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2009-10-12

愛読書

誰にでも、機会があるたびに繰り返し読んでいる、いわゆる愛読書というものがあるのではないだろうか。Daimonnjisou91012

わたしの場合、バッグの中に常時、数冊の本を入れ、散歩の時にも、買い物にも、トイレにも、枕元にも持参し、暇を見つけては読むことにしている。

バッグはコンパクトタイプなので新書か文庫サイズで3冊くらいしか入らない。

まず1冊目は<ヘンリ・ライクロフトの私記(ギッシング著)>である。

何故かわたしはこの本を繰り返し読んでいる。

緑と静寂につつまれた田舎に移って以来、何度この書物を手に取った事であろう。

主人公の1語1語がわたしのこころにつきささってくるのである。

恐らくこの本は著者ギッシングの内奥を吐露したものにちがいない。

つまりこれは形は散文ではあるけれども、実体は彼のこころを映した詩であり、歌であるように思われる。

いわゆる<散文詩>である。

非常に個人的な、孤独な1人の人間の生の声がこの私記からきこえてくる。

繰り返し読むたびに味わいが深くなる。

2冊目は<万葉集>である。Nokonngiku91012

世間では色々な万葉集が出版されている。

しかし試行錯誤の末、わたしが見つけたのは斉藤茂吉の岩波新書版の万葉秀歌上下2冊である。

和歌が読みやすく工夫されている。

それに歌の注釈も多すぎず、少なすぎず適度の分量に抑えてある。

わたしは上下2冊をノリで張り合わせて1冊の本にした。

こうすると、バッグの中に入れて持ち歩くのに大変便利なのである。

朝食のパンが焼ける間に1つの和歌を読む。

今朝、読んだ歌は大津皇子の以下の歌である。

<あしひきの

山の雫(しずく)に

妹(いも)待つと

われ立ちぬれぬ

山の雫に>

(上巻P77、巻2・107)

わたしの場合、1度に2つ又は最大3つの歌しか読まない。

それ以上読んでもこころの中にすんなりと入っていかないのである。

5・7・5・7・7という短いフレーズの中に人のこころの微妙な姿を凝縮したのが和歌である。

それをイザ味わう場合、まず凝縮された中身を自分のこころの中で解凍して暖めるという作業が欠かせない。

その作業に結構、集中力がいるのである。Akatonnbo91012

なにしろ1200年以上も前に生きた人が詠んだ歌を今読んでいるのだから。

少し位の忍耐と集中力をもって読むのは当然の事なのである。

これからも、毎日2-3個の万葉集を読み続けて行こうと思う。

3冊目は学研社の<植物図鑑(ポケット版)>である。

これの大版タイプの図鑑のサイズは約29cmX23cm。

厚さ3cmで重さは1キロもある。

とてもバッグの中には入らない。

ポケット版の方はおよそ新書サイズなのでバッグに入れて持ち歩くのにはちょうど良い。Rinndou91012 

多くの植物を、写真や絵とともに、簡単な説明を付けて載せている。

わたしはポケット版を2冊購入し、1冊は居間に置き、もう1冊はバッグに入れて持ち歩いている。

暇があると、図鑑をパラパラとめくり、目についたページを、ポカーンと口を開けて見ている。

2006-05-09

本の好きなあなたに

読書については

<読書の楽しみ>(2006-04-27)で

すでに書いた。Sora2_1

ここでは

ヘルマン・ヘッセの詩をひとつ。

*

<書物>

この世の

あらゆる書物も

おまえに幸福を

もたらしたりはしない。

だが、書物はひそかに

おまえを

おまえ自身の中に

立ち返らせる。

*

おまえ自身の中に

おまえの必要とする

いっさいがある。

太陽も、星も、月も。

おまえのたずねた光は

おまえ自身の中に

宿っているのだから。

*

おまえが長い間

万巻の本の中に

求めた智慧は

今どのページからも

光っている -

それはおまえのものだから。

*

*

 

2006-04-27

読書の楽しみ

この頃はブックレビュー、本の紹介コーナーがテレビでも盛んに行われている。

先日はドストエフスキーの<罪と罰>が紹介されていた。これを一つの愛の物語として紹介していた。いかめしい本の題名とはかけ離れた明るいイメージなのである。Sakura2 

プレゼンは大成功。多くの人がこれを見て<罪と罰>を一度読んで見ようと思ったに違いない。

それを見て思った。一冊の本は読む人にとって千差万別の姿になると。

ちょうど一人の人間が別の人間に出会うのと似ている。

気が合って楽しい。

あるいは何かピンと来ない。

それは本でも同じなのではないかと思うのである。

出会いである。

まだ学生のころ、図書館のその膨大な数の書籍を見て絶望した事がある。これだけの本を全部読めるのだろうかと思ったのである。

大げさに言えば自分の無力さと限界に絶望した。

しかしある時に閃いた。

そうだ。

これらの本は全部一つの事をいろいろな角度から述べているだけではないか.......と。

その瞬間に肩の重荷がおりてスッキリしたのを覚えている。

一つの事。

それは何か。

人間の本性である。

Sakura1_1 人間のいろいろな姿、形、性格。人間とは何者なのか。人間は何をもって生きているのか。いままでどうやって生きてきたのか。その生きる手段。道具の詳細。その環境。過去の姿。周りの世界の分析。何故人間は生きているのか。何が人間の苦しみなのか。喜びなのか。その成功と失敗。人の役に立つにはどうすればいいのか。どこへ向かっているのか。どうすれば金のある人生が送れるのか。どうすれば楽しく生きれるのか。

つまりすべての書物はある種の人間学の一部分である事に気が付いたのである。

すべての書物はそれを書いた人も、その書物が述べる対象物も含めて人間についての説明書なのである。

人間が焦点。

このキーワードに気が付いた時から気が楽になった。

地下に水が流れている。地下水である。地上からはそれが見えない。

その地下水が人間学である。

あらゆる書物は、いろいろな人が、自分で井戸を掘ってくみ出した水を提供していると仮定してみよう。地下水は飲めるきれいな水である。

世界中の水を全部試す必要はない。水は水なのだから。水の性質は世界で共通なのである。

もしそうであるなら、どんな本でも自分が出会う水を大切にすれば良い。

週間雑誌でもいい。堅い本。柔らかい本。推奨される本。禁止される本。インターネットのテキスト。古本。マンガ。新聞。英語の本、ロシア語の本。エロ本。実用書、小説、教科書。ビジネス書、経典、物理の本。数学の本。

それらはある意味で、ある角度から見た人間の姿を教えているのである。

もちろん嘘も真実も混じっている。嘘も人間の大切な一面なのだ。笑いをさそう読み物も必要なのだ。悲惨な姿も見なくてはならない。

あれこれよそみをしないで、肩の力を抜いて、自分の道で出会う本を大切にする。

<人間>という水脈に焦点を当てると、結局、そういう行動の原理が出てくるわけである。

ただここで前提条件がある。

もしそれがおいしい水であるならばという条件である。

つまりそれが自分の相性に合っているならば。

自分に活力と自尊心、自信と関心、反省と発見、興味と好奇心、力と前進しようという気持ちをかきたてるならば。

おいしさとか味にはいろいろある。そのおいしさにもレベルがある。

人の意見は尊重はするが、決してそれに盲目的に従う必要はない。何故ならそれを飲むのは自分自身なのだから。

もう一つは自分で探す事である。求める。

どこかにおいしい水がないだろうかと探索する事。

求めよ、さらば与えられんである。水が入る器を持つ。そして探す。

そうするとその器にちょうど良い水がたまる。

じっとしていても水は向こうからはやってこない。

本当においしい水に出会ったらその水を大事にして、その井戸へ通えば良いのである。つまりその著者の本を集めて繰り返し読めばいいのだ。

本当に自分にとっておいしい水はまれである。

もしそれをみつけたとしたらそれは宝である。

ありがとう。

そういう気持ちがこころの奥から自然にこみ上げてくるにちがいない。