愛読書
誰にでも、機会があるたびに繰り返し読んでいる、いわゆる愛読書というものがあるのではないだろうか。
わたしの場合、バッグの中に常時、数冊の本を入れ、散歩の時にも、買い物にも、トイレにも、枕元にも持参し、暇を見つけては読むことにしている。
バッグはコンパクトタイプなので新書か文庫サイズで3冊くらいしか入らない。
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まず1冊目は<ヘンリ・ライクロフトの私記(ギッシング著)>である。
何故かわたしはこの本を繰り返し読んでいる。
緑と静寂につつまれた田舎に移って以来、何度この書物を手に取った事であろう。
主人公の1語1語がわたしのこころにつきささってくるのである。
恐らくこの本は著者ギッシングの内奥を吐露したものにちがいない。
つまりこれは形は散文ではあるけれども、実体は彼のこころを映した詩であり、歌であるように思われる。
いわゆる<散文詩>である。
非常に個人的な、孤独な1人の人間の生の声がこの私記からきこえてくる。
繰り返し読むたびに味わいが深くなる。
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2冊目は<万葉集>である。
世間では色々な万葉集が出版されている。
しかし試行錯誤の末、わたしが見つけたのは斉藤茂吉の岩波新書版の万葉秀歌上下2冊である。
和歌が読みやすく工夫されている。
それに歌の注釈も多すぎず、少なすぎず適度の分量に抑えてある。
わたしは上下2冊をノリで張り合わせて1冊の本にした。
こうすると、バッグの中に入れて持ち歩くのに大変便利なのである。
朝食のパンが焼ける間に1つの和歌を読む。
今朝、読んだ歌は大津皇子の以下の歌である。
<あしひきの
山の雫(しずく)に
妹(いも)待つと
われ立ちぬれぬ
山の雫に>
(上巻P77、巻2・107)
わたしの場合、1度に2つ又は最大3つの歌しか読まない。
それ以上読んでもこころの中にすんなりと入っていかないのである。
5・7・5・7・7という短いフレーズの中に人のこころの微妙な姿を凝縮したのが和歌である。
それをイザ味わう場合、まず凝縮された中身を自分のこころの中で解凍して暖めるという作業が欠かせない。
その作業に結構、集中力がいるのである。
なにしろ1200年以上も前に生きた人が詠んだ歌を今読んでいるのだから。
少し位の忍耐と集中力をもって読むのは当然の事なのである。
これからも、毎日2-3個の万葉集を読み続けて行こうと思う。
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3冊目は学研社の<植物図鑑(ポケット版)>である。
これの大版タイプの図鑑のサイズは約29cmX23cm。
厚さ3cmで重さは1キロもある。
とてもバッグの中には入らない。
ポケット版の方はおよそ新書サイズなのでバッグに入れて持ち歩くのにはちょうど良い。
多くの植物を、写真や絵とともに、簡単な説明を付けて載せている。
わたしはポケット版を2冊購入し、1冊は居間に置き、もう1冊はバッグに入れて持ち歩いている。
暇があると、図鑑をパラパラとめくり、目についたページを、ポカーンと口を開けて見ている。
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