に聳え立って北からの接触を遮断しているからである。India1_1 

インドに侵入するには、アフガニスタンとパキスタンの国境にあるカイバル峠を越えなくてはならない。

むかしアレクサンダー大王も、カイバル峠を越えてインダス川地域に侵入した。

蒙古軍もカイバル峠を越えてインドになだれ込んだのである。

インドはそういう地理的な条件から見ると、同じように孤立しているエジプトに似ている。

エジプトは周囲を厚い砂漠地帯で囲まれた安全な地域であった。

その中央に豊かな水量を誇るナイル川が流れている。

エジプトに侵入するにはシリア地方の狭い海岸路を伝って来るしかない。

長い間、豊かで平和だったエジプト。

そのエジプトで原始キリスト教は育てられた。

*

エジプトと同じようにインドは長い間、<孤立した地域>であったと言えるであろう。

インダス川とガンジス川の肥沃で広大な平野に恵まれたインド。

そこにはゆっくりとした時間が流れていた。

そういう風土でこそ、あの深遠な仏教は生まれる事ができたのである。

*

 

記憶減退症に勝つ

突然それはやって来た。

顧客の会社名や、個人名、電話番号などが思い出せないのだ。

今まではスイスイと出来たのに.........。Sky3

それが度重なり、幾度かビジネスにも影響が出た。

ミスが重なった。

そこで考えた。

なぜこんなにミスが多くなったのだろう。

そしてハッと気がついた。

脳の記憶が消えうせているのだ。

脳の細胞が次々に死滅しているのだ。

*

わたしはある種のパニックにおちいってしまった。

どうして良いのか分らなかったからである。

でもいろいろと考えた末の結論は以下のようなものであった。

<私の脳の中で戦いが

 行われている。

 古い記憶の消失と、

 新しい記憶の誕生という

 2つの力が戦っている。

 脳の細胞が死滅するスピードと

 新しい脳の細胞の生成のスピード。

 そのどちらが早いかの競争だ。

 早急に脳の活性化が必要だ。>

*

そこでわたしは考えた。

どうすればこの戦いに勝てるか。

● 毎日の読書量を今の3倍以上に増やす。
● 毎日、日記を書く。
  その書く量を出来るだけ増やす。
● エクセルの教材を毎日1ページ以上やる。
● 毎日、自宅から会社までの距離を歩く。

*

はじめの読書量を3倍以上にするという点。

わたしが始めたのは、小さい携帯用の皮製のバッグを買った。

何時も肩にかけて持ち歩けるくらいのサイズである。

その中に常時、本を3冊以上入れておく。

常にこのバッグは身から離さない。

ミーティングの時も、昼食の時もそれを持ち歩く。

そしてチョッとでも空き時間が生じたらそれらの本を選んで取り出して読む。

トイレの中でもこれを実行した。

寝る前に必ず本を出来るだけ読む。

いつの間にか寝ているようにした。

つまりわたしの脳の中に大量の日本語がいつも入力され、流れるようにしたのである。

*

次にやったのは出力サイド。

今度は日本語で出力するという点。

脳を活性化する場合、受身で読むだけでは弱い。

自分で積極的に日本語を使わなくてはならない。

出力のために活用したのは<日記>である。

わたしの場合には、線なしの、白地の大学ノートとノート型のコンピューターの2つで日記を書いた。その時の気分でノートかコンピューターかを選び日記を書いた。

そこにおよそ考えられるだけのメモ、文章、フローチャートを書き込んだ。

量は多ければ多いほど良い。

通常の3倍の量をめざす。

時には白地のノートにスケッチもした。

それから新聞の切り抜きもノートの上に貼り付けた。

読書したあとの感想もそこに書き付けた。

*

次にやったのはエクセルの練習である。

これは記憶力減退症に対しては

腹痛の時の正露丸みたいな効果がある。

特にビジネスをやっている人には抜群の効果がある。

現代を生き抜くには<合理性>が欠かせない。

合理性とはつまりすべての事を数字で考える癖の事である。

しかし言うは易く、実践は難い。

それをやるには<道具>が必要。

エクセルがその<道具>なのだ。

やり方は1つ。

エクセルの教材を買ってきて、それを毎日1ページ以上やる。

そこに書いてある通り、自分のコンピューターにデータを打ち込んで、結果が本当にそうなるのかを確かめる。

やった結果は名前をつけてハードディスクにSaveする。

例えば日付コードを使い、20061119-Excelの様な名前のファイルとしてSaveして行くのである。

これを毎日やる。

これは一種の遊びである。

しかし<遊び>が<道具作り>には一番適しているのだ。

肝心な点は毎日欠かずに続ける事である。

長くこれを続けているとエクセルはジワジワと生活の中で、道具としての力を発揮し始める。

例えば、電話で顧客と話している。

価格の交渉である。

こちらの側では、アッと言う間にエクセルで、すでにすべての数字が画面に出ている。

それを見ながら余裕タップリの話が出来るようになっているから不思議である。

*

最後に歩く事。

幸いわたしの場合、会社が歩いて30分のところにあった。

それを少し足早に歩いて行く事にした。

帰りも歩きである。

毎日これを続ける。

歩くというのは一番健康に良い。

運動が健康を増進するという人がいる。

しかし一歩踏み込んで、本当にそうか確かめてみると、運動を長期にわたってやってきた人には逆に身体障害に悩んでいる人が多い。

膝を痛めた人。

骨折を直したがその部分が傷むという人。

いまのスポーツは過酷である。

記録を上げる。

そこだけに集中するので、結果として体のある部分が酷使されすぎるのである。

歩くのに記録はいらない。

どんどん歩くだけなのである。

しかも歩くと頭脳も活性化する。

福田和也という文筆家は次のように言っている。

<歩くことの、発想にかかわる効用は、

  先人たちも賞揚しています。

  西田幾多郎は早足で歩きながら、

  その哲学をまとめたといいますし、

  小林秀雄も、同様のことを言っています。>

*

3倍読書。

3倍日記。

エクセルの遊び。

歩く事。

以上の事を毎日続けた。

そして、わたしの記憶障害はいつの間にか消えていたのである。

*

 

2006-11-18

草原の道

学校で学んだ<世界史>。

いろいろな地域と国と事件と年代が交錯。

Kibayuubokuminn その間の関連がつかめない。

最後には、自分でも何が何だか分らなくなる。

テストのために覚えたさまざまな民族名。

世界史とはいうものの、

ハッキリとした、

1つの全体のイメージが描けないのだ。

*

学校で学んだ時から何十年もの年月が過ぎた。

では今の時点ではどうなのか。

今は、世界の歴史の全体像が描けるのか。

*

それをやる為の1つのヒントがある。

秦が中国を統一したのが紀元前221年。

ローマがイタリア半島を統一して、

カルタゴを滅ぼし地中海地域を

制覇したのが紀元前202年。

つまりほとんど同じ時期に

ユーラシア大陸という大きな陸のかたまりの

東と西に大きな帝国が生まれているのだ。

言葉を変えて言えば、

巨大な人口を持つ消費市場が

ユーラシア大陸の東端と西端に

ほとんど同じ時期に開かれたのである。

そしてその2つの巨大市場を結んだのがSougennnomichi

<絹の道(シルク・ロード)>、

そして<草原の道(ステップ・ロード)>なのである。

*

上に述べた事をもう一度、頭に描いてみよう。

今から約2200年前、2つの大きな池が出来た。

1つの池の名前が<秦・漢帝国>。

もう1つの池の名前が<ローマ帝国>である。

その2つの池を結ぶ水路も生まれた。

2つの池を結ぶ水路には

多くの船が行きかい、

人と商品が行き来した。

その水路の名前が<絹の道、草原の道>である。

*

ギリシャのヘロドトスは<ヒストリアイ>(紀元前5世紀)の中で草原の道について書いている。Steproad3

草原の道(ステップロード)は、モンゴル高原から出て、天山山脈北側の草原を通り、黒海北岸に至る道である。

この道は大変重要である。

というのは上記のたとえ話の2つの池を行き来した<船>は、実際には<馬>なのである。

その馬に乗っていた人が<騎馬民族>。

さえぎるもののない草原は当時、最高の高速道路。

その上を走るのが、当時最高のスピードを誇る<馬>。

武器は馬の上から射る強力な弓。

これが当時、最強の武器であった。

*

岡田英弘という歴史家は<世界史の誕生>という著書の中で大要次のように述べている。

<モンゴル帝国の出現で

ヨーロッパと中国とがつながり、

それによって、世界史が始まった>。

*

この物の見方をもう少し広げてみよう。

<絹の道、草原の道>は上に見たように、秦・漢、ローマ時代から、いやヘロドトスの時代(紀元前5世紀)からあったのである。

大洋を船で航海出来るようになる以前の時代の一番の高速道路は、草原の道であった事を思い起こそう。

<スキタイ民族、フン族、突厥などのトルコ民族>などの多くの民族が草原の道を通って東西を行き来している。

1つの例として、フン族の移動がある。

フン族は、昔の中国北方にいた匈奴が草原の道を通って、西に移動したものだとも言われている。

フン族に押されて、ゲルマン民族の移動が始まった。

476年、西ローマ帝国はそのゲルマン民族に滅ぼされる。

この例でも分るように騎馬民族、草原の道は新しい世界史への突破口なのである。

*

今までのヨーロッパ中心の、捻じ曲げられた世界史はもうたくさん。

そのような偏った独りよがりの歴史はもう捨てるべき時が来ている。

今度はもうそろそろ、東西世界を統合した

新しい世界史が書かれなくてはならない。

*

 

2006-11-17

もみじ

黄色いもみじ。

Momiji1117dd*

*

*

赤いもみじ。

Momiji1117cc

日本の外交革命

戦後60年。

日本はいま大きな曲がり角に来ている。

Earth3 中でも一番の問題は日本の外交である。

これはある意味で革命的な変化を必要としている。

北朝鮮はこのほど日本に対して、次のような意味のコメントをしている。

<日本こそ6カ国協議に

出てこない方が良い。日本は

アメリカの家来でしかなく、

外交能力も低いので、会議

に出てくる意味がない>。

よくもこれだけヌケヌケと歯に衣をきせずに言ったものだ。

*

1つだけハッキリしている事がある。

今のお役所外交は、時代に合致していない。

そして総じて、日本は権謀渦巻く外交が<苦手>だという点である。

しかし苦手だからといってそれを放置する事はできない。

外交は日本の安全の為に大変重要であるからである。

外交で勝つ。

それはこれからますます重要になる。

ではどうしたら良いのか。

● 日本に<シンクタンク>を作り
   外交に役立てる。
● 自前の諜報機能
   を持つ組織を作る。

情報と権謀に長けた人を集めて上記のところに結集する。

最低限それだけはやる必要がある。

そして日本の国益と安全に一番適う方向に

周囲を動かして行く事である。

今までのように外交もアメリカに丸投げ。

これはもう出来ないのである。Iroduitakigi1

*

お隣の韓国でさえKCIA(韓国中央情報部)

という立派な諜報組織を持っている。

ドイツにはBNDという国の諜報機関がある。

*

ちょっと考えてみよう。

<功名が辻>の中で、もし、六平太という忍びの者がいなかったら........。

はたして、一豊と千代は生き延びる事ができたであろうか。

*

実をいうとアメリカでもヨーロッパでも日本の<Ninjya>は有名なのである。

欧米のマンガとかテレビに日本の忍者が出てくる。

だから<Ninjya>というだけで誰でもパッと分るのである。

日本はそういう意味ですでに今でも国際的に忍者の国として有名なのである。

*Shirakaba3

むかしから戦いに勝つやり方は1つしかない。

<敵を知り、己を知らば、

   百戦危うからず。>

*

*

 

 

2006-11-16

小さな画像展

だんだん寒くなって来た。

木々が色づき

うつくしい。Fuyu1115cc

*

*

夕日に

きらきらと

輝く

木の葉。

それを

じっと見ていると

冬眠の季節

という感じ。

Fuyu1115 *

*Littlelion1_2

子供のライオンは

いま、すやすやと

眠っている。

*

*

*
*

*

Tanabikukumo3

朝の

たなびく雲。

*

*

*

2006-11-15

歴史のない風景

わたし達は今日、多くの情報に

取り巻かれて生活をしている。

テレビの海外ニュースでは、Mado7

行った事もない砂漠の国の

出来事について報道している。

これらの映像は、実際に起きた

事件の映像なのである。

しかし何故、これらの事件が起きたのか。

その背景にある歴史。

原因、結果のつながり。

だれが、何のためにやっているのか。

それが見えない。

ただパッパッと簡単な説明とともに

映像だけが画面におどっているのだ。

そのうちにそれらの映像は

日常生活の町並みのように

当たり前になっていく。

脈絡のない画像が生活全体に広がる。

どうすれば全体の脈絡が

見えるようになるのか。

画像の背景の全体が見たい。

すりガラスを通して見た

ぼんやりした風景ではなく、鮮明な

歴史のある風景が見たい。

そう思う。

そして、ある日、

その砂漠の中に日の丸の旗が立っている。

*

2006-11-13

英国と日本

現在、日本は中国というやっかいな

隣人との付きあいにとまどっている。

Eikokunohata1 *

ちょうどイギリスが大陸の

やっかいな隣人EU(ヨーロッパ連合)

との付きあいにとまどっているように。

*

2006-11-12

動物壁画

いつかどこかで、ラスコーとかアルタミラの洞窟壁画の写真を御覧になったことがあるのではないだろうか。

フランス西南部にあるラスコー洞窟。Doubutsuchauvet1

アルタミラ洞窟はスペインの北部にある。

洞窟の天井及び壁にたくさんの壁画が描かれているのだ。

*

*

*

その数は数百点にものぼる。Doukutsumap

多くが動物の絵である。

馬、山羊(やぎ)、羊、野牛、鹿、かもしか、イノシシ、トナカイ。

その他、幾何学模様、手がた、人間の顔を描いた線描画などもある。

*

一体、これらの壁画はいつ頃に描かれたのだろうか。

ざっと15000年前。

気の遠くなるような昔である。

Doubutsuarutamira1_1旧石器時代の後期。

描いたのはクロマニョン人とよばれている。

彼らはわたし達と同じホモ・サピエンス(Homo sapiens)の仲間。

とても精巧な石器や骨器を作り、死んだ人も、ていねいに葬っている。

農耕を知らず、狩猟採取生活をしていた。

*

壁画の動物をじっと見ていると、不思議な感じにつつまれる。Doubutsuhekiga2

暗い洞窟の中で、これだけの数の絵を、天井とか壁面に顔料で描くのは、たやすい事ではなかったであろう。

なぜこれらの壁画が描かれたのだろう。

どういう目的で。

わたし達は、ここで、彼らがまだ文字を持っていなかった事を思い出さなくてはならない。

文字に代わるもの。

Doubutsuhekiga3 それが壁画だったのではないだろうか。

遠近法を駆使したその優雅な動物の絵に、鋭い知性と、あふれるような表現意欲を感じる。

では何故、動物を描いたのだろう。

*

アメリカの詩人、ホイットマンの詩<草の根>の一節。

*

<動物とともに生活できたらいいなと思う。

彼らは落ち着いていて無口だ。

長い間、立ったまま私は彼らに見とれてしまう。

彼らは、自分たちの境遇について、悩んだり、

泣きごとを言ったりはしない。

彼らには、暗闇で眠れぬ夜はなく、

罪に涙することもない。

彼らには、神への務めを討論して、

私をうんざりさせることもない。

誰も不満に思うことなく、

誰も物欲に狂ったりはしない。

誰も他のものや、

何千年も前に生きていた同族のものを

たてまつることはしない。

誰もこの地球上で

格好をつけたりするものはなく、

また不幸なものもいない>。

*

彼らは洞窟の中の空間を

<聖なる空間>に作り変えたのである。Doubutsuhekiga1_2 

それも動物の絵で。

動物は彼らを養ってきた大地であった。

それはちょうどわたし達が、里山の稲穂を見るような感じだったのかもしれない。

それを見る事は自分の生命を見る喜びだったのである。

つまり洞窟壁画は

彼らの<生命の讃歌>なのだ。

だから、壁画を見る人に

これだけの生き生きとした躍動感を

与える事が出来るのである。

*

ふと、子供の時にした<隠れ家ごっこ>を思い出す。

竹とか木の枝で作った隠れ家。

人一人入れるような、狭い空間。

それはまだ文字を使えない子供が

ホッとする聖なる空間なのだ。

そこはだれもが自由に入れない

秘密の空間なのである。

*

ラスコー洞窟の入り口の近くに星を表す点の並びが発見された。

<プレヤデス星団(すばる)>である。

それも牛の絵の肩のすぐ上の部分である。

*

太古の人々は

昼間の平原の、躍動する動物の姿と

夜の天空の、またたく星に

聖なる

つまり

永遠な、変わらぬ世界を見ていたのである。

*

2006-11-11

家族って何だろう

子供を育て終わった家庭が増えている。

子供が出て行った家。

ある種のぬけがら。

Leaf1111_1 気がつくと、それは今までとは全く違う世界だ。

ふと考える。

わたしは何故、今まで、こんなに馬車ウマみたいにして働いてきたのだろう.....。

答えは<家族のために>?

では家族はいまどこにあるのだろう。

わたし自身の生活はどこにあるのだろう。

妻と2人きりになった家庭。

わたしと妻の関係。

それは一体何だったのだろう。

疑問は疑問をよぶ。

そして次の疑問に突き当たるのである。

<いったい、家族って何だろう。>

*

アメリカの心理学カウンセラーに次の人がいる。

ウェイン・ダイアー博士。

彼は<自分のための人生>(Your Erroneous Zones)という著書で一躍有名になった人である。

ダイアー博士の略歴を調べてみた。

彼は1940年、アメリカ、ミシガン州のデトロイト市で生まれた。

しかし、彼の父親はアル中で家族を捨てた。

だからウェイン・ダイアーは孤児院とか里親の下で育てられたのである。

1958年、海軍に入隊。

1962年、海軍をやめ、デトロイト市のウェイン大学に入学。

1970年、Ed.D.(Doctor of Education)資格を得る。

Ed.Dはアメリカにおける教育系大学院で授与される職業学位である。

彼はその後、ニューヨークの聖ジョン大学で助教授として働いていた。

*

彼は1990年に<Pulling your own strings(自分のたづなをはなさない)>という本を書いている。

日本語の題名は<頭のいい人はシンプルに生きる>。

その中で大要次のように述べている。

Curtain1111 "家族というのは社会の礎石で、価値観とか生活態度を教える基本集団である。しかし、同時に敵意、不安、抑圧を感じる場でもある。......精神病院で患者と話してみるとその事が良く分る。彼らはみな、隣人、雇い主、教師、友人との問題で精神の平安を乱されて入院しているわけではない。他ならぬ家族との間に問題があったためなのである。"

*

戦後2世代、60年が過ぎた。

Happa1111_2  この間、日本の家族は大きく変わった。

● 核家族化。
● 単身赴任の増加。
● 結婚しない女性の増加。
● 夫婦の共働きの増加。
● 家庭のアウトソーシング化。
  つまり保育園、、野球、サッカー、水泳などのスポーツクラブ、学習塾の増加。
  学校にすべてを押し付けるやり方。
● 擬似家族、ペットの増加。
● 子供を作らない夫婦の増加。
● 少子化傾向。
● 年老いた親の扶養問題。高齢者看護問題。
● 児童虐待。家庭におけるイジメと虐待。

つまり今の日本の家庭はある種の大きな革命的な変化の中にあるのではないかと思う。

それは日本の<個人主義>の問題と密接なつながりがある。

日本の社会は本来、強い共同体の社会であった。

村とか家庭がその基盤だった。

お互いに助け合う、こころづかいや、思いやりに満ちた社会。

その互助的共同体の体質がいま大きく変化しているのだ。

共同体の代わりに主役として登場しているのが<個人>である。

理想的な形は<独立した個人>がお互いの責任でチームを形成する社会なのかも知れない。

契約社会とかネット社会とかは、その方向にある。

しかし日本の次の時代の家族は、本当に契約とかネットワーク型になるのだろうか。

*

あるブロッグにおもしろい記述があった。

"<自分のための人生>、ウェイン・ダイアーを

愛読書にしていて自己中心的だと妻に責められた。"

というのである。

わたしも同じような体験をした。

*

それから次のような点がわかる。

日本の女性はまだ、

ウェイン・ダイアー博士の言う

<個人の自由>を

男が求める程度には

求めていないのである。

*

この頃北海道で竜巻が起きた。

それと同じで

日本の家庭はいま

前線が交じり合う、

まだら模様。

だから、そこここに

竜巻が起きているのである。

*

2006-11-10

罪と罰

人間の歴史を見ると、1つ明らかな事がある。

国のリーダー達が、正義の旗を掲げて、

お互いに殺しあっているのである。Hata5

しかも延々と5000年間も。

*

これだけは5000年前と同じ。

普通の人が人を殺したら、

立派な法律で罰せられ、

シベリア行きか、

無期懲役、絞首刑になってしまう。

でも国と国の間、

民族と民族の間では、

殺し合いは普通。

数千人もの人を殺した

リーダーは処罰もされない。

*

人間は進歩する。

もう充分殺しあったではないか。

そろそろ、少しは利口になろう。

*

2006-11-09

熊の出没

熊が山里に出てきて、

人を襲い、

今年に入って死者5人。Kuma5

怪我をした人は140人以上

にも上っている。

原因は森と山里の間にあった

開けた農地が

過疎化によって荒れ、

森と山里の中間にあった境界線地帯が

なくなっているという点が挙げられている。

*

もう一度、境界線をはっきりさせて

人と動物が共生できる環境を

作ろう。

*

2006-11-08

冬が来た

冬がやって来た。

どうやって楽しく 、冬とつきあおうか。

Leaf_on_the_dish

*

*

*

 

2006-11-06

琵琶湖

琵琶湖。

日本の歴史の

Higannbana_1 本当のふるさとは

琵琶湖にある。

なぜか、そう思う。

アメノヒボコ(天之日矛)。

息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)。

敦賀から琵琶湖を

渡り、京都に至る。

これが古代日本の幹線道路だった。

日本の古代を

育んだ志賀のみずうみ。

琵琶湖には日本の

歴史のふるさとがある。

*

<琵琶湖周遊の歌>

我は湖(うみ)の子

放浪(さすらい)の

旅にしあればしみじみと

昇るさ霧やさざなみの

志賀の都よいざさらば

*

波のまにまに漂えば

赤い泊火(とまりび)懐(なつ)かしみ

行方(ゆくえ)定めぬ波枕

今日は今津か長浜か

*

2006-11-04

ベトナムという国

<ベトナム>。

その言葉をきくと、<ベトナム戦争>、<学園紛争>、<安保闘争>、<全共闘>等を連想する方も多いのではないだろうか。Douko8

日本の高度成長期(1955-1973年)に重なるようにして大学を中心に巻き起こった安保闘争・ベトナム反戦運動。

その最盛期の東大安田講堂占拠事件(1969年)。

*

<ベトナム>ときくと、何故かこころをゆすぶられるのである。

日本では、今また再び、ベトナムが話題にのぼるようになった。

中国の開発が一段落した現在、ベトナムの持つ種々のメリットが脚光を浴びるようになったのである。

*

ここではベトナムという国は一体どういう国なのか。

ごく基本的な点を見ていこうと思う。

ベトナムはインドシナとよばれている地域にある。

何故、インドシナか。

それはこの地域が中国とインドにはさまれ、両方の文化的な影響を受けて発展してきた地域であるからである。

中国からは漢字文化。

インドからは主としてヒンズー教やイスラム教が伝わってきたのである。

*

まずベトナム人を結び付けている伝説から始めよう。

それは<文郎(ヴァンラン)国(BC696-258)、雄王(フンヴォン)>の物語である。

これがベトナムという国のアイデンティティーを形作っている。

紅河(ホンハー)上流、ハノイの近くに雄王陵がある。Vietnammap3

雄王陵では毎春盛大な祭りがおこなわれる。

日本でいうと紀元前660年に即位した神武天皇といった感じ。

神武天皇より36年だけ早いのがおもしろい。

*

日本の縄文時代末から、弥生時代にあたる頃。

紀元前500-300年頃。

この頃、<銅鼓>とよばれている青銅の太鼓を中心とする文化がインドシナ半島やインドネシアの島々に現れる。

<ドウソン文化>である。

銅鼓の中心には太陽をかたどる放射模様がある。

まわりには人、鳥、動物。

それに船が描かれている。

銅鼓は楽器である。

しかしそれは同時に神聖な権威のシンボルでもあった。

銅鼓が打ち鳴らされ、人々は祭儀を行い村や国として団結したのである。

普段は地面の下に埋蔵されていた。

*

Doutaku7_2  日本にも青銅でできた祭器として<銅鐸>がある。

しかし銅鐸はいまもって謎につつまれている。

● 何に使われたのか。
● 何故土中に埋められたまま忘れ去られ、文献的な記録がないのか。

もしかしたら<銅鐸>は<銅鼓>と何等かの関係があるのかもしれないとも言われている。

同じ時期に出現している楽器・祭器である。

同じ青銅製である。

同じく地中に埋蔵されている。

昔は越も倭も同音であったとされる。

ベトナムは昔は南越と言われていた。

*

ベトナムの歴史を見て一番おどろくのは1000年にも及ぶ中国の支配である。

世界地図を見ても分るとおり、日本とベトナムは中国中原から同じ程度に離れている。Vietnammap2

<白村江の戦い>から<壬申の乱>の頃。

あわや日本は唐に飲み込まれるかに見えた。

しかし、日本は辛くも中国の支配を逃れる事ができた。

ベトナムの場合には、反対に中国の統一と同時に中国に制圧されているのである。

紀元前221年、秦の始皇帝は斉を滅ぼし、中国を統一した。

そして彼は死ぬ1年前、50万人の遠征軍をもって紅江デルタ地方を制圧するのである。

紀元前208年の事である。

この時から939年、ベトナムの英雄、呉権(ゴクェン)により中国の支配から脱するまで。

延々と1000年以上。

ベトナムは中国に支配され続けるのである。

中国の支配は現在のチベット等をみても分るとおり、大変過酷なものであった。

とりわけベトナムの民衆が苦しんだのは、中国から派遣されてくる悪徳官僚である。

彼らは<不正と、残酷と、貪欲の化身>以外の何者でもなかった。

人頭税、土地税、労役などの重い負担に苦しんだ。

それ以外に象牙、真珠、白檀、熱帯の果物、金銀細工などを貢物として納めさせられたのである。

更に、中国の皇帝に対して絶対の服従をもとめられ、漢字と儒教を押し付けられた。

これが1000年以上にもわたり続いたのだから、おどろくばかりである。

*

その後も3回にわたる蒙古侵攻。

フランスの植民地。

日本軍による制圧。

1945年のホーチミンによる独立宣言。

ベトナム戦争と続く。

*

蒙古はフビライの時代にベトナムを3度にわたって侵略した。

最初の侵攻は1257年。

英雄・陳興道(チャフンダオ)がこれを撃退した。

2度目の侵略は1285年。

同じくチャフンダオはゲリラ戦でこれを打ち破っている。

3度目は1286年。

今回は大船団を繰り出して陸と海から攻撃。

チャフンダオは蒙古船団をバクダン河の河口で襲い、これを殲滅した。

陸では、フォングーラオという英雄将軍の率いるベトナム軍が襲いかかった。

そして遂に蒙古陸兵も壊滅。

蒙古は日本への3度目の侵攻を予定していた。

しかし、ベトナムにおける度重なる敗戦により、日本攻撃は中止されたと言われている。

*

ベトナムの歴史は、正に<支配と反抗の歴史>である。

その中でベトナムは<勤勉さ>、<忍耐強さ>、<不屈の精神>などの多くの長所を磨いてきた。

ベトナムにも日本にも長い漢字文化の伝統がある。

そして日本が明治維新で西欧化し、更に戦後、アメリカ化したように、ベトナムは長い間フランスの影響下にあった。

つまり両国は基本的に良く似ているのである。

これが、ベトナムの人々を、わたし達が親しみ深く感じる理由なのであろう。

*

人口は8400万人。

ベトナム戦争で世界中に散った避難民やその2世が、徐々にベトナムの母国に帰還しているようである。

通貨単位はドルではなく<ドン(銅)>。

*

2006-11-03

絵日記

ある日、物置部屋の整理をしていたら、絵日記が出てきた。

そういう体験をした事はないだろうか。

絵日記を書いたのは自分。Haizara1102bb

一部分は確かに自分である。

しかし自分とは思えないところもある。

不思議な感じである。

*

学校でイジメにあっている事が書いてある。

悩んでいる自分。

近所の友だちと川遊びに行った事も書いてある。

魚突きに夢中になっている自分。

そしてそこに鉛筆で描かれた絵がついている。

幼稚な絵である。

しかし紛れもなく自分が描いた絵である。

*

ふと日記とは何だろうという疑問が湧きあがってきた。

日記。

いろいろな日記がある。

しかし共通しているのは、自分の中のもやもやとした思いを、文章を書く事によって外に形として表すという点であろう。

外から自分や世界を見ると言い変えてもいい。

見たものを固定するのが文章である。

見たものを固定するのは絵でもある。

だから絵日記は文章と絵で出来ているのである。

*

絵日記。

それはわたしの原点のような気がする。

もう一度、絵日記をつけてみようと思う。

*

 

 

2006-10-31

学校について

ある国の未来。

それを予想、予見するにはどうすれば良いのだろう。

それはその国の政治、経済、文化を分析する事である。Hana1101cc    

現在の状態を分析すれば、その中から、必ず未来の姿が形を現してくる。

つまり<今>の中にすでに<未来>があるのだ。

*

しかし政治、経済、文化を分析すると言っても、言うは安く実践は至難である。

では上記のすべてを凝縮している分野があるのではないか。

未来を凝縮した世界。

それは何だろう。

<教育>、<学校>の世界である。

*

海外を旅行した人は、町を歩いていてハテナと思う。

<これは何の建物だろう>。

実はそれが学校だったりした体験があるのではないだろうか。

もしそういう場面に出会ったら、良くその学校を観察してみよう。

<学校は緑に包まれた、町の一番良い場所に立っているか。

それとも場末か。

建物は手入れが行き届いているか。

それとも、さびしく汚れているか。

運動場はキチンと広くとってあるか。

きれいに整備されているか。

それとも申し訳程度の広さか。

子供達の顔は明るいか。

それとも暗いか。

子供の着ている服は清潔か。

それとも薄汚れているか。

先生たちは元気か。

先生たちの顔は明るいか。

それとも、疲れてボロボロの顔をしているか>。

その国の未来がだんだんと、おぼろげながら見えてくるに違いない。

*

総じて東アジアの国々の学校は新しく立派である。

しかし、これはあまり良く知られてはいないが、フランスやドイツなどのヨーロッパの学校は今、危機的な状況にある。

子供たちが教室で騒ぎ、授業ができないクラスが増えている。

先生が生徒をキチンとまとめられないのだ。

学校の立っている場所もさびしい目立たない場所にある。

運動場もほとんどが小さく貧弱。

それに建物自体が薄汚れて落書きだらけのところが多い。

一見して学校に金が落ちていない事がわかる。

特に先生の顔が疲れ果てた顔をしている。

*

日本では今、いろいろな問題が学校を舞台に起きている。

● 450校、10万人にも達している高校の必修科目の履修不足問題。
● イジメと自殺問題。
● 不登校問題。
● 受験中心の教育のあり方。

戦後60年。

学校も大きな変革の時をむかえているのだ。

未来を凝縮している世界。

学校。

*

もしかしたらこの世界そのものが、ある一種の<学校>なのではないだろうか。

わたし達はみんな、その学校の生徒なのだ。

時々イジメにもあう。

その学校に行きたくない時もあり、不登校の日もある。

日々、グローバルな<競争>にさらされて生きている。

そしてグローバルに見て、ある種の<必須科目>も履修してはいないかもしれない。

*

 

2006-10-28

専門家と悪徳専門家

世の中にはいわゆる<専門家>と言われる人々がいる。

例えば、医師、弁護士、税理士、建築士、学校の教師、外交官等。

Ichou5 最近はやりのFP (フィナンシャル・プラナー) もその内に入るかも知れない。

これらの専門家は資格を取得した人たちである。

つまり一定の領域の専門的な知識とか技能を体得した人たちなのである。

*

今から1700年も前に、中国の陳寿(ちん じゅ)という人が書いた<魏志倭人伝>。

彼はその中で日本の風俗について次のよう書いている。

<盗窃せず、諍訟少なし。

その法を犯すや、

軽き者はその妻子を没し、

重き者はその門戸および宗族を没す。>

(盗みをする人がなく、裁判沙汰も少ない。しかし一旦、法を犯せば罪は厳しく、軽い罪においては妻子を没収し、重い罪がある場合にはその家族や一族を滅ぼした)。

日本では昔から秩序があり、盗みなどの犯罪はほとんどなかったのである。

そして裁判沙汰は少なかった。

しかし、法にそむいた場合はその個人だけではなく、家族や一族までがその重い連帯責任を追求されたのである。

現在でもこの傾向は日本に残っている。

日本では裁判に訴えるよりも当事者による和解が好まれる。

しかし一旦罪を犯せば、再び社会に復帰するのは日本では大変難しい。

ある意味で社会的に抹殺されるといっても良い位である。

罪が大変重いのである。

*

アメリカでは弁護士1人あたりの国民数は1997年現在で290人。

日本では6300人。

アメリカと日本の差は22倍である。

日本の社会が未だ共同体的な体質を色濃く残していた1990年代までは専門家の出番はあまり多くはなかった。

しかし2000年をこえるあたりで1つの変化が見られる。

それは日本の社会が多様化し、同時に共同体的な体質を次第に失ってきている事と関係している。

共同体の代わりに誰が争いを治めるのか。

<法律>である。

そして<裁判>が徐々に増える。

その結果、弁護士の数もそれにつれて年々増加しているという訳なのである。

これが良いことか、悪い事か。

それは分らない。

*

しかし1つ確かな事がある。

一般的に日本人は<専門家>に弱いという事である。

言葉を変えて言えば、専門家を盲信してしまうのである。

最近のマンションの構造計算書偽装問題。

それをやったのは資格試験に合格した1級建築士。

姉歯(あねは)1級建築士が自らこう語っている。

<検査を依頼したら、(偽造)物件が通ってしまったので、その後も(依頼を)続けてしまった>。

チェックが甘い検査機関を使い続けたことを認めているのである。

一級建築士が作ったものは正しいに違いないという思い込み(盲信)が検査機関にあったようだ。

しかし、これでは検査機関が存在する意味がない。

外国のやり方や仕組みだけを輸入して、その本当の意味を消化しなかった例の1つである。

*

もう1つの例。

この頃、医者や病院のミスが増えている。

間違った医薬を投入して患者が死亡した例などである。

これに類するミスは昔から沢山あったと思われる。

しかしそれは昔はウヤムヤのまま闇に葬られた事が多かった。

しかし、今は違う。

今日では関係者の一人が携帯電話やメールで、マスコミとか当局へ内部告発。

すぐに露見してしまうのである。

ミスが多くなったと感じるのは、上記のような変化が原因なのだろう。

*

わたしはこの頃ある専門医師のところに行った。

<わたしは病気に苦しんでいる。

助けてください>と言った。

医者は専門家。

医者は、その領域の専門知識と治療技術を持っている。

彼はわたしに言った。

<手術をする必要がありますね>。

そして、いろいろな書類にサインを求める。

手術の場合には患者は麻酔をされ、医者が何をしても分らない。

言葉通り、<自分のからだを預ける>しかないのだ。

患者は弱者。

医師は神様である。

患者はその医師に絶対的に依存しているのである。

もし医者が間違いをおかした場合、患者は下手をすると<いのち>を失う。

わたしは祈るような気持ちで手術を受けた。

幸いその結果、病気は治った。

しかし理論的には、反対の結果もありえたのである。

10年以上付き合っているかかりつけの医者に一番良い医者を紹介してもらった事。

そしてその専門家の医者のところに行く前に病気についての基礎知識を身につけて行った事。

手術の内容に自分なりに注文をつけた事が結果に反映していると思う。

*

<専門家>と<普通一般の庶民>の関係。

それを医者と患者の間ほど、ハッキリと示すものは他にない。

この場合理想的な関係はどうあるべきなのだろうか。

●医者は助けを求めて<からだといのち>を預ける患者の信頼に応える責任がある。
●患者は、自分で病気に関しては自分で出来るだけの知識を得るように努力すべきである。つまり<丸投げ>は危険である。
●患者は、その医者が信頼出来る医者かを注意深くチェックするべきである。 彼の履歴。キャリア。この分野の彼の業績に対する評価。口コミ情報。噂。
●出来たら2人以上の医者に診察してもらい、その2つを客観的に距離をおいて比較検討する。
●患者は自分で得た知識で医者に質問したり、注文をつけたりするべきである。<丸投げ>は危険すぎる。

*

わたし達はこれから益々<専門家>に触れる機会が多くなる。

共同体社会が多様な専門的なセグメントに分岐していくからである。

同時にそれだけ悪徳弁護士、悪徳税理士、悪徳医師、悪徳教師、悪徳外交官、悪徳建築士、悪徳FP等にぶつかる機会も増えるという事を覚悟するべきである。

その際の付き合い方は、上記の医者の場合のやり方を応用すれば良いのである。

● その問題についての基礎知識を持つ事である。専門家に対して、正しい質問が出来る程度の知識を自分で持つ。
● すべてをそっくり全部、任せる事はしない。専門家にだまされる危険が大きいからである。専門家をチェックする検査機関やメディアに注目する。
● その専門家の信頼度をチェックする。出来れば2人以上の専門家から情報を入手する。距離をおいて客観的に情報を比較検討する。

*

つまり適当な距離をおいて、適当な信頼関係を持つ。

それがモダンで、安全で、クールな関係なのである。

*

それに、わたし達自身が、今では、みんな、ある意味で、それぞれの分野では、すでに、それなりの<専門家>ではないか。

だから自分の専門分野に無知な人が助けを求めてきた場合に、自分はそれに対してどう対応するか。

逆の立場で考えて見れば良いのだ。

人間は弱いもの。

多くの専門家は、その立場を逆に利用する事だけを考えるに違いない。

その例は毎日の新聞を見れば数多く挙げる事ができる。

しかし自分の専門分野に対して、ある程度の基礎的な知識のある人が、問題を相談に来たらどうするか。

慎重に対応するであろう。

滅多な事は言えないと思うだろう。

それに、その人は、もう一人の別の専門家にも相談しているようだ。

自分のプロとしての競争心がかきたてられる。

それでは、と自分のとっておきのサービスを心がけるであろう。

自分の名誉と名声がかかっていると思うだろう。

*

ヨーロッパでは次のようなことわざが広く一般に流布しているという。

<人を信頼し信じるのはすばらしい。

  しかしそれが本当にそうかを

  自分で確かめる事。 

  それはもっとすばらしい>。

*

2006-10-27

青い宝石

小林登志子著の<シュメール>(人類最古の文明)という本を読んでいる。

この中の文字の誕生の部分は大変すばらしい。

わたしがビックリしたのは、<文字の誕生>が<ラピスラズリ>と関係して述べられている部分である。Lapislazuli100

*

シュメール人は楔形文字で<文字の誕生>を記した叙事詩を残している。

叙事詩<エンメルカルとアラッタ市の領主>である。

ある時ウルク市の王、エンメルカルと、7つの山を越えた所にあるアラッタ市との間で、貴重な物品のやり取りがなされた。

今からおよそ5000年前の話である。

ウルクからアラッタへは<穀物>が。

アラッタからウルクへは<ラピスラズリや金銀>が送られた。

ウルクの所在は分っている。

アラッタはイランのどこかの交易都市。

*

この中で文字の誕生の部分は次のように述べられている。

<彼(エンメルカル)の言葉はかなりの量であり、その内容はあまりにも多い。使者の口は重く、それを復唱できない。・・・・・・・・・・言葉を粘土版の上に置いた。それ以前に粘土版の上に置かれた言葉はなかった。>。

つまり文字は交易上の手紙を書く必要から生まれたとシュメール人は考えていたのだ。

*

アラッタからウルクに運ばれた<ラピスラズリ(Lapis lazuli)>。

これは何だろう。

調べてみる。

驚いた。

これは日本では<瑪瑙(めのう)>とよばれている青い宝石の事である。

ラピスラズリ(Lapis lazuli)。

その名前はラテン語の石を意味するラピス(Lapis)と、アラビア語の天空・青を意味するラズリ(lazuli)に由来する。

アフガニスタン北部、ヒンドゥークシュ山中、バダクシャン地方の標高2700-3400mにある鉱山が原産地である。

*

ラピスラズリはエジプトのツタンカメン王の首飾りにも見える。

という事はアフガニスタンから、メソポタミアを経由して、延々6000キロメートルにも及ぶ交易路が、すでに今から5000年も前にあったという事なのである。

*

ラピスラズリの青をじっと見ていると不思議な感じに満たされる。

古代メソポタミアでは、ラピスラズリの石板は神の言葉が記される聖なる書板として尊ばれた。

*

シルクロードの地図にあるクチャ。

トルファンからカシュガルのルートの中間にあるクチャ。

天山南路の要衝として大いに繁栄を誇ったオアシスの街、クチャ。

そのクチャにあるキジル石窟(4-6世紀)は仏教王国亀茲国の遺跡として知られている。

キジル石窟は別名<青の石窟>ともよばれている。

石窟の天井にラピスラズリを粉末にして作った絵画の顔料で一面に天空が描かれているのである。

濃い青の中にキラリと金色が光る。

夢のような美しさ。

残念ながら写真はない。

しかしこのインドの壁画から、何となくその感じがつかめるのではないだろうか。

このキジル石窟を20世紀初頭に調査したドイツのアルベルト・フォン・ル・コックは、天井の壁画に驚き、次のように書いている。

<ベンベヌート・チェルリーニの時代に、

イタリアの画家が好んで用いた、

金の目方の2倍に値したという、

あの名高い鮮やかなウルトラマリン

を惜しげもなく使っている>。

*

ヨーロッパではルネサンス期にはラビスラズリを粉末にして作った絵画の顔料の値段は金の2倍したというのである。

わたしはすっかりラピスラズリの青色に魅せられてしまった。

*

2006-10-26

あるサラリーマンの死

<サラリーマン>という言葉から何を連想しますか。

わたしは<サラリーマンの死>という劇を連想する。

アメリカのアーサー・ミラーという劇作家が1947年に書いた劇である。 Leaf2510bb_1

原題は<Death of A Salesman>(あるセールスマンの死)。

ウィリーという外まわりセールスマンの夢と現実のギャップ。

アメリカン・ドリームの陰の部分が描かれている。

父と子の相克、争い。

崩壊していく家庭。

そしてウィリーの自殺。

わたしは思う。

これは60年後の日本のバブル崩壊後の姿そのものではないか。

*

日本の戦後のサラリーマンの生活の典型モデルは以下の通り。

● 良い学校を出て良い会社に就職。
● 結婚。
● 子供が出来る。
● マイホームを持つ。
● 子供の結婚と独立。
● 定年退職。
● 退職金でローン返済。
● 年金生活。

これが2000年頃に崩壊し始めた。

リストラの蔓延。

終身雇用の破棄。

年功の廃止。

正社員の激減。

非正社員の急増。

忍び寄る増税。

いま日本は<古いサラリーマンの典型モデル>を捨てて、<新しい典型モデル>を模索中である。

*

では一体、どういう方向に行けば良いのだろう。

これからの日本では、どういう生き方が基本になるのだろう。

Leaf2510_2   それを考えるにあたって、1つの事が重要になる。

<お金>に対する考えである。

金についてとやかく言うのはハシタナイ。

お金について細かいのは卑しい。

お金は後でついてくる。

とにかくお金を一所懸命に求めない。

お金の事を細かく考えない。

それがいさぎよい。

お金に対するある種の嫌悪である。

お金を避ける。

敬して遠ざける。

この倫理的スタイルが日本には未だに蔓延している。

しかしこれは絶対におかしい。

それに、これは危険である。

何故か。

これがある限り、個人としての独立が成り立たないのである。

個人としての独立の前提条件は<収入は支出より多い>という1点にある。

これは言うは易く実践は至難である。

それは、お金を一所懸命に求める事なしに達成する事は出来ないのである。

お金を意識的に求め、管理して、お金を大切にする事。

お金の重大さを子供の時から正しく教える必要がある。

*

変な話で恐縮であるが、わたしが商売を始めて1-2年目頃まで心に一種のわだかまりがあった事を告白しなくてはならない。

安く仕入れて、高く売る。

それは一種の詐欺ではないかと思って恥かしく感じたものである。

これを克服するのに3年位かかったのである。

ある時、アメリカの企業家の書いた一冊の本を読んだ。

感激した。

彼が言うには<粗利>、つまり買った値段と売った値段の差益の合計から自分の給料や、従業員の給料も出る。

事務所の代金も、生活費も、税金も。

全部が粗利から出るという1点を繰り返し説いていた。

粗利マイナス全費用が<純利益>である事も。

恥かしい限りであるが、そんな事もわたしは知らなかったのである。

わたしは、その本を何回も読んで、自分の金に対する間違った考えを修正する事ができた。

それ以来、商売は軌道に乗ったのである。

*

なにも金の亡者になり、金を崇拝せよとは言わない。

しかし<お金の世界>をその姿のまま詳細に知る。

それが大切だと思うのである。

わたしは今でも金利、保険、株などの金融の知識は貧弱である。

しかし毎日いろいろと勉強して、その分野の知識を広げようと努力しているところである。

*

次の時代のサラリーマンの生き方。

それは主軸が<自分のノウハウの蓄積>にあると思う。

今までは会社に依存していれば食っていく事が出来た。

しかし今からはまず自分個人のその分野におけるスキルやノウハウの蓄積に依存する事になる。

会社は一種のビジネス学校になるのである。

自分が主体。

会社は修行の場所。

このスタンスを確立すると世界はバラ色である。

なにしろ、本来ならビジネス学校には授業料を払う必要がある。

その代わりに会社では給料までくれるのである。

*

次の時代の生き方。

サラリーマンになるのは学習の為。

その分野を学び、自分でビジネスする為の修行時代と考える。

あくまでも自分のノウハウ蓄積が主役。

サラリーマンは修行時代の姿。

これが新しいサラリーマン像である。

生涯学習時代の生き方の基本がここにある。

*

自分の進歩を計る基準のアウトプットは金。

利益、収入。

数字は嘘をつかない。

今まで受けた金やビジネスに対する間違った教育とかを実際の実践の場の中で修正する。

そして、その後で独立するなら独立する。

会社に残るならノウハウを蓄積して、解雇されないプロとして残る。

あるいはより良い職場へ転職する。

自分のキャリアを主役にする生き方。

*

<サラリーマンの死>に戻る。

アーサー・ミラーの描いたアメリカのウィリーという男の悲劇。

それに対して、彼の兄のベンは成功して金持ちになった。

つまりベンの生き方の中に次の時代のヒントがあるのかもしれない。

*

動物の言葉

果たして動物は言葉を話しているのだろうか。

<バウリンガル>という犬の言葉を翻訳する機械がある。

Hana2510_1 犬の首輪に取り付けたワイアレス・マイクから、犬のなき声をその機械に転送。

リアルタイムで分析する。

● 自己表現
● 楽しい
● 悲しい
● 要求
● 威嚇
● フラストレーション

の6つの感情が分かるという。

*

クジラやイルカの鳴き声はヒーリング(いやし)の効果があると言われている。Neko333_1 

彼らはその多様な声でお互いに連絡(コミュニケーション)をとりあっているのだから、その鳴き声に意味が含まれている事は間違いないのである。

アメリカ、北アリゾナ大学コン・スロボチコフ教授(生物学)はプレーリードッグの行っているコミュニケーションについて、その研究成果を<動物行動学>(Animal Behaviour)誌のような一流の科学誌に発表している。教授はこれまでにプレーリードッグの使う<言葉>を20以上も特定したという事である。

*

Neko444 朝方、庭の木々の上で、ピーチクピーチク、としきりに鳥たちが鳴いている。

2羽か3羽いるみたいだ。

そのさえずりをベッドで聴きながら思う。

何を彼らはしゃべっているのだろう。

あんなに一生懸命に。

*

ある日窓の外を見ると、真向かいの家の窓際にネコが一匹、座っているのが見えた。

窓のシャッターが半分閉まっているところを見るとその家の人は急にどこかに出かけたのだろう。

ネコは外にいたので取り残されたのである。

いつまでも窓際にいて、時々部屋の中をのぞいたり、窓ガラスにガリガリとつめを立てて、<開けてくれーニャーン !>と叫んでいるみたいである。Neko222_1 

しばらくすると、あきらめたように、じっと窓際にすわり、そこを動かない。

<まっいいか。御主人様が帰ってくるのを待ってよーっと。>

とでも言いたげでじっと窓際にいるネコ。

*

ネコには果たして言葉はあるのだろうか。

一つ確かな事がある。

動物には<言葉>はあるかもしれない。

しかし動物には<文字>はないのだ。

<文字>を書くことができる幸せに・・・・

感謝。

*

2006-10-21

本のある風景

書籍の取次店で30年間も

仕入れに携わってきた井狩春男さん

という人がある本で次のように書いている。 Books2210aa_2   

*

<もともと、たいがいの人は

本を読まないワケ。

これは別に、批判の的にはまったく

ならないコトで、日本国民

1億2千600万人のうちの

ほとんどの人は本を読まない。

本を読まない人のほうが

フツーなのね>。

*

この文章を読んでビックリした。

というのはわたしはこの反対のイメージを持っていたからである。

どこの家に行っても、そこには本棚があった。

わたしは他の家に行くと、その人に<チョッと本棚を見せてもらって良いですか。>と断って、しきりに本棚の本を手にとって眺めまわしすのが癖なのだ。

本棚の本を見ていると、その家に住んでいる人のこころの風景が何となく伝わってくる気がするのである。

本のない部屋は私にとって何かさびしい。

*

いまから200-240万年前にアフリカに生息していた猿人の事を<ホモハビリス>とよんでいる。

<ハビリス>というのは<手先の器用な>という意味である。

器用な手先で初めての石の道具を作り出した。

そういう訳でホモハビリスは初めて石器を作った人類の祖先とされている。

では道具を使うのは人間だけなのだろうか。

いつかテレビで次のような場面を見た事がある。

猿が芋を海の水で洗っているのである。

初めはビックリしたが、良く考えて見るとなるほどと思った。

芋を海水で洗えば泥が落ち、清潔になる。Mizutama2210bb

それに塩味が付くのでよりおいしく食べられるのである。

他の猿は芋を洗っている仲間の猿の真似をして、今では多くの猿が同じやり方で芋を食べるようになっているという。

また鳥が木の実を大きな石の上に落として割り中の実を食べる場面を見た。

1度失敗しても、もう1回同じ事を繰り返す。

そうすると実は割れる。

鳥はその実をしきりに食べていた。

これにもビックリした。

他の場面では鳥が嘴(くちばし)に箸のような棒状の草をくわえ、木の穴にそれを差込み、器用に中の虫を取り出して食べる様子を見た。

人間だけが道具を使えると思っていた。

しかし、他の動物も<いろいろな道具>を使うのだという事が近年だんだんと分ってきたのだ。

*

では<本を読む>という点ではどうなのだろう。

今まで本を読んでいる猿とか鳥は見た事がない。

どなたかそういう風景を見たという方がいらっしゃったら、是非、御一報をお願い致します。

*

 

好循環 Positive spiral

時々今日は調子が良いぞ....と感じられた時はないだろうか。

こんな時には何をやっても楽しいものである。

反対に何をやってもうまく行かない。

そういう日もある。Hana2110ee

そんな時には

<今日はツイてないな。>とつぶやく。

何がわたし達の中で起きているのだろうか。

*

生きとし生けるもの。

いのちあるもの。

それは40億年という気の遠くなるような長い時間をかけて

ここまでに進化してきた。

特に人間は<体>だけではなく<こころ>の世界も持っている。

体とこころが微妙に絡み合って動いている。

それが人間なのである。

*

一人の人間のいのちがどれだけ複雑で精密か。

その一端を知るのに良い質問がある。

<一人の大人の

体の全部の血管を

継ぎ足して、

合計した長さ

を言って下さい。>

答えはザッと10万キロメートル

地球を2周してしまう長さなのである。

一人の人間の体の中に、これだけ長い血管が張り巡らされている。

その中を血液が絶え間なく動いているのである。

ちょっと想像してほしい。

地球を2周りする血管の中を血液が巡っている姿を。

ツイているとかツイていないは、この複雑ないのちのチョッとした調子で決まるのだ。

*

マイクロソフトのビルゲーツがよく言う言葉がある。

<サクセスループ、Positive spiral>である。

日本語でいうと悪循環の反対。

<好循環>の事である。

<なぜ、これだけ成功しているかと申しますと、サクセスループと呼ばれるPCの好循環(Positive spiral)が見られるからです。PCが出れば出るほど業界は拡大し、ソフトなども提供しておりますし、また、ハードなども提供しているわけでありますが、これが拡大していきます。>

つまり上に向かって伸びていく渦巻き。

周囲を巻き込んで、龍のように大きく上昇拡大していく様を<サクセスループ、Positive spiral>と言っているのだ。

*

ではこの龍のような上昇気流の最初の渦巻きとは一体何なのだろう。

わたしはそれを<自分と世界の一体感>であると思う。

世界に受け入れられているという<確信とあふれる自信と安心感>。

自分という人間を自分が好きなのである。

これを<帰属意識、アイデンティティー>と言う人もいる。

これは周囲に玉突きのように広がっていく。

それは伝染、拡大するのだ。

一人の人間のいのちの正の波動は周囲にどんどん広がっていく。

*

一方では悪循環がある。

Hana2110cc 雪崩(なだれ)のように周囲を巻き込んですべてを破壊して行く恐ろしいちから。

この雪崩(なだれ)の引き金を引く最初の一突きは何なのだろう。

それは<劣等感、自分と世界との間の違和感、疎外感>である。

<自分は世界に受け入れられていないという意識>である。

自分という人間を自分が嫌いなのである。

自己嫌悪である。

この劣等感が外界に投射されると、<他人への攻撃>になる。

自分がこうなったのは<あの人のせいだ>という訳である。

これが雪崩の一突きである。

憎悪感、破壊的衝動が核になって、負の渦巻き、悪循環という雪崩が起きるのである。

これも周囲に玉突きのように広がっていく。

それは伝染、拡大するのだ。

一人の人間のいのちの負の波動は周囲にどんどん広がっていく。

*

だれもが好循環を求めている。

ではその中に入って行くにはどうすればいいのだろうか。

自分の中には地球を2周も回る事が出来る長さの血管が詰まっている事を思い出そう。

自分が必要なものは、すべて自分の中にある。

自分の今の姿を自分でまずYESと認めよう。

自分を好きになろう。

そしてもし自分が達成したい望みがあれば、それを前進のチャンスと考えよう。

自分が世界そのものなのだ。

世界も自分の中にある。

まずこの正の渦巻きを自分の中に持つ事だ。

*

世界で一番の長寿国は日本で82才である。

二番目はイスラエル。

アラブ人との紛争が絶えない戦乱の中で生きるイスラエルの人の平均寿命が何と80才で世界で二番目なのである。

何故だろう。

それはイスラエル人の<帰属意識、アイデンティティー>がハッキリとしているからではないだろうか。

ユダヤ教とシナゴーグ(会堂)。

神への帰属。

それを通じてのユダヤ人としての民族的アイデンティティーが明確な事がその理由ではないかと思う。

*

好循環の国。日本。

常に困難を幸運に変えてきた国。

これからも日本は世界でナンバーワンの長寿国の地位を維持して行くとわたしは思う。

*

 

2006-10-20

ポルトガルの演歌・ファド

ポルトガルにも演歌がある。

それはファドとよばれている憂愁に満ちた歌である。Tyle_1   

通常レストランなどで歌われるファドはCasa do Fadoという。

ギターの伴奏で歌われる。

そういえば、いろいろな国に、その国を代表する民族歌謡がある。

*

フランスの粋なシャンソン。

イタリアの情熱的なカンツォーネ。

アメリカの荒々しいロック。

アルジェンチンのタンゴ。

ブラジルの熱気に満ちたサンバ。

それに日本の演歌。

それぞれの国のたましいが、そのまま歌に表れている。

民衆の心の歌なのである。

*

Portugal1 ファドの歴史を見ると、意外に新しい。

1850年頃。

リスボンのマリア・スヴェーラの歌で現在の国民的な歌謡の地位を得た。

ポルトガルの首都、リスボンのファドが有名である。

その他に大学のあるコインブラという町で主に学生達によって歌われるファドがある。

*

一方、日本の演歌もその起源はちょうど同じ頃である。

1874年に始まる自由民権運動の演説の席で歌われた歌。

それが演歌の始まりであるとされている。

だから演歌と言うのである。

ファドも演歌も一般の庶民の感覚や情念がたっぷりと詰め込まれている。

*

いろいろな国を訪れた人は、上記の民族歌謡に触れる。

ポルトガルの酒場でファドを聴く。

ギターの伴奏で聴くファド。

腹の中からしぼり出すような、悲しみと憂いの声。

あこがれに張り裂けるような声。

それはポルトガルの人のたましいに触れる一瞬である。

*

暗いレストランの中で。

ロウソクのほのかな光。Leaf2310

机の上には。

そう。

ポルトガルのポルトという所の銘酒。

<ポートワイン>が載っている。

*

最後に質問。

ブラジルで話されている言葉は何語?

*

 

 

定年後の生活

そろそろ団塊の世代が定年退職を迎える。

2007年は特にこれが急増する見通しである。Rann35_1

戦後60年。

1つの時代が終わったという感じである。

テレビでも定年退職後の第2の人生の過ごし方を特集したりしている。

田舎で農業を始める人。

田舎でノンビリと過ごそうと考えて引越ししたものの、都会生活が忘れられず、また都会に帰ってきた人。

陶芸の工房で数週間、器作りの手ほどきを受ける年配の人。

さまざまな定年後の生活が紹介されていた。

*

これを見ていて思った。

多くの人が定年後の生活に多くの幻想を持っていると。

世界各国の平均年齢のベスト10は右の表のようになっている。Heikinnnennrei

(WHOの2003年のデータ)。

日本はナンバーワンで82才である。

という事は平均して定年からおよそ20年間の生活が待っているのである。

20年は長い。

これはオギャーと子供が生まれてから成年に達するまでの時間である。

これだけの時間がそれぞれの定年後の人を待っているのだ。

*

定年後の生活に関しての本もいろいろ出版されている。

その中で<あと2年!サラリーマン、定年までにしておく15のこと、江坂彰著、PHP研究所>という本には次の15の項目があげられている。

1● <妻と二人生活>が基本スタイル
2● モノより思い出
3● 定年までに捨てるもの
4● あなたの住処はどこにする
5● 熱中できる趣味を最低ニつ

6● 旅は定年後の必修科目
7● 自分の健康法を持っている
8● 最後には貯金通帳をゼロに
9● 仕事以外の友人をつくろう
10● 好みの外食店を見つける

11● 物事を好きか嫌いかで決める
12● しっかりと認めよう、体の衰え
13● ゲートボールより若い友人
14● 親の世話をどうするか
15● 人生は常に起承転々で進むべし

*

Rann358 この中で 7● 自分の健康法を持っている?と 12● しっかりと認めよう、体の衰え。

これらは非常に現実的で重要な点であると思う。

しかしビックリしたのは次の項目である。

8● 最後には貯金通帳をゼロに。

どこからこのような考えが出てくるのだろうか。

というのはいつ最後が来るのか、当の本人には分らないではないか。

それに初めから貯金を取り崩して生活するようなやり方は危険すぎるのではないだろうか。

もし出来る事なら定年後も一定の収入を確保して、貯金の取り崩しは最低限に抑える。

これが精神的にも安心して生活できるやり方ではないだろうか。

*

マックス・ウェーバー(1904-1905)というドイツの学者は<プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神>で次のような事を言っている。

  西洋近代の資本主義を

  発展させた原動力は

  宗教的道徳から産み出された

  世俗的なものへの禁欲と

  生活を合理化しようとする

  意欲である。

つまり簡素な生活と、合理的な生活が近代の資本主義の源になったというのである。

*

わたしは定年後の生活の基本も簡素さと、無理のない合理的な生活にあると思う。Hana359

消費に走らない生活。

簡素さが一番の贅沢なのだ。

これがなによりも健康を増進する。

それから重要なのは合理的な生活である。

今日やった事を、次の日にも無理なく繰り返すことが出来る生活。

つまり循環できる生活。

中庸とよばれているやり方。

無理のない身の丈の生活。

合理的な生き方。

多くの定年退職者の人が幻想を捨てて、地に足をつけた安定した生活を送られる事を願いつつ。

合掌。

*

 

2006-10-16

ふるさと

ふと気がついた。

今までいつも飲んでいたコーヒー。 

それがいつの間にか緑茶になっている。Rennge7_2

肉が魚になっている。

そうやって気がついた。

年を取るという本当の意味を。

それは元々の基盤に戻っていくのだ。

その基盤は普段は見えない。

将来の計画、若い生命のエネルギーがその古い基盤の上にガッチリとした世界を作り上げているからである。

そして年月が過ぎる。

そうしてある日突然、気がつくのである。

自分のふるさとの事を。

*

福岡県朝倉郡福田村に生まれ、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄らの文人と交わった豊島与志雄(とよしま よしお、1890-1955)は<故郷>と題するエッセイで次のように書いている。

<私は、自分の生れ故郷に対して、

殆んど愛着の念を感じない。

年老いて死に瀕しても、

故郷に帰って死にたいとの念は、

今から想像した所では、

殆んど起りそうにもない。>

*

これを読んでどうもおかしいなと思った。

調べてみると、別の同じ<故郷>と題するエッセイの中で彼は書いている。

<春の晴れた日には、

紫雲英(げんげ、レンゲ草)の

咲き揃った畑中に寝ころんで、

凧(たこ)をあげながら、

彼方に連なる山の峰と、

その高さをきそった。

・・・・・・・

柿の木に登って、

熟した柿をかじった>。

やはり、彼にも望郷の時があったのだと合点がいった。

*

次の歌は誰でも知っている

ふるさとの歌。

*

<兎(うさぎ)追いし かの山

小鮒(こぶな)釣りし かの川

夢は今も めぐりて

忘れがたき 故郷(ふるさと)

*

如何(いか)に在(い)ます 父母

恙(つつが)なしや 友がき

雨に風に つけても

思い出(い)ずる 故郷

*

志(こころざし)を はたして

いつの日にか 帰らん

山は青き 故郷

水は清き 故郷>

*

わたしがいま一番したい事。

それはふるさとに帰って、

レンゲ草の一面に咲く田んぼで寝転んで

空に浮かぶ雲をボーと見ていたい。

*

2006-10-14

初恋

詩をあまり読まない人も、

島崎藤村の若菜集にある

<初恋>という詩をいつか一度はHanabira100_1

読んだ記憶があるだろう。

*

<初恋>

まだあげ初(そ)めし前髪(まえがみ)の

林檎(りんご)のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛(はなぐし)の

花ある君と思ひけり

*

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅(うすくれない)の秋の実に

人こひ初(そ)めしはじめなり

*

わがこころなきためいきの

その髪の毛にかかるとき

たのしき恋の盃(さかづき)を

君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

*

林檎畑(りんごばたけ)の樹(こ)の下に

おのづからなる細道は

誰(た)が踏みそめしかたみぞと

問ひたまふこそこひしけれ

*

<島崎藤村 若菜集より>

Hana67

2006-10-10

生口と玉の贈り物

むかし、<猿の惑星>という映画があった。

覚えておいでの方も多いのではないだろうか。

Hana78 原題は<Planet of the apes>、1968年。

チャールトン・ヘストンが出演。

その映画の冒頭の場面。

馬に乗って武装した猿が草原や森で<人間達>を追いかけて生け捕りにするのである。

人間狩りである。

わたしはギョッと驚いた。

ショッキングな場面であった。

*

これはSF映画の場面でフィクションである。

しかし、日本でも実際にこれに似た場面が見られたのではないか。

そう考えるようになった。

日本人(当時は倭人と言われていた)が中国の史書の中で、初めてハッキリとした姿を見せるのは、<後漢書、東夷伝>である。

<安帝永初元年

倭國王帥升等

獻生口百六十人>。

(永初元年(107年)に倭国王帥升が生口(奴婢、奴隷)160人を献上した。)

これだけなら、例外として扱う事が出来るだろう。

しかし、この後も中国の史書には日本に関する記述があり、その中で<生口>(奴隷、奴婢)という言葉が何回にもわたって出てくるのである。

● 倭王、卑弥呼、239年(魏景初2)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人を献じる。

● 倭王、卑弥呼、243年(魏正始4)に魏少帝へ生口を献じる。

● 倭王、台与、248年、生口30人を魏へ献じている。

*

当時は日本は弥生時代である。

まだ日本を統一する政権は生まれていない。

九州を中心とした時代である。

青銅とか鉄などの金属と稲作が大陸から日本にもたらされた。

狩猟、漁撈、畑作を中心とし生活が終わろうとしていた。

その頃の日本の特産物。

中国への輸出品目ののナンバーワン。

それが<生口>(奴婢、奴隷)だったのである。

という事は日本人奴隷は当時中国にとって、貴重な物だったという事である。

それだけ価値が認められていたのである。

おそらく日本人奴隷は真面目で良く働くという名声を得ていたのだ。

贈物のナンバー2は翡翠(ひすい)のような<玉類>である。

*

当時の日本の状態を理解するには、古代のローマを見ると良い。

古代ローマにおいては、奴隷は常に征服戦争で調達される外国人(属州民)であった。

ローマの広場では当時、ブリタニアとよばれていたイギリスからきた若者が奴隷として売られていた。

後漢の都、洛陽や長安では倭人の奴隷が売られているのを見る事が出来たと思われるのである。

大陸から朝鮮半島を経てやって来た弥生人。

金属器と稲作の文明をもって破竹の勢いで進入して来た弥生人。

それが縄文人を駆逐して行く過程で<生口>(奴婢、奴隷)が得られたのである。

つまり駆逐する側と駆逐される側の闘争、争いがあった時代。

戦争の時代。

それが弥生時代なのである。

*

今また日本の周囲に戦争の煙が立ち始めている。

この時代の宝物は何だろう。

今度は誰が誰にどんな宝物を献上するのだろう。

*

2006-10-07

1文1画

毎日1つの文章を書き、1つの画像を作る。

<1文1画>。Books

これがわたしの目標である。

しかし、実際にこれを実行するとなると、多くの壁にぶつかる。

言うは簡単。

しかし実践は至難。

*

ある時期にはすいすいと出来る。

Akaihappa88 波に乗っているのだ。

しかし、ある時を境に突然、出来なくなる。

理由はいろいろある。

人間は環境の動物。

だから周囲で起きた事件に大きく影響を受けるのである。

ある事件が起きる。

それがわたしの集中力を奪う。

意識が混乱してかき乱される。

意識がその事件や出来事に釘付けになる。

深い無意識のレベルで意識がその事件や問題に絡みついている。

そうすると<1文1画>どころではなくなってしまうのである。

*

Tsuta77_1 一方では自分の仕事を毎日淡々とこなしていくプロがいる。

彼らはどうやって上記の障害を乗り越えているのか。

それが知りたい。

<淡々と>。

<タンタン>。

これが難しい。

*

 

2006-09-16

WikiCalcの世界

バブル後の未来。

霧がかかったように不透明だった未来。

Osakana_1 それが今、段々と見えてきた。

コンピューターの分野では、それが今、はっきりとした形で見えるようになった。

変化は<WEB2.0>といわれている分野からやって来た。

最初に爆発したのは<BLOG>と<WIKI>。

次は今盛んに騒がれている<SNS>(ソウシャル・ネットワーキング・システム)。

いま急拡大しているこの類のウェッブ・サービスに共通している点は、基本ソフトOSに全く関係ないという点である。

もう1つの点はウェッブ内だけで完結しているという点である。

つまりネットにつながる機器があればいいのだ。

ネットにつながれば、ネット上だけで仕事が完結してしまう。

結果もネット上にSaveしておく。

もう1つの特徴はHTML言語を知らなくても手軽に作れる。

だれでもそれに参加出来るのである。

今まで、インターネットのサイトの作成は、主にプロの手によってなされてきた。

それが今、大衆の手に渡ろうとしているのである。

<WEB2.0>スタイルが今後、いろいろな分野で爆発してわたし達の生活を変えていく。

これが2007年以後の変化のシナリオなのである。

*

マイクロソフトのWindowsとか、アップルのMACとかのデスクトップのパソコンの時代が終ったのである。

今の主役はGoogleを初めとする検索サイト。

それに上記のWeb2.0のサイトである。

その共通点はウェッブ内で完結しているOnlineの世界であるという点である。

*

しかしここで1つの疑問がある。

なにもかもがネット上で処理できないのではないか。

例えば、わたし達が仕事で一番使っている<エクセルなどの表計算ソフト>はどうなるのか。

表計算ソフトだけは例外として、Offlineのデスクトップ・コンピューター内に残るのではないか。

そんな疑問である。

*

これに対しての答えは以下の通りである。

2006年6月6日、Googleはオンライン表計算ソフト<Google Spreadsheets>を公表した。

つまりデスクトップ・コンピューターの聖域と考えられていたエクセルなどの表計算ソフトの分野もオープンソース化、つまりタダで手に入るようになりつつあるのだ。

Socialtext社は、表計算ソフト<VisiCalc>の開発者Dan Bricklin氏と共同で、ウェブベースの表計算ソフト<wikiCalc>の開発を発表した。

wikiCalcのベータ版はすでに公開済みである。

これを使えば、ネット上で<WIKIPEDIA>のように、表計算ソフトで共同作業が出来るようになる。

*

上記の事からこれからのコンピューターの世界の方向はハッキリと分る。

オープンソフト(タダのソフト)の運動が主役になる。

デスクトップ・コンピューターは段々と端末化の方向に動いていく。

ネットがメインになってくるのだ。

デスクトップ・コンピューターはネットにぶら下がる機器になる。

*

もちろんデスクトップ・コンピューターのOFFラインの世界もこれから続いていく。

OfflineとOnlineの2つの世界はこれからも平行して発展して行く。

しかしこれからの変化の主役はネット上で殆どの事が出来るWEB2.0なのである。

*

2006-09-13

簡素 それが一番の贅沢

数年前に富山県のある民宿を訪れた事がある。

くねくねと曲がった道をどんどん登って行く。

その道が切れた所に、その家があった。Flower14

下から眺めると遥かな山の中腹の森影に小さくポツン見える一軒の家。

その離れの一室に1ヶ月近く滞在したのである。

テレビなどない。

ラジオだけである。

呉羽(くれは)さんという年老いた婦人が一人いた。

わたしは普通の時は横になっているか、散歩をしていた。

朝と夜の2回、呉羽ばあさんが食事を運んできた。

簡素な食事だった。

*

何年にもわたる、激しい労働の日々。

週末もなかった。

必死に働いた。

そして、ストレスの重圧。

最後に医者は言った。

<少し町を離れ、療養しなさい。呉羽さんという、むかし看護婦をしていた人が富山で民宿をやっているので、そこに行って一ヶ月ゆっくりしてごらんなさい。>

わたしはその忠告に従った。

汽車にのってバスを乗り継いで、その民宿に着いた時、呉羽ばあさんが笑顔で迎えてくれた。

*

調子の良い日には、自転車で山道を駆け下ってふもとにある小さい町に出た。

そこで昼飯を食べたあと、自転車を押してまた山道を登る。

途中で脇道へと入る。

自転車を置いて、その脇道に入って行く。

サラサラと水の流れる音がした。

森の中に、小川が流れているのだ。

小川に沿って細い道が続いている。

私はその道を行ったり来たり、小川の土手に座って流れていく水を眺めた。

清らかなせせらぎの音を聴いた。

流れていく水をじっと見ていた。

うららかな日差し。

*

Flower15_2 わたしはこうして、生まれてはじめて<療養生活>を体験したのである。

全く違う一日のサイクル。

朝は早く5時に起きた。

起きてすぐに体操をした。

横になって読書をした。

7時ごろに呉羽ばあさんが朝飯を持ってくる。

味噌汁と御飯と梅干。

それにちょっとした魚の切れ端。

それからまた少し横になった。

昼頃に自転車で山を下る。

町へでてパンを買う。

その後で山の中腹にある小川のほとりを散歩。

パンを食べる。

その後、家に帰る。

本を読んだり、日記を書いた。

その後、昼寝。

夜、7時頃に呉羽ばあさんが晩飯を持ってくる。

殆ど毎日、煮魚である。

晩飯を食べた後はラジオを聴いたり、横になったり、本を読んだりした。

夜、庭に出た。

森の木々の間から星の光がもれている。

はるか下に町の明りが見える。

庭の真ん中で空を見る。

オリオン座が悠然と三ッ星を掲げて南の空にのぼってくる。

10時に就寝。

*

呉羽ばあさんと過ごしたこの一ヶ月。

わたしはすっかり元気になった。

それで知った事。

<簡素。それが一番の贅沢。>。

英語で言えば

<Less is more >。

*

 

 

2006-09-10

森の文化

日本には広大な森が未だに残っている。

これは日本の大きな宝である。Sekainomori

図にあるように森林率において、日本は66.4%。

先進国の中ではダントツである。

(パプアニューギニア90.7%、カメルーン75.5%、

中央アフリカ75.0%、ガボン74.3%、

ザイール74.1%、フィンランド68.5%、

マレーシア67.6%)。

*

日本は昔から他の国から来た文化の成果だけを輸入して、それを日本に移植し、それを改良するという事に集中して来た。

●日本建国時には中国の文化を導入。

●明治維新では欧米の文化の導入。

●現代日本はGHQによるアメリカ文化の導入が基本になっている。

つまり日本は基本的に外来文化の消化の上に築かれてきたのだ。

しかしそれだけに集中するという時代はもう完全に終わった。

*

これからは2つのやり方を平行してやらなくてはならない。

●自分がすでに持っている文物の尊重とその展開。

●今までやってきた、外国の文物の導入とその改良。

これが今からの日本のスタイルになる必要がある。

言い方を変えて言えば、東大型の官僚だけではもうダメなのだ。

京大型の日本のリーダーが必要なのだ。

自分の哲学を持った日本のリーダーが求められているのだ。

日本の文化への自尊の心。

その長所を自分で認め、それを大切に育み発展させる。

その上に日本の行き方を築いていく。

これがジャパン・アズ・オンリーワンの生き方なのだ。

*

では日本が今持っている文物の中で一番優れた物。

それが<日本の森>である。

森は、雨水を溜め、それを濾過して清らかな水を作る。

それは河川へと流れ下り、米作りの基盤になる。

それは海へと流れ下り、海へ栄養分を運ぶ。

それがプランクトンを発生させ、日本近海の漁業の繁栄を支える。

この壮大な循環系の源になっているのが<森>なのである。

<森>は<きれいな水>、<稲作>、<健全な漁業>の基盤なのである。

*

日本は<森>を新しい日本の繁栄の中心に据えるべきであろう。

 

 

日本のアイデンティティー

今、日本で一番求められているものは何だろう。

わたしはそれは<日本のアイデンティティー>ではないかと思う。

日本人としての誇りの源泉。Apple1_1

それを<日本のアイデンティティー>と言う。

今までの日本にはある程度の<日本の独自性や誇り>というものがあった。

それが近年の巨大な変化の波によって壊され、<日本の独自性・誇り>として残っているものが段々少なくなってきているのだ。

戦後に作られた神話が壊れてしまったのである。

戦後の神話を象徴するのが<ジャパン・アズ・ナンバーワン>。

つまり<日本の世界市場における経済的な成功物語>である。

失われた10年と言われているバブル後の時代に中国が世界の工場として台頭。

アメリカは小泉時代に金融と軍事の両面で日本を実質的に再占領した。

しかしいまだ、かすかに神話の余韻は日本には残されている。

それが団塊の世代が汗水たらして貯めた巨大な貯蓄である。

*

この貯蓄が普通の金利で回っているなら、団塊の世代は老後を結構安心して暮らせる。

しかしこれはアメリカの都合でダメになった。

日本の官僚と政治家はアメリカにゼロ金利政策を押し付けられ、それが実質的には今も続いているのである。

郵便貯金という国民のなけなしのヘソクリも民営化で市場原理の働く場所に移された。

つまりアメリカの手の届くところに移されたのである。

そして銀行に貯蓄されている元金も上限が1000万円しか保証されないという法律ができた。

日本はこれで遂に裸にされてしまったのである。

*

政府だけではない。

同じようなプロセスが民間でも起きている。

それを象徴するのがソニー・ブランドの失墜である。

アップル社が開発したiPODにウォークマンの市場をゴッソリ奪われてしまったSONY.

マイクロソフト社に大半を奪われたPSプレイステイションの市場。

民間でもこうして日本の富がアメリカに奪われる事件が次々に起きているのである。

*

中国はこのような日本をよく眺めながら、北朝鮮や韓国とも組んで日本の勢力削減に必死に取り組んでいる。

日本の生産拠点を出来る限り中国に移し、奪取する。

日本の技術を盗み取る。

日本が技術を移植した台湾を中国化する。

日本の周りにいた韓国とか台湾も中国の手の中に堕ちている。

こうして日本は遂にアメリカと中国という2大覇権国家の谷間に落ちてもがいている。

日本は東西の両方からむしりとられる立場に立たされているのだ。

それが今の状態である。

*

今後、日本はどうやって失われた<日本のアイデンティティー>を取り戻す事が出来るか。

それが今の日本にとって、一番重要な課題なのである。

ずばり答えを言おう。

日本の<官僚主導型>の政治体制を壊さなくてはならない。

いまの日本の政治は官僚が主導している。

法律も予算も官僚が握っているのだ。

政治家はハンコを押すだけなのだ。

<物>と<影>の関係で言えば、本来<政治家>が政治を行い、決断する。

それを遂行するのが役人とか官僚である。

政治家が<物>。

官僚はその<影>なのである。

それが日本では、政治家が役人とか官僚の<影>になっている。

この丸投げ政治を、普通の政治家主導型の政治に直す。

これが緊急の課題なのである。

*

わたし達が選挙で選んだのは政治家である。

官僚ではない。

つまりわたし達の代表は政治家である。

官僚ではないのだ。

この事を日本のすべての人が知らなくてはならない。

*

肝心な事は何故、日本では官僚が政治家の上に来ているのか。

その理由を知る事である。

日本は昔から他の国から来た文化の成果だけを輸入して、それを日本に移植し、それを改良するという点に集中して来た。

日本建国時には中国の文化を導入。

明治維新では欧米の文化の導入。

現代日本はGHQによるアメリカ文化の導入が基本になっている。

つまり日本は基本的に外来文化の消化の上に築かれてきたのだ。

政治家が決断するべきものは殆どなかった。

基本線が初めから明確だったからである。

答えは外国にあった。

だからそれを消化して、日本に移す人材が中心になったのである。

東大という官僚育成機関が幅をきかせてきた理由がここにある。

今、日本が方向感覚を失って漂流しているように見えるのは、外側に日本のモデルとなる物がなくなっているからである。

これからの日本の方向は自分達で決める。

それが今の時代の日本が受けている挑戦なのだ。

*

上記の理由から分る事。

それは<日本のアイデンティティーと誇り>を取り戻すには、政治家を官僚の上に置く仕組みを全く新しく作り上げなくてはならない。

<日本の世界市場における経済的な成功物語>。

これに続く神話をわたし達は必要としているのだ。

それは何だろう。

次の時代の希望。

東京オリンピック ?

それはもう聞き飽きた音楽。

去年のカレンダーなのである。

そんな時代はとっくに終わっている。

*

<日本の世界市場における経済的な成功物語>。

これに続く神話をわたし達は必要としているのだ。

それは何だろう。

次の時代への希望とは。

日本人としての誇りの源泉。

<日本のアイデンティティー>とは何なのだろう。

*

 

 

2006-09-02

自分レフォームのすすめ

家を建てる。

しかしその家は一度建てれば永遠にそのまま立っている訳ではない。

何年もすると、そこここに、綻び(ほころび)や不備な点が生じる。

部分的に壊れたところが連結し合って、最後には大きな事故に結びつく危険が生じるのである。

だから家のレフォームが必要になるのだ。

*

一人の人間が生き始める。

しかしその人は一度生き始めたら永遠にそのままの姿で生き続ける訳ではない。

何年もすると、そこここに、ほころびや不備な点が生じる。

部分的に不備な点が連結し合って、最後には大きな事故に結びつく。

そのような時には<自分自身のレフォーム>が必要となる。

*

今が<自分自身のレフォーム>の時だ。

そう直感する時がきっとあるに違いない。

例えば次のような場合。

突然、大きな失敗をしたのだ。

ある人に騙されたのである。

その失敗を反省して、失敗の原因を追いかけてみる。

<何故あの時にコロッとだまされたのだろう。>

そうすると以下のような点が明確になった。

<自分はこれまでサラリーマンとしてやってきた。

簿記とか金利とか保険とか株や税金や法律。

いわゆる金融分野の知識と経験が殆どない。

そこにつけ込まれたのだ。

甘い言葉に乗せられたのだ。

懸案の問題点を自分自身でもう一度チェックしたり、確認する事なく、彼の言葉を盲目的に信じて乗ってしまった。

それが原因だ。>

*

このような体験をしている人は沢山いるのではないだろうか。

<丸投げの結果、盲信の罰>である。

これを体験した人は<自分自身のレフォームのタイミング>は今である事を知るのである。

自分の<知識の穴>を発見したのだ。

自分である程度、その分野の知識がないと専門家の甘い言葉に乗せられる。

騙される確率が高くなるのだ。

金融に関する知識は現在の日本では大なり小なり生きてゆく為には必要なものなのだ。

その部分をオザナリにして来た罰が上記の失敗の原因だ。

それに気がついた人は失敗から学ぶ。

そして自分のレフォームに一歩踏み出す事が出来るのである。

*

しかしレフォームとは言っても、実際に<知識の穴>を埋めるのは大変な作業である。

そこをぐっとこらえて、学ぶ。

それを支えるモーターとなっているのが、痛い失敗の経験なのだ。

<コンチクショウ。

もう絶対にだまされないぞ。>

この執念が新しい知識を身につける動機になるのだ。

<もう二度とだまされません>。

そう天に誓ったのだから。

*

ではこの人はどんな方法で金融の知識の穴を埋めるのだろうか。

それは<基本的な事から学ぶ>。

これが原則である。

簿記の基本である<仕分け>から学ぶ。

これが分ると<貸借対照表>(バランス・シート)と<損益計算書>の意味が分るようになる。

そうするとどの会社の株を買うか、どの会社の株を売るかというような判断の基準が出来る。

あるいは<金利>の基礎を学ぶ。

そうすると投資一般についての視野が開ける。

投資の対象は色々ある。

預金、株、為替、保険、不動産投資などである。

預金の金利について良く知っていれば、その安全な投資を基礎にして、リスクが小さい順に、段々とリスクの大きい分野にも分散した投資が出来るようになる。

*

最後に<税金>についての知識。

これから高い税金が予想される日本では税金についての知識は避けては通れない。

今までの日本のサラリーマンは税金の事は会社とか他の人にまかせきりでやって来た。

しかしこれからはそれでは大変危険である。

年々高くなる税金をゴッソリと取られっぱなしになる恐れがあるからである。

どんな人もこれからは大なり小なり<タックス・プラン>を持つべきなのである。

わたし達は今、<節税プラン>が欠かせない時代に生きているのだ。

*

いつレフォームに踏み出すのか。

レフォームのタイミング。

それは具体的な失敗が教えてくれるのだ。

肝心な事は小さい失敗をした時に、その原因を追求する事である。

そしてそれに対する対策を具体的にたてる事だ。

小さい失敗をバネにして自分のレフォームに踏み出せるか。

それがその人の新しい人生を決める。

大きい失敗をした後では遅すぎる危険がある。

*

上にのべたのは<金融分野の知識の穴>についてである。

これは1つの例である。

他の例をあげると。

<仕事。

今の仕事はこのままで良いのか。

仕事のレフォーム。

仕事の仕方を変える必要があるのではないか。>。

<健康。

治療が必要なのではないか。

歯を治す時ではないか。

自分の体のレフォーム>。

<食べ物に対するレフォーム。

今の食べ物はレフォームが必要なのではないか。

自分で料理をするべきではないか。

中国産の物は避けるべきではないか。>

<夜型の今の生活を朝型に切り替えるべきではないか。

生活のリズムへのレフォーム>。

*

戦後61年。

わたし達は今、<自分レフォーム(iReform)>の時代に生きているような気がしてならない。

*

2006-08-22

世界で一番ホットな問題

日本の工業製品の品質は世界ではトップ・レベルである。

これはどうやって生み出され、達成されたのだろうか。

それは各々の企業が真剣にTQC(Total quality control )運動、いわゆるゼロ・デフェクト運動に取り組んだ結果である。

1960年代から日本の企業はアメリカのデミング等の品質管理理論を導入した。

日本のTQCはその成果が世界の注目の的になり、1990年代にはアメリカを始めとして他の西欧諸国にも波及した。

各々の部門がQCサークルを作り、欠陥やクレームの解決、品質の向上に団結して取り組んだのである。

もともとのTQCの手法はアメリカで生まれた。

しかしそれを実際に企業内のQCサークルで実践して成果として実現したのは日本が最初である。

世界中の工場の壁には<KAIZEN>という日本語の標語が貼り付けられている。

KAIZENは今やグローバルに通用する世界語になっている。

*

当時は工業製品の品質向上が世界で最も困難な課題であった。

それを日本はTQCと団結で乗り越える事が出来た。

では今、世界で一番の問題は何なのだろうか。

それは<失業>である。

開発途上国は言わずもがな。

すべての先進諸国における一番の問題は<失業>である。

しかし大変不思議な事に<セロ失業>に取り組む運動は世界中には存在していない。

もちろん公式には失業が叫ばれている。

その為の政策も行われている。

しかし一歩社会の本音の部分を見ると、むしろ反対の現象が至るところに見られる。

例えばある大きな企業が大量のリストラ計画を発表。

そうするとすぐに株価が跳ね上がる。

つまりその企業の資産が急増して潤うのである。

<ゼロ失業>とは反対の事が社会的に認められ、しかもそれが株価利益と結び付けられている。

<首切り>のインセンティブが今の資本主義の社会に埋め込まれているのだ。

一言で言えば今の資本主義には一種の<人間への嫌悪>が深く埋め込まれているのだ。

*

第2のTQC運動を起こす時が来た。

今度は工業製品の品質向上ではなく、人間が対象である。

<ゼロ・失業運動>である。

当時はアメリカ人のデミングがTQC理論を考え出した。

しかしアメリカはそれを実現出来なかった。

今度は日本人がゼロ失業理論を創り出す時である。

そしてそれを自分で実践するタイミングが熟しつつある。

その背景としてあるのは、日本は世界で一番急速に老化現象が進行している国であるという事。

それに少子化の現象が急速に現れている地域だからである。

タイミングとしては抜群である。

その世界への貢献度も大きい。

目的は<どんな人にも仕事を与える社会>。

一人の人間を徹底して活用する事。

一人の人間に焦点を当てる仕組みを作る事である。

*

ゼロ失業理論、その為の道具の開発と実際の社会における実践と成功。

これが世界で一番ホットな、一番難しい<問題>なのである。

*

ゼロ失業こそ最高の<老化対策>、<少子化対策>である。

それにこれは究極の<テロ安全対策>でもある。

*

2006-08-19

北と南の戦い

なんだかこの世界には2つの全く異なったDNAがあるみたいである。

Dna 歴史をさかのぼるとアジアでも西欧でも、このリズムだけは同じである。

*

まず南の大河の流域に豊かな定住農民が生活している。

そこに周辺地帯にいた異民族が侵入する。

南の定住農民の世界。

ここでは女性原理が強い。

生産中心。

宗教があり文化がある。

循環型。

まじないと予言が支配する。

女権がつよい。

耕しかつ食う世界である。

一言でいえば<生産と文化>の世界。

*

周辺地帯の商業、移動型遊牧民族の世界。

ここは男性中心の世界である。

一人の男の支配が貫徹する世界。

政治が大変強調される。

支配、被支配の区別がはっきりとしている。

奪い奪われる世界である。

騙し、騙される。

策略と奪略の世界である。

力の強い者しか生き残れない。

支配者と奴隷の世界である。

富と金属、武器と武力の世界。

一言でいえば<武力と政治の世界>。

*

中国でいえば後者の例は、中国を最初に統一した<秦>。

武断型、男性タイプの国の良い例である。

秦は風俗的に中原諸国と大きく異なっていた。

だから、当初、秦人は野蛮人としてさげすまれていたのだ。

秦が最初に興った所は現在の甘粛省礼県。

つまり秦の本当の出自は西戎。

西方辺境地帯にいた野蛮人。

シルクロードを伝わってくる先進メソポタミア西方文化をいち早く吸収出来る場所であった。

馬と法律に着目した秦は騎馬戦術と法律の整備に特徴がある。

最終的には秦が中国を統一する。

特に秦が楚を倒す際に用いた<謀略・策略>に注目したい。

謀略に長けた張儀を登用。

南の大国、楚をあらゆる<謀略・策略>で引きずり回す。

そして最後に戦争で楚を滅ぼした。

もう一つはその<過酷な合理主義>。

白起将軍を起用。

紀元前260年、当時の強国、趙を攻めさせた。

白起は長平の戦いで趙軍を撃破。

彼は経済的な効率だけを考えた。

だから、趙の捕虜40万人をとらえた時、すぐさま穴を掘って生き埋めにして殺した。

*

世界の歴史を見ていると、時々大きな疑問に襲われる。

いつも北の攻撃的な獰猛な民族が、南の平和で豊かな国を襲い、征服するのである。

その例は数え切れない。

中国の歴史そのものが北の塞外遊牧民族と南の定住民との戦いであった。

そしてその結果はモンゴル等の歴史が示す通り、北の民族が勝つのである。

南の楚とか呉とかの稲作民族は北から攻めてくる遊牧民族に押されて更に南へと移動する。

その一部が日本まで避難して来た。

南中国の長江流域の歴史は完全に近く抹殺され、あとかたもなく消し去られてしまった。

*

マケドニアのアレクサンダーの遠征は歴史の上では大変美化されている。

しかしそれを良く見ると北方の野蛮な部族の若造が、当時世界で最高の文化を誇っていた多民族から成る、世界帝国ペルシャの富に目をつけて侵入。

これを奪略した。

つまり彼は一言で言えば単なる泥棒の親玉ではないか。

本質から見ると、それだけの話なのだ。

*

歴史は勝者の手によって書かれる。

このように、流布されている殆どの歴史の半分以上は嘘であると考えた方が良いのだ。

わたし達は眉につばをつけて、実際にあった事実を、もう一度自分の目で良く見て、自分でその意味を考える必要がある。

ハワイのような平和な南国の楽園といわれた島もアメリカに占領されてしまった。

*

この世界に男と女があるように、国にも男性的な攻撃的な国と、女性的な柔和な国とがあるのだ。

そして男と女の世界でもそうであるように、いつも男が女を力でねじ伏せるのだ。

牧畜と麦作を中心にした西欧と北中国。

漁撈と稲作を中心にした東南アジア諸国。

動物と植物。

男と女。

一神教と多神教。

戦争と平和。

だましの文化と実直の文化。

どちらが勝つのか。

*

何故、今まで北が勝ち、南が負け続けているのか。

何故、正義が負けるのだろうか。

どうすれば南の平和勢力、循環型の社会が、暴力と嘘と騙しの社会に対して勝つようになるのか。

歴史上で繰り返される不正な結果を避ける方策はあるのか。

*

日本では今アメリカにつくのか、中国につくのかという論議がなされている。

あたかも日本はいずれかの国に隷属しているかのような議論。

わたし達は全く別の点にまず目を向けるべきなのだ。

本当の問題は日本がどんな世界を作りたいのか。

それが一番先に議論されるべき、本当の課題なのだ。

主人公はあくまでも日本なのだ。

日本の未来像。

それがどんな未来なのか。

そのイメージをまず鮮明にするべきなのだ。

それから、ではその為にはアメリカと中国とはどう付き合うのか。

それが決まるのだ。

アメリカ、中国とどのようにつきあうのか。

それは本質的な点から見ると単なる<素材>や<手段>に過ぎない。

このままずるずる行けば、日本はまたアメリカとか中国の罠(わな)にはめられて、北の勢力との戦いに負ける。

*

男と女。

戦争と平和。

騙し・奪略の文化と循環・平和の文化。

日本は今大きな岐路に立っているのだ。

*

上記の問題に対する答え。

男と女の両方の世界をカバーする力を持つ事である。

この世界が男と女の2つのリズムで出来ているのなら、その二つを打って一丸とする点を中心に動かなくてはならないのだ。

どちらかの1つでは足りない。

どちらも持つ必要があるのだ。

*

電子ペーパーを使う

超小型コンピューターSONY-UXについては7月15日に書いた。

今回はこのマシーンで使う<電子ペーパー>を試して見よう。Bara51_1 

*

<電子ペーパー>?

といぶかられる人もいるであろう。

<電子ペーパー>と言っても別に特別な物ではない。

コンピューターの画面上に存在する紙である。

その大きな特徴は手書きで日記を書いたり、ノートをとったり出来るという点にある。

コンピューターというとタッチ・タイプでキーボードをたたく姿を思い浮かべる。

コンピューターは欧米で生まれたマシーン。

だから、タイプライター式のキーボードが主な入力機器として使われているのだ。

しかし、ちょっと考えると日本には本来、日常生活の中で日本語を打てるタイプライターはなかったのである。

そこにワープロが登場。

これがキーボード付きの日本語タイプライターとして普及した。

現在ワープロは、ほとんど<ワード>とか<一太郎>などのコンピューター・プログラムに置き換えられた。

*

SONY-UXにはスライド式のキーボードが付いている。

これで辞書を引いたり、短いメモを書いたりは出来る。

しかしタッチ・タイプで長い文章を書いたりは出来ない。

キーボードが小さすぎるのである。

SONY-UX本体の左側にUSBの差込口が付いている。

だからタッチ・タイプで文章を書きたい人は、USB型のキーボードをそこにつなげばいいのだ。

こうすれば、SONY-UXはもう立派なデスクトップXPコンピューターである。

*

しかしSONY-UXを使っていると一つの事に気が付く。

SONY-UXの小ささとその軽さ(520グラム)である。

手の平に乗る。

だから当然、SONY-UXはデスクトップ型というより、むしろ携帯用機器PDAとして多く使われるようになる。

それが、このマシーンの運命である。

でも、どうやってキーボードなしで文章を書くのか。

ハタと困ってしまった。

いろいろと試して失敗を繰り返した。

*

ある日突然アッと気が付いた。

<そうだ!アクロバットを使えば良いのだ。>

早速試して見た。

そして遂に出来たのである。

ペンで日本語の文章を電子紙の上にすらすらと何枚も書けるのである。

日記もOK。

枚数も自分で自由に調節出来る。

*

電子紙の作り方は以下の通りである。

まずワードを開く。

3ページの紙を作る場合はワードの各ページに1、2、3とページを打つ。

次に<これを印刷>。

アクロバット・スタンダードがインストールされていれば、<プリンタードライバー>に<アドベ・PDF>を選択する事ができる。

これで3ページの白紙のPDF電子紙が完成する。

これにPDF-Kami-3.pdf等の名前をつけてSaveする。

SONY-UXのエクスプローラーでPDF-Kami-3.pdfを開く。

するとアクロバットが起動して3ページの白紙が現れる。

ペンで手書き文字が書ける。

消しゴムもある。

ペンの細さを調節する。

ペンの細さは2が一番良い。

色はやはり黒が良い。

手書き文字はスラスラと早く書いても大丈夫である。

細いペンを使ってスケッチとかデッサンも出来る。

忘れないうちに手書きの日本語の文章を別のファイル名でSaveしよう。

例えばNikki-200608181526等のファイル名。

3ページで足りない場合には途中でもいいので、<文書、ページの挿入>でもう一回3ページの白紙PDF-Kami-3.pdfを最後のページに付け加える。

そうすると全部で6ページの紙の束になる。

これで相当の長文が書ける。

手書き文字は比較的大きい文字で書くと書きやすい。

*

わたしはこの電子ペーパーを知って以来、ほとんど毎日これを使っている。

例えばSONY-UXでPDFの電子書籍を読み終えたとしよう。

そうすると読後の感想を書きたくなる。

電子紙をすぐに呼び出す。

手書きの読後感想文をパッと書く。

それを電子書籍のファイルと同じフォールダーの中にSaveしておく。

つまりここで起きている重要な点は、読んだり書いたりする事がSONY-UXのマシーンの中だけ完結しているという事なのだ。

他に何も要らない。

SONY-UXがあれば書籍もノートもそこにある。

辞書も地図もある。

30冊以上のPDF書籍が入っている。

他に何も必要ないのだ。

バスを待っている間でも読書出来る。

喫茶店の中でも文章が手書きで書けるのである。

*

便利な電子紙の事について書いてきた。

しかしSONY-UXを携帯用として使うには、一つのネックがある。

バッテリーである。

Slim60 外でバッテリーが切れた時にどうするか。

そこに登場するのが<外付け補助バッテリー>である。

<外付け補助バッテリーSLIM60>はSONY-UX用に使える。

これがあれば、外にSONY-UXを携帯出来る。

4時間位は使えるので安心である。

本当に便利になったものである。

*

すばらしい電子ペーパーに感謝。

合掌。

 

 

2006-08-11

時の不思議さ

ある日突然、自分の中の流れが変わった。

そういう感じを経験した人はいないだろうか。Cosmos

同時にいろいろな身のまわりの物事が、突然違った姿で見え始める。

このような区切り目が人生にはある。

それを世間では<時>が来たと言う。

一つの時代が終わったのだ。

新しい章の始まりだ。

*

<時>とは一体何なのだろう。

わたしはそれは内と外から来る一つの区切り目であると思う。

自分の内部からジワジワと湧き上がってくる新しい世界。

同時に外の世界もそれにつれて回転する。

内も外も新しい時の渦巻きに巻き込まれる。

結婚とか、就職とか、移転とかの人生の区切り目にはいつもこの<時>が一役をかっているのだ。

特に定年で退職する人はそれを強く感じる事であろう。

あるいは田舎から大学へ進学する為に上京した学生もそれを感じるだろう。

*

今まで毎日会社に出て働いていた人が、朝から自由な時間をもてあましている。

逆に今までフリーターだった人が、毎日外に出て、働き始める。

各々の人間に、さまざまな<時>の回転があるのだ。

一つの時代が終わったのだ。

新しい章の始まりである。

*

問題なのはその過渡期である。

新しいリズムは未だ確固として安定してはいない。

古いリズムは未だ体の中に残っている。

そういう時がある。

灰色のゾーンである。

過渡期。

新しい生活への不安と期待が錯綜する。

古い生活への未練がまだ残っているのだ。

*

さだまさしが作詞・作曲し、山口百恵が歌う<秋桜>(コスモス)という曲がある。

わたしはこの曲が好きで時どき聴いている。

結婚前の、不安と期待。

母への感謝を歌っている。

*

淡紅(うすべに)の

秋桜(コスモス)が秋の日の

何気ない陽溜(ひだま)りに揺れている

此頃涙脆(このごろなみだもろ)くなった母が

庭先でひとつ咳(せき)をする

 

縁側でアルバムを開いては

私の幼い日の思い出を

何度も同じ話くり返す

独言(ひとりごと)みたいに小さな声で


こんな小春日和の穏やかな日は

あなたの優しさが 浸みて来る

明日嫁ぐ(とつぐ)私に 苦労はしても

笑い話に時が変えるよ

心配いらないと 笑った


あれこれと思い出をたどったら

いつの日もひとりではなかったと

今更乍(なが)ら我侭(わがまま)な私に

唇かんでいます


明日(あした)への荷造りに手を借りて

しばらくは楽し気(たのしげ)にいたけれど

突然涙こぼし 元気でと

何度も何度もくり返す母


ありがとうの言葉をかみしめながら

生きてみます私なりに

こんな小春日和(こはるびより)の穏やかな日は

もう少しあなたの子供で

いさせてください

*

コスモスが風にゆられて咲いているように

なよなよとした、さわやかな美しさ。

その過渡期の壊れそうな美しさが

目に見えるようである。

過渡期の美しさ。

夏に向かう<春>にも

冬に向かう<秋>にも、

この美しさが漂っている。

人生に現れる不思議な<時>の到来。

*

 

 

2006-08-02

老人とコンピューター

ヘミングウェイの小説に<老人と海>というのがある。

Hemingway 一人の孤独な老いた漁夫サンチャゴは漁に出かける。

85日目にやっと巨大なカジキマグロを針にかける。

3日間、そのカジキマグロと戦い続けた。

しかし、港に帰る途中、サメに釣ったカジキマグロを食いちぎられる。

港に着いた時には、サメにすべてを食い尽くされていた。

この作品で、ヘミングウェイはノーベル文学賞を受賞している(1954年)。

*

ここでは<老人と海>ではなく、テーマは<老人とコンピューター>である、

世間ではディジタル・デバイドとか何とか言って、老人とコンピューターはあたかも相性が良くない事のように書いている。

果たしてそれは本当なのだろうか。

その答えははっきり言って<NO>である。

老人とコンピューターは、実は、大変相性が良いのである。

*

何故か。

人間は年をとると、体力が落ちてくる。

しかしコンピューターを使うとそのマイナスをカバー出来るのである。

そのよい例は視力の衰えである。

年をとって一番初めに困る事は視力の衰えである。

いままでどんどん本を読んでいた人が視力が衰えて本が読めなくなる。

しかし心配は御無用。

コンピューターを使えば、ドキュメント・スキャナーで普通の本をPDF化すれば、文字のサイズが自由に拡大出来る。

その結果、目が悪い為に読書を止める必要はなくなるのである。

むしろ反対。

目が悪い故に、もっと沢山の本を、もっと集中的に読めるようになる。

つまりコンピューターを使えば、ハンディーがメリットに変わるのである。

新聞を読む。

視力が衰えてきたので新聞が思うように読めない。

No problem!

インターネットの新聞を見る。

興味のある記事をコピーする。

WORDを開いて、そこに記事を貼り付ける。

全文をマークする。

文字サイズを変更して大き目のフォントに直す。

又は<紙>というプログラムを使って大きな文字で読む。

そうするとどんな記事でも自由に思い通りのフォント・サイズで読めるのである。

読んだあとの記事はタイム・スタンプ付きのファイル名、例えば<20060801-題名>でSaveする。

つまり新聞のスクラップ帳が毎日手軽に作れるのである。

*

年をとると記憶力が衰える。

心配、御無用。

自分のデータ・ベースをハードディスクの上に作れば良いのだ。

例えば住所録である。

これを色々な難しいプログラムで作っている人がいる。

でも実はこれも簡単に作れるのだ。

まずエディター、つまりテキストを書くプログラムを一つ決める。

わたしの場合には<EMエディター>というプログラムを使っている。

ある人から手紙をもらった。

さっそくその人の名前と住所をエディターで書こう。

書きかたは以下の通り。

まず名前である。

その人の名前を例えば、青木浩二さんという事にしよう。

この場合、エディターを開き、書く。

-----------------------------

青木浩二

東京都千代田区

XXX XXX

XXX XXXX

会社名 サンユウ(株) 営業部

---------------------------

書き終わったら、このエディターのデータを、次のファイル名で、どこでも良いのでハードディスク C: にSaveする。

aaa-aoki kouji-sanyu

<aaa- >というのはアドレスという意味である。

後で住所を探す時はWindows付属のの検索プログラムに行く。

<aaa-aoki>と打ち込んでC:全体を検索する。

検索はC全体で行うので、ファイルはどこに置いてもOK。

2-3秒で<aaa-aoki kouji-sanyu>のファイルを見つける事が出来る。

*

上の例は住所のデータ・ベースである。

新聞のスクラップのデータ・ベースも同じように出来る。

記事のスクラップ帳のコードを<sss- >とする。

インターネットの新聞のある記事を貼り付けたワードのファイル名の例。

<sss-lebanon-war-20060801-yomiuri>。

ハードディスクの何処でもSaveする場所は問わない。

検索プログラムがあれば、<lebanon>でも見つけられる。

<war>でも見つけられる。

あるいはタイムスタンプ<20060801>でも見つけられるのである。

*

高速の<ファイル名検索プログラム>が一つあれば、コンピューターはたちまち、その老人の外部記憶装置に早変わりするのだ。

ハードディスクC全体があたかも自分の脳の働きと同じように機能するのだ。

*

普通、老人は一人一人良く見ると<ある分野の専門家、プロ>である。

農業を営んでいた老人も、ある種の作物に関しては、深い知識と経験を持っている。

それらは果たして生かされているのだろうか。

その彼がコンピューターを日常生活で使い始めたら・・・・。

その知識と経験が書き記され、次の世代へと引き渡される可能性が出てくるのだ。

*

普通世間では若者はコンピューターが得意であるとするイメージが流布している。

しかしこれは疑問である。

果たしてこのイメージは正しいイメージなのだろうか。

わたしはそうは思わない。

恐らくゲームに夢中になっている若者をコンピューターが得意だと考え違いをしているのではないだろうか。

ゲームが良く出来る若者が本当にコンピューターを生活の中で使えるのか。

実は使えないのである。

若いという事は<多くの試行錯誤>が出来る事を意味している。

<多くの試行錯誤>の為の時間を彼は持っているからである。

経験も足りない。

知識も足りない。

それが若いという事だ。

実際の生活での中では、むしろ彼は沢山動き回り、色々な事をやる必要があるのだ。

多くの人間の中に入って、失敗も成功も沢山経験するべきなのである。

若い人はコンピューターよりもむしろ多くの人間との接触と、現実の中の経験と体験が必要なのだ。

若い人はエネルギーに満ちている。

力にあふれているのである。

つまり彼にはコンピューターは実際にはそんなに必要ではないのである。

反対に老人にこそコンピューターが似つかわしい。

彼のたどってきた経験と体験。

彼が集積してきた知識の山。

それは貴重な宝である。

それを持ったまま、亡くなる。

それは大きな社会の損失である。

老人にこそコンピューターという記録マシーンが必要なのだ。

彼にこそ脳を刺激し続けるタッチ・タイプが必要なのだ。

コンピューターで頭脳の中を大量の情報が通過し、処理される。

これが老化防止の最大の決め手なのだ。

体力等の低下した、老人にこそ最大の効率が必要なのだ。

*

<老人と海>に戻る。

どんな老人もみんな、つまるところ漁夫サンチャゴなのだ。

獲物を求め、さまよった長い人生の旅。

やっと見つけた獲物。

それは苦しい旅路だった。

獲物をしとめても、結局のところ彼はそれを若いサメのような、子供達を育て上げる為に使い果たす。

老いてやっと港に帰った漁夫サンチャゴを待っているものは。

それがコンピューターなのだ。

*

 

 

2006-07-28

色々な画像3

色々な画像を以下に示す。

興味があれば見ていただきたい。

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*Prag501

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Kage1 *

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*Prag505

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Prag503 *

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*Prag504

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Prag502 *

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*Samarkandmosuku 

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2006-07-26

遠いむかしの思い出

時どきフッと遠い昔の風景が

鮮明に目の前に見える。

Tree100 そういう事はないだろうか。

*

さらさらと小川のせせらぎの音が聞える。

母が近くの川で洗濯をしているのだ。

わたしはというと、砂の混じった浅瀬で、小さい魚を取って遊んでいる。

5才頃の事だと思う。

*

何故かこの時の母の横顔が繰り返し繰り返しわたしの記憶に現れるのである。

白い手ぬぐいで髪を覆っている母。

川に突き出た石がある。

そこで洗濯板でゴシゴシ洗濯している母。

石鹸の白い泡がきれいな水に浮かんで流れていく。

その傍で魚取りに余念のない小さい自分。

川の水は澄んで砂の一粒一粒までが見える。

その砂の上に小さい魚がいる。

しかし目を凝らさないと見えない。

保護色をしているので砂と見間違えるのだ。

魚を見つけるとそれを追いかける。

川の中の草むらに逃げ込んだ魚。

それを追いかける自分。

小さい竹のスクイで草むらをすくい上げる。

竹の籠のようなスクイの中には小さいドジョウとか他の魚が入っている。

全部で5匹くらいいる。

Hanngetsu1_1 砂の池を作り、小さい魚をその中に入れる。

池の中にいろいろな通路を砂で作る。

石で囲いを作る。

通路の上に石の橋を架ける。

魚を追いかけその通路に追い込む。

そうやって遊んでいたら、母の声が聞える。

"さあうちに帰るよ。早く上がってきなさい。"

母は洗濯物を抱えてもう川の土手の上に上がっている。

わたしは急いで池の砂の囲いを壊す。

魚は川にみんな逃げていく。

*

母と一緒に家に帰った。

いつもあのきれいに澄みきった川の砂の上の

小さい魚の

姿を思い出す。

*

2006-07-23

ガイア惑星

むかしあるところにガイアという惑星があった。

特に3006年ごろの様子について、その大要を以下に述べてみよう。

Sekaidisk *

ガイアにはいろいろな国があった。

特に3006年ごろを見ると一つの顕著な動きがあった。

それは、この頃、カリメという国のあり方が大きく変わっていったという事なのである。

この地域はカリメ共和国と南カリメからできていた。

カリメ共和国(以後カリメと略する)はラドという基軸通貨と世界に突出した軍事力で世界を牛耳っていた。

もちろん南カリメは表向きには独立していた。

しかし実際にはカリメの植民地化しており、カリメの裏庭のようなものであった。

カリメをよく見ると、3006年ごろには、かつての覇者の輝きは消えていた。

カリメにはすでにかつての栄光の輝きはなかった。

非常に極端に言えば、それはもう金のない、貧乏だがピストルだけは離さない町のヤクザのようなものになっていた。

世界の人々はカリメの時代が終わったという事を直感的に知っていた。

しかしヤクザの暴力が恐ろしくてそれをあからさまには口に出していう事をはばかった。

カリメのその当時の口癖は<テロに気をつけろ>であった。

しかしよく考えて見るとカリメ自身がテロを実行している、その本人ではないか。

南カリメの人は貧乏で悲惨な生活の中であがき苦しんでいた。

カリメと組んだ一部の階層が利権という利権のすべてを抑えていたからである。

*

ラトスという海を挟んでパロイ大陸があった。

そこには30以上の小国群がひしめいていた。

しかし2度の大きな戦争をした後で、これらの小国群は疲弊してしまった。

中でもスリギという国はかつてはカリメのようにトンボという通貨とスリギ海軍の力で世界を牛耳っていた。

しかし2度の大戦の結果、カリメに非常に大きな借金をした結果、大戦後には世界の支配をカリメに渡さざるをえなかった。

スリギはカリメに世界を支配する細かいノウハウのすべてを教えた。

スパイ網の作り方。

基軸通貨の作り方。

他の国の政権の転覆の仕方。

他国の要人を抹殺するやり方まで教えた。

スキャンダル暴露でメディアの力で抹殺するやり方。

あるいは実際に手を下して殺すやり方まで教えたのである。

*

スリギは島国で、パロイではいつも大陸と対立した存在であった。

パロイの大陸ではクラト、ゲル、アリタなどが主な国であった。

これらの国は2度の大戦を反省して、パロイ連合国という多民族共同体を作った。

もうお互いに戦争はしないで一緒に繁栄しようというのである。

この為にパロという通貨を作った。

共通の憲法を作って外交とか軍事を統合しようとしたが、これには失敗した。

つまり30以上の小国群は経済的には団結した。

しかし各国は政治的には未だ団結できないでいたのだ。

カリメはこれをみて喜んだ。

パロイは未だに、カリメには及ばない事をこれで知ったからである。

*

パロイの北側にはロタンという大国があった。

かつてカリメと世界支配を争った国である。

Sutoonhennji しかしカリメとの軍拡競争に負けて没落した。

カリメは負けたロタンを許して生かしておいた。

あの時、ロタンをつぶして抹殺するべきだったという意見がカリメでは強い。

そのロタンは石油とかガスなどの資源を使って、再び世界の舞台に登場した。

ロタンはカリメと張り合っていた頃の60%位にまで復活したのである。

ロタンは、専制的な独裁政治が伝統である。

いろいろな独裁者がロタンの歴史を飾っている。

ルート、ニンク、リスタ、そしてチープなどである。

*

ロタンの東にはナントという国があった。

ナントはかつては繁栄していた大国であった。

しかしパロイがスリギを筆頭に、世界を植民地化する運動を起こしたときにその犠牲になった。

それ以来、ナントは鳴かず飛ばずの悲惨な状態に陥っていた。

それが隣のサンカという国の繁栄を見て、あのサンカのマネをすれば金持ちになれるのではないかと、サンカのやり方を徹底的に真似して大成功。

ナントはカリメ向けの輸出基地として売り出した。

そして、世界中の工場をナントに誘致するようになった。

それ以来飛ぶ鳥を落とす勢い。

3008年には世界スポーツ大会もやるといきまいている。

立ち上がった眠れる獅子。

その建設ラッシュに便乗して儲けようと、世界中の金がナントに集まった。

問題なのは儲けた金のほとんどすべてを軍備に注ぎ込んでいる事である。

いつかカリメと一戦を交えるつもりなのだ。

*

ナントの隣にはアンカという国があった。

アンカには、ナントと同じで人口が10億人以上いる。

アンカはナントの成功を見て、俺達も同じようにやれば成功するのではないかと立ち上がった。

同じように儲けた金は軍備につぎ込んで秘密爆弾もミサイルも作った。

ナントと同じように世界中の産業や工場をアンカに誘致しようという運動を始めた。

アンカの得意な分野はコールセンターとかコンピューター・ソフト産業である。

アンカは長い間スリギの植民地だった。

だからスリギ語がアンカ中で使えるのだ。

スリギ語は準世界語になっているので便利なのである。

これが外国人の投資を呼び込む一つのメリットになった。

それにアンカの労賃はメチャクチャに安いのだ。

*

Subaru1 ナントの東の海上にサンカという国があった。

4つの島が集まって出来た島国である。

この国は地理的にはアスカ地域の東端にあった。

ナントがパロイの植民地にされていく様子をじっと見ていたサンカは、ぞっとした。

自分達もあのようにパロイの植民地にされてしまうのではないか。

そういう不安と焦燥にかられたサンカは一つの決断をした。

敵の武器で敵と戦うという決断である。

それ以来パロイに追いつけ追い越せがサンカのモットーになった。

科学技術、軍事、文化。

すべてを急速にパロイ・スタイルに変えたのである。

これが大成功。

特にナントとか、ロタンとかの戦争に勝ったのが良かった。

スリギと同盟関係を持ったのも良かった。

こうしてサンカは急速にパロイの仲間入りをしたのである。

しかしサンカはカリメにはめられて戦争に突入。

カリメの秘密特殊爆弾を浴びて負けた。

それ以来カリメの同盟国とはいいながら、実質的にはカリメの28番目の州になってしまった。

つまりサンカは政治的にはカリメの子分になったのである。

経済的にはカリメ向けの輸出で成功した。

しかしカリメ向けの輸出基地の地位は、ナントや他のアスカ諸国に奪われてしまった。

サンカの人口も今では減少を続けている。

サンカは世界で一番、急速な老化現象が見られる国である。

当時のサンカの一番の大きな問題は、サンカを巡る国際的な状況が一変しているという点であった。

サンカはよくみると戦争屋のカリメと新興のナントに挟まれてしまったのだ。

ナントは軍備に余念がない。

つまりサンカは対ナント戦争において、カリメの先兵として使い捨てにされる危険があるのだ。

しかし3006年の頃は、誰もその点について警鐘を鳴らす人はサンカにはいなかった。

*

パロイの南にはカリフ大陸があった。

むかしパロイが世界を植民地化する運動に乗り出した時にその労働力を供給したところである。

黒人の奴隷がカリフから世界中の植民地に向けて売りだされたのだ。

その為にカリフの人口はほとんど絶滅寸前までに減少。

もうそこから立ち直る事は出来なかった。

飢饉と病気と圧政が支配する悲惨な暗黒大陸である。

ただ大きな自然と野生の動物がそこには生きている。

例外は南カリフである。

ここはパロイ風の町があり、工場もある。

パロイ風の景色が広がっている。

パロイ人がその温和な気候に引き付けられて大量に移民しているからである。

カリフは南カリフあたりから徐々に立ち直って近代化して行く事になる。

*

カリフの隣にはアビアがある。

乾燥・砂漠地帯である。

しかしこのあたりは石油の宝庫である。

問題は古いしきたりが根強く残っている。

まだ王族が支配する部族の世界なのだ。

中世時代のまま存続しているというような感じなのだ。

石油の富もそれらの王族がほとんど独占している。

カリメはこの中世アビアを民主主義化したいと言って暴力的に介入している。

しかしこれは砂漠に水をやるようなもの。

失敗は目に見えているのだ。

本当の変化はそこに住むアビア人が自分で立ち上がってやるしかないのだ。

カリメ人もその事は内心知っているのだ。

ただアビアの石油とカリメ軍事基地が欲しいのだ。

カリメの今後10年間の長期戦略はアビア地域とアスカ地域一帯を混乱と戦争の地域にしてしまう事である。

むかしはカリメは秩序を作り上げる西側のリーダーであった。

今は世界に混乱と戦争を創り出すリーダーなのだ。

むかしは民主主義のリーダー。

今はウォー・メーカー。

それによってカリメは一方では自分の軍事的な覇権を維持出来ると考えている。

他方では他の先進国をエネルギー問題で苦しめるというシナリオなのだ。

それによって、ラドという基軸通貨を維持できると考えているのだ。

*

ガイアという惑星。

その未来は?

その先はどうなるのか?

2006-07-19

困難を乗り越える

人間は生きている限り<困難、問題>につきまとわれる。

生きるという事自体が困難そのものだとも言えるのだ。Hana301 

だから仏教では<生>を<生老病死>の四苦の一つとしているのだ。

*

ではある困難や、ある問題が起きた時には、具体的にどうそれを乗り越えたらいいのだろうか。

何かそこに<定石>のようなものがあるのだろうか。

弓術をやっている人がいる。

その<的、標的>を困難、問題であると考える。

的を射る。

それを問題解決であると考える。

*

Kyuudou1 弓術をやる人は的を射ようとする時に何をするか。

まず呼吸を整える。

呼吸を整えると、精神が平静になる。

精神が平静になると、人間は自然に的に集中できる。

そして<的>を見る。

そして、弓に矢をつがえる。

*

だから<問題>が起きたら、まず気持ちを落ち着かせる。

バタバタしない。

そしてまず<的>、つまり<問題>を見る。

<見る>という意味は<問題>を分析する。

あらゆる角度から<問題>を見る。

その<問題>を要素に分解する。

一旦、その問題を形作っている個々の要素をバラバラにする。

それをもう一度まとめて全体として見る。

分析と総合をやるのだ。

そして、それを繰り返す。

その意味で、<見る>事はすでに<勝つ>事なのである。

*

むかしローマの将軍で政治家のシーザー(Gaius Julius Caesar)は次のような言葉を残している。

<来た、見た、勝った>( Veni vidi vici. (ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー) )。

アナトリアの黒海南岸、東側の地域にポントス王国(BC281年 - 64年)というイラン人の古代国家があった。

肥沃な土地で、穀物や鉱物資源に恵まれたポントス王国は、近隣都市を次々に占領して、強大な国家に成長する。

そして、ついに勃興してきたローマと衝突する事になる。

当時、シーザーはエジプトの美女クレオパトラ女王と蜜月を過ごしていた。

そこに飛び込んできたのが、小アジアに派遣していたカルウィヌスの敗北の報せである。

6月にエジプトを発ったカエサル。

途中シリアやキリキアにおいて現地の安定化に努めながらポントスに向かった。

8月2日、ポントス西部のゼラにおいてポントス王のファルケナスと相対した。

戦闘は四時間程でカエサル率いるローマ軍の勝利に終わった。

カエサルはローマにいる腹心の一人、ガイウス・マティウスに手紙を送った。

その文面が、<来た、見た、勝った>( Veni vidi vici. (ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー) )。

*

簡潔に問題に対処する定石がここに述べられている。

<来た>。

これは考えるだけではなく、実際に行動する。

その場に行く。

実際にその関係者に会って話す。

<見る>。

これは問題の部分と全体を分析、総合する。

<勝った>。

実際に戦う。

危険の中に入り、身を挺して実際に戦う。

*

弓術の例に戻る。

的を見たら、矢をつがえる。

矢というのは的に向かって走る<道具>である。

シーザーの例ではローマの軍団である。

問題を解決するには具体的な<道具>が欠かせない。

理論とか精神論だけでは問題は解決できない。

*

では問題を<見た>後に必要な問題解決のステップとは何なのだろう。

一つはシーザーが見て戦況を分析、総合した後に出てくる<戦略>である。

勝つための<道筋>をまず誰かが頭の中にイメージとして作り上げる必要がある。

これは<計画>である。

問題を見る。

問題を見るとそれに対しての計画が人間の中に生まれる。

問題と計画は一セットになっているのだ。

それはちょうど<物>とその<影>のように切り離せない。

物があれば影が出来る。

問題があれば解決計画が生まれる。

問題があれば対策があるのだ。

人間は問題を見ると計画を生み出す動物なのである。

あとはその計画を実際に<実行>に移すだけである。

そして、問題が遂に解決する。

*

更に一歩深く、人間の本性を掘り下げて見よう

物と影の関係で言えば。

極端に言えば、人間は反対にまず<影・計画・企画>を作り、それに沿って<物・問題>を人為的に起こすような事さえもやる動物なのだ。

これを<陰謀>という。

今、世界中に人為的な騒ぎや争乱が頻発している。

それが陰謀国家・覇権国家のやり方なのである。

*

しかし全部の国がそんなワルではない。

そして、出来る事なら、そんなワルにはなりたくない。

しかしだまされないという注意が必要である。

*

その上で

<困難を出来るだけ

楽しく乗り越える>

工夫をしていきたい。

そうするには<困難>を

むしろ一つのチャンスと

考える癖をつけたい。

それを乗り越える事によって

新しい世界が開ける。

そうすれば、困難を乗り越える事は、

そのまま未来を創り出す楽しみになる。

*

2006-07-18

スウェーデンに学べ

初めてスウェーデンを訪れた時の事を思い出す。

飛行場から町へ向かうバスの中から、スウェーデン独特の小さい木造の家を見た。House_in_sweden

森の中に静かに立つ濃い茶色に塗られたかわいい休暇用の家。

点在する湖。

森の中に混じる、黒々とした岩肌。

人がほとんどいない閑散とした国土。

これがスウェーデンの第1印象であった。

*

スウェーデンについては何も知らなかった。

Sweden でもスウェーデンを知れば知るほど、おもしろい国だと思う。

念の為に以下、日本との比較をしてみよう。

スウェーデン 対日本比率 日本
人口 901万人 7% 12733万人
面積 449964km² 119% 377835km²
人口密度 20人/km2 6% 337人/km²
GDP 2381億ドル 6.4% 37450億ドル
一人当たりGDP 42391ドル 144% 29400ドル
通貨 スウェーデン・クローネ
カール16世グスタフ 明仁天皇

*

これを見ると驚くべき事実が明らかになる。

スウェーデンは人口は日本の10分の1以下。

国土は日本とほぼ同じ大きさ。

一人当たりのGDPは何とおよそ日本の1.5倍なのである。

生産性が1.44だけ日本より多い。

つまり生産性、生産効率がそれだけ高いのである。

言葉を変えて言えば、2人のスウェーデン人が生産する価値が、3人の日本人が生産する価値と同じなのである。

*

日本は極東の端っこにある国。

スウェーデンはユーラシア大陸の北の端にある国。

どちらも大陸から見ると、辺境にある国である。

日本はむかし16世紀の初めあたり、船で海外に展開。

<倭寇>(海賊)として恐れられた。

スウェーデンを含む北方の武装船団は8世紀から300年以上の間、西ヨーロッパ沿岸部を侵略。

<ヴァイキング>(バイキング、Viking、海賊)として恐れられた。

*

Viking スウェーデン人にバイキングの話は禁物である。

彼らには彼らの説明や言い訳がある。

しかしそれは大変複雑なので、彼らはその説明をしたくないのである。

ちょうど日本人が倭寇についての説明を避けるのと同じである。

バイキングも倭寇もその背景をよく見ると彼らは通常は農民とか漁民だったのである。

休閑期には貿易、交易、植民に出かける。

むかしの交易には、海賊や植民・行為が含まれていたのだ。

それが普通だったのである。

*

スウェーデン人をよく見ると、日本人に似ている。

例えば、非常に強い共同体意識。

みんなが一緒に幸せになるという考え方。

仲間意識が強いのだ。

スウェーデンの強い共同体意識。

それが明確な形として表れたものが福祉国家というコンセプトなのだ。

それに彼らは非常にやさしく、柔和である。

長い間スウェーデンは武装中立政策をとってきた。

従って、第一次世界大戦、第二次世界大戦の両大戦にも参加していない。

スウェーデンは辺境にあって戦争というエネルギーの消耗を完全に近く、避ける事が出来た。

他の国々、英仏独伊露が大戦で力を消耗していた時にもスウェーデンはキルナの鉄で製品を作って専ら商売に励んだ。

スウェーデンの富は、戦争を避け続けてきた知恵によるところが大きい。

ちなみにスウェーデンは今では中立をやめてEUに加盟している。

しかしヨーロッパ通貨ヨーロには未だに加入していない。

*

スウェーデンの平和主義は基本的に武装中立という考え方である。

世界最高の軍備と徴兵制度(19才-47才)が行われている。

アメリカへ自分の安全を丸投げするやり方ではない。

自分の国は自分で守るという意識が大変強いのである。

*

スウェーデンはダイナマイトを作り出したノーベルを生んだ国である。

ダイナマイトは戦争にも多く使われた。

それを悔やんでノーベルはノーベル賞を作り、世界の平和と繁栄と進歩に貢献した人を毎年表彰している。

*

一つの疑問がある。

スウェーデンは人口は日本の10分の1以下。

国土は日本とほぼ同じ大きさ。

一人当たりのGDPはおよそ日本の1.5倍なのである。

生産性が1.44だけ日本より多い。

つまり生産効率がそれだけ高いのである。

言葉を変えて言えば、2人のスウェーデン人が生産する価値が、3人の日本人が生産する価値と同じなのである。

この差はどこから来たのだろうか。

その答えを一言で言えば、コンピューターの活用度がスウェーデンでは日本より1.5倍だけ多いのである。

それから2つ目の答えとしてはスウェーデンの教育の質が1.5倍だけ日本より高いのである。

コンピューターと教育。

これがスウェーデンと日本の効率の差を創り出している秘密なのだ。

*

何か特別な事をやっている訳ではない。

スウェーデンのやっている事はコンピューターをごく普通の職場でごく普通に使っているだけである。

教育もごく普通にごく普通の教育を真剣に忍耐強くやっているだけである。

しかしそこに微妙な差がある。

スウェーデンにおいては人口が大変少ない(同じ国土の広さで人口は日本の10分の1)からかも知れないが、<一人の人間>が本当に<大切に扱われている>のだ。

人間の尊厳という考えが単に理論ではなく、実際に実行されているという感じがする。

それがはっきりと目に見えるのが、失業対策。

あるいは身体障害者への対策。

例として、スウェーデンで失業する。

そうするとその人は職安に行く。

そこでは個室で一対一の徹底したマンツーマンの職場獲得の相談が行われるのである。

とにかく徹底していて、真剣な対策とその実行が目に見える形で行動に移されているのだ。

<一人の人間に焦点が定められている>のである。

コンピューターにしても、生活の中にコンピューターがごく自然に埋め込まれている。

コンピューターは生活の道具としてごく普通にみんな使っているのである。

これが日本と大きく違っている。

ちょうど日本人が携帯電話を気楽に使う感じでスウェーデンではコンピューターを生活の中で道具として使っている。

*

わたしは日本が米中の谷間で翻弄されない道は日本のスウェーデン化という方向しかないと思う。

日本では人口減少に対する恐れとか不安がある。

しかしもう一度スウェーデンの統計をよく見て欲しい。

少子化など恐れる事はない。

恐るべきは一人の人間の開発度である。

恐るべきは一人の人間の生産性の低下である。

効率を徹底して上げる。

一人の人間を大切に扱う。

一人の人間の力を最高に発揮させる。

人間の教育と、コンピューターやロボット等の道具の使い方に集中投資をする。

外国人移民の導入は極力避ける。

理想を掲げるだけではなく、それをスウェーデンのように実際に実行する。

アングロサクソン風の弱肉強食の世界ではなく、みんなで繁栄を作り、みんなでそれを享受するスウェーデン型の社会。

一言でいえば<失業者ゼロ>の国。

日本は、正にこれを目指すべきなのだ。

そういう意味においてのスウェーデン化である。

*

2006-07-17

トルコ人のルーツ

ヨーロッパを旅すると、白人に混じっていろいろな人種の顔に出会う。

一番ハッとするのは、街を歩いている時に日本人の顔に出会う時である。Topukapu1

しかしそれが本当に日本人であるのかは一見しただけでは分らない。

もしかして、韓国人?

または中国人なのかもしれない。

ともあれアジア人の顔を見ると何だかホッとするのである。

*

いろいろな顔の中で、一見アジア人。

黒い髪。黒い目の人たちがいる。

トルコ人である。

トルコ人居住比率が高いのはドイツ。

ドイツには8242万人の人口中、約730万人の外国人居住者がいる。

9%の比率。

その中でトルコ人はおよそ200万人。

100人のドイツで生活する人間がいたら、そのうちの3人がトルコ人である。

*

トルコ人が支払っている税金と社会保険料は年間350億ユーロに達している。

ドイツの国民総生産の約20%はトルコ人によるもの。

トルコ人なしでは、 ドイツ経済は成り立たなくなっているのである。

一方ではトルコ人を巡るマイナスの要素は失業問題である。

1960年代の人手不足の時期にドイツに来た第1世代の約30%が失業。

第2第3世代では約40%が失業。

その率は年々高くなっている。

つまりトルコ人はドイツの社会に溶け込めなかったのである。

*

Hana300 ドイツ旅行中、汽車の中でテギンさんというトルコ人の学生と英語で話した事がある。

<テギン>というのは<王子様>という意味。

ハノーバーに住むトルコ人学生。

眉毛が濃く、野性的、精悍な顔。

黒い瞳、黒い髪。

アジアの香りがする。

確かに彼らトルコ人は、むかしはモンゴル高原の北、バイカル湖あたりに居住していた遊牧民であった。

中国の史書に出てくる<丁零、鉄勒、突厥>は実はトルコ人の事。

テギンさんはこれらの何十代目かの子孫なのである。

*

調べて見るとトルコ語は日本語に極めて良く似ている。

トルコ語は、単語の終りに<てにをは>などの接尾辞をつける<膠着語>である。

語順も日本語と同じく、主語に始まり、述語で終わる。

トルコ人を前にすると何か不思議な感情におそわれる。

"この人たちはモンゴル高原の北方地方から、延々と移動して、遂にヨーロッパのドイツまで来たのか。民族的には、言葉にしても日本に近いのに。"

そのような感慨に襲われるのである。

*

このごろでは、トルコのEU加盟の問題がヨーロッパの大きな問題として浮上するまでになっている。

果たして、どのような経過を経て、彼らトルコ人はヨーロッパにまで進出するに至ったのであろうか。

*

ちょうど日本に朝鮮の百済から仏教が公に伝わったとされる552年。

この年に<突厥(とっけつ、とつくつ、チュルク、トルコ)>という遊牧民族が歴史に登場する。

彼らは同じトルコ系の<柔然>を滅ぼし<鉄勒諸部族>を服属させた。

そしてモンゴル高原から、カスピ海北岸のキプチャク草原、中央アジアのオアシス地帯に至る地域を支配する突厥帝国( 552年-745年)を築いた。

突厥帝国が今日の中央ユーラシア全域に及ぶテュルク世界の原型を作り上げたという事ができる。

*

突厥は745年に回鶻(ウイグル)に滅ぼされた。

回鶻(ウイグル)も100年後に崩壊。

その後、テュルク人はオアシス地域で定住化を始めた。

オアシスの言葉はトルコ語が優勢になり、中央アジア一帯はトルキスタン(<テュルク人の土地>の意味)になっていったのである。

*

テュルク人がイスラム世界へ進出したやり方は、ちょうどゲルマン人がローマ帝国の中に入っていった時と同じように、軍人としてであった。

初めは、マムルーク(奴隷軍人)として徐々にイスラム世界に入り込んだのである。

やがて定住・遊牧のテュルク部族もイスラム化した。

イスラム化したテュルク人は<遊牧部族の組織力>を保ったままイスラム世界にどんどん進出するようになった。

そして彼らがイスラム世界の中に最初に打ち立てた国がセルジューク朝(1038年 - 1157年)である。

セルジューク朝はイスラム・スンニ派のスルタンの称号を獲得。

*

Toruko1_1 テュルク人の部族はアナトリア(小アジア)にも進出してオスマン朝を起こす。

もとは小さい侯国であったが、やがて大発展を遂げ、西はモロッコから東はアゼルバイジャンに至り、北はウクライナから南はイエメンに至る広大な領域を支配した一大多民族帝国・オスマン帝国(1299年 - 1922年)を建設したのである。

*

はるか遠くのモンゴル高原の北で遊牧していたトルコ族の人々。

それが、今や、かつてのローマ帝国と同じ地中海世界のほとんどの地域を征服したのである。

世界帝国に発展したオスマン帝国。

しかし、その帝国も、やがて衰亡。

20世紀初頭、トルコ人の領土はアナトリア半島だけになってしまった。

これが現在のトルコ共和国なのである。

*

テギンさんの黒い眉と

精悍な顔の背後に横たわる歴史。

わたしははるか遠くの

モンゴル高原の北から、

えんえんと移動して来た

テュルク人の歴史に脱帽した。

*

 

2006-07-16

石器・土器・道具について

ときどき山口県徳山の近郊を訪れる。

ちょっと北に1000メートルくらい行くと神社がある。

Touryuumonndoki1_1 長い急な石の階段を上る。

両側には巨大な杉の木が立っている。

あたりは鬱蒼とした杉の森である。

やっとの思いで石段を登りきると、小さい神社がある。

紐が垂れ下がっており、それを引っ張ると

"じゃらんーじゃらん"と音がする。

祈りの前にならす鈴である。

*

その神社から下の村を眺める。

村の向こうに丘が見える。

丘全体が桃の畑になっている。

神社と桃畑はちょうど同じ高さの丘である。

その中間に村がある。

村の中に川が流れている。

典型的な里山の景色である。

*

わたしは神社を降りて川に沿って歩いた。

太陽がじりじりと照らし、汗がふきだす。

上流の方に何かあるかもしれない。

上流の方に行けば行くほど川は小さくなった。

急に大きな土手が見えてきた。

堤(つつみ)である。

かなり大きな池である。

日照り続きの為に水が蒸発して、池の真ん中のところにしか水がない。

周りの部分はカラカラに乾いている。

*

わたしは堤に下りて、乾いた周囲をぐるりと歩く事にした。

どんどん歩いていると、ふと石器のようなものが落ちている。

拾って良くみると石包丁である。

石には2つの穴があいている。

それから土器のカケラがたくさんある。

赤い土器と灰色の土器の二つがある。Kokuyouseki1

矢じりもみつけた。

黒曜石でできた矢じりである。

*

わたしはあらためて周囲を見回した。

2つの丘の中間にある溜池の中。

普通の溜池の中にこれだけ古代の人間の生活の跡が残されているのだ。

人間が生活したところには<石包丁、土器、矢じり>などの<道具>が残されている。

人間はいつも道具とともに生きてきたのだ。

基本的に道具は手や足や筋肉の延長線上に生まれた。

人間の体の機能が延長され、拡大されたものが道具なのだ。

自然との格闘から道具が生まれた。

道具を生んだものは人間の知恵である。

だから現代人の事をホモ・サピエンスというのだろう。

ホモ・サピエンスというのは<知恵のある人>という意味。

*

人間が初めて打製石器を作ったのは240万年前といわれている。

ホモ・ハビリスという原人である。

ホモ・ハビリスの脳の容積は現代の人間の約半分。

しかしホモ・ハビリスは世界で初めて打製石器を使った。

<道具>の誕生である。

*

立派に磨いた石器が見られるのは約1万年前からである。

つまり人間は表面を磨いた石器を使うまでに240万年という時間をかけているのだ。

この長い時間の中で人間はすこしづつ、新しい知恵を石器に添加して来た。

石の材質、石の加工の仕方、石の形、そのさまざまな用途に対して無数の工夫が積み重ねられて来たのだ。

*

ところで世界最古の土器はどこで発見されたのだろう。

答えは何と日本である。

長崎県佐世保の泉福寺洞穴で12000年前の豆粒文土器(とうりゅうもんどき)が発見された。

更に青森県の遺跡から見つかった土器は放射性炭素を使った分析で 16500年前とされ、世界で1番古い土器とされている。

エジプト、メソポタミア、インド、黄河流域の四大文明よりはるかに古いのである。

イラクのジャルモ、トルコのチャタルヒューク、エジプトのファユーム各遺跡より数千年も古い。

しかし世界の考古学者で、その事を明言している人はほとんどいない。

何故だろう。

世界最古の土器の情報は世界に向けて充分に発信されているのだろうか。

日本の考古学者は英語で世界に向かって発信しているのだろうか。

*Jyoumonndokikasorie_1

中国の長江文明とか、日本の縄文文明が世界史の中で正当な評価と、正当な位置を早く獲得する必要がある。

東南アジアを含めた、新たな世界史のリストラ(再編成 re-structuring)が必要になっているのだ。

考古学はいま大きな岐路にさしかかっているように思われる。

日本やアジアの学問が世界的に通用する時代が早く実現してほしい。

西欧崇拝はもういい加減にやめようではないか。

*

2006-07-14

インプット・アウトプット

人間の生活の仕方にはいろいろある。

Flower112_1 学生さん。

彼らは親からの仕送りとアルバイトで生活している。

この場合、一般的にその収入は毎月限定されている。

だから節約生活が求められる。

サラリーマン。

この場合にはやはり毎月、一定の額の収入がある。

しかし生活は楽ではない。

節約とキチンとした支出管理が必要である。

上記の場合には

<一定の月額収入-その月の月額総支出>。

この額がプラスだと黒字。

この場合には黒字分を貯金に回したり出来る。

しかし反対にこの額がマイナスだと、借金をしなくてはならない。

一定の収入の中でやりくりしていくという生活パターンである。

*

では自営業の人の場合は、どんな生活パターンなのだろう。

この場合に、非常に重要な点は<粗利>という概念である。

粗利というのは一つの仕事の売り上額と、それに使ったコスト額との差である。

*

例えばその人はAという製品を扱う販売会社をやっていたとしよう。

A製品の仕入値は一個、3000円だったとしよう。

それをその人は1ヶ月の間に、5000円で200台売ったとしよう。

5000x200=1,000,000円。

百万円の売り上げである。

彼は儲かったと思う。

*

100万円儲かったと思う。

でもこれは錯覚である。

売り上げは利益とは違う。

売り上げが100万円である。

しかし彼はその中から、仕入れた会社に

3000x200=600,000円を支払う必要がある。

*

1,000,000-600,000=400,000円。

売り上げから仕入れを引いた400,000円。

これが<粗利益>である。

<経常利益>とも言う。

1台につき2000円の<粗利>。

粗利益率は粗利÷売価なので2000÷5000=0.4。

粗利益率は40%である。

*

彼は40万円儲かったと思う。

しかし、これも良く考えてみると正しくはない。

本当の利益を知るには、ここから1ヶ月の総コストを引かなくてはならない。

事務所代金が1ヶ月5万円。

アルバイトの人の1ヶ月のコストが3万円。

他の諸々の他のコストが4万円。

彼自身の給与が月に25万円。

全部で37万円である。

<粗利 40万円>-<月の総コスト37万円>=<プラス3万円>。

つまり彼はその月には3万円の純利益を上げる事が出来たのである。

3万円の黒字である。

利益率は3%である。

*

もう一度上の事をまとめて見よう。

(A)  <売価x個数=売り上高>

(B)  <売り上高-買い入高=粗利益>

(C)  <粗利益-総コスト=純利益>

*

雇われサラリーマンとか学生さんと、自営業の人に共通に当てはまる公式はあるのだろうか。

それはある。

サラリーマンの<給料>にあたるのが、自営業の<粗利つまり収入>なのである。

ここから、どちらの場合にも、その月の<コスト、支出>を引いたものが黒字かまたは赤字の結果になる。

一つ違う点がある。

サラリーマンの給料は1ヶ月決まった額が支払われる。

しかし自営業の人の<粗利、収入>は、一定してはいない。

頑張れば<粗利>が上がる。

頑張らなければ<粗利>は落ちる。

自営業の人の<収入>、つまり<粗利>は変動しているのだ。

これがサラリーマンと自営業の人の収入のあり方の違いである。

出来高払いのサラリーマンの場合は自営業の人とほとんど変わらない。

*

もう一度サラリーマンと自営業に共通するところに戻る。

サラリーマンの<給料>にあたるのが、自営業の<粗利つまり収入>。

● <給料、粗利、収入>-<コスト>=<黒字または赤字>

これを<インプット>と<アウトプット>と言い換えて見よう。

<インプット-アウトプット>。

この結果がプラスだと富が増える。

この結果を多くする道は次のやり方しかない。

●インプットを増やす。
●アウトプットを減らす。

どちらか一方をやれば富は増える。

どちらも同時にやれば、富の増大が加速される。

自営業の販売会社の人の場合には、インプットを増やす道は次の方法がある。

●売値を上げる。
●売る個数を増やす。
●より安い値段で買い入れる。

*

<インプット-アウトプット>。

この結果がマイナスだと富が減る。

借金が増える。

これを続けると、最後には倒産する。

*

<インプット-アウトプット>。

どんな人間も上記の公式を背後に背負っているのだ。

どんな組織も同じである。

この世に存在するすべての人間と組織において、上記の公式に当てはまらない物はないのである。

国内、国外を問わない。

どこの国でもこれだけは同じ。

例外は一切ない。

*

道行く人を一人一人眺めてみよう。

この世界に存在する国、会社、組織を眺めてみよう。

その一つ一つの背後にインプットとアウトプットの姿が見えるか。

*

 

2006-07-13

米中2人の友達

北朝鮮のテポドンによって、日本の立っている位置がハッキリと見えてきた。

2006年。Flower201_1

戦後61年が経過。

2世代が経過したわけだ。

戦争を知らない世代の時代なのだ。

という事はある意味において、世界は第二次大戦が始まる前の時代に戻っているという事なのだ。

*

アジアにおいて孤立した日本。

アメリカにはめられて決行した真珠湾攻撃。

原子爆弾のモルモットにされた日本。

広島、長崎に落ちた二発の原爆。

日本の降伏。

*

この<いつか来た道>をもう一度、やろうというのだろうか。

またアメリカにはめられるのだろうか。

日本は。

*

現在日本は<東西冷戦時代の古臭い、時代遅れの親分子分関係>を未だにアメリカと続けている。

しかしこれは一種の<ワナ>に自分からはまっている姿である。

すでにアメリカはすっかり変わってしまった。

韓国も台湾も一時のポジションから見ると全く別の国になっているのだ。

日本だけがいつまでも同じ場所で足踏みしている。

ここである国際ウォッチャーの言う事をよく聴いてみよう。

"日本は、日米同盟の強化を願って、北朝鮮に対する強硬姿勢をとっているが、この日本の姿勢を利用してアメリカは、日本の願いとは逆に、中国中心のアジア諸国の自立した動きによって、朝鮮半島の問題を解決する新体制を作ろうとしている。..........

アジア周辺諸国は、日本に対する批判的な姿勢を強め、日本抜きでアジアの問題を解決していく体制を作るようになる。アメリカは、二枚舌的に、このアジア独自の問題解決体制に対して<アメリカの負担軽減になる>と言って歓迎する姿勢を見せるだろう。

そしてアメリカは、アジアが独自に問題を解決できるようになったところで、アジアに対する影響力の行使を減らしていく。<これからもずっと日本の味方です>と言いながら、静かに日本からも米軍を引き揚げる。窮した日本が<これから日本はどうやって生きていけばいいのですか>とアメリカに相談すると<中国や韓国と仲良くしたら良いのではないですか。中韓も、日本との関係強化を望んでいるようですよ>と、おだやかに示唆される。私には、そのような展開の可能性が、日々強まっているように見える。"

その通りである。

これが現在行われている国際政治劇の本当の筋書きなのだ。

*

更に彼は次のように述べている。

"日本が、自国に不利な結果を招きたくないと考えるなら、対米関係だけに賭けず、オーストラリアやシンガポールのように、アメリカと、中国中心に自立しつつあるアジアとの両方を向いた、両建ての戦略を採った方が良い。日本が両建ての戦略を採っても、アメリカは十分容認してくれるはずである。両建ての戦略を採る場合、北朝鮮の問題に対しては、6カ国協議の再開を最重視する
ことになるので、日本と中国の方針は、同じ方向性になる。"

Flower202_1  日本の行く正しい方向は中米2面作戦しかない。

そしてこれが日本にとっては一番むずかしい方向なのだ。

日本人は<まっすぐで、真面目>である。

政治的に単純と言ってもいい。

国際関係でのバランス感覚がないといってもいい。

だから日本は安易な<東西冷戦時代の古臭い、時代遅れの親分子分関係>を続けようとするのだ。

しかしいま求められているのは<老獪な>方向である。

日本の生き残る道は上記の<両建て路線>しかないと思う。

もう経済大国を自認して、札束外交をやる時代錯誤は日本には許されないのだ。

それをやればやるほど世界は日本から離れていく。

つまり日本は孤立するのだ。

いまやるべき事は意味のある政治だ。

*

では<両建て路線>実行の基盤は何だろう。

どうやってそれを成し遂げるのか。

わたしはその答えは、<日本のリーダーが歴史観を持つ事>であると考えている。

日本の今まで歩んできた道筋をよく知っているという事。

新しい方向、正しい方向はその歴史観の上に既にもう出来ているとも言えるのだ。

その歴史観の上にしか、日本の未来はないのだ。

親分子分ではなく、日本が自分で選び取った道。

その道がハッキリと見えている。

それが見えている限り<両建て路線>が可能なのだ。

<見た勝った>(来た見た勝った、Veni vidi vici)。

<見た>事は、すでにその戦いに<勝った>事なのだ。

*

老獪な<両建て路線>へ漕ぎ出す時は今だ。

友だちは1人より2人持つ方が良いではないか。

中国とアメリカの2人は裏ではもうあんなに仲良くやっているではないか。

*

 

 

2006-07-12

奴隷のプレゼント

中国、後漢書に次のようにある。

<建武中元二年
倭奴國奉貢朝賀
使人自稱大夫
倭國之極南界也 Yoshinogari1_1
光武賜以印綬>

(建武中元二年(57年)、

倭の奴国、

貢を奉り朝賀す。

使人、自ら太夫と称す。

倭国の極南界なり。

光武、賜ふに印綬を以てす)

AD57年、倭奴国が中国、後漢に朝貢した。

そして光武帝から金印をもらっている。

これが九州・志賀の島から出土した<漢委奴國王印>である。

北九州の小国が初めて中国から金の印綬を受けた。

つまり初めて、国王として中国の冊封体制の中に組み入れられたのである。

中国の周辺諸国の君主たちは、名目的に中国王朝の臣下とされ外臣と呼ばれていた。

印綬を受けたが、漢の印綬制度では印の材質では上から順に玉・金・銀・銅となっている。

外臣の印は金印。

印の材質は最高の<玉>ではなく、外臣用の<金>であった。

しかし不思議な事に後漢書はその<太夫>の個人名を記してはいない。

*

日本の歴史で初めて文献に個人名が記録された人は誰だろう。

その名前は帥升(すいしょう)。

金印から50年後の事である。

安帝永初元年
倭國王帥升等
獻生口百六十人
願請見 
(<後漢書>孝安帝紀・東夷伝)

"安帝の永初元年(107年)、

倭国王、帥升等が生口(奴隷)

160人を献じ、謁見を願ってきた。"

*

ここでいろいろな疑問が浮かんでくる。

最初に金印をもらった国、<委奴國>とはどの国の事か。

その国と<倭國王帥升等>との関係は。

金印をもらったのは<委奴>。

これをイトと読み<伊都国>とする人がいる。

あるいは<委奴國>をワノナコク、<倭>の<奴国>(博多近辺の国)とする人もいる。

ここでは<伊都国>と解釈したい。

では<伊都国>と50年後の<倭國王帥升等>との関係は。

論理的に解釈すれば、同じ<後漢書>に何の説明もないのだから、これを書いた人は、次のように考えていたハズである。

"50年前に金印をもらった<委奴國>の<倭国>の、その<王>、帥升等。"

<委奴國>と<倭国>の間に連続性があると考えていたハズなのである。

*

これは後の倭国王・卑弥呼の邪馬台国はどこにあったかという問題に非常によく似ている。

九州にあったのか、大和にあったのか。

*

答えも邪馬台国の時と同じである。

つまり<倭国>が<伊都国>を吸収合併したのである。

だから連続性が保たれたのだ。

*

ここに、もう一つの大変興味深い事がある。

<獻生口百六十人>の<生口(せいこう)>の事である。

辞書で引くと、次のようにある。

"生口(せいこう)は、

弥生時代の日本(当時は倭)

における捕虜

又は奴隷とされている。"

つまり当時の日本には<奴隷>がいたのだ。

言葉をかえて言えば、当時は<奴隷>が存在出来る程の多くの戦争があったのである。

わたし達が<弥生時代>と言っている時代は<稲作と青銅器とか鉄の金属>が日本に導入された時代である。

稲作は富の蓄積を可能にした。

稲作が出来る土地が広いほど収穫と富が増える。

そこに戦争の道具である金属の武器が普及したのである。

その結果は部族どうしが、土地を巡ってあい争う戦争である。

戦争に負けた人たちが捕虜になり、生口(せいこう)となった。

幾重にも堀に囲まれて防御されていた<環濠都市>を見るとそのものものしい時代の雰囲気が分る。

吉野ヶ里遺跡などの環濠都市が発掘されて、詳しいこの時代の姿が知られるようになっている。

*

大変興味深いのは、その後、<倭王・卑弥呼>も239年に魏・明帝へ男・生口4人、女・生口6人を献じている。

更に卑弥呼は243年にも魏・少帝へ生口を献じた。

その後継者の<台与>も248年に生口30人を魏へ献じている(<魏志倭人伝>)。

*

記録されているだけでも国の正式なレベルで4回。

奴隷の総数は200人。

これは公の事である。

だから私的なレベルでは、少なく見積もって、この数十倍の奴隷が日本から中国へ売られたと考えていいだろう。

その数は仮に30倍として6000人である。

そういう風に考えると日本の当時の輸出品の筆頭に来たのが<人間奴隷>だったという事が分るのである。

ではその奴隷で当時の日本は何を輸入したのだろう。

それは主に金属製品である。

<鏡>類とか、金属製の武器とかである。

今わたし達は古墳から発掘された鏡類を見ている。

その裏に多くの日本人奴隷が、対価として売られていた事を知るのである。

*

ちょっと想像してみよう。

今回、小泉首相がアメリカのブッシュ大統領を訪問した。

<獻生口百六十人>。

小泉首相はアメリカに<160人の日本人奴隷>をプレゼントした。

わたし達は<もうやめてくれ>と言うだろう。

*

 

 

2006-07-11

歴史と地霊

人間の世界は<進歩>しているのだろうか。

それは疑わしい。

イスラエルの混乱。Shounaiheiya3_1

それから北朝鮮のミサイル。

これらを見ていると<人間の進歩>なるものが実は<うそ>であるように思われる。

*

もしかしたらイスラエルなどでは、イエスの生きていた時代と現在のイスラエルは、ほとんど同じだったのではないかという疑いが強くなる。

戦争が絶えない、人の血が流れる土地。

そこにこそイエスの言葉、"いまや、神の国の到来は近い。(マタイ 4:17)その時、人は裁かれ、善人は神の国に入り、悪人はゲヘナ(地獄)に処される。(マタイ 10:28)"という<世界のおわり>という考えが似つかわしい。

それから朝鮮を巡る中国がらみの争いと緊張。

ここにこそ<陰謀>と<党争>が似つかわしい。

これは恐らく朝鮮半島が持っている波長のようなもので、いつの時代でも、この波が半島中に振動していたのではないか。

そういう風にフト考えたりする。

*

このような見方で世界を見ると、一つの事が分る。

それぞれの国とか地方には、<地霊>のようなものがあるという事だ。

地霊というと一見、変な感じがする。

その意味はそれぞれの国と地方と空間には、背後に数千年の歴史がギッシリ詰まっているという事を言っているのだ。

*

例えばある人がある場所を旅する。

その人はその場所に入ったとたんに、ある種の匂いを感じるのだ。

これが<地霊>である。

イスラエルには<絶え間のない闘争と血>の匂いがする。

朝鮮には<分裂と党争>の匂いがする。

日本はいつの時代でも<難民>がたどり着く最後の島だったのではないだろうか。

*

歴史をひもとけば、これらの多くの<地霊>に会うことができる。

いま、現代の姿は<地霊>をその背後に見て、初めてハッキリと眼に見えてくる。

その意味で歴史のない世界は存在しない。

言葉を変えて言えば、世界は4次元から成り立っているのである。

空間(3次元)と時間(歴史)である。

*

わたしは旅行が好きである。

しかし歴史の感じられない土地には行きたくない。

というのは旅の楽しみというのは、つまるところ、その土地の<地霊たち>に会うという事を含んでいるからである。

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いろいろな花

いろいろな花が世界には咲き乱れている。

ここではそのほんの一部を写真で。

*Flower101

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Flower107_1*

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* Flower102

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2006-07-10

色々な画像2

色々な画像を下に掲げる。

*God_of_sunreh

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まずこの画像はエジプトの壁に書いてある絵文字である。

ヒエログリフ。

意味は<太陽の神・レー>の印である。

何か日本の国旗に似ている。

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Himawari1 *

次に向日葵の花の写真。

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*Banana

次にバナナのスケッチ。

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Hana12 次に名前は不明の花。

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名前は不明の花。Hana15

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2006-07-09

本当の強さとは何か

敵を攻める場合の戦略にはいろいろな基本的なやり方がある。

中でも有名な戦略には次のようなものがある。 Hana17

●遠親近攻策。
●敵の内部の分裂を画策する。

*

まず<遠親近攻>は遠方の国と組んで近い国を攻めるという戦略。

むかし中国の唐は朝鮮の新羅と組んで百済(660年)と高句麗(668年)を滅ぼした。

普通の日本語では<挟み撃ち戦略、はさみうち戦略>という。

Ennshinnkinnkou1_4 まず遠くの国と手を組む。

近くの敵を攻める。

遠くの国もその敵を背後から攻める。

敵は正面と背面から同時に攻撃されるのである。

背と腹に敵の攻撃を受ける。

この戦略が成功すれば、その効果は絶大である。

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もう一つの基本的な戦略は敵の<分割>、<分裂>の画策である。

これは植民地の統治にも利用できる。

イギリスの伝統的な植民地政策の基本は<分割して統治せよ>であった。

地元の人たちを団結させないやり方なのである。

むしろ彼らをお互いに争うように仕向ける。

中国共産党の人民に対する基本がこれである。

民衆を決して横には団結させないのである。

これを見張っているのが国内に無数に放たれている人民監視スパイである。

密告は大きな報酬で報われる。

当然、結社の自由は制限されている。

団結は共産党の独占物なのだ。

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敵を攻める時にも<敵の仲間割れ>を画策する。

つまり普通の日本語でいうと<裏切り>である。

敵の団結を破壊して、バラバラにする。

これは<遠心力>を生む。

敵の力はこれで、急速に弱くなる。

反対に<団結>は<求心力>を生む。

<団結>は人間の一番大きな力。

日本では<人は石垣、人は城>という。

敵の団結ほどおそろしいものはない。

秀吉は敵を攻める際に、敵の中の裏切り勢力をフルに利用した。

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もう一度まとめると戦略には

<挟み撃ち>戦略、これの究極の形が<包囲網戦略>。

<敵の遠心力強化>戦略、<敵の内部分断戦略>。

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しかしこの二つをもう一度良く見てみると、結局これらの戦略は次のような事を言っているのだ。

ある組織は<包囲されるか、または内部の団結が崩れる>時に滅びる。

別の言葉では<内憂・外患>。

*

ここではちょっと、見方を変えて、<内憂・外患>を一人の人間に集約して見てみよう。

まず<内憂>。

これは何だろう。

内部の病気である。

内臓の病気。

あるいはその人の精神的な分裂。

方向性が分裂しているか、方向性を失っている場合。

または精神的に不安で安定していない状態。

自分に自信がなく、あたりをキョロキョロ見ている不安の中にある状態である。どうして良いのか分らない状態。方向感覚が失われている状態。

一人の人間が内部から崩れている状態である。

<外患>。

外からの攻撃。

これは上記の<内憂>に対応して起きる現象である。

<内部>が弱まると<外部>が強くなる。

それは実は1つの事の裏表に過ぎない。

一人の人間が内部から崩れていく。

そうすると、同時に外部の勢力。

例えば病原菌の攻撃力が相対的に強くなるのだ。

この時にその人間はあたかも外から包囲され、攻撃されていると感じるのだ。

しかし実際には<内部>が既にやられている時に、外の力が相対的に内部の力を越えるだけの事なのである。

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上記のように見てみると、本当の強さとは何かが分る。

本当の強さというのは内部の団結なのだ。

今回のサッカーのワールドカップも、11人の選手が<勝つ>という1点で見事に団結している所が敵に勝っている。

*

一人の人間の強さというのは内部の団結。

内部の統一と調和である。

<心と体が一体>になって、安定して1つの目標に向かって、前進している時の力である。

国の本当の安全保障も実は"絶対に国を守るぞ"という1点で団結しているか否か。

その<内部の団結の強さ>に帰着するのだ。

*

 

2006-07-07

食は薬

この頃、ハッと気が付いた事がある。

<お茶>がうまいと感じる自分を発見したのだ。

Chabatake2_1  つまりそれだけ年をとったという事なのだろうか。

あれだけコーヒーが好きだった自分。

しかし今は体(からだ)がお茶を求めている。

*

<三国志>には劉備が母に壷に入った<茶>を買って飲ませる場面が出てくる。

三国志の時代(180年頃 - 280年頃)、中国において、茶は非常に高価な薬であった。

つまり庶民は当時、滅多に茶などにはありつけなかったのだ。

中国の神話の世界においては、<茶>は解毒剤として出てくる。

漢方薬の基礎を築いたと伝えられる神農帝。

彼は食用として、薬として使える植物のテストをしていた時、一日に72もの毒にあたったという。

そのたびに茶で解毒したというのである。

中国において、茶についての最初の記録は今からザッと2065年前。

紀元前59年、前漢の時代に書かれた王褒(おうほう)の<僮約>(どうやく)という書物に<烹荼>とある。

ともあれ、人間と茶との出会いは非常に古く、茶は最初は貴重品で、<薬>だったという事が分る。

*

韓国のテレビ・ドラマ、<チャングム>を見ている人は多いと思う。

チャングムは宮廷では、はじめは<料理>をする女官として登場する。Channgumu1

しかし、その後、宮廷の<医女>になる。

チャングムは<料理、食べ物>で始め、更に<医術、薬>をもきわめるのである。

ドラマの中に流れている思想。

それは<食べたり飲んだりする物は、同時に毒や薬として体に作用する>という事である。

一言でこれを言えば<食薬思想>である。

*

食薬思想は、大変すぐれた考え方である。

それは広い範囲に応用出来る。

わたしが体験したのは<掃除>が<気持ちを落ち着かせる薬>としての作用があるという事。

これはさしずめ、<掃薬思想>である。

もしかして<仕事>も<薬>として再編成する事ができるかもしれない。

これは<働薬思想>。

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この頃、年長者の間に<菜園>が流行っているという。

菜園を作るのも一種の薬なのである。

菜園を作り、野菜とか草花を育てる事で心とからだの健康を促進する。

これは立派な<働薬思想>の一つである。

*

ある学者は大要次のように語っている。

"西洋での「労働」の起源はというと、旧約聖書の神話を見ると、アダムとエバの話で語られています。彼らは楽園で労働をせずに暮らすことができていたのですが、禁断の果実を食べて楽園から追放されてしまいました。それからは自分達で額に汗して働き、食べ物を得なければならなくなったわけです。つまり、西洋でいう労働とは、罰なのです。これは、ギリシア神話でも同様に語られています。"

"日本の神話には、日本人の特徴を表現した面白いストーリーがあるんです。日本人が働くということについて持っている概念を、よく表したものです。当時の労働の中心は、農業である稲作でした。<日本書紀>で見ると、最初、稲の栽培というのは、天上の神様達だけが行なえるもの、いわゆる米は神様達の食べ物でした。

しかし、地上を支配するため、アマテラスの孫にあたるホノニニギが地上に降りてきて、その時、一緒に神様の食べ物である稲も持ってきたため、それからは人間も食べられるようになったとされているんです。ですから、稲をつくるという労働は、アマテラスも天上でやっていること、神からの恵みとして許された行為であり、ありがたいものなのです。日本人にとって労働とは、一種の生き甲斐なのです。"

ヨーロッパでは<労働>は基本的に聖書で<罰として>定義されている。

日本においては<労働>は<ありがたい神からの恵み>。

これは、つまるところ、<働薬思想>ではないか。

そう考えると東アジア地方においては<食薬思想>、<働薬思想>は長い歴史と伝統の上に成り立っているのだ。

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単純に考えても、毎日8時間、みんな仕事に励む。

出来る事なら、その仕事の一分、一分が心とからだに対して薬の役目をする。

それが理想ではないか。

どうせ働くのなら、楽しく働きたいではないか。

いやいやながら、しぶしぶと働く事ほど苦しい事はない。

アジアの<働薬思想>はわたし達の誇らしい伝統なのである。

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2006-07-06

徒然草とモンテーニュ

<徒然草>(つれづれぐさ)は1330年頃に成立した随筆である。

著者は吉田兼好。Yoshidakennkou_1   

清少納言の<枕草子>、鴨長明の<方丈記>と並んで、日本の随筆の草分けとして良く知られている。

ここでは学校などで学んだ事は忘れる事にしよう。

*

ヨーロッパにおいて、<随筆>(エセー)と言えばフランスのモンテーニュ(1533-1592)という人が書いた<随想録>がまず初めに想起される。

これが西欧ではエッセイのルーツなのだ。

<随想録>が世に出たのは1580年。

<徒然草>が出た250年後である。

<徒然草>の方が250年も先行しているのである。

*

Montaigne_1 ではまずモンテーニュの<随筆>(エセー)の方から見てみよう

モンテーニュは1533年、ボルドーの近くのモンテーニュ城で生まれた。

父は商売を営み、ボルドー市長もつとめた事もある地方の名士であった。

この時代はフランス宗教戦争(1562-1598年)の時代。

カトリックとプロテスタントが、36年間に、8回もの激戦。

フランスの国を2分して、お互いに血を血で洗う残酷な争いを続けた時代。

更に当時はペストが大流行。

モンテーニュの特異性は、このような<不寛容と死の不安>が支配Bordeaux_1 する暗い時代に、<寛容>の精神を説いたという点である。

そして一見、<正義の旗>を振りかざして、実は悪をなす者に批判の眼をむけた。

彼のエセーには聖書の引用はほとんど出てこない。

出てくるのはプラトン、アリストテレス、プルタルコス、セネカなどのギリシャ・ローマの古典。

彼は6才になるまでの間、家庭教師のもとで、<ラテン語だけ>を使って育てられた。

つまりモンテーニュはギリシャ・ローマの教養を骨の髄まで叩き込まれて大きくなったのである。

彼がフランスのルネッサンス期を代表する哲学者と言われるのは、その為である。

*

では実際に<随想録>の一節を読んでみよう。

"世には快楽をきらうものがある。........彼らは奥さんの上に乗っかりながら、その時に曲線求積法を考える。わたしは憎む。人がわれわれに、肉体は食卓の前にすわらせながら精神は雲の上に遊ばせよと命ずるのを。わたしは精神が食卓にくぎづけにされ、そこにおぼれる事は欲しないが、精神がそこに集中する事を欲する。............。わたしは踊るときには踊る。眠るときには眠る。ひとりで美しい果樹園を散歩する.。わたしは幾時間かは、なにか他の出来事に気をとられているかもしれないが、また他の幾時間はやはり散歩に、果樹園に、このひとりきりのうれしさに、そして自分にひきこまれている。"

精神と肉体の両方を肯定するモンテーニュ。

寛容な古典古代ルネサンスの精神が脈打っている事が分る。

それから一人、散歩しながら、自分の中に向かう隠遁者の<省察、反省、自己観察>の楽しみを味わうモンテーニュがここにいる。

*

では、その250年前に書かれた<徒然草>の一節を読んでみよう。

"いでや、この世に生れては、

願はしかるべき事こそ

多(オホ)かンめれ。 ..........(第1段)"

(人間はこの世に生まれると

さっそく、あれもしたい、これもしたいと

思うものだ。)

*

"万(ヨロヅ)にいみじくとも、

色好まざらん男は、

いとさうざうしく、

玉の巵( サカヅキ)の

当(ソコ)なき心地ぞすべき。

............(第3段)"

(多くの才能があり、秀でた男がいる。

でもその男に女っけがない場合、

何だかうるおいがなく、どこか騒々しい。

ちょうど見事なできばえの

<さかずき、盃>に、

底がないようなものだ)。

*

"世の人の心惑はす事、

色欲(シキヨク)には

如(シ)かず。人の心は

愚かなるものかな。

匂(ニホ)ひなどは仮のものなるに

、しばらく衣裳(イシヤウ)に薫物(

タキモノ) すと知りながら、

えならぬ匂ひには、必ず心ときめき

するものなり。九米(クメ)の仙人の、

物洗ふ女の脛(ハギ)の白きを見て、

通(ツウ)を失ひけんは、まことに、

手足・はだへなどのきよらに、肥え

、あぶらづきたらんは、外の色

ならねば、さもあらんかし。 (第8段)"

(人間のこころを惑わす事の筆頭に来るのは

色欲。つまり女が男を

男が女を求める欲望である。

本当に人間のこころは愚かに出来ている。

例えば<匂い>である。ある人が着る物に

香をたきこんでいるとする。これはいつかは

消えていくはかない仮の匂いである。

そうとは知りながら、いざ

実際に、そのすばらしい

匂いをかぐと、こころがかき乱だされ

こころがときめくのである。

九米仙人が川で、ものを洗っている女の

白い脛を見て通力を失ったという。

わたしも、きっとその通りだと思う。)

*

吉田兼好(1283-1350年)が書いた<徒然草>。

日本の随筆の草分け。

その内容をよく見ると、250年後に書かれた、西欧の随筆の草分け、モンテーニュの<エセー>の人間肯定の内容とほとんど、ピッタリと重なっている

不思議である。

源頼朝が鎌倉幕府を開いたのが1192年。

それからおよそ140年後に書かれた<徒然草>。

古代の貴族世界が下降を始め、武士が勃興。

しかしその揺れ戻しも未だ世界に充満している。

1333年、鎌倉幕府の滅亡。

1334年、建武の中興

1335年、足利尊氏の挙兵

1336年、南北朝の対立

1338年、室町幕府が京都に成立

上のような動乱の時代に隠遁生活を送った吉田兼好。

彼が書いた<徒然草>はモンテーニュと同じく<自分に向き合った一人の人間の思想書>である。

その核心の部分は<人間の肯定、人間への希望と信頼>である。

<徒然草>はどこかの隠遁者が書いた愚痴と絶望の書ではない。

その反対。

一人の人間の省察が生んだ希望の書。

すばらしい日本の哲学書なのだ。

<徒然草>は日本が世界に誇るエッセイの源流なのだ。

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2006-07-04

アメリカの美意識

世界にはいろいろな国があり、

それぞれの国には、おのおの、Lasvegas105

その国の独自の美意識がある。

ここではアメリカの美意識を少しのぞいて見よう。

*

アメリカは巨大な国である。

日本を1とするとアメリカは以下のとおり。

アメリカ(日本を1とする)
人口 2.30
国面積 25.49
人口密度 0.09
GDP国民総生産 3.14
一人当たりGDP 1.36

いろいろな地域がある。

Lasvegas100 しかしアメリカをもっとも代表している美意識は何か。

それはラスベガスに象徴的に表れている。

*

● アメリカは世界中から来た移民が人工的に作り上げた国である。

その事と、無人の砂漠地帯に

世界でも有数の規模の

ラスベガスという人工遊楽都市を

作ったという事とが重複する。

 

●ラスベガスは初めは

カルフォルニアのゴールドラッシュ

を契機にして生まれている。

ヒトヤマ当てようという人が

作った町。

一攫千金をルーツにしているのだ。

またラスベガスには沢山の

カジノ(博打場)がある。

株取引は一種のカケである。

カジノと同じ。その意味で

ラスベガスは資本主義の本山

であるアメリカのシンボルとして最適。Lasvegas101

 

●アメリカには230年の歴史しかない。

従って、アメリカには歴史意識が

ほとんどない。

古い歴史を持つ国々を

捨ててきた移民により

作られた人工国家だからである。

これらの移民は一旦

古い歴史のある自国を

捨てた人々が作った国なのだ。

ラスベガスも歴史的にみて、

ほとんど何もない。

ただ享楽の為の施設があるだけ。

*

ギラギラ輝くラスベガスの国

アメリカ。

 

2006-07-03

学びそして書く

習慣。

辞書を引くと次のように出ている。

habit
(個人の無意識的)癖; (動植物の)習性。

夜型の生活を朝型に変える。

習慣を変える。

これはなかなか難しい。

しかし不可能ではない。

わたしの場合には、この切り替えは比較的、容易に出来た。

今では目覚まし時計なしに4時にはひとりで目が覚める。

体内時計に従っての自然な生活なので、ストレスが急激に減った。

*

朝起きると<自分大学>に行く。

自分大学というのは<自分で決めた>勉強である。

自分で決めた事を朝勉強するのだ。

朝の4時から6時までの2時間。

8時半からは仕事があるのだ。

今やっているのは

● 英語、これは決めた本を繰り返し読む。声を出して読む。分らない英語の単語は辞書で引く。
● エクセルの勉強。これも決めた本を繰り返しやる。
● 日記、これは毎日書くように心がけている。
● 読書、何を読むかは、読みかけの3つ位の本の中から選ぶ。
● インターネットとメルマガを見る。
● BLOGを書く。これは毎日やるべく習慣化しようとしているが、なかなか難しい。
● 朝の運動、これはテレビでやっていた体操を自分なりに作り直したもの。

*

いま直面している問題は

学ぶという事と書くという事のジレンマである。

自分で文章を書くと、学ぶ時間がなくなる。

反対に学ぶ時間をとると、自分で文章を書く時間とエネルギーがなくなってしまう。

そのジレンマと格闘している。

*

そこで考えてみる。

学ぶ事と書く事を別々に考えないように習慣化したら良いのではないか。

それは2つのように見えるが、結局ひとつの事の2つの側面なのではないか。

書きながら学ぶ。

学びながら書く。

これがもし可能ならば、わたしの今の問題は解決する。

*

誰でも社会で仕事をしている。

これは生産者としての自分である。

しかし一方では昼になれば外食したりしている。

週末にはスーパーで買い物をしている。

これは消費者としての自分である。

これと同じで自分で文章を書くというのは<生産者>としての自分。

学ぶというのは<消費者>としての自分である。

2つは切り離せないのだ。

一方で、今までの人間の文化的な遺産を受け継ぐ。

これが学ぶ事である。

その一方で自分で何らかのものを付け加える。

これがわたしの場合には<自分で文章を書く事>に当たる。

上記の2つのものは実際には1つの事なのだ。

*

その1つの事というのは何だろう。

それは<文字>というものを通じて人間の<社会>に連なっているという1点だ。

学ぶというのは今まで社会が蓄積してきた文化の遺産を受け取る事である。

自分で書くというのはその文化の遺産に自分で何かを付け加えたいという行動である。

どちらも良く見ると同じ塊(かたまり)の周りをグルグル回っているだけなのだ。

*

朝の自分大学はなかなかうまく行かない。

学びかつ書く。

これを<習慣化>しようと今日も格闘を続けている。

*

2006-07-02

平家物語

ちょっとここで想像してみよう。

いまわたし達はある無人島にいる。

ボートでこの島を訪れた。Heikemonogatariemaki

全部で5人である。

そこに突然の台風が来た。

そして、波風が高すぎて、当分、本土には戻れなくなった。

携帯のバッテリーは切れてしまった。

幸い、掘っ立て小屋がひとつある。

食べ物もみんなの分を合わせれば、何とか3日程度はもつ。

水は小屋の横の小川でなんとかなる。

生き延びる事はできそうである。

しかしここで質問。

何かが欠けている。

何かがない。

何だろう。

*

人はパンのみにて生きるものにあらず。

そのように聖書でも言っている。

では、人間はパンの他に何が必要なのだろうか。

わたし達がまだ子供だった頃の事を思い出してみよう。

お母さんが寝る前に聞かせてくれた<おはなし>。

それにラジオの<連続ドラマ>。

人間には<ものがたり(物語)>が必要なのだ。

だから<仏教の経典>や<聖書>なども出来たときには、みんなに語り聞かせる物語であったとも言えるのだ。

ギリシャではそれは円形劇場で開かれる悲劇競演とか合唱であった。

ローマでは、さしずめ、それはコロセウムで披露されるいろいろな見世物がそれであった。

現代ではそれは<メディア>と呼ばれている。

テレビ、ラジオ、新聞、雑誌である。

正確にいえばディジタル・メディアのインターネットもその中に含まれる。

*

しかしもう一度、良く考えてみよう。

文字がまだ一般大衆に広まっていない時代。

つまり活版印刷がない時代。

人は何をメディアとしたのだろう。

他の人が口で語る<おはなし>。

つまり人が語るのを自分の耳で聴く。

それが数千年もの間の人間の営みであった事になる。

人間は長い間、<ものがたり(物語)>を耳で聴いて育ったのだ。

*

これが平家物語のルーツである。

平家物語はもともとは、文字に書かれて広まったものではないのだ。

最初は盲目の琵琶法師が地方の有力者の屋敷で何日もかけて琵琶に合わせて語った物語なのだ。

もちろん庭の外には多くの村人が集まっていた。

そして密かに暗闇の中でやはり耳をそばだてて物語に聴き入っていたのだ。

*

琵琶が暗闇の中に響く

---ジャジャンジャジャン----

祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、
盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者久しからず、
ただ春の夜の夢の如し。
猛き人もついに滅びぬ、
ひとへに風の前の塵に同じ。

ぎおんしょうじゃの
かねのこえ
しょぎょうむじょうの
ひびきあり。
しやらさうじゆのはなのいろ、
じやうしやひつすゐの
ことわりをあらはす。
おごれるものひさしからず、
ただはるのよのゆめのごとし。
たけきひともつひにはほろびぬ。
ひとへにかぜのまへのちりにおなじ。

*

平家物語がいつ頃作られたのかは正確には分っていない。

1240年ごろには文字で書かれた物語として書写されていた。

平家物語のギリシャ版がある。

ギリシャでは<平氏>にあたるのがアナトリアで栄華を極めた都市<トロイ>である。

トロイの没落は2つの叙事詩で伝えられた。

ひとつは<イーリアス>で、もうひとつが<オデッセイ>。

<ホメロス詠い>と呼ばれる<盲目の吟遊詩人>が音楽と共に吟唱した。

これが紀元前8世紀である。

それから2000年後に、日本で同じような叙事詩<平家物語>が盲目の琵琶法師により日本中で語られている。

祇園精舎の(7)
鐘の声(5)、
諸行無常の(7)
響きあり(5)

上に見るように平家物語では七五の一句を基本単位として,これをいくつか組み合わせて、一つの物語を語り上げる。

ホメロスの場合は,長短短(-vv)を基本単位とする。

これを六つ並べて一行とする。

これが、いわゆるヘクサメトロス(Hexameter)とよばれる韻律である。

これを楽器に合わせ語って行く。

その韻律のリズムと、繰り返される<きまり文句>。

語りの声は時どきリズムをはずれ、興奮して叫ぶ。

それが聴衆を不思議な<ことだま>の世界に引き込んで行くのだ。

聴衆はいつの間にか、催眠術にかかったように、物語の中にすいこまれてしまうのである。

*

ちょうどわたし達がむかし、

こたつに入って聴いた

<ラジオドラマ>に

こころを

すいこまれていったように。

*

 

2006-07-01

小林一茶

● 大凧や りんと うごかぬ 角田川

(おおだこやTako1

りんと 

うごかぬ

すみだがわ

希杖本)

大きな凧(たこ)が

大空に高く上がっている。

隅田川が

大きくゆったりと

流れている。

*

● めでたさも 中くらいなり おらが春

(めでたさも 

ちゅうくらいなり 

おらがはる)

人は春が来て

めでたいと言っている。

でも俺の春は

あまり目出度くもない。

まあ、中くらいの

めでたさだ。

*

● かくれ家や 猫にも 一つ 御年玉

(かくれがや 

ねこにも 

ひとつ 

おとしだま

八番日記 政2)

こんなあばら家で

正月をむかえた。

それでもおめでたい正月だ。

猫にも、ひとつ

お年玉を

あげるとするか。

*

● 初夢に古郷を見て涙哉

(はつゆめに 

ふるさとをみて 

なみだかな 

寛政句帖 寛6)

生活に追われ

ふるさとを離れたが、

初夢にふと

ふるさとを見た。

なつかしさに

涙がこぼれた。

*

● なの花の横に寝て咲く庵哉

(なのはなの

よこに

ねてさく

いおりかな

文化句帖 化5 遺稿)

菜の花の咲く

すぐ横の

あばら家で

寝ている自分。

菜の花は

あんなにも、

きれいに咲いているなあ。

*

*

小林一茶(1763-1828年)。

本名は小林弥太郎。

長野県上水内郡信濃町の農家に生まれた。

3才で母をなくした。

継母(ままはは)に馴染めず、江戸(現在の東京)に奉公に出る。

25才の時、<二六庵・竹阿 にろくあん・ちくあ>の弟子になり、俳句を学んだ。

29才の時、信濃(しなの)に帰った。

30才より36才になるまでの間、約6年間、俳句の修行の旅に出る。

近畿地方、四国、九州を歩く。

そののち、信濃に帰郷。

すぐに父が亡くなる。

以後、継母(ままはは)と相続争いを続ける。

一時、江戸へ戻り俳諧の宗匠となる。

50才で再び信濃に帰郷。

その後、妻をもらった。

幸せな生活。

しかし、4人の子供は夭折(若くして死ぬ)。

その妻も結婚後、9年にして死んだ。

2番目の妻とは2ヶ月で離婚。

3番目の妻との間に生まれた子供は、一茶の死後に生まれている。

1827年、大火に合い母屋を失う。

焼け残った土蔵で生活。

享年65才。

*

一茶は江戸時代を代表する俳諧師の一人である。

しかし、芭蕉と比べると、一茶は全く違う。

同じ農家出身とは言っても、芭蕉の場合は、正式に松尾の姓を有する家柄。

一茶の場合には貧しい名もない農家。

小林という姓は師匠の<二六庵・小林竹阿 にろくあん・こばやしちくあ>の姓を借りているのである。

しかも生涯にわたり、家庭に恵まれず、生活も楽ではなかった。

結婚したのも50才という高齢。

一茶の20000句にも及ぶ発句(俳句)。

芭蕉のような高邁な俳句ではない。

子供に、猫に、庶民に俳句をなげかけた一茶。

一茶の俳句には<庶民>の感情が輝いているのだ。

ひょうひょうと人生の労苦と逆境に耐えて生き抜いてきた普通の人間。

見栄を捨てた一茶。

そういう一茶のこころに咲いた花。

それが一茶の俳句なのである。

*

<一 茶 発 句 全 集>
http://www.janis.or.jp/users/kyodoshi/issaku.htm

 

2006-06-30

いろいろな画像

世界にはいろいろな画像がある。

ここでは単にさまざまな画像をならべて、

Hanakago2 それを見ていただく事にしよう。

*

まず幻想的な画像。

これは乾山の絵を

画像処理して

作ったもの。

*

*

*

次は自転車の Kage_2   

影の

画像。

*

次の画像は

壁に

映った

草花。

*

*

Kage2_5 *

*

次は

絵。

"みずうみと男"。

*

写真を撮ったり

絵をみたり、描いたりするのが

Mizuumitootoko3_1 趣味。

*

 

日本のこころ・尾形乾山

尾形 乾山(おがた けんざん 1663-1743)、本名は権平(ごんべい)。

Ogatakennzann5 京都の呉服商店<雁金屋>、尾形家の三男として生まれた。

彼の祖父母は美術工芸で有名な本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)の姉。

兄、市之丞(いちのじょう)は有名な画家、尾形光琳である。

権平(ごんべい)は小さい時から、京都のさまざまな服飾のデザインに触れて育った。

芸術的な環境があり金もあった。

権平と市之丞(乾山と光琳)は、その中で大きく成長する。

派手な光琳に対して、乾山は学問好きで、内省的で多芸。

乾山は陶芸ばかりではなく、仏教、書道、書画に深く通じていた。

*

乾山が25才の時、父が亡くなる。Ogatakennzann2_1

その遺産で自分の家を構え、陶芸家の野々村仁清のもとに弟子入りした。

37才、1699年、京都の鳴滝泉谷で開窯。

兄の光琳が陶器の絵付けを担当して、乾山が陶器を仕上げる。

そのような兄弟合作の陶器作品も多く残っている。

*

Ogatakennzann1 乾山は陶器に絵画性を付け加え<京焼>に大きな影響を与えた。

彼は気品のある<京の美意識>を作り上げた人という事ができるだろう。

晩年は江戸の入谷に移る。

関東時代には絵画にも大きな力を注いで多くの作品を残している。

*

乾山の作品を見ていると何か遠い昔から続いてきた、日本の生活に根付いた、落ち着いた美を感じる。

どっしりとした<なつかしさ>のようなもの。

わたし達のこころに深く眠っているもの。

京のこころ、日本のこころを形にした乾山。

享年81才。

*

 

2006-06-29

日本半島

奇妙な夢を見た。

日本列島が朝鮮半島とつながって、太平洋に向かって突き出ていNipponhanntou1_1 る。

日本が半島になっている。

そんなバカな。

そう思った瞬間に目がさめた。

*

インターネットでニュースを見た。

小泉純一郎首相は6月27日、米国とカナダ訪問に出発した。

9月に退陣する首相にとって最後の訪米。

5年間の日米<親分子分関係>の姿を世界にさらす場となる。

ブッシュ大統領夫妻に大好きなエルビス・プレスリーの生家を案内してもらうとか。

これは首脳会談ではなく、アメリカに遊びに行っている感じだ。

英国の新聞、ザ・タイムズは、"中国や韓国に対して発言力を持たない首相がアメリカに行く目的はエアフォースワンを使っての観光旅行"とヤジをとばしている。

*

民主党の小沢一郎代表は23日、党本部で中国の王毅駐日大使と会談。Ozawaichirou1

大使が7月中の訪中を招請したのに対し、小沢氏はこれを受け承諾した。

今回の訪中には鳩山由紀夫幹事長、菅直人氏も同行の予定。

小泉首相の6月末の訪米直後に訪中することで、首相の、この5年間の<対中外交>を批判する形になる。

小泉純一郎首相は事ある毎に、自分から意図的に靖国神社参拝をして中国首脳と会談が出来ない状態を人工的に作り出してきた。

つまり小泉首相の靖国神社参拝は、アメリカ従属路線、ブッシュへの親分子分関係のアピールだったのである。

"わたしは中国には近づきません。あなただけに従います"という訳だ。

そこをついて、中国は中国訪問の招待券で、日本のアジア・中国重視の姿勢を引き出そうという魂胆なのである。

*

わたしの夢の意味はこれだ。

日本列島はいま<日本半島>になろうとしている。

東のアメリカ大陸、西の中国。

太平洋に突き出た<日本半島>。

アメリカと中国の間に引き裂かれようとしている日本。

*

朝鮮半島は中国という政治大国を北に、豊かな安定勢力の日本を南に、ちょうどサンドイッチみたいになって長い歴史を生き延びてきた。

半島は常に北に南に引き裂かれ、党派争い、分裂の試練にさらされてきた。

その悲しさと、くやしさと、恨みが<韓国のハンの文化>を生んだ。

朝鮮が半島の時代は終わった。

今は。

日本と朝鮮半島は太平洋から見ると、つながってしまったのだ。

*

日本のハンは<演歌>である。

恨みと情のこもった演歌。

日本を再び団結させ、うるわしい楽園のような島国にする統合点は一体どこにあるのか。

*

2006-06-28

人生という芸術

<アート Art>という言葉がある。

英国人はこれを意外なところにも使う。

辞書を引いてみる。Tannpopo2

"art、 芸術、美術、
芸術作品,美術品、さし絵,カット、
写真、技術,こつ,要領;(芸術的)手腕,
わざ,技巧、人工,人為、術策、
狡猾(こうかつ)さ"

絵画を描く人は画家(Artist)である。

彼は色と形の無限の組み合わせの中から<美>を引き出す。

彫刻家は石とか青銅の素材を使って<存在感と美>を作り出す。

建築家は建物のデザインで<美と快適さ>を実現する。

*

いま日本銀行の福井俊彦総裁のスキャンダルが世間を騒がせている。

彼は日本を代表する秀才、指導者である。

Yagi1 しかし、その彼が日銀総裁の身でありながら、以下のような資産を持っていた。

"2006年3月末の金融資産残高は、公開済みの株式(5銘柄、今年3月末で約3800万円相当)と村上ファンド拠出分を合わせると約2億8800万円。総裁の妻は今年3月末で、預貯金や国債など5323万円。更に阪神電気鉄道(2000株、今年3月末で200万円相当)と高島屋(5000株、同約900万円相当)の2銘柄の株式を保有。"

ある国際投資専門家は以下のように述べている。

"日銀総裁はアメリカのFRB(米連邦準備制度理事会)議長と同様に、世界の金融ならびに経済に大きな影響を与える。従って、総裁にとって絶対守らなくてはならないことは、いささかも民間の特定団体や業界、特定企業と利害関係を持ってはならないということである。この中央銀行総裁の中立・公正の原則は国内法を超越した絶対的原則である。これをNon-Conflict of interests(利害無関係の原則)と言い、今や世界の金融界の常識......

ちなみに、本年1月まで約18年間、アメリカの金融の大御所、FRBの議長を務めたアラン・グリーンスパン氏は、いかなる金融商品も株式も持ったことはなかった。つまり、前議長は特定団体、業界、企業等と一切の利害関係(Conflict of interests)を持たなかったのである。こんなことを、ことさら言う事自体異常なことなのだ。日本の金融界がいかに世界の常識からかけ離れているかが分かるというものだろう。"

*

アートは単に芸術家のものなのか。

アート(芸術)は普通の人間には出来ないものなのか。

そうではないのではないか。

前述の辞書の説明からすると、アートというのは<人間が細心の注意と集中力で作り上げたもの>を指すようである。

そうすると、わたし達、ひとりひとりが自分のアートを持っているのではないか。

そうだ。

<人間の人生>そのものが<芸術>なのだ。

人生の芸術の素材は何だろう。

それは以下のものである。

●身体、健康
●こころ、こころの風景
●金
●自分に対する誇り
●自尊のこころ
●環境、外の外界、自分を取り巻く人間関係。

わたし達は人生という<絵>を以上の素材を使って描いている画家なのではないだろうか。

いろいろな<人生の絵画>がある。Usagi1

明るい絵、暗い絵、やさしい絵、きびしい絵。

清らかな絵、汚い絵。

簡素な絵、複雑な絵。

わたしはどんな人生の絵を描きたいのだろう。

*

もう一度辞書を引いてみた。

Artist。

"artist、(作家・詩人・映画監督を含む広義の)芸術家;(特に)画家,彫刻家、名人,達人,…通、(…の)人,やつ、
a rip-off art いかさま師"

*

a rip-off art いかさま師。

これは誰の事だろう。

*

2006-06-27

プランクトンの美

子供のころ、池の水をプローブ・ガラスの上の

スポイトでたらし顕微鏡で見た。

Prk2 覗いて見て、アッと驚いた。

中にいろいろな微生物が泳いでいるではないか。

プランクトン(Plankton・浮遊生物)である。

その形とか色がとても奇妙で、飽きもせずに眺めていた。

*

自然が作った芸術品のような気がする。

*

光合成を行なうものを植物プランクトン。Prk5

外にある物を食べているプランクトンを動物プランクトンという。

*

自然の中では<食うか食われるか>という食物連鎖のサイクルが貫徹している。

プランクトンはその食物連鎖の一番下の部分に位置している。Prk8_1

*

プランクトンは魚等に食べられる

Prk3_3 *

その魚を他の大きな魚とか人間が食べる。

*

人間は明らかに食物連鎖の一番頂上に位置している。

*

Prk1pediastrum_biwae わたし達の<いのち>はつまるところ、これらの微小な生き物に基底の部分で支えられているのだ。

<プランクトンさん>ありがとう。

2006-06-24

人馬一体

現在一番ホットな科学分野は?

Asimo_1 それは<脳科学>である。

特に<脳とコンピューターとの重複部分>である。

この部分が一番熱い分野なのだ。

なぜか。

それは今までの科学技術は大きく見ると、人間の筋肉を機械に置き代えて強化拡大するのを主な目的として発展して来た。

例えば炭鉱の水をくみ上げるポンプ。

これは人間の手を置き換えた機械。

それから蒸気機関車とか自動車。

これは人間の足を置き換えた機械。

*

もう一つの分野は人口物質である。

自然には存在しない新しい物質を開発した。

その代表がおもに石油から作られるプラスチック材料である。

これはある意味で自然物の改造である。

化学がこれを実現して来た。

*

つまり人間は1700年頃から特に人間の<筋肉機能の機械への置き換え>と<物質の改造・改善>に注力してきたのだ。

およそ300年にわたる科学技術の成果が今、わたし達の今の生活を支えている。

*

1945年、ハンガリー出身の数学者、ジョン・フォン・ノイマンは現在のコンピュータの基本的な構造を提唱した。

今から61年前である。

この2世代の間にコンピューターはわたし達の生活に深く入り込んでいる。

そして今、コンピューターは<脳科学>とのシナジー効果を見せ始めている。

どういう事かというと<脳科学>の研究自体が<コンピューター>によって支えられ、スピードと規模が急速に上がっているという事なのである。

また反対に、<脳科学>の成果は<コンピューター>を改良して行く。

上に向かって竜巻のように絡み合ってどんどん両者が発展するプラスのスパイラル現象が起こっているのだ。

*

その竜巻は一体どこに向かって進んでいるのだろう。

ロボットである。

脳科学とコンピューターの成果は結局、ロボットに結実する。

ロボットには今では2つの種類がある。

●一つは従来の人間の外にあるロボット。

●もう一つは人間の中と外が重複しているサイボーグ(cyborg、機能強化人間) である。

従来の外的なロボットは世界的に研究されている。

しかしこれは軍事的な秘密の領域が多く、一般にはその研究の実態はなかなか正確にはつかめないようになっている。

一応日本はロボットで先端を行っていると言われている。

しかし本当のところは分らない。

サイボーグはアメリカが主に国防省を中心に巨大な予算を使って開発が成されている分野である。

サイボーグ兵士はもう出来ていると見たほうがいい。

*

<脳科学>と<コンピューター>の竜巻は上記の二つのロボットにどんどん応用され、改善されて行く。

これが、次の60年で一番ホットな科学技術分野であるという事が出来る。

*

自然に存在している人間はいま<人工的に作られた物>を自分の中に取り込んでいるのだ。

筋肉も機械に置き換えられてわたし達は自動車に乗って通勤する。

駐車場から会社の建物までは自分の足で歩く。

それと同じようにわたし達はコンピューターの画面を見ながら考え、コンピューターで書き、コンピューターで通信する。

脳はコンピューターと一緒にフル回転している。

脳とコンピューターがわたし達の生活では、ちょうど足と自動車のように一緒に絡み合った形で使われているのである。

*

だからその先にある<ロボット>の時代は人間と機械とコンピューターの<境界>が重なり合う。

境界線はほとんど見えなくなる。

車を運転している時、わたし達は、ほとんど、無意識に運転してて自分と車の境界を意識しない。

<人馬一体>。

それと同じように、ロボットを<無意識>で使う。

ロボットを使っている時、わたし達は、ほとんど無意識に使っていて、自分とロボットの境界を意識しない。

それが近未来に実現する。

人間がロボットに乗って一つのかたまりになって走っている姿。

馬はもういないが、<人・ロボット一体>。

*

 

2006-06-23

信頼と不信

日本の古墳から埴輪(はにわ)が出土する。

時には人物の素焼きの塑像が出る。Haniwawarai

これは中国の秦の始皇帝(BC259-BC210)の墓から出土する兵馬俑(へいばよう)と比べられる。

上記の2つの塑像を比べて見よう。

日本の兵士の塑像(AD4世紀)は素朴な顔をしている。

古代の日本が<倭>(従順な、小柄な人)と呼ばれたのが分るような気がする。

一方始皇帝陵(西安市臨潼区)の兵士の塑像を見てみると、激しい攻撃性と、絶対服従の姿勢が見える。

日本の塑像が作られたのが、300年頃と想定する。

Haniwaotoko2 中国の塑像がBC200年頃できたものであると想定する。

そうすると二つの塑像の間には、およそ500年の差がある。

中国の塑像の方が500年だけ古いのである。

*

何故ここに日本と中国の古代の人物塑像を並べたのか。

それは2つの顔を見比べる事で日本人の持つ<信頼>というものの実体についてもっと知りたいと思うからである。

日本の塑像の顔を見ると<素朴さ>、<世界への信頼>が見える。

では<信頼>というものは一体何なのだろう。Heibayou1

なぜ、人間は他の人間を信頼出来るのか。

それは一言でいうと<人間の観察>と、そこに発見される<一貫性>によるものである。

例えばAという人がBという人を信頼する。

それはAがBをある一定の期間、付き合ってみて、その<経験と観察>の結果、そこにある一定の一貫した傾向性を見つけた時に<信頼>が成り立つ。

つまりAはBがどういう時にどういう行動を取るのかが、ある程度読めるという状況がある。

Heibayou2 これが読めたときにAは安心する。

そしてBを信頼するのだ。

この信頼はBの行動に一貫性が続く限り持続する。

*

では<不信>はどんな状況で生まれるのであろうか。

それは2人の人間の間に<疑い>がある時である。

こころの探りあいである。

この場合もAはBと一定の期間つき合う。

その経験と観察に基づいてAはBに対してある行動を起こす。

<Bはこういう風に出てくるだろう>とAは考えている。

しかし結果は惨憺たるもの。

Bは全く違った行動に出てきた。

その結果、AはBの一貫性に<疑い>を持つ。

<不信>に陥るのである。

*

文明は<文字>による開明の事である。

だから文字の成立で比べて見よう。

中国で漢字の原型がつくられたのは、今からおよそ4000年前。

日本の仮名文字は万葉仮名を起源と考える。

そうするとAD759年である。

その差はざっと2700年である。

*

文明の古さは<人間不信の深さ>を表すと仮定してみよう。

その仮定を念頭に日本の埴輪像と、中国の兵馬俑(へいばよう)を、もう一度眺めて見よう。

*

北朝鮮のテポドンについて、どのように考えるのか。

それはこの人間への信頼と不信に密接に関係して来る。

ある国際専門家は次のように言っている。

"北朝鮮の脅威に晒されていながら無感覚の平和ボケ日本に何が必要か、またアメリカの対日予算請求をスムーズに通すにはどうしたらいいのか?北朝鮮がアメリカの国益に資する最善の戦略、それが今回のテポドン2号発射である"。(つまり北朝鮮はアメリカの手先になってテポドンで日本に圧力をかけ、早く米軍基地再編に関係する予算を日本に認めさせる手助けをしていると見る)。

それとも日本のジャーナリズムが見ているように見るのか。

*

 

2006-06-22

ソクラテス

人間が生きていくためにはまず<食べる>という事が肝心である。

Sokrates_3 次の地域から人類最初の農耕の跡が発見されている。   

●BC9000年頃の現在のイスラエルのジェリコ。

●BC6500年頃のメソポタミアのジャルモとか、アナトリアのチュタル・ヒュユクである。

●中国の長江流域。

それまでは人間は自然の中にすでにある食べ物を採取したり、狩りをしたりする生き方であった。

今からおよそ1万年前に、自分で人工的に食料を生産するやり方に変わった。

これが<農耕革命>である。

*

人間の世界で、もう一つの大きな変化が、今から2500年頃に起きている。

BC500年頃の出来事である。

これは食べ物の革命ではなく、<人間のこころに関する変化>であった。

ヤスパースという人はBC500年頃を<枢軸時代>という名前でよんでいる。

枢軸というのは基礎という意味である。

普通の言葉では<精神革命>と言う。

*

それまでの人間の生き方の特徴は以下の通り。

●部族とか国とかの集団が各々のイデオロギーを持った。
●自然と人間の世界はその集団の持つ、呪術、迷信、神話により説明された。
●集団を離れた個人はなかった。集団が個人の時代。

*

例えばギリシャのスパルタという国では、新しく生まれた子供は部族長老の面接を受け、虚弱者は山奥の洞穴に捨てられた。

男子は7歳で家庭を離れ共同生活を送り、12歳から本格的な肉体的訓練とスパルタ人としての教育を受けたのである。

*

このような<集団即個人>のあり方の中からだんだん<個人の意識>が生まれる。

それが<精神革命>だったのである。

つまり一人の人間が<目覚め、考え始めた>のである。

*

次の四つの地域で精神革命が起きた。

●インド、仏陀が仏教を説く。
●中国、諸子百家とよばれる多くの思想家が活躍する。
●イスラエル、ユダヤ教が成立する。
●ギリシャ。タレス、デモクリトス、ソクラテス等の哲学者が活躍する。

これらの思想の特徴は<個人としての人間が主役>を演じているという点である。

つまりBC500年頃に人間の生き方は次のようになるのだ。

●各々の個人が思想、イデオロギーを持った。
●自然と人間の世界はその個人が持つ思想で説明された。
●集団と個人が分離した。

*

日本語で<分別>(ふんべつ)という言葉がある。

<分ける>、<たて分ける>、<理性>、<合理>の意味である。

分別とは分けて別にする事である。

いままで味噌と糞を一緒にしていた。

それを二つに分ける。

これが分別である。

日本語では<分る>という。

これは<理解する>事。

つまり理解は今まで一つだったものを二つに<分ける>事なのだ。

*

たとえば、一昔前の日本では<社員旅行>など、ふつうは強制的なものだった。

<わたしは社員旅行には行けない>などの事は考える事さえ出来なかった時代がある。

今はそれは普通に言えるようになった。

集団が主役だった時代から、個人が分れ、別に考えられるようになる。

これが分別である。

今までは例えば日照りが続き、飢饉が起きると、その部族全体の神に<いけにえ>が捧げられた。その時には人間もいけにえとなって殺された。

王が死ぬと多くの人間の<いけにえ>が首をはねられ殉死者として王の塚に埋められた。

中国の殷の時代の王の墓にはふつう数百人、多い場合は千人以上の殉死者、生け贄などが一緒に埋葬されているのである。

しかもこの場合、人間の首だけがたくさん並べられて出てくる場合もある。

つまりこの殉死は殷の呪術や特殊な約束事や儀式に則って行われたという事なのである。

それがごく普通だった時代があるのだ。

*

それに対して、ハッキリと、NOと言ったのが中国では孔子さんである。

孔子(BC551-BC479)は次のように言っている。

<子不語怪力乱神>
(孔先生は奇跡や幽霊などの怪異、
信じられないような力、
秩序の破壊、
鬼や神の事は語らなかった)
<論語>第七章、述而篇

孔子は分別があった事がこれでハッキリと分るのである。

彼は普通の人間が判断できない事には敢えて触れようとはしなかったのである。

*

ギリシャのアテネではソクラテス(BC469-BC399)がいた。

彼は<ソクラテスこそ最も知恵のある人である>というアポロンの宣託をもらった。

この宣託が本当かどうかを確かるために、彼は、当時ギリシャで賢人であるといわれていた人たちを訪ねて対話を行っていた。

広場で対話するソクラテス。

ソクラテスの対話の結末はいつも、相手が<知っていると言っていることを、実は知らない>、ということを暴露することになった。

相手は論破され、恥をかかされた。

多くの人がソクラテスを恨み、憎むようになった。

そして<アテネの国が信じる神々とは違った神を信じ、若者を堕落させた>と訴えられ公開裁判で死刑の判決を受け、毒を飲んで死んだのである。

これがソクラテスの<無知の智>。

つまり自分が何も知らないという事を知っているというきびしい自己反省のこころである。

個人の明確な意識がうまれているのだ。

ソクラテスは分別があった事がこれでハッキリ分る。

彼は普通の人間の考えている内容を実際に広場で、みんなの前で検討して、その本当の姿を白日の中にさらした。

彼は古い生き方を言葉で壊したという事ができる。

*

今、この分別のチカラがコンピューターで、今までの数千倍、あるいはそれ以上の量と速さで拡大する事が出来るようになっている。

手の上に乗せられるような超小型のコンピューターがその道具として現れている。

人間が今、再びある種の大きな変化の中にいる事は確実であるように思われる。

今度は、どんな変化が起きているのだろうか。

*

 

2006-06-21

宮本武蔵

日本は第二次世界大戦に敗れた。

Gannryuujima_1 日本に来た連合国軍最高司令官、マッカーサーは次のような言葉を吐いている。

<日本人の精神年齢は12歳だ>。

彼が日本人に本当に言いたかった事は一体、何なのだろう。

何が12才という意味なのだろう。

*

今日、その答えと思われるものがフッと分ったような気がした。

ディベートという<言葉による知的総合格闘技>で、5年連続のチャンピオンを勝ち取ってきた太田龍樹という人が大要以下のように述べている。

"勝ちっぷりのよい話し方をするには、.....話し手としての<基本スタンス>を知るべきだ。まず、すべての人やものごとを批判的に疑って見ることだ。

疑うといっても、相手や状況を否定するという意味ではない。つねに<なぜだろう?何を言おうとしているのだろうか?>と問い直すこと、すなわち本質を見極めようとすることだ。

..........

自分と他人はまったく違う>のだから人の言うことは疑うべきなのだ。

人やものごとを疑えば、さまざまな疑問がわいてくる。この疑問が、相手に対してどのように話せばいいのかのヒントを与えてくれる。"

これを読んだ時に<これだ>と思った。

マッカーサーが言わんとした点は<疑い>を知らない日本人の心根の事なのだ。

疑いというのは<距離感、離れて見る事>。

疑いというのは<自分との違い、差異の確認>ともいう事が出来る。

日本人はこの差異を見ることに本能的な恐れを持っている。

無関心を装ってそれを見ないような素振りをする。

差異は日本ではタブー。

それより<和>が大切だ。

これが日本なのだ。

*

ある日、新聞を読んでいると、歌声が聞えてきた。

一人の男がテレビの画面の中で歌っているのだ。

わたしはそのすばらしい声を呆然として聴いていた。

歌が終わった時にあまりにもビックリして、この人は誰だろうと思った。

新垣勉という歌手だった。

視覚障害、混血児、そして親にほうり出された彼。

それらの障害を乗り越えて来た彼の人生から絞り出てくるような味わいのある声。

広く明るく伸びる声。

それはメキシコや沖縄の青い空を思わせる。

彼がこのような意味の事を言っている。

<人はみんな違うんです。

だからみんながオーケストラのように

調和して生きていけるんです。>

"人はみんな異なる。"

これは<個性>の事である。

これが島国の日本では認められない場合が多すぎるのである。

彼は更に次のように言う。

"人とくらべて生きる、人を気にしていく。しかし本当はくらべる必要は全くないわけでして、くらべようとするからねたみだとか嫉妬だとか、そんなものがいろいろと起こってくるわけですね。自分が、あるがままの自分でいいんだ、自分以上である必要もないし、自分以下である必要もない。あるがままの自分を受け入れる。

ですから、よく<自信をもって生きる>という言葉がありますけども、<自信を持つ>ということは別に人とくらべて自信を持つということではない。自分は自分でしかないっていう、ある種のうなずき。

それをしっかり持っていれば、私たちはいろんなことがあっても乗り超えることができるんじゃないでしょうかね。"

それぞれが異なった個性をそのままオーケストラのように調和して生きていく。

<夫々の差異を認め合った上での平和と調和>。

これが新垣勉の世界なのだ。

*

日本のアキレス腱は<長いものには巻かれる>生き方である。

<和>と<大同>を求める島国の傾向性。

今求められているものは<他人との差異の承認>なのではないだろうか。

<夫々の差異を認め合う事>。

まず人との共通項を探して、そこに擦り寄る生き方ではない。

まず他人との<差異>に注目する。

他人と違うという圧力に耐える事である。

そしてそれを何故そうなのかと好奇心を持つ。

つまり<疑問>に思う。

ここから新しい日本の時代が始まるのだ。

*

宮本武蔵(1584-1645)の名前を知らない日本人はいない。

江戸時代初期の剣の達人。

二刀を使う<二天一流兵法>の創始者。

彼が書いた<五輪書>は翻訳され世界中の人に読まれている。

<巌流島(がんりゅうじま 山口県下関市)の戦い>が有名である。

世界には多くの剣士がいる。

しかし武蔵のように<2つの刀を使う>という流儀をどこか他のところで見たことがある人はいるだろうか。

これは武蔵が開発した世界でオンリーワンの剣法なのである。

わたしは武蔵の<二天一流>こそ日本の新しい時代の哲学であると思う。

つまり二刀流である。

<差異と疑問と距離感>という刀。

<和と調和とコンセンサス>という刀。

どちらも欠かせない。

2つの剣を持つ事。

これが新しい日本の建設に欠かせないと思う。

そしてこれが自然な人間の有りようなのである。

チョッと考えて欲しい。

耳はいくつあるのか。

目はいくつあるのか。

手はいくつあるのか。

足はいくつあるのか。

*

 

2006-06-20

ガウ惑星

一見すると世界は順調に動いている。

しかし一歩その底流を覗き込むと、そこには人間の業が渦巻いていWakusei1_1 る。

誰かが言ったように<摩訶不可思議な世界>なのだ。

ドロドロした闘争の世界である。

この人間の業の世界を見れば見るほど、人間は<悲しみ>とか<絶望>に追いやられる。

正義の声が聞えるところほど実は汚い。

汚いと見られているところほど清らかなこころがあふれているのだ。

*

繁栄しているところほど、その裏では争いと不安に満ちている。

そして、公害とか森林や自然の死滅が進行しているのだ。

貧しいところほど<高いモラルとか、素直な美しいこころ>があるのだ。

どちらが本当の人間の幸せなのか。

*

遠くの宇宙にある星のガウという惑星で起きた事件。

そこでは5つの国が争っていた。

M--モノツクリという国。

S--シホンという国。

K--キョウサンという国。

A--アブという国

B--ビンボウという国。

*

S国では本当に困っていた。

M国が上下に差のない理想的な国作りに成功したからである。

そこでは階級差が殆どなくなり、人々は物を分かち合い、知恵を出し合って、調和に満ちた社会を作り出していたのである。

Sは長い間その惑星で覇権を握ってきたのだ。

Sの文化は世界に流布して、それが一番クールだった。

ところがMで新しい理想が実現しつつある時に、実はSは没落していたのだ。

どんどんMの実力が上がってくる。

Sは落ちる。

そこでSは考えたのである。

もし今S国がB国と組んで、工場をそこに作り、安価な労働力とS国の資本をドッキングすれば、果たしてM国はどうなるだろうか........。

*

S国の一群のエリート達は必死にこの戦略のシナリオを書き上げた。

名づけて<M落とし穴作戦>。

ガウ惑星中の金が集められB国に持ち込まれた。

まづガウ中のメディアに広告を載せた。

<今までの10分の1のコストです>。

最新鋭のマシーンが据えつけられ、田舎の人々が工場に集められた。

もちろんS国はB未開発国を開発するという正義の旗を掲げていた。

だから金はガウ中からすぐに集まったのである。

うなりをあげて回転するB国のマシーン。

労賃がやすいのでマシーンのない所では人間がマシーンの代わりに働いた。

*

M国では次のような悲劇が次々に起きた。

●仕事がなくなって失業者が増えた。

●あれだけ潤っていたM国の税収が急落。国は慢性赤字に陥った。

●上と下の差が急速に拡大して国の潤いが破壊された。

●老人が急増した。

●M国には増税の重圧に苦しむ社会が生まれた。

つまりM国の理想の国は今や崩壊したのだ。

S国の<M落とし穴作戦>はびっくりするほど大成功したのだ。

*

一方S国では次の落とし穴作りに大忙しであった。

今度はなんとB落とし穴作戦である。

*

 

2006-06-18

枕草子

<枕草子> (995年) は清少納言 (966-1025年) が書いた。

これはだれでも知っている。Jyuunihitoe

どんな人でも、枕草子の一節は、いつか、学校で習った記憶があるだろう。

*

枕草子は日本で初めて書かれた<随筆>である。

清少納言という女性が書いた。

*

人は随筆をなぜ読むのだろう。

その作者が感じたこころの動きを

そのまま同じように感じてみたい。

そう思って読むのだと思う。

人間は共感の中でカタルシス(浄化)を味わう。

カタルシスというのはある種のリセット(ゼロになる)効果の事である。

スッキリとした気分になる。

精神的に浄化されるのである。

レフレッシュする。

人間には意識の奥深くに変身欲望がある。

いちど別の人間に変身する事で

元気が出てくるのだ。

*

実際に少し<枕草子>を読んで見よう。

*

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五月ばかりなどに
山里にありく、
いとをかし。

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(6月ごろ (陰暦の5月)
山里を歩き回るのは
とてもおもしろい。)

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草葉も水も
いと青く見えわたりたるに、
上はつれなくて
草生ひ茂りたるを、
ながながとたたざまに行けば、
下はえならざりける
水の、深くはあらねど、
人などのあゆむに
走り上がりたる、いとをかし。

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(草の葉も水も
一面に青々と見える。
上から見ると
草の生い茂っているところを
牛車で、どんどん真っ直ぐに行く。
そうすると草の下に
少し、水があるらしく
牛車に付き添っている男が
歩くと水しぶきがはね上がり、
車の中から見える
それが、とてもおもしろい。)

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左右にある垣に
あるものの枝などの、
車の屋形などにさし入るを、
急ぎてとらへて
折 らむとするほどに、
ふと過ぎてはづれたるこそ、
いと口惜しけれ。

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(左右の緑の生垣(いけがき)の
真ん中を通って牛車が進む。
青々とした木の枝が
何かの拍子に
牛車の窓の中まで入ってくる。
それを急いでつかまえて
折ろうと手を伸ばす。
でも、その枝はもう通り過ぎてしまう。
ああ、残念。)

--------

蓬の、車に押しひしがれたり けるが、
輪の回りたるに、
近う うちかかりたるもをか し。

--------

(車に押し潰された蓬(よもぎ)が
輪にからまって
何かのひょうしに
牛車の中にいるわたしの
ところとびこんでくる。
そのよもぎの香り。
本当に気持ちがいい。)

--------

(第223段)

*

これが1011年前に書かれた文章なのだろうか。

この随筆の文章を読むと、旅にでた女子大生が鉄道で田舎の山里を走っている感じである。

とてもモダン。

知性にあふれているのだ。

宮廷の人間関係にウジウジ悩む女ではない。

*

当時の宮廷の女性は、漢詩も漢文も自由に読めるだけの素養があった。

大抵の中国の古典は頭の中に入っていたのだ。

そうでなければ宮中には上がれなかったからである。

*

Aoihana_1 男性の方は漢字しか使えなかった。

すでにその当時、もう仮名文字は出来ていた。

しかし、仮名文字は女性用と見なされていたのである。

男はそれでも、仮名文字を使いたい。

そちらの方が日本語が自由に書けてすごく便利だったからである。

だから、紀貫之が日本で最初の日記文学書、<土佐日記>(935年)を書いたとき、彼は女の作者を装って書いたのである。

男としての面子(めんつ)で、そうするしかなかったのである。

女の方は、堂々と、仮名文字を書くという特権が使えた。

漢字にも通じ、仮名文字を自由に使えた当時の女性が多くの日記とか物語とか随筆を書き始めたのは偶然ではないのだ。

それだけの余裕と実力、それに精神的なエネルギーが女の側に蓄えられていたという事なのである。

平安時代の女性が書いた作品には、以下のようなものがある。

<源氏物語、堤中納言物語、

狹衣物語、濱松中納言物語、

栄花物語、枕草子、

蜻蛉日記、和泉式部日記、

紫式部日記、更級日記、

讃岐典侍日記。>

*

日記、物語、随筆、紀行文等の日本文学の突破口はほとんど全部、<日本女性>が切り拓いているのである。

これは世界中で日本にだけ見られる現象である。

しかもこんなに早い時期に。

10-11世紀の時点で、たくさんの女性文学作品が日本で生まれているのだ。

日本の女性は、声を大きくして、この事をもっと世界に誇るべきだと思う。

*

2006-06-17

韓国の恨・ハン

韓国の文化は一言で言えば<恨の文化>であると言われている。

では<恨>(ハン)とは一体何なのだろう。Kannkoku1

それはテレビドラマの<チャングム>の筋書きそのものだ。

チャングムの母は宮廷の女官であった。

ある時、宮廷の陰謀に巻き込まれ毒をのまされた。

しかし、辛くも、命をとりとめ、後にチャングムを生む。

父と母は殺されるが、チャングムは生き残り、宮廷に入る。

そして最後に、父母の雪辱を晴らすのである。

*

一見すると<恨>(ハン)というのは日本語の<仇討ち>と同じように見える。

しかし<ハン>をもっとよく見てみると、次のような要素が含まれている事が分る。

●悲哀と無念のこころ
●恨み
●情念
●党派内における人間の深い情
●党派間の激しい反目のこころ
●決意
●持続
●常に向上する精神
●正義感
●粘り強さ
●人並み外れた努力
●忍耐
●勇気
●勝利
●辛苦を乗り越えて行く心
●あきらめない心
●やさしい寛容のこころ。

つまり<朝鮮の恨>というのは、日本の<やまと魂(だましい)>のKorea2 ように朝鮮の土に染み付いた韓国人の生きざまその物なのだ。

*

日本人の潜在意識の中には次のような、気持ちが常に存在している。

<日本は島国で国土が小さく、

世界的に見ると、取るに足りない国だ>。

ある意味の劣等感(コンプレックス)である。

または島国にいる孤独感とか島国根性と言い換えてもいい。

これが西欧崇拝の形になる時もあるし、反面、戦争時などは鬼畜英米というような排外思想の温床になっている。

そして、このコンプレックスが朝鮮、中国、アジア諸国に投影された場合には、朝鮮、中国、アジアへの蔑視となる。

*

しかし歴史をひも解いて見ると、日本は昔から小国であったとはいえないのである。

むしろ反対に人口とか自然環境から見ると、大国で、文化のレベルも非常に高かったことが分る。

だから中国が日本を占領しようとした事はなかったのは当然の事である。

例外は蒙古帝国の日本攻撃の時だけである。

反対に日本は秀吉の時に中国占領を企画した。

そして一時、日本は先回の世界大戦で中国を蹂躙した。

*

日本から朝鮮への攻撃はしばしばあったが、反対に朝鮮から日本への攻撃は歴史上、ほとんどなかった。

そういう考えが出てこない位に日本は大国だったからである。

朝鮮の人々は、元寇の時は日本を攻撃した。

しかし、それは蒙古人に強制されて、いやいやながらやったのである。

そして今日でも、日本は欧米につぐ経済大国である。

*

よくみると日本は中東におけるエジプトの位置に似ている。Egypt1

エジプトは世界に先駆けて文字や文明を生み出したメソポタミア地方に近い。

ちょうど日本は漢字を生み出して大陸に統一大帝国を作り上げた中国に近かったように。

エジプトは周りを砂漠に囲まれた安全な国であった。

日本は海に囲まれた安全な国であった。

エジプトは独自のヒエログリフ絵文字を作り、メソポタミアとは一線を画した独自の文化を誇った。

日本は独自の仮名文字を作り、中国とは一線を画した独自の文化を誇った。

エジプトはナイル川の豊かな水に恵まれ、非常に安定した農業を基盤に持っていた。

そして長く一貫して繁栄した数千年の歴史がある。

日本は世界に稀な水と緑の自然の恵みに満ちた国土を持ち、非常に安定した地域として、10000年以上もの一貫性と連続性を持つ国である。

これは世界的に見てもほとんど奇跡に近い。このような国は世界に二つとないのである。

エジプトは昔から、避難民の天国だった。他の国に飢饉があってもエジプトには食べるものがあった。

危険を感じたイエスの母マリアは、夫のヨセフと一緒にエジプトに避難している。

日本は昔から、難民の天国だった。朝鮮の百済が滅びたときも、大量の難民が日本に流れ込んだ。

エジプトにはピラミッドのような、巨大古墳がある。

日本には世界最大の古墳がある。古墳の数は無数で全国に散在している。

エジプトはカナーンと呼ばれていた細長い回廊を通してメソポタミア地方と繋がっていた。

ちょうど日本が朝鮮半島という細長い半島を通して中国と繋がっていたように。

カナーンは今のイスラエルである。

今も戦乱が絶えない。

ちょうど朝鮮が今も二分されて苦しんでいるように。

エジプトはその歴史を見るとカナーン地方をしばしば占領、制圧している。

ちょうど日本が朝鮮にたびたび出兵して半島内に拠点を設けたように。

*

以上のように、日本は昔から中国、朝鮮から見ると、<豊かな平和な安定勢力>。

ちょうど混乱と戦乱に彩られたメソポタミアからみたエジプトの位置にあたる。

*

Hyundai ある人が大要、次のような事を書いている。

"日本人と韓国人というのは、どちらか一方の国で会うと何か違和感というか、壁のようなものを感じてしまうことがある。しかし、どこか他の外国で知り合うと、不思議な連帯感のようなものを感じて意気投合してしまうものらしい。そうしてみると日韓の心理的疎外というのは、その実、近親憎悪のようなものであるのかもしれない。"

その通りである。

*

朝鮮半島は中国という政治大国を北に、豊かな安定勢力の日本を南に、ちょうどサンドイッチみたいになって長い歴史を生き延びてきたのである。

韓国は常に北に南に引き裂かれ、党派争いの中で、分裂の危機の中で、生き延びる試練にさらされてきた国なのだ。

その悲しさと、くやしさと、恨みが<ハンの文化>を生んだとも言えるのである。

*

しかし日本人と韓国人は<兄弟>。

これが基本である。

長期的に見ると韓国は日本にとって

一番重要な国であると思う。

*

 

2006-06-15

インド

いま世界の目がインドに注がれている。

Indiaemblem なぜだろう。

それは中国の開発が一応の段階に達し、ある意味でその限界が見えてきたからである。

それに、インドは長い間、英国の植民地だったので英語が通じる点が大きなメリットなのだ。

インドは中国と同じ、人口は10億人を越える。

産業国としては未開発。

教育のレベルは高い。

インドは現在のグローバルな安全分散投資の時の流れに合致しているのだ。

*

正式な国名は<バーラト(Bharat)>。

通称はインド。

国土は日本の約8.7倍(3287590km²)。 

人口も 約8.4倍 ( 1065070607人)。

人口密度は 324人(ほぼ日本337人km²と同じ)。

つまり大体、日本の8倍の国がインドなのだ。

*

インドは広大で多様な国である。

しかも長い歴史がある。

今回はそのインドのごく一部分を覗いてみよう。

*

まず世界の人口密度の地図を見てみよう。Worldpopulationdensity

この地図で茶色の部分が一番人口密度が高い地域である。

日本、韓国、インド、バングラデッシュ、ドイツ、イギリスが茶色である。

*

地図を見てみよう。

西にローマやヨーロッパ。

東に中国。

それを結ぶシルクロードの幹線。Chizuindia

インドはその幹線から大きく南に外れているのだ。

インドの北側にはヒマラヤの山々がちょうど障壁の役目を果たしている。

つまりインドはカイバル峠を除けば、北からの進入が非常に困難な世界なのだ。

ある意味では<隔離された独自の世界>。

しかも、インダス川とガンジス川の周辺には、非常に広大で肥沃な平野が広がっている。

ここには数知れない農民が長いインドの歴史を貫いて数千年間も生活し続けてきた。

その定住農民の平野がインドのイデオロギーであるカースト制度を生み出した基盤なのである。

*

はるか太古の時代においては、インドは、インドだけで一つの島を成していた。

その島が大陸プレートの移動で、ユーラシア大陸に衝突した。

北のヒマラヤ山脈はその時の衝撃で土地が隆起して生まれたとされている。

だからしばしばインド亜大陸と呼ばれる。

インドはユーラシア大陸に突き出た、一種の半島なのだ。

気候は夏、雨季、冬の3つの季節がある。Kousuiryou

世界的にみても、インドは雨量が非常に、多い地域なのである。

グラフでは世界で三番目。

*

インドにアーリア人が侵入したのは今から約4000年前。

カスピ海の周辺部に住んでいた遊牧民族の一部はイランに侵入、一部はインドに入ったのである。

Indasubunnmei_1 インダス川の周辺で栄えていたインダス文明はアーリア人に征服・破壊された。

そして今からおよそ3500年頃、インド北西部の<5つの川>を意味する<パンジャブ>という豊かな地方で出来上がったのがヴェーダという経典である。

これによってバラモン教が成立する。

バラモンと言われる司祭を頂点とするカースト制度もこの頃に成立する。

*

しかしバラモンは非常に貪欲に他の階層の人々を搾取した。

そのバラモン体制があまりにも耐え難い重荷になった時、それを批判する運動が起こった。

それがウパニシャッド哲学である。

さらに、司祭階級からの抑圧からの開放を叫んで六師外道等の自由思想家が輩出して活躍した。

仏教はその運動の中から生まれている。

仏教の開祖の釈迦牟尼(ガウタマ・シッダルタ)の教えの核心には<一切の幻想や束縛からの開放(解脱)>があった。

*

仏教はマウリヤ朝の第三代の王、アショーカ王 ( BC268-BC232 ) Ashokasekichuu によりインドの国教になり、インド全土に広まった。

アショーカ王は最初から仏教徒であったわけではない。

インドを統一後に自分の行った殺戮を後悔して仏教に改宗したといわれている。

アショーカ王は仏教を保護し、仏教の布教を援助した。

*

アショーカ王は、第三回仏典の結集を行なった。

アショーカ王が方々に建てた石柱にはサンスクリット語やギリシャ語で法(ダルマ)に関する事が刻まれている。

そして仏教を広める為に、多くのギリシャ人が生活する、ヘレニズム諸国に使節を派遣した。

またチベットに伝わる伝説によれば、

アショーカ王はBC232年頃、当時の

国際的な商業都市タキシラで

亡くなったとされている。

*

アブラハム

羊を殺す場面をテレビ等で見た事があるのではないだろうか。

ナイフが光り、羊は血を流す。Abrahamnogisei_1

これはアラビアやトルコ等では普通の事である。

牧畜民ではない、日本人は顔をそむける......。

日本では主な蛋白源は魚介類や大豆。

狩猟は行われたが、大規模な牧畜は、日本の歴史上、今日に至るまで行われていない。

今日、北海道とか東北に多少、牧畜が見られる。

しかし、それを良く見ると、主な飼料はアメリカで作られたトウモロコシである。

日本には牧畜の基盤となるだけの、広大な草原がないのだ。

それに生き物を殺さないという仏教の教えも、影響したものと思われる。

*

アブラハム(古い形はアブラム)の生きたイラクやイスラエル地方の主要な生業は羊の牧畜であった。

この絵はレンブラントの<アブラハムの犠牲>。

アブラハムは旧約聖書・創世記に登場する人物。

いまから約4000年前である。

クレタ文明が栄えた頃。

彼の唱えた一神教がユダヤ教、キリスト教、イスラム教の基盤になった。

その意味でイスラエルとかアラブの父とも言える人物。

アブラハムは<信仰の父>とも言われている。

*

アブラハムの生まれたのはメソポタミア、現在のイラク。

町の名前はウルという。

ある日突然にヤハウェという神が彼に言った。

<カナンの地へ行け>。

彼はその神の命令に従い、さまざまな困難を乗り越えて、砂漠を越えて、カナンに行く。

カナン(Canaan)は、地中海とヨルダン川と死海に挟まれた地域一帯の古代名である。

アブラハムはカナンに到達する。

そこで神の加護のもとに幸せな生活を送る。

しかしアブラハムには子供が出来なかった。

アブラハム100歳、妻のサラ99歳。

もう子供は出来ないと諦めかけていた時、神は子供を授けようとアブラハムに言った。

そして生まれた息子がイサクである。

*

彼の神への信頼は一層強くなった。

神への感謝と祈りの生活が続いた。

イサクもスクスクと育っていった。

*

ある日、アブラハムは神からイサクを神の犠牲に捧げるように命令される。

悩み苦しんだ末に、彼はイサクを連れて山に登る。

祭壇を作り、生贄(いけにえ)を焼く薪を積んで、羊の代わりに自分の子供を犠牲に捧げようと、ナイフを手に持つ。

そこに、天使が現れて言う。

<あなたが神を恐れる者である事は分った。

あなたは自分の一人息子でさえも、わたしに捧げることを惜しまなかった>。

といって彼はイサク(イスラエルの祖)を殺すのを止めた。

*

<アブラハムの犠牲>に見るように、神は人間に命令を下す。

人間はそれに絶対的に服従する。

たとえ自分の息子を殺せと言われても、それを実行するしかない。

神が主人で、人間は羊なのだ。

羊は主人にはなれない。

人間は神になれない。

*

そのように見てくると段々、アブラハムの信仰の内容がハッキリとしてくる。

ここで言っている<アブラハムの信仰>というのは、むしろわたし達が<道徳、倫理、法律>を厳守するという事に近い。

<厳守する条項>は啓典として自分の外にあるのだ。

仏教の修行とか、儒教の知恵とかいう次元とは、全く違うのである。

仏教の場合には、人間は自分の(外にあるものではなく内にあるもの)仏性とか悟りの可能性に向けて人間を開発するという目的がハッキリしている。

つまり仏教の場合には、基本的に<信仰>は本来的には<教育とか学校>に近いのである。

仏教における<信仰>は<全力・総力をあげて>という意味である。

僧が集団生活をするところを<僧伽、サンガ>と言う。

これは今の言葉では<全寮制の悟りへの学校>に近い。

非常におおげさに言えば、仏教は人間が初めから神である事を想定した上で、その性質をどうやって現すかという手引きをするのである。

仏教では人間はある意味では神になるのだ。

*

仏教では救いは神のような超越的な存在が決めるものではない。

その教えは悟りへの呼びかけであり、実践への手引きなのだ。

人間は特別な存在ではない。

羊と同じく<衆生(いのちあるもの)>の一つに過ぎない。

仏教における神は、アブラハムの言う<唯一神>、全能な人格神、超越神ではない。

*

ここに疑問が生まれる。

ではアブラハムの唯一神は一体どこから来たのだろう。

ここで注目されるのが、<文字の起源>である。

文字はアブラハムの生まれたウル(Ur)またはウルク(Uruk)等のあるメソポタミア地方(現在のイラク)で生まれたとされる。

文字は法律に対しても使われた。

人類最古の法律はメソポタミア地方のリピト・イシュタル法典、ハンムラビ法典、ウル・ナンム法典である。

およそ今から4000年前。

これは石や粘土板に刻まれたものであった。

アブラハムの神はこの人類最古の法典と密接に関係して生まれている。

*

文字は初めは神聖なものだった。

その神聖さが神にも援用されたのだ。

そして牧畜民における<人間と羊の関係>が深くこの神の姿に反映している。

それに当時の<支配者と奴隷の関係>もアブラハムの神に反映しているように思われる。

アブラハムの生まれたのはメソポタミア、現在のイラク。

町の名前はウル。

彼はある時カナンに移る事を決める。

困難を乗り越え、砂漠を越えて、カナンに行く。

カナン(Canaan)は、地中海とヨルダン川と死海に挟まれた地域一帯の古代名である。

アブラハムはカナンに到達する。

そこで幸せな生活を送る。

*

そしてアブラハムはカナンでメソポタミアのウルで見た法典を思い出す。

一言でいえばアブラハムの神の言葉は

メソポタミアの世界最古の法典の

カナン版なのではないか...........。

*

2006-06-14

旅の歌人西行

<年たけて

またこゆべしと

思ひきやManngetsu2 

命なりけり

小夜(さや)の中山>

( 西行 ( さいぎょう 1118-1190) 、古今和歌集)

*

だれでもこれに似た体験があるに違いない。

この年になって、また野球をやる事になった。

若い頃の熱血たぎる野球の思い出。

あの観衆の熱気に満ちた声援の声。

押し寄せる思い出の数々。

あの頃と同じように、野球の球を全力で打つ。

白球は塀を越えて消えてゆく。

青い空が広がり、ひた走りに走る自分。

足が思うように動かない。

しかし不思議な

感動がこころに広がる。

*

"こんなに年をとって

またふたたび

小夜の中山越えを

するとは考えてもみなかった。

あの若い頃のはずんだ心で

希望に満ちて、峠を越えた頃の

力強い足はもうない。

そして、今また、今度は

けっこう、きつい思いをしながら

小夜の中山を

再び歩いて、越えようとしている。

考えて見ると、つくづく

それもこれも、本当に

命があるおかげである。

ありがたい事だ。"

Sayanonakayama *

地図で小夜の中山の場所を示しておこう。

静岡県掛川市にある峠である。

*

地図にもあるように西行の通った道を俳句師の松尾芭蕉(1644-1694)も通っているのだ。

同じく連歌師の宗祇(1421-1502)も西行と同じ漂泊の旅の中で連歌を詠んだ。

旅の僧、西行は一人の求道者である。

芭蕉や宗祇にとっては、歌と求道の旅のかけがえのない師匠なのだ。

*

西行は出家後の名前。

俗名は佐藤義清。

もともとは奥州の豪族、鎮守府将軍、藤原秀郷の9代目。

彼は由緒ある武士の家に生まれた。

役職は兵衛尉。

京の都で、鳥羽院の<北面の武士>として働いていた。

しかし、生まれつきの<和歌の天才>。

後鳥羽院は西行を評して、<生得の歌人>、つまり天成の歌人とほめ称えた。

だから当然、天皇とか上皇の主催の遊宴にはまず義清が召された。

柿本人麻呂・在原業平・紀貫之に比べてもひけを取らない程の和歌を詠んだからである。

新古今和歌集(1201-1216)に取り入れられた西行の和歌は94首で一番多い。

*

その武士の西行が妻子をおいて、突然、出家。

理由は不明。

出家後はしばしば旅に出た。

晩年、東大寺再建の浄財を募る為に奥州・藤原氏を訪れた。

その途中、鎌倉で源頼朝に会った(吾妻鏡にその時の様子が記されている)。

頼朝は西行に武芸の道のことをきいた。

西行が由緒ある武士の家に生まれた事を頼朝は知っていたからである。

その時に西行は<武芸の事は、全部忘れてしまいました>と答えたという。

そして頼朝にもらった、銀の猫を通りすがりの子供に与えて去っていったという。

*

その頃の京の都の歌壇は古今調という、あまりにも技巧をこらしたものであった。

西行は旅によって、都を脱出した。

時代から滑り落ちていく、頽廃した貴族の世界を逃れたのである。

田舎の空気を吸い、地方の庶民の健康な生活に触れ、自分のこころに忠実な自由な歌を詠んだのである。

*

西行は東山の双林寺にいた。

そして釈迦の入滅の日に死んだ。

73才。

"願はくは

花のもとにて

春死なむ

その如月(きさらぎ)の

望月(もちづき)の頃"

*

もし、できたら

桜の花の下で

春に

死にたいものだ。

2月の

月がいっぱい満ちている頃に。

*

望みどおりに、それは2月16日の事であった。

*

2006-06-13

科学精神

先回はキリスト教の超越神について書いた。

これには続きがある。Umi

ヨーロッパはこのヘブライの一神教の伝統の他にもう一つの伝統を持っているのである。

ギリシャの多神教の伝統である。

ヘブライの伝統が地上から天に向かう垂直の線だとすると、ギリシャの伝統は広い現象の世界へ伸びる水平線である。

この水平線は現象を観察する科学精神を表している。

多神教の故郷とも言えるインドがゼロを発見したのは、決して偶然ではないのだ。

現象界を数学的な明晰さで把握する。

言葉を変えれば現象世界を数学的に定義できる形で把握すると言っても良い。

*

何故西欧に科学技術が勃興して、近代産業社会を生み出す事が出来たのだろう。

何故他の地域ではなく、西欧という地域に集中して、これが開花できたのだろう。

この地域の研究者だけが、超越している神の立場に自分の身を置いて、この現象世界をあたかも神が人間を見るように観察した為であると考えられる。

つまり研究者は無意識の中で、自分を神に見立てていたのではないか。

そう思うのである。

科学の客観性というものが人間を越えたところにいる神の超越性と重複したとも言い換える事が出来る。

*

水平線は多神教、汎神論的な世界を表している。

これは日本とかメソポタミア、中国、インド、ギリシャの世界である。

科学の芽はすべてここで生まれているのだ。

羅針盤、文字、活版印刷、鉄、石炭の利用等である。

実は蒸気機関も1世紀の半ば、エジプト、アレキサンドリアのヘロンという人がすでに作っていたのだ。

*

ただそれを突き放して、人間世界とは違う神の、いわば<非人間的>な客観性の中でとらえる事。

そしてそれを人間の為に徹底的に利用する態度。

ちょうどベドウィンの主人が羊を殺して、肉だけではなく、皮も、骨も、血も利用するような態度。

殺す羊以外の羊を、大変熱心に育てる態度。

この部分だけが欠けていたのだ。

その部分だけがなかった。

だから科学の芽を発見しても、実際にそれを使っていても、その芽を育てて科学技術として持続的に改良して、発展させる事が出来なかったのである。

*

超越神は天から預言者に呼びかける。

つまり外からの声である。

これはちょうど<科学者>が数式でわたし達、<非科学者>に呼びかけるのに対応しているのだ。

*

ここで疑問が生まれる。

この西欧科学精神は唯一の科学精神なのだろうか。

羊と同じように、肉も骨も皮も血も、利用するためだけに世界があるのだろうか。

自然は羊なのか。

人間は果たして羊なのだろうか。

*

2006-06-11

一神教・多神教

宗教には一神教と多神教がある。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教等は一つの神しか認めない一神 教である。Oberisuku3_1

これらはすべてアブラハムの説く、一つの絶対神というものから生まれた兄弟の宗教である。

*

西欧の歴史を見ると、ある意味で、上記の一神教が、他の多神教を駆逐していく過程そのものである。

では何故、一神教は多神教より強かったのだろう。

何が一神教をして、そんなパワーをつけさせたのだろうか。

例えばあの地中海の覇者であるローマはもともとは多神教であった。

何故覇者のローマが一神の前に負けるのだろう。

不思議だ。

*

なにかのカラクリが一神教に備わっていない限り、これは説明出来ない。

そのカラクリとは何なのだろう。

それを知るには、一つの事を良く理解する必要がある。

それは<超越神>の意味である。

これは大変分りずらい。

特に多神教にドップリ漬かった日本人にはあまりピンと来ないのである。

超越神という概念はそれだけ日本人には異質な考え方なのだ。

*

超越神はこの世界を<創造>した神である。

ゼロから世界を作り上げた神である。

しかもこの神は人格を持っている。

人間とは一線を画している。

人間を作り上げたが、人間から神へ通じる橋はない。

つまり人間は神にはなれないのだ。

ここが仏教とか儒教と絶対的に違うところなのだ。

仏教とか儒教はある意味で普通の人間が修行して仏になったり聖人になったりするのだ。

*

羊を飼っている砂漠のベドウィン族の生活を考えてみよう。

羊の主が神である。

彼は羊を率いて草のある所を探して移動する。

羊は主人に従うしか、生き残る道はない。

彼が必要だと考えたら、羊は殺されて、食べられてしまう。

羊の側から、わたしは食べられるのがイヤだから主人になりたいと言ってもその可能性はゼロである。

これが<超越>という意味である。

*

多神教の土壌に成立した宗教では、人間と神の境界はハッキリとはしない。

何か偉大な力を持った人間。

それが死後に神となる。

これはギリシャでもローマでも同じである。

人間であった仏陀は悟りを開き仏の境地に達した。

人間であった儒教の聖人は身を修め、最後には天下を治める。

人間の世界と神の世界は、多神教では混ざり合っているのだ。

例えばギリシャでは神が人間の女性と交わって子供も出来る。

それが普通の汎神論的な世界なのである。

つまり一言で言えば、多神教では人間は神になれるのだ。

これが<非超越神>、多神教の意味である。

*

ではこの2つの宗教が争う場合に何が起きるのだろうか。

部族があい争う場合に勝敗を決めるのは団結である。

いろいろな部族の伝統とかしきたりの違いを乗り越えて、それらを束ねて、団結を作り上げたところが勝つのだ。

それを作り上げる際に最初は武力が役に立つ。

しかしいつも武力は使えない。

それに、一度強かった勢力が、その力を、そのまま維持するのは至難のわざである。

武力でねじ伏せても、武力で勝ち取ったものは、いつかは武力により倒される。

それがこの世の定めである。

だから一度、部族を束ねた権力者はどうかして、その権力を何か武力とは関係のない定点に固定したいと望むものなのである。

例えば、倭の女王は当時の部族に共立されたが中国という日本以外の権力の後ろ盾を求め、<親魏倭王>の称号を得た。

つまりここで卑弥呼は、他の部族長に対して、頭一つ抜け出したのである。

*

このメカニズムがローマでも働いているのだ。

ローマはキリスト教に抗して<皇帝崇拝>を始めた。

しかし最後にはキリスト教に負けてしまう。

何故か。

それはローマの皇帝には、当時は原理的には誰でもなれたからである。

当時のローマでは現在のリビア出身のアフリカ人が皇帝になっている例もある。

つまり皇帝の像を崇拝している人のこころの中を覗けば、次のようなつぶやきが聞えてくるのだ。

<いまはお前の前に頭を垂れている。

でも今に見ていろ。

俺が今に、お前のいる場所に座ってやるからな。>

*

これをもう一度まとめると、こちら側から、あちら側への橋が架かっている限り、それがライバル意識を喚起するのだ。

この橋を全部、破壊してしまったのが<超越神、一神教>なのである。

*

だから一神教を掲げれば多くの部族を抱きこめるのだ。

この場合、王はその神の代弁者、あるいは神を守る役目を公式に獲得する事に努力する。

超越した神と一体になった神政一体の政治体制を作り上げるのである。

これを実行したのが当時のギリシャ正教と一体になった、東ローマ帝国である。

だから西ローマが崩壊したあとも1000年間も、その体制を維持する事が出来たのだ。

何故なら、一度その地位を確保すれば、もう他の競争者は現れないからである。

一度だけこちらから、あちらへ行けば良いのだ。

その後の橋は壊されてしまっているのだから。

神は<超越神>だからである。

自分だけが親魏倭王の玉璽(ぎょくじ)を持てば良いのだ。

その玉璽(ぎょくじ)は2つは存在しないのだ。

*

競争仲間を引き離す。

この為に一神教ほど適性な宗教はないのである。

*

しかしこちらから、あちらへの橋を壊してしまった場合に、一つだけ残るものがある。

何しろ人間は神に対しては何も出来ない一方通行の世界である。

あちら側に全部の権利がある。

あちら側からは、こちらへ来れるのだ。

だから、あちら側には固定したものが残る。

これが<絶対定点>である。

普通の言葉で言えば<イデオロギー>である。

そして、それは検証不可能で、<信じる>しかないのだ。

*

上記の説明は政治的な側面から見たものである。

一神教なんてわたしには関係ない。

などと言う声がきこえてきそうな気がする。

しかし一度あった事は、必ず二度あるのだ。

つまり今の日本をちょっとでも、過去のOOOに見立てる事が出来れば多くの問題が正しく処理される可能性が高くなるのだ。

*

 

2006-06-10

交渉

韓国人と仕事をしていると、本当にイヤになる事がある。

日本人との違いを強く、感じるのである。

まず韓国人は<諦めない>。Cup1 

しつこいのである。

日本人は比較的、淡白である。

日本人はある限界値を超えると、すぐに諦める。

譲歩する道を選ぶのである。

あるいは泣き寝入りする。

面倒くさいのである。

でも韓国人は日本人が諦めたところがちょうど彼らの出発点のようなのである。

それは竹島のような問題を見ているとよく分るのではないか。

日本人からすると<恥も外聞もない>のだ。

どんどん圧力をかけてくる。

しつこく食い下がって来る。

キムチとニンニクを毎日、食べているからなのか。

その理由はよく分らない。

*

圧力に弱い日本人。

何故なのだろう。

もう一つの例。

外国の大口の取引先からクレームが入る。

向こうはクレーム故にこうむった損害に対して、損害の補償を要求して来たとしよう。

額は120万円。

しかし、このクレームは日本においては、クレームとしては元来認められないような事であるとしよう。

これを冷たく、突っぱねてもいいが、その為に、相手先との関係がこじれてしまえば、それこそビジネスの終わりである。

ヒシヒシと圧力が増していく。

その圧力たるや、大変なものである。

矢面に立ったわたしは、お腹が痛くなる。

ここで自分の状況を観察してみよう。

わたしは、今、圧力に押しつぶされかけている。

食欲もない。

疲れて仕事が手につかない。

冷静に細部や全体を考える余裕さえ失っているのだ。

わたしは、問題に首まで漬かっている感じなのだ。

こんな時に是非必要な<距離感>がゼロになっている。

わたしは、問題を正面から、そのまま、受け止める癖があるのだ。

イエスかノーか、全面対決。

問題を真面目に受け止めてしまうのだ。

全面的な勝利か、あるいは玉砕。

でも考えかたによっては、これは非常に危険な姿勢である。

真面目すぎるといえるのかもしれない。

*

このような場合、むしろ一番良いスタンスは<ゲーム感覚>である。

ゲームは遊びである。

ゲームは勝つこともあるし、負けることもある。

だからゲーム・モードに切り替えると<深刻さ>がまず消える。

問題と自分の間に<すこし距離>が出来る。

これがまず一番にやるべき事である。

アメリカ人とか西欧の人たちは、この<ゲーム感覚>が大変発達している。

素直な日本人からみると、彼らは毎日<陰謀>とか<相手をだます筋書き>だけを考えて過ごしているようなところがある。

彼らは微笑みながら、相手をたたくという曲芸を毎日、練習しているようなのだ。

あるいは正義を振りかざして、悪事をなす練習。

中国人や韓国人も長い、果てしない、争乱の中に生きてきた連中はみんなそうだ。

基本的にむこうは肉食の騎馬民族。

彼らの基本は<奪う事>にある。

こちらは農民出身の穏やかな菜食民族なのだ。

わたし達の基本は何かを<自分で作り出す事>にある。

アメリカ人などは、ほとんどの時間、仕事中でもこのゲーム・モードでやっている感じ。

全面的な勝利か、あるいは玉砕。

そういう深刻な、青筋を立てたやり方はしない。

<ダメでもともと>といった感覚でやっている。

それだけ彼らの毎日が<争いの連続>なので、慣れの中から出てきた知恵なのであろう。

"Take-it-easy"でしかも真剣に争う。

それがどうやって出来るのか、よくは分らない。

何しろ誰でもがカバンの中にピストルを持っている位な世界に住んでいるのだから。

*

わたしは、気が付いた。

こんな時は鼻歌交じりに温泉にでもつかって距離感を作り出すのだ。

温泉にはいまは残念ながら行けない。

だから、シャワーを浴びよう。

良い考えが浮かぶかもしれない。

シャワーを浴びていると、フッと緊張感が取れた。

そして、その時、天からアイデアの雨が降り注いできたのである。

そうだ。

"今回は仕方がない。

妥協はしてもいいが、値切ろう

今の60%で交渉してみよう。

それに次回からのこの類のクレームは

クレームとしては認められない旨の趣意書に

サインさせよう。

向こうも60%をもらいたい

ので妥協するであろう。"

翌日、交渉する。

あっけなくOKである。

趣意書にもサインして返してきた。

*

この事から、いろいろな事が学べる。

まず<交渉力>に関する基本である。

交渉の基本が<距離感>と<ゲーム感覚>である事。

交渉はパワー・ゲームで、一種のシーソー・ゲームである事。

精神的に負けたら、もうこちらの全面的な負けである。

彼らは味をしめて、将来にわたって、何回も同じ要求を繰り返して来るであろう。

向こうが上がれば、こちらが下がる。

その反対に攻撃に出て、こちらが上がれば、向こうは必然的に下がるのである。

だからやり方の基本は、向こうの弱点を列挙したり、こちらの持っている良いカードを見直したりする事が基本になる。

要するに向こうのカードとこちらのカードの比較が基本なのである。

そして、シーソーのこちら側にもっと重いものが乗せられないかと考えていく。

誰でも長所と短所があるように、すべての問題において、両者に良いカードと悪いカードがある。

全部が悪いカードというのはこの世にはないのだ。

すてる神あれば、ひろう神あり。

自分の良いカードを発見したり、相手の恐れている弱いカードを見つけたりする一種の遊びが交渉の準備段階にあるのだ。

両者を冷静に、細部と全体で見渡せたら、もう問題は解決したのと同じである。

*

グローバル化した世界には交渉は欠かせない。

そのうちに、交渉が一つの<芸術>に見えてくる。

そうしたら、その人はまた一つ、宝を手に入れたようなものだ。

世界は一つの大きな本のようなものだ。

その本から学ぶ楽しみがある。

そう思えば楽しくなる。

それにしても、あの60%は痛かった.........。

*

 

2006-06-09

歴史のロマン

歴史にはロマンがある。

<ロマン>を辞書で引くと、

"小説のように変化に富み、かつ甘美な筋をもった出来事。
恋愛事件などにいうことが多い。Soushokukofun
ロマンス。
通俗ラテン語であるロマンス語で書かれた中世の騎士物語
空想的な要素をもつ物語。
恋物語。"

*

これを見るとロマンというのは日常を離れる事に関係しているようだ。

そういえば<シルクロード>などは、日常的な事をすっかり忘れさせる。

そしてまだ見ぬ異国へ思いを馳せ、時間が経つのも忘れる。

*

場所を日本に限定して、歴史のロマンと言えば、<日本の古代史>は<ロマンの宝庫>である。

特に<邪馬台国>、<倭国の女王、卑弥呼>とか<大和の誕生>に関しては、もう至る所、謎だらけ。

日本という国が誕生しようとする3世紀から4世紀にかけての、日本の古代史は、分からない事だらけ。

まるで濃い霧の中を歩いているような感じだ。

それもこれも日本の正史である<日本書紀>が、この時代を神話として記述しており、捏造と歪曲が多く、信用できない為である。

*

時どき本屋さんで、古代史関係の本を手にとって見る。

その中の何冊かを買って読む。

しかし残念な事に、謎は、それによって深まるばかりで、霧はいっこうに晴れそうにないのだ。

何故だろう。

何故、日本の古代史の書物は謎を深めるばかりなのだろう。

その理由は、それらの書籍は、ある一定のテーマに限定して、歴史を叙述している事から来ているのである。

例えば、<出雲>とか<邪馬台国>について書いてあるのだ。

しかしよく考えて見ると、わたしが知りたいのは、<全体の流れ>なのである。

細部を知れば知るほど、全体との関連がつかめなくなる。

だから本を読めば読むほど、謎がいっそう深まるような気がするのだ。

言葉を変えて言えば、普通の日本古代史に関する本は<点>か、せいぜい<点線>のようなものだ。

ハッキリとした<線>、つまり、筋書きとか、<面>、つまり、全体像がないのだ。

*

古田武彦という人がいる。

日本の古代史を専門にする歴史家である。

この人の本はかなり読んだ。

おもしろいのである。

特に彼独特のテキスト・クリティークには魅了された。

その精緻な論理の展開も。

しかしハッと気が付くと、むかしわたしが何となく持っていた、日本の古代史の全体像が破壊されて、跡形もない。

その破壊の後に、新しい全体像が現れてこないのである。

彼は、テキスト・クリティークを駆使して、旧来の説に批判を加える。

そして、その局所局所を修正していく事に集中してしまったのである。

*

しかし部分をいくら集めても全体は生まれない。

全体像を作り上げるのに欠かせないのは、ハッキリとした<仮説>である。

一種の飛躍である。

直感的に全体を見渡す力。

<恐らく、真実はこうなのではないか>。

その<仮説>を証明する為にテキスト批判があり、考古学の資料があるのだ。

反対ではない。

まず<仮説>があり、そして、その裏付けがあるのである。

*

この仮説と裏づけという作業をやっている日本の歴史家がいる。

関裕二という人である。

日本の古代史の本をたくさん出版している。

この人の書いた古代史には全体像がある。

彼は最新の考古学の成果を取り入れ、物証と文献の両方から、仮説の裏付け作業をやっているのだ。

彼の目には、点や点線だけではなく、<線>とか<面>がハッキリと見えている。

それから、大学とか学術関係の人によくある官僚の匂いとか衒学趣味は彼には全くない。

彼もいろいろなテーマについて本を書いている。

それは分りやすいという訳ではない。

とにかく複雑に絡んだ糸を解きほぐすような、気の長い作業が続いて行くからである。

しかし彼が出した、何冊かの本を読んでいけば、だんだん彼のいう古代史の全体像が薄っすらと見え始める。

一つの大きな石をいろいろな角度から見る。

それと同じで、彼が書いているものは、いつも同じ<日本の古代国家の誕生>という一つの石の全体の姿なのである。

それに、重要な事に関しては繰り返し、繰り返し書いている。

だからある程度読むと、その石に関しては、分った部分、ハッキリした部分が、だんだん多くなるのだ。

そしてある時、わたしはハッと気が付いた。

いちど、壊れてしまった<日本の古代史の全体像>が、新しい姿で、だんだんと、自分の中に再び現れて来たではないか。

*

歴史にはロマンがある。

と人は言う。

しかし。

今度、わたしの中に、新しく、生まれた日本の古代史の全体の姿は、あまりにも人間的なものであった。

争いと、殺し合いと、裏切り、隠匿、怨みと祟りで織り成された日本の古代。

人間の業が積み重なる歴史の姿だった。

歴史のロマンを求めて得たもの。

それは悩み苦しむ、非常に現実的な人間の姿だった。

*

でも真実というやつは、いつもそうなのだ。

ついに日本書紀等に神話として封印されていた日本の古代史の真相があばかれようとしている。

<日本の古代史>はわたしにとっては、<ダ・ヴィンチ・コード>や他のたくさんな推理小説よりもおもしろい。

日本書紀の制作責任者の藤原不比等はいままでのどの推理小説家よりも優れていた。

なにしろ、1000年以上にもわたり、だれ一人として、犯人を割り出す事に成功しなかったのだから。

*

2006-06-07

メディア革命

いま音もなく進行している革命がある。

メディア革命である。

これは世界的な規模で進行している。Sheefafusuto 

言うまでもなく主役はインターネットである。

その意味について少し述べて見たい。

*

歴史をひも解いてみると、文字はもともと一部の人の独占下におかれていた事が分る。

エジプトなどの歴史をみると<神官とか書記とか貴族>がヒエログリフ(エジプトの絵文字)を独占していた。

ヒエログリフを読み書きするには書記としての特別な訓練を受ける必要があった。

極端な例としては中国がある。

中国ではいわゆる<読書階級>と言われる人だけが漢字を使って文章を書く事ができた。漢字をキチンと操作出来る人は<科挙>の試験を受けて合格した人か、あるいは合格しなくても、中国の古典に則って漢文を構成できるようになった人たちだけであった。

つまり彼らが言論を独占したのである。

あとの大半の人たちは読んだり書いたりする事とは無関係だったのである。

紙が生まれ、印刷技術が進むにつれて、紙というメディアを使った書物の時代が来る。

新聞を初めとして、印刷会社が生まれ、マンガや雑誌を入れれば毎月、膨大な数のあたらしい印刷物が出版されている。

しかし、この頃、本があまり売れなくなった。<読書離れ>とも言われている。

何が起きているのだろう。

ズバリいうと<メディアの独占体制>が壊されているのである。

大学の学者、有名な文学賞をもらった人の本、出版社、印刷関連の人たちは<印刷された神聖な文字>を長い事、独占し続けてきた。

彼らの間では無言の大衆蔑視があった。

いわば印刷された書物を生産する側が上。

それを買い、消費する側が下。

この上下関係がいまディジタル・メディアによってじょじょに壊れ始めているのである。

いまはディジタル・メディアを使えば<生産者=消費者、消費者=生産者>になる。

例えばBLOGを書いている人の辞書や素材は殆ど、インターネットの中にある。

メルマガの国際ニュースの分析も、世界のインターネットの中にすでに存在している情報を駆使するだけで可能なのだ。

つまり歴史上初めて、一人の個人が出版と消費を同時にディジタル・メディア内だけで出来るようになったのである。

初めてこの環が閉じた。

完全な円のサイクル(環)が出来たのだ。

*

しかしここに大きな障害が残されている。

金である。

ディジタル・メディアの生産者・消費者サイクルは出来た。

しかし、そのサイクルの中でカネを得る仕組みがないのだ。

別の言葉で言えば<プロ>になるには、もう一度<旧紙メディア勢力>の中に入っていくしかないのである。

しかし長期展望でディジタル・メディアを見た場合、この事がむしろプラスに作用するのではないかという予感がする。

金をえるには、生産者に媚びる必要がある。

それはちょうど、政治家になるには民衆の票が必要になるのと同じである。

しかしその結果は明らかである。

今の政治家は口では民衆にいいことを言う。

しかしそれを実行はしない。

これは日本だけではない。

世界的な傾向なのである。

それと同じ事が言論界にも当てはまるのである。

言論の世界を大学の先生達の金儲けのアルバイトから開放する事が必要なのだ。

分らない難しい言葉で書かれた本を、下の消費者がありがたがって買って読むだろう。

そういう時代は終わろうとしている。

もう読んでも意味の分らない衒学趣味の本は沢山だ。

少なくとも誰でもが、読めば<分る>というレベルの言論でありたい。

*

<金はいらない。しかしわたしは書かざるを得ない>。

そういう人が書くべきなのだ。

なぜか。

それはその人には少なくとも、何か人に伝えたい事やものがあるからである。

当然、人が読んで分る言葉を使う。

そういう人がいま個人として、ディジタル・メディアのサイクルに入ろうとしている。

そして普通の人間が分る言葉を書いている。

これこそが<歴史上の奇跡>なのだ。

こころからの叫び。

一人の人間の本当の<生の声>。

それは今、果たして、どのメディアにあるのだろうか。

*

スペインのオルテガ・イ・ガセットという人が<大衆の反逆>という本を書いている。

"他人と違うのは行儀が悪いのである。

大衆は、すべての差異、秀抜さ、個人的なもの、資質に恵まれたこと、選ばれた者をすべて圧殺するのである。

みんなと違う人、みんなと同じように考えない人は、排除される危険にさらされている。"

わたしは今、<大衆の反逆の反逆>という本を書きたい。

*

2006-06-06

つぎの10年の見取り図

竹島問題で日本と韓国の間がギクシャくしている。

いろいろな原因があるだろう。Jinnkouworldgraph

しかし、主な原因は日本の政治が<役人に依存>しているという点である。

役人は本質的に政治は出来ない。

彼らに出来る事は法律で定められた事をキチンと卒なくやるだけなのである。

政治をやる主体は<政治家>なのだ。

日本ではこれが反対になっている。

日本では<役人に政治をやらせている>のだ。

日本の政治家は、自分が勉強不足で何をしていいか分らないからである。

*

日本の政治の性格は以下のようなものである。

● 事なかれ主義
つまり余計な事をして足を引っ張られないようにする。つまり事を荒立てない。自分の出世に影響するからである。

● 日本という国の機構には、戦略立案の機能がない。

● 常に受身の国際政治。

● 常にアメリカ依存の政治。

もう一つ、日本の<事あげしない>という長い伝統がある。

しかしよく世界を見ると<事あげする>。

つまり議論して説得して、交渉する。

これがギリシャ以来、政治の長い伝統と歴史である。

この伝統から<議会政治>も生まれたのだ。

特に国際政治では<事あげする>が基本なのだ。

交渉して取引する。

*

日本は時どきキレる。

その理由は<事あげしない>から(つまり戦略を立て、交渉して取引をしないから)、内向的になり、その圧力が限界を超えた時、一部の人たちが暴走。

それを日本の指導層がキチンと抑えられない。

そういう構造が原因なのだ。

*

もう一つは日本は隣の国々をもっと研究するべきだと思う。

特に重要な国は、<韓国>、< アメリカ >、<中国>、<台湾>である。

その国の歴史、言語、文化を広く深く研究する。

特に重要な点は、ある問題が起きた時に、それらの研究者が、問題が起きた国の説得方法で一番<効果>のある方法を提案するという点である。

各々の国で最善の説得方法は異なる。

その相手の国の人がそれもそうだと思うやり方で事を日本の望む方向へ動かして行く必要があるのだ。

日本国内では<平和的な話し合い>が標準的な方法である。

しかしこの方法がどこでも通用すると考えるのは間違いである。

<日本の望む結果がどうすれば最短距離で達成できるか>。

それが交渉の唯一のポイントなのだ。

*

次の人口密度のグラフを見て欲しい。

韓国は世界で2番目に高い人口密度。Jinnkoumitsudograph_1

上記の研究者は、このグラフから、将来、日本は韓国との間で領土問題が起きるという予測が出来なくてはならない。予測だけではなく、その問題が起きる前にどういう手を打たねばならないかをシナリオとして書かなくてはならない。

更に、問題が起きた時に、どうその問題を解決するか。

その全体のシナリオを事前に作っておく。

これが最低限のレベル。

先手必勝だ。

それを日本はやってきていない。

いつも受身だ。

それは韓国問題だけではない。

すべてにおいて日本の外交は同じ色をしている。

女性的な、受身の、アメリカ一辺倒の依存丸投げ外交なのである。

日本の外交は革命的な変化を期待されている。

世界全体が<日本のあたらしい外交>を必要としているのだ。

その為には<日本は何をこの10年間に達成したいのか>。

それを明確にしなくてはならない。

日本は未来の見取り図を必要としているのだ。

*

メディアの世界

いま音もなく進行している革命がある。

メディア革命である。

新聞を読む人の数が減っているのである。Masudatoshio

そして、新聞の公式発行部数は信用できないと言われている。

というのは発行部数の2-3割の新聞は新聞配達所で捨てられている言う人もいる。

これは<押し紙>といわれているもので公然の秘密らしい。

では新聞の読者はどこに行ってしまったのだろう。

一部はテレビ、一部はインターネットやメルマガ等に流れているのである。

*

新聞には長い伝統と歴史があり、残念だとは思う。

しかし自分をみても、どうしてもインターネットとかメルマガの方に向かってしまうのである。

自分で、時どき、もう一人の自分にたずねてみる。

以下自分は<J1>。

もう一人の自分は<J2>。

*

J1<おまえは、何故、あれほど熱心に

読んでいた新聞をこの頃は、

あまり読まなくなったんだい。>

J2<うん、何故かなあ。

よく考えた事ないけど、

インターネットとか

メルマガの情報の方が

いろいろな問題について

本音を書いているものがあるからね。

新聞はいわゆる常識的な事しか

書いていない。

時代の流れは速い。

だから新聞を読んで当たり障りのない事

ばかりの記事を読んでいると

世の中が分らなくなるんだ。

だから何となく本当の事を書いている、この<おりおんのコラム>( おっと失礼、これは宣伝.です......)とか愛読のメルマガとかの方に、本能的に行っちゃうのさ>。

J1<そうか。じゃあ、君がいつも愛読しているメルマガってどんなメルマガなの。>

*

J2<うん、例えば、おもしろいのは増田俊男さんの<時事直言>

この人は長くアメリカにいた人で、株や投資の専門家なんだ。

<時事直言>の中で言っている内容が、ズバリ本質をついている事が多くて、世界の情勢を知るのに大変役に立つんだ。

彼は本質的な事をパッと直感的につかむのがうまい。

世界の大きな流れ。

それを知るのには彼のメルマガは避けては通れないと思うよ。

でも彼は決して新聞が書くような、いわゆるオリコウサン的な事は書かないぜ。

増田俊男さんには彼の哲学というか、歴史観というか、そういうものがある。

彼の予測が当たる当たらないは別にして、とにかく読んで後悔はしないメディアだ。>

J1<ヘェー、そんなメルマガがあるのか。それから他には>。

J2<そうだね。僕が他に読んでいておもしろいと思うもう一つのメルマガは田中宇さんのニュースだね。この人の国際ニュースの質とレTanakanews_1 ベルは非常に高い。僕が感心するのは、彼が<仮説>を立てて、情報の裏付けをして行く、そのプロセスの説明だね。何故そう考えるのか。それを説明しているんだ。これは新聞では見られないね。彼の人間性が生の形で見られるんだ。>

J1<なるほど>

J2<インターネットとかメルマガの短所は、とにかく数が多くて、どのソースが良くて、どれが信用できないのか、どこに本当のものがあるのか。それがなかなか分らないという点だね。反対に言えば、そんなソースを見つけたら大切にして、長く付き合って行く。そして、それを一貫して、フォロウする事だと思うね。>。

J1<なるほど。つまりインターネットとかメルマガの情報には、それを書いた人の<顔>が見えるという訳だ。>

J2<新聞にはもう高いレベルの内容は期待してないのさ。テレビのプログラム欄とか、アパートを探す時の広告欄とか、仕事探しとか、むしろ、ニュースには関係ないもののために新聞を買う事が多いね。>

J1<これから新聞はどうなっていくと思うの>。

J2<サァー。それは僕には分らない。でも一つだけ分る事があるよ。>

J1<それは何だい>。

J2<活字はこれからはどんどんディジタル化されていくという事だ。その比率は大きくなる一方だろうね。第一紙は木から出来ている。だから新聞を買わない事が悪い事だとは一概には言えないんだ。

情報が電子的に伝達された場合には、少なくともその為に、木は切り倒されない。>

*

 

2006-06-04

I LIKE KOREA

"考えてごらん

天国や地獄なんかないと。

青空があるだけだと。

Sora2_3  考えてごらん

みんなが今を

生きていると。

 

考えてごらん

国境なんてないと。

そのために死んだり、殺しあったりする

国も、宗教もないと。

想像できるかい。

血を流すことなく

みんな、一緒に平和に暮らして行くんだ。

 

Shakuyaku3_4 おまえは夢を見ている

と人はいうだろう。

でもそう考えている人は

僕だけじゃあない。

君もいつか

そう思うようになる。

そして、世界はひとつになるんだ。

 

考えてごらん

貪欲な人なんかいないと。

想像できるかい。

おなかをすかせて争う事もない。

みんなが兄弟のように

分け合って

一緒に生きて行くんだ。

 

おまえは夢を見ている

と人はいうだろう。

でもそう考えている人は

僕だけじゃあない。

君もいつか

そう思うようになる。

そして、世界はひとつになるんだ。"

*

オノ・ヨーコとジョン・レノンの詩、

<Imagine>である。

わたしはこの歌をきくと

韓国と日本の和解をいつも想像する。

*

"考えてごらんKoraiseiji

倭寇も日帝も

ないと。

兄弟の民族が

あるだけだと。

想像できるかい。

僕等は、じつは

仲の良い

兄弟なのだと。

 

おまえは夢を見ている

と人はいうだろう。

でもそう考えている人は

僕だけじゃあない。

君もいつか

そう思うようになる。

そして、アジアはひとつになるんだ。"

*

何人か、韓国に友だちがいる。

時どきお互いにキムチを食べ過ぎて

カッとなって、ケンカもする。

でも、それでも

なんとなく思う。

みんなとてもおもしろい人たちだと。

I LIKE KOREA。

*

Imagine there's neither
waegu nor occupation
I wonder if you can
No need for hate and grudge
Imagine we are brother
Living in harmony

You may say I'm a dreamer
But I'm not the only one
I hope someday you'll join us
And the Asia  will be as one

*

2006-06-03

啓典の民

日本は世界で一番のお金持ち。

しかし日本という国は、外から見ると非常に分りにくい。Fujisakura

日本の外から比較的、はっきり見えるのは<金儲け>と<長いものにはまかれろ>と<ケースバイケース>という3つの姿勢だけなのである。

日本は、時どき外から包囲される。

つまり孤立するのだ。

むかしのABCD包囲陣がその例である。

そのような状況下に置かれると、日本は、時どき<キレる>。

キレた時は危ない。

攻撃的になり、何をやり出すか分らない。

日本は、外からは非常に理解されにくい国なのだ。

*

むかしのように、各地域が大なり小なり<独自の世界>を維持出来た時代は、それでも良かった。

しかし、現在のようにグローバルな時代。国境が殆ど意味をなさない時代に入ると、その国の持っている<思想>が大きな役割を果たす。外から大体、その国の方向がイメージ出来るからである。

その国の思想は<憲法>の中に凝縮されて示される。

<憲法>を、<書かれた基本文書>と考えると、これはある意味で<経典>である。

つまり現在の世界は<経典>の重要度が増している時代だと言える。

*

経典の民。

啓典の民。

それがユダヤ人である。

キリスト教も、イスラム教もアブラハムの説く<唯一の神>から派生した宗教である。

では経典を中心に生活するというユダヤ人の生き方は、一体どこから来たのだろうか。

なぜこのような生き方が生まれたのだろう。

*

現在のシリア、イスラエル、メソポタミア地方は、太古のむかしから、世界の<十字路>であった。

多くの民族がここを通過して行った。

ある時は攻撃され、占領された。

連れ去られ奴隷にされた。

中東は世界の諸民族の通り道だったのである。

この地方は砂漠が多く、民族の移動を妨げるものがない地域である。

その意味で中東は、初めから<多民族のグローバルな世界>であった。

このようなグローバルな地域で生きていく為の知恵。

それが<書かれた文書>に依拠するという事である。

だから<文字や契約や経典や憲法・法律>が世界で最初にこの地域で生まれたのは偶然ではないのだ。

それが進化して、整理されて、生まれた物。

それが経典、そして1神教なのである。

そして、その知恵を、1番極端な形で体現しているのがユダヤ人。

古代イスラエル王国はBC586年に新バビロニアに滅ぼされた。

それ以来、2500年以上、確固たる民族国家を持たず、ヨーロッパを中心に全世界に散らばった。

しかしそれにもかかわらず、ユダヤ人としてのアイデンティティーを現在も維持している。

ユダヤ人は、<神の数を1つに限定>して、<精神的な拠り所を1つ(経典)に)限定>した生き方を最初に開発した人たちなのだ。

それが、具体的には、ユダヤ教の経典に立脚して生きる生き方である。

国を失ったユダヤ人からみると、世界は完全にグローバルな世界だった。

いろいろな地域、習慣、因習、宗教。

その地域でユダヤ人として生きのびていかなくてはならない。

そこで生まれたのが1つの神と、1つの経典を中心にした生き方だったのである。

*

Yudayakeiten_1 よく見るとユダヤ人の生き方は<精神的な鎖国>である。

周囲と絶対に融和しないのだ。

自分の不変の1神と1経典をもって、<多の世界>に勇敢に、自由に漕ぎ出していくのだ。

自分の中に定点があるのだ。

*

これは日本の対極にある世界である。

日本の基本は<外から来たもの>をどんどん取り入れ、<自分に合う形に変形・改良する>、自分の基本的な<和魂>は変えない。

しかも自分の和魂に関しては<言あげ>をしない。

つまりつべこべと説明するのを嫌うのだ。

この生き方に一番合致しているのが<国土の鎖国>である。

適当な距離をおいて、外の文物を観察し、取り入れる。

しかしそれを丸のみにはしない。

英語も<Native English >はいらない。

英語の文献がどうやら読める英語で充分。

こうして、適当に距離を置くのが<鎖国>である。

どこかに一箇所<出島>を作り、そこに専門家を配置して、輸出入の窓口として使う。

むかしはその窓口は九州の壱岐対馬及び伊都の国であった。

その後、長崎の出島になった。

それから総合商社になった。

そして今は海外旅行.......。

このような訳で、日本の場合には、まず国を閉じる事が基本になる。

日本語という特別にむずかしい言葉が鎖国政策を支援する。

それから比較的小さい規模の空港。

鎖国が基本。

定点が国土にあるのだ。

それを1神と仮定しよう。

その1神から出て、<世界の多>を取り込む。

つまり日本列島自体が1神であり、1経典の役目を担っているのだ。

周囲の海外の文物には容易に融和する。

しかし列島自体は不変の魂。

<言あげ>をしない和魂を持っている。

これがすでに、数千年以上も続いてきた伝統。

日本の<鎖国の構造>である。

*

しばしば、日本は世界的に見て、<思想の空白地帯>であると言われている。

つまり明確なイデオロギーがないのだ。

それは上記の<鎖国の構造>からすると、当然の事なのだ。

わたし達は、ユダヤ人の<精神的な鎖国>とは反対の事をやっているのだ。

美しい緑の山々。

清らかな川と海に囲まれた国。

血を流すのが嫌いな国。

その国土自体がかけがえのない神であり、経典なのだから.......。

*

しかし、これからは文武両道の時代に入る。

日本は明確な考え、思想も持ち、しかも

国土への愛も持っている。

両刀使い。

そういう国に向かう時代が始まっている。

現在のグローバル時代を乗り切るやり方を最初に開発するのは誰だろう。

今度はユダヤ人ではなく、

自分の中にも、

緑の国土にも

<定点>を持つ、

日本人の番なのではないだろうか。

*

 

2006-06-02

ルネッサンス

数人の気の合った人たちと飲みに行って、ひとしきり話しが一区切りした時、誰かが、突然言った。

< なぜ日本の歴史にはルネッサンスがないんだろう >。

一瞬、シンと静まり返った。Sumouyokozuna5

その後はワイワイ ガヤガヤ。

*

でも家に帰って、考えた。

なぜ日本には、いわゆる<ルネッサンス>(再生、よみがえり)現象が歴史上で見られないのだろうか。

不思議である。

ヨーロッパではルネッサンス(Renaissance)は14世紀にイタリアで始まって、全欧に広がった。

そしてこれがヨーロッパ近世への突破口を開いたのである。

ルネサンスはギリシャ・ローマの<古典古代再生運動>である。

人文主義運動(ヒューマニズム)とも連動している。

宮崎市定によると、中国でも、<南宋>の時代(1127-1279年)にルネッサンス現象が見られるとされている。

*

<再生>というのは、考えて見ると、何か古い古典があって、それを、再びよみがえらせ、蘇生させる事である。

ではヨーロッパの場合、何を再生しようとしたのだろうか。

これには2つのものが絡んでいる。

1つには聖書である。

ラテン語であった当時の聖書をギリシャ語、更にヘブライ語に溯って理解しようとする。

つまり原典復帰の運動である。

この動きが後の宗教改革につながっていくのである。

もう1つには、教会の桎梏を逃れて、もっと自由な、<ギリシャ・ローマの古典古代の人間中心の考えかた>に戻ろうとする運動である。

これは後の市民革命の運動につながっていく。

*

中国の場合は南宋の時代になり、今までの儒教を根源にまで溯って、もう一度見直す運動が朱熹を中心に行われ朱子学として完成する。

これは宇宙及び人間の世界を<理、気、性、情>によって説明し、心の修養法までを説いた壮大な体系である。

朱熹は当時、形骸化して、意味の分らない、お経のように読まれていた儒教の原典に新しい解釈を加える中で、それに新しい生命を吹き込み、朱子学として完成させたのだ。

*

何か社会的な<変化>を起こす時、それに対する抵抗をなるべく避ける為に<過去のものを蘇生させる>という表向きの表現がなされる事が多い。

実際には改革・革命。

表向きは再生・蘇生という訳である。

Sumou1_1 *

では、日本にルネッサンスがなかった理由は何か。

それは上記のヨーロッパとか中国の場合と比べると明確に分る。

西欧、中国の場合には、生活、文化の中心になる<経典・啓典>があった。

西欧の場合には<聖書>や<ギリシャの古典>。

中国の場合には<儒教の四書五経>。

ただ経典・啓典は時間と共に形骸化して、意味が不明になる運命を持っている。

だから、経典は時代に合わせて<再解釈>を必要とするのだ。

日本の場合には、そのような<経典・啓典>はなかった。

つまり日本は中国から儒教とか仏教とか、さまざまな文化を輸入したが、それらを巧妙に変形させ、自分に合った形で吸収して来た。

それに、日本においては、西欧とか中国のように、ある特定の文書が<経典・啓典化>する事がなかった。

例えば日本は中国から律令を導入した。

しかし中国の律令の前提条件をなしている<皇帝独裁体制>や、<科挙>や<宦官>は、これをきびしく排除して、導入を拒んでいる。

日本は漢字を中国から導入した。

しかしその後で、すぐ万葉仮名方式を生み出し、漢字を借りて日本語を筆記するのにそれを使う。

とうとう漢文は日本には根を下ろす事はなかった。

万葉仮名から、すぐに仮名が生み出された。

つまり日本は独自の表音文字を、漢字を基にして作り出したわけである。

その結果、日本語は<漢字(表意文字)の語句と仮名(表音文字)の混合体>という現在の形になった。

ここに日本の性格が良く表れている。

一言で言えば日本にはイデオロギーを作り出す固定された、<経典・啓典>がないのだ。

日本の基本的なやり方は、<外の文物を取り入れる>。

しかし、それを<自分に合わせてたくみに変形、改良する>。

取り入れたものを<絶対化して経典・啓典化しない>。

これが柔軟な、フレキシブルな、<日本のやりかたの基本>なのだ。

開放的だが、保守的。

ハンチントンという人が<文明の衝突>という本に、日本の文明を6大世界文明の中に入れている。

これは中国の性格とは全く違うからである。

日本文明は、中国の文明の中に入りきれないのである。

柔軟な、フレキシブルな、日本。Sumounishikie7

しかし長所は即ち、短所。

良く言えば<柔軟で、フレキシブル>。

悪く言えば、<無思想な、骨なしのオポチュニスト>。

*

ルネッサンスというのはある意味で<後ろ向きの革命>である。

過去を再生するといいながら、新しい時代を開くのだ。

上山春平氏は、彼の著書<埋もれた巨像>の中で以下のような意味の事を述べている。

"日本書紀は<非革命の哲学>に貫かれている。

中国の皇帝は徳を失って、天上の神様の信任を失えば、天命が革(あらた)まって、王朝の交代が当然とされている。

革命を認めた、<革命の哲学>が中国の基本である。

それに対して日本はその<革命の哲学>をはっきりと拒否したのである。"

毛沢東は言う。

<権力は銃口から生まれる>。

中国の伝統、<革命の哲学>そのものである。

日本は、これに対して<天皇万世一系のしくみ>を堅持して譲らなかった。

しかも天皇の親政は日本の歴史上、殆ど例外で、実際の権力は天皇を補佐する人たちの手に握られていた。

毛沢東流に言えば、

<権力は天皇を頂点にした、談合によって生まれる>のである。

これが、日本にルネッサンスがない理由の1つになっているのは確かである。

つまり日本には本当の意味の<革命>、つまり<ルネッサンス>はないのである。

あるのは<話し合い>。

つまり、談合である。

天皇の周りの人たちが争う事はある。

しかし、争いが終わって見ると、天皇はそのまま動かない。

動くのは天皇の周囲の補佐役たちだけなのである。

あの織田信長のような独裁志向の権力者も天皇になり代われなかった。

足利義満もそれを果たせなかった。

例外は日本人以外の人が<変化を日本人に強制する>場合である。

第2次世界大戦後の連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ)、マッカーサーがその1例である。

しかし、この場合も日本人は、それを巧妙に骨抜きにする事が出来るので結果は同じである。

*

では日本人がルネッサンス、再生、つまりリフレッシュする場合、何をするのだろう。

日本人の原点とは何だろう。

原点にもどる時に日本人は何をするのか。

それは<みそぎ>、<おはらい>である。

<よごれ>、<けがれ>、<よこしまな心>を洗い清めるのである。

清浄な、まっすぐな、きよらかなこころ。

清浄心。

日本人にとって、清浄心は正常心なのである。

*

という事は日本の哲学の中心にあるのは

<人間の本性は善である>。

ただ、それが<よごれ>、<けがれ>、<ねじまがって>いるのを直せばいい。

それを洗い流し、真っ直ぐに直せば、もとの、本来の善のこころが現れる。

*Sumounishikie3

グローバル化した地球。

どんどん地球は小さくなっている。

その中で、日本以外の国では、全く反対の哲学が基礎になっている。

<人間の本性は悪である>。

*

日本は果たして、アジアともアメリカとも手を組む両面作戦を組織して行けるだろうか。

わたしはそれが出来ると思う。

理由は

日本の本当の原点は清らかな真っ直ぐな心と

一体になっている

<豊かな自然>だからである。

今の言葉で言えば、

<環境>、<エコロジー>、<人間と自然の共生>である。

<豊かな自然>が日本人のこころに反映した姿。

それが、<清浄な、まっすぐな、きよらかなこころ>という哲学なのである。

日本の自然は世界の宝である。

上記の日本の哲学、<清浄な、まっすぐな、きよらかなこころ>というのは具体的に言えば、環境を守る、自然を大切に扱うという事なのだ。

その<環境>の中に<他の人間>も当然、含まれる。

いま必要なのは<日本の本来の性格>を大切にすることである。

それを世界に通用するものに<昇華する>ことだ。

性格は変わらない。

しかしその性格を<世界に通用する力に変える事>が必要なのだ。

日本の新しい方向。

それは<環境の王者>になる。

別の言葉で言えば<世界最高の環境、自然、社会、循環型ハイテク、スーパー省エネ技術、失業者のいない社会>を作り上げる事。

その<日本モデル>を世界の導きの星にする。

そしてアジアや、アメリカを、世界を、その方向に誘導する。

今の日本の相撲界は次々に

外国出身の力士が日本の土俵で活躍し始めている。

これと同じように周りを抱き込んで行く。

他人の土俵で相撲を取る必要はない。

自分の土俵を作ればいいのだ。

*

 

2006-06-01

いなずま

突然ふりだした雨

大粒の雨。

天から

ピカピカKaminari

光が

ふりそそぐ。

ゴロゴロ

ゴロゴロ

ゴガーン

それを

いなずまという。

でも、なぜ

いなずま<稲妻>と

言うのだろう。

それは

むかしから

日本の人たちは

稲を女、

天からふりそそぐ光線を

男と見立てたのだ。

イネの実が

結ばれるために

天の光線が稲を貫く。

その意味は<稲の夫(つま)>。

しかし現在は漢字で

稲妻と書くようになった。

むかしは 夫婦や恋人が互いに

相手を呼ぶ時には、

男女関係なく、<つま>といった。

<つま>は今の言葉では

妻であり夫なわけである。

いなずま。

稲妻。

*

たくさん子供を生むには

たくさんのイナズマがいる。

稲妻のおおい年は

豊作。

*

大地は女、天は男

いなずまが大地をつらぬく。

雷。

雷神は恐ろしい神である。

しかし雷神は

それと同時に

豊作をもたらす恵みでもある。

そのように

太古の人々は

いなずまを

見ていたのである。

*

 

2006-05-30

雨のおと

雨の音で目をさました。

ザァーと激しい雨である。

雨ガ フルゥ アナタハコナィ♪Hiroshogeoohashiatatenoyuudachi

の歌が耳のなかで

きこえる。

*

このような雨の日

学校へ行く途中

橋の真ん中で

下の川を見た。

水かさが増し

物凄い流れ

めまいがするような速さ

いつもは、川の真ん中に

あるハズの

小さな島が

水の中に

消えている。

ゴゥ ゴゥ ゴゥー

ドゥ ドゥ ドゥー

水が土手を押して

流れる音が

今も耳にきこえる。

おそろしい水の速さ

そのにごった色

それが目に見える。

*

石の橋

それを渡るのが

毎日の楽しみだ。

晴れた日には

その上から

青い空を

見た。

*

木の橋

つり橋

Bridgevenice5 ローマの橋

ベニスのロマンチックな橋

いろいろな橋。

むかしの橋は

なぜか美しい

人がそこを通って

生活してきたBridgevenice7

その香りが

漂っているから

かもしれない

*

橋をかける

その戦いがあった。

ふたつの場所を

大河が切断している。

そのふたつの場所の

人々の戦いのあかし

それが橋だ。

*

小さい町の

橋は

だまって

耐えている。

その重みにHiroshigenihonnbashiyukinoasa_1  

時間に。

人々のおしゃべりを

聴いてきた橋。

そこを通る人。

悲しい人

笑顔の人

苦しい人

ごう慢な人

ひもじい人

怒った人

帰りを急ぐお母さん

しらがのおじいさん

自転車に乗った

ガキたち。

なにも文句を言わず

耐えている橋。

*

2006-05-29

伊勢物語

日本の古代、中世時代で一番売れたベストセラーの本は何でしょう。

答えは<伊勢物語>。

ではその理由は。Isemonogatari3

その通り。

<スキャンダル>ものだったからである。

推理小説は主として<殺人>がテーマになっている。

殺人は社会で禁じられている。

だからそれを犯した事件に関心が集まるのである。

それと同じで、伊勢物語が、古代、中世において一番読まれた理由は、当時の社会の規範を破った事件が物語りの<核>になっているからである。

そのスキャンダルとは一体何なのだろう。

1番目のスキャンダルは当時権力を独占していた藤原氏の娘、藤原高子の駆け落ち事件である。(3-6話)

そして、2番目のスキャンダルは伊勢神宮の斎宮(神に仕える巫女)との密通事件。(69話)

初めの藤原高子の駆け落ち事件は、例えていえば今の総理大臣の娘がある日、突然、男と駆け落ちして行方が分からなくなったと言うような事件なのだ。

その話は当時、大きな反響を呼んだ。

高子は、その後、清和天皇のもとへ入内し、陽成天皇を産んだ。

ある意味でこの男は当時の最高権力者の藤原氏に対して、反逆したとも言えるのである。

2番目の斎宮恬子内親王との密通。

これは文徳天皇が伊勢神宮に贈った斎宮(神に仕える巫女)にある男が手をつけて、しかもその結果、はらませてしまったという事件である。

これも天皇という権威に対する反逆のスキャンダルである。

そしてどちらの場合も、その男が最後は負ける。

つまり権力者が、その男を排除する。

男は東国に落ちのびていくのである。

*

もう1つの<伊勢物語>の成功の理由は、これが125話から成る短い物語の集まりからできている点である。

とても読みやすかったのだ。

おのおのの物語には必ず1つ以上の歌(和歌)が添えられている。

だから、<伊勢物語>は、一種の<風流の手引き書>、あるいは<和歌や恋愛の教科書>としても使われたのである。

つまり娯楽書であるとともに都の文化の伝達書。

和歌と恋愛の手ほどきの実用書としても広く読まれた。

日本古典文学の3大定番は<伊勢、古今、源氏>であり続けてきた。

その中で物語として、一番古いのが<伊勢物語>。

伊勢物語のもともとの原型は9世紀末には出来ていた。

源氏物語よりも古い、日本最古の物語。

つまり<伊勢物語>こそ、日本の文学のルーツなのだ。

大げさに言えば、<伊勢>が日本の文学の運命を決めたのである。

*

ここでは最後の段、第125話を実際に読んでみよう。Ise125

"昔、男、わづらひて、

心地死ぬべくおぼえければ、

つひにゆく道とは

かねて聞きしかど

昨日今日とは

思はざりしを "

(昔、男が、病気になって、

今にも死にそうな気分になり、

こう言った。

最後には

みんな死ぬものだとは

きいていたが、

それがまさか

きのう、今日のことになるとは

思ってもみなかったなあ。)

*

日本文学のルーツ、<伊勢物語>を

一度、肩の力を抜いて気楽に読んで見よう。

*

2006-05-28

最上川

五月雨を

あつめて早し

最上川 

(さみだれを

あつめてはやしShounaiheiya3

もがみがわ)

*

所は山形県の最上川。

最上川と芭蕉。

<最上川>とくると<芭蕉>を連想する。

この組み合わせは誰一人知らない人はいない位である。

なぜこんなに多くの人の口に、この句がくちずさまれているのだろう。

*

まず<奥の細道>の本文を読んで見よう。

"最上川 のらんと、

大石田と云所に日和を待。

爰(ここ)に古き俳諧の種こぼれて、

忘れぬ花のむかしをしたひ、

芦角一声(ろかくいっせい)の心をやはらげ、

此道にさぐり足(あし)して、

新古ふた道にふみまよふといへども、

みちしるべする人しなければと、、

わりなき一巻残しぬ。

このたびの風流、

爰(ここ)に至れり。"

Mogamigawa1_1 (最上川の舟下りをしようと、

大石田というところで、

天気がよくなるのを待っていました。

そうすると、この地にも、

むかし誰かが植えた俳諧の種が芽を出して、

俳諧連歌を詠む人たちがいました。

歌が栄えた遠いむかしを慕い、

Yamagatamap 頑張っている人たちがいる。

しかし情報の乏しい田舎にいると、

俳諧道に入っても、

いま起きている新しい動きが分からず、

伝統俳諧への批判も理解できないまま、

俳諧の道に迷ってしまう。

道しるべになり、

指導をする人がいない。

だから、

大石田の高野さんの家で

一栄さんとか川水さんと

一緒に詠んだ

連歌の一巻を残して行こう。

今回の旅で

このような草深き東北の地にも、

新しい蕉風俳諧の種を植える事ができた。

こんなに嬉しい事はない。)

*

この本文からいろいろな事がわかる。

芭蕉はただ単に東北地方をアッチコッチとうろついていたわけではないのだ。

彼は行く先々で、地方の風流を知った人たちと<連歌俳句会>を開いていた。

彼らと一緒に実際の連歌を作る中で、今の時代にふさわしい俳諧の道を教えたのだ。

つまり彼の東北の旅は、今の言葉で言えば地方にいる同好の士への<On the job training>(現場実習指導)だったのである。

日本全国に芭蕉の句碑がある。

それは芭蕉という俳句の師匠への感謝の印なのだ。

芭蕉にはこの意味で<教育者>の風貌がある。

上の芭蕉の俳句は、この連歌句会の発句、つまり最初の一句である。

*

非常におもしろいのは、もともと、この俳句は、

五月雨(さみだれ)をあつめて涼し最上川

であった事である。

それを芭蕉は後で

五月雨をあつめて早し最上川

に変えた。

なぜだろう。

この変化をよく比べる事により、芭蕉が目指した蕉風がどんなものであるかを知ることができるのではないか。

<涼し>の方は最上川の見物(けんぶつ)になってしまう。

短い575の文字の中に、どれだけこころの風景を凝縮するか。

<早し>には俳諧の<旅>を行く文人としての誇り。

きびしい俳諧道の源から勢いよく、連綿と流れ下る人たちへの愛情と激励の意味が込められているのではないだろうか......。

*

 

森と水と稲

久しぶりに旅に出た。

田舎の空気が吸いたくなったのである。

食べ物もおいしかった。  Satoyama2_2

でもやはり、一番こころに残ったものは.......。

<木々の緑と川のせせらぎの音と稲>であった。

田舎の道を、どこまでもどんどん歩いた。

*

次の図を見てほしい。

これは世界のいろいろな地域の<森林率>である。Shinrinnritsu

*

つまり国土の全体の広さを100とした時の、木で覆われている部分の比率である。

先進国で森林率がそこそこ高いのは、スウェーデンの62.2%、フィンランドの68.5%。Shinnrinnritsu5

念のため、もっと数字を並べてみよう。

イギリス 10.2%、ドイツ 30.0%、ブラジル 57.3%。

日本は66.4%。

フィンランドの68.5%と並ぶ成績である。

高い森林率66.4。

これは日本の大きな誇りである。

なぜか。

それは<文明が自然と共存できる>

という事の明確な証明なのだから。

*

ある環境考古学の専門家は<森>について、大要、次のような事を書いている。

人類最古の物語はメソポタミア地方で生まれた<ギルガメッシュ叙事詩>である。

これを書いたのはチグリス・ユーフラテス川の下流域に住んでいたシュメール人である。

物語の主人公、ギルガメッシュ王は、紀元前2600年頃、メソポタミアにあった都市国家ウルクの実在の王。

王は木を必要としていた。

都市を作り、神殿を建て、青銅器を鋳造し、土器を焼くには、どうしてLebanonsugi2 も森の木が欠かせない。

ギルガメッシュ王はみんなの止めるのもきかず、友人のエンキドウと一緒に青銅の斧を持って、森の杉を切りに出かける。

当時はまだユーフラテス川の上流に、芳香を放つ巨大なレバノン杉の森があった。

森には半神半獣の森の神、フンババがシュメールの最高神のエンリルに命じられて森を守っていた。

ギルガメッシュ王はその森の前で、杉の森の美しさにこころを打たれ、立ちつくしていた。

しかしエンキドウはギルガメッシュ王をいさめ、とうとう森の神フンババの首を斧ではねて殺した。

その時、<ただ充満するものが山に満ちた>。

*

人類最古の都市文明を作り上げたシュメール人。

しかしこの文明は<大規模な森の破壊>を伴っていた。

都市文明と環境の破壊。

5000年も前に書かれた<ギルガメッシュ叙事詩>。

誰が書いたのか。

フンババが惨殺された時に山を覆った、<ただ充満するもの>とは何だったのだろう。

それは人間の愚かさ。

<良識を欠いた人間の欲望>であったのだと思う。

叙事詩を書いた人はそれを知っていたのだ。

*Kawa_1

森は同時に<水の貯水池>でもある。

森がなければ良質な水もないのだ。

そのように考えると<森と水>は同じ物なのだ。

*

もう一つの大きな自然災害が、いま世界中で大きな問題となっている。

<塩害>である。

中国では全耕地の7%が既に塩性土壌になっている。

アメリカでは大規模な農作物の生産を行っている農園などで、広く塩害がみられる。

一般的にすべての植物は塩分の多い環境では生きていく事が出来ない。

塩害が発生すると、その土地は農作物が育たない不毛の地になるのだ。

連作を続けたり、水をまき続けたりすると、水中、地中に含まれるわずかな塩分が固まり、地表近くの塩分濃度が上がってしまう。

沙漠などの乾燥地では降水量に比べて蒸発量が極端に多いので、安易に水をまくと土の塩化がすぐに起こる。

これが<塩害>である。

ではどうすればいいのだろう。

土の中の塩分を取り除く脱塩が必要なのである。

Tannbo その為に何をすれば良いのか。

<水稲>を栽培すれば良いのだ。

水稲の栽培には田の水位を一定に保つ時期がある。

そのため、土の塩分が持続的に洗い流されるのである。

<水稲>、つまり水田で作る稲は、塩害のない連作が可能な作物。

しかも水稲には塩害を浄化する力もある。

*

日本の各地に残る里山。

ギルガメッシュではないが、
私は<森と、川と、稲>の前で立ちつくしていた。

*

2006-05-25

芭蕉の旅

荒海や

佐渡によこたふ

天河

(あらうみや

さどによことう

  あまのがわ)

*

雲のない夜

海辺に立つ。

黒々とした岩。

砕けちる波。

はるか海上に

佐渡の島が見える。

ふと上をみると

天の川が

ななめに

空をよこぎって

ながれている。

*

この雄大な景色。

芭蕉の世界である。

なぜわたし達は芭蕉の俳句にこれ程までに引きつけられるのだろう。

例えば次の一句。

これを知らない日本人はいないだろう。

*

古池や

蛙飛びこむ

水の音

(ふるいけや

かわずとびこむ

みずのおと)

*

彼が43才の時に作った俳句である。

まわりの静寂がカエルの池に飛び込む音で、はじめて、わたし達に伝わってくる。

*

芭蕉(1644-1694年)は伊賀の国上野に生まれた。

北村季吟を師として俳諧を習い、1678年、職業的な俳諧師になる。

深川に住む。

芭蕉の木を植えたのが大いに茂ったので<芭蕉庵>となづけた。

*

もともと<俳句>は<和歌>から派生したものである。

つまり57577の初めの575が独立したのである。

俳句はもとは俳諧連歌という形式であった。

たくさんの人が次から次へと句を作り繋げていく。

数珠繋ぎのように句が連綿と続くのである。

俳諧連歌のプロを宗匠という。

これが芭蕉のような俳諧師である。

宗匠は多くの連衆を集め、連歌句会を開き、句会を取り仕切るのである。

連歌俳諧の最初の句を発句という。

後に発句が独立して、現在の575の俳句になる。

鎌倉時代から続いてきた集団の作歌、連歌の伝統。

それは575の発句という形に姿を変えて、個人の俳句として今日まで続いているのである。

*

<俳諧>という言葉のもともとの意味は<滑稽(こっけい)>とか<戯れ(たわむれ)>である。

つまり俳諧はもとは可笑しいものとか戯言のようなところから出発しているのである。

例えば、古今和歌集の中の滑稽な和歌は<誹諧歌>と呼ばれていた。

これは、ちょうど<能>と<狂言>との関係に似ている。

だから初期の連歌俳諧は、いってみれば連衆が集まって、滑稽で洒落た言葉の遊びを楽しむ。

そういった感じのものだったのである。

芭蕉はこの連歌俳諧を変えた。

どういう方向に変えたのだろう。

今までのおもしろおかしい言葉の遊びという方向から、静かで落ち着いた気品のある、芸術としての俳諧をめざしたのだ。

そのキーワードが<さび・しおり・細み・軽み>である。

<さび>古びておもむきのある美しさ。閑寂・枯淡な境地。

<しおり>作者の細やかな感情が余情となって句ににじみでること。

<細み>句の心が幽玄で微妙な境地になった状態。

<軽み>身近な題材に美を見いだして平淡にさらりと表現すること。

芭蕉は俳句を芸術として作り上げた俳聖なのだ。

つまり深刻な言葉でいうと芭蕉は俳句に命をかけたのである。

*

もう一つ忘れてはならないのは芭蕉が作った日本の新しい文学のジャンルである。

"月日は百代の過客(かきゃく)にして、

行かふ年も又旅人也。........

日々旅にして、旅を栖(すみか)とす。

古人も多く旅に死せるあり。

予もいづれの年よりか、

片雲の風にさそはれて、

漂泊の思ひやまず、....."。

これは芭蕉の<奥の細道>の序文の最初の部分である。

芭蕉は人生を旅であると考える。

そして日本の各地の名所旧跡をたんねんに見て歩くのである。

その旅の中で紀行文を書き自作の俳句を添える。

これが芭蕉の作り上げた新しいジャンル、俳句紀行文である。

遠い世界への旅へのあこがれ。

日本における旅のロマンの原型。

それが芭蕉なのではないだろうか。

*

"旅に病んで

夢は枯れ野を

かけめぐる"

芭蕉最後の句である。

享年50。

*

2006-05-24

蕪村と写生

菜の花や

月は東に日は西に

*

(谷あいの里。

Nanohana 山々に囲まれた

静かな盆地。

そこに一面の

菜の花畑が

広がっている。

ふと見ると

東の緑に輝く

杉木立の上に

白い月がでている。

西の黒々とした

山の尾根に

いま赤い陽が傾いていく。)

*

与謝蕪村(1716-1784年)の俳句である。Buson

松尾芭蕉のような雄大さとは違う。

しかし日本の里山の景色をサラッと歌っている。

肩の力を抜いているところがいい。

写実的で絵画的な俳句が蕪村のいのちである。

目の前にその風景が見える。

風の音も聞えてくる。

山が連なり、鳥達が鳴いている。

蕪村は江戸俳諧中興の祖といわれる。

また、<俳画>の創始者でもある。

*

隅々に

残る寒さや

Umenohana_2 梅の花

*

うぐひすの

二声(ふたこへ)耳の

ほとりかな

*

春の海、

終日(ひねもす)

のたりのたりかな

Botan_2 *

牡丹(ぼたん)散りて

打ちかさなりぬ

二三片

*

五月雨(さみだれ)や

大河を前に

家二軒

*

秋風の

うごかしてゆく

案山子(かかし)かな

*

俳句は5,7,5。

世界で一番短い詩である。

この短い言葉の中に人間と世界をうつし出した。

日本には俳句の長い伝統と、その蓄積がある。

その一つ一つをゆっくりと味わっていこうと思う。

*

 

 

ダ・ヴィンチ・コード

<ダ・ヴィンチ・コード>がいま大ヒットしている。

ダン・ブラウン氏が書いた歴史ミステリー小説。
アメリカだけでおよそ700万部を売り上げた世紀のベストセラーである。

映画化され主人公はトム・ハンクス(48)が演じている。Mironovenus

*

キリスト教の神は超越神。

性は男性である。

男の神である。

キリスト教は一神教である。

つまり他の神を許さないのである。

きびしい父なる神。

キリスト教ではイエス・キリストと神の愛を説く。

しかし<やさしさ>とか<無償の愛>。

これらは本来は<母>の属性ではないか。

一方、キリスト教には2人のマリアが登場する。

*

Hahamaria 子供を抱いたマリアはイエスを生んだ母のマリアである。

しかし何とこのマリアは結婚前にすでにイエスをはらんでいたのである。

夫のヨセフは婚約者のマリアがはらんでいることをを知った。

本来なら、律法により、マリアを不義姦通罪を犯した女として、世間に公表し、石打ちの刑にすべきところをそうせずに結婚した。

ここに男と女の一種の倒錯した姿を見る事ができる。

何を隠そうとしたのだろう。

*

キリスト教にはもう一人のマリアがいる。

<マグダラのマリア>である。Magudaranomaria

イエスの復活を初めて目撃した人である。

"その<マグダラのマリア>がイエス・キリストと性的な関係を持ち、子どもをもうけた。"

<ダ・ヴィンチ・コード>のこの部分が大きな反響を呼んだ。

その根拠となっているのは

2-3世紀ごろに書かれたとみられる<フィリポによる福音書>の記述である。

"3人の者がいつも主と共に歩んでいた。

それは彼の母マリアと彼女の姉妹と

彼の伴侶と呼ばれていたマグダレーネであった。"

"弟子たちすべてよりイエスが彼女を愛しているのを見て、

弟子たちはその理由を求める。

主は、マグダラのマリアをすべての弟子たちよりも愛していた。

そして、主は彼女の口にしばしば接吻した。

他の弟子達は、主がマリアを愛しているのを見た.....。"

*

もう一つのポイントはレオナルド・ダ・ヴィンチ が描いた壁画。

Saigoobannsann_1 <最後の晩餐>である。

キリストの右隣には女性らしき人が座っている。

それが<マグダラのマリア>ではないかというのである。

絵にはキリストとその弟子、12人が描かれている。

だから、その人物は、公には、使徒ヨハネでなくてはならない。

しかし、一方ではこの絵は<ヨハネによる福音書>の記述をもとに描かれている。

そして、<ヨハネによる福音書>の中には以下の記述があるのだ。

"イエスの愛しておられた弟子が

イエスの胸もとに寄りかかっていた"

(13:23-26)。

この弟子は従来の読み方では使徒ヨハネであるとされた。

しかし、<イエスの愛しておられた弟子>という言葉を、上記の<フィリポによる福音書>の記述と重ねると.....。

*

なにかを隠そうとしたような気配を感じる。

イエスはあくまでも童貞の独身の男として死ぬべきだったのである。

ここでも男と女の倒錯した姿を見る事ができる。

ではなぜ、キリスト教ではこのように<性>にこだわらなくてはならなかったのだろう。

*

キリスト教はもともとユダヤ教から派生した宗教である。

イスラエル地方から、エジプトとか、今のトルコ(アナトリア)、そしてローマへと広がっていったのである

当時、これら地方の神の中で、一番大きな力を持っていた神がいた。

<大地母神>キュベレである。

アナトリアのフリギア(トロヤの東南)から出て、クレタ、ギリシャ、ローマへと非常に広大な領域に広がった女神である。(フリギア王国はBC1000-BC600年頃に栄えたアナトリアの王国である。)

この女神はアナトリアでは新石器時代から崇拝されていた太古からの大地母神。

肥沃な大地、谷や山、自然、野生動物(特にライオンと蜂)を体現する。

要するに<大地の神、豊穰の神、出産の神>。

太古の母系の世界から立ちのぼって来るような、非常に古い母神である。

いろいろな他の名前でも呼ばれている。

ラテン語でマグナ・マテール。

日本語では<諸神の母>の意味である。

キリスト教が広まるには、この<大地母神>との生きるか死ぬかの戦いが避けられなかった。

つまりキリスト教は<母性とか女性>に対して、常に戦いの姿勢を崩す事が出来なかったのである。

父なる神を押し立てて進むキリスト教。

それを押しとどめようとする<大地母神>。

それが背景になってキリスト教の性の倒錯が生まれているのである。

*

長いヨーロッパの歴史。Goethe

その中でひときわ目立つのはゲーテの存在である。

ゲーテにはある深い喪失感があった。

これはゲーテだけにあるものではない。

欧米の文化の深部に広く漂っている<喪失感>である。

何を喪失したかと言うと<母神>である。

<やさしさ>と<あたたかさ>と<無償の愛>。

そして<笑顔>。

ゲーテは、彼の最大の作品である<ファウスト2部>を、次の天使達の合唱で終わっている。

<永遠に女性的なるもの、

我を引きて昇らしむ>。

永遠に女性的なるものが

自分を高みに引き上げる。

*

2006-05-22

もう一人の自分

よく日記はきらいだという人がいる。

そんな人と話して、その理由をきいてみると、意外な事が分った。

その人は日記は、自分がその日にした事とか、考えた事とかを書き、自分を<反省>するためにあると考えていたのである。 Notebook   

だから日記を書けば書くほど、自分がダメな人間のように錯覚する。

劣等感を持ち、コンプレックスに陥ってしまう。

つまり日記を書けば書くほど、<精神的に暗くなり、行き止まり>になるというのだ。

しかしこれは全く大きな誤解である。

日記は自分を自分で監視したり、暗い反省をする為に書くのではない。

むしろその反対。

日記はむしろ、自分の中に光を持ち込むものなのである。

日記の目的は自分の<開発>にある。

*

では具体的に自分の開発というのは何なのだろう。

人間は不思議な動物である。

それはなぜかというと、人間は常に自分と、自分の分身の2人を同時に生きているからである。

1人の自分はこの普通の自分。

もう1人の自分は<自分の中の自分>である。

気がついていない人もいるかも知れないが、自分がやっている事とか、言っている事とかを、<もう一人の自分>が常に見ているのだ。

そういう存在が<人間>というものなのである。

日記の役目は、むしろこの2人目の自分に活動のチャンスを与えてあげることなのである。

つまり日記は結局、今の普通の自分が書くのではなく、この2人目の自分が書くのである。

*

一人目の自分は<主観的、感情的、情的、日常的な自分>と言ってもいい。

2人目の自分は<客観的な自分>と言ってもいい。

一人目の自分には毎日たくさんの活動の機会がある。

朝起きるとまず弟を少し、いじめる。

それがおもしろいからである。

すこし喧嘩してスッキリしたら、学校に行く。

勉強する。

その後、サッカー部で練習する。

そこでも生意気な部員をすこしだけ痛めつける。

とにかく一人目の自分にはやる事は次から次にあるので退屈はしない。

弟もその部員も、これらの事を含めた生活を、それでも結構、楽しんでいるのだ。

これは普通の仲がいい間柄で起きる摩擦なのである。

こうして毎日がどんどん行き過ぎていく。

*

もう一人の自分はこのルーチンの毎日が苦手なのだ。

習慣化して半ば水の中の魚みたいに泳いでいる自分が苦手なのである。

この2人目の自分にはある程度、1人で集中出来る場所が必要なのである。

そして、すこしだけ一人で集中できる時間が必要だ。

そこで、この2人目の自分に活動のチャンスを与えよう。

それが日記なのである。

さあ、では日記を前にして何を書くのか。

前に前進するためのすべて。

明日のイメージとか。

明日は何をやりたいのか。

それから来週ある期末のテストについてである。

あの苦手な数学の成績を改善する必要がある。

まず明日の計画をザッと書く。

その中でも数学の成績改善についてのアイデアを書く。

そうだ。相沢君の数学のノートを見せてもらおう。

彼がどういうノートを書いているのか。

自分に欠けているやり方が見つかるかも。。

何か、改善のヒントがつかめるかも知れない。

そして彼がどうやってあの数学の成績をとるに至ったかを一度詳しく聞いてみよう。

何しろ去年までは俺と同じく数学が苦手だったんだ。

その彼が今年はあれだけの成績だ。

何かあるはずだ。

これらの考えを全部日記に書くのである。

それからチョッとだけ、反省をしても良い。

しなくても良い。

したくなったら反省も日記に書いていい。

でも<MUST>ではない。

弟をもてあそぶのはもう止めよう。

だいいちエネルギーの消耗で、生産的ではない。

Greece それから部員をいたぶるのも、すこしセーブしよう。

あいつと一緒にチームを組んでやる試合も近づいているし。

それよりあいつのシュートの仕方がなっていない。

それを教え込む事の方が大切だ。

なにしろ試合には勝たなくてはならなんのだ。

これらの思考をすべて日記に出来るだけ詳しく書くのである。

日記を書くポイントは前に<前進する>ためのすべての情報。

*

日記を書き始めると、自分が気が付かない間に、主役が交代して、<2人目の自分>が書いている。

日記はそういう意味で第2の自分、もう一人の自分の栄養源なのである。

もう一人の自分の一番大切な性格は<距離>である。

この人はすべての事をある一定の距離を置いて見る人なのである。

普通の自分は感情に流される。

だから判断が狂う。

しかし、この人は距離をおくので、いつも冷静なのだ。

計画とかアイデアとか学習は、<もう一人の自分>に任せるべきなのだ。

任せるといっても日記を書いていない人は、<もう一人の自分>の存在にすら気がついていないかもしれない。

日記を書いている人はだんだん分ってくる。

何となくもう一人の自分がいるという事に気がつくのだ。

薄紙をはぐように分ってくる。

いつも距離をおいているクールな自分。

すこし冷たいところがあるが出来るヤツだ。

客観的な自分。

普遍的な自分。

世界と一緒に呼吸している自分。

もう1人の自分。

これを育てるのが日記なのである。

*

ヨーロッパ人は<もう1人の自分の育成>の事を<合理性の強化>とか、<個人の確立>とか、<自我の確立>とかいっている。

同じ事を違った言葉で言っているだけなのである。

人間は不思議な分裂症にかかっている動物だという事をまず知らなくてはならない。

2人の人間を1人で生きているのが普通の常識ある人間なのだ。

人間の一番の弱点は距離をおかないで感情や情動に流されるという点なのだ。

これを続けると人間は愚かになり、結果として不幸になる。

そこでもう一人の自分が登場する必要があるのだ。

この人の役目は<距離をおいて物事を見る事>、<しっかりとした客観的な知識の上に判断を下す事>、<なるべく前もって準備する、計画する>である。

<もう一人の自分>の居場所が<書き言葉>なのだ。Greek_vase_1

その<書き言葉>をつづる具体的な<場>が<日記>なのである。

*

日記のルールはたった一つ。

<できるだけたくさんの

書き言葉を書く。

内容は何でも良い。

書き言葉でしか第2の自分は

育たないからである。

だから出来るだけたくさん書く。

だから基本的に次のように考えよう。

いま何についてなら一番たくさん書けるか。

それについて書こう。

疑問があったら疑問を書こう。

小説でもエッセイでも良い。

考え付いたものはすべて書こう。

たくさん書けば数打てば当たるで

その内の幾つかは

成果になって帰ってくる。

量が肝心なのだ。

出来るだけたくさん書く。

重複しても構わない。

何回同じ事を書いてもいいのだ。。

思いついた事はすべて書く。

これをブレーンストーミング

という人もいる。

脳の嵐である。

マンガでも良い。

スケッチを入れても良い。

テレビを見た感想でも良い。

本を読んだ感想でも良い。

ある友だちの悪口でも良い。

とにかく自分の考えを

言葉で書く。

とにかく書き言葉で

誰が読んでも分る

キチンとした

わかりやすい言葉で書く。>

*

<書き言葉>。

これが<もう1人の自分>が育つ栄養源なのである。

量は多いほど良いのだ。

普通の自分。

もう1人の自分。

どちらも同じ自分である。

バランスをとってどちらにも栄養をあげよう。

たまにはハメをはずすのも良い。

しかし日記は続けよう。

クールな自分を開発するために。

どちらにもどんどん、活動のチャンスを与えよう。

なにしろ日記は<自分の開発>のためにあるのだ。

そして日記を好きになろう。

2006-05-21

ことだま

万葉集の<葉>は<言の葉(ことのは、ことば)>である。

つまり今のわたし達が使っている<ことば>の意味である。

万は沢山。

つまりたくさんの言葉の集まり。Naruto

これが<万葉集>の意味である。

*

太古のむかしの日本の考えでは

<言(こと)>と<事(こと)>とは同じものだった。

漢字が導入された当初も言と事は区別せずに用いられていた。

例えば<事代主神>を古事記では<言代主神>と書いている。

これが純粋に太古の日本の考え方だったのである。

言ったことは、起きた事。

たとえば<雨乞い>の祈祷。

祈れば、こころが素直なら天に通じて雨が降る。

たとえば<蒙古襲来>の時の敵の調伏の祈祷。

調伏の祈りを素直なこころでやれば、敵は敗退する。

Naruto3 これらを見ると、日本人の<ことば>と<実際>、<言葉>と<実体>、<言>と<事>が連続していたという事が明らかである。

これを名実一体論という。

物の名前と物自体が一つという意味である。

*

さらに、日本では言葉には霊的な力が宿ると信じられていた。

言の魂(たましい)。

ことたま。

言霊。

ことだま。

声に出した言葉が現実の事柄に対して何らかの影響を与えると信じられていたのだ。

つまり良い言葉を発すると良いことが起こり、

不吉な言葉を発すると凶事がおこるとされた。

これはすべてのものに魂(たましい)が宿るというアニミズムと密接に関係している。

例えばいまある人に言ったとする。

"あなたは美しい。"と。

そうするとその女(ひと)は内心喜びの心に満たされる。

そして、わたしのプロポーズにもYESと答えてくれるかもしれない。

それと同じで、森にある大きな岩の魂(たましい)に向かって、わたしが何かを言った時、岩は確かにそれを聴いて、それに反応するハズなのである。

このような例が示すように、当時は<言霊(ことだま、ことたま)>が信じられていたのだ。

*

万葉集の中で柿本人麻呂は次のような歌を詠んでいる。

志貴島(しきしま)の

日本(やまと)の国は

事靈(ことたま)の

佑(さき)はふ国ぞ

福(さき)くありとぞ

*

(日本の国は

ことばの霊が

助ける国なのだ。

だから

幸せが

かならずやってくるに

きまっているのだ。)

*

日本になぜ世界最古の歌集の一つ、万葉集(759年)があるのか。

なぜ日本に古今和歌集(905年)、新古今和歌集(1216年)などのたくさんの歌集があるのか。

それだけみんな暇(ひま)だったのだろうか。

そうではない。

それはこの言霊という考え方から来ているのである。

むかしは、政治の事を<まつりごと>と言っていた。

その意味がこれなのである。

和歌を詠み国を讃える。

これがまつりごとであった。

和歌を詠み、平和への祈りを祈る。

これがまつりごとであった。

和歌を詠み、豊かな平和な

生活感情を言葉で表現する。

これがそのまま、国を平和に、豊かに

する日本のやり方だったのである。

ずばり言うと

<古代の日本では

和歌を詠む事が、

政治そのものだったのである。>Naruto5

*

だから

これだけの時間と熱意をかけて

これだけの膨大な数の歌が

天皇の命令によって、

公の勅撰和歌集として

作られたのである。

勅撰和歌集自体が

日本の政治そのもの

だったのである。

この神聖な

真剣さが

日本語を

これだけ美しい、繊細な、

潤いのある言葉に

磨き上げたのである。

*

ここですこし考えて見よう。

世界中で、8世紀の時代に、リーダーと庶民が総出になって、国土の平和と繁栄を願い、詩歌を作っていた国があっただろうか。

そんなレベルのところはどこにもない。

日本だけだ。

みんなその頃は武器をもって日夜争っていた。

これが日本の特質なのだ。

つまりこの<言霊>の考え方は日本特有の非常にユニークなものなのである。

そして、長所はすなわち短所である。

*

では今の日本では、

どんな歌が

まつりごとで

詠まれているのだろうか。

その答えは

<カイカク>.......。

<ケイキカイフク>.......。

それから、言と事は果たして同じものなのだろうか。

*

2006-05-19

大きな自分

突然、人は問題に直面する。

問題が目前に覆いかぶさって来て、

思考が停止してしまう。Kanagawaokinamiura

先が見えない状態の中で

もがき苦しむ。

つまり方向が分らなくなる。

前に大きな石があり

その先へは進めない。

問題は恐れと混じりあっている。

こわいのである。

だから問題も直視したくない。

このようなばあいには

人はどうするのか。

問題を先に延ばすのである。

先送りというやつだ。

*

でもこれは必ずしも

悪い事ではない。

なぜなら

一旦その問題を

脇に置く事により

暗黙智を活性化するからである。

いわゆる無意識の大きな

知恵に頼るのである。

自分のちっぽけな

Bishuufuji 経験智だけではなく

意識の奥底に眠る

大きな自分。

無意識層にはたらきかけるのだ。

パチンコをしていても

ラーメンを食べていても

暗黙智は働き続けている。

だたそれに気がつかないだけ。

*

いつかこれ以上先送りできない

というところまで来る。

圧力が増していく。

そして............。

朝起きて顔を

洗っているときにふと.......

突然

アッと思った瞬間Gaifuukaisei

ひらめくのである。

一つのイメージがあたまの中に<見える>のだ。

このイメージの事を<ビジョン>(Vision)という。

あるはっきりしたものが先に見えるのだ。

この瞬間に<問題>は

<解決>への軌道に乗る。

解決の糸口が見えたからである。

ポイントがはっきりと見える。

<見る>という事が大切なのだ。

"Veni, vidi, vici ( I came, I saw, I conquered)"

とシーザーは言った。

意味から考えると

I saw, I conqueredで充分である。

<見た、勝った。>。

戦いにどうやって勝つかが見えた。

だから勝ったのである。

*

むかしはこの見る作業を神官とか占師がやっていた。

王はもともとは神官か、占師だったのである。

むかしの邪馬台国の卑弥呼は巫女であった。

太陽の巫女。

太陽神に仕える女である。

神の言葉(神託)を聞き

他の者に伝えることが

巫女の役目。

それが王になっている。

神託というのは預言である。

神がいう言葉は

未来の予測である。

未来を見るのである。

例えば、

いつ敵を攻撃するのがいいのか。

預言にはXX月XX日と出る。

行くときは海路か陸路か。

海路と決断される。

先を読むというのも同じ事である。

結局未来を見通す力。

<決断>の多くには

必ず<見る>行為が含まれる。

これが王の一番大きな力だったのである。

*

見る。

先見。

ビジョン。

この場合、一遍に全部が見えると考える人がいる。

でもこれは間違っていると思う。

実際に起きる事は

はじめ、無数の小さい事が見え始める。

それを丹念に拾い集め、束ね、

そうしてそれを基に

考える。

分析する。

付け加える。

確かめ、時には修正する。

先に進む。

突き放して待つ。

分析と先送り。

経験智と暗黙智。

これを繰り返しているのだ。

後で振りかえって、

あの時はパッと見えたとか言っているだけである。

実際にはそうではない。

小さい事が見えた時にすぐそれを書く。

その意味を考える。

そして丹念に見えたものを束ねる

それを無意識の中で大きくして行く。

その結果としてある時になだれのような

現象が起きてほぼ全貌がみえるのである。

あきらめない。

前進する。

待つ。

経験智と

暗黙智を

総動員する。

このような力を集中力とよんでいる。

だから見るというのは

集中力とほぼ同じものだ。

小さい自分-経験智。

大きい自分-暗黙智。

両方とも自分なのである。

*

 

2006-05-18

宇治の川霧

<朝ぼらけ>

朝ぼらけ

宇治 の川霧

たえだえにSechuukuyoubosatu

あらはれわたる

瀬々の

網代木(あじろぎ)

*

権中納言定頼 (ごんのちゅうなごんさだより)

「千載集」

*

冬のある日ほのぼのと

夜が明けるころ

宇治川に

たちのぼる川霧が

とぎれとぎれに

晴れて

ほら、その間から

Ujigawa3 ほんのりと

川の浅瀬の

網代木 (あじろぎ )

がだんだん

みえてくるよ。

*

網代は、川の瀬に設置する魚を捕るための仕掛けである。

杭を打ち並べ、その間に竹を網の形に編んだ仕掛けをしっかりと固定するのである。

これがあじろである。

網代木はそのあじろを支える杭で、あじろぐいともいう。

かれは今もときめく藤原一族の貴族。

彼はここで

万葉集に載せられた柿本人麻呂の歌。

<もののふの 八十氏河(やそうじかわ)の 網代木に いざよふ波の 行く方しらずも >

(万葉集・巻3・264)Ujigamijinjya3

の<網代木>を思い描きつつ、

この歌を詠んでいるのである。

日本の和歌がすばらしいのは他の歌に使われている言葉と響きあう、この余韻にあるのかも知れない。

でも彼はここで、チョッとだけ、

自分の教養をひけらかしたのかも知れない。

彼は高い位の貴族であり、教養も人一倍あったらしい。

一方、いろいろな女とのうわさも多い人でもあった。

つまりすこし調子のいい男だったのだ。

しかし、これだけ短い言葉の中に宇治の景色を生き生きと映し出している。

和歌で写生ができるのである。

*

京都は霧が多い。

冬の朝はやく、

宇治川のほとりを散歩する藤原定頼 (995-1045)。

*

宇治川は水量豊かな川である。

琵琶湖から流れ出たときは瀬田川。

京都に入って宇治川となる。

さらに木津川、桂川、淀川となり、大阪湾に注ぐ。

*

宇治川のあたりは水と緑に恵まれた景勝の地で当時は貴族の別荘地。Hashihimejinjya_1

源氏物語<宇治十帖(うじじゅうじょう)>の舞台にもなった。

*

"この世をばわが世とぞ思ふ......"と歌った藤原頼通。

藤原全盛時代に彼が建てた平等院鳳凰堂も宇治にある。

それは現在の日本の10円玉硬貨にも刻印されている。

Ujikouen *

宇治橋の上流には、橘島、塔の島とよばれている中州がある。

その両岸に植えられている2000本の桜。

春には満開の桜が舞い散る。

日没後には多くの提灯(ちょうちん)が美しい。

*Ukai

宇治川の鵜飼(うかい)も古い歴史がある。

< 蜻蛉日記 >には藤原道綱の母が初瀬参りの際、

宇治に宿泊し、かがり火をたいた数多くの鵜舟の見物を

楽しんだと書かれている。

*

情緒ゆたかな往時のみやこ。

アア、宇治に行って

おいしい宇治のお茶をのんでみたい。

* 

2006-05-14

高谷好一の生態史観

日本人の海外旅行者数は年々増えている。

グラフに見るように7-8人に一人の割合。

それだけ日本人の海外への関心が高いという事なのだ。

日本は島国であり、長い鎖国の歴史を背負っている。Shukkokushasuu

だから日本人が世界を旅行して、世界の姿に直接触れるのは、大変重要な事に違いない。

しかし世界は広く、多様である。

中国だけでも北の北京あたりと

南の香港では景観も気候も言葉も全く違う。

何故こんなに多様な地域が一つの国として成り立っているのだろう。

ヨーロッパに行くと、たくさんの教会がある。

アラビア諸国にはミナレットが高く聳え立っている。

これらの宗教にはどういう違いがあるのだろう。

世界は本当に様々な姿を見せる。

多様なのである。

それに一度の海外旅行で見る範囲は決まっている。

一度の旅行では世界のごく一部分しか、それも表面をなでる位にしか見る事が出来ない。

だから海外旅行をして世界を見れば見るほど、かえって疑問が増える。

大げさに言えば

海外旅行をすればするほど

世界がかえって、分らなくなるのである。

日本から世界を見る時、

わたし達はいつか、だれでも、次の壁にぶつかるのである。

第一に世界のそれぞれの地域の背後には、その土地の人間の長い歴史がつまっている。

それを全部いっぺんに知りたい。

第二に世界の広さ、多様さを突き抜けて、

世界を全部いっぺんに見てみたい。

最初の点は日本から世界を時間的につかむ。

次の点は日本から世界を空間的につかむ。

World2 最初の点に関しては歴史を学べばいい。

それも本当の世界史を。

本当の世界史というのは<最初から世界は一つという観点から書かれた一貫した世界史である。

東は東、西は西という現在の白人中心の世界史ではなく、一貫性のある本当の世界史である。

では次の<空間>という点に関しては、どうすればいいのか。

世界の多様さにめくるめき迷ったときには、どうするか。

そんな時には

<高谷好一さん>。

この人の本を読む事をすすめたい。

● 多文明世界の構図

● 新世界秩序を求めて

高谷好一さんは<世界単位>というものを提唱している。

*
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これは人間は生態を離れては存在できないという認識に基づいて、人間と生態を一体としてとらえた画期的なものである。

人間は周囲の自然を離れて抽象的に存在する事は出来ない。

だから人間と自然を1セットで理解する方がいい。

その1セットを<世界単位>といっているのである。

このような世界認識は従来のキリスト教的、人間独占の世界からは決して出てこない。

これは自然と人間が一体になった日本の生き方が生んだ極めてユニークな世界認識のやり方である。

なぜか良く分らないが、

高谷好一さんの上記の2冊の本を

繰り返し読みたくなる。

考えて見る。

"何故おまえはそんなに繰り返し

同じ本を読んでいるのだ"。

その答えはよく言葉では言い表せない。

強いて言えば自分にピッタリと相性が合うのである。

地理とか地図とか歴史を頼りに、世界を理解するのはむずかしい。

それにその国に行けば行っただけ、その国の本当の姿が、多様な印象により、かえって分らなくなる。

そうだ<自然>を見るのだ。

そこに生活している人たちの背後の空間。

それが自然なのだ。

その人たちと自然を一体のものとして理解する。

*

ここに一人のすばらしい女性がいる。

その人に惚れてしまったとしよう。

その人の事がもっと知りたい。

そういう時にどうすれば良いのだろう。

その人の履歴書を詳細に分析するのか。

写真を毎日見つめるのか。

あって話すのか。

一緒に食事をするのか。

<世界単位>で言っている事は

<その人の生い立った故郷の自然と環境>に身を置いてみる。

そういう事を提唱しているのである。

もしその家が魚屋さんだったとしよう。

田舎の小さい町。

周りには豊かな自然が広がる里山。

川が流れ、山が連なる。

その環境に彼女をおいた時に

本当の彼女が分る。

魚屋さんを忙しく手伝ってきただろう。

お客さんとの対応の仕方をしっかり身につけているだろう。

兄弟が多いのでチームワークもしっかりしているだろう。

カネにはうるさいだろう。

すこしケチだろう。

いろいろな背景がパッとつかめるのだ。

その空間に身を置いて周囲の自然を良く観察する事。

その背景から、人間に戻ってくる。

そうして2つを1つのものとして見る。

それを実行した彼は

彼女がもっと好きになっってしまった。

ある夜、彼女にプロポーズ。

そして、めでたく結婚。

*

高谷好一さん.

このような明快な世界認識の仕方を

教えてくれた事に感謝。

合掌。

2006-05-12

雨にもまけず

宮沢賢治の詩を

ひとつ。

写真は北斗七星

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< 雨にもまけず >

*

雨にもまけず
風にもまけず
雪にも夏の暑さにもまけぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して瞋(いか)らず
いつもしずかにわらっている

*

一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜をたべ
あらゆることを
じぶんをかんじょうにに入れず
よくみききしわかり
そしてわすれず

*

野原の松の林の蔭の
小さな萱(かや)ぶきの小屋にいて
東に病気のこどもあれば
行って看病してやり
西につかれた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北にけんかやそしょうがあれば
つまらないからやめろといい

*

ひでりのときはなみだをながし
さむさのなつはおろおろあるき
みんなにでくのぼーとよばれ
ほめられもせず
くにもされず
そういうものに
わたしはなりたい

        *

    <補遺詩篇>宮沢賢治

2006-05-10

I LOVE ME

長いことわたしは自分が好きではなかった。

なぜ。

それは秘密である。

だれでも秘密があり、

だれでも自分が好きだとは限らない。

それはそれでいい。Bara2_1 

*

自分を反省したり、

改良しようとする事は悪い事ではない。

しかし、人間はなかなか変われるものではない。

*

しかし幸せになりたいなら

次の事を知らねばならない。

まず<自分の不幸を人のせいにする>。

これは止めよう。

これをやると、結末は悲惨である。

何故なら、それは自分の幸不幸を他人に

丸投げしてしている事になる。

他人に依存しているのである。

そしてみんな知っているように

他人は決して自分がそうしてほしいようには

しないものなのである。

だから最低限、不幸の原因は

いつも自分だけに求めることである。

なぜそうすると良いのだろう。

そうすれば自分が立ち上がった時、

その瞬間、世界が変わるからである。

もし他人に原因を求めている場合は、

自分が立ち上がってもダメである。

その不幸の原因になっている

他人が変わらないとダメである。

そして他人が変わる事などは、

永久にないのである。

つまりわたしはこの場合、

永久に不幸であり続ける。

そんなバカな事はない。

まずバケツの穴をふさぐ。

そうして新しい水を入れるのである。

*

では自分が立ち上がるとは、

一体、どういう事なのだろう。

自分が立ち上がるという事は

ズバリ言うと

<自分が好きになる>事である。

*

そんな事はすぐには

出来ないという人もいるだろう。

では言葉を変えて言えば、

<自分が好きだと口に出して言う>

または

<自分が好きだと紙に書く>。

これだと出来るのではないか。

そこから始めよう。

いつもあたまに思い描こう。

自分のどこが好きか。

なにが魅力的か。

なにが自分は良くできるのか。

どんな人も長所があり、短所もある。

この場合は<長所>に目をつけよう。

自分で自分をほめよう。

それもできるだけ具体的に細かく。

たとえば、<あなたは、思いやりがある>。

そう自分に言ってみよう。

あるいは、<あなたは、水彩画がうまい>。

あるいは、<あなたは顔は普通だが、

すばらしいバディー。

特にXXXでは人に負けない>。

すばらしい長所ではないか。

ほめよう。

自分のすべてに、

YESと言おう。

自分を受け入れよう。

反省したくなったら、

それがどうしたと

開き直ろう。

反省するのはやめよう。

めくじらを立てて、

それを直しますとか

言わないようにしよう。

その欠点とも

仲良くつきあっていくことだ。

必ずしも、良い子にならなくてもいいのだ。

*

人間のこころは不思議なものだ。

それに、こころは始末に終えない。

それはどんどん変っていくからである。

安定しないのである。

いまはこう思っていても

何かのキッカケで

全く反対の考えに変わる。

でもこころに左右され、

自分が不安になったら、

それで自分の負けなのだ。

だから上に書いたように、

自分のこころを

自分で支える必要があるのだ。

その為に自分で言う、

<自分が好きだ>と。

これは自分で言うのだから、

100%確かで、安定している。

その為に自分で書く。

<自分が好きだ>と。

これは自分で書くのだから、

100%確かで、安定して変わらない。

自分のこころを繋ぎとめよう。

普通、そうは考えない。

あの人は<客観的に幸せ>だと考える。

実際には<客観的な幸せ>など、

この世の中にはない。

幸せに<見える>人も必死に、

揺れ動く自分のこころを、

自分に対する愛情表現で、

支えているのである。

<I love me>と繰り返し

つぶやいているのである。

自分の幸せを自分で支えているのである。

自分を誇らしく思っているのである。

自分の首に自分で

勲章を付けているのである。

大げさに言えば、

これが幸せの<秘密>なのである。

自分の誇りを自分で支える。

自分で自分に

<わたしはあなたが好き>と

言って努力している人だけが

幸せの輝きを持つのである。

なんだ。それだけか。

そういう人は、ほかの人にほめられると

自分が好きになれると思っている。

しかし、自分をふだんから

自分でほめていない人を

他人がほめるだろうか。

なんだ。それだけか。

そういう人は人に

<I love you>と言ってもらう事が、

自分の幸せへの決め手である

と考えているのだろう。

しかしその人にきこう。

自分が好きでない人を

他人が好きになるだろうか。

*

2006-05-08

体内時計とリストラ

もともと長い間<夜型>でやってきた。

ある人が4時起きのススメについて書いているのを読んだ。

試しにやってみた。

そうするとあら不思議。Mezamashidokei

ほんとうに目覚まし時計が要らなくなった。

夜早く寝る。

次の日の朝4時には自然に目が覚めるのである。

その結果、体に鞭打って起きるという事をしないので、体が大変楽になった。

<体内時計>の活性化である。

時間帯は前倒し。

時間にゆとりが生まれて来た。

追いかけられているような感じが、生活から一掃されたのである。

*

それを機に、今まで何の疑問もなくやっていた事をチェックするようになった。

このように自問する。

<今まで常識や習慣として、このようにやって来た。

しかしこれは本当にこうすべきなのだろうか。

別のもっと良いやり方があるのではないか。>

そして実際に一つ、二つと従来の習慣的なやり方を変える事ができた。

<掃除>もそのうちの一つである。

長い事、掃除は家内の仕事。

そう思い込んでいたのである。

しかし自分の気持ちが落ち込んでいる時などに掃除をやると、これが一番のセラピーになる事が分った。

それに大変良い運動になる。

汗びっしょりになる。

その後が爽快である。

生活のリストラクチャリング。

略してリストラ。

その意味は新規まき直し、

再構築である。

ただしこれで首になる人はだれもいない。

なにもかもイヤになったら

なにもかも投げ出したくなる時がある。

なにもかもイヤになって、

どうしようもない。

Soujiki そんな時にはどうすればいいのだろうか。

そんな時にはからだを動かす事にしている。

からだを動かすと言えばきこえはいい。

しかし実は、やる事は<掃除>である。

たかが掃除と言うなかれ。

掃除は良い。

なぜか。

掃除はやる段取りが決まっている。

だから考えなくていいのだ。

そのとおりにモクモクとやる。

このモクモクがいいのだ。

まず掃除機でゴミやほこりを取る。

その後で雑巾かけをする。

やっていると汗が出てくる。

ふうふう言いながらやる。

掃除し終わったらシャワーを浴びる。

お茶を飲む。

気持ちが落ち着いてくる。

という事は何かイヤになってクシャクシャしたら、

何も考えないでタダ、

体を動かして何かモクモクとやる事を一つ持つ

ということなのか。

*

そうやってやっていると、

"お前はバカだ"と

心の中で

もう一人の男が言う。

そうさ、俺はバカさ。

それがどうした

と開き直る。

雑草のこころを

とりもどす。

そうやって、また元気になる。