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2008-09-11

山川草木に合掌

わたしは元来、胃が弱く正露丸が離せなかった。

ラッパ印の正露丸がいつも台所の引き出しの中に入っていた。Kurinoki20080911bb

それを飲んで仕事に出かける事が多かったのである。

家内はそんなわたしの姿を、<また薬なの・・・>と心配そうに見ていた。

わたしの胃弱は母からの譲り物かも知れない。

思い返すと、毎日多忙な母にとって正露丸なしの生活は考えられないほどであった。

わたしも仕事の多忙さとストレスの中で正露丸依存症になりかけていたのかもしれない。

そんなわたしが今では殆ど薬を飲まなくなった。

何故だろう。

それは現役を退いて、田舎に移ってストレスがなくなったからではないかと思う。

わたしはもともとは田舎生まれである。Kyuurinohana20080911cc

生粋の都会人ではないのである。

だからいまは古巣に帰ってきたような気持ちがする。

周囲には山と川があり緑の自然に満ちている。

温度も都会と比べると2-3度は低い。

早朝、家のまわりをゆっくりと歩く。

霧のかかった山を見上げ、庭の木々や草花を見る。

秋ジャガイモの植わった小さい畑を良く観察する。

プランターのミニトマト、ナスビやキュウリに水をあげる。

夕方、庭をまわっているとそこここに赤とんぼが飛んでいる。

なつかしい。

少年だった頃に戻ったみたいである。

あの頃は数え切れないほどのたくさんの赤とんぼが稲田の上を飛んでいた。

佐々木小次郎のまねをして、竹棒を振り回しトンボを追いかけていたのを思い出す。

昨日は久しぶりの快晴である。

夜暗くなって、庭に出てみると澄んだ空にお月様が出ていた。

半月である。Higanbana20080911aa

あたりには虫の音がきこえる。

早速、双眼鏡を持ち出してお月様を見た。

半月の光と影の境目に大きなクレーターが輝いているのが見える。

月のすぐ横に宵の明星、金星が瞬いている。

夜の星を見上げたのは久しぶりである。

田舎ではまだ山や川や草木や星が生きている。

その片隅に生きている小さな自分がある。

虫の音だけがあたりいっぱいに響いている。

わたしは双眼鏡を首にかけたままいつしか月に向かって手を合わせていた。

2008-09-08

ジョージ・ギッシング

本屋さんで岩波文庫の棚の本を何気なく見ていると奇妙なタイトルの本があった。

ヘンリ・ライクロフトの私記>。Kakinoha20080904aa_3   

さっそく手にとってペラペラとめくって拾い読みをした。

<私は新しい生活へはいっていたのだ。それまでの私と、その生まれ変わった私との間にははっきりとした相違があった。わずか1日のうちに、驚くほど私は成熟していた。いわば、知らないうちに徐々に私の内に生長していた力や感受性を、私は突然はっきりと知るにいたったのである。その1例をあげるならば、それまで私は植物や花のことはほとんど気にもとめていなかったが、今やあらゆる花に、あらゆる路傍の草木に、深くこころをひかれる私であった。歩きながら多くの草木を摘んだが、明日にも参考書を買って、その名前を確かめようと考え、独りで悦にいっている私であった。事実またそれは1時の気紛れではなかった。そのとき以来、野の草花に対する私の愛情と、それらを皆知りつくしたいという欲望を失ったことはないからである。当時の私の無知ぶりは今から考えると真に恥ずかしいものだったが、要するに、都会に住んでいようが田舎に住んでいようが、とにかく当り前の人間のごたぶんにもれなかっただけの話である。春になって、垣根の下から手当たり次第に摘んできた5、6種の草の俗名を、はたして幾人があげることができようか。私にとっては、花は偉大な解放の象徴であり、驚くべき覚醒の象徴であった。私の目が突如として開かれたのである。それまで真っ暗闇の中を私は歩いていたのだ、しかもそのことに気がつかなかったのである。・・・>

わたしは驚いた。

それはわたしが体験してきた事ではないか。

急いで他のページを拾い読みする。

<”家”をもつということの、なんといいいようのない祝福感!30年間も想像をたくましくしてきたものの、いつまでも”わが家に住める”という安心感のうちに、なんというしみじみとした豊かな喜びが潜んでいるかということは、ついぞ私には理解できなかったものである。・・・われわれがわが家にすむとき、近くにあるあらゆるものに対していかにわれわれの愛情がわいてくることであろうか。私はかねてからいつもデヴォン州のこの1隅をいとおしく思っていたが、現在日1日と私の心のなかで強くなってゆく愛情と比べたらそれはものの数ではない。まずわが家だが、その1本の木、1個の石も、自分の1滴1滴の血のように親しみ深く感じられる>。Akijyagaimo20080904cc_3

これも、わたしが感じている事である。 

誰だろう。

この文章を書いたのは。

すぐに著者名を見る。

ギッシング作。

イギリス人らしい。

わたしは取りあえずすぐにその本を買い、急いで帰宅してインターネットでギッシングについて調べてみた。

ジョージ・ロバート・ギッシング(George Robert Gissing、1857-1903年)。

夏目漱石が生まれたのが1867年。

つまりギッシングは夏目漱石より10才位若いということになる。

という事は夏目漱石が学んでいたヴィクトリア朝末期の同じロンドンでギッシングも生活していたかもしれないのである。Kibanakosumosu20080901bb_2

“ヘンリ・ライクロフトは長い貧乏作家生活の後、突然、知人の遺産を得て、かねてから好きだったイギリス西部のダヴォン州の家で悠々自適の生活を送る。”

それが<ヘンリ・ライクロフトの私記>の背景である。

ギッシングはライクロフトという人物に託して、自分の理想とする老後の生活や信念、長い貧乏生活の思い出、美しいイギリスの自然などを春夏秋冬の4章の中に随想として書いたのである。

ギッシング自身は恵まれた老後を送ることはなかった。

彼は上記の本を出版して数ヵ月後に肺炎で亡くなっている。

わたしはギッシングというイギリスの作家の心根にこの作品を通して少しだけ触れることができたのではないかと思う。

そして都会を離れ田舎で生活しているライクロフトに今の自分をいつの間にか重ね合わせていたのに気が付いたのである。

2008-09-06

週末の散歩

今日は土曜日。

週末でゆっくりしている。

午後、自転車で散歩に行った。Akatonbo20080904bb_2

公民館の横を通り、広い田んぼの真ん中を突き抜ける農道を自転車で走る。

草が生えている狭い農道である。

耕運機の轍に自転車がのめりこまないようにバランスをとりながら走る。

ふと右側を見ると一面に豊かに実った稲の穂がサワサワと揺れている。

すばらしい稲田である。

とても気持ちが良い。

その向こうを見ると、私の好きな円錐形の山が見える。

あたかも緑のピラミッドである。

農道の真ん中にポツンと1本の大きな栗(くり)の木が立っている。

その木の下をゆっくりと走る。

沢山のイガグリが道に落ちている。

それをよけて走る。

農家の人がクワを担いで向こうからやってくる。

帽子を取って<こんにちわ>と丁寧(ていねい)に挨拶した。

少し行くとせせらぎの音が聞こえてくる。

橋を渡る。

石にぶつかっては砕ける川の水を橋の上からぼんやりと見つめた。

このあたりから上り坂になるので懸命にペダルをこぐ。

左側に立派な中学校の校舎が見えてきた。

山に囲まれた、自然豊かな学校で学べるというのは子供たちにとって大きな幸せである。

学校に子供たちの元気な笑い声があるかぎり日本の未来は洋々と開けていると思う。

自転車の上から私が気をつけて見るのは周囲の畑である。

色々な作物が育っている。

ナスビはすっかり背丈が大きくなった。

紫色のナスビが沢山実っている。

それから生い茂るサツマイモ畑が続く。Kaki20080901ee_2

マルチだけがかけてある畑もある。

何を作ろうとしているのだろうか。

あちこちの畑で目立つのは大きなサトイモの葉っぱである。

巨大な葉っぱがぎっしりと重なり合って続いている。

サトイモの葉っぱはこんなに大きくなるのかと目をみはりながら自転車のペダルをこぐ。

<畑ウォッチング>はとても楽しい。

散歩道に沿ってあちこちに民家がある。

その庭に植えてある花を見るのも散歩の楽しみの1つである。

<花ウォッチング>である。

塀にそって植えられている黄色のカンナの花やキバナコスモスが美しい。

マーガレット・コスモスもある。

反対側の道に沿って咲いているピンクの花はハナトラノオであろう。

たくさんのハナトラノオが1団になって咲いている。

自転車をバックさせて、もう一度じっくりと花を観察する。

出来ればそのうちの1本だけを掘り出して自分の庭に植えてみたいなという衝動にかられる。Kumo20080901gg

でもそれは良く考えるとドXXウではないか。

ドXXウはいけない・・・と再び自転車に飛び乗って散歩を続ける。

山の中の舗装された車道に出る。

でも車はほとんど通らない。

道は上り坂と下り坂が交互に混じっている。

上り坂をフウフウ言いながらこぐ。

下り坂では前から風を受けて猛烈なスピードで走る。

恐ろしくなるほどである。

まわりの山々にはうっすらと霧がかかっている。

雨が降り出す兆候である。

わたしは自宅を目指してペダルをこぎ続けた。

2008-08-30

万葉集

万葉集を読んでいる。

岩波文庫にある佐々木信綱編の上下2冊である。Fusafujiutsugi20080827bb

読み始めたが、最初は中々とっつきにくかった。

他に何か読みやすい万葉集はないかと色々とあたってみた。

例えば講談社文庫の中西進編の万葉集4巻とか、集英社文庫の伊藤博編の全10巻とかである。

毎日気分に応じて交互に読み進めた。

でも結局、最後にいつも枕元にあるのは岩波の2冊なのである。

4500首という膨大な数の歌を上下2巻の読みやすい形の中にまとめ上げた佐々木信綱さんの努力。

それに対していつの間にかありがたいと感謝している自分があった。

何故だろう。

何故わたしは佐々木さんの2冊に引きつけられるのだろう?

考えてみると色々な理由がある。

1番の理由は、たった2冊だから、わたしでも最後まで読破できるだろうという<希望>を与えてくれるからである。

他の万葉集は4冊と10冊である。

佐々木さんのものはその半分あるいは5分の1である。

旅に出る時などは、2冊をさっとカバンに入れる。

これで万葉集がまるごと旅の道連れになる。

これは大変ありがたい。Higanbana20080830aa

もう一つの理由は中西さんの文字のサイズが比較的、小さくて読みづらいのである。

わたしは寝る前にベッドの中で読む事が多い。

そうするとどうしても佐々木さんの方に手が伸びてしまうのである。

では伊藤さんの10巻はどうなのだろう。

これは初めから終わりまで、1つの読み物として通読できるような形になっている。

歌とその解説が連続しているのである。

それぞれの歌の歴史的な背景や、歌の解釈。

それに歌の作者に関する説明等が続く。

初めのうちは喜んで読んでいた。

しかしそうこうするうちに、これが少しうっとうしくなる。

というのは今度はその説明の部分に分からないところが出てきて、気がつくと、肝心の歌という焦点がぼやけてしまうのである。

やはり歌そのものに光があたっている方が良い。

佐々木さんは、読者が歌から歌へ自分の想像力を駆使して読んでいくのを期待していたのである。

最小限の注釈は歌の下の部分にある。

それで十分だと考えたのである。

もともと万葉集は大部である。

そのすべての歌を全部理解する事は至難である。

むしろ、より重要な事は読者が自分の想像力を頼りに、夫々の歌のこころの中に入っていく。

全部の歌を理解する必要はない。

自分の触覚に感じる歌があれば、それを何回も繰り返し味わう。

それが大切なのだと考えたのだろう。

だから気軽に携帯できるように2冊に収めようと努力したのに違いない。

上記の3種類の万葉集には各々にその特徴がある。

だから読者によって、これを好む人、あれを好む人と色々あるだろうと思う。

冊数が少なく大き目の文字が好きな人は佐々木さん。

原文、全訳、注釈つきのものが好みの人は中西さん。

万葉集を詳しい説明と一緒に読み物として読みたい人は伊藤さんという事になる。

わたしはまだ万葉集を読み始めたばかりである。

しかしそれでも万葉集は以外に分かり易いと思う。

それは例えば芭蕉の俳句などと比べてみればすぐに分かる事である。

芭蕉の俳句はパッと読んで分かるものは以外に少ない。

古い万葉の歌の方が、新しい芭蕉の俳句より、現代人にとって分かりやすい。

それがどこから来るのかは良く分からない。Teppouyuri20080827aa

わたしが直感的に言える事は万葉集は未だ大陸の影響が少ない8世紀に成立したもので、日本本来のこころが未だその中に残っているのではないかという事である。

朝鮮や中国の影響、それに仏教や儒教がまだ深く浸透していない時代の歌なのである。

万葉集は、いわば1万年ほど続いた<縄文>を引きずっているのではないか。

だから同じ日本人のDNAを持つわたしのこころに素直に響いてくるのではないか。

そう思うのである。

例えば次の歌。

<東(ひむがし)の
野にかきろいの立つ見えて
かえりみすれば
月西渡(つきかたぶ)きぬ>
(万葉集48)

(東の方を見ると
日の出の太陽が
いま昇ろうとしている。
広い野原のうしろを
ふり返ると西の空には
月が山の上にかかり
沈もうとしているところである)。

日本のどこにでもある風景が平易な言葉で詠まれている。

何処からともなく、次のような歌が浮かんでくる。

<菜の花や
  月は東に
   日は西に
       (蕪村)>

この場合は夕方である。

1面の菜の花畑である。

日が西に落ちて、東からは

今や月が昇ろうとしている。

念の為。

太陽も月も

東から昇り

西に落ちていく。

2008-08-23

ミニ菜園の世界

近頃、おもしろい本を読んだ。

<ちゃんと育つよ。ベランダ・ミニ菜園 >(たなかやすこ著、集英社)という本である。Nasubi80823aa

何がおもしろかったかって?

それはおいおい説明する事にしよう。

まず野菜菜園を初めてやろうとする人は図書館とか本屋さんでそれに関する本を探して読むだろう。

わたしも同じである。

市立図書館で色々な本を借りて読んだ。

でも<初めての野菜作り>等々のタイトルの本はどれも似たりよったりで、最初に<土作り>とか<肥料>とかの基本の説明があり、あとはキュウリとかトマトなどの個別の野菜の作り方の説明が続いている。

だから味もそっけもなく、読んでいておもしろ味に欠けるのである。

それらの本の著者達はそれが客観性を重視した書き方だと考えてそうしているのであろう。

ノウハウ本とはそういうモノだと言えばそれまでである。

しかしわたしはそうは思わない。

どんなノウハウの本も、専門書も所詮は人間が書いたもの。

本当のノウハウ本には、人を引きつけるおもしろさがある。

それと同時に最後には、一人の生身の人間のひそかな息遣(いきづか)いが紙面から伝わってくるものなのである。

わたしが心の奥で求めているもの。Shuumeigiku80823gg

それは野菜園芸の<基本哲学(エトス)>なのかもしれない。

人間が一つの分野に分け入り、集中し、それを持続的にやるには、その世界に入る為の基本姿勢というものを身につけなくてはならない。

例えば、商売人になろうとする人は商品の原価と売価、それに粗利益、コストなどを良く理解しなくてはならない。

しかしそれと同時に最初に身につける必要があるのは、<お客の問題を解決しようとするひたむきな情熱と忍耐>である。

<あきない(商い、飽きない)>の情熱と忍耐をどこかで学び取る必要があるのだ。

上記の本には野菜園芸への情熱が綴られているとわたしは思う。

まず全体の調子である。

この種の本にありがちな<説明風>にではなく、<エッセイ風>に書いてあるのは大変ありがたい。

多くの写真やスケッチやイラストで読者が肩の力を抜いてどんどん読めるように工夫されている。

何よりも大切な点は筆者が何故、野菜作りに踏み込むようになったのかという動機と経過、その後の展開が書かれている事である。

エッセイ風の本文に混じって、個別の野菜の育て方が簡潔なレシピ風に書いてある。

つまり読者は本文を読んでいくにつれて、特に意識しなくても、色々なノウハウを同時に学ぶ事ができるのである。

わたしが驚いたのはノウハウ本の形式にとらわれずに、自由に色々な要素を文庫本サイズの一冊に纏め上げたそのユニークさである。

表装も洒落(しゃれ)ている。

本の著者も書いているが、考えてみるとベランダでの野菜作りには<菜園セラピー>とでも言うことができる<ある種の治癒力>がひそんでいるのではないだろうか。

<森林浴>が人の心と身体(からだ)に良い事は一般に広く知られている。

しかし<野菜のベランダ・ミニ菜園>が同じような効果を秘めている事を知っている人はそれほど多くはないのではないかと思う。

多くの都会人は狭い住居で生活している。

コンクリートで固めた、空調機のある密室風の狭い部屋である。

隣の人には気を使い、会社では人間関係に神経の休まる暇もない。

Teppouyuri80823hh 車社会なので、自然から遮断され、どこまで行ってもまわりは人工的な環境だけが広がっている。

わたし達は皆、ある種の息苦しさと孤独とストレスの中で生活しているのである。

それを打ち破り、広くて深い自然の中の自分を発見する。

それが野菜との出会いなのである。

さあ野菜のあるベランダに出てみよう。

ひと時のあいだ、<ストレスと利害損得の世界>を離れてみよう。

野菜は何も口をきかない。

寡黙なのである。

しかし良く観察すれば、野菜は色々な苦しみとか喜びを表現している。

それを続けていると、段々野菜がかわいくなってくる。

野菜との対話が始まる。

野菜は動かない。

いつでもそこにいて、わたし達の愛情を受けとめてくれる。

写真を撮ってもスケッチをしても何も文句をいわずに受け入れてくれる。

しかし野菜の本来の力を引き出し、めでたく収穫にまでこぎつけるには、こちらサイドにも多くの努力が必要である。

野菜に関する色々な本も読む事になる。

季節季節に合わせて種を撒くには細かい計画を立てなくてはならない。

育児日記があるように野菜の観察・栽培日記もある。

そして、いつの間にか頭脳をフルに回転させている自分がある。

野菜作りはわたし達の脳や意識を活性化するのである。

更に花とか木などの園芸と野菜作りが違う点は<収穫のあるなし>である。

野菜園芸では最後に、葉や根や果実を取り、それを食べるという行為がある。

最後に<味覚>が関係してくるのである。Aoshiso80823cc_2

この点が野菜園芸のユニークなところである。

一言で言えば、野菜作りは<人間の心と身体を新鮮に保つ力>を秘めているのである。

ある日曜日の午後、自転車で散歩の途中、畑の中にいた夫婦に思わず声をかけた事があった。

<すばらしいキュウリですね>とわたしは言った。

そうするとその老夫婦は収穫したキュウリを手にいっぱい抱(かか)えて<これを持って行くか>と自転車の荷物カゴに入れてくれた。

彼らの目は微笑み、輝いていた。

2008-08-22

消えたホウレンソウ

相変わらず家の庭で野菜作りに取り組んでいる。

苗を買ってきて囲い畑で育てたトマト、キュウリ、ナスは比較的順調に育ち、まあまあの収穫があった。Yuri80820aa

中でも驚いたのはピーマンの生命力である。

病気もせず、グングンと大きくなり、今までに8個位の実を取る事ができた。

そして未だ4個くらいの小さい実がなっている。

自分で作ったトマトやキュウリ、それにもぎたてのピーマンを食べた。

柔らかくておいしい。

わたしの小さな<ビギナーズ・ラック>である。

これに気を良くして、今度はタネを買ってきて<直播(じかまき)>に挑戦した。

播く場所は囲い畑ではなく、持ち運びが出来る<プランター>にした。

最初に播(ま)いたのは<ホウレンソウ>である。

数日経って一斉にかわいい芽が出たまではよかった。

でも間引きをして、その後順調に育つかと思ったら、次第にナヨナヨとしてきた。

その後、2週間くらいの間に、土に溶けてなくなってしまったのである。

大失敗である。

ホウレンソウは何故、消えてしまったのだろう?Begonia80820bb

土に苦土石灰を入れるのを忘れたからだろうか。

太陽の光が足りなかったのだろうか。

それとも水のやり過ぎ・・・?。

疑問が疑問をよぶ。

ホウレンソウの失敗で出鼻をくじかれたが、わたしはもう一度、直播栽培に取り組んだ。

今度は<ニンジン>である。

失敗の後だから念には念を入れて細部に注意をした。

幸い順調に芽が出て、その後、間引きや追肥も終わり、問題はないと思っていた。

しかし、数日前の大雨に打たれて、4センチにも伸びていたニンジンの苗は全部なぎ倒されてしまった。

今日の朝、その苗を一つ一つ起こしながら再度、間引きをして、土寄せも行った。

これでどうやら全滅は逃れる事ができたようである。

色々な体験を通じて分かった事は、<野菜は作れない>という事である。

<野菜は結局のところ自分で育つ>のである。

わたしに出来る事は<野菜本来の力>が発揮できるような条件作りである。

毎朝、庭の野菜を見るたびに<ホウレンソウ>の姿を思い出す。

そして思う。

<謎だ。
  あのホウレンソウ。
   あれは何故溶けてしまったのだろう?>。

2008-08-16

天地のドラマ

<あはれいかに
草葉の露のこぼるらむ
あき風たちぬ宮城のの原>
(西行、山家集0013)Akinokumo80816aa

空を見上げて家内がポツンと言った。

<秋の雲ね・・・>。

そういえば高く澄んだ空に薄い雲が流れていく。

吹く風もそこはかとなく秋の匂いがした。

それにしても昨夜の嵐は本当にすごかった。

夜8時ごろであった。

にわかにかき曇って、夕立が来る気配がした。

わたしはバタバタと2階に上がり、開けていた窓を閉めようとふと外の暗闇を見た。

その瞬間である。Retasunome80816dd

強い閃光がパッパッと光った。

家の前の双子山(ふたごやま)の全体が昼間のように光り輝いた。

山の木のひとつひとつが鮮明に見える。

それが2-3回繰り返された。

その時である。

ドドーン、ドドーン。

ガラガラー、ドカーン。

雷の音が響き渡る。

同時に家の電灯が消えた。

Asagao80816ee 停電である。

家内が懐中電灯をもって2階まで上がって来た。

間もなく電灯は元通りについた。

でも雷光に照らされた双子山の姿。

その姿がわたしの心から離れない。

わたしは2階の部屋の電灯を消して、暗闇の中、もう一度、山の方をじっとみつめた。

そうすると今度は巨大な稲妻が山の斜面を裂くように走った。

2度、3度と稲妻が走る。

双子山の全体が強く照らされ、暗闇の中にポッカリと浮かび上がる。

1木1草がはっきりと見えるようである。

このような光景を見たのは生まれて初めである。

大地は女神である。Mukuge80816ff

双子山は横たわる女神の乳房だ。

女神を貫く巨大な雷光は父なる天神。

次々と繰り返される天地の交わり。

厳かな天地のドラマがそこにあった。

わたしは唖然として息をのんで見つめていた。

激しい雷と雨の音を聴きながら。

2008-08-06

狐のいたずら

隣の家との境界の斜面に見慣れない花が咲いている。

橙色(だいだいいろ)をしている。Kitsunenokamisori80806aa

奇妙な事に緑の葉の姿は見えない。

草むらから茎が飛び出して、その先にオレンジ色の花がついているだけなのである。

しかも花は群落をなしている。

斜面はうっすらとしたオレンジ色の花に覆われて、絨毯(じゅうたん)をしいたようになっている。

<あれは何の花なんだろう>。

わたしは庭の草取りをしている家内に尋ねた。

<ヒガンバナじゃない?>と彼女は言う。

でもヒガンバナにしては時期が早すぎる。

Kitsunenokamisori80806bb それにヒガンバナはもっと真っ赤な色をしている。

わたしは庭に出る度(たび)にその花の事が気になって仕方がなかった。

<一体何という花なのだろう>。

心の中でいつもその疑問を引きずりながら、既に一週間が過ぎた。

昨日の夜、居間で植物図鑑をパラパラとめくっていた。

その時である。

あの花の写真が目に飛び込んで来たではないか。

そこで見た花の名前は?

<キツネノカミソリ>。

一瞬わたしは心の中でつぶやいた。

<何じゃこりゃ。
狐(きつね)の剃刀(かみそり)とは・・・>。

急いで説明を読む。

●スイセンに似た葉っぱは夏には枯れてしまう。
●その葉っぱの形がカミソリに似ている。Kitsunenokamisori80806cc
●その緑の葉っぱがパッと消えてなくなり、突然、その場所に派手なオレンジ色の花が咲く。<あの葉っぱはどこに消えてしまったのだろう。もしかして誰かが葉っぱを花に変えてしまったのだろうか>。不思議な感じを与えるので狐に化(ば)かされているような気分になる。だからその花をキツネノカミソリというのだそうである。
●キツネノカミソリの花が咲くのは8月の<お盆>の時期である。
●一方、ヒガンバナは9月の<お彼岸>の頃に咲く。

昔の人はおもしろい名前をつけたものである。

2008-08-04

次のバブル

まだわたしが子供の頃であった。

御飯を食べ終わって<ごちそう様!>と言って立ち上がろうとすると、父が激しい口調で言った。Hana80724gg

<御飯粒がまだお茶碗についているよ。
もったいない。
きちんと最後まで全部食べなさい! >。

1960年代の頃、それは日本のどの家庭でも見られたごく当たり前の光景であった。

当時の子供たちはこうして<もったいないの精神>を親から教え込まれて育ったのである。

ではこの<もったいないの精神>は一体どこから生まれたのであろうか。

考えてみるとそれは<戦後の食料難>という背景から生まれたものである。

第2次世界大戦が終ってみると、国敗れて人々は食べるものがない状況に直面した。

多くの家では、急いで新たに開墾したりして田畑を作り、自家栽培で米や野菜を作って食べた。

Tomato80724cc それでも足りずに、山菜を取って来て栄養を補ったのである。

春のツクシやワラビ取りの思い出が鮮明に蘇ってくる。

その他にカキ、モモ、タケノコ、キノコ、ミョウガ、フキ、サンショウ、セリ、ヤマイモなどを取って来て食べた。

更に多くの家では鶏やヤギなどを飼って卵とかミルクも自家でまかなおうとしていた。

さて、その<もったいないの精神>は現代の日本にまだ生きているのだろうか。

もしかすると<勤勉の精神>と一緒に忘れ去られてしまったのではないだろうか。

賞味期限の過ぎた弁当とか食料が毎日、無駄に捨て去られているという現実がある。

まだ十分に食べられるモノがポイポイと無残に捨てられているである。

テレビを見ると芸能人が大きな口を開けて色々なモノを食べるシーンが次から次へと映し出される。

あたかも食物が自由に手に入る状態がこのままいつまでも続くかのように・・・。

あたかも食物が無限に輸入できるかのように・・・。

何故日本人はこのような幻想におぼれてしまったのだろうか。

<多くの日本人にとって食物がないという経験はした事がない>というのが原因の一つとしてあげられるであろう。

食物がないという事が一体どういう事なのかを想像する事ができないのである。

この頃、おもしろい本を読んだ。

<次のグローバル・バブルが始まった!
   (山崎養世著、朝日新聞出版)>。

この本で山崎養世さんは以下のような意味の事を述べている。

●わたし達はアメリカのサブプライム(不動産バブル崩壊)問題に目を奪われているが、むしろその先にある問題に注意を向ける必要がある。

●その問題とはアメリカとか日本の低金利が次のグローバル・バブルを生み出しているという点である。

●不景気の日欧米から<余った金>がどんどんインド、中国、ベトナム、ブラジル、トルコ、中東、東欧、ロシアなどの高金利で高度成長を続ける新興諸国に流れ出ていく現象が続くだろう。

●もはや日欧米は世界経済のエンジンの役目を果たす勢いはない。現在の世界経済は高度成長を続ける新興諸国にリードされるようになっている。

●今までの円キャリーに加えて、ドルキャリーが巨大な規模で行われ、それが新興諸国に投入され、その結果、世界的な規模のバブルが生じつつある。
新しく30億人規模の人たちが資本主義化して、先進国化を目指して日々、怒涛の前進を続けているのである。

●その結果、わたし達は今、世界的なインフレ時代を迎えようとしている。

●特に食料、エネルギー、水などの諸資源が不足して、世界中に紛争が多発するようになるだろう。

●そして巨大なグローバル・バブルが破裂した時、世界的規模の崩壊に現在の世界経済は耐えられないかもしれない。

●でも100年単位で見ると新興諸国の成長はバブルを乗り越えて続いて行くであろう。誰にもそれを止める事は出来ない。

全体的に見て、その通りであるとわたしは思う。

<飽食の時代>などと日本で騒いでいるうちに、世界の舞台は次のシナリオに向かって急速に進んでいるのである。Sarusuberi80801aa

2015年。

東京のある家庭の様子。

<おいこら、味噌汁を残すやつがあるか。最後まで食べなさい!もったいない!>

ふと外を見ると、家の庭やベランダには野菜栽培用のプランターがぎっしりと所狭しと並べられている。

ニンジン、ジャガイモ、ナスビ、キュウリ。

その家では、ほとんど全部の野菜が自家栽培でまかなわれているのである。

2008-08-01

色々な花

朝早く庭に出ると紫色のアサガオが咲いていた。

透き通るような青を見ていると気が遠くなりそうである。Asagao80801bb

いつまでも見ていたい青色である。

納屋の近くにあるキンカンの木に白い花が咲いている。

Kinkan80729bb 沢山の蜂がブンブンと花のまわりを飛んでいる。

キンカンの蜜は蜂の大好物のようである。

見慣れない花を見つけた。Tessen80726dd

蔓(つる)の上に咲く紫の花。

テッセン(鉄線、クレマチス)である。

日本には江戸時代に渡来した花で、鉄線のように強靭であると言うことからこの名前が付けられたという事である。

Mukuge80801cc_2 毎日飽きずにムクゲの花を眺めている。

この世にこんなに清楚な花があったのかと思う。

2008-07-26

山川草木の時代

テレビで養老孟子さんが次のような意味の事を言っていた。Hinode80724ff

<都市の生活をしている人は5感を使わないので、脳への刺激が1面的になり心と身体のバランスを崩してしまう。<脳>が都市、<身体>は田舎と考えよう。本来は一体のものなのである。だから自然の中に出て五感を開放して命のバランスを取り戻す事が大切である。その為には田舎と都市の生活を交互にミックスするような生活へ徐々に移行していくべきである。それがモダンな生き方なのである>。

その通りであると思う。

工業化、都市化の波にのって、田舎の男女が東京にあこがれて出てくる。

そういう日本列島改造論の時代はもう終ったのである。Kikyou80726bb

あれからもう36年。

1つの時代が終った。

これからは新しい時代が始まる。

キーワードは<sustainable、サステナブル、持続循環ができる>。

今度は都市の男女が緑の森と里山を求めて田舎にやってくる時代なのだ。

<山川草木の時代>がやって来たのである。

わたしの家では1匹のネコを飼っている。

クロちゃんである。

Fusafujiutsugi80726aa 彼女を見ているとおもしろい。

家の中にいる時はリラックスしている。

食べ物を食べたり、寝そべったりしている。

しかし一旦家の外に出ると耳をピンとそばだて、目はギラギラと輝く。

彼女の5感が開かれ、いっせいに活発に動き始める。

色々な危険に対して備えているのである。

クロちゃんは外では、ある意味で強い野生のネコに戻るのである。

そうして1日中外に出ていたクロちゃんは夕方、腹をすかせてまた家に帰ってくる。

都市と田舎のミックス。Bara80726cc

田舎の中に都市があり、都市の中にも田舎がある。

そういう環境が作り出せないものだろうか。

あれかこれかではなく<あれもこれも>。

頭脳と身体が一体になっていくやり方。

町と田舎が一体となっていくやり方。

これこそが日本の21世紀の姿なのではないだろうか。

幸いまだ遅くはない。

やれロハスとか、イングリッシュ・ガーデンとか言う前に、外国崇拝はいい加減に止めようではないか。

まず日本の良いところを自分自身で知ろう。

そして日本の歴史についても知っていこう。

それを生かした生き方をして行こう。

日本にはまだ沢山の森が残されている。

日本の森林率は66%余である。

これは先進国中フィンランドに次いで世界で2番目である。

水もまだ豊富にある。

森と水を生かした都市と田舎の<ミックスエコライフ>。

これこそ日本がこれから新たに作り出す超先進文化なのである。

2008-07-24

希望を求めて

朝起きて庭に水をやる。

ひょっと上を向くと、白い花があった。Mukuge80724aa

納屋の横の木槿(むくげ)の花が開いてわたしに<おはよう>と言っている。

酷暑の中でたくましく咲いている涼しげなその姿にわたしは魅せられた。

平安時代に中国から伝来してきた花である。

暑さ寒さに耐え、1日花でありながら次から次へと10月頃まで花を咲かせ続ける。

韓国ではこの花を無窮花(ムグンファ、終わりのない花)とよび、国花として大切にしている。

そう言えば韓国の人はムクゲのように元気である。

今日はアメリカ産牛肉輸入反対のデモ、明日は竹島問題でデモと声をからして毎日元気一杯である。

まるで<無窮花>である。

それとは反対に、日本では桜の花のようにバブルの花を散らし、その中でわたし達は静かにひっそりとたたずんでいる。

Kingyosou80724ee_2  しかしこの頃ではもうそれも限界に近い。

給料は上がらず、諸物価は高騰、先の見えない不安。

真綿で首を絞められるように、我慢強いわたし達日本人も悲鳴を上げ始めているのだ。

世間を見渡せば、希望が持てない人がどんどん増えている。

昨今の無差別殺人事件の数々を見ているとその底流に<伝統の継承の欠如>、< あらゆる共同体の崩壊>、<個人の深刻な孤独感>を感じるのである。

残された最後の擬似(ぎじ)共同体。

それがケイタイでありインターネットであり、テレビ等の各種メディアなのである。

しかしそれでも心は満たされない。

ネットには実体がないのだ。

そして空虚なネットに依存して落ちていく幾多の人々がいる。

いつ頃から日本の悪循環が始まったのだろうか。

わたしには<改革、改革>と叫んでいたあの人達の姿が目に浮かぶ。

国の富を丸ごと他国に売り飛ばした恥知らずの指導者達。

しかしそのような愚かな政治家を選んでしまったのもわたし達国民自身なのである。

2度とあのようなふざけた人間を選挙で選んではならない。

庭の隅の木の下でジャガイモの小さい苗が生えているのを見つけた。

プランターに入れて育てている。Jyagaimo80724dd

ホウレンソウの種を買って来て、プランターに撒いた。

自分で作り自分で食べる。

そういう生活が出来たらなあと思う。

2008-07-21

西行とヘッセ

■  ここをまた
     われ住み憂(う)くて 浮かれなば
     松はひとりに ならんとすらむTsubakinomi80721bb

 (もし私が また この仮の庵(いおり)を
 住みにくいといって 他のところに
 移っていったなら、松よ お前は また
 ひとりぽっちになってしまうなあ)

西行は庵のそばに立っている松の木にささやいた。

先に西行がなぜ突然出家したのかを見てきた。

人生の大転換である。

それは彼にとって、同時に歌人としての真の出発でもあった。

西行が出家した1140年からおよそ800年を経過した1919年、母国ドイツを捨て、故郷を捨て、家族とも別れてただ一人、異国の地で再出発をしようとする一人の人間がいた。

ヘルマン・ヘッセである。

第1次世界大戦中、彼は平和を説いた論文を発表した。

そして、それ故に、母国ドイツでは<裏切り者、売国奴>の烙印をおされてしまったのである。

精神的な打撃を受けた彼は家族を捨て、スイスのアルプス南麓の山里に移り住んだ。

彼は書いている。

<私の文筆活動を何よりも第一に考え、ただそれだけに専心して生き、家庭の崩壊も、重大な金銭上の心配事も、そのほかのどんなことも深刻に考えまいと思ったのである。それがうまく行かなければ、私はおしまいであった>。

人生の大転換である。

それは彼にとって、同時に文人としての真の出発でもあった。

彼はスイスの山村を終(つい)の棲家(すみか)として43年後、そこで死んだ。

西行とヘッセには他にも多くの共通点がある。

まず上に述べたように人生の半ばで人生の大転換をしている。

二人とも詩人である。

写真を見ると顔もどことなく似ている。Hesse80721dd 

西行は仏教の僧侶である。

ヘッセの父はインドに渡りキリスト教(新教)の宣教師として活躍した人である。

インド生まれのドイツ人牧師の娘と結婚してドイツに帰ってきてヘルマン・ヘッセは生まれた。

それ故にヘッセは仏教と非常に関係が深く、<シッダルタ>(釈迦の俗名)という題名の小説を書いている。

大胆に言えば、ヘッセは<隠れ仏教徒>と言えるのではないかとも思う。

2人とも孤独と自然と放浪を愛した。

それに女性を大変愛したという点でも同じである。

西行は月(女性の象徴)を多くの歌に詠んでいる。

ヘッセは54才にして36才の女性と3度目の結婚をしている。

後鳥羽上皇の勅命によって編まれた<新古今和歌集>に入集した西行の和歌は94首で最多である。

一方、ヘッセは、第2次世界大戦終結後の1946年にノーベル文学賞とゲーテ賞を受賞している。

詩人あるいは作家として見ると、2人は最後は使命を果たして本望だったのではないだろうか。

更に2人とも天寿をまっとうした。

ヘッセは享年85才。

一方、西行が亡くなったのは73才である。

そして彼は次のような歌を残している。

  ■ 仏(ほとけ)には

    桜の花を たてまつれ

    わが後の世を 人とぶらわば

 (死後に わたしを訪れてくれる人がいたら

   どうか仏前には桜の花をあげて

     くれませんでしょうか)。

2008-07-20

ひぐらし

暑い・・・。

猛暑である。Asagao80720aa

今日も熱帯夜かと思うとぐったりとしてしまう。

しかし夕方5時ごろになると、どこからともなく、<ひぐらし>のカナカナカナ・・・・という声が響いてくる。

それが聞こえる頃になるとようやく冷たい夜の風が窓から忍び寄ってくる。

■夕影(ゆうかげ)に 来鳴(きな)くひぐらし
  ここだくも 日ごとに聞けど
    飽かぬ声かも

(夕暮れ時になると ひぐらしの
鳴く声がしきりに聞こえてくる。
毎日聞く声ではあるが、その涼しい声は
いつ聞いても風情があって
気持ちが良いなあ。
     万葉集十巻 2157
     ここだくも = 甚しく・ひどく・しきりに。)

2008-07-17

ノウゼンカズラ

夕方、庭に出て夕涼みをしていた。

ふと家内が言った。Nouzenkazura80716aa_2

<あそこのあの屋根の上の花は何なの?>

ガレージの上を見ると橙色(だいだいいろ)の見慣れない花が咲いている。

近寄って良く見ると、杉の木に絡(から)みついた直径3センチほどの大きなツタのような植物が高く登っている。

5メートル以上の高さである。

わたしは葉の形からもしかしたら藤(ふじ)の木ではないかと思っていた。

しかしいつまで待っても紫色の藤の花は咲かない。

<ハテおかしいな。
では何の木なのだろう>。

そう思っていた矢先であった。

色々と図鑑を調べた。

そうすると花の写真が見つかった。

<ノウゼンカズラ>である。

中国原産のツル性植物。Nouzenkazura80716bb_2

家内に木の名前を言った。

<ノウゼンカズラ?
愛染(あいぜん)かつらみたいね>。

<花も嵐も 踏み越えて
行くが男の 生きる途
泣いてくれるな ほろほろ鳥よ
月の比叡を 独り行く・・・・>

という歌の歌詞が頭に浮かぶ。

ノウゼンカズラ・・・アイゼンカツラ・・・。

これでノウゼンカズラという名前はもう忘れないだろう。

2008-07-16

新しい時代

朝早く起きた。

花壇に水をやろうかなと思って庭に出た。Yuri807016bb

するとどこからともなく、良い香りが漂ってくる。

周(まわ)りを見渡すと、竹やぶの近くのヤマユリが白い花を開いているではないか。

10日くらい前から3つの蕾(つぼみ)が垂れ下がっているのを見て知っていた。

いつ咲くかいつ咲くかと心待ちにしていたのである。

でもヤマユリの花の香りが、こんなに遠くまで届くなんて知らなかった。

花壇にジョロで水をあげようとしてアッと驚いた。

朝顔の花が咲いていたのである。

Asagao80716aa 手塩にかけて育ててきたアサガオの第1号である。

紫色の花を見ていると、涼しい風が吹いて来るような気持ちになるから不思議である。

納屋の裏手で薄いピンクの花を見つけた。

人知れずひっそりと咲く目立たない花、ヤブランである。Yaburan80716cc

見ると藪(やぶ)のあちこちに咲いている。

樹下の半日陰に好んで咲く山野草である。

世間が大変騒がしくなってきた。

四川省の大地震ではないが、何か巨大な波が迫って来ているような気がする。

この分では2009年は大変な年になりそうだ。

その波を乗り越えて新しい時代を開いていかなくてはならない。

2008-07-08

庭の風景

朝早く起きる。

庭を歩く。

<羽毛(うもう)ケイトウ>の花の色が緑に映える。Umoukeitou80708aa



その傍(かたわ)らに植えた<コスモス>の苗が3本立っている。

みるみる内に大きくなり、今では私の背丈ほどの高さになって驚いた。

堆肥を沢山あげたのが効いているのかもしれない。

Kosumosu80707ff まだ花は咲いていないが、枝とか葉が何とも言えずに美しい。

湖(みずうみ)の波が幾重にも広がっていくような爽(さわ)やかさである。

その下には<ペチュニア>の花が咲いている。

外国産という事がひと目で分かる。

派手な色の花を次から次に咲かせる。

その生命力の強さに驚かされる。

枝を切って挿芽(さしめ)にすると2-3日ですぐに活着して花を咲かせ続ける。

雨にぬれながら咲いているのは橙色(だいだいいろ)の<ノカンゾウ>の花である。Nokanzou80708bb

ユリの花に似ているが、ユリよりも、すこし大胆な、野生味のある感じである。

1日花なので次々にしぼんで落ちる。

しかし新しい花がどんどん咲くので落ちた花が目立たない。

雨の中に咲くもう一つの花がある。

<ヒメヒオウギスイセン>である。Himehiougisuisen80707dd

細長い葉っぱを雨の中に大きく広げて、その中からスゥーと伸びてきた茎の先端に橙色の花が垂れ下がる。

見ると庭のあちこちに咲きはじめている。

わたしは朝顔が好きである。

大切にしまっていた昨年の<アサガオ>と<ヨウジロアサガオ>の種を取り出して5月の初めに庭にまいた。

夜、水につけて、翌朝(よくあさ)ナイフでタネの皮に傷をつけて発芽しやすいようにした。

庭の色々な所にまいた。

それから、長い竹竿を何本も買ってきて斜めに立てた。

やがて、愛らしい双葉の芽が庭のあちこちに出てきた。

双葉の芽から葉が出て、葉の中からツルが伸びてきたので竹竿に絡みつくように誘導してあげる。

中には誘いに抵抗してあらぬ方向へ伸びていくツルもある。

驚いたのはその葉の大きさである。Asagaonoha80707gg

堆肥をあげたせいか、手の平くらいの大きさの葉っぱが重なりながら竹竿を伝ってどんどん上に伸びていく。

ある日の朝、コスモスを見ていると、3本の内の1本がしおれて倒れそうになっている。

水をやって介抱してみたが、ダメだった。

2度と立ち上がれなかった。

恐らく虫かモグラが根を食い荒らしたのかもしれない。

生と死が入り混じって、交錯する庭の風景。

それをいつまでも飽きずに眺めている。

2008-07-01

西行、出家の謎

■ 空(そら)になる
     心は春の かすみにて
     世にあらじとも 思い立つかな Tamasudare807031

これは当時(1140年)、鳥羽院の北面の武士であった佐藤義清(西行の俗名、さとうのりきよ)が出家する前に詠んだ歌である。

(心は春のかすみがかかった
空(そら)のようになって
わたしは俗世間を絶ち
出家しようと思い立ったので
ございます。)

また仕えていた鳥羽院あてに次のような暇乞(いとまご)いの歌を詠んでいる。

■惜しむとて 
   惜しまれぬべき この世かは
   身を捨ててこそ 身をも助けめ

(いくら私が世を惜しんでも
惜しまれるような世の中でしょうか。
ここは、我が身をすててこそ
自分は救われるのです。)

わたしには不思議でならなかった。

一体、何故、彼は突然、武士としての地位や妻子を捨ててまで出家しようとしたのだろうか。

Saigyou807011 それも23才の若さで・・・・。

当時、院の北面の武士といえば、文武両道にすぐれ、財産もあり、容姿端麗な武士しかなれなかった。

彼の未来は洋々と開けていたのではなかったのだろうか。

こんな素朴な疑問が湧き上がってくるのである。

もう一度冒頭に挙げた歌を良く読んでみる。

そうすると彼はここで、次のように言っているかのようである。

<わたしは
ひばりのように
春の広い空に
飛び立ちたいのです>と。

次の院にあてた歌をよく見ると、彼はここでも次のように言っているのではないだろうか。

<わたしにとって、出家は
身分に縛られた息苦しい
今の世間から出る事なのです。
わたしは一個の自由な人間として
生きて行きたいのです>。

上記2つの歌から見えてくるもの。

それは、世を厭(いと)って僧院に入りたいという姿よりも、むしろ今の宮仕えを止めて、<自分の自由な人生を突き進みたい>というひとりの勇敢な青年の姿なのである。

西行は、僧形(そうぎょう)の歌人として生きるために世間を捨てて出家したのである。

それは命をかけた決断であった。

そうに違いない。

わたしの疑問はこうしてゆっくりと解けていったのである。

2008-06-30

かくれんぼ

小さかった頃にした<かくれんぼ>遊び。

その場面をふと思い出すことがあるのではないだろうか。

<もういいかい>・・・<まあだだよ>。Hana806301

軒先の廃材の陰に隠れ、身を横たえてジッと動かないで息をころしていた童子。

まだ幼かった自分がそこにいる。

老境の西行は次のような歌を詠(よ)んでいる。

■ むかしせし 
隠れ遊びに なりなばや
片隅(かたすみ)もとに 
寄り伏せりつつ

(かくれんぼ遊びをした
むかしの幼い時分にかえりたいな。
あの時は物の片隅に隠れて
じっと身を寄せていたなあ)

この歌を読んでわたしは思う。

西行さんは日本人のこころの底にある原風景を日本語を使って、すなおな言葉にして残していった人であるという事を。

2008-06-26

SLOW READING

いつものように昨夜はベッドに入って本を開いた。

この本を読むのはもう何回目だろう。

今回は好きな章だけを読む。Hiiragimochi806173

最初に読んだ時の感動が再びわたしのこころに伝わってきた。

読み終わったと思うと・・・いつの間にか、わたしは眠りに落ちていた。

果たして読書は何のためにするのだろうか。

一般的には知識や情報を得るためと考えられている。

その為には<効率>が優先する。

そして<量>をこなす事が求められる。

速読術などが盛んに行われているのはその為である。

世はディジタルの時代。

読書にもコピー・アンド・ペースト方式が通用するのだろうか。

いくら早く読んでも読書の質は変わらないとでも言うのだろうか。

わたしは自分の速度で本を読みたいと思う。

スロー・フードがあるように<スロー・リーディング>もあって良いのではないか。

食物をゆっくりと味わって食べる。

それは胃にも腸にも身体にも良い。

と同じように、<ゆっくり読書>は目にも、脳にも、心にも良いのである。Natsutsubaki806261

もちろん読んでいる本にもよる。

書かれている内容に何故(なぜ)か強く引き込まれる本は、できるだけゆっくりと読む事をすすめたい。

というのはそういう本に出会う事自体が稀(まれ)な事だからである。

そうして幸運にもその類(たぐい)の本に出会ったら、何度でもくり返し読む事をすすめたい。

キーワードは<ゆっくり>と<くり返し>である。

これが読書に際してわきまえるべき、重要な秘密なのである。

反対に言えば、<ゆっくりとくり返し>読めない本は自分にとってあまり良い本ではないという事になる。

そういう類の本は早く読むか、必要なところだけを効率的に読むか、あるいは読まないで済ませる事である。

その本を<ゆっくり>読みたいか?

その本を<くり返し>読みたいか?

本を手に自分に問いかけてみよう。

つまり基本的に<ゆっくり読書>をする事によって本の選別が非常に明確に出来る事になる。

Himetsurusoba806253 果たして読書は何のためにするのだろうか。

読書は知識と情報を得るためだけにするのだろうか。

もちろんそういう類(たぐい)の読書もあるに違いない。

その一方では<魂(たましい)>に、自分の人格全体に迫ってくる読書もあるのではないだろうか。

それは何の為に学校へ行くのかという問いに似ている。

知識や情報は確かに必要であろう。

その一方、学校の先生や友人との接触により、魂(たましい)や人格全体の成長に必要な栄養を得る事も重要である。

そして結局それがその人の長い人生の生き方や方向さえも決めるのである。

庭の手入れを始めた時、わたしは正直言って途方にくれてしまった。

園芸について何も知らない自分がいたからである。

色々な本を買って読んだ。

しかし<ゆっくりとくり返し>読んだ本は今のところ1冊しかない。

それは以下の本である。

<ものぐさガーデニングのススメ
(斉藤吉一著、山海堂)>。

何故この本はわたしにとって良い本なのだろうか。

それは第1に何も知らないわたしの園芸に対する不安を取り除いてくれたからである。

肩の力を抜いてくれたからである。Ajisai806262

自分らしい園芸に目覚めさせてくれたのである。

第2にこの本にはこれを書いた著者の基本的な考え方が平易な言葉で素直に書かれている。

いってみれば<園芸家たましい>とでもいえるものである。

わたしはくり返し読む事でその<園芸家たましい>を吸収する事ができたように思う。

例えば、<園芸の80%は観察する事、良く見る事にある>などである。

園芸にはその世界独自のエトスがある。

園芸に向かう基本姿勢とでもいうものがある。

昔はそれを学ぶ為には師匠についた。

師匠の姿から<基本姿勢>や色々な技術を学んだのである。

今の時代に師匠に弟子入りするのは困難である。

その代わりにわたし達がやるべき事は、これという本を精読し、くり返し読む事である。

不思議な事に選び抜かれた書物には本音が書かれている確率が高い。

本を書くという作業は大変な重労働である。

それを最後まで書き上げる為には使命感にも似た動機が必要である。

その結果、多くの本には損得を越えた、その人の<たましいの声>が込められているのである。

その声を聞く。

それが読書の本当の醍醐味であると思う。

これからもそういう本に出会ったならば、ゆっくりとそしてくり返し読もうと思う。

2008-06-22

雨にぬれるアジサイ

雨が降っている。

日曜日の雨である。

昔の人は梅雨(つゆ)の事を五月雨(さみだれ)といった。Ajisai5   

さみしい雨だれの意味なのだろうか。

何もする事がない。

降りしきる雨の音だけがきこえる。

ウツ病の人が増えている。

8人に1人の割合という調査もある。

自殺者はこの10年間連続して3万人を越えて減らない。

Jisatsutoukei 自殺者数の国際比較では日本は世界で9位。

第1位から8位までの国の名前は、リトアニア、ベラルーシ、ロシア、カザフスタン、ハンガリー、ガイアナ、スロベニア、ラトビアである。

ガイアナというのは見かけない国である。Jisatsushasuutoukei

ガイアナはどこにあるのだろうと調べてみると南米の南端にあるベネズエラの東側にある小国である。

他のすべての国は不思議な事に、大なり小なり昔の社会主義の国々である事が分かる。

崩壊したソヴィエト連邦及びその衛星国である。

このリストから分かる事は何だろう。

表の顔とは裏腹に、日本も実は社会主義的な国だったのではないだろうか。

東西冷戦が終り、世界は超競争(メガコンペティション)時代を迎えた。

日本はそれに合わせて体制を変えるべきところを先延ばしにして、新しい出発が出来ないままにグローバルな大波をかぶってしまったのではないか。Kabocha2 

そのしわ寄せがいま一番弱い人たちのところに積もりに積もっているのではないだろうか。

もしそうだとしたら、今こそ日本は<自分の本来の幸せ>とは何かという事を考えるべき時にきているのではないだろうか。

わたしは日本は<身の丈(みのたけ)>に合ったホッと安心できるような行き方をするべき時であると思う。

ふと外を見ると、アジサイの花が咲いているのが見える。

毎日の雨の中に咲く花。

アジサイ。

アジサイは大量の水をすう。

五月雨(さみだれ)にぬれるアジサイ。

この花を見ていると何故(なぜ)か母を思い出す。

母の慈愛が雨にぬれたアジサイの大きな花のようだったからなのかもしれない。

つややかな大きな緑の葉っぱの中にぽっかりと浮かぶ白い花。

その姿が母のやさしい暖(あたた)かさを思い出させるのかも知れない。

わたしの母は忙しい日々の中で小さい花壇を作っていた。

台所を出たところの日当りの良い壁。

その壁に沿って石で縁取りをした簡単なものである。

わたしは未だ5才くらい。Biyouyanagi806193

母が花壇にタネをまいているのをわたしは横でかがんで見ていた。

毎日水をあげる母。

小さい芽が顔を出した。

それがどんどん大きくなる。

そうして花が咲いた色とりどりのマツバボタンの花。

その花々の輝きを今でも鮮明に覚えている。

身寄りのない母にとって、小さな花壇の花々は一体、何だったのだろう。

それは見るたびにホッとする<安心のよりどころ>であったにちがいない。

2008-06-18

小さい畑

裏庭の片隅に小さい畑を作った。

いや畑というより<畑のような囲い>と言ったほうがいい。

1畳ほどの広さをレンガで囲んだものである。Tomato806182

仮にこれを<囲い畑>とよぶ事にする。

その囲いの中に新しい土を加え、良く耕した。

タネから育てる知識も経験もないので、ホームセンターで売っていた野菜の苗を買って来て植えた。

イチゴ、ナス、キュウリ、トマト、ピーマン、それにスイカである。

少し欲張り過ぎたとは思う。

狭くなったのでイチゴとキュウリはプランターに植えて<囲い畑>のそばに置いた。

初めの頃は小さい苗が頼りなさそうに風にフワフワと揺れていた。

でも5月中旬頃から急に大きくなった。

朝早く水をあげる。

苗と苗の間の土を掘って、その中に堆肥を埋め込んだ。

毎日、朝と夕方には畑をのぞいて見る。

今日の朝、すっかり大きくなった2本のトマトを見ていると青い実がなっていた。

数えてみると全部で大小合わせて5個もある。

ここまで来るのに、支柱を立てたり、脇枝を切ったり、雑草を取ったり、竹酢液を撒いたりと色々と世話をして来た。

その成果である。

大変うれしかった。

あまりうれしいので、まだ青い実を一個取って、仏前に供(そな)えた。

Bara806181 しかし油断は出来ない。

というのはプランターに植えていた2本のイチゴは今までに全部で4個以上実をつけたものの、実が赤くなりはじめると、すぐに誰かがそれを全部食いちぎっていってしまったからである。

恐らく鳥か何かに食べられたのだと思う。

トマトは絶対にそうさせてはならない。

カボチャは急に大きく伸びて、今では<囲い畑>のレンガを越えてドンドン横へ横へと伸びている。

これも良く見ると花の後(うしろ)に小さい実をつけている。

ピーマンも実を枝からたらしているが、まだ小さい。

プランターの3本のキュウリには1週間位前に支柱を立ててあげた。

見るとヒゲを支柱に巻きつけて上に向かって伸び始めている。

黄色い花が咲き始めたところである。

3本のナスビは狭い<囲い畑>の中で伸び悩んでいた。

でもこの頃、すこしづつ伸び始めた。

昨日、花が咲いているのを見つけた。

紫色の花がかわいい。

何故かとてもなつかしい花である。

わたしはこれまで一度も自分で野菜を育てた事はない。

これが初めてである。

花を育てるのとは大分趣(おもむき)が違う。

花は育てて、そしてそれを見て楽しむだけである。Kingyosou806183

一方、野菜は大切に育て、その後に収穫しなくてはならない。

そして、野菜は、最後には自分の身体(からだ)の中に入るのである。

わたしはこれからも両方ともやっていきたいと思っている。

野菜作りについては、今はほとんど何も知らない。

でも、この小さい<囲い畑>での経験をスタート地点として今後、色々と学び、ノウハウを集めて、将来、裏庭にキチンとした畑を作りたいと考えている。

わたしの夢はそこにサツマイモやジャガイモを植えて収穫する事である。

でも、ネコの額ほどの<囲い畑>から、普通の畑への飛躍はどうすれば出来るのだろう。

<自分の中のイメージが
ハッキリと固まるまで
焦らずに前進するだけさ。>

と自分に言いきかせた。

わたしの畑作りの道は長い旅路である。

自分で作ったサツマイモとかジャガイモを仏前に供えられる日はいつになるのやら・・・。

2008-06-16

進化した掃除機

わたしは元来、掃除はきらいな方ではない。

だから週末に家中を掃除機で掃除するのはわたしの仕事になっている。Ayame806165

しかしこの頃、掃除していてもちっとも楽しくない。

それどころか汗だくになってとにかく疲れるのである。

この頃、何故掃除がこんなに負担になってきたのだろうか・・・と考えてみる。

そうすると2-3思い当たる事がある。

第一に我が家の掃除機はもう20年以上も前の古いタイプなので、絨毯(じゅうたん)の場合、中にもぐりこんだゴミはいくらゴシゴシと掃除機をかけても中々取れないのである。

これでいっぺんに疲れてしまう。

恐らく掃除機のパワーが小さすぎるのである。

第二に我が家のアイドル・キャツ、クロちゃんの毛が居間のいたるところに散乱している。

特に隅の方に隠れている毛を取るのが中々むずかしい。

イライラする。

第三に古いタイプの掃除機からでる排気の中から細かいハウスダストが室内に出てしまうので掃除する時はマスクをしなくてはならない。

これがつらい。

ある日、たまたまテレビ・ショッピングでD社の掃除機の宣伝をしているのを見た。

サイクロン式で排気口からダストは出てこない仕組みになっているという。

更にゴミがゴミ袋にたまっても、掃除機のパワーはダウンしないで一定のレベルを保つ等と盛んにアピールしている。

Hana806161 わたしは家内にD社の掃除機をインターネットで購入したいと提案した。

はじめは<まだ古い掃除機は使えるわよ>とか何とか言って反対していたが、わたしが余りにも何度も真剣に頼むので、やっと了承した。

彼女はわたしに言った。

<でももし買うのならインターネットは止めてちょうだい。

掃除機を実際に自分の目で見て、自分の手で触って、カタログも良く見て、本当にこの家に合っているのかを確かめてから買うようにしてよ。>

週末、家内と一緒に家電の店に行った。

D社の掃除機が展示してある売り場で、店員さんに色々と質問をした。

でも彼が言うには今一番売れているタイプはD社のものではない事。

そしてD社の掃除機のパワーが比較的小さい事を強調して、現在日本で一番パワーの大きいN社の掃除機を強く勧めたのである。

わたしは両方の掃除機のパワーを比べた。

そうするとN社の方は、D社のものに比べて3倍近くのパワーがある事が分かった。

それにN社の掃除機の排気口からは細かいダストは出てこないフィルターの構造になっている事が分かった。

また部屋の隅っこを掃除するのに便利な小さいノズルがワンタッチで出てくる仕組みになっている。

<これは良い>と店員さんについ言ってしまった。

つまりわたしはすぐにその場でD社からN社に転向。

そして、N社の掃除機を買って帰った。

次の日、新しい掃除機をマニュアル片手に試してみた。

そうすると

<ビンゴー!>

それは全くすばらしい掃除機であった。

わたしは感激してうれしくなった。

特に感激したのは、<20ミクロンのハウスダストもとらえるハウスダスト発見センサー>である。

絨毯等を掃除している時、どこにどれだけ小さいゴミがあるのか、普通の目で見ただけでは分からない。

でもそのN社の掃除機は20ミクロン以上の微細なゴミを発見すると、ハンドルの上下に2つの赤いLEDランプがつくのである。

微細ゴミを吸引し終わるとLEDランプが消えるのでその部分はきれいになった事がはっきり分かるのである。

これは非常に強力な<インテリジェント掃除チェッカー>である。

絨毯の上のクロちゃんの小さい毛の掃除がこれでいっぺんに楽しく出来るようになった。Zeranium806167

ありがたい。

部屋の隅っことか、テレビの下などを掃除する時には、足で普通のノズルをはずすと、小型ノズルがパッと現れる。

それでパッと掃除して、また普通のノズルにワンタッチで切り替える。

これも実際にやってみると大変便利である。

そして一番基本的な要(かなめ)。

掃除機の巨大なパワー。

これがまたすばらしい。

古いタイプと比べるとまるで天地の差である。

家の掃除を終ってホッと一息ついで、わたしはふとつぶやいた。

<これはすごい。

掃除機が進化したんだ。>

わたしは元来、掃除はきらいな方ではない。

こうして遂にわたしは、むかしの<掃除の楽しさ>を再び手に入れたのである。

2008-06-15

消えた蜜蜂

テレビで<ミツバチの集団疾走(CCD:
蜂群崩壊症候群)>についての番組を見た。Nanten2

2006年秋ごろからアメリカの養蜂家が飼っているミツバチが突然、集団でいなくなる現象が起きて、それは今も続いている。

アメリカ50州のうち、27州でこの現象が起きている。

アメリカ西部地域では飼われているミツバチの60%が、東部地域では70%が既に消えてしまったという。

アメリカだけではなく、ポルトガル、スペイン、ギリシャ、イタリア、スイス、ドイツ、イギリスなどのヨーロッパでも同様な現象が報告されているというのだ。

たいへん驚いた。

そして、何かそら恐(おそ)ろしくなった。

恐ろしい事が今、地球上で起きているのではないか・・・・。

一緒に見ていたわたしの家内も<何だか不気味な話ね・・・ >と不安を隠しきれなかった。

Nanten3 色々な原因が考えられている。

● ウイルスやダニによる障害
● 農薬や化学肥料による化学汚染
● ストレスによる過労死
● モノカルチャー作物の花粉だけを食べ続けて起きた免疫低下
● 携帯電話の電磁波障害
● 遺伝子組み換え作物の副作用
● その他、諸々の原因

しかしはっきりとした原因は未だ明らかにされていない。

わたしが非常に驚いたのはカルフォルニア州の見渡す限りの平野いっぱいにアーモンドの木だけが植えられていた光景である。

そしてそこにおいて散布されていた強力な除草剤。

ミツバチは蜜を集めるのではなくアーモンドの花の受粉をさせられているのである。

もやはこれは農場というよりも、巨大なアーモンド製造工場である。

その過酷な環境で働かされている蜜蜂の気持ちが何となく分かる。

更に驚いたのは研究所では、ミツバチの集団疾走の原因を徹底究明するのではなく、アフリカ蜜蜂との交配によって、集団疾走しない新型の蜜蜂を開発する事に集中しているという事実である。

これはいってみれば、<地球がダメなら火星があるさ>という発想である。Nanten5

そこに自分たちの犯した自然破壊に対する反省とか、環境破壊に対する恐れなど微塵も見られない。

自然全体のバランスにたいする畏怖の心が完全に欠落しているのである。

自然を搾取することだけに没頭しているのである。

長年、京都議定書を無視して、世界の潮流に逆行してきたアメリカ。

そこに全く異質な自然に対する姿勢を見るのはわたしだけであろうか。

2008-06-11

永遠を求めて

日本の歴史の上でナンバーワンの詩人は誰でしょう。

色々な答えがあると思う。Fujisan2

しかしその中で非常に多い答えは恐らく<西行(さいぎょう)>ではないかと思う。

彼は今から800年あまり前の人である。

西行が亡くなったのは1190年。

鎌倉幕府成立の2年前である。

彼が49歳の時に平清盛が太政大臣になっている。

平家にあらずば人にあらずという隆盛を誇る平家が源氏との合戦にやぶれ没落していくのを彼は見ていた。

つまり彼は貴族が治める日本の古代世界が崩壊し、新しい武士の世界が成立する、その狭間(はざま)の混乱の時代に生きていたのである。

この時代のキーワードは<無常>である。

あらゆる確固たるモノが、崩れていく。

永遠なものはないこの世界。

中世の時代は統一が崩れる時代である。

社会のすべてのモノが、何もかもバラバラに分解し、分散して、崩れて行く。

何も頼れるものがない時代。

従って中世は同時に宗教の時代でもあった。

僧形(そうぎょう)の西行は旅と自然の中に永遠の感動を求めてさまよった。

<松風の
音(ね)あわれなる
山里に
さびしさそふる
ひぐらしの声>。

西行はむずかしい言葉を使わない。

彼はいつも平易な日本語を使って歌を詠んでいる。

上記の歌はその典型である。

しかし言葉はやさしくても、歌のこころは深い。

山里の寂しさは、同時に彼のこころの寂しさでもあった。

そしてそれは、生きている事、存在そのものの寂しさでもある。

頼れるもののない孤独なこの世界。

西行の歌は、現代の日本に生きる人々のこころにも切々(せつせつ)と語りかけてくるのである。

現代が新しい中世の時代である事の証拠でもあろう。

今まで世界を統合していた力が、グローバリズムや官僚政治などの様々な力により壊され、バラバラになって行く時代なのである。

<風になびく

富士の煙の

空にきえて

ゆくえも知らぬ

わが思いかな>。

69歳の西行は京を離れ陸奥(みちのく)への旅に出た。

その途中、富士の山を見て詠んだ歌である。

<扶桑略記>に富士山焼燃とあるように富士山は1083年に噴火している。

この時、富士山には噴火の余韻である煙が頂上から風に吹かれてたなびいていた。

旅の途中、草の上に腰をかけて、雄大な富士とその煙を見ている西行の姿があった。

ゆくえも知らぬ思い。

煙とともに、はてしのない永遠へと流れているのは自分のいのちであった。

その時、悠大な自然と西行は一つのものであった。

求め続けた

永遠がこの時、

彼の中にあった。

2008-06-08

一期一会

誰にでも運命の出会いがある。

そんな時に人はよく<一期一会(いちごいちえ)>という言葉を使う。Hakoneutugi2

この言葉は茶道から来たものらしい。

<茶会に臨む際に、主客ともにその機会は一生に一度のものと思い、互いに誠意を尽くす心得>という事である。

つまり一生に一度だけの機会という訳である。

今日は日曜日である。

暑くもなく寒くもない。

絶好の散歩日和(びより)である。

昼過ぎに自転車を押して散歩に出かけた。

初夏の風が心地よい。

いつものように川に沿って自転車を走らせた。

川辺に青々とした葦の茂みが美しい。

このところの雨で水量が増した川の音を聴きながら走る。

橋を渡った。

ふとその時、橋のたもとに白とピンクの花が混じり合って咲いている低木が見えた。

自転車を降りて、近づいて見る。

3メートル位の木である。

葉を見るとアジサイの葉を少し小さくした感じ。

じっとその花をみていると、わたしは何故か、和(なご)やかな気持ちに包まれた。

その時、木の花の精がささやいた。

<わたしをあなたの家の庭に植えてみませんか・・・>。

わたしは木の精に答えた。Moon2_2

<ええ。喜んで。でもまさかあなたを掘り出して連れて行く訳にはいきません。どうすればよいのでしょう。>

木の精は答えた。

<昨日、誰かがわたしを剪定(せんてい)したようです。木の根元に切り枝が捨ててあるでしょう。それを持って帰って庭の土に挿(さ)してください。>

わたしは急いで木の根元から丈夫そうな枝を選びバッグに入れた。

散歩から帰るとすぐに枝を取り出して5つ位の挿し木を作った。

それらを庭のあちこちに丁寧(ていねい)に挿し木した。

そしてジョロで水を注いだ。

わたしは心の中で祈った。

<どうか、この木を根付かせて下さい。木の精との約束を守らなくてはなりません。それに何故かこの花を見ていると心が穏(おだ)やかになるのです。>

挿し木を終えたわたしは花木の名前を知りたいと思い、すぐに植物図鑑を調べた。

<初夏の花木>のところを必死に見ていく。

あった。

あの和(なご)やかな花の写真が出ている。

<ハコネウツギ>である。

<これだっ!>と思った。

その時、木の精がまたわたしにささやいた。

<ありがとう。これであなたと一期一会の出会いができました。>

2008-06-06

もう一人の子供

わたしはいつも朝5時頃に起きる。

顔を洗ってトーストを焼き、居間のテーブルで朝食を食べているとニャーニャーという小さい声がきこえる。Yama2

ネコのクロちゃんが隣の部屋のケージの中でないているのである。

彼女は静かなネコで決してギャーギャアと騒ぐ事はない。

小さい声でニャーというだけである。

<ケージの戸を開けて>と言っているのだろう。

すぐに隣の部屋に行って戸を開けてあげる。

クロちゃんはケージから出ると背伸びを1-2回して居間に入ってくる。

腹が減っているらしく、わたしの足に擦り寄ってニャーとないている。

飼育係のわたしはケージのトイレの始末をする。

その後で缶詰のキャッツフードを皿に入れてあげる。

彼女はフアフアガツガツと一生懸命に食べる。

その食べている姿を見ると何故か笑ってしまう。

自然体のクロちゃんがわたしは好きなのである。

クロちゃんを飼うようになってもう3ヶ月近くが経ってしまった。

その間いろいろな事があった。Hana3

数日前、朝から薄ら寒く、雨がふっていた。

でもクロちゃんはいつもの様に外に出たいとニャーニャーなくので仕方なく外に出した。

3時間くらい経って、ガラス窓のところでしきりにニャーニャー叫んでいるクロちゃんがいた。

中に入れてあげるとブルブルふるえている。

全身ずぶぬれである。

急いでタオルで拭いてあげる。

全く元気がない。

見ていると、自分で隣の部屋のケージの中に入って行く。

こんな事ははじめてである。

ケージの中のベッドに自分で登り、横になっている。

雨にぬれて風邪をひいたのかもしれない。

寒そうなので、赤い大きなタオルを取り出して体の上にかけてあげる。

そうこうしている内にもう赤いケットをかぶってスヤスヤと寝ている。

小さい赤ちゃんみたいである。

そのまま次の日の朝まで何も食べずに寝ていた。

次の日の朝、起きてケージの中を見ると、やっと元気になったクロちゃんが丸い目をしてニャーとないている。

庭に出てクロちゃんと遊ぶ。

わたしがダーと走り、クロちゃんを追いかけると彼女は走って逃げる。

庭の木々の間に隠れる。

それをまた追いかける。

彼女は必死に逃げる。

Kurochan5 庭の向こうの柿の木の上にすばやくのぼる。

柿の木の大きな枝の上でクロちゃんはいつまでも、じっと座って前を見ている。

まるで、まわりの山々を見ながら俳句でも作っているかのようである。

その真剣な顔を見ながらわたしは思う。

もう一人の子供ができたのだと。

2008-06-02

葉っぱの園芸

雨上がりの朝、いつものように庭をまわっていた。

ボタンの葉の上に水滴がのっている。Botannnoha1

ボタンの葉をじっと見つめた。

何と美しい葉っぱなのだろうと、はじめて気が付いた。

花が咲くのを待ち、それだけに集中して、葉っぱは今まで無視してきたのではないだろうか。

その時に思った。

花の園芸があるのなら、葉っぱの園芸もあるはずだと。

あらためて庭を眺めなおしてみる。

そうすると、次々に色々な葉っぱが美を競っているではないか。

Happa2 わたしは自分の目を疑った。

そうして花だけに目を向けてきた今までの自分の愚かさにあらためて気がついたのである。

考えてみると園芸の根本にあるのは草木(そうもく)をいつくしむ心である。

種から始まり、芽を出して段々と大きくなり、葉を茂らせ、花を咲かせ、種が出来てそれを散らし、最後には枯れていく。

それは命の姿そのものである。

わたし達も生まれ、幼年時代を送り、成長し、仕事を見つけ、家庭を作り、子供を生み、老いて死んでいく。

命あるものはだれもが、この命の円環の上を回っているのである。

そう考えると見えてくる。Happa5

種も葉も、

花も実も、

じつは植物のあらゆる姿が美しいという事が。

2008-05-29

カドタ式堆肥づくり

暇をみつけて庭の手入れをしている。

一番手がかかるのは草取りである。Shakuyaku80529_2 

やっと草を取ったと思ったらあれよあれよという間もなくまた草が生えてくる。

この頃はもう観念して草取りは庭の手入れで一番楽しい仕事であると自分に言い聞かせながらやっている。

ただ取った草の処理が問題である。

最初のうちは、袋に入れてゴミとして出していた。

しかしそれを繰り返すうちに、段々と何か変な気持ちになってきた。

これらの草はもともと庭に生えていたものである。

という事は、ひょっとしたら、草はその中に庭の土の栄養がつまっている大切なモノなのではないだろうか。

そう思い出したのである。

そんな時である。

本屋さんで次のような本を見つけた。

生ゴミ堆肥ですてきに土づくり
(門田幸代著、主婦と生活社)。

一読してこれだと思った。

Sanshou80529 門田さんは言う。

●土嚢袋を使えば生ゴミ、花がら、草などを使って堆肥を作り出せる。
●必要なものは土嚢袋、米ぬか、庭の土と水である。
●最後の熟成は庭の土に埋めて行うので土の改良が同時に出来る。

取った草だけではなく、木々の剪定によって出来たゴミや、毎日台所から出てくる生ゴミなども堆肥づくりの材料として使える。

それらの宝物をゴミとして出していた自分の愚かさにあらためて気がついた。

全部もとの土にかえしてあげる。

それによって堅い庭の土もふかふかの土になるのである。

さっそくホームセンターで土嚢袋、米屋さんで米ぬかを買ってきた。

そうして<カドタ式土嚢袋堆肥>作りに取り組んだまではよかった。

でもなかなかうまく行かない。

失敗するたびに上記の本を読み直した。

ノートにメモを取りながら読んだ。

5回くらいくり返し読んだ。

あきらめずに何回も取り組んだ。Murasakikatabami80529_2 

そうこうしているうちに、段々と準堆肥が土嚢袋の中に出来始めたのである。

熟成の為に家の周りに点々と準堆肥を埋め戻して行く。

それが楽しい。

未だ時々失敗をすることもある。

発酵は周囲の温度と材料に含まれる水分に微妙に影響されるからである。

でもわたしはこのカドタ式堆肥づくりを続けていこうと思う。

特にわたしが感激した点は以下の点である。

●誰でもどこでも手軽に出来る。
●土嚢袋、米ぬか、土などの手に入れやすいもので出来る。
●庭の土の中に含まれる微生物を存分に利用する。

自分が生活している家と庭で出来る有機物を再び大地に返しながら園芸を楽しむというカドタ式堆肥作りは本当にすばらしい。

合掌。

2008-03-24

クロちゃんの隠れ家

色々、紆余曲折があったが、野良ネコのクロちゃんはとうとう拙宅の家ネコになった。

わたしがまだ幼かった頃、家には一匹の三毛ネコがいた。Ajisainoshinnme2

つまりわたしはネコと遊びながら大きくなったのである。

だから<ネコを飼う事など超簡単・・・>と安易に考えていた。

ところが今回、実際にクロちゃんを家ネコとして飼うことになって、わたしはハタと気が付いた。

<わたしはネコについて
 何も知らない>という事を。

トイレの設置の仕方。

どんな餌を何時与えるのか。

留守の時にネコをどうするのか。

ネコはどんな時にどんな行動をするのか、etc. etc.・・・。

ネコの生態について知らないのである。

Fuki3 ある日の早朝、6時頃。

クロちゃんに朝の食事のキャツフードと水をあげる。

わたしも朝食を済ませてテレビを見ていると、ドアのところでクロちゃんがニャアニャアないている。

ドアを開けてあげると彼女は家の中の部屋を次々に見て回り始めた。

まず脱衣場と風呂場。

次にトイレの中。

そして物置部屋の中に入っていく。

いろいろな物が詰まっている物置部屋。

その奥の暗がりの中に入ってなかなか出てこない。

やっと出てきたかと思うと2階に通じる階段をトコトコと登っていく。

そしてわたしの書斎に入って、机の上とか椅子の上に登って棚の上とか外をきょろきょろと見ている。

はじめ、わたしはクロちゃんが何をしているのか分からなかった。

しかし良く観察するうちに段々と分かり始めてきた。

彼女は外ネコだった頃、いわゆる<なわばり>を持っていたのである。Kumomagusa1

<なわばり>を見て回るのがクロちゃんの日課だったのである。

家ネコになった今は<なわばり>は家の中という事になる。

だから家の中の様子は細大もらさず全部くわしく観察しているのである。

ある夕方、クロちゃんがいない。

方々探した。

でもどこにもいない。

さんざん家中を捜し歩いた。

2階の部屋の押入れの戸が半開きになっていた。

中をのぞいてみた。

そうするいたいた。

奥の隅の方にある古着類がつまっているボックスの中でクロちゃんがスヤスヤと寝ているではないか。

ここがなわばり巡回の時に見つけたクロちゃんの隠れ家なのである。

<四六時中人間と
一緒ではたまらない。
チョッと一人になりたい>。

クロちゃんの寝顔がそう言っているようである。

わたしは、そっと階段を降りた。

2008-03-13

埋もれた石碑

いま少し時間に余裕ができたので、本を読もうと考えている。

それも様々な本を。

濫読である。Goyoumatsunokihada

色々な本を平行して読んでいる。

読む場所もいろいろである。

居間で読む。

庭にでて石に腰掛けて読む。

自分の部屋で読む。

電車の中で読む。

トイレの中で読む。

寝床の中で読む。

この頃読んだ本で一番驚いたのは<老子>である。

彼は今から2300年以上も前(紀元前300年頃)に南中国、長江流域の楚(そ)という国に生まれたといわれている。

そして彼は北方の黄河流域、中原を制覇した孔子の儒教に対して激しい反対の声をあげた。

その後、彼の考えは<老子道徳経(81章)>としてまとめられていく。

よく見ると中国の思想は表の儒教だけではなく、その背後に老荘の思想が控えているのである。

つまり中国の思想の根本には黄河流域の北方中国の考え方と長江流域の南方中国の考え方の2つが重なりあっているのである。

老子で一番驚いたのは、その考え方全体に違和感があまりなく、非常に身近に感じるという点である。

Tsubaki35 それは何故だろうか。

一つには日本とよく似た自然環境の稲作地帯である長江流域で生まれた考え方であるという点があげられる。

もう一つは日本が生まれた時代背景と関係があるのではないかと思う。

日本は630年から894年までの264年間、遣唐使を派遣して中国の文物を学んだ。

老子の姓が唐朝を開いた李淵と同じく<李>であった事から、唐朝では何よりも道教があがめられた。

玄宗の時代には皇帝みずから道徳経の注釈書を作ったり、道教の学校も設立している。

つまり当時、日本が必死に遣唐使を派遣してまで学ぼうとしていた唐の文化とか制度の中心に道教があったのである。

それが日本にもたらされなかったという事はありえない話である。

国家鎮護の為のおおやけの仏教の陰に隠れてはいるものの実際には日本に持ち込まれ、仏教や神道とも交じり合いながら民間の中に静かに深く浸透していったと思われるのである。

その証拠の一つとして<庚申(こうしん)信仰>がある。

田舎に行くと寺の入り口や、神社の庭、それに街道の辻々に庚申供養塔が立っている。

これはその村落の人々が道教に由来する三尸説(さんしせつ)の行事を行ったというあかしとして建てられた石碑である。

その数は大変多く例えば岩手県では4700基前後あるそうである。

先日、近くの寺に散歩に行った。

寺の入り口の石段の前の庭に庚申石碑が5体もひっそりと立っていた。

もう石碑の字が読めないほど古い石碑である。

だれももう何の為のものか知らない。

しかし、わたし達の祖先が日々の生活の中で懸命に作って建ててきたのは確かな事なのである。

日本文化の中の道教。

それは埋もれて見えなくなってはいるが、それ故に深い影響をわたし達の生活に及ぼし続けているのである。

2008-03-10

老子3

今日は老子の最初の第1節を読んでみよう。

まず最初に読み下し文。

次に英訳。

第1

道の道とすべきは、
常の道にあらず。

名の名づくべきは、
常の名にあらず。

名無し天地の始めは、
名有り万物の母には。

故に常に無欲にして
以てその妙を観、

常に有欲にして
以て其の徼(きょう)を観る。

此の両者は
同じく出でて名を異にす。

同じく之を玄と謂う。
玄の又玄、
衆妙の門。

The Tao that can be told
is not the eternal Tao.

The name that can be named
is not the eternal name.

The nameless is the beginning
of heaven and Earth.

The named is the mother
of the ten thousand things.

Ever desireless,
one can see the mystery.

Ever desiring,
one sees the manifestations.

These two spring from the same source
but differ in name;
this appears as darkness.

Darkness within darkness.

The gate to all mystery.

(これが道だという道は
本当の道ではない。

これがその名前だという名前は
本当の名前ではない。

もともとこの世界の始源には
名前はなかった。

しかし母なる万物には
名前があった。

だから、万物を区別し
名前を知る欲望がなければ、
万物一体の妙なる世界を見る事ができる。

しかし反対に物事を区別して
名前を知りたいという欲望をもてば、
千差万別の現象世界が現れる。

これらの二つは、
もともとは同じ源から流れ出ている。

その源とは底のしれない深み。

更なる深みの深み。

あらゆる妙が流れ出てくる源なのだ。)

サンシュユ

今日はあいにく曇り。

窓から庭を見ていると玄関のところに黄色い花が見えた。Sanshuyu1

すぐに外に出て確かめてみると・・・サンシュユ(山茱萸)の木に花が咲いていた。

まだ咲きかけた姿である。

宮崎民謡の稗搗節(ひえつきぶし)に<庭のサンシュの木 鳴る鈴かけて>とある。

これが山椒(サンショウ)か山茱萸(サンシュユ)かという議論がある。

歌の歌詞は<サンショウ>ではなく<サンシュ>なのでこれは庭木の山茱萸(サンシュユ)なのではないだろうか。

Sanshuyu3 それにこの歌は恋の歌という事である。

つまりロマンチックな歌なのである。

としたらサンシュユの木の方が場面としてふさわしいのではないかと思う。

サザンカのツボミを見つけた。

一般にサザンカは秋に咲き、ツバキは春に咲くといわれている。Sazanka5

でもこのサザンカは春山茶花(ハルサザンカ)とよばれている種類である。

庭の奥の方にチューリップの芽が出ている。

Tulip2 青々とした芽が清々(すがすが)しい。

この頃は暖かくなってきたので日に日に大きくなっていく。

2008-03-08

ジンチョウゲ

町の花屋さんをのぞいてみた。

アッと息をのんだ。Jinchouge3

小さいジンチョウゲの木がおいてあるではないか。

2つのかわいい花をつけている。

匂いをかいでみた。

すばらしい春の香りだ。

わたしは長いことこの花を探していたのである。

すぐに買って帰った。

2-3日窓辺の日当りの良い場所においておいた。

部屋にほのかにジンチョウゲの香りが漂っている。

今日は良い天気である。

わたしはジンチョウゲの花を鉢から出して窓辺の花壇に移した。

この木は移植がむずかしいとされている。

どうか無事に花壇に根を生やして欲しいと祈りながら植えた。

葉の周りに白い縁どりがあるので<フクリンジンチョウゲ>ではないかと思う。

2008-03-07

老子2

老子の道徳経(Tao te king)の最終節、第81節は先回読んだ。

今日はその手前の第80節を読んでみよう。Mitsumata

まず英訳から。

A small country has fewer people.

Though there are machines

that can work ten to a hundred times

faster than man, they are not needed.

The people take death seriously

and do not travel far.

Though they have boats and carriages,

no one uses them.

Though they have armor and weapons,

no one displays them.

Men return to the knotting of rope in place of writing.

Their food is plain and good,

their clothes fine but simple,

their homes secure;

They are happy in their ways.

Though they live within sight of their neighbors,

And crowing cocks and barking dogs

are heard across the way,

Yet they leave each other in peace

while they grow old and die.

(小さい国がある。

人口も少ない。

人力の十倍も百倍も早く

仕事ができる機械はある。

でもそれらの機械は使われない。

人々は死を深く受け止め

それ故に遠くへは行かない。

船も車もあった。

しかし誰もそれを使わない。

よろいもかぶとも武器もある。

でも誰もそれを見せようとはしない。

文字を書く代わりにみんな

ヒモを結ぶ昔のやり方をしている。

食べ物は質素でおいしい。

着物は清潔で、しかも簡素。

そして安全な住処(すみか)。

そうやって彼らのやり方で幸せに暮らしている。

隣国はすぐ近くに見え

通りをはさんで

鶏のなきごえも

犬のほえる声もきこえるけれど

お互いに争うことはない。

その国の人たちは

そうして年をとって

死んでいくんだ。)

 

 

2008-03-06

うちのクロちゃん

その日は快晴。

起きて台所に行くと、いつものようにクロちゃんが戸口のところでニャンニャンないている。Kurochan5

急いで戸を開けてあげるとすばやく居間の自分の場所に走っていく。

朝食のペットフードと水をあげる。

ガツガツ食べる。

食べ終わると顔を洗ったり、毛づくろいをする。

それが終るといつもの椅子の上で昼寝を始める。

昼過ぎ、自転車で買い物に出かけようとすると、クロちゃんはわたしについてくる。Hanadaikonnshokkasai

自転車を押して坂をのぼって行く。

クロちゃんは足早についてくる。

クロちゃんは必死に坂を登ってくる。

神社の前の通りにぬける。

神社の前の通りは下り坂で自転車はスピードを上げる。

振り返ってみるとクロちゃんは坂の上でいつまでもこちらを見ている。

すわってこちらを見ているクロちゃん。

その姿が頭から離れない。

ネコがこんなにかわいいものだとは想像もしなかった。

もう少ししたら病院に連れて行ってワクチン等をして家ネコにするか・・・・・。

2008-03-05

自分の中の治癒力

誰でも一つや二つの病気を持っているものである。

どうやってこれらの病(やまい)と付き合って行くか。Fumeinahana3

それは人によって様々(さまざま)であろう。

わたしの場合、非常に弱気になった時にはつい病院に行きたくなる。

しかし<気力>が充実している時は、その病は表には出てこない。

不思議である。

命というものの不思議さ。

それを痛感するこの頃である。

<病気は気から>。

<病気と仲良く付き合っていく>。

わたしの父は一貫してこの生活哲学を持っていた。

父は既に亡くなったが、91才で亡くなる寸前を除いて、ほとんど病院には行かなかった。

わたしの場合は気が弱くなると、つい病院や薬を求める気持ちが強くなる。

そんな時にはわたしは尊敬する医者が書いた本を読んで気を取り直すのである。

Tsubaki8_2  例えば、斉藤茂太さんと言う医学博士が書いた●<病気になりたくなかったら、急がない、怒らない(新講社ワイド新書)>とか石原結實さんという医学博士が書いた●<病気は自分で見つけ、自分で治す!(KKベストセラーズ、ベスト新書)>等の本である。

これらの医学博士の言葉の中には、本来日本に長く根付いていた伝統的な考え方が脈々と流れている。

わたし達はつい次の肝心な点を忘れてしまう。

<病気を治すのは

結局は自分の中の

治癒力である>。

医者とか薬は結局、自分の生命の中に備わっている治癒力を助ける事しか出来ないのである。

最後は自分に返ってくるのである。

病を直すのにプラスなモノを食べるとか、病を直す為に日常やるべき事を毎日実行するとか、自分の日常生活の中で出来る事を着実に自分で実行する他にはないのである。

上記の本を読むと、わたしの場合、以下のような事が大変体に良いということである。

●腹を冷やさない事。
●ほうれん草などの野菜を良く食べる事。

早速、<腹巻(はらまき)>を買ってきた。

その日から腹巻を巻いて腹を冷やさないように気をつけるようになった。

それにほうれん草等の野菜を努力して毎日食べるようになった。

そうすると段々からだの調子が良くなってきた。

薬に頼らないで、普通の生活の中で、自分の命の中にある治癒力を強める為の努力を積み重ねていく。

それが病と仲良く付き合って行くための基本なのではないかと思う。

2008-03-04

のどかな春

のどかな春がやって来た。

庭のそこここにヒヤシンスの芽を見つけた。Hiyashinnsu3

毎日どんどん大きくなっていく。

数えてみた。

全部あわせると10個以上ある。

ヒヤシンスに水をやっていると、裏庭の崖の竹やぶのところでケンケンというキジの鳴き声がきこえた。

ふと見上げると一羽のキジの姿がそこにあった。

Kiji 目の周りが赤く、美しい青色の首が輝いている。

胸は緑色で、羽根は褐色である。

このきらびやかな姿からすると雄(オス)である。

音を立てずに急いでカメラを取りに家にもどりようやく一枚の写真を撮った。

キジは日本の国の国鳥である。

ジッと観察していると、彼はするすると竹やぶの中に消えた。

野良ネコのクロちゃん。

Kurochan5 クロちゃんはその後、毎日朝早く来て、戸口のところでニャンニャンなく。

食べ物をねだっているのである。

食べ終わると暖かい居間の椅子の上に乗って昼寝をする。

のどかな春の陽が照っている。

2008-03-03

老子1

もう3月である。

だんだんと風も春らしくなってきた。Fukinotou2

納屋の裏手で草を取っていると、突然目の前に<フキノトウ>があった。

驚いた。

春を告げるフキノトウさん。

こんにちわ。

先日、久しぶりに上京した。

以外に早く仕事が終ったので南麻布(みなみあざぶ)の有栖川宮(ありすがわのみや)記念公園を散策した。

白と赤の花が入り混じった梅の木を見つけた。Ume5

老子の道徳経の最後の一節を英訳で読んでみよう。

< Truthful words are not beautiful.

Beautiful words are not truthful.

Good men do not argue.

Those who argue are not good.

Those who know are not learned.

The learned do not know.

The sage never tries to store things up.

The more he does for others, the more he has.

The more he gives to others, the greater his abundance.

The Tao of heaven is pointed but does no harm.

The Tao of the sage is work without effort.>

(真実の言葉は美しくはない。

美しい言葉は真実ではない。

良き人は論じない。

論じる人は良き人ではない。

智人は学人ではない。

学人は智人ではない。。

賢人は決して多くの物を持とうとはしない。

人の為に尽くせば尽くすほど彼は多くのものを得る。

人に与えれば与えるほど彼は豊かになる。

天の道は偉大であるが人を傷つけはしない。

賢人の道は自然の中に開かれる。)

ふと向こうを見ると<六本木ヒルズ>のビルが見えた。

あそこに住んでいたあの人たちの世界。

金がすべてという世界。

そこには人間として何か大きなものが欠けているのではないだろうか。

2008-02-21

庭の花

もう2月も下旬というのに寒い日が続いている。

庭で咲いている花はほとんどない。

さびしい庭である。Ooinunofuguri

ある日、庭の端の草むらに小さい花を見つけた。

一人ポツンと咲いている。

るり色の可憐な花である。

何の花だろうと思っていたら偶然テレビでこの花の写真を見た。

その花の名前も書かれていた。

<オオイヌノフグリ>というそうである。

やわらかい葉には一面に毛が生えている。

数日後、散歩に行ってふと道端を見るとこの花が土手一面に数え切れないほど咲いているではないか。

その時、他の山野草に先駆けて咲くオオイヌノフグリは偉いなあと思った。

もうひとつの花を見つけた。

Suisen スイセン(水仙)である。

家の玄関の近くの石垣に沿って水仙があるのは知っていた。

でも見るのはいつも青い葉っぱだけ。

いつ咲くか、いつ咲くかと待っていたが、やっと今日、三つくらいの花が開いているのを見る事ができた。

下を向いて風にゆられている。

水仙は英語でナルシスス(narcissus)という。

その由来はギリシャ神話の美少年の名前からきている。

彼が泉の水面をのぞきこんだ時、そこに写った自分の姿に恋をしてその場を離れずに死んだ。

その場に水面を向いて咲いていたのが水仙の花だったという・・・。

ここからうぬぼれやさんの事をナルシストというようになった。

もうひとつの花を水仙の近くで見つけた。Fumeinahana1

珍しい見慣れぬ花である。

Fumeinahananoha2 葉っぱも奇妙に地をはっている。

花の名前は分からない。

2008-02-20

本来の自分に帰る

今日も朝日が東の山から昇ろうとしている。

山並みにたなびく雲が美しい。Yoakenokumo3

いまからおよそ1600年も前の中国で書かれた陶淵明の詩。

それがわたしのこころに響いてくる。

不思議である。

<園田の居に帰る>

少(わか)きより俗に適する韻(いん)なく

性(せい)本(も)と邱山(きゅうざん)を愛す

誤(あやま)って塵網(じんもう)の中に落ち

一去 (いっきょ)十三年

羈鳥(きちょう)旧林(きゅうりん)を恋い

池魚(ちぎょ) 故淵(こえん)を思う

荒(こう)を 南野の際(さい)に 開かんと

拙(せつ)を守って園田(えんでん)に帰る

方宅(ほうたく) 十余畝(じゅうよほ)

草屋(そうおく) 八九間(はっくけん)

楡柳(ゆりゅう) 後簷(こうえん)を蔭(おお)い

桃李 (とうり)堂前(どうぜん)に羅(つら)なる

曖曖(あいあい)たり 遠人(えんじん)の村

依依(いい)たり 墟里(きょり)の煙

狗(いぬ)は吠(ほ)ゆ 深巷(しんこう)の中(うち)

鶏(とり)は鳴く 桑樹(そうじゅ)の巓(いただき)

戸庭(こてい)塵雑(じんざつ)なく

虚室(きょしつ) 余間(よかん)あり

久しく 樊篭(はんろう)の裏(うち)に在りしも

復(ま)た 自然に返るを得たり

(若い頃から世間と

折り合いをつけるのが苦手で

生まれつき山や丘の自然が好きだった

まちがって俗世間の塵(ちり)の中におち

役人生活もすでに13年

かごの中の鳥は古巣の林をおもい

池の魚はもといた川の淵(ふち)をなつかしむ

南の野原の荒地(あれち)を開墾(かいこん)しようと

世渡り下手(へた)の分を守って田舎に帰った

十畝ほどの宅地に

部屋の数は八九の草ぶきの家

裏庭には楡(にれ)と柳(やなぎ)の木が影をおとし

桃(もも)や李(すもも)は家の前に並んでいる

遠くには村がかすんで見え

村の上にはなつかしい煙が見える

犬が路地裏でほえ

鶏(とり)は低い桑(くわ)の木の上で鳴いている

庭にはごみひとつなく

部屋はゆったりとして静か

ああ長い間 かごの中に閉じ込められていたが

やっと本来の自分に帰る事ができた)

2008-02-18

へルマン・ヘッセ

ある古本屋で偶然一冊の本を見つけた。

わが心の故郷アルプス南麓の村>という題名。

著者はヘルマン・ヘッセである。Ticinonomuranosougenn_2 

彼のエッセイに混じって32点のカラー水彩画が含まれている。

すぐに買って帰った。

本棚に入れたまま数ヶ月が過ぎた。

しかし田舎に居を移して周りの山川草木を身近に見て過ごすうちに、いつからともなくヘッセの本を寝る前に床の中で読み始めていた。

その中の詩の一節。

<晩秋行路>
・・・・・・
・・・・・・
私にとって実(み)とは何?

目標とは何!-

私は花咲いた

咲くことが私の目標だった

今私は枯れる

枯れることが私の目標だ

ほかの何ものでもない

心が定める目標は間近にある

*

神は私の中に生き

私の中に死ぬ

神は悩む

私の胸の中で

私にはその目標で十分だ

正しい道でも迷い道でも

花でも実でも

すべてはひとつだ

すべては呼び名にすぎない

・・・・・
・・・・・

ヘッセはドイツ南部の黒い森(シュバルツバルト)のカルフという小さな山村に1877年に生まれた。

日本では江戸幕府が倒れた大政奉還からちょうど10年目にあたる。

夏目漱石が10才の頃である。

1919年、傷心をかかえた42才のヘッセは南スイス・ティチーノ州ルガーノ近郊の山村モンタニョーラに居を構えた。

それ以来この美しい自然に満ちた山村を第二の故郷として43年後、1962年にその村で死去した。

彼は<晩秋行路>で老いを迎えた自分のこころをうたっている。

<すべてはひとつ>、それで十分なのだと言っている。

彼は水彩で沢山の風景画を描いた。

それを見ていると村や周りの自然と一体になった彼のこころが静かに伝わってくる。

同じく傷心をかかえ故郷の村に帰り自然の中での生活をうたった陶淵明がヘッセの姿に重なって見えた。

2008-02-16

陶淵明

長い間、わたしは詩を読んでもピンと来なかった。

Mansaku 商売に明け暮れ、利を追い求め、散文的な毎日を送ってきたからであろうか。

しかし何故か近頃は床につくと時々詩を読みたくなる。

詩を読みながら眠りにつく事が多くなってきた。

ここでは最近読んだ陶淵明の詩を一つ。

<飲酒>

廬(いおり)を結びて人境に在り

而かも車馬の喧(かまびす)しきなし

君に問う何ぞ能く爾(しか)るやと

心遠ければ地も自ずから偏なり

菊を采る 東籬の下(もと)

悠然として南山を観(み)る

山気 日夕に佳(よ)く

飛鳥 相与(とも)に還る

此の中に真意あり

弁ぜんと欲して已(すで)に言を忘る

(粗末な家を人里にかまえ

人里にいるとはいうものの

車や馬の往来のにぎやかさはない。

人は言う。

なぜそういう事ができるのかと。

それはわたしのこころが

世俗から遠く離れているので

自ずから住むところも辺鄙(へんぴ)になるのだ。

菊の花を東のまがきの下で採り

悠然として南山を眺める。

山に日が落ちて

かすみたなびく夕焼けの空を

鳥が連れ立って

ねぐらへと飛んでいく。

この何気ない一瞬。

その中にこころを動かす真実がある。

それを説明しようとしたが

言葉にはならない。)

今日ふと納屋の右横で見つけた不思議な花。

何の花か分からない。

さっそく調べてみた。

マンサクである。

2-3月、山中で最も早く花をつける。

葉より先に黄色い独特の花を咲かせる。

花の形からすると、

これは<シナマンサク>かもしれない。

2008-02-15

6体のお地蔵様

良い天気である。

久しぶりに自転車で散歩に出た。

山の方にどんどん走る。Ojizousama3

杉の山のふもとを走っていると、すぐそばの岡の上にお地蔵様が見えた。

自転車を止め、よく見ると入り口に石井家の墓と書いてあり、6体のお地蔵様の像が立っている。

その先に全部で15個位の墓が並んでいる。

墓の上に刻まれた文字を見ると明治・・年とある。

もう文字が磨り減って読めなくなっている墓もある。

苔が墓全体をうっすらと覆い尽くしている墓もある。

このような山の奥には寺はない。

田舎の人たちはお地蔵様の像を建て、そこを一族代々の墓どころとしたのであろう。

わたしは墓は寺の裏にあるものだと思っていたので、お地蔵様のある墓どころを見たとき、びっくりしてしまった。

不思議に思ったので調べてみると、わたしが見たお地蔵様は<六地蔵>と言われているもので六体の地蔵菩薩像は人間の六道、つまり六つの生命状態(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天)のそれぞれを救うという意味なのだそうである。

地獄というのは苦しみ。

餓鬼はむさぼり。

畜生は愚かさ。

修羅は怒り。

人は普通の分別のある平らかな命。

天というのは喜びの命である。

Ojizousama8_2 仏教では六道輪廻を説いている。

人間は普通、喜んだり、悩んだり、怒ったり、成功したり、失敗したりしながら、六道という迷いの道をぐるぐると巡りながら死んでいく。

この草深い山里で代々生きてきた人々はみんな、六地蔵に見守られながら死んでいったのであろう。

今日、わたしは都会の喧騒を離れた山里に来た。

多くの人間がこの山奥の土地に何百年もの間、生き、老いて、そして死んでいった。

その姿をわたしは六地蔵のある墓でまざまざと見た。

考えてみるとわたしも人生の峠をとっくの昔に越えている。

もしわたしが死んだら、わたしの好きな山野草が花咲く岡の上にこの身をうずめたい。

そう思いながら、まだ雪が溶けていない山道を自転車で走った。

2008-02-09

おいしいイチゴ

スーパーで買い物をしていると、赤いイチゴの実が目にとびこんできた。

わたしはイチゴが大好きである。Ichigo

売り場には博多のイチゴとか、群馬県産のイチゴとかが並べられている。

その中で大粒の<やよいひめ>という名前のイチゴを買って帰った。

<やよいひめ>というブランド名が気になってイチゴについて少し調べてみた。

●イチゴはバラ科の植物である。
ふつう日本で食用に栽培されているイチゴは、バージニアイチゴとチリイチゴがオランダで交配されて出来たもので一般に<オランダイチゴ>とよばれている種類である。そのオランダから日本へ渡来したのは江戸時代の後期。

●<やよいひめ>は群馬県産のオリジナル品種で、全国的に人気のある<とちおとめ>と大粒の<とねほっぺ>という品種を交配して2005年に作られた新しい品種である。

実を言うとスーパーで、わたしの目がイチゴに行ってしまったのには訳がある。

数日前にわたしはホームセンターでミキサーを買った。

IWATANIの<ミルサー>という小型のミキサーである。

健康のために果物で生ジュースをつくって飲みたいと思ったからである。

さっそくミルサーを取り出して試してみた。

<やよいひめ>のヘタをとって実を適当な大きさに切る。

それをミルサーに入れ、すこし水を加え蓋をして電源ON。

アッという間にイチゴ・ジュースの出来上がりである。

ちょっとだけ砂糖を入れて飲んでみる。

おいしい。

さわやかな香りと甘みにうっとりとしてしまう。

これはクセになるかもしれないとおもった。

Ichigo3 普通、イチゴの採れる時期は4-5月である。

今は厳寒の冬。

なぜこんなに寒い季節にイチゴが食べられるのだろうか。

実は日本で栽培されているイチゴは温室の中で育てられ10月の下旬から、翌年の5月ごろまで収穫されているのである。

もちろん温室の中の温度は20度前後の適温に保たれる。

わたしの食べたイチゴにはそれだけの大量のエネルギーが詰まっていたのである。

どこかでもうひとりの自分がささやいている。

<CO2の削減目標・・・・>。

それでもイチゴ・ジュースの誘惑に負けてしまう自分・・・・。

*

*

2008-02-05

雪のある風景

2月3日、日曜日。

朝起きて窓を開け外を見た。

アッと驚いた。Yukiwokabuttananntenn

白白白の一面の雪の世界が広がっている。

いつも見ている南天の実が今日は目にしみる。

さっそく長靴をはいて外に出た。

いつも通る神社の近くを歩いた。

Yukiwokabuttakeyaki ケヤキの大木が雪をかぶって立っていた。

まるで水墨画を見ているような気持ちである。

白と黒の世界だ。

これがいつも、毎日見ている風景なのだろうか。Keyaki5

草木と雪が織り成す不思議な世界である。

*

2008-01-22

我輩はネコである

この頃わたしの家に黒い野良ネコが来るようになった。

わたしはそのネコに勝手に名前をつけた。

クロである。Kurochann3

昨日は1回。

今日は2回来た。

来てにゃーおとおねだりするような声でなく。

腹が減っているのだろうとパンくずを皿に入れて出しても食べようとしない。

でも雑煮の残りを出すと一生懸命にガツガツと食べて汁もペチャペチャと皿ごとなめて名残惜しそうにしている。

またにゃーおと言うのでまだ食べたいのかと思い、ご飯に汁をかけて出すと全く食べようとしない。

この頃の野良ネコは好き嫌いが激しいのか。

お腹がいっぱいになると庭の日当たりの良い石の上で、顔を洗ったり、毛つくろいをしたりしている。

未だ年は2才くらい。

若いメスネコである。

ヒモをもって誘うとネズミを捕まえるようなかっこうをしてパッと飛びかかる。

庭を走り回るかと思うと突然、カエデの木にどんどん登って枝の又の部分に座ってわたしを見下ろしている。

<ほらこんなに上手に登れるでしょう>とパーフォーマンスをしているのである。

お勝手の戸を開けてあげると怖がる事なく家の中に入ってくる。

多分、このクロちゃんは昔はどこかの家の飼い猫だったのだろう。

何かの事情でその飼い主がいなくなって野良ネコになったのではないかと思う。

その後で外に出た。

庭の一番広いところで、うしろからクロちゃんを抱いて<タカイタカイ>をしてあげた。

何度もタカイタカイをした後、地面に降ろすと、何もなかったかのように、わたしの足に背中をすりよせてくる。

クロちゃんは、それだけ人に慣れているのである。

そうこうするうちに、遊びに飽きたのか、勝手にどんどん庭を横切って隣の家の方に姿を消した。

ネコはいわゆる個人主義者である。

ネコはイヌとちがって人間に対する情とか忠誠心とかはあまり持ち合わせていないみたいなのである。

基本的に自分の好きなように生きている。

わたしはその自由な自然体のクロちゃんが好きである。

また明日、クロちゃんが来るかどうかは誰にも分からない。

2008-01-05

ボケの花

あけまして おめでとうございます。

今日は2008年1月5日。

ここは山に囲まれ、川の流れる緑豊かな田園である。Bokenohana

わたしは意を決して、長い都会生活から離れ、田舎の家で生活を始めた。

家のまわりには庭があり、色々な草花とか樹木が生きている。

毎朝、霜の降りた庭をマフラーをして一回りする。

大晦日の日に山から取ってきて庭の隅に植えた木いちごの木。

葉上の白々とした霜が朝の太陽を浴びて輝いている。

冬の植物を見ると偉いなあと思う。

寒さにジッと耐え、春を待っているのだ。

待つだけではなく、春の成長に必要な養分を蓄え続けている。

草木というのは考えてみると大変偉大である。

太陽光エネルギーを元にして、土から吸収した水分と養分だけで自給自足で生きているのは生物の中では植物だけである。

他の生物はその植物を食べたり、他の生物を食べたりして命を支えている。

唯一草木だけは太陽光と二酸化炭素と水から炭水化物を自分で合成して生きている。

他の生物はその意味で植物なしでは生きていけない。



近くに小さい神社がある。

その庭にはケヤキの大木がある。

胴回りは3メートルはあるだろう。

200年から300年以上の古木である。

葉を落とし風を受けて一人立つ大木を見上げていると凛としたものを感じる。



街の花屋さんでフト見た<ボケの木>。

まだ小さいつぼみをつけていた。

すぐにその鉢を買い家の中の窓際に置いた。

暖かいのでアッという間に花が咲いた。

艶やかで美しいボケの花。

この花のように明るい年が開けますようにと祈りつつ。

合掌。

2007-06-04

ステキなミニボン

市の図書館に行った。

本を借りた後、市民会館の入り口で看板を見た。Minibonn2 

<さつき展>。

さつき? 

さつきとは何だろう。

そう思って展示会場を覗いてみた。

市民会館の2つの部屋いっぱいに<つつじ>のような花の大型の盆栽が並べられていた。

いづれも見事な盆栽である。

特等賞とか最優秀賞とかの札がついているものもある。

<さつき>。

ツツジ科の一種。

皐月躑躅(さつきつつじ)の略称。

旧暦の皐月(5月、さつき)に咲くのでこの名前で呼ばれている。

学名はロードデンドロン・インディクム (Rhododendron indicum インドのバラの木)という。

さつきとつつじの違いは何だろう。

それは咲く時期にある。

サツキの方は5月中旬以後と、ツツジより咲くのが遅い。

いろいろな種類があり、現在1500種にものぼるといわれている。

さつきの盆栽を一つ一つ丁寧(ていねい)に見ていく。

ハッと気がつくと、わたしの目は、大型の皐月盆栽ではなく、その脇にそっと置かれている付録のような小さな盆栽の方に引きつけられていた。

Minibonn1_1 手の平にのるくらいに小さい付録の盆栽の方を無意識に見ている自分。

小さい皿のような盆の中に苔や野草、それに緑の小さい木などが植えられている。

それが、イキでかわいいのである。

わたしはこの小盆栽に<ミニボン>という名前を付けた。

小さいボンサイという意味である。

わたしの父も盆栽が好きだった。

仕事から帰ってくると庭の盆栽の手入れをしていた後姿を思い出す。

自作の有機肥料をやり、枝をきり(剪定)、枝の形を整える為に針金をかける。

毎日水をやる。Minibonn5

大変な手間と時間をかけていたのである。

幸い当時の庭は広く、盆栽の棚は3段くらいの大きな物であった。

お気に入りは曲がった松の木と藤の花。

特に見事に咲いた藤の花は父の心の<誇り>そのモノであった。

わたしは大学進学の為に田舎から東京へ出た。

庭のない狭いアパート。

忙しいだけの仕事。

帰りは深夜近く。

時々花屋さんの店先で盆栽を見た。

でも盆栽はいいなと思う事はあっても、それに手をつける環境も余裕もなかった。

ミニボンを見て思った。

わたしは従来の盆栽よりミニボンが好きだと。

これなら若い女の人にも出来る。

ミニボン自体が若々しく美しい。

盆栽の形式的な堅苦しさがなく、柔らかく自由である。

イキで可愛くて自由でモダン。Minibonn3_1

これなら自分も出来そうだ。

松の木は無理だが、野草は得意だ。

ハイキングに行った時に、これぞという野草を取ってくればいい。

藤の花はダメだが苔(こけ)くらいは大丈夫。

家の中は狭いがミニボンだと机の上にも置ける。

庭がなくても出来る。

それに手入れも比較的、簡単なようである。

日本の千年の伝統。

<盆栽>。

それを受け継いで新しく出てきた<ミニボン>。

熟年の人だけではなく、だれでも、どこでも、みんなができる小盆栽。

これは日本だけではなく、世界中の人々の間に広まっていくであろう。

日本生まれの<ミニボン>万歳!

 

 

2007-05-16

伊都の国

久しぶりに九州に行ってみたくなり博多に飛んだ。

勢いのある博多の町をあとにして、わたしは日本最古の国、伊都国に行った。Nonohana3

前原市、早良、周船寺、今宿の地域である。

そこへ行って思った。

日本中が車社会に転換してしまった。

駐車場つきの大店舗が新開地区に一斉に展開。 

伊都の田舎に行っても、車道が整備され、幹線道路沿いには、同じようなチェーン店がどこまでも続いている。

それにつれて、旧来の古い町並みのある場所には人の気配が薄れていく。

この10年、日本中が車に適応して大変化を遂げているのである。

村や町や隣近所の付き合いは薄れ、自家用車で都市に通勤する人たちの住む個人ベースの生活スタイルが一般的になってきた。

自動車があればドアツードアでどこへでも行ける。

自動車の中では個人は自由である。

この快適さを味わうと、もう車なしの生活は考えられない。

どこへ行くにも車、くるまである。

更にインターネットが個人の便利なメディア・ツールとして生活の中に浸透してきた。

パソコンがあれば一人の個人が世界中の情報をアクセスし、なおかつ情報を発信できる。

Web2を使えば、電子メール、カレンダー、アルバム、住所録、文書とか表計算までもインターネット上に置き、それらを管理できるようになっている。

全部タダである。

ネット空間では、個人はどこまでも自由であろうとする。

もう一つの個人ベースのツールは<携帯電話>である。

このごろは携帯電話でもインターネットができるのでパソコンと携帯は融合しつつある。

<車とネットと携帯>。

この3つが個人の力をどんどん拡大しているのである。

時代は急速に変化していく。

ストレスがたまる事もあるだろう。

そんな時には、うしろを振り返るのも良いのではないだろうか。

筑前・前原駅の真ん前に貸し自転車屋を見つけた。

一日500円。

自転車を借りて、前原から周船寺を目指して出発した。

幹線道路から少し外れて山際に入る。

Marukumayamakofunn <丸隈山古墳(まるくまやまこふん)>がある。

古墳にのぼり、あたりを見まわした。

谷あいに点々と古墳が続いている。

前に今津湾。

後ろに高祖山(たかすやま)

美しい豊かな自然。

瑞梅寺川(ずいばいじかわ)や雷山川(らいざんかわ)が開いた肥沃な平野。

これが伊都の国である。

今宿に入った。

すぐ左手に大きな緑の山が見える。

行ってみると山の入り口に鳥居があり、石段がはるか上の方まで続いている。

右側に立っている石柱を見てアッと驚いた。

<今山石斧遺跡>。Imayama8

<これがあの有名な今山の太形蛤刃石斧(ふとがたはまぐりはせきふ)を作ったところなのか>。

時は弥生時代。

今からおよそ2000年前である。

Imayamasekifu この今山の玄武岩で作られた磨製石斧は北九州一帯で売られ、木を切り倒し田畑を拓く為に使われたのである。

ここは言うなれば石斧の大量生産工場であった。

今山の石斧は、その後、大陸から入ってくる青銅とか鉄の道具におきかえられていく。

ちょうど、私たちの生活が今急速にネット社会に突入しているように今山の石器は急速に鉄の時代に追い抜かれていく。

どんどん石段を登っていく。

急な坂を上る。

途中、色々な形の玄武岩がゴロゴロころがっている。Imayamanogennbugann

頂上まで来た。

ここから見る今津湾の眺めはすばらしい。Imazuwann

白い砂浜の先に<生の松原(いきのまつばら)>も見える。

むかし、神功皇后が新羅に出発する時に松の枝を逆さに挿して、帰還を祈ったという生の松原である。

セブンイレブンで弁当を買って、砂浜へ降りて食べた。

Nokonoshima 目の前には<能古島(のこのしま)>が大きく横たわっている。

日本神話によると、イザナキとイザナミが青銅の矛(あめのぬぼこ)を混沌とした下界に突き刺し、コオロコオロとかき混ぜて引き上げると、矛の先から滴り落ちた塩が積もり重なって島になった。これがオノゴロ島である。

2神はオノゴロ島に降り立ち、そこに天御柱(あめのみはしら)を建て、島々や神々を生み出した。

日本神話の青銅の矛を持ったイザナキ・イザナミの国産み・神産みの舞台となる淤能碁呂島(おのごろじま)。

オノゴロ島は普通、架空の島と考えられている。

しかし能古島は大陸から来た人たちが伊都の地に上陸する前の前進基地として最適な場所ではないか。

オノゴロ島は実は能古島(のこのしま)ではないか。

わたしはこころの中でつぶやいていた。

2007-05-14

ノスタルジア

遠い昔、自分が住んでいたアパート。

もう一度あの場所に行ってみよう。Tree5

そういう気持ちになった事があるのではないだろうか。

わたしが学生だった頃のあの小さなアパート。

あれはどうなったのだろうか。

忙しい毎日の仕事に追われて、すっかり忘れていたあのアパート。

週末に電車に揺られて、久しぶりに東京へ出てみた。

新宿にある街の一角に足を運んだ。

地下の電車の駅を降りて地上に上がる。

しかし、そこが一体どこなのか分からない。

あたりがすっかり変わっているのである。

ウロウロしているうちに、どこかで見た事のあるタバコ屋さんがあった。

突然、自分がいる場所が分かった。

あの角を曲がって少し行ったところ。

そこにわたしが住んでいたアパートがあるのだ。

でもその場所に建っていたのは、ピカピカの新しい戸建の家屋であった。

木造のアパートの影も形も今はない。

そのあたりを歩きまわる。

毎日の買い物をした商店街。

そこには未だ活気がある。

アッと驚いた。

風呂上りに何時も立ち読みをしていた<古本屋さん>。

それがまだ残っていたのだ。

金の無い時には、ここで本を売って夕食代にした。

台に座っていたおじさんも本にハタキをかけている。

中をのぞくと台所ではあのおばさんが夕食のしたくか何かをしている。

わたしはいつしか時を忘れていた。

一瞬、学生の頃の自分がそこにいた。

アッという間に過ぎ去って行った<時>。



東京は不思議な街である。

新宿の中心街はドンドン変化していく。

最新のトレンドを追いかける。

新しい大きなビルが建っていく。

車や電車の道路が建設される。

しかし表通りを一歩はいると、もうそこには庶民の生活の空間が広がっている。

ゴチャゴチャした狭い商店街の姿。

Shoutenngai3 それは変わらない。

そこには車が入り込めない。

だから何時までも昔の姿が残されていく。

古本屋さんのおじさんが台所のおばさんに話しかけている。

<ネエ、あの前の本、あれ800円で売れると思うよ>。

古本屋さんのうしろ姿を見ながらわたしはおかしさをこらえた。

夕暮れ時の空は澄み渡り、心地よい風が吹いていた。

2007-05-06

丸い小石

丸い石を川原から拾ってきて楽しんでいる。

手の中に握りしめる。Maruiishi

ボールのように投げては手の中に落として遊ぶ。

たあいもない遊びである。

でも何故かこれが楽しい。

夕方、渡良瀬川に自転車で行く。

太陽がやや西に落ちていくころ。

川原にでる。

大きな広い川原。

Kawahara せせらぎの音だけがサラサラと聞こえる。

広い川原には上流から流されてきた小石が一面に広がっている。

流れてくる途中、石と石とがぶつかって石の表面の角が取れて丸みを帯びている。

大きな石はぶつかるときに小さく砕ける。

だから河の岸に打ち上げられた石は、ほとんどが握りこぶし位の大きさになっている。

その何万、何十万個の石の絨毯(じゅうたん)の上をゆっくり歩きながら、これぞと思う石をみつけて手に取る。Kawahara22

これは良い。

これはダメ。

そうやってもう5個も石をひろってカバンの中に入れた。

カバンが大分重くなってしまった。

どんな石が良いのか。

どんな石がダメなのか。

それは説明できない。

石を見た感じ。

パッと見た印象。

その石を手の中に握った、その瞬間の感触。

それがすべてを決めるのだ。

なぜその石を選んだかって?

それは不思議な直感としか言いようがない。

そばの葦(あし)の茂みから雉(きじ)のなき声がきこえた。

<ケンケン・・・・>。



何でもない川原の石。

それを手の中で握りしめる。

何となくこころが暖かさに満たされる。

不思議な石のちから。

2007-04-27

スケッチのすすめ

時々ふと子供の頃の図画の時間を思い出す時があるのではないだろうか。

写生の時間。Choujyuugiga_1 

図画用紙をもって、みんなで外へ飛び出して描いた風景画。

クレヨンの香り。

あの頃はノートの端っこにも鉛筆で色々な絵を描いた。

人工衛星。

自動車。

赤胴鈴之助。



お墓参りに田舎に帰った時、物置部屋でふと見つけた自分の子供の頃の絵日記。

なつかしい絵である。

あの頃の絵心はどこへ行ってしまったのだろう。

仕事に忙しい毎日。

絵心などの入る余裕はない?

そうだろうか。

あんなに好きだった図画の時間。

もう一度挑戦してみてはどうだろう。



もやもやした気持ちでいた時、本屋さんですばらしい本を見つけた。

● <絵を描きたいあなたへ>、
水沢まこと著。 講談社。

それから、もう一冊。

● <絵が描きたくてたまらない>、
水沢まこと著、講談社+α文庫。



むずかしいデッサンから入るのではなく、ペンで<線描き>から始めようと水沢さんは言う。

早速やってみた。

近くの文房具屋さんでB5サイズの水彩画用のスケッチブックを買った。

ペンはパイロットの<Hi-Tecpoint 5>。

おずおずと水沢さんの言う通りにやってみた。

出来た!

スイスイできるではないか。Kawabe3 

これには自分でもビックリした。

今まで水彩画を、あまりにも大げさに考え過ぎて、中々始める事が出来なかったのである。

まず線で輪郭を描く事から始める。

これは1つの革命である。

<絵は線画で気軽に始める>。

そうすると何となく出来てしまう。

それに後で色を塗るのは簡単。

絵心が生まれたらその時に即、ペンをとる。

これが肝心な事だと知った。



レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519年)は言ったという。

<ものにはいくら眺めても、輪郭線などは無い。何よりも陰影が大事だ>。

つまりヨーロッパの絵画は<線の否定>で始まったのである。



でも、レオナルド・ダ・ヴィンチさんには、勝手に言わせておこう。

我が、ミズサワ・マコトは言う。

<何よりもまず線で形を描く事だ>。

レオナルド・ダ・ヴィンチよりも300年も前に日本では天才的な線画家が既に出現しているのである。

絵巻物<鳥獣人物戯画(ちょうじゅうじんぶつぎが)>(鳥獣戯画)を描いた達人画家である。

国宝。

作られたのは12-13世紀。

これが日本における絵画のルーツである。

もういい加減に西洋崇拝は止めようではないか。

自分たちのアイデンティティーに自信を持とう。

それを大切にしよう。

わたしは日本の絵巻物の伝統が大好きである。

これは日本のマンガとかアニメのルーツでもある。

何よりも自分で絵を描くことを楽しむ。

それが一番肝心なのだ。

それにしても、わたしが、もう少しうまく描けたら・・・・。

2007-04-25

運慶

ある晴れた日。

足利市の近郊にある行道山に登った。

かなり急な坂道が沢山ある。Mujyaku_1 

フウフウ言いながら登る。

木の枝を拾って杖にした。

それをつきながら登る。

ようやく道はなだらかな山の稜線に出た。

アッと驚いた。

Bishamonntenn 日光連山、赤城山、筑波山などの山々が連なる光景。

その美しさに心を打たれた。

石尊山の見晴らし台にて、山々を見ながらおにぎりを食べた。

一休みして山を下る。

20分くらい下り坂を歩く。

そうすると突然、森の中に巨大な杉の木が聳え立っている。

<ウワーすごい!>

わたしが見たその木は堂々としてまっすぐに立っていた。

30メートル以上はあるかと思われる。

それを見上げて、何か不思議な生命を感じた。

木は一種の神々しさを放っている。

ふとむこうを見ると寺堂がある。

大岩山最勝寺である。

境内を歩いた。

庭に樹齢600年を超える杉がある。

こちらの方は、雷や風雪に耐え抜いてやっと生き抜いてきたという姿をしている。

石段を降り、山門をくぐる。

ふと両側を見るとギョッとするくらいすざましい顔の仁王像が左右に立っている。

立札を見ると<運慶作>とある。

こんなところにあの<運慶>が作った仁王像があるのか。

そう思って驚いた。

家に帰って、<運慶>の事を調べてみた。

1148(又は1151)年生まれ。

1224年に逝去。

彼が生きた時代は日本の激動期であった。

藤原氏による摂政関白の時代は終わり、白河上皇により院政が始まる。

その下で武士が台頭する。

彼が20代を迎えた頃、京都では平清盛が武士として最初の太政大臣となった。

そして源平の合戦。

源頼朝が関東の武士を中心にした鎌倉幕府を開いた。

頼朝死後、実権は北条氏に移り、執権政治が始まった。

1203年、運慶は50代である。

運慶はその年に、父の弟子、快慶とともに東大寺南大門金剛力士(仁王)像をつくった。

これを見る人は、その仁王像の中に何を見るのだろう。

わたしはそれを<武士の時代の息吹>であると思う。

貴族の時代の終わりである。

日本の歴史を見ると、国の大変革はほとんどいつも外国の圧力によってなされている。

例えば、<大化の改新>や<壬申の乱>は、中国の大国、<唐>の外圧を背景に起きている。

その結果、奈良、平安の律令体制が出来上がり、紀記万葉を生んだ貴族社会が栄えるのである。

鎌倉幕府がつぶれて、乱世が始まったのも、中国の<元(蒙古)>の外圧が背景にある。

これが戦国時代へと続く。

織田信長の日本統一の背後には鉄砲の伝来に見るように、西欧のアジア進出がある。

その後、徳川の幕藩体制を終わらせたのはアメリカの黒船の到来であった。

日本の民主化はアメリカのGHQによるものであった。

それでも、日本の歴史をよく見ると、一つの例外がある。

日本が自分で自分を変革した時代があった。

それが貴族から<武士の時代>への変革である。

武士が東国に幕府をかまえ、京都の天皇を中心とする律令体制に対して自分達の作った法律、貞永式目を持って立ち上がった時代。

<運慶>が生きたのはそういう自己変革の時代である。

基本的に<武士>は京都より東の地域の、東国の農民である。

自分たちの手で山地や荒蕪地を開拓した農民であった。

土地を貪欲な代官や盗賊から守る為に彼らは自ら武装していた。

彼らの武力に目をつけて、それを利用しようとしたのが、院政を始めた上皇たちであった。

最初に平氏を、次に源氏を取り立て、自分たちの身辺警護とか、反乱鎮圧にこき使ったのである。

貴族の下で奴隷のように、こき使われた元開拓農民の侍(さむらい)達。

彼らがその底辺から這い上がって、権力を握るまでには長い厳しい試練の時代があった。

模範も、教科書もない苦しい変革期。

産みの苦しみに満ちた時代である。

そこには時代を担っていく者の持つ厳しさと現実主義 (リアリズム)があった。

それをはっきりと示している彫像がある。

同じく<運慶>の作った木造無著立像である。Mujyakuzou_1

日本彫刻史上、最高傑作と言われている。

運慶の作った無著像を、その300年後にイタリアで作られたミケランジェロのダビデ像とDavid22 並べて見てみよう。

2007-04-22

失われた母を求めて

ある時、両毛線の駅名を何とはなく見ていた。

両毛線というのは、栃木県小山市の小山駅から群馬県、前橋市の新前橋駅までを結ぶJR東日本の鉄道路線の名前である。

ある駅名が私の目を引いた。80238hana 

<岩宿>。

あの有名な岩宿?

いつか一度行ってみたいと思っていた岩宿。

それがこんな所にあるのか。

週末、意を決して両毛線に乗って、岩宿へ向かった。

足利から桐生(きりゅう)を通って行く。

足利、山前、小俣、桐生、岩宿。

とうとう岩宿駅に着いた。

田舎の小さな駅である。

戦争が終わって間もない1949年(昭和24年)の夏の事である。

その日、一人の青年が赤城山麓を自転車で納豆の行商を終わり、笠懸村の岩宿を通りかかった。

青年の名前は<相沢忠洋(あいざわただひろ)>。

彼の趣味は石器や土器などの収集である。

彼はいつものように岩宿の切りとおしの赤土の崖を熱心に調べていた。

そしてとうとう、その赤土の層の中にうずもれた黒曜石の石器を見つけたのである。

Sekkiiwajyuku_3 赤土の層には土器は見つからなかった。

<縄文時代>。

これは誰でも良く知っている。

日本列島の各地で縄目の模様がある土器が発見され、その土器が使われた時代を<縄文時代>と言っているのである。

日本列島はもともとは、大陸とは地続きであった。

今からおよそ1万2千年前に大陸から切り離される。

日本列島の誕生である。

それと同時に縄文土器の時代が始る。

それは紀元前3世紀までの1万年間続いた。

では縄文時代以前の土器のない時代 (無土器時代、先土器時代) には日本列島に人間はいたのだろうか。

縄文時代以前は別名、<氷河時代(更新世)>といわれている。

氷に覆われる<氷期>と、氷が解ける<間氷期>が相互に繰り返された時期である。

またこの時期には、富士山などが激しく噴火して火山灰が関東地方一帯に降り注ぎ、それが堆積して<赤土>の厚い層を作った。

縄文土器の一番古いものは、いつもこの赤土の一番上の層で発見された。

その下の赤土の中には土器も遺跡もない。

つまり<日本列島には縄文以前には人のいた痕跡はない>。

これが当時の考古学の常識であった。

だから考古学者にとって、土器のない赤土層を調べるなど馬鹿げた事だったのである。

結果としてその常識が覆される事はなかった。

相沢青年が発見した石器は長年の考古学の常識を破壊する爆弾のような効果を発揮した。

<日本の旧石器>誕生の瞬間である。

常識の壁が打ち破られた後は早かった。

今では日本の各地において5000箇所もの旧石器遺跡が発見されているのである。

いつの時代も、一度定着した学会の常識を覆すのは至難のわざである。

そしてそれを打ち破る人は、その道のプロではなく、強い情熱をもって問題に取り組む素人(アマチュア)であった点に注目したい。

80237green_4 相沢青年の岩宿旧石器発見はあるドイツ人を思い起こさせる。

ギリシャ神話に出てくる伝説の都市トロイアが実在することを発掘によって証明したハインリッヒ・シュリーマン(1822-1890)である。

彼は相沢青年と同じ貧しい境遇からスタート。

どちらも少時より雑貨商のもとで働いた。

少年の頃の夢を忘れずに持ち続け、世間の常識に屈しなかった。

常人を逸した独学学習の努力の末に最後には、自分の夢を実現した。

それに2人とも自伝を書き残している。

シュリーマンの自伝は<古代への情熱-シュリーマン自伝>として角川文庫から出ている。

相沢忠洋の場合は<岩宿の発見-幻の旧石器を求めて>という自伝が講談社文庫の中にある。

わたしは<岩宿の発見-幻の旧石器を求めて>を読んでこころを打たれた。

最後に彼は書いている。

<私の歩みはいつも、
どこかに遺されたはずの祖先の
一家団らんの場を求めている>。

彼は離散した家庭に育った自分の孤独を、祖先の一家団らんの場を捜し求める事で癒してきたのである。

暖炉を囲んでいる父母と子供の一家団らんの姿。

それを彼は時間を越えた悠久な古代の人間の営みの中に見出そうとして来たのである。

注 :  相沢 忠洋(あいざわ ただひろ) (1926- 1989)

2007-01-14

橋のある風景

わたしは橋のある風景が好きである。

何故だろう。
Ashikaga7  
考えてみると何故か良く分からない。

でもそのこころの奥にある心理を探っていくうちに、次のような事に気がついた。

<橋>には夢があるのだ。

橋は元来、2つの領域、2つの世界を結ぶものである。

橋によって、人、物が相互に動く。

それにつれて物の考え方などの<文化>も交わるのである。

交叉が刺激を生み、新たな展開が生まれる。



久しぶりに旅をした。

栃木県の足利市。

町の真ん中を貫いて流れる清流。

渡良瀬川(わたらせがわ)。

その上にかかる渡良瀬橋と中橋をゆっくりと歩いた。

冬の風は冷たいが快晴のすがすがしい週末日和である。

豊かな水量をもって流れる水を上からじっと眺めた。

美しい川、まわりをぐるりと囲んでいる山々。

流れる雲。

日本は本当に美しい。

すばらしい国であるとつくづく思った。



ますます多くの外国の人々がこの日本の美しさを発見するだろう。

町を歩いても数人の外国人に出会った。

日本の美しさの再発見。

それはもう時間の問題である。

2006年の外国人の日本への入国者数は810万7684人。

前年比、8.8%増。

昨年よりおよそ66万人も増えている。

過去最高である。

当然である。



やさしい、豊かな自然にまもられた日本。

そこを一歩出ると、もう全くちがう世界が展開する。

ヨーロッパと比較すると、一番違うのは<太陽>である。

太陽の光線の強さが全く違う。

日本の太陽は強く、明るい。

ヨーロッパの太陽はそれに比べて弱々しい。

感覚的には日本の40%位である。

日照時間も日本に比べて大変短い。

ヨーロッパの人々はその暗い太陽に耐え続けてきた。

それ故にあの頑丈・堅固な石の建物を必要としたのである。

室内を暖かく快適に作る。

家屋と自然は厳しく対立している。

城のような家屋なしには彼らは生活する事は出来ないのである。

かれらはその堅固な室内であの堅固で合理的なヨーロッパの思想を作り上げたのである。

その象徴が一神教である。

一方、日本では住んでいるところはあまり立派ではない。

建物自体が周囲の自然に溶け込んでしまっている。Ashikagagakkou

外には明るい太陽があるから、それでも精神的に耐えられるのである。

日本はその豊かな自然をもって、多神教的な文化を代表している。



もう一つの大きな違い。

それは<水>である。

ヨーロッパの水はいわゆる硬水。

石灰質で普通そのままでは飲めない。

日本の水は軟水。

周囲の緑豊かな山々から流れ出る水が平野を潤している。

水は清らかで、そのままでも飲む事が出来る。



中橋の上から渡良瀬川のせせらぎの音を聞きながら、わたしは周囲の山々をじっと眺めていた。

2006-12-21

九州の意味

いつも思っていた。

日本の南の島をなぜ<九州>と言うのだろう。

大辞林という辞書で調べてみた。Kyuushuu2

そうすると、意外な事が書いてある。

*

<きゅうしゅう〔キウシウ〕【九州】

中国、夏(か)王朝の始祖

禹(う)が中国全土を

九つの地域に分けたもの。

<書経>禹貢によれば、

(えん)・冀(き)・

青(せい)・徐(じよ)・予(よ)・

荊(けい)・揚(よう)・雍(よう)・梁(りよう)>。

*

九州というのは、9つの国があるということではない。

九州とは、古代中国では、天子が直接治めるところを意味していた。

そこに天子がいた地という意味。

<中心>なのである。

九とは中国では最高の数字。

最高というのは天子の事である。

*

つまり<九州>という言葉は、Kagamiwithgoldhirabaruoubo2

今の言葉でいえば<全土>という意味なのだ。

この名前こそ、日本の最初の本格的な国が、

やはり<九州地方>にあった証拠なのだ。

当時<倭国>とよばれていた国は、

<大和地方>ではなく日本の南の島、

九州にあったのである。

*

(えん)は

En2_1

*

*

実は、この事は日本の歴史をさかのぼれば、自然に理解できる事なのである。

日本の都は、いつも<西>から、<東>へと移動して来た。

最初に九州。

次に奈良、京都。

それから鎌倉時代には鎌倉へ移動。

その後に江戸(東京)へ移っていった。

*

更に決定的な点がある。

大和朝廷自身によって作られた歴史書、<日本書紀>も(<古事記>においても)、日本の国が東へ移動したという点においては、それを認めているのである。

神武東征(じんむとうせい)の物語である。

*

神武東征自体が語っているものに目を向けてみよう。

これは、つまり、九州にあった

ある勢力が大和に移ってきて

大和朝廷を築いたという事を

伝えようとしたと見る事ができる。

その由来を神話的に

述べたものなのである。

*

2006-12-18

さざれ石の伝説

ドーハ・アジア大会が終わった。

あとは2008年の北京オリンピックを待つだけである。

オリンピック大会で日本勢が優勝した時、演奏される歌。

Menou2_1 それが日本の国歌、<君が世>である。

その中の一節。

いつもひっかかる箇所がある。

<さざれ- いしの.......>の一節である。

*

<さざれいし>。

そんな言葉は知らない。

何の事だろう ?

そう思って調べてみた。

*

さざれいし。

細石とも書く。

Sazareishi1_1 学名は<石灰質角礫岩(せっかいしつかくれきがん)>。

石灰岩は雨水に溶ける。

それが乳液状になり、大小さまざまな石を巻き込んで、集結。

そして、長い時間をかけて固まり、大きな岩になったもの。

それが<さざれ石>なのである。

*

さざれ石はおめでたい石であるとされている。

しかし、おめでたいと言われるからには、そのきっかけがあったのではないだろうか。

その<起源>(ルーツ)はどこにあるのだろう。

日本の一番古い<宮廷>は九州にあった。

だから<さざれ石>も九州に起源があるに違いない。

そう思って調べてみた。

*

Itokoku2 そしてそれがあったのである。

魏志倭人伝に出てくる一大卒のいる<伊都の国>。

その中心部分。

2つの川にはさまれた平野の真ん中。

川原川と端梅寺川にはさまれた平野の中央に<三雲>(みくも)という部落がある。

福岡県、前原市三雲。

三雲の南側に森がある。

そこにあるのが<細石神社>(さざれいしじんじゃ)。

神社のある、小字名は<鑓溝>(やりみぞ)という。

*

江戸時代の天明年間(1781-1788年)。

鑓溝という所から多数の副葬品とともに甕棺が発見されている。

銅鏡21面、巴形銅器3個、刀剣の類、鎧の板の様なものなどが出土。

出土した銅鏡はすべて中国製。

これらは弥生時代後期(約2000-1800年前)のものとされている。

豪華な副葬品から考えて伊都国王の墓であると考えられる。

*

では<細石神社>(さざれいしじんじゃ)は誰を祭っているのだろう。

祭神は<木花開耶姫>(このはなさくやひめ)と、その姉の磐長姫の二柱である。

<木花開耶姫>(このはなさくやひめ)はニニギノミコトの妃である。

つまり<木花開耶姫>は実はこの伊都の姫君だったのだろう。

*

さざれ石の由来を求めて、わたしは日本で一番古い国。

伊都の国というルーツにたどり着いた。

この国が<さざれ石>の<おめでたい伝説>の生まれた本当の故郷なのではないだろうか。

*

 

2006-12-17

蕎麦とヨーグルト

ある日突然、家内が倒れた。

その前日にレストランで食べた貝があたったみたいなのである。

Soba2 激しい嘔吐を繰り返し、歩けないし、立てない。

脱水症状が出て、頭も朦朧(もうろう)としている。

すぐ医者に来てもらい、診てもらい、薬ももらった。

お陰で、その後、彼女はゆっくりと回復した。

その回復途上の事。

まだ普通の食べ物は体がうけつけない。

しかし、麺類は食べた。

特に、わたしが気がついたのは、<かけ蕎麦(そば)>は喜んで食べた事である。

*

わたしは思った。

蕎麦(そば)は<体にやさしい>という事を。

そして蕎麦(そば)について調べてみた。

*

蕎麦が初めて文献上で確認出来るのは、1574年(天正2年)。

長野県木曽郡大桑村須原にある定勝寺の古文書である。

建物修復完成に際して書かれた寄進物一覧の中に<振舞ソハキリ 金永>という一文が確認できる。

当時は蕎麦の事を<蕎麦切り>と言っていたのである。

*

蕎麦の作り方。

まず、ソバの実を乾燥させる。

石臼(いしうす)で挽いて粉にする。

水を加えて練り上げる。

普通、これを、<ソバを打つ>と言う。

打ち粉を木の台に移す。

麺棒を使って板状に延ばしてから、まな板に移す。

小間板(駒板)と呼ばれる定規を当てながら蕎麦切り包丁で幅1-2mm程度の線状に切断。

ゆで上げて麺の完成となる。

*

蕎麦粉100%のソバを生蕎麦(きそば)という。

しかし生蕎麦はゆでた時に切れやすいので、つなぎとして小麦粉やSoba3_1 山芋、ふのりなどを混ぜることが多い。

もっとも普通の食べ方は、冷やしたソバをつゆにつけながら食べる<盛りそば>と<ざるそば>。

または、軽くゆがいたそばを丼(どんぶり)に盛り、温かいつゆをいれた<かけそば(すそば)>である。

*

蕎麦は食べるときに音を立てることが許されている.

というよりむしろ<ソバの香り>を味わうためには<音を立てて食べる>のが一番良いとされている。

空気と一緒にすすりこみ、鼻孔から抜くようにして食べる。

ワインを味わうときのあの独特の仕草に通じるものがある。

ちなみにヨーロッパでは、レストランなど食べ物を食べる時に、<音を立てて食べる>のはタブーとされている。

時々、日本人の人が、ヨーロッパのレストランでスプーンでスープを音を立てて飲んでいるのを見かける。

あれは、その地では、実は<タブー>なのである。

子供たちは、それぞれの家庭で、<スープを音を立てず食べる>ようにしつけられて育つ。

やり方はスープをスプーンでまずすくう。

そのスプーンを口の中まで<深く入れる>。

そのあと口を閉じる。

スプーンを抜く。

こうすれば、音がしない。

それからヨーロッパでは一般的に皿とか器類はテーブルの上から取り上げる事はしない。

日本人は<味噌汁>をすするときに、器ごと手に取って口に当てる。

このような仕草はヨーロッパのマナーにはない。

食事のマナーに善悪はない。

その地の<シキタリ>があるだけなのである。

*

上記のように<蕎麦>は日本の伝統的な食べ物。

それも現地で作られる最高の<健康食品>といえるのではないだろうか。

蕎麦は体にやさしいのである。

*

体にやさしいと言えば、思い出す事がある。

スウェーデンを旅した時の事である。

ある朝のホテルでの朝食の場面。

朝食のビュフェーがあった。

いろいろな食べ物が、テーブルに一杯並んでいる。

よく見ていると、ほとんどの人がある場所に並んで待っている。

何を取っているのだろう。

それが<ヨーグルト>であった。

しかも大きな丸い入れ物に入っている。

それを各人がスプーンで深底の皿に入れている。

わたしも早速、並んでヨーグルトを試してみた。

日本ではイチゴなどの味付きのヨーグルトが多い。

しかしスウェーデンの人が主として食べるのは真っ白の<自然ヨーグルト>なのである。

その上に、コーンフレークなどをパラパラとかけて食べている。

わたしもそれを食べてみた。

砂糖なしで、そのまま食べる。

そうすると、草の香りが口一杯に広がって、あたかも広い草原の中にいるような爽快さを味わった。

わたしはその味にビックリした。

初めての味だったからである。

それ以来、ヨーグルトがヤミツキになり、今でも自然ヨーグルトをほとんど毎日食べている。

少しだけ砂糖をかけて......。

*

体にやさしい<蕎麦>やヨーグルトに感謝。

合掌。

*

2006-12-16

お金の秘密

わたしはいま一冊の本を読んでいる。

タイトルは<お金の心配をせずに
暮らしたい人のマネー管理帳>。

原題は<THE MONEY MYSTIQUE>(お金の秘密)。Okane2

カレン・シェリダン(Karen Sheridan)著。

彼女は普通の家庭の主婦であった。

ある時に目覚めて、お金の勉強を始めた。

そしてウォール街で活躍する金融のプロへと転身したのである。

*

わたしの過ごしてきた過去を振り返ってみよう。

やっと大学を出た。

そして会社に就職。

結婚。

子供が出来た。

馬車ウマのように毎日、懸命に働いた。

そして子供たちは巣立っていった。

気がつくと定年である。

その間、家庭とサイフと子供の教育は家内にまかせきり。

税金は会社で処理。

お金を節約して銀行に貯金するだけ。

ゼロ金利下ではお金は増えない。

更にわたしには、いろいろと<お金>について口にするのは<何かハシタナイ>という変な倫理観が付きまとっている。

そういうわけで、わたしは、<お金>を管理するノウハウがほとんどないままに、ズルズルと、ここまで来てしまった。

だから退職金が出ても、それをチャンと管理運用する事が出来ない。

挙句の果てに、詐欺まがいの人につけこまれたりする人もいる。

そして、ウマイ話に乗って、なけなしのお金をだまし取られてしまう。

今の世の中には、そういう人も結構多いのである。

*

それでも、わたしは、ノウハウを得るために勉強しようと決意。

金融、運用関連の本を探して読んだ。

でもイザ読んでみると難解な用語と持ちまわった説明でチンプンカンプン。

つまり、わたしの欲求。

<分りやすい言葉で、

ズバリその物を説明してくれる本>。

そういう本はほとんどないのである。

探し求めて行きついたのが、この本である。

<お金の心配をせずに暮らしたい人のマネー管理帳>はわたしの欲求にピッタリである。

*

女性向けに書かれたというこの本。

しかし良く見ると、書かれている内容は女性にも男性にも通用する普遍的なものである。

非常にやさしい言葉で明快に書かれている。

だから、誰でも、読めばスーっと理解できる。

大変すぐれた本である。

*

一般的に、この種のアメリカのノウハウの本は分りやすい。

なぜなのだろう。

それはアメリカという国には<歴史>がないからである。

アメリカが誕生したのは、実質的にはアメリカ合衆国憲法が制定された1789年のことである。

つまりアメリカはたかだか200年あまりの歴史しかないわけである。

それに加えて、アメリカは基本的に世界中の多くの国から海を越えてやって来た移民が作り上げた国である。

さまざまな国から来た移民の人たちに理解出来る最大公約数的な言葉。

シンプルで明快な言葉。

それがアメリカで出版される書籍には使われているのだ。

<米語>はいわゆるイギリスで使われている<英語>ではない。

微妙な意味やニュアンスをもって使われている<英語>(イギリス語)とはハッキリと区別されなくてはならない。

良く言えば米語は<シンプル、明快、実践的>。

英語は悪く言えば<ヨーロッパの長い歴史のひだひだを感じさせる微妙で複雑で難しい言葉>なのである。

特にこの性格が強く出てくるのは、いわゆる<ノウハウ物>である。

ここで取り上げる<THE MONEY MYSTIQUE>(お金の秘密、お金の心配をせずに暮らしたい人のマネー管理帳)もその系列に入る。

*

では本の中の一節。

<銀行預金がたくさんあれば

安心だと思っていませんか?

そう思っているとしたら、

それは間違いです。

安心感は、自分自身に対する

信頼から生まれるものです>。

*

 

2006-12-15

女性の反乱

世界の地下深く、秘密の地下水脈が流れている。

<女性>である。Merkel3_3   

今まで男の下で、料理や子育てにひっそりと生活して来た<女性たち>が反乱の火の手をあげているのだ。

今、<女性>がどんどん社会のあらゆる分野に進出している。

政治の分野でも、女性がトップに立とうとする<きざし>が見える。

*

イギリスで最初の女性首相が生まれたのは1979年。

当時、イギリス病で苦しんでいた英国経済を強い意志と行動で蘇生させたのは、<鉄の女>(Iron Lady)とよばれたサッチャー首相(マーガレット・ヒルダ・サッチャー(Baroness Margaret Hilda Thatcher))であった。

彼女の名言を1つ。

<もし誰かに言ってほしい事があれば、

男に頼みなさい。

でもやってほしい事があるときは

女に頼みなさい>。

*

ヨーロッパで、このサッチャーのあげた火の手に続いたのはドイツ。

ドイツでは2005年、旧東ドイツ出身のメルケルという女性がドイツ史上最初の連邦首相に就任した。

アンゲラ・メルケル(Angela Dorothea Merkel)。

ライプツィヒ大学で学んだ物理学博士である。

英国のサッチャーも同じく保守系で、科学者。

(サッチャーはオックスフォード大学で化学を学んだ)。

*

そして今、革命のふるさと、フランスでも。

今年の11月26日に開かれたフランス社会党臨時党大会で、大統領候補として、女性が選出された。

マダム、マリー・セゴレーヌ・ロワイヤル。

52才。

ENA(フランス国立行政学院)に学んだあと行政裁判所判事として活躍。

その後に政界に入った。

もし彼女が2007年のフランス大統領選に勝てば、ヨーロッパの中心国、英独仏において、1つのタブーが破られる事になる。

女性が政治のトップに座るというタブーである。

*

ヨーロッパだけではない。

太平洋を隔てた対岸のアメリカでも火の手が上がっている。

もとアメリカ大統領クリントンの奥さんとして<最強のファーストレディー>よばれていたヒラリー・クリントンが次期大統領をねらっているのである。

ヒラリー・ローダム・クリントン(Hillary Rodham Clinton)。

アメリカ初、弁護士のファーストレディー。

現在は民主党のニューヨーク州選出上院議員である。

*

このように、欧米では今、女性が反乱を起こしている。

では日本ではどうなのだろう。

中国の後漢の歴史書、<後漢書東夷伝>に次のようにある。

<桓霊間倭國大亂

更相攻伐歴年無主>。

桓帝・霊帝の治世の間(146-189年)。

倭国は大いに乱れた(倭国大乱)。

互いに攻め合い、何年も王がいない状態が続いていた。

そんな中、一人の女子が現れた。

名前を<卑弥呼>(ひみこ)と言う。

年長で、鬼道を用いてよく衆を惑わしていた。

*

今、世界を見ると、正に<世界大乱>である。

という事は世界は、二世紀末に生きた卑弥呼の時代を体験しているのではないだろうか。

最後にサッチャーの言葉を1つ。

<核兵器の無い世界ではなく、

戦争の無い世界を目指すべきなのです>。

*

 

2006-12-12

日本語の挑戦

<米事務受託大手アフィリエイテッド・コンピューター・サービシズのマーク・キング最高経営責任者(CEO)とウォーレン・エドワーズ最高財務責任者(CFO)は11月26日、ストックオプションに絡む不正疑惑で辞任した。>Japan5

これは12月12日の読売オンラインの経済欄の記事の一節である。

*

インターネットで新聞を読んでいる人はたくさんいると思う。

以上の日本語をもう一度、よく見てほしい。

記事をパッと見る。

まず一番初めに目に飛び込んでくる文字は<漢字>である。

漢字は象形文字、表意文字なので、ひとかたまりになっている。

<米事務受託大手、最高経営責任者、

最高財務責任者、絡、不正疑惑、辞任。>

このように、日本語は、漢字の塊(かたまり)だけを目で追いかけてみても、大体の文意がつかめるようになっている。

何故だろう。

それは日本で最初に文字として使われた言葉は<漢字>であったという事を意味しているのである。

最初の文字は日本では、もともとは全部<漢字>だったのである。

*

759年頃に成立したとされる日本最古の歌集<万葉集>。

万葉集は万葉仮名で書かれている。

万葉仮名というのは形としては漢字。

しかしその内容は日本語である。

例えば山上憶良が中国の唐という国に行った時に作った歌。

<万葉仮名文>

去來子等 早日本邊 

大伴乃 御津乃濱松 

待戀奴良武

(いざ子ども 早く日本へ 

大伴の 御津(みつ)の浜松 

待ち恋ひぬらむ(卷1-63))。

つまり漢字の意味(訓)と漢字の読み(音)を組み合わせて日本語を表記したものなのである。

<古事記>も<日本書紀>も同じ書きかたである。

ただ<古事記>は<呉音(呉というのは南方にあった中国の国の名前)>が使われている。

<日本書紀>の方は<漢音>が使われている。

*

のちに、この万葉仮名の草書体から<平仮名(ひらがな)>が作られる。

<仮名(かな)>というのは<表音文字>という意味である。

例えば<あいうえお>は<安以宇衣於>を早く崩して書く形から出来た。

<ひらがな>は純粋に日本語の<おと>(名)を表す<表音文字>である。

では、いつ頃、<平仮名(ひらがな)>が出来上がったのだろう。

それは大体、900年頃であると考えられている。

いまから1100年前に日本語のひらがなが漢字から生まれたという事。

*

カタカナはどこから来たのだろう。

それは次の例を見ると分る。

阿 → ア(阿の左側部分)
伊 → イ(伊の左側部分)
宇 → ウ(宇の上の部分)
江 → エ(江の右側部分)
於 → オ(於の左側部分)

つまりカタカナも漢字がもとになっているのだ。

ただ漢字の一部を切り取って使っているのである。

だからカタカナを漢字では、<片仮名(かたかな)>と書く。

つまり半端な形の<表音文字>。

出来たのは800年頃。

今から1200年前である。

カタカナは最初の読売オンラインの文章でも分るとおり、主に外国から来た外来語を表記するのに使われている。

<アフィリエイテッド・コンピューター

・サービシズ、マーク・キング、

ウォーレン・エドワーズ、

ストックオプション>。

カタカナだけを読んでも、なかなかピンと来ない。

*

次に日本語で使われているのは数字とアルファベットである。

数字は1234......。

アルファベットはABCDE.......。Nimainohappa2

特に近頃では、上記の読売オンラインの文章のごとく、<CEO>とか<CFO>等の外国語の原語が直接、日本語の中に組み入れられている例が増えている。

*

わずか数行の新聞の文章を基点にして、日本語に関しての考えをまとめてみると、次のような点があげられる。

● 古代日本語、日本祖語(倭人語)は、
   北九州および南朝鮮の人々
   の言語が、中国の長江流域の
   文化と言語との衝撃をうけて
   成立したとみられる。
      それは今から2300年頃である。
      倭人語を話していた人たちは、
      もちろん1万年にも及ぶ縄文人の
      伝統を継承した。
   (縄文時代以来の日本のこころ)。

● 日本語の表記には漢字、ひらがな、
   カタカナ、数字、アルファベット
   という5種類の文字の
   混合物を使う。

● 日本の文字はもともとは漢字。
   そこからひらがなとカタカナを
   自分で工夫して作り上げた。

● 日本語は今では、西欧のアルファベットも
   その中に組み入れつつある。

*

以上の事から、未来の日本の文化を作り上げる理想的な主体者の姿がおぼろげながら、予想できる。Ichimainohappa1

その主体者はまず、日本の<縄文以来の日本のこころ>を理解できなくてはならない。

更に、現在の日本語から出発して、漢字の文化を継承する事である。

漢文の素養がある事。

漢詩とか漢文の書籍を読む事が出来る。

出来れば現代の中国の文化も良く分る。

次に西欧の文化もカバーしている。

という事は欧米の言葉をマスターしている。

日本語のキャパというのは、こうやって見ると巨大なものがある。

日本の文化を1つの木に例えてみよう。

その木は、縄文以来の日本のこころに深く根を張っている。

もう1つの根は中国をはじめとするアジアに。

もう1つの根は欧米全体にわたって伸び、栄養を吸収している。

地上に出た全体の木の姿が日本の文化である。

これが日本語の姿。

*

日本語を見れば見るほど、そのキャパの大きさに驚くしかない。

入れ物の大きさ。

これは日本人に対する大きな<挑戦>である。

その器に未来の日本人は、どんな内容物を入れる事が出来るだろうか。

*

 

2006-12-09

エチオピアの女

わたしには忘れられない画像がある。

ある日テレビを見ていた。 Kashiopeaza2_2

エチオピアのどこかの村の風景が放映されている。

緑豊かな村である。

その村のはずれの川に向かって水をくみに行く黒い素肌の女。

その美しさ。

言い表しようのない美しさ。

アッという間に画像は消えた。

しかしその映像はまぶたに焼き付いて今も消えない。

*

その時に思った。

なるほど。

だからこんなにいろいろ、美女にまつわる伝説がエチオピアにあるのだ........と。

*

その第1番目。

<カシオペア>(Cassiopeia)。

Hokkyokusei5 北極星を探すときに見るW型の星座の名前。

実はこれはギリシア神話で語られている<古代エチオピアの女王>の名前なのである。

その物語は次のようなものである。

*

むかしむかしエチオピアに、カシオペアという女王様がいました。

王様の名前はケフェウス。

娘の名前はアンドロメダ。

カシオペアは美しい女でした。

自分でも、世界中に、自分より美しい女はいないと思っていました。

ある日、その自信がこうじて、つい、次のような言葉をはいてしまったのでした。

<わたしや娘のアンドロメダの美しさと

比べたら、エーゲ海のニンフ(妖精)たちの

美貌も、あせて見えるに決まってるわ>。

エーゲ海の妖精たちはこれを聞いて腹を立て、海神のポセイドンに泣きつきました。

ポセイドンもそれに怒って、青い海に大きな津波を起こし、国の田畑をメチャメチャに破壊してしまいました。

困ったケフェウス王とカシオペア女王は神殿に行き、祈ります。

そこに神託が下る。

<王女アンドロメダを海岸

に連れて行き、生け贄として

<化け物鯨>(これが後にくじら座になる)

に捧げなさい。>。

苦悩する王と女王。

でも神託には逆らえません。

海岸に縛り付けられた王女アンドロメダ。

そこを通りがかったのが、ペルセウスという勇者。

天馬ぺガススに乗って、アンドロメダを助け、鯨の怪物を退治する。

*Ethiopiamap5

エチオピアの美女伝説のその第2番目。

旧約聖書の中にある古代ユダヤの歴史書、列王記。

その中に<シバの女王>(Queen of Sheba)の物語がある。

ある時、今からおよそ2800年前の事。

エルサレムの知恵者として知られたソロモン王のもとに、遠方のシバ国から大勢の随員を伴った女王がやって来た。

そしてシバの女王はソロモン王に金、宝石、乳香、白檀などのを贈り物を捧げた。

<シバの国の女王マケダ>の美貌にソロモン王は一目ぼれ。

ソロモン王とマケダの間に生まれた子は、その後、エチオピア国の始祖・メネリク1世となった。

*

このような話をみてくると、エチオピアの女は美しいという伝説はエジプトやギリシャ世界では3000年も前から定説になっているようなのである。

その歴史的な伝統の上に、イタリアの作曲家ヴェルディのオペラ<アイーダ>の話が作られたのである。

古代エチオピアの<王女アイーダ>の物語。

エジプトのファラオのもとに奴隷女として囚われの身となっているエチオピアの王女アイーダ。

その彼女にひそかに思いを寄せるエジプトの若き将軍ラダメス。

アイーダもラダメスに心をときめかす。

奴隷女と将軍の恋。

そこに恋敵(こいがたき)が現れる。

エジプトの王女アムネリスもラダメスを慕(した)っていたのである...........。

*

ではこれらのエチオピア美女伝説はなぜ生まれたのだろう。

その理由は何なのだろう。

恐らくその背景として考えられるのは次の点である。

古代シリアも、エジプトも、ギリシャも、南方の国、エチオピアに産する<金>に対して強い関心を持っていたハズである。

つまり本当の美女とは<金塊>というわけである。

しかし、もしそうだとしたら、

わたしがあの日に見た

エチオピアの美女は

何者だったのだろう。

*

少子化について

日本の総人口はグラフを見ると、

2005年あたりが分水嶺。Jinnkouyosoku3

2005年、日本の人口は戦後初めて下降に転じた。

日本は今、少子化の真っ最中である。

どんどん人口が減って、2100年には、日本の総人口は3500万人になるといわれている。

*

なぜ日本の人口は減っているのだろう。

それに対して増田俊男さんがメルマガにおもしろい事を書いている。("少子化を簡単に改善できるチャンスが目の前にある!それは北朝鮮の核!?")。

<そもそも人間を含めて動物は

なぜ子供を生むのか。それは生物の

<生存本能>のためである。

つまり<少子化は人間(生物)本能の問題>

である。........先進国アメリカの人口が

最近3億人に達した。移民効果もあるが、

実際アメリカ人の出生率は上がっている。

...........生命に対するリスクが種の

生き残りのためより多くの生命を生む

のである。.........強盗・殺人・家庭内暴力は

アメリカ社会の日常茶飯事。

さらに9.11のようにアメリカ人の生命は

世界のテロリストの標的!先進国で

アメリカほど生命の危機に晒されている

国はないのである。

だから先進国でアメリカのみ、

人口が増加しているのである。

いまや少子化は安全で

幸せな国家の象徴である。

ところで、少子化が安全で

幸せな国家の象徴なら

なぜ不幸な国家を目指すのか。

幸せな小人口国家のビジョンが

あってもいいのでは>。

*

これはおもしろい見方である。

この見方を少し延長してみよう。

● 生命の危険、不自由、互助が強化される、家族のつながりが密接=>多産。

● 安全な国家、自由、独立、家族のつながりが希薄化、バラバラでも生活出来る=>少子化。

もう少し延長してみよう。

● 安全な社会、自由、独立、
  個人が強くなる。家族のつながりが
  バラバラになる。=>文明化=>少子化。

● 危険な社会、不自由、互助的な社会、
   家族のつながりが強くなる。
   =>非文明化=>多産。

だれもが普通に、ピストルをバッグに入れて持ち歩いている国が本当に文明国なのだろうか。

ほとんどの人はそうは思わないのではないだろうか。

*

とすると増田俊男さんの結論が正しい事になる。

<少子化が安全で幸せな国家の象徴なら

なぜ不幸な国家を目指すのか。

幸せな小人口国家の

ビジョンがあってもいいのでは>。

*

落ち着いた、個人が最高に花開く社会を目指すなら、

少子化と、コンパクトな社会は

良い事なのではないだろうか。

こども2人の家庭。

これがコンパクト・ファミリーである。

それとも、あなたはコンパクトな家庭より、大家族が良いと考えるのだろうか。

*

 

2006-12-08

しおりの作り方

色々な本を平行して読む人がいる。

そういう人はどんな<しおり>を使っているのだろうか。

Tsuta3 本を読んでいて、一番困るのは、自分でどこまでよんだのかを忘れてしまった場合である。

わたしは一時、読み終わった場所のページを折り曲げて<しおり>の代わりにしていた時期があった。

しかしこれを続けると、文庫版などは、本が最後には変な形になってしまう。

だからページを折り曲げるのは止めた。

*

Pin3_1 次に使ったのは写真にあるようなピンである。

しかしこれは使いにくい。

ピンを止めているところがふくらんで見栄えが良くない。

それに問題はピンをいつもどこかに置き忘れてしまうのである。

*

次にわたしが試みたのは、青い美しいヒモである。

贈答品を包装するきれいなヒモをデパートで見つけた。

ひと巻き、10メートル。Aoihimo10meter

これを適当な長さに切って、片面がノリになっているステッカーを半分に切って、写真にあるように青いヒモをノリの側につける。

それを本の最後のページにくっつける。

自作<しおり>の完成である。

これは大変実用的である。

本もいたまないし、見栄えも良い。

だいいち、本に固定されているので、置き忘れる事がないのが良い。Jiskushiori2

*

こうしてわたしは濫読用の<しおり>を得たのである。

*

 

 

2006-12-03

8世紀以前

わたしの知人、ドイツから来たマウスさんは大の親日家。

煎茶(せんちゃ)が大好きで、日本全国のいろいろなお茶をとりよせては自宅で味わっているというチョッと変わった趣味の持ち主である。Sekiba2

そのマウスさんとある日、喫茶店で会った。

<日本の歴史を見ると、

 8世紀以前は文字も

 文化もほとんどなく

 日本は野蛮な国だったのですね>。

恐らく彼は日本最古の歴史書<日本書紀>が720年に出来た事。

日本最古の歌集<万葉集>が759年に出来たという事を何かの本で読んで、わたしにこう問いかけたのである。

わたしは彼から、一種の<挑戦>を受けたのである。

*

わたしは言った。

<そうではありません。

マウスさん。

日本では、およそ10000年前から

縄文をつけた土器を中心とした

成熟した狩猟採取・畑作文明が

紀元前3世紀にいたるまで

8000年間も続いています。

*

その後の紀元前3世紀から

AD3世紀までの

およそ500年間は

弥生時代と言われています。

この時代は大陸や朝鮮から

米作りとか青銅や鉄が導入され

日本に広まった時代です。

*

しかし残念ながら、3世紀から8世紀までの

時代に関しては謎が多く、神話として

伝えられているのでハッキリした事が

分らないのです。

*

例えば<文字>。

日本では漢字が

日本書紀や万葉集が出来る

8世紀以前にも大いに使われていたのは

間違いないのです。

漢字で書かれた多くの書物がそれ以前に

あったハズなのです。

しかしそれは現存していません。

恐らく誰かが意識的にこれらの漢文書籍を

隠滅したのでしょう。

*

もう1つの例。

<仏教の伝来>。

これは公式には538年とも

552年ともいわれています。

しかしアジアの中国と朝鮮の歴史を良く見ると

それはありえない事が分ります。

アジア史全体から仏教の日本伝来の時期を

計算すると、380-420年頃になります。

この頃に当時<倭>といわれていた、

恐らく九州にあった国に仏教が

Sekijinn3 伝来しているのは、ほぼ間違いないでしょう。

しかしここでも日本書紀以前の書物が

隠滅されているのでハッキリとした証拠

が残っていないのです>。

*

マウスさんは、わたしの言う事を聞いてうなずいていた。

<そうだったのですか。

実はわたし達の国の場合、ゲルマン人が歴史に登場するのは、ローマ人のシーザーが紀元前58年-51年に書いた<ガリア戦記全8巻>が最初なのですよ。

これは8年間にわたるガリア遠征についてシーザー自身が書いたものです。

つまりローマ人がラテン語で書いた書物にゲルマン人が最初に登場するのです。

もう1つ、ゲルマン人について書かれた有名な書物があります。

タキトスというローマ人がAD97年頃書いた<ゲルマニア>という本です。

ゲルマニアがローマにとって大きな脅威である事を説いた本です。

彼が予言したように西ローマは476年にゲルマン人に滅ぼされています。

でも、ゲルマン人は腕っぷしは強かったのですが、文化的には非常に遅れていたんですね。

実を言うと、ドイツ最古の文献は、8世紀頃(750-780年)に書かれたアブロガンス(Abrogans)と呼ばれる、ラテン語とドイツ語の対訳表なんですよ。

一種の辞書ですね。

日本では、同じ頃に、日本人自身が自分で、自分達の言葉で、自分の歴史とか歌集を書物として残しているのですからすばらしい。

わたしは正直言ってビックリしているわけです>。

*

わたしはホッとした。

これで現時点での、

<日本の国の本当の姿>を

彼に伝える事ができたからである。

*

 

2006-12-02

ラマダン

家に帰ってきた。

だれもいない。

彼女はどこに行ったのだろう。 Irogami1

腹がへってたまらない。

冷蔵庫を開けてみる。

冷蔵庫の奥に<塩鮭>の食べ残りを見つけた。

急いでちっぽけな塩鮭を御飯に乗せてお茶漬けを作ってかきこむ。

そのおいしさ。

腹にしみる。

フゥと一息ついた。

*

これに似た体験をされた方もあるのではないだろうか。

空腹は最高のコックなのである。

腹が減って食べる物は何でも本当においしい。

<なにごとの

  おわしますかは

  しらねども

  かたじけなさに

  なみだこぼるる>

という西行法師の歌を

思い出すほどの感激である。

*

でもフト思う。

わたしは誰に感謝しているのだろう。

突然、知人のモハメッドの顔が浮ぶ。

モロッコ出身のモハメッド。

<断食>(ラマダン)だからとみんなが昼食に行く中でポツンと事務所に残っていた彼の姿が忘れられない。

*

<ラマダン>。

ラマダンとは一体何なのだろう。

断食?

断食に何の意味があるのだろう。

<ラマダン>というのは

イスラム太陰暦の<9月>の意味。

9月は神がクルアーン(コーラン)を示した月とされている。

それを記念して、13億人ともいわれる世界中のイスラム教徒は、ラマダンの、ひと月の間、断食をする。

具体的には、朝の日の出の時間の約1時間半くらい前から、夕方の礼拝の後まで、飲食(喫煙)をしない。

クルアーン(コーラン)には次のように書かれている。

<信仰する者よ、

 なんじらの以前の者に定めたように、

 なんじらに斎戒(断食)が定められた。

 おそらくはなんじらは

 主を畏(おそ)れるであろう。>

 (クルアーン第二章 雌牛 台一八三章)

*

ラマダンの断食には次のような意味があるといわれている。

● 欲望に無制限に従うより、
   それを自制する事を学ぶ。
● 同じく断食行をやっている
   10億人以上の人間に思いをはせる。
● 神に対する畏敬の念を高める。

イスラム教徒の間では、ラマダンが出来て初めて一人前として認められる。

*

ラマダンやイスラム教はさておき、

上記の断食から何か学べる事があるのではないだろうか。

*

わたしは次のような不思議な体験をした。

<夜出来るだけ早く寝る。

そうすると、あら不思議。

アラーム時計をかけて寝ても

あれだけ、朝時間通りに

起きれなかった自分が、

アラームなしに、

パッと4時に起きれるようになった。>

つまり体内時計の活性化である。

人工的に強制的に目を覚ます必要が一切なくなった。

そのお陰で、体が非常に楽になったのである。

*

これに似た断食の効果がある。

習慣として今までやって来た事を見直す。

出された物は全部食べるという癖を止める。

<自分が本当に、

  食べたい時に食べる。

 もう少し食べたいなと思う時に

 食べるのを止める>。

わたしの言う断食はこれである。

食べたくないのに食べる。

この場合は食べ物のおいしさを殺してしまう。

無理をして腹いっぱい食べる。

それは健康に良くない。

満腹の一歩手前で止める。

人間の体が本来持っている体内のリズム。

それに合わせて食べる。

*

黒マグロの値段が上がっている。

マグロを捕りすぎているのである。

世界中の人が寿司屋さんでマグロを食べ過ぎているのである。

マグロは捕獲されすぎている。

本来の人間の体の持っているリズムに戻る事で、マグロも生き残っていけるのではないだろうか。

チョッとした断食。

それはすばらしい。

*

 

2006-11-29

ほほえみの文化

ヨーロッパ旅行から日本に帰ってくる。

日本に着くとホッとする。

Hohoemi2_1 なぜだろう。

良く考えてみると、女の人の<ほほえみ>が関係している事に気がついた。

英国でもドイツでも、女の人は普通、笑わないのである。

アジア、特に日本に帰ってきて、ホッとするのは、日本の女性のほほえみを見た時なのである。

これで、ああ日本に帰ってきたと思う。

*

では何故、ヨーロッパでは女の人は笑わないのだろう。

もう一度思い出してみるとヨーロッパでは、女の人だけではなく、男の人も通常あまり笑わない。

笑いにも<文化>が関係しているのだ。

*

日本には江戸時代には士農工商という4つの身分があった。

一番上は武器(刀)を持っている武士(士)。

次は土地に固定された農業を営む、お百姓さん達(農)。

この2つが江戸時代のベースを形成した。

武士は給料として、米をもらった。

2万石とかいうのは、米の量を表している。

*

他の職人さん(工)とか、商人(商)はそれ以下の身分であった。

つまり日本は土地を基本にした農業重視の体制を長い間、採用してきたのである。

その為に土地を耕していない階級は、軽視されてきた。

そして、日本の都市は、城下町として、政治の中心の<城>のまわりに作られた。

日本の都市の主人公はいつも<武士>(武器を持った支配階級)であった。

*

それにもかかわらず日本には幾つかの商業都市が生まれた。

安土桃山時代(あづちももやまじだい、1573-1603)の<堺>などはその例である。

キリスト教の布教のために来日していたイエズス会の宣教師ガスパル・ヴィレラは、その著書<耶蘇会士日本通信>の中で次のように書いている。

<堺の町は甚だ広大にして

 大なる商人多数あり。

 この町はベニス市の如く

 執政官によりて治めらる>。

つまり当時の堺の町は、ヨーロッパで富強を誇っていたベニスと同じく、職人、商人の治める自治都市だったのである。もちろん自分達の町を守るために堺は武装していた。

残念な事に発展途上の堺の町は織田信長、豊臣秀吉らにつぶされた。

自由な自治都市の機能は解体されてしまったのである。

一言で言えば、日本ではこれが分水嶺になって、自分の町は自分で守るという、都市の市民は生まれなかったのである。

*

一方、ヨーロッパでは職人と商人が次々に都市を作り、支配階級から自治権を獲得して、自分達の手で自由に都市を運営していったのである。

都市の中心には厳重に守られた大きな<武器庫>があった。

緊急事態の時にはみんなその武器庫から武器を取って敵に向かったのである。

そして彼らは武器と富と外交を使って、支配階級から自分達の町を断固として守りぬいた。

これがヨーロッパと日本を微妙に分けている点である。

*

では何故、自治都市の発展と<笑い、ほほえみの文化>が関係があるのだろう。

商人というのは<利益とか計算>を中心に生きている。

しかし計算をし始めると、疑い深くなるのだ。

もっとアケスケに言うと商人の世界は<だましの世界>なのだ。

だまし、だまされる。

これが基本的なスタイルである。

だから、それを避けようとして<約束や契約や裁判>が発展するのである。

常にだまされる事を避ける。

それが成功への基本なのである。

普通の言葉では<損をしない>という事である。

これは<緊張>を強いられる生き方である。

だからヨーロッパの人は、理由がない限り、決して笑わないようになったのである。

<ほほえみながら、笑いながら近づいてくる>危険(リスク)。

それに対して本能的に身構えるのである。

*

もう1つの点は、ヨーロッパではキリスト教が生活のベースになっている。

そのキリスト教では、人間の本性は<悪>であると教えている。

だから罪を悔い改め、神の教えに従う必要があるとしているのである。

従って、他の人間に対しては、すぐには信用しない。

だから見ず知らずの人に対しては笑わないのである。

*

一方日本では、この反対である。

日本では商人や職人がトップではなかった。

だから他人に対しての<疑い、不信、緊張>を強いられなかったのである。

それに日本では神道も仏教も人間の本性は<善>であると教えている。

みそぎをして心も体も清浄になれば、そして修行して悟れば、<本来の善い本性>があらわれる。

これが日本教の教えである。

どんな人間ももともとは善人であるという確信。

こうして、日本では見ず知らずの人に対しても、初めからあけ広げにほほえむという文化が出来上がったのである。

*

ヨーロッパの町を歩いていると、時々、同じく日本から来た人々に出会う。

それは遠くからでもすぐに分る。

日本から来た人達は

いつも楽しそうに

ほほえんで、お互いに

笑いあっているからである。

*

しかし次のような諺(ことわざ)がある。

<郷にいれば郷に従え>。

だからヨーロッパ人と歓談する時は

特に笑う理由のない限り、

なるべく笑わないようにした方が良いのかもしれない。

*

 

2006-11-27

ロシアのルーツ

ロシアは広大な国である。

それだけに、つかみどころがない。Stnicolaipetersburg

広大すぎて、何が何かわからない。

ここではロシアの最古の町はどこか。

それをヒントとして

ロシアのルーツを見てみよう。

*

バルト海に面して、かつてのロシア帝国の首都、

サンクトペテルブルクがある。

Novgorod2 日本で言えば、さしずめ<大阪>(難波なにわ)であろう。

その南方に小さい湖がある。

イリメニ湖。

そこから流れ出る川がある。

ヴォルコフ川。

川に沿って1つの町がある。

<ノヴゴロド>(Novgorod)。

<ノヴゴロド>の意味は<新しい街>。

ロシア最古の都市。

人口はおよそ29万人。

ここは日本で言えば、奈良であろう。

ちなみに奈良の人口は約37万人。

*

サンクトペテルブルクの東にかなり大きい湖がある。

ラドガ湖。

ここから船でヴォルコフ川をさかのぼると、イリメニ湖に達する。

9世紀なかば、北方のスウェーデンにルス族というヴァイキングがいた。

首長の名前はリューリク。

彼はイリメニ湖一帯に住んでいたスラブ人を征服してノヴゴロドを中心にロシア最古の国家を作り上げた。

それが862年。

日本はそのころ、平安時代。

894年に日本は遣唐使を派遣するのをやめ、日本独自の国風文化を作り上げる。

そして<竹取物語>が出来る。

同時に藤原氏の専横も目立ってきた頃である。

*

当時のヨーロッパ世界の中心は東ローマ帝国である。

国教はギリシャ正教。Kiev5_1

首都はコンスタンティノープル。

いまのトルコの首都、イスタンブールである。

当然、ルス族は最大の市場コンスタンティノープルをめざして南下する。

Kiev3 リューリクの子、イーゴリの時代。

黒海に通じるドニエプル川の流域に進出。

ルス族のオレーグは882年、<キエフ大公国>を建設した。

黒海は日本で言えば<琵琶湖>。

<キエフ>の町が京都である。

(キエフは現在のウクライナの首都)。

*

地図をみるとわかる。

北から南のコンスタンティノープルをめざして進出するルス族。

彼らがその途上に作ったのが<ノヴゴロド公国>と<キエフ大公国>なのである。

*

では質問。

ロシアの現在の首都<モスクワ>は

日本で言えばどの町に当たるでしょう。

*

答えは<東京>。

*

 

 

2006-11-25

川の流れのように

どの分野にも一人の象徴的な人物がいる。

その人について語る事。

それはある種の忌避。Aoishikaku

*

なぜなら、その人について語る事は

同時に自分について語る事になる。

そういう人物がいる。

その人物への評価は

かえって鏡のように

評価しているその人自身を

映し出してしまうのである。

*

日本の歌謡曲の世界では

そういう人物の一人が<美空ひばり>である。

<昭和時代>を象徴する歌手。

彼女が歌った歌を歌う。

それはある種の冒険である。

というのはそれによって

自分の本当の姿が映し出されるからである。

美空ひばりが1988年(昭和63年)、その人生の最後に歌ったのが

次の歌である。

*

<川の流れのように>

知らず知らず 歩いてきた

細く長い この道

振り返れば 遥か遠く

故郷(ふるさと)が見える

でこぼこ道や 曲がりくねった道

地図さえない それもまた人生

ああ 川の流れのように ゆるやかに

いくつも 時代は過ぎて

ああ 川の流れのように とめどなく

空が黄昏(たそがれ)に 染まるだけ

*

生きることは 旅すること

終わりのない この道

愛する人 そばに連れて

夢 探しながら

雨に降られて ぬかるんだ道でも

いつかは また 晴れる日が来るから

ああ 川の流れのように おだやかに

この身を まかせていたい

ああ 川の流れのように 移り行く

季節 雪どけを待ちながら

*

ああ 川の流れのように おだやかに

この身を まかせていたい

ああ 川の流れのように いつまでも

青いせせらぎを 聞きながら

( 秋元康作詞・見岳章作曲 )

日本人のこころの風景を歌った歌

といえるのではないだろうか。

*

1989年1月11日に出たシングル盤は累計150万枚の大ヒット。

そして美空ひばりは、その同じ年の6月24日に亡くなったのである。

享年52才。

*

 

2006-11-24

隠された世界

ニュースをみるとバカになる10の理由>というタイトルの本がある。

ジョン サマービル  C.John Sommerville著。

衝撃的な題名である。Hana1124

その目次を見てみよう。

● ニュースに出ていることは
   すべて現実だと思い込む 
● 毎日新しいことが起きていると
   信じ込む 
● ニュースをみれば事情通に
   なれると思い込む 
● 国家はニュースにあわせて
   運営されていると考える 
● 政治ショーを政治だと
   思い込む 
● ニュースで報じられたことが
   歴史だと信じる 
● 科学がつねに新発見を
   していると信じる 
● 世の中を数字だけで
   判断できると考える 
● ニュースをみれば道徳的に
   なれると信じる 
● ニュースを知的文化であると
   思い込む 
● ニュース中毒を治すために
   何が必要か

一言で言えば、この本が述べているのは以下の点である。

<情報社会ではわたし達は

 実は本当の世界から

 目をそらされる危険にさらされている。>

*

実を言うとわたしも一時、ニュース中毒の患者であった。

それも重症患者である。

新聞とか有名な雑誌を、とにかくたくさん買って読む。

それをよんでいる自分を何か偉い事のように錯覚していた。

そして、活字になっている物事をすぐに信じてしまうのである。

*

ところが転機が訪れた。

新聞とか雑誌を読む時間と金がなくなったのである。

どんな人間も一生に一度は<必死に戦う時>が来る。

わたしにも、その時がやって来た。

そして、毎日必死の戦いが続いた。

わたしは新聞も雑誌も読むのをやめた。

ゼロである。

そうすると全く新しい世界が目の前に広がってきた。

*

例えば会社の税理士が事務所に来た。

<いま経済は順調ですよ。

 GDPは....%の成長。

 企業は最高利益を更新中ですよ。

 御存知ないのですか。>

とバカにしたような顔で言う。

わたしは内心、思った。

このような幼児のようなメディアへの信頼。

そのような時代もわたしにはあった。

でもそれはもう終わったのだ。

なにか懐かしい遠いむかしの古き良き時代を思い出していた。

*

誰にでも1つや2つの秘密がある。

人間だけではない。

物事も同じなのである。

だから世間では<・・・の謎>とかいう題名の本が売れるのだ。

真実は何時も幾重にも折れ曲がっている。

2回、3回と折れ曲がっている。

それを正面の玄関の側から見ても

その奥行きは見えない。

つまり全体がつかめないのである。

*

1つの例をあげてみよう。

Rann1124 ギリシャのソクラテス。

ギリシャ哲学の巨匠と見られている。

しかし本当のソクラテスの姿は?

少年愛 (しょうねんあい,ドイツ語 Knabenliebe,英語 Pederasty,ギリシャ語 Παιδεραστια) の達人であった。

少年愛というのは、成人男性と思春期前後の少年のあいだの恋愛関係、性的関係である。

ソクラテスは<しびれエイ>という綽名(あだな)を持っていた。

どんな美少年もソクラテスの手にかかると口説き落とされたからである。

彼が、当時の美青年の代表とも言えたアルキビアデスをくどき落とした言葉(殺し文句)。

<人々は、君の肉体の美しさを賛美する。だがぼくは、君の外見の美しさではなく、君のたましい、つまり君自身の本質を愛しているのだ>。

もう1つの例。

同じくギリシャの哲人、プラトン。

この人は実は今の言葉で言えば<レスリングの選手>であった。

10代の頃、イストミア祭の格闘技大会では2度優勝している。

そこでオリンピック大会(オリンピアの祭典)にも出場した。

しかしここでは負け続けた。

つまりプラトンは青白い哲学者ではなかった。

屈強な体の丈夫な堂々たる体格を誇っていたのだ。

*

つまりわたし達が、いま考える風景とは全く違った世界がギリシャ哲学の周囲に広がっていたのである。

ソクラテスとかプラトンが本当に考えていた事は、現在広く流布されている抽象的な哲学とは、全く違うのである。

*

現代のメディアも、大学教授の講義も信じられないとすると。

何を手がかりにすれば良いのだろう。

わたしはそれは自分のいのちに響いてくるものであると思う。

もしわたしというものが世界それ自体から生まれたとすると

世界の全体の種がわたしの中にあるはずである。

その種に響いてくる音。

それに耳をすませる。

こころが動く。

こころが揺さぶられる。

その一瞬を大切にする事だと思う。

物事とか人間を知る道はこれしかないと思う。

それが基本である。

その基本から新聞とか雑誌を批判的に読む。

つまりそれらは仮の言葉であるという事を知りつつ読む。

裏から読む。

これが重要なのである。

*

1つの例。

新聞に美談が載っている。

わたしは美談の裏に悲劇も見たいと思う。

その反対も同じである。

なぜか。

それはわたし達の人生はどんな人も1点においては同じなのである。

良き事の裏には悪い事がある。

悪い事の裏には良い事があるのだ。

*

 

 

2006-11-20

耳をすましてごらん

耳をすましてごらん

轟音(ごうおん)とともに

刷られていくお札。

吹き上がる石油のしぶき。Orora2

倒れていくアマゾンの木。

*

ルソンのモンスーン。

三線の沖縄。

かすかに聞こえる清流の音。

母がつけるキムチ。

京劇の甲高い叫び。

*

耳をすましてごらん

疾駆する馬。

しょうしょうと吹く砂嵐。

コールセンターのキーボード。

町に響くアザーン。

嘆きの壁の祈り。

けたたましい象の声。

*

演説するプーチン。

ワインを試飲する紳士。

若い2人のささやき。

サンピエトロ広場の雑踏。

ピストンの音が響く

自動車工場。

*

耳をすましてごらん

満ち潮。

オーロラのゆらぎ。

*

 

2006-11-19

中東とインド

ユーラシア大陸の東と西に時を同じくして

秦・漢帝国とローマ帝国が生まれた。

それは紀元前3世紀のはじめである。Aoimosuku2

そして、その2つの帝国をつないだのが草原の道(ステップ・ロード)を馬に乗って疾駆する騎馬民族である事は先に述べた。

*

では砂漠地帯に点在するオアシスを貫いて走る<絹の道>(シルク・ロード)を抑えたのは誰だろう。

それは基本的には砂漠の民。

ソグド人とか、シリア人、イラン人などである。

砂漠の民の住む乾燥地帯は、一般に<中東>とよばれている。

ヨーロッパから東方に行く中間点。

だから<中東>である。

*

そのオアシスにも騎馬民族はいた。

しかし騎馬民族とオアシスの民は共生していたのである。

騎馬民族はその機動力と武力で貿易路の安全を図る。

オアシスの民は商売に励むというような協力関係が成立していた。

*

ここで一番重要な事は次の点である。

なぜ、中東と言われている地域に世界で一番古い文明が栄えたのか。

都市文明も、農耕文明も、文字も、金属精錬技術もメソポタミア、シリア、アナトリア等の中東地域で最初に生まれているのである。

それは中東の位置と関係している。

この地方は太古の昔から東西の市場を結んだ交易に従事してきた。

北方のロシア地方からインドに向かう商品の通り道でもある。

その為に<貿易・商売・交易>が栄えたのである。

東西南北に行き来する民族によって、新しい知識とか技術が運ばれ、この地方に拡散して交じり合った。

つまり知識や、ノウハウがこの地方に最初に集積・蓄積された。

もう1つの要素は金(かね)である。

利益の大きさである。

農業と交易の粗利益を比べてみよう。

秦・漢帝国もローマ帝国も基本は農業を主とする農業帝国であった。

交易や商売の粗利益は農業に比べて、ダントツに大きいのである。

その莫大な利益が集積・蓄積されたのが中東地方であった。

人、物、金、情報が中東に集積されて、最初の古代都市文明の花が開いたのである。

中東からみると東西南北には物と市場があった。

イスラム教を起こし、中東地域をまとめたマホメットの職業は<商人>である。

*

では中東という交易路の南にあるインドはどういう地域なのだろう。

インドは上記の中国やヨーロッパの市場から、遠く離れている。

中東の大交易路からも離れている。

世界の尾根、ヒマラヤ山脈が高い壁のようにインドの北方に聳え立って北からの接触を遮断しているからである。India1_1 

インドに侵入するには、アフガニスタンとパキスタンの国境にあるカイバル峠を越えなくてはならない。

むかしアレクサンダー大王も、カイバル峠を越えてインダス川地域に侵入した。

蒙古軍もカイバル峠を越えてインドになだれ込んだのである。

インドはそういう地理的な条件から見ると、同じように孤立しているエジプトに似ている。

エジプトは周囲を厚い砂漠地帯で囲まれた安全な地域であった。

その中央に豊かな水量を誇るナイル川が流れている。

エジプトに侵入するにはシリア地方の狭い海岸路を伝って来るしかない。

長い間、豊かで平和だったエジプト。

そのエジプトで原始キリスト教は育てられた。

*

エジプトと同じようにインドは長い間、<孤立した地域>であったと言えるであろう。

インダス川とガンジス川の肥沃で広大な平野に恵まれたインド。

そこにはゆっくりとした時間が流れていた。

そういう風土でこそ、あの深遠な仏教は生まれる事ができたのである。

*

 

記憶減退症に勝つ

突然それはやって来た。

顧客の会社名や、個人名、電話番号などが思い出せないのだ。

今まではスイスイと出来たのに.........。Sky3

それが度重なり、幾度かビジネスにも影響が出た。

ミスが重なった。

そこで考えた。

なぜこんなにミスが多くなったのだろう。

そしてハッと気がついた。

脳の記憶が消えうせているのだ。

脳の細胞が次々に死滅しているのだ。

*

わたしはある種のパニックにおちいってしまった。

どうして良いのか分らなかったからである。

でもいろいろと考えた末の結論は以下のようなものであった。

<私の脳の中で戦いが

 行われている。

 古い記憶の消失と、

 新しい記憶の誕生という

 2つの力が戦っている。

 脳の細胞が死滅するスピードと

 新しい脳の細胞の生成のスピード。

 そのどちらが早いかの競争だ。

 早急に脳の活性化が必要だ。>

*

そこでわたしは考えた。

どうすればこの戦いに勝てるか。

● 毎日の読書量を今の3倍以上に増やす。
● 毎日、日記を書く。
  その書く量を出来るだけ増やす。
● エクセルの教材を毎日1ページ以上やる。
● 毎日、自宅から会社までの距離を歩く。

*

はじめの読書量を3倍以上にするという点。

わたしが始めたのは、小さい携帯用の皮製のバッグを買った。

何時も肩にかけて持ち歩けるくらいのサイズである。

その中に常時、本を3冊以上入れておく。

常にこのバッグは身から離さない。

ミーティングの時も、昼食の時もそれを持ち歩く。

そしてチョッとでも空き時間が生じたらそれらの本を選んで取り出して読む。

トイレの中でもこれを実行した。

寝る前に必ず本を出来るだけ読む。

いつの間にか寝ているようにした。

つまりわたしの脳の中に大量の日本語がいつも入力され、流れるようにしたのである。

*

次にやったのは出力サイド。

今度は日本語で出力するという点。

脳を活性化する場合、受身で読むだけでは弱い。

自分で積極的に日本語を使わなくてはならない。

出力のために活用したのは<日記>である。

わたしの場合には、線なしの、白地の大学ノートとノート型のコンピューターの2つで日記を書いた。その時の気分でノートかコンピューターかを選び日記を書いた。

そこにおよそ考えられるだけのメモ、文章、フローチャートを書き込んだ。

量は多ければ多いほど良い。

通常の3倍の量をめざす。

時には白地のノートにスケッチもした。

それから新聞の切り抜きもノートの上に貼り付けた。

読書したあとの感想もそこに書き付けた。

*

次にやったのはエクセルの練習である。

これは記憶力減退症に対しては

腹痛の時の正露丸みたいな効果がある。

特にビジネスをやっている人には抜群の効果がある。

現代を生き抜くには<合理性>が欠かせない。

合理性とはつまりすべての事を数字で考える癖の事である。

しかし言うは易く、実践は難い。

それをやるには<道具>が必要。

エクセルがその<道具>なのだ。

やり方は1つ。

エクセルの教材を買ってきて、それを毎日1ページ以上やる。

そこに書いてある通り、自分のコンピューターにデータを打ち込んで、結果が本当にそうなるのかを確かめる。

やった結果は名前をつけてハードディスクにSaveする。

例えば日付コードを使い、20061119-Excelの様な名前のファイルとしてSaveして行くのである。

これを毎日やる。

これは一種の遊びである。

しかし<遊び>が<道具作り>には一番適しているのだ。

肝心な点は毎日欠かずに続ける事である。

長くこれを続けているとエクセルはジワジワと生活の中で、道具としての力を発揮し始める。

例えば、電話で顧客と話している。

価格の交渉である。

こちらの側では、アッと言う間にエクセルで、すでにすべての数字が画面に出ている。

それを見ながら余裕タップリの話が出来るようになっているから不思議である。

*

最後に歩く事。

幸いわたしの場合、会社が歩いて30分のところにあった。

それを少し足早に歩いて行く事にした。

帰りも歩きである。

毎日これを続ける。

歩くというのは一番健康に良い。

運動が健康を増進するという人がいる。

しかし一歩踏み込んで、本当にそうか確かめてみると、運動を長期にわたってやってきた人には逆に身体障害に悩んでいる人が多い。

膝を痛めた人。

骨折を直したがその部分が傷むという人。

いまのスポーツは過酷である。

記録を上げる。

そこだけに集中するので、結果として体のある部分が酷使されすぎるのである。

歩くのに記録はいらない。

どんどん歩くだけなのである。

しかも歩くと頭脳も活性化する。

福田和也という文筆家は次のように言っている。

<歩くことの、発想にかかわる効用は、

  先人たちも賞揚しています。

  西田幾多郎は早足で歩きながら、

  その哲学をまとめたといいますし、

  小林秀雄も、同様のことを言っています。>

*

3倍読書。

3倍日記。

エクセルの遊び。

歩く事。

以上の事を毎日続けた。

そして、わたしの記憶障害はいつの間にか消えていたのである。

*

 

2006-11-18

草原の道

学校で学んだ<世界史>。

いろいろな地域と国と事件と年代が交錯。

Kibayuubokuminn その間の関連がつかめない。

最後には、自分でも何が何だか分らなくなる。

テストのために覚えたさまざまな民族名。

世界史とはいうものの、

ハッキリとした、

1つの全体のイメージが描けないのだ。

*

学校で学んだ時から何十年もの年月が過ぎた。

では今の時点ではどうなのか。

今は、世界の歴史の全体像が描けるのか。

*

それをやる為の1つのヒントがある。

秦が中国を統一したのが紀元前221年。

ローマがイタリア半島を統一して、

カルタゴを滅ぼし地中海地域を

制覇したのが紀元前202年。

つまりほとんど同じ時期に

ユーラシア大陸という大きな陸のかたまりの

東と西に大きな帝国が生まれているのだ。

言葉を変えて言えば、

巨大な人口を持つ消費市場が

ユーラシア大陸の東端と西端に

ほとんど同じ時期に開かれたのである。

そしてその2つの巨大市場を結んだのがSougennnomichi

<絹の道(シルク・ロード)>、

そして<草原の道(ステップ・ロード)>なのである。

*

上に述べた事をもう一度、頭に描いてみよう。

今から約2200年前、2つの大きな池が出来た。

1つの池の名前が<秦・漢帝国>。

もう1つの池の名前が<ローマ帝国>である。

その2つの池を結ぶ水路も生まれた。

2つの池を結ぶ水路には

多くの船が行きかい、

人と商品が行き来した。

その水路の名前が<絹の道、草原の道>である。

*

ギリシャのヘロドトスは<ヒストリアイ>(紀元前5世紀)の中で草原の道について書いている。Steproad3

草原の道(ステップロード)は、モンゴル高原から出て、天山山脈北側の草原を通り、黒海北岸に至る道である。

この道は大変重要である。

というのは上記のたとえ話の2つの池を行き来した<船>は、実際には<馬>なのである。

その馬に乗っていた人が<騎馬民族>。

さえぎるもののない草原は当時、最高の高速道路。

その上を走るのが、当時最高のスピードを誇る<馬>。

武器は馬の上から射る強力な弓。

これが当時、最強の武器であった。

*

岡田英弘という歴史家は<世界史の誕生>という著書の中で大要次のように述べている。

<モンゴル帝国の出現で

ヨーロッパと中国とがつながり、

それによって、世界史が始まった>。

*

この物の見方をもう少し広げてみよう。

<絹の道、草原の道>は上に見たように、秦・漢、ローマ時代から、いやヘロドトスの時代(紀元前5世紀)からあったのである。

大洋を船で航海出来るようになる以前の時代の一番の高速道路は、草原の道であった事を思い起こそう。

<スキタイ民族、フン族、突厥などのトルコ民族>などの多くの民族が草原の道を通って東西を行き来している。

1つの例として、フン族の移動がある。

フン族は、昔の中国北方にいた匈奴が草原の道を通って、西に移動したものだとも言われている。

フン族に押されて、ゲルマン民族の移動が始まった。

476年、西ローマ帝国はそのゲルマン民族に滅ぼされる。

この例でも分るように騎馬民族、草原の道は新しい世界史への突破口なのである。

*

今までのヨーロッパ中心の、捻じ曲げられた世界史はもうたくさん。

そのような偏った独りよがりの歴史はもう捨てるべき時が来ている。

今度はもうそろそろ、東西世界を統合した

新しい世界史が書かれなくてはならない。

*

 

2006-11-17

もみじ

黄色いもみじ。

Momiji1117dd*

*

*

赤いもみじ。

Momiji1117cc

日本の外交革命

戦後60年。

日本はいま大きな曲がり角に来ている。

Earth3 中でも一番の問題は日本の外交である。

これはある意味で革命的な変化を必要としている。

北朝鮮はこのほど日本に対して、次のような意味のコメントをしている。

<日本こそ6カ国協議に

出てこない方が良い。日本は

アメリカの家来でしかなく、

外交能力も低いので、会議

に出てくる意味がない>。

よくもこれだけヌケヌケと歯に衣をきせずに言ったものだ。

*

1つだけハッキリしている事がある。

今のお役所外交は、時代に合致していない。

そして総じて、日本は権謀渦巻く外交が<苦手>だという点である。

しかし苦手だからといってそれを放置する事はできない。

外交は日本の安全の為に大変重要であるからである。

外交で勝つ。

それはこれからますます重要になる。

ではどうしたら良いのか。

● 日本に<シンクタンク>を作り
   外交に役立てる。
● 自前の諜報機能
   を持つ組織を作る。

情報と権謀に長けた人を集めて上記のところに結集する。

最低限それだけはやる必要がある。

そして日本の国益と安全に一番適う方向に

周囲を動かして行く事である。

今までのように外交もアメリカに丸投げ。

これはもう出来ないのである。Iroduitakigi1

*

お隣の韓国でさえKCIA(韓国中央情報部)

という立派な諜報組織を持っている。

ドイツにはBNDという国の諜報機関がある。

*

ちょっと考えてみよう。

<功名が辻>の中で、もし、六平太という忍びの者がいなかったら........。

はたして、一豊と千代は生き延びる事ができたであろうか。

*

実をいうとアメリカでもヨーロッパでも日本の<Ninjya>は有名なのである。

欧米のマンガとかテレビに日本の忍者が出てくる。

だから<Ninjya>というだけで誰でもパッと分るのである。

日本はそういう意味ですでに今でも国際的に忍者の国として有名なのである。

*Shirakaba3

むかしから戦いに勝つやり方は1つしかない。

<敵を知り、己を知らば、

   百戦危うからず。>

*

*

 

 

2006-11-16

小さな画像展

だんだん寒くなって来た。

木々が色づき

うつくしい。Fuyu1115cc

*

*

夕日に

きらきらと

輝く

木の葉。

それを

じっと見ていると

冬眠の季節

という感じ。

Fuyu1115 *

*Littlelion1_2

子供のライオンは

いま、すやすやと

眠っている。

*

*

*
*

*

Tanabikukumo3

朝の

たなびく雲。

*

*

*

2006-11-15

歴史のない風景

わたし達は今日、多くの情報に

取り巻かれて生活をしている。

テレビの海外ニュースでは、Mado7

行った事もない砂漠の国の

出来事について報道している。

これらの映像は、実際に起きた

事件の映像なのである。

しかし何故、これらの事件が起きたのか。

その背景にある歴史。

原因、結果のつながり。

だれが、何のためにやっているのか。

それが見えない。

ただパッパッと簡単な説明とともに

映像だけが画面におどっているのだ。

そのうちにそれらの映像は

日常生活の町並みのように

当たり前になっていく。

脈絡のない画像が生活全体に広がる。

どうすれば全体の脈絡が

見えるようになるのか。

画像の背景の全体が見たい。

すりガラスを通して見た

ぼんやりした風景ではなく、鮮明な

歴史のある風景が見たい。

そう思う。

そして、ある日、

その砂漠の中に日の丸の旗が立っている。

*

2006-11-13

英国と日本

現在、日本は中国というやっかいな

隣人との付きあいにとまどっている。

Eikokunohata1 *

ちょうどイギリスが大陸の

やっかいな隣人EU(ヨーロッパ連合)

との付きあいにとまどっているように。

*

2006-11-12

動物壁画

いつかどこかで、ラスコーとかアルタミラの洞窟壁画の写真を御覧になったことがあるのではないだろうか。

フランス西南部にあるラスコー洞窟。Doubutsuchauvet1

アルタミラ洞窟はスペインの北部にある。

洞窟の天井及び壁にたくさんの壁画が描かれているのだ。

*

*

*

その数は数百点にものぼる。Doukutsumap

多くが動物の絵である。

馬、山羊(やぎ)、羊、野牛、鹿、かもしか、イノシシ、トナカイ。

その他、幾何学模様、手がた、人間の顔を描いた線描画などもある。

*

一体、これらの壁画はいつ頃に描かれたのだろうか。

ざっと15000年前。

気の遠くなるような昔である。

Doubutsuarutamira1_1旧石器時代の後期。

描いたのはクロマニョン人とよばれている。

彼らはわたし達と同じホモ・サピエンス(Homo sapiens)の仲間。

とても精巧な石器や骨器を作り、死んだ人も、ていねいに葬っている。

農耕を知らず、狩猟採取生活をしていた。

*

壁画の動物をじっと見ていると、不思議な感じにつつまれる。Doubutsuhekiga2

暗い洞窟の中で、これだけの数の絵を、天井とか壁面に顔料で描くのは、たやすい事ではなかったであろう。

なぜこれらの壁画が描かれたのだろう。

どういう目的で。

わたし達は、ここで、彼らがまだ文字を持っていなかった事を思い出さなくてはならない。

文字に代わるもの。

Doubutsuhekiga3 それが壁画だったのではないだろうか。

遠近法を駆使したその優雅な動物の絵に、鋭い知性と、あふれるような表現意欲を感じる。

では何故、動物を描いたのだろう。

*

アメリカの詩人、ホイットマンの詩<草の根>の一節。

*

<動物とともに生活できたらいいなと思う。

彼らは落ち着いていて無口だ。

長い間、立ったまま私は彼らに見とれてしまう。

彼らは、自分たちの境遇について、悩んだり、

泣きごとを言ったりはしない。

彼らには、暗闇で眠れぬ夜はなく、

罪に涙することもない。

彼らには、神への務めを討論して、

私をうんざりさせることもない。

誰も不満に思うことなく、

誰も物欲に狂ったりはしない。

誰も他のものや、

何千年も前に生きていた同族のものを

たてまつることはしない。

誰もこの地球上で

格好をつけたりするものはなく、

また不幸なものもいない>。

*

彼らは洞窟の中の空間を

<聖なる空間>に作り変えたのである。Doubutsuhekiga1_2 

それも動物の絵で。

動物は彼らを養ってきた大地であった。

それはちょうどわたし達が、里山の稲穂を見るような感じだったのかもしれない。

それを見る事は自分の生命を見る喜びだったのである。

つまり洞窟壁画は

彼らの<生命の讃歌>なのだ。

だから、壁画を見る人に

これだけの生き生きとした躍動感を

与える事が出来るのである。

*

ふと、子供の時にした<隠れ家ごっこ>を思い出す。

竹とか木の枝で作った隠れ家。

人一人入れるような、狭い空間。

それはまだ文字を使えない子供が

ホッとする聖なる空間なのだ。

そこはだれもが自由に入れない

秘密の空間なのである。

*

ラスコー洞窟の入り口の近くに星を表す点の並びが発見された。

<プレヤデス星団(すばる)>である。

それも牛の絵の肩のすぐ上の部分である。

*

太古の人々は

昼間の平原の、躍動する動物の姿と

夜の天空の、またたく星に

聖なる

つまり

永遠な、変わらぬ世界を見ていたのである。

*

2006-11-11

家族って何だろう

子供を育て終わった家庭が増えている。

子供が出て行った家。

ある種のぬけがら。

Leaf1111_1 気がつくと、それは今までとは全く違う世界だ。

ふと考える。

わたしは何故、今まで、こんなに馬車ウマみたいにして働いてきたのだろう.....。

答えは<家族のために>?

では家族はいまどこにあるのだろう。

わたし自身の生活はどこにあるのだろう。

妻と2人きりになった家庭。

わたしと妻の関係。

それは一体何だったのだろう。

疑問は疑問をよぶ。

そして次の疑問に突き当たるのである。

<いったい、家族って何だろう。>

*

アメリカの心理学カウンセラーに次の人がいる。

ウェイン・ダイアー博士。

彼は<自分のための人生>(Your Erroneous Zones)という著書で一躍有名になった人である。

ダイアー博士の略歴を調べてみた。

彼は1940年、アメリカ、ミシガン州のデトロイト市で生まれた。

しかし、彼の父親はアル中で家族を捨てた。

だからウェイン・ダイアーは孤児院とか里親の下で育てられたのである。

1958年、海軍に入隊。

1962年、海軍をやめ、デトロイト市のウェイン大学に入学。

1970年、Ed.D.(Doctor of Education)資格を得る。

Ed.Dはアメリカにおける教育系大学院で授与される職業学位である。

彼はその後、ニューヨークの聖ジョン大学で助教授として働いていた。

*

彼は1990年に<Pulling your own strings(自分のたづなをはなさない)>という本を書いている。

日本語の題名は<頭のいい人はシンプルに生きる>。

その中で大要次のように述べている。

Curtain1111 "家族というのは社会の礎石で、価値観とか生活態度を教える基本集団である。しかし、同時に敵意、不安、抑圧を感じる場でもある。......精神病院で患者と話してみるとその事が良く分る。彼らはみな、隣人、雇い主、教師、友人との問題で精神の平安を乱されて入院しているわけではない。他ならぬ家族との間に問題があったためなのである。"

*

戦後2世代、60年が過ぎた。

Happa1111_2  この間、日本の家族は大きく変わった。

● 核家族化。
● 単身赴任の増加。
● 結婚しない女性の増加。
● 夫婦の共働きの増加。
● 家庭のアウトソーシング化。
  つまり保育園、、野球、サッカー、水泳などのスポーツクラブ、学習塾の増加。
  学校にすべてを押し付けるやり方。
● 擬似家族、ペットの増加。
● 子供を作らない夫婦の増加。
● 少子化傾向。
● 年老いた親の扶養問題。高齢者看護問題。
● 児童虐待。家庭におけるイジメと虐待。

つまり今の日本の家庭はある種の大きな革命的な変化の中にあるのではないかと思う。

それは日本の<個人主義>の問題と密接なつながりがある。

日本の社会は本来、強い共同体の社会であった。

村とか家庭がその基盤だった。

お互いに助け合う、こころづかいや、思いやりに満ちた社会。

その互助的共同体の体質がいま大きく変化しているのだ。

共同体の代わりに主役として登場しているのが<個人>である。

理想的な形は<独立した個人>がお互いの責任でチームを形成する社会なのかも知れない。

契約社会とかネット社会とかは、その方向にある。

しかし日本の次の時代の家族は、本当に契約とかネットワーク型になるのだろうか。

*

あるブロッグにおもしろい記述があった。

"<自分のための人生>、ウェイン・ダイアーを

愛読書にしていて自己中心的だと妻に責められた。"

というのである。

わたしも同じような体験をした。

*

それから次のような点がわかる。

日本の女性はまだ、

ウェイン・ダイアー博士の言う

<個人の自由>を

男が求める程度には

求めていないのである。

*

この頃北海道で竜巻が起きた。

それと同じで

日本の家庭はいま

前線が交じり合う、

まだら模様。

だから、そこここに

竜巻が起きているのである。

*

2006-11-10

罪と罰

人間の歴史を見ると、1つ明らかな事がある。

国のリーダー達が、正義の旗を掲げて、

お互いに殺しあっているのである。Hata5

しかも延々と5000年間も。

*

これだけは5000年前と同じ。

普通の人が人を殺したら、

立派な法律で罰せられ、

シベリア行きか、

無期懲役、絞首刑になってしまう。

でも国と国の間、

民族と民族の間では、

殺し合いは普通。

数千人もの人を殺した

リーダーは処罰もされない。

*

人間は進歩する。

もう充分殺しあったではないか。

そろそろ、少しは利口になろう。

*

2006-11-09

熊の出没

熊が山里に出てきて、

人を襲い、

今年に入って死者5人。Kuma5

怪我をした人は140人以上

にも上っている。

原因は森と山里の間にあった

開けた農地が

過疎化によって荒れ、

森と山里の中間にあった境界線地帯が

なくなっているという点が挙げられている。

*

もう一度、境界線をはっきりさせて

人と動物が共生できる環境を

作ろう。

*

2006-11-08

冬が来た

冬がやって来た。

どうやって楽しく 、冬とつきあおうか。

Leaf_on_the_dish

*

*

*

 

2006-11-06

琵琶湖

琵琶湖。

日本の歴史の

Higannbana_1 本当のふるさとは

琵琶湖にある。

なぜか、そう思う。

アメノヒボコ(天之日矛)。

息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)。

敦賀から琵琶湖を

渡り、京都に至る。

これが古代日本の幹線道路だった。

日本の古代を

育んだ志賀のみずうみ。

琵琶湖には日本の

歴史のふるさとがある。

*

<琵琶湖周遊の歌>

我は湖(うみ)の子

放浪(さすらい)の

旅にしあればしみじみと

昇るさ霧やさざなみの

志賀の都よいざさらば

*

波のまにまに漂えば

赤い泊火(とまりび)懐(なつ)かしみ

行方(ゆくえ)定めぬ波枕

今日は今津か長浜か

*

2006-11-04

ベトナムという国

<ベトナム>。

その言葉をきくと、<ベトナム戦争>、<学園紛争>、<安保闘争>、<全共闘>等を連想する方も多いのではないだろうか。Douko8

日本の高度成長期(1955-1973年)に重なるようにして大学を中心に巻き起こった安保闘争・ベトナム反戦運動。

その最盛期の東大安田講堂占拠事件(1969年)。

*

<ベトナム>ときくと、何故かこころをゆすぶられるのである。

日本では、今また再び、ベトナムが話題にのぼるようになった。

中国の開発が一段落した現在、ベトナムの持つ種々のメリットが脚光を浴びるようになったのである。

*

ここではベトナムという国は一体どういう国なのか。

ごく基本的な点を見ていこうと思う。

ベトナムはインドシナとよばれている地域にある。

何故、インドシナか。

それはこの地域が中国とインドにはさまれ、両方の文化的な影響を受けて発展してきた地域であるからである。

中国からは漢字文化。

インドからは主としてヒンズー教やイスラム教が伝わってきたのである。

*

まずベトナム人を結び付けている伝説から始めよう。

それは<文郎(ヴァンラン)国(BC696-258)、雄王(フンヴォン)>の物語である。

これがベトナムという国のアイデンティティーを形作っている。

紅河(ホンハー)上流、ハノイの近くに雄王陵がある。Vietnammap3

雄王陵では毎春盛大な祭りがおこなわれる。

日本でいうと紀元前660年に即位した神武天皇といった感じ。

神武天皇より36年だけ早いのがおもしろい。

*

日本の縄文時代末から、弥生時代にあたる頃。

紀元前500-300年頃。

この頃、<銅鼓>とよばれている青銅の太鼓を中心とする文化がインドシナ半島やインドネシアの島々に現れる。

<ドウソン文化>である。

銅鼓の中心には太陽をかたどる放射模様がある。

まわりには人、鳥、動物。

それに船が描かれている。

銅鼓は楽器である。

しかしそれは同時に神聖な権威のシンボルでもあった。

銅鼓が打ち鳴らされ、人々は祭儀を行い村や国として団結したのである。

普段は地面の下に埋蔵されていた。

*

Doutaku7_2  日本にも青銅でできた祭器として<銅鐸>がある。

しかし銅鐸はいまもって謎につつまれている。

● 何に使われたのか。
● 何故土中に埋められたまま忘れ去られ、文献的な記録がないのか。

もしかしたら<銅鐸>は<銅鼓>と何等かの関係があるのかもしれないとも言われている。

同じ時期に出現している楽器・祭器である。

同じ青銅製である。

同じく地中に埋蔵されている。

昔は越も倭も同音であったとされる。

ベトナムは昔は南越と言われていた。

*

ベトナムの歴史を見て一番おどろくのは1000年にも及ぶ中国の支配である。

世界地図を見ても分るとおり、日本とベトナムは中国中原から同じ程度に離れている。Vietnammap2

<白村江の戦い>から<壬申の乱>の頃。

あわや日本は唐に飲み込まれるかに見えた。

しかし、日本は辛くも中国の支配を逃れる事ができた。

ベトナムの場合には、反対に中国の統一と同時に中国に制圧されているのである。

紀元前221年、秦の始皇帝は斉を滅ぼし、中国を統一した。

そして彼は死ぬ1年前、50万人の遠征軍をもって紅江デルタ地方を制圧するのである。

紀元前208年の事である。

この時から939年、ベトナムの英雄、呉権(ゴクェン)により中国の支配から脱するまで。

延々と1000年以上。

ベトナムは中国に支配され続けるのである。

中国の支配は現在のチベット等をみても分るとおり、大変過酷なものであった。

とりわけベトナムの民衆が苦しんだのは、中国から派遣されてくる悪徳官僚である。

彼らは<不正と、残酷と、貪欲の化身>以外の何者でもなかった。

人頭税、土地税、労役などの重い負担に苦しんだ。

それ以外に象牙、真珠、白檀、熱帯の果物、金銀細工などを貢物として納めさせられたのである。

更に、中国の皇帝に対して絶対の服従をもとめられ、漢字と儒教を押し付けられた。

これが1000年以上にもわたり続いたのだから、おどろくばかりである。

*

その後も3回にわたる蒙古侵攻。

フランスの植民地。

日本軍による制圧。

1945年のホーチミンによる独立宣言。

ベトナム戦争と続く。

*

蒙古はフビライの時代にベトナムを3度にわたって侵略した。

最初の侵攻は1257年。

英雄・陳興道(チャフンダオ)がこれを撃退した。

2度目の侵略は1285年。

同じくチャフンダオはゲリラ戦でこれを打ち破っている。

3度目は1286年。

今回は大船団を繰り出して陸と海から攻撃。

チャフンダオは蒙古船団をバクダン河の河口で襲い、これを殲滅した。

陸では、フォングーラオという英雄将軍の率いるベトナム軍が襲いかかった。

そして遂に蒙古陸兵も壊滅。

蒙古は日本への3度目の侵攻を予定していた。

しかし、ベトナムにおける度重なる敗戦により、日本攻撃は中止されたと言われている。

*

ベトナムの歴史は、正に<支配と反抗の歴史>である。

その中でベトナムは<勤勉さ>、<忍耐強さ>、<不屈の精神>などの多くの長所を磨いてきた。

ベトナムにも日本にも長い漢字文化の伝統がある。

そして日本が明治維新で西欧化し、更に戦後、アメリカ化したように、ベトナムは長い間フランスの影響下にあった。

つまり両国は基本的に良く似ているのである。

これが、ベトナムの人々を、わたし達が親しみ深く感じる理由なのであろう。

*

人口は8400万人。

ベトナム戦争で世界中に散った避難民やその2世が、徐々にベトナムの母国に帰還しているようである。

通貨単位はドルではなく<ドン(銅)>。

*

2006-11-03

絵日記

ある日、物置部屋の整理をしていたら、絵日記が出てきた。

そういう体験をした事はないだろうか。

絵日記を書いたのは自分。Haizara1102bb

一部分は確かに自分である。

しかし自分とは思えないところもある。

不思議な感じである。

*

学校でイジメにあっている事が書いてある。

悩んでいる自分。

近所の友だちと川遊びに行った事も書いてある。

魚突きに夢中になっている自分。

そしてそこに鉛筆で描かれた絵がついている。

幼稚な絵である。

しかし紛れもなく自分が描いた絵である。

*

ふと日記とは何だろうという疑問が湧きあがってきた。

日記。

いろいろな日記がある。

しかし共通しているのは、自分の中のもやもやとした思いを、文章を書く事によって外に形として表すという点であろう。

外から自分や世界を見ると言い変えてもいい。

見たものを固定するのが文章である。

見たものを固定するのは絵でもある。

だから絵日記は文章と絵で出来ているのである。

*

絵日記。

それはわたしの原点のような気がする。

もう一度、絵日記をつけてみようと思う。

*

 

 

2006-10-31

学校について

ある国の未来。

それを予想、予見するにはどうすれば良いのだろう。

それはその国の政治、経済、文化を分析する事である。Hana1101cc    

現在の状態を分析すれば、その中から、必ず未来の姿が形を現してくる。

つまり<今>の中にすでに<未来>があるのだ。

*

しかし政治、経済、文化を分析すると言っても、言うは安く実践は至難である。

では上記のすべてを凝縮している分野があるのではないか。

未来を凝縮した世界。

それは何だろう。

<教育>、<学校>の世界である。

*

海外を旅行した人は、町を歩いていてハテナと思う。

<これは何の建物だろう>。

実はそれが学校だったりした体験があるのではないだろうか。

もしそういう場面に出会ったら、良くその学校を観察してみよう。

<学校は緑に包まれた、町の一番良い場所に立っているか。

それとも場末か。

建物は手入れが行き届いているか。

それとも、さびしく汚れているか。

運動場はキチンと広くとってあるか。

きれいに整備されているか。

それとも申し訳程度の広さか。

子供達の顔は明るいか。

それとも暗いか。

子供の着ている服は清潔か。

それとも薄汚れているか。

先生たちは元気か。

先生たちの顔は明るいか。

それとも、疲れてボロボロの顔をしているか>。

その国の未来がだんだんと、おぼろげながら見えてくるに違いない。

*

総じて東アジアの国々の学校は新しく立派である。

しかし、これはあまり良く知られてはいないが、フランスやドイツなどのヨーロッパの学校は今、危機的な状況にある。

子供たちが教室で騒ぎ、授業ができないクラスが増えている。

先生が生徒をキチンとまとめられないのだ。

学校の立っている場所もさびしい目立たない場所にある。

運動場もほとんどが小さく貧弱。

それに建物自体が薄汚れて落書きだらけのところが多い。

一見して学校に金が落ちていない事がわかる。

特に先生の顔が疲れ果てた顔をしている。

*

日本では今、いろいろな問題が学校を舞台に起きている。

● 450校、10万人にも達している高校の必修科目の履修不足問題。
● イジメと自殺問題。
● 不登校問題。
● 受験中心の教育のあり方。

戦後60年。

学校も大きな変革の時をむかえているのだ。

未来を凝縮している世界。

学校。

*

もしかしたらこの世界そのものが、ある一種の<学校>なのではないだろうか。

わたし達はみんな、その学校の生徒なのだ。

時々イジメにもあう。

その学校に行きたくない時もあり、不登校の日もある。

日々、グローバルな<競争>にさらされて生きている。

そしてグローバルに見て、ある種の<必須科目>も履修してはいないかもしれない。

*

 

2006-10-28

専門家と悪徳専門家

世の中にはいわゆる<専門家>と言われる人々がいる。

例えば、医師、弁護士、税理士、建築士、学校の教師、外交官等。

Ichou5 最近はやりのFP (フィナンシャル・プラナー) もその内に入るかも知れない。

これらの専門家は資格を取得した人たちである。

つまり一定の領域の専門的な知識とか技能を体得した人たちなのである。

*

今から1700年も前に、中国の陳寿(ちん じゅ)という人が書いた<魏志倭人伝>。

彼はその中で日本の風俗について次のよう書いている。

<盗窃せず、諍訟少なし。

その法を犯すや、

軽き者はその妻子を没し、

重き者はその門戸および宗族を没す。>

(盗みをする人がなく、裁判沙汰も少ない。しかし一旦、法を犯せば罪は厳しく、軽い罪においては妻子を没収し、重い罪がある場合にはその家族や一族を滅ぼした)。

日本では昔から秩序があり、盗みなどの犯罪はほとんどなかったのである。

そして裁判沙汰は少なかった。

しかし、法にそむいた場合はその個人だけではなく、家族や一族までがその重い連帯責任を追求されたのである。

現在でもこの傾向は日本に残っている。

日本では裁判に訴えるよりも当事者による和解が好まれる。

しかし一旦罪を犯せば、再び社会に復帰するのは日本では大変難しい。

ある意味で社会的に抹殺されるといっても良い位である。

罪が大変重いのである。

*

アメリカでは弁護士1人あたりの国民数は1997年現在で290人。

日本では6300人。

アメリカと日本の差は22倍である。

日本の社会が未だ共同体的な体質を色濃く残していた1990年代までは専門家の出番はあまり多くはなかった。

しかし2000年をこえるあたりで1つの変化が見られる。

それは日本の社会が多様化し、同時に共同体的な体質を次第に失ってきている事と関係している。

共同体の代わりに誰が争いを治めるのか。

<法律>である。

そして<裁判>が徐々に増える。

その結果、弁護士の数もそれにつれて年々増加しているという訳なのである。

これが良いことか、悪い事か。

それは分らない。

*

しかし1つ確かな事がある。

一般的に日本人は<専門家>に弱いという事である。

言葉を変えて言えば、専門家を盲信してしまうのである。

最近のマンションの構造計算書偽装問題。

それをやったのは資格試験に合格した1級建築士。

姉歯(あねは)1級建築士が自らこう語っている。

<検査を依頼したら、(偽造)物件が通ってしまったので、その後も(依頼を)続けてしまった>。

チェックが甘い検査機関を使い続けたことを認めているのである。

一級建築士が作ったものは正しいに違いないという思い込み(盲信)が検査機関にあったようだ。

しかし、これでは検査機関が存在する意味がない。

外国のやり方や仕組みだけを輸入して、その本当の意味を消化しなかった例の1つである。

*

もう1つの例。

この頃、医者や病院のミスが増えている。

間違った医薬を投入して患者が死亡した例などである。

これに類するミスは昔から沢山あったと思われる。

しかしそれは昔はウヤムヤのまま闇に葬られた事が多かった。

しかし、今は違う。

今日では関係者の一人が携帯電話やメールで、マスコミとか当局へ内部告発。

すぐに露見してしまうのである。

ミスが多くなったと感じるのは、上記のような変化が原因なのだろう。

*

わたしはこの頃ある専門医師のところに行った。

<わたしは病気に苦しんでいる。

助けてください>と言った。

医者は専門家。

医者は、その領域の専門知識と治療技術を持っている。

彼はわたしに言った。

<手術をする必要がありますね>。

そして、いろいろな書類にサインを求める。

手術の場合には患者は麻酔をされ、医者が何をしても分らない。

言葉通り、<自分のからだを預ける>しかないのだ。

患者は弱者。

医師は神様である。

患者はその医師に絶対的に依存しているのである。

もし医者が間違いをおかした場合、患者は下手をすると<いのち>を失う。

わたしは祈るような気持ちで手術を受けた。

幸いその結果、病気は治った。

しかし理論的には、反対の結果もありえたのである。

10年以上付き合っているかかりつけの医者に一番良い医者を紹介してもらった事。

そしてその専門家の医者のところに行く前に病気についての基礎知識を身につけて行った事。

手術の内容に自分なりに注文をつけた事が結果に反映していると思う。

*

<専門家>と<普通一般の庶民>の関係。

それを医者と患者の間ほど、ハッキリと示すものは他にない。

この場合理想的な関係はどうあるべきなのだろうか。

●医者は助けを求めて<からだといのち>を預ける患者の信頼に応える責任がある。
●患者は、自分で病気に関しては自分で出来るだけの知識を得るように努力すべきである。つまり<丸投げ>は危険である。
●患者は、その医者が信頼出来る医者かを注意深くチェックするべきである。 彼の履歴。キャリア。この分野の彼の業績に対する評価。口コミ情報。噂。
●出来たら2人以上の医者に診察してもらい、その2つを客観的に距離をおいて比較検討する。
●患者は自分で得た知識で医者に質問したり、注文をつけたりするべきである。<丸投げ>は危険すぎる。

*

わたし達はこれから益々<専門家>に触れる機会が多くなる。

共同体社会が多様な専門的なセグメントに分岐していくからである。

同時にそれだけ悪徳弁護士、悪徳税理士、悪徳医師、悪徳教師、悪徳外交官、悪徳建築士、悪徳FP等にぶつかる機会も増えるという事を覚悟するべきである。

その際の付き合い方は、上記の医者の場合のやり方を応用すれば良いのである。

● その問題についての基礎知識を持つ事である。専門家に対して、正しい質問が出来る程度の知識を自分で持つ。
● すべてをそっくり全部、任せる事はしない。専門家にだまされる危険が大きいからである。専門家をチェックする検査機関やメディアに注目する。
● その専門家の信頼度をチェックする。出来れば2人以上の専門家から情報を入手する。距離をおいて客観的に情報を比較検討する。

*

つまり適当な距離をおいて、適当な信頼関係を持つ。

それがモダンで、安全で、クールな関係なのである。

*

それに、わたし達自身が、今では、みんな、ある意味で、それぞれの分野では、すでに、それなりの<専門家>ではないか。

だから自分の専門分野に無知な人が助けを求めてきた場合に、自分はそれに対してどう対応するか。

逆の立場で考えて見れば良いのだ。

人間は弱いもの。

多くの専門家は、その立場を逆に利用する事だけを考えるに違いない。

その例は毎日の新聞を見れば数多く挙げる事ができる。

しかし自分の専門分野に対して、ある程度の基礎的な知識のある人が、問題を相談に来たらどうするか。

慎重に対応するであろう。

滅多な事は言えないと思うだろう。

それに、その人は、もう一人の別の専門家にも相談しているようだ。

自分のプロとしての競争心がかきたてられる。

それでは、と自分のとっておきのサービスを心がけるであろう。

自分の名誉と名声がかかっていると思うだろう。

*

ヨーロッパでは次のようなことわざが広く一般に流布しているという。

<人を信頼し信じるのはすばらしい。

  しかしそれが本当にそうかを

  自分で確かめる事。 

  それはもっとすばらしい>。

*

2006-10-27

青い宝石

小林登志子著の<シュメール>(人類最古の文明)という本を読んでいる。

この中の文字の誕生の部分は大変すばらしい。

わたしがビックリしたのは、<文字の誕生>が<ラピスラズリ>と関係して述べられている部分である。Lapislazuli100

*

シュメール人は楔形文字で<文字の誕生>を記した叙事詩を残している。

叙事詩<エンメルカルとアラッタ市の領主>である。

ある時ウルク市の王、エンメルカルと、7つの山を越えた所にあるアラッタ市との間で、貴重な物品のやり取りがなされた。

今からおよそ5000年前の話である。

ウルクからアラッタへは<穀物>が。

アラッタからウルクへは<ラピスラズリや金銀>が送られた。

ウルクの所在は分っている。

アラッタはイランのどこかの交易都市。

*

この中で文字の誕生の部分は次のように述べられている。

<彼(エンメルカル)の言葉はかなりの量であり、その内容はあまりにも多い。使者の口は重く、それを復唱できない。・・・・・・・・・・言葉を粘土版の上に置いた。それ以前に粘土版の上に置かれた言葉はなかった。>。

つまり文字は交易上の手紙を書く必要から生まれたとシュメール人は考えていたのだ。

*

アラッタからウルクに運ばれた<ラピスラズリ(Lapis lazuli)>。

これは何だろう。

調べてみる。

驚いた。

これは日本では<瑪瑙(めのう)>とよばれている青い宝石の事である。

ラピスラズリ(Lapis lazuli)。

その名前はラテン語の石を意味するラピス(Lapis)と、アラビア語の天空・青を意味するラズリ(lazuli)に由来する。

アフガニスタン北部、ヒンドゥークシュ山中、バダクシャン地方の標高2700-3400mにある鉱山が原産地である。

*

ラピスラズリはエジプトのツタンカメン王の首飾りにも見える。

という事はアフガニスタンから、メソポタミアを経由して、延々6000キロメートルにも及ぶ交易路が、すでに今から5000年も前にあったという事なのである。

*

ラピスラズリの青をじっと見ていると不思議な感じに満たされる。

古代メソポタミアでは、ラピスラズリの石板は神の言葉が記される聖なる書板として尊ばれた。

*

シルクロードの地図にあるクチャ。

トルファンからカシュガルのルートの中間にあるクチャ。

天山南路の要衝として大いに繁栄を誇ったオアシスの街、クチャ。

そのクチャにあるキジル石窟(4-6世紀)は仏教王国亀茲国の遺跡として知られている。

キジル石窟は別名<青の石窟>ともよばれている。

石窟の天井にラピスラズリを粉末にして作った絵画の顔料で一面に天空が描かれているのである。

濃い青の中にキラリと金色が光る。

夢のような美しさ。

残念ながら写真はない。

しかしこのインドの壁画から、何となくその感じがつかめるのではないだろうか。

このキジル石窟を20世紀初頭に調査したドイツのアルベルト・フォン・ル・コックは、天井の壁画に驚き、次のように書いている。

<ベンベヌート・チェルリーニの時代に、

イタリアの画家が好んで用いた、

金の目方の2倍に値したという、

あの名高い鮮やかなウルトラマリン

を惜しげもなく使っている>。

*

ヨーロッパではルネサンス期にはラビスラズリを粉末にして作った絵画の顔料の値段は金の2倍したというのである。

わたしはすっかりラピスラズリの青色に魅せられてしまった。

*

2006-10-26

あるサラリーマンの死

<サラリーマン>という言葉から何を連想しますか。

わたしは<サラリーマンの死>という劇を連想する。

アメリカのアーサー・ミラーという劇作家が1947年に書いた劇である。 Leaf2510bb_1

原題は<Death of A Salesman>(あるセールスマンの死)。

ウィリーという外まわりセールスマンの夢と現実のギャップ。

アメリカン・ドリームの陰の部分が描かれている。

父と子の相克、争い。

崩壊していく家庭。

そしてウィリーの自殺。

わたしは思う。

これは60年後の日本のバブル崩壊後の姿そのものではないか。

*

日本の戦後のサラリーマンの生活の典型モデルは以下の通り。

● 良い学校を出て良い会社に就職。
● 結婚。
● 子供が出来る。
● マイホームを持つ。
● 子供の結婚と独立。
● 定年退職。
● 退職金でローン返済。
● 年金生活。

これが2000年頃に崩壊し始めた。

リストラの蔓延。

終身雇用の破棄。

年功の廃止。

正社員の激減。

非正社員の急増。

忍び寄る増税。

いま日本は<古いサラリーマンの典型モデル>を捨てて、<新しい典型モデル>を模索中である。

*

では一体、どういう方向に行けば良いのだろう。

これからの日本では、どういう生き方が基本になるのだろう。

Leaf2510_2   それを考えるにあたって、1つの事が重要になる。

<お金>に対する考えである。

金についてとやかく言うのはハシタナイ。

お金について細かいのは卑しい。

お金は後でついてくる。

とにかくお金を一所懸命に求めない。

お金の事を細かく考えない。

それがいさぎよい。

お金に対するある種の嫌悪である。

お金を避ける。

敬して遠ざける。

この倫理的スタイルが日本には未だに蔓延している。

しかしこれは絶対におかしい。

それに、これは危険である。

何故か。

これがある限り、個人としての独立が成り立たないのである。

個人としての独立の前提条件は<収入は支出より多い>という1点にある。

これは言うは易く実践は至難である。

それは、お金を一所懸命に求める事なしに達成する事は出来ないのである。

お金を意識的に求め、管理して、お金を大切にする事。

お金の重大さを子供の時から正しく教える必要がある。

*

変な話で恐縮であるが、わたしが商売を始めて1-2年目頃まで心に一種のわだかまりがあった事を告白しなくてはならない。

安く仕入れて、高く売る。

それは一種の詐欺ではないかと思って恥かしく感じたものである。

これを克服するのに3年位かかったのである。

ある時、アメリカの企業家の書いた一冊の本を読んだ。

感激した。

彼が言うには<粗利>、つまり買った値段と売った値段の差益の合計から自分の給料や、従業員の給料も出る。

事務所の代金も、生活費も、税金も。

全部が粗利から出るという1点を繰り返し説いていた。

粗利マイナス全費用が<純利益>である事も。

恥かしい限りであるが、そんな事もわたしは知らなかったのである。

わたしは、その本を何回も読んで、自分の金に対する間違った考えを修正する事ができた。

それ以来、商売は軌道に乗ったのである。

*

なにも金の亡者になり、金を崇拝せよとは言わない。

しかし<お金の世界>をその姿のまま詳細に知る。

それが大切だと思うのである。

わたしは今でも金利、保険、株などの金融の知識は貧弱である。

しかし毎日いろいろと勉強して、その分野の知識を広げようと努力しているところである。

*

次の時代のサラリーマンの生き方。

それは主軸が<自分のノウハウの蓄積>にあると思う。

今までは会社に依存していれば食っていく事が出来た。

しかし今からはまず自分個人のその分野におけるスキルやノウハウの蓄積に依存する事になる。

会社は一種のビジネス学校になるのである。

自分が主体。

会社は修行の場所。

このスタンスを確立すると世界はバラ色である。

なにしろ、本来ならビジネス学校には授業料を払う必要がある。

その代わりに会社では給料までくれるのである。

*

次の時代の生き方。

サラリーマンになるのは学習の為。

その分野を学び、自分でビジネスする為の修行時代と考える。

あくまでも自分のノウハウ蓄積が主役。

サラリーマンは修行時代の姿。

これが新しいサラリーマン像である。

生涯学習時代の生き方の基本がここにある。

*

自分の進歩を計る基準のアウトプットは金。

利益、収入。

数字は嘘をつかない。

今まで受けた金やビジネスに対する間違った教育とかを実際の実践の場の中で修正する。

そして、その後で独立するなら独立する。

会社に残るならノウハウを蓄積して、解雇されないプロとして残る。

あるいはより良い職場へ転職する。

自分のキャリアを主役にする生き方。

*

<サラリーマンの死>に戻る。

アーサー・ミラーの描いたアメリカのウィリーという男の悲劇。

それに対して、彼の兄のベンは成功して金持ちになった。

つまりベンの生き方の中に次の時代のヒントがあるのかもしれない。

*

動物の言葉

果たして動物は言葉を話しているのだろうか。

<バウリンガル>という犬の言葉を翻訳する機械がある。

Hana2510_1 犬の首輪に取り付けたワイアレス・マイクから、犬のなき声をその機械に転送。

リアルタイムで分析する。

● 自己表現
● 楽しい
● 悲しい
● 要求
● 威嚇
● フラストレーション

の6つの感情が分かるという。

*

クジラやイルカの鳴き声はヒーリング(いやし)の効果があると言われている。Neko333_1 

彼らはその多様な声でお互いに連絡(コミュニケーション)をとりあっているのだから、その鳴き声に意味が含まれている事は間違いないのである。

アメリカ、北アリゾナ大学コン・スロボチコフ教授(生物学)はプレーリードッグの行っているコミュニケーションについて、その研究成果を<動物行動学>(Animal Behaviour)誌のような一流の科学誌に発表している。教授はこれまでにプレーリードッグの使う<言葉>を20以上も特定したという事である。

*

Neko444 朝方、庭の木々の上で、ピーチクピーチク、としきりに鳥たちが鳴いている。

2羽か3羽いるみたいだ。

そのさえずりをベッドで聴きながら思う。

何を彼らはしゃべっているのだろう。

あんなに一生懸命に。

*

ある日窓の外を見ると、真向かいの家の窓際にネコが一匹、座っているのが見えた。

窓のシャッターが半分閉まっているところを見るとその家の人は急にどこかに出かけたのだろう。

ネコは外にいたので取り残されたのである。

いつまでも窓際にいて、時々部屋の中をのぞいたり、窓ガラスにガリガリとつめを立てて、<開けてくれーニャーン !>と叫んでいるみたいである。Neko222_1 

しばらくすると、あきらめたように、じっと窓際にすわり、そこを動かない。

<まっいいか。御主人様が帰ってくるのを待ってよーっと。>

とでも言いたげでじっと窓際にいるネコ。

*

ネコには果たして言葉はあるのだろうか。

一つ確かな事がある。

動物には<言葉>はあるかもしれない。

しかし動物には<文字>はないのだ。

<文字>を書くことができる幸せに・・・・

感謝。

*

2006-10-21

本のある風景

書籍の取次店で30年間も

仕入れに携わってきた井狩春男さん

という人がある本で次のように書いている。 Books2210aa_2   

*

<もともと、たいがいの人は

本を読まないワケ。

これは別に、批判の的にはまったく

ならないコトで、日本国民

1億2千600万人のうちの

ほとんどの人は本を読まない。

本を読まない人のほうが

フツーなのね>。

*

この文章を読んでビックリした。

というのはわたしはこの反対のイメージを持っていたからである。

どこの家に行っても、そこには本棚があった。

わたしは他の家に行くと、その人に<チョッと本棚を見せてもらって良いですか。>と断って、しきりに本棚の本を手にとって眺めまわしすのが癖なのだ。

本棚の本を見ていると、その家に住んでいる人のこころの風景が何となく伝わってくる気がするのである。

本のない部屋は私にとって何かさびしい。

*

いまから200-240万年前にアフリカに生息していた猿人の事を<ホモハビリス>とよんでいる。

<ハビリス>というのは<手先の器用な>という意味である。

器用な手先で初めての石の道具を作り出した。

そういう訳でホモハビリスは初めて石器を作った人類の祖先とされている。

では道具を使うのは人間だけなのだろうか。

いつかテレビで次のような場面を見た事がある。

猿が芋を海の水で洗っているのである。

初めはビックリしたが、良く考えて見るとなるほどと思った。

芋を海水で洗えば泥が落ち、清潔になる。Mizutama2210bb

それに塩味が付くのでよりおいしく食べられるのである。

他の猿は芋を洗っている仲間の猿の真似をして、今では多くの猿が同じやり方で芋を食べるようになっているという。

また鳥が木の実を大きな石の上に落として割り中の実を食べる場面を見た。

1度失敗しても、もう1回同じ事を繰り返す。

そうすると実は割れる。

鳥はその実をしきりに食べていた。

これにもビックリした。

他の場面では鳥が嘴(くちばし)に箸のような棒状の草をくわえ、木の穴にそれを差込み、器用に中の虫を取り出して食べる様子を見た。

人間だけが道具を使えると思っていた。

しかし、他の動物も<いろいろな道具>を使うのだという事が近年だんだんと分ってきたのだ。

*

では<本を読む>という点ではどうなのだろう。

今まで本を読んでいる猿とか鳥は見た事がない。

どなたかそういう風景を見たという方がいらっしゃったら、是非、御一報をお願い致します。

*

 

好循環 Positive spiral

時々今日は調子が良いぞ....と感じられた時はないだろうか。

こんな時には何をやっても楽しいものである。

反対に何をやってもうまく行かない。

そういう日もある。Hana2110ee

そんな時には

<今日はツイてないな。>とつぶやく。

何がわたし達の中で起きているのだろうか。

*

生きとし生けるもの。

いのちあるもの。

それは40億年という気の遠くなるような長い時間をかけて

ここまでに進化してきた。

特に人間は<体>だけではなく<こころ>の世界も持っている。

体とこころが微妙に絡み合って動いている。

それが人間なのである。

*

一人の人間のいのちがどれだけ複雑で精密か。

その一端を知るのに良い質問がある。

<一人の大人の

体の全部の血管を

継ぎ足して、

合計した長さ

を言って下さい。>

答えはザッと10万キロメートル

地球を2周してしまう長さなのである。

一人の人間の体の中に、これだけ長い血管が張り巡らされている。

その中を血液が絶え間なく動いているのである。

ちょっと想像してほしい。

地球を2周りする血管の中を血液が巡っている姿を。

ツイているとかツイていないは、この複雑ないのちのチョッとした調子で決まるのだ。

*

マイクロソフトのビルゲーツがよく言う言葉がある。

<サクセスループ、Positive spiral>である。

日本語でいうと悪循環の反対。

<好循環>の事である。

<なぜ、これだけ成功しているかと申しますと、サクセスループと呼ばれるPCの好循環(Positive spiral)が見られるからです。PCが出れば出るほど業界は拡大し、ソフトなども提供しておりますし、また、ハードなども提供しているわけでありますが、これが拡大していきます。>

つまり上に向かって伸びていく渦巻き。

周囲を巻き込んで、龍のように大きく上昇拡大していく様を<サクセスループ、Positive spiral>と言っているのだ。

*

ではこの龍のような上昇気流の最初の渦巻きとは一体何なのだろう。

わたしはそれを<自分と世界の一体感>であると思う。

世界に受け入れられているという<確信とあふれる自信と安心感>。

自分という人間を自分が好きなのである。

これを<帰属意識、アイデンティティー>と言う人もいる。

これは周囲に玉突きのように広がっていく。

それは伝染、拡大するのだ。

一人の人間のいのちの正の波動は周囲にどんどん広がっていく。

*

一方では悪循環がある。

Hana2110cc 雪崩(なだれ)のように周囲を巻き込んですべてを破壊して行く恐ろしいちから。

この雪崩(なだれ)の引き金を引く最初の一突きは何なのだろう。

それは<劣等感、自分と世界との間の違和感、疎外感>である。

<自分は世界に受け入れられていないという意識>である。

自分という人間を自分が嫌いなのである。

自己嫌悪である。

この劣等感が外界に投射されると、<他人への攻撃>になる。

自分がこうなったのは<あの人のせいだ>という訳である。

これが雪崩の一突きである。

憎悪感、破壊的衝動が核になって、負の渦巻き、悪循環という雪崩が起きるのである。

これも周囲に玉突きのように広がっていく。

それは伝染、拡大するのだ。

一人の人間のいのちの負の波動は周囲にどんどん広がっていく。

*

だれもが好循環を求めている。

ではその中に入って行くにはどうすればいいのだろうか。

自分の中には地球を2周も回る事が出来る長さの血管が詰まっている事を思い出そう。

自分が必要なものは、すべて自分の中にある。

自分の今の姿を自分でまずYESと認めよう。

自分を好きになろう。

そしてもし自分が達成したい望みがあれば、それを前進のチャンスと考えよう。

自分が世界そのものなのだ。

世界も自分の中にある。

まずこの正の渦巻きを自分の中に持つ事だ。

*

世界で一番の長寿国は日本で82才である。

二番目はイスラエル。

アラブ人との紛争が絶えない戦乱の中で生きるイスラエルの人の平均寿命が何と80才で世界で二番目なのである。

何故だろう。

それはイスラエル人の<帰属意識、アイデンティティー>がハッキリとしているからではないだろうか。

ユダヤ教とシナゴーグ(会堂)。

神への帰属。

それを通じてのユダヤ人としての民族的アイデンティティーが明確な事がその理由ではないかと思う。

*

好循環の国。日本。

常に困難を幸運に変えてきた国。

これからも日本は世界でナンバーワンの長寿国の地位を維持して行くとわたしは思う。

*

 

2006-10-20

ポルトガルの演歌・ファド

ポルトガルにも演歌がある。

それはファドとよばれている憂愁に満ちた歌である。Tyle_1   

通常レストランなどで歌われるファドはCasa do Fadoという。

ギターの伴奏で歌われる。

そういえば、いろいろな国に、その国を代表する民族歌謡がある。

*

フランスの粋なシャンソン。

イタリアの情熱的なカンツォーネ。

アメリカの荒々しいロック。

アルジェンチンのタンゴ。

ブラジルの熱気に満ちたサンバ。

それに日本の演歌。

それぞれの国のたましいが、そのまま歌に表れている。

民衆の心の歌なのである。

*

Portugal1 ファドの歴史を見ると、意外に新しい。

1850年頃。

リスボンのマリア・スヴェーラの歌で現在の国民的な歌謡の地位を得た。

ポルトガルの首都、リスボンのファドが有名である。

その他に大学のあるコインブラという町で主に学生達によって歌われるファドがある。

*

一方、日本の演歌もその起源はちょうど同じ頃である。

1874年に始まる自由民権運動の演説の席で歌われた歌。

それが演歌の始まりであるとされている。

だから演歌と言うのである。

ファドも演歌も一般の庶民の感覚や情念がたっぷりと詰め込まれている。

*

いろいろな国を訪れた人は、上記の民族歌謡に触れる。

ポルトガルの酒場でファドを聴く。

ギターの伴奏で聴くファド。

腹の中からしぼり出すような、悲しみと憂いの声。

あこがれに張り裂けるような声。

それはポルトガルの人のたましいに触れる一瞬である。

*

暗いレストランの中で。

ロウソクのほのかな光。Leaf2310

机の上には。

そう。

ポルトガルのポルトという所の銘酒。

<ポートワイン>が載っている。

*

最後に質問。

ブラジルで話されている言葉は何語?

*

 

 

定年後の生活

そろそろ団塊の世代が定年退職を迎える。

2007年は特にこれが急増する見通しである。Rann35_1

戦後60年。

1つの時代が終わったという感じである。

テレビでも定年退職後の第2の人生の過ごし方を特集したりしている。

田舎で農業を始める人。

田舎でノンビリと過ごそうと考えて引越ししたものの、都会生活が忘れられず、また都会に帰ってきた人。

陶芸の工房で数週間、器作りの手ほどきを受ける年配の人。

さまざまな定年後の生活が紹介されていた。

*

これを見ていて思った。

多くの人が定年後の生活に多くの幻想を持っていると。

世界各国の平均年齢のベスト10は右の表のようになっている。Heikinnnennrei

(WHOの2003年のデータ)。

日本はナンバーワンで82才である。

という事は平均して定年からおよそ20年間の生活が待っているのである。

20年は長い。

これはオギャーと子供が生まれてから成年に達するまでの時間である。

これだけの時間がそれぞれの定年後の人を待っているのだ。

*

定年後の生活に関しての本もいろいろ出版されている。

その中で<あと2年!サラリーマン、定年までにしておく15のこと、江坂彰著、PHP研究所>という本には次の15の項目があげられている。

1● <妻と二人生活>が基本スタイル
2● モノより思い出
3● 定年までに捨てるもの
4● あなたの住処はどこにする
5● 熱中できる趣味を最低ニつ

6● 旅は定年後の必修科目
7● 自分の健康法を持っている
8● 最後には貯金通帳をゼロに
9● 仕事以外の友人をつくろう
10● 好みの外食店を見つける

11● 物事を好きか嫌いかで決める
12● しっかりと認めよう、体の衰え
13● ゲートボールより若い友人
14● 親の世話をどうするか
15● 人生は常に起承転々で進むべし

*

Rann358 この中で 7● 自分の健康法を持っている?と 12● しっかりと認めよう、体の衰え。

これらは非常に現実的で重要な点であると思う。

しかしビックリしたのは次の項目である。

8● 最後には貯金通帳をゼロに。

どこからこのような考えが出てくるのだろうか。

というのはいつ最後が来るのか、当の本人には分らないではないか。

それに初めから貯金を取り崩して生活するようなやり方は危険すぎるのではないだろうか。

もし出来る事なら定年後も一定の収入を確保して、貯金の取り崩しは最低限に抑える。

これが精神的にも安心して生活できるやり方ではないだろうか。

*

マックス・ウェーバー(1904-1905)というドイツの学者は<プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神>で次のような事を言っている。

  西洋近代の資本主義を

  発展させた原動力は

  宗教的道徳から産み出された

  世俗的なものへの禁欲と

  生活を合理化しようとする

  意欲である。

つまり簡素な生活と、合理的な生活が近代の資本主義の源になったというのである。

*

わたしは定年後の生活の基本も簡素さと、無理のない合理的な生活にあると思う。Hana359

消費に走らない生活。

簡素さが一番の贅沢なのだ。

これがなによりも健康を増進する。

それから重要なのは合理的な生活である。

今日やった事を、次の日にも無理なく繰り返すことが出来る生活。

つまり循環できる生活。

中庸とよばれているやり方。

無理のない身の丈の生活。

合理的な生き方。

多くの定年退職者の人が幻想を捨てて、地に足をつけた安定した生活を送られる事を願いつつ。

合掌。

*

 

2006-10-16

ふるさと

ふと気がついた。

今までいつも飲んでいたコーヒー。 

それがいつの間にか緑茶になっている。Rennge7_2

肉が魚になっている。

そうやって気がついた。

年を取るという本当の意味を。

それは元々の基盤に戻っていくのだ。

その基盤は普段は見えない。

将来の計画、若い生命のエネルギーがその古い基盤の上にガッチリとした世界を作り上げているからである。

そして年月が過ぎる。

そうしてある日突然、気がつくのである。

自分のふるさとの事を。

*

福岡県朝倉郡福田村に生まれ、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄らの文人と交わった豊島与志雄(とよしま よしお、1890-1955)は<故郷>と題するエッセイで次のように書いている。

<私は、自分の生れ故郷に対して、

殆んど愛着の念を感じない。

年老いて死に瀕しても、

故郷に帰って死にたいとの念は、

今から想像した所では、

殆んど起りそうにもない。>

*

これを読んでどうもおかしいなと思った。

調べてみると、別の同じ<故郷>と題するエッセイの中で彼は書いている。

<春の晴れた日には、

紫雲英(げんげ、レンゲ草)の

咲き揃った畑中に寝ころんで、

凧(たこ)をあげながら、

彼方に連なる山の峰と、

その高さをきそった。

・・・・・・・

柿の木に登って、

熟した柿をかじった>。

やはり、彼にも望郷の時があったのだと合点がいった。

*

次の歌は誰でも知っている

ふるさとの歌。

*

<兎(うさぎ)追いし かの山

小鮒(こぶな)釣りし かの川

夢は今も めぐりて

忘れがたき 故郷(ふるさと)

*

如何(いか)に在(い)ます 父母

恙(つつが)なしや 友がき

雨に風に つけても

思い出(い)ずる 故郷

*

志(こころざし)を はたして

いつの日にか 帰らん

山は青き 故郷

水は清き 故郷>

*

わたしがいま一番したい事。

それはふるさとに帰って、

レンゲ草の一面に咲く田んぼで寝転んで

空に浮かぶ雲をボーと見ていたい。

*

2006-10-14

初恋

詩をあまり読まない人も、

島崎藤村の若菜集にある

<初恋>という詩をいつか一度はHanabira100_1

読んだ記憶があるだろう。

*

<初恋>

まだあげ初(そ)めし前髪(まえがみ)の

林檎(りんご)のもとに見えしとき

前にさしたる花櫛(はなぐし)の

花ある君と思ひけり

*

やさしく白き手をのべて

林檎をわれにあたへしは

薄紅(うすくれない)の秋の実に

人こひ初(そ)めしはじめなり

*

わがこころなきためいきの

その髪の毛にかかるとき

たのしき恋の盃(さかづき)を

君が情(なさけ)に酌(く)みしかな

*

林檎畑(りんごばたけ)の樹(こ)の下に

おのづからなる細道は

誰(た)が踏みそめしかたみぞと

問ひたまふこそこひしけれ

*

<島崎藤村 若菜集より>

Hana67

2006-10-10

生口と玉の贈り物

むかし、<猿の惑星>という映画があった。

覚えておいでの方も多いのではないだろうか。

Hana78 原題は<Planet of the apes>、1968年。

チャールトン・ヘストンが出演。

その映画の冒頭の場面。

馬に乗って武装した猿が草原や森で<人間達>を追いかけて生け捕りにするのである。

人間狩りである。

わたしはギョッと驚いた。

ショッキングな場面であった。

*

これはSF映画の場面でフィクションである。

しかし、日本でも実際にこれに似た場面が見られたのではないか。

そう考えるようになった。

日本人(当時は倭人と言われていた)が中国の史書の中で、初めてハッキリとした姿を見せるのは、<後漢書、東夷伝>である。

<安帝永初元年

倭國王帥升等

獻生口百六十人>。

(永初元年(107年)に倭国王帥升が生口(奴婢、奴隷)160人を献上した。)

これだけなら、例外として扱う事が出来るだろう。

しかし、この後も中国の史書には日本に関する記述があり、その中で<生口>(奴隷、奴婢)という言葉が何回にもわたって出てくるのである。

● 倭王、卑弥呼、239年(魏景初2)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人を献じる。

● 倭王、卑弥呼、243年(魏正始4)に魏少帝へ生口を献じる。

● 倭王、台与、248年、生口30人を魏へ献じている。

*

当時は日本は弥生時代である。

まだ日本を統一する政権は生まれていない。

九州を中心とした時代である。

青銅とか鉄などの金属と稲作が大陸から日本にもたらされた。

狩猟、漁撈、畑作を中心とし生活が終わろうとしていた。

その頃の日本の特産物。

中国への輸出品目ののナンバーワン。

それが<生口>(奴婢、奴隷)だったのである。

という事は日本人奴隷は当時中国にとって、貴重な物だったという事である。

それだけ価値が認められていたのである。

おそらく日本人奴隷は真面目で良く働くという名声を得ていたのだ。

贈物のナンバー2は翡翠(ひすい)のような<玉類>である。

*

当時の日本の状態を理解するには、古代のローマを見ると良い。

古代ローマにおいては、奴隷は常に征服戦争で調達される外国人(属州民)であった。

ローマの広場では当時、ブリタニアとよばれていたイギリスからきた若者が奴隷として売られていた。

後漢の都、洛陽や長安では倭人の奴隷が売られているのを見る事が出来たと思われるのである。

大陸から朝鮮半島を経てやって来た弥生人。

金属器と稲作の文明をもって破竹の勢いで進入して来た弥生人。

それが縄文人を駆逐して行く過程で<生口>(奴婢、奴隷)が得られたのである。

つまり駆逐する側と駆逐される側の闘争、争いがあった時代。

戦争の時代。

それが弥生時代なのである。

*

今また日本の周囲に戦争の煙が立ち始めている。

この時代の宝物は何だろう。

今度は誰が誰にどんな宝物を献上するのだろう。

*

2006-10-07

1文1画

毎日1つの文章を書き、1つの画像を作る。

<1文1画>。Books

これがわたしの目標である。

しかし、実際にこれを実行するとなると、多くの壁にぶつかる。

言うは簡単。

しかし実践は至難。

*

ある時期にはすいすいと出来る。

Akaihappa88 波に乗っているのだ。

しかし、ある時を境に突然、出来なくなる。

理由はいろいろある。

人間は環境の動物。

だから周囲で起きた事件に大きく影響を受けるのである。

ある事件が起きる。

それがわたしの集中力を奪う。

意識が混乱してかき乱される。

意識がその事件や出来事に釘付けになる。

深い無意識のレベルで意識がその事件や問題に絡みついている。

そうすると<1文1画>どころではなくなってしまうのである。

*

Tsuta77_1 一方では自分の仕事を毎日淡々とこなしていくプロがいる。

彼らはどうやって上記の障害を乗り越えているのか。

それが知りたい。

<淡々と>。

<タンタン>。

これが難しい。

*

 

2006-09-16

WikiCalcの世界

バブル後の未来。

霧がかかったように不透明だった未来。

Osakana_1 それが今、段々と見えてきた。

コンピューターの分野では、それが今、はっきりとした形で見えるようになった。

変化は<WEB2.0>といわれている分野からやって来た。

最初に爆発したのは<BLOG>と<WIKI>。

次は今盛んに騒がれている<SNS>(ソウシャル・ネットワーキング・システム)。

いま急拡大しているこの類のウェッブ・サービスに共通している点は、基本ソフトOSに全く関係ないという点である。

もう1つの点はウェッブ内だけで完結しているという点である。

つまりネットにつながる機器があればいいのだ。

ネットにつながれば、ネット上だけで仕事が完結してしまう。

結果もネット上にSaveしておく。

もう1つの特徴はHTML言語を知らなくても手軽に作れる。

だれでもそれに参加出来るのである。

今まで、インターネットのサイトの作成は、主にプロの手によってなされてきた。

それが今、大衆の手に渡ろうとしているのである。

<WEB2.0>スタイルが今後、いろいろな分野で爆発してわたし達の生活を変えていく。

これが2007年以後の変化のシナリオなのである。

*

マイクロソフトのWindowsとか、アップルのMACとかのデスクトップのパソコンの時代が終ったのである。

今の主役はGoogleを初めとする検索サイト。

それに上記のWeb2.0のサイトである。

その共通点はウェッブ内で完結しているOnlineの世界であるという点である。

*

しかしここで1つの疑問がある。

なにもかもがネット上で処理できないのではないか。

例えば、わたし達が仕事で一番使っている<エクセルなどの表計算ソフト>はどうなるのか。

表計算ソフトだけは例外として、Offlineのデスクトップ・コンピューター内に残るのではないか。

そんな疑問である。

*

これに対しての答えは以下の通りである。

2006年6月6日、Googleはオンライン表計算ソフト<Google Spreadsheets>を公表した。

つまりデスクトップ・コンピューターの聖域と考えられていたエクセルなどの表計算ソフトの分野もオープンソース化、つまりタダで手に入るようになりつつあるのだ。

Socialtext社は、表計算ソフト<VisiCalc>の開発者Dan Bricklin氏と共同で、ウェブベースの表計算ソフト<wikiCalc>の開発を発表した。

wikiCalcのベータ版はすでに公開済みである。

これを使えば、ネット上で<WIKIPEDIA>のように、表計算ソフトで共同作業が出来るようになる。

*

上記の事からこれからのコンピューターの世界の方向はハッキリと分る。

オープンソフト(タダのソフト)の運動が主役になる。

デスクトップ・コンピューターは段々と端末化の方向に動いていく。

ネットがメインになってくるのだ。

デスクトップ・コンピューターはネットにぶら下がる機器になる。

*

もちろんデスクトップ・コンピューターのOFFラインの世界もこれから続いていく。

OfflineとOnlineの2つの世界はこれからも平行して発展して行く。

しかしこれからの変化の主役はネット上で殆どの事が出来るWEB2.0なのである。

*

2006-09-13

簡素 それが一番の贅沢

数年前に富山県のある民宿を訪れた事がある。

くねくねと曲がった道をどんどん登って行く。

その道が切れた所に、その家があった。Flower14

下から眺めると遥かな山の中腹の森影に小さくポツン見える一軒の家。

その離れの一室に1ヶ月近く滞在したのである。

テレビなどない。

ラジオだけである。

呉羽(くれは)さんという年老いた婦人が一人いた。

わたしは普通の時は横になっているか、散歩をしていた。

朝と夜の2回、呉羽ばあさんが食事を運んできた。

簡素な食事だった。

*

何年にもわたる、激しい労働の日々。

週末もなかった。

必死に働いた。

そして、ストレスの重圧。

最後に医者は言った。

<少し町を離れ、療養しなさい。呉羽さんという、むかし看護婦をしていた人が富山で民宿をやっているので、そこに行って一ヶ月ゆっくりしてごらんなさい。>

わたしはその忠告に従った。

汽車にのってバスを乗り継いで、その民宿に着いた時、呉羽ばあさんが笑顔で迎えてくれた。

*

調子の良い日には、自転車で山道を駆け下ってふもとにある小さい町に出た。

そこで昼飯を食べたあと、自転車を押してまた山道を登る。

途中で脇道へと入る。

自転車を置いて、その脇道に入って行く。

サラサラと水の流れる音がした。

森の中に、小川が流れているのだ。

小川に沿って細い道が続いている。

私はその道を行ったり来たり、小川の土手に座って流れていく水を眺めた。

清らかなせせらぎの音を聴いた。

流れていく水をじっと見ていた。

うららかな日差し。

*

Flower15_2 わたしはこうして、生まれてはじめて<療養生活>を体験したのである。

全く違う一日のサイクル。

朝は早く5時に起きた。

起きてすぐに体操をした。

横になって読書をした。

7時ごろに呉羽ばあさんが朝飯を持ってくる。

味噌汁と御飯と梅干。

それにちょっとした魚の切れ端。

それからまた少し横になった。

昼頃に自転車で山を下る。

町へでてパンを買う。

その後で山の中腹にある小川のほとりを散歩。

パンを食べる。

その後、家に帰る。

本を読んだり、日記を書いた。

その後、昼寝。

夜、7時頃に呉羽ばあさんが晩飯を持ってくる。

殆ど毎日、煮魚である。

晩飯を食べた後はラジオを聴いたり、横になったり、本を読んだりした。

夜、庭に出た。

森の木々の間から星の光がもれている。

はるか下に町の明りが見える。

庭の真ん中で空を見る。

オリオン座が悠然と三ッ星を掲げて南の空にのぼってくる。

10時に就寝。

*

呉羽ばあさんと過ごしたこの一ヶ月。

わたしはすっかり元気になった。

それで知った事。

<簡素。それが一番の贅沢。>。

英語で言えば

<Less is more >。

*

 

 

2006-09-10

森の文化

日本には広大な森が未だに残っている。

これは日本の大きな宝である。Sekainomori

図にあるように森林率において、日本は66.4%。

先進国の中ではダントツである。

(パプアニューギニア90.7%、カメルーン75.5%、

中央アフリカ75.0%、ガボン74.3%、

ザイール74.1%、フィンランド68.5%、

マレーシア67.6%)。

*

日本は昔から他の国から来た文化の成果だけを輸入して、それを日本に移植し、それを改良するという事に集中して来た。

●日本建国時には中国の文化を導入。

●明治維新では欧米の文化の導入。

●現代日本はGHQによるアメリカ文化の導入が基本になっている。

つまり日本は基本的に外来文化の消化の上に築かれてきたのだ。

しかしそれだけに集中するという時代はもう完全に終わった。

*

これからは2つのやり方を平行してやらなくてはならない。

●自分がすでに持っている文物の尊重とその展開。

●今までやってきた、外国の文物の導入とその改良。

これが今からの日本のスタイルになる必要がある。

言い方を変えて言えば、東大型の官僚だけではもうダメなのだ。

京大型の日本のリーダーが必要なのだ。

自分の哲学を持った日本のリーダーが求められているのだ。

日本の文化への自尊の心。

その長所を自分で認め、それを大切に育み発展させる。

その上に日本の行き方を築いていく。

これがジャパン・アズ・オンリーワンの生き方なのだ。

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では日本が今持っている文物の中で一番優れた物。

それが<日本の森>である。

森は、雨水を溜め、それを濾過して清らかな水を作る。

それは河川へと流れ下り、米作りの基盤になる。

それは海へと流れ下り、海へ栄養分を運ぶ。

それがプランクトンを発生させ、日本近海の漁業の繁栄を支える。

この壮大な循環系の源になっているのが<森>なのである。

<森>は<きれいな水>、<稲作>、<健全な漁業>の基盤なのである。

*

日本は<森>を新しい日本の繁栄の中心に据えるべきであろう。