世の中にはいわゆる<専門家>と言われる人々がいる。
例えば、医師、弁護士、税理士、建築士、学校の教師、外交官等。
最近はやりのFP (フィナンシャル・プラナー) もその内に入るかも知れない。
これらの専門家は資格を取得した人たちである。
つまり一定の領域の専門的な知識とか技能を体得した人たちなのである。
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今から1700年も前に、中国の陳寿(ちん じゅ)という人が書いた<魏志倭人伝>。
彼はその中で日本の風俗について次のよう書いている。
<盗窃せず、諍訟少なし。
その法を犯すや、
軽き者はその妻子を没し、
重き者はその門戸および宗族を没す。>
(盗みをする人がなく、裁判沙汰も少ない。しかし一旦、法を犯せば罪は厳しく、軽い罪においては妻子を没収し、重い罪がある場合にはその家族や一族を滅ぼした)。
日本では昔から秩序があり、盗みなどの犯罪はほとんどなかったのである。
そして裁判沙汰は少なかった。
しかし、法にそむいた場合はその個人だけではなく、家族や一族までがその重い連帯責任を追求されたのである。
現在でもこの傾向は日本に残っている。
日本では裁判に訴えるよりも当事者による和解が好まれる。
しかし一旦罪を犯せば、再び社会に復帰するのは日本では大変難しい。
ある意味で社会的に抹殺されるといっても良い位である。
罪が大変重いのである。
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アメリカでは弁護士1人あたりの国民数は1997年現在で290人。
日本では6300人。
アメリカと日本の差は22倍である。
日本の社会が未だ共同体的な体質を色濃く残していた1990年代までは専門家の出番はあまり多くはなかった。
しかし2000年をこえるあたりで1つの変化が見られる。
それは日本の社会が多様化し、同時に共同体的な体質を次第に失ってきている事と関係している。
共同体の代わりに誰が争いを治めるのか。
<法律>である。
そして<裁判>が徐々に増える。
その結果、弁護士の数もそれにつれて年々増加しているという訳なのである。
これが良いことか、悪い事か。
それは分らない。
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しかし1つ確かな事がある。
一般的に日本人は<専門家>に弱いという事である。
言葉を変えて言えば、専門家を盲信してしまうのである。
最近のマンションの構造計算書偽装問題。
それをやったのは資格試験に合格した1級建築士。
姉歯(あねは)1級建築士が自らこう語っている。
<検査を依頼したら、(偽造)物件が通ってしまったので、その後も(依頼を)続けてしまった>。
チェックが甘い検査機関を使い続けたことを認めているのである。
一級建築士が作ったものは正しいに違いないという思い込み(盲信)が検査機関にあったようだ。
しかし、これでは検査機関が存在する意味がない。
外国のやり方や仕組みだけを輸入して、その本当の意味を消化しなかった例の1つである。
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もう1つの例。
この頃、医者や病院のミスが増えている。
間違った医薬を投入して患者が死亡した例などである。
これに類するミスは昔から沢山あったと思われる。
しかしそれは昔はウヤムヤのまま闇に葬られた事が多かった。
しかし、今は違う。
今日では関係者の一人が携帯電話やメールで、マスコミとか当局へ内部告発。
すぐに露見してしまうのである。
ミスが多くなったと感じるのは、上記のような変化が原因なのだろう。
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わたしはこの頃ある専門医師のところに行った。
<わたしは病気に苦しんでいる。
助けてください>と言った。
医者は専門家。
医者は、その領域の専門知識と治療技術を持っている。
彼はわたしに言った。
<手術をする必要がありますね>。
そして、いろいろな書類にサインを求める。
手術の場合には患者は麻酔をされ、医者が何をしても分らない。
言葉通り、<自分のからだを預ける>しかないのだ。
患者は弱者。
医師は神様である。
患者はその医師に絶対的に依存しているのである。
もし医者が間違いをおかした場合、患者は下手をすると<いのち>を失う。
わたしは祈るような気持ちで手術を受けた。
幸いその結果、病気は治った。
しかし理論的には、反対の結果もありえたのである。
10年以上付き合っているかかりつけの医者に一番良い医者を紹介してもらった事。
そしてその専門家の医者のところに行く前に病気についての基礎知識を身につけて行った事。
手術の内容に自分なりに注文をつけた事が結果に反映していると思う。
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<専門家>と<普通一般の庶民>の関係。
それを医者と患者の間ほど、ハッキリと示すものは他にない。
この場合理想的な関係はどうあるべきなのだろうか。
●医者は助けを求めて<からだといのち>を預ける患者の信頼に応える責任がある。
●患者は、自分で病気に関しては自分で出来るだけの知識を得るように努力すべきである。つまり<丸投げ>は危険である。
●患者は、その医者が信頼出来る医者かを注意深くチェックするべきである。 彼の履歴。キャリア。この分野の彼の業績に対する評価。口コミ情報。噂。
●出来たら2人以上の医者に診察してもらい、その2つを客観的に距離をおいて比較検討する。
●患者は自分で得た知識で医者に質問したり、注文をつけたりするべきである。<丸投げ>は危険すぎる。
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わたし達はこれから益々<専門家>に触れる機会が多くなる。
共同体社会が多様な専門的なセグメントに分岐していくからである。
同時にそれだけ悪徳弁護士、悪徳税理士、悪徳医師、悪徳教師、悪徳外交官、悪徳建築士、悪徳FP等にぶつかる機会も増えるという事を覚悟するべきである。
その際の付き合い方は、上記の医者の場合のやり方を応用すれば良いのである。
● その問題についての基礎知識を持つ事である。専門家に対して、正しい質問が出来る程度の知識を自分で持つ。
● すべてをそっくり全部、任せる事はしない。専門家にだまされる危険が大きいからである。専門家をチェックする検査機関やメディアに注目する。
● その専門家の信頼度をチェックする。出来れば2人以上の専門家から情報を入手する。距離をおいて客観的に情報を比較検討する。
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つまり適当な距離をおいて、適当な信頼関係を持つ。
それがモダンで、安全で、クールな関係なのである。
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それに、わたし達自身が、今では、みんな、ある意味で、それぞれの分野では、すでに、それなりの<専門家>ではないか。
だから自分の専門分野に無知な人が助けを求めてきた場合に、自分はそれに対してどう対応するか。
逆の立場で考えて見れば良いのだ。
人間は弱いもの。
多くの専門家は、その立場を逆に利用する事だけを考えるに違いない。
その例は毎日の新聞を見れば数多く挙げる事ができる。
しかし自分の専門分野に対して、ある程度の基礎的な知識のある人が、問題を相談に来たらどうするか。
慎重に対応するであろう。
滅多な事は言えないと思うだろう。
それに、その人は、もう一人の別の専門家にも相談しているようだ。
自分のプロとしての競争心がかきたてられる。
それでは、と自分のとっておきのサービスを心がけるであろう。
自分の名誉と名声がかかっていると思うだろう。
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ヨーロッパでは次のようなことわざが広く一般に流布しているという。
<人を信頼し信じるのはすばらしい。
しかしそれが本当にそうかを
自分で確かめる事。
それはもっとすばらしい>。
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