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2008-01-19

お茶の木

わたしは1年ほど前に、それまで長い間飲んできたコーヒーを飲むのを止めた。Chanoki

時々イタリア・レストランで食事をした時などに食後にコーヒーを飲む事はある。

しかし家にいる時には今ではもっぱら緑茶である。

コーヒーを止めて大変からだが楽になった。

朝食には食パンを2枚食べる。

食パンを焼いてマーガリンと砂糖を塗る。

それを砂糖入り緑茶と一緒に食べるのである。

これがわたしの朝食である。

日常生活をコーヒーから緑茶に切り替えてから、すっかり体調が良くなった。

これだけお世話になっているお茶。

でも気が付くと茶について殆ど何も知らない。

茶の歴史、茶の中に含まれる成分など。

わたしは殆ど何も知らないのである。

早速調べてみた。

チャの木は植物学でいうとツバキ科ツバキ(カメリア)属の植物で、ヤブツバキとかサザンカの仲間である。

チャの花は10-12月に咲く。

白い花で下を向いて咲く。

ツバキがいかにもあでやかなのに比べて、しとやかな上品さを感じさせる。

葉は互生で、ギザギザがある楕円形である。

茶の原産地は中国の西南地域(雲南省あたり)とされ、もともと薬として用いられていた。

中国の古い伝説の中に神農という人がいる。

神農は百草をなめて、毒か薬かを調べた。

彼が多くの毒草を試した後に解毒のために飲んだのが<茶>であったという。

唐の時代、陸羽(りくう)という人が、760年頃に<茶経>という書物3巻を書いた。

<茶は、南方の嘉木なり(茶というのは南方に生えるすばらしい木である)>ではじまる。

日本においてのチャの栽培はいつごろから始まったのだろうか。

中国から天台宗を伝えた<伝教大師、最澄>が805年、茶の木を滋賀県の坂本に植えたという記録が残されている。

これが日本における茶の栽培の最古の記録である。

茶には色々な種類がある。

紅茶、ウーロン茶などである。

日本で主に飲まれているのは煎茶(せんちゃ)である。

これは蒸した後、もみながら乾燥させるという醗酵させないやり方で作られている。

緑茶にはカテキン、ビタミンC、フッ素、テアニン等が含まれ、次のような健康増進効果がある事が知られている。

● カテキンにはガンの発生を防ぐ抗ガン効果や消臭作用がある。

● ビタミンCには美肌効果や疲労回復の効果。

● フッ素は虫歯予防の効果。

● テアニンには心身をリラックスさせる効果がある。

実はわたしの庭にも茶の木がある。

隣家の畑との境界線に沿って3本ほどの茶の木が生えている。

ふと見ると、そのあたり一面に小さい茶の木が芽を出しているではないか。

実が割れて一面に散乱して、そこから芽を出した小さな苗木である。

数えてみると全部で12本位ある。

早速、その小さい茶の木を移植する事にした。

その内の5本は家の入り口近くの花壇に移しかえた。

3本は玄関のそばの空き地に移した。

残りの4本は境界線の生垣用に適当な間隔を置いて移した。

移植中にわたしは思った。

<色々な木の中で
 一番好きな木は
  お茶の木だ>と。

2008-01-15

梅下の花

庭の梅の木の下に小さくてかわいい芽を見つけた。

数えてみると8個くらいはある。

何の芽なのだろう。Fukujyusou3

植物図鑑等をみてもなかなか分からない。

でもかわいらしい芽なので周りに新しい土をかけてあげたり、時々水をかけてあげたりして大切にして来た。

昨日の朝。

日の出を待って、いつものように梅の木の下を見る。

アッと驚いた。

芽だと思ったのは実はつぼみだったのである。

そのつぼみが開いて、黄色い花が2つ咲いているではないか。

太陽の日の光を浴びて燦然と輝いている。

フクジュソウである。

こんなに寒い冬の真っ只中に咲くのかと驚いてしまった。

漢字で書くと<福寿草>。Fukujyusou7_2  

福は<幸い、幸福>。

寿は<長寿、長生き>の事である。

幸いと長寿。

おめでたい名前を持っている。

調べてみると福寿草には幾つかの別名がある。

いわゆる旧暦のお正月(1月22日-2月19日の頃)に咲くので元日草(がんじつそう)とか朔日草(ついたちそう)ともよばれているのである。

旧正月の頃の庭には花が殆どなくさびしいものである。

その中に光り輝く黄金色の花を咲かせる。

昔の人はその花に福寿草という名前をつけてその花とともに、幸運と長寿を祈ったのであろう。

夕方からは寒さが増し、激しい風が吹き始めた。

わたしは梅の木のところに行ってみた。

福寿草は花を閉じて寒さに耐えている。

Fukujyusou8_2 福寿草の根はゴボウのように太い根をたくさん張っている。

その根には強心作用があり民間薬としても使われてきた。

ただし薬は同時に毒でもある。

だから素人がこれを安易に自分で取り扱うのは危険である。

福寿草は厳寒の冬にひとり花を咲かせる。

それは単なるお人よしではできない。

だから敵から自分を守る毒という強力な備えをもしっかりと持っているのである。

2008-01-12

草木の名前

今日は3連休のスタート。

久しぶりにゆっくりとした気分である。Mushitorinadeshiko_2 

わたしは庭にある色々な木や草の名前を調べている。

これは以外にむずかしい。

というのはその木が<ツバキ>なのか、それとも<サザンカ>なのか。

それをどうやって見分けるのか。

それが問題なのである。

ツバキだけではない。

そういう例が多いのである。

例えば、庭に出てきた芽がある。

その形から<クロッカス>なのではないかと思う。

でももしかしたら<サフラン>かも知れない。

まだ花が咲いていないのでどちらかは分からないのである。

別の例では庭の低木がある。

一体これは<ツゲの木>なのだろうか。

それとも<イヌツゲの木>なのか。

それをどこで見分けるのだろうか。

植物図鑑を見たりインターネットで調べる。

この例では葉のつき具合を見ると分かると図鑑には説明されている。

葉のつき方には対生と互生とがある。

対生というのは枝の一つの場所から2つの葉が出ている場合を言う。

互生は枝の一つの場所からは一つの葉しか出ていない場合である。

図鑑の説明文を読んだ後、実際に低木の所に行って葉のつき方を良く見てみる。

互生である。

それでやっとこの低木の名前が<イヌツゲ>であるという事が分かるのである。

名前が分かるとわたしは、名札に名前を書き、その草木の根元に刺す。

これをやっていくと突然、その木や草が断然自分に近くなったと感じる。

何故かは分からない。

でも名前を知り、それを何時でも見えるようにするという事自体がとても楽しいのである。

つまりそれを実行した木や草はその瞬間にわたしの友達として登録されたみたいに感じるのである。

あのイヌツゲ君という感じである。

ヘルマン・ヘッセというドイツの文人がいる。

彼が1919年に書いた<南欧の夏の日>という随筆の中で彼は書いている。

<またしても私の知らないたくさんの可憐な小さな花や、草や、苔や、キノコに出会う。これまで何度もその名前を覚えようとしたものたちだ。一冊の小型の、よい植物図鑑をもって、これらの可憐な花々の中に静かにすわりこんでそれを調べるということは、私がいつかやりたいと心に決めていることのひとつで、それは、いつかもっと年をとったら、小さい庭の中で静かに暮らし、野菜をつくって、自分の垣根の外のことはもう考えないことにしようと思っている決意に似ている。こういう決意はすばらしく、私たちをよろこばせてもくれる。けれどそれを実際に行うには、人生はあまりにも短すぎるように思われる。>

想像してみよう。

ある人が人里離れた森の中に寝泊りのできる場所を作り生活を始めた。

周りには色々な草木がある。

でも彼はその一つ一つの草木の名前を知らない。

そういう状況の中で彼が始める事は何か。

それは一つ一つの草木に自分で名前をつける事なのではないだろうか。

それはいつも自分の家に来る野良ネコに<マリーちゃん>などと勝手に名前をつけて呼んでいるのに似ている。

彼が名前をつけた瞬間にその草木は彼の世界の一部になるのである。

単に彼の住居を囲む緑というモノから、同じモノが一つとしてない、個性と運命を持つ一個の生命体として彼の心に入り込んで来るのである。

つまり人間はモノに<名前>をつける動物なのだ。

そうする事で周囲のモノを自分の中に取り込んでそれらのモノと一緒に生活を作り上げてきたのである。

反対に言えば人間にとって、名前のないモノは存在しないのである。

昔の人はその事を一言で言い表している。

<名は体を表す>と。

2008-01-07

右肩上がりの喜び

昨今、右肩上がりのモノが少なくなった。

あるかと思えば石油とか、トイレットペーパーとか豆腐等の価格上昇である。Hosuukeitw500

それがわたし達の生活を直撃している。

給料は停滞気味で、しかもインフレ。

つまりスタグフレーションが持続していきそうな気配である。

ワイワイガヤガヤ、ワッショイワッショイと勢いをつけてやっていた昔の景気の良い右肩上がりの時代がなつかしい。

では右肩上がりのモノで、しかもわたし達の生活にプラスになるようなモノはないのだろうか。

人間はどうしてもそういうモノを求めそしてそれを支えにして生きて行きたいと心の底では思っているようなのである。

一言で言えば人間は<希望>を求めてやまない動物なのである。

それはどこにあるのだろう。

どうしてそれを手に入れる事が出来るのだろう。

昔は社会全体がその勢いを個々人に対して外から与えてくれた。

しかしどうも今の時代は、希望は外からはやって来ない。

自分自身が右肩上がりのモノを作り出す時代なのではないか。

そう思うのである。

わたしが見つけたそういう右肩上がりのモノの例をここに紹介しようと思う。

誰でも自分の健康が一番大切なモノであると考えている。

その為にサプリメントを買って飲んだり、ジムに通ったり、中には毎日ジョッギングに汗をかいたりして努力している人もいるのではないだろうか。

わたしの場合はそれは自転車である。

毎日どれだけ自転車で走ったのか、それを知りたいと思い、自転車専門店で走行計を買って試してみた。

しかし走行計を自転車に取り付けていると店先などで、自転車を止めている時に、それを盗まれる危険がある。

それで、走行計を付けたりはずしたりしているうちに、めんどくさくなってしまった。

気がついた時には、もう走行計を使わなくなってしまっていた。

そうこうしている内にある日、デパートの文房具売り場でフト<シチズンデジタル歩数計TW500>を見たのである。

<メモリ機能で14日前までのデータをチェックできる>と説明文に書いてある。

これは面白いとすぐにそれを買って試してみた。

まず自分の一歩の長さを入力する。

そしてTW500をいつもポケットに入れておく。

そうするとTW500は、毎日その日に歩いた歩数や距離を積算してデジタル表示して記憶するのである。

2週間分が記憶されているので大変便利である。

ある日、自転車で隣の町まで行った。

約4キロメートルはある。

その日の夜、歩数計を見ると13204という値が表示された。

自転車で走る時の振動を歩行として記録していたのである。

その瞬間、わたしの頭にすばらしいアイデアが閃いた。

<この歩数計は歩いた歩数だけではなく自転車の走行計としても使える。ただし、その値は歩行数ではなく自分がその日に運動した総運動量だ。これは運動を相対的に測る運動量計としても使える>・・・と。

これを契機にわたしは常にTW500をポケットか、あるいはカバンの中に入れて持ち歩き、その日の歩数計の値を自分のノートパソコンにエクセルでデータとして記録するようになった。

時々忘れる事があるが、TW500は2週間分のデータを呼び出せる。

それが大変ありがたい。

別の列に毎日のデータの積算値をとる。

これをグラフにすると、右肩上がりのきれいなグラフが出来るのである。Unndougurafu

わたしは現在、毎日このグラフを見ながら生活している。

そこで気がついたのは<数の不思議さ>である。

<数はウソをつかない>。

人間はだれでも、何か信用できるモノに寄りかかり、安心したり、それを支えにしたりしたいと思っているのである。

でも今の社会は年金の件でも分かるように、何かしら不安が残り、安心できないのである。

とすると、外にそれを求めるのを止めて、自分で右肩上がりのモノを作り出すのが一番良いのではないだろうか。

自分で作り出したモノにウソはないし、安心できる。

それを支えにして明日に向かってまた挑戦して行く。

つまり自分で自分の<希望>を紡ぎだす生き方。

それが一番時代に合っていると思うのである。

*

今日は1月7日。

さあ新しい年の出発の日だ。Soshinnroubai3

窓の外を見るともう<ソシンロウバイ>(素心蝋梅)の花が咲いている。

この寒い年明けに咲く黄色いロウバイの花。

春が待ち遠しい。

2006-04-22

漢文について

ある日本の碩学の歴史家は<漢文は中国語ではない>と次のような意味の事を言っている。

Tsubaki1r ちょうどわたし達がお坊さんの読むお経を聞いている時のように、普通の中国人が漢文を耳で聞いても、ほとんどその意味は分らないらしい。

その例として彼は次のような話をしている。

魯迅は短編小説<五猖会>の中で記している。町の祭の芝居を見に行こうとする魯迅少年にむかって、厳しい父親は言った。

お前がいま勉強している本を持ってきなさい。ちゃんとその本の一節を暗記できたら、祭に行ってもいい。駄目だったら、芝居見物は許さないと。

Rojinnbunnshuu2 そのテキストは右の漢文。......彼は一気に暗唱し、夢見心地に暗唱を終えた。よくできた。行ってよろしいと父は言った。....その日暗記させられた2-30行.....は、彼には一字も理解出来なかった。

つまり普通の中国人にとって漢文はほとんど、外国語と同じなのである。

漢字には同じ音で違った意味の字がたくさんある。どの字を言っているのかは文脈の中で判断するしかない。

更に漢文には厳密な意味の文法がない。

漢文には名詞、動詞の区別がない。

同じ<言>という文字にしても、ある時は<言う>という動詞になる。またある時は<発言>という意味の名詞として使われる。

更に時制というものがない。だから<言>が<言った>を意味するのか、<言う>を意味するのか文脈の中でしか判断できない。

句読点もないので、どこからどこまでが一つの文章なのかもはっきりとは分らない。

だから逆説のようにきこえるかもしれないが、はじめに全体の意味が分っていないと、どこでどう切ったら良いか分らないのが漢文。

科挙の試験を受けるような一部の人間以外の人にとっては漢文は全くの別世界であり続けた。

反対に言うと、だから一種の独占的な読書階級が成立したとも言えるのである。

漢文はエジプトのヒエログリフに似ている。

それは書くためだけの言葉である。ヒエログリフにしても一部分の字は、ある<音>を表すように時代とともにだんだん進化して行った。

しかし中国の場合にはそれがなかった。

秦の始皇帝はBC221年に漢字を統一した。

それ以来書き言葉の漢文は基本的には固定され、変化を禁じられた。

何故か。

それは中国は大きい。

都から公式文書を出した場合など、地方の人が別の漢字体系を使っていると共通な理解が妨げられ、政治的な統一が保てないからである。

統一漢字以外の漢字を使わせない為の方法として導入されたのTsubaki2r が、儒教である。

儒教の古典は<全中国に通用する書き言葉の標準形>を提供した暗記用テキストとして実に重要な意味があった。

焚書はそれ以外の漢字を使っている文書の禁止であり、それ以外の漢字を使っている異端文書の破棄である。

それは思想統制とはちがう。

儒教集団の人は要するに、エジプトでパピルスに文字を書いた<専門的な書記>と同じだった。

つまりある標準テキストを丸暗記する。

書く時にはその中の表現だけを使う。

それを読む人も古典の基本テキストは暗記しているので、意味が通じるのである。

中国という国を統治するために必要な<公用文書作成能力>だけが問われたのである。これが科挙の本当の意味なのである。

つまり漢字は即、儒教の古典テキストを前提にしてはじめて使える文字だったのである。

このように書き言葉が古典テキストの範囲だけに固定された結果、書き言葉は変化する事がなくなった。

一方では話し言葉は時代とともに変化する。

だから<話し言葉>と<書き言葉>はどんどん乖離していく。

その結果、普通の中国人にとって<話す言葉>はあっても、自分で書く手段は長い間存在しなかった。

漢字という外国語が存在しているが、それはごく一部のいわゆる読書階級といわれた文人専門家だけが操作できただけであった。

つまり大半の中国人にとって、長い間、自前の<文字>はなかったのと同じ事であった。

中国人が自分の話している言葉をある程度、書けるようになったのは、20世紀に入って口語文体が導入されてから以後の事である。

当然、以上の事によって起きる結果は明らかである。読み書きが出来ない愚民があふれたのが、中国の普通の状態であった。

もう一つの結果は停滞である。

四書五経という標準テキスト以外の範囲の表現が制限されたという事は、それらの思想の枠組みの中でしか考えられなくなる。

こうしてあまりにも長い停滞した中国というものが形成されたのである。

 

 

 

2006-04-20

真紅の椿

赤い椿を買ってきた。つぼみも沢山ある。

写真を撮った。Akaitsubaki3_1

でも少し手ぶれの後が残っている。

ごめんなさい。

調べて見ると<つばき(椿)>は

純粋な日本原産の花なのだそうだ。

知らなかった。

日本から世界に広まった花。

学名は <Camellia japonica カメリア・ジャポニカ>。

Akaitsubaki5_1

2006-04-19

神仙境の日本

日本が生んだ世界的な歴史家、宮崎市定は次のような意味の事を書いている。

儒教の中心思想は<中庸>である。中庸とは中間という事ではなく、それを永遠に繰り返しても支障がない生き方、やり方の事である。

そうして以下のように書いている。

<さる男が貧乏暮らしにつくづく愛想をつかし、一心不乱に神様によびかけて願かけした。

"決して贅沢は申しませんが、どうかその日その日の暮らしにだけ困らないように、一生ご加護くださるようにお願い申します。金持ちになろうなどとは夢にも思いません。"

あまり熱心に祈るので、神様が姿を現したが、さて、きっと形を改めてもうすよう、

Heikinjyumyou1 "何とお前はぜいたくなことを申すヤツじゃ。過ぎたこともなく、足りないこともないという暮らしは、万人が望んでもなかなか達せられない生活の極致であるぞよ。

それは神仙の境地だ。そんな高望みをすてて、金持ちになりたいとか、それがいやなら、今のままの貧乏でいたいとか、考え直して改めて願かけするがよいぞ"。Heikinjyumyougdp2002who2 

日本国民の生活は80%までは中流のよし、別に願かけしないでも、神仙の暮らしをさせてくださる。ほんとうに有りがたい国だね>。

1995年、惜しまれるなか、宮崎市定は亡くなった。

いまの日本は果たして神仙境だろうか。

落ちたつばき

鉢植えのつばきを買ってきた。

Tubaki11 庭においてそのあでやかな姿に驚いていた。

でも一つの花が地面に落ちた。

器に水を入れてその上に花を置いた。

これでもっと椿を見る事ができる。

2006-04-17

星はすばる

清少納言は枕草子で書いている。

<星はすばる。ひこぼし>(星はすばると彦星が一番)

Subaru5  <すばる>は肉眼では5-7個の星が集まっているプレアデス星団のこと。中国では昴宿(ぼうしゅく)と言っている。パッと見ると何かボォーと空に麗しく輝いている。

秋の夜にのぼってくる。友だちと歩いている時などで、すばるを見つけ、歩きながら見ていたり、ふと立ち止まってみとれていたりする。

シリウス(Sirius)は恒星の中では全天で一番明るい。少し冷たい光で、中国では天狼と言われているのが良く分る気がする。

天のおおかみ。寒い冬の夜、シリウスを見る。きびしく、ひきしまった光。大きく青い輝き。孤高な星のようであるが、実は肉眼では見えない小さい星を伴っているらしい。

金星。ビーナスという名前で分るとおり、どこかの女のように美しい星である。惑星。中国ではこの星の名前は太白。そのものといった名前である。Flower15 

金星は明け方と夕方にだけ見ることができるので、明けの明星、宵の明星とも言われている。

太陽、月についで全天でいちばん明るく見える星である。学校からの帰り、バスを降りて一人で夕方の家路を歩いている時にいつも夕焼けの空に、このビーナスが輝いていた。一緒に歩いた彼女。

白鳥とおりひめ 彦星Orihimehakuchouhikoboshi
七夕の星として知られている。写真では上から織姫、白鳥、彦星の順である。真ん中に天の川が流れている。その中を白鳥がつばさを広げて十字に飛んでいる。

暑苦しい夏の真夜中、あたまを冷やしに外に出た。近くの川のまだあたたかさが残っている岸辺であおむけになって見た空。アッと驚くばかりの満天の星。天の川。逃げ出したいような圧倒的な星の流れ。その驚きが今も残っている。

オリオン座の三つ星

Orion
むかしは、船で海を渡る人々にとって大切な目印として使われていたらしい。

その証拠は大阪の住吉大社の住吉三神、宗像大社の宗像三神である。住吉では、底筒男命、中筒男命、表筒男命である。筒は星の事。これはオリオン座の三つ星を表していたとされている。

やはり、いちばん好きなのはオリオンの星である。

<COLUMN OF ORION>

2006-04-16

由布院の豊姫

テレビドラマ<風のハルカ>に出てくる由布岳。

頂上が二つに分かれているのが大変印象的である。

一度見ると忘れられない山である。  Yufu_3

どこかで見た形だ。そう。トンボの尾である。 

Tonnbowo_2 この事をある本に既に書いていた人がいたのを思い出した。でもその本がどの本かは残念ながら忘れてしまった。

トンボは漢字で蜻蛉と書くそうである。

蜻蛉.........。これもどこかで見た字だな。と色々調べてみると、古事記とか万葉集では、日本の国の事を<蜻蛉島>(あきずしま)と言っている事を知った。

豊秋津島、または豊秋津根分とも言う。   

その時、この別府あたりが昔の日本の都だったのではないか。そう思ったのである。更に調べていくうちにそれは大変ありえるという事が分った。でもこの都はよほどヤマトよりの都であったと思われる。

何故、この由布院のある大分県を<大分>というのかも、また町の名前が何故別府なのかも、大体想像する事ができる。日本の昔の都は<京都>。今の都は<東京>。

古事記の国生み神話では次のように言っている。

<次に倭豊秋津島を生みき。亦の名は天御虚空豊秋津根と謂う>。

Beppu3

以前はこのあたりは豊前、豊後とトヨの名前がつけられていた。豊(とよ、台与)の国だったのである。

由布院を仰ぎ見て、別府湾を前にした絶景の地である。ここは日本の、海の新幹線、<瀬戸内海>の<西端>に当たる。難波、大阪がその<東端>である。つまり地理的にも戦略的な重要地点に当たる。

もし日本書紀が言うように初代天皇は九州からヤマトに来たのであれば、王権は瀬戸内海を西の端から東の端に渡って行ったのである。ここ大分の由布院当たりはその時、大きな役割を果たしたに違いない。

そこで地図でこのあたりの事を調べて見る。そうするとあるある。応神天皇、比売大神、神功皇后を祭っている<宇佐神宮>もすぐ近くにあるではないか。

比売大神は初代倭王の卑弥呼。  神功皇后は3代目の倭王、台与(豊、とよ)に違いない。

3代目というのは魏志倭人伝によると、卑弥呼の死後、男王が立ったが、皆が服さず、卑弥呼の宗女、台与が倭王になって落ち着いたと述べられているからである。

では応神天皇は誰だろう。

これを次のように推理している人がいる。

●応神天皇は台与の子供で出雲を追われ信州に落ち延びた<建御名方命>(たけみなかたのみこと)。
●台与(神功皇后、豊、とよ)はヤマトに裏切られ、北陸の糸魚川近くで入水自殺した。

つまりヤマトの宇摩志麻治命(うましまちのみこと)は倭王の台与を自殺に追いやってしまったのである。

台与の恨みと<祟り>を大いに恐れたヤマトは日向(今の宮崎県)でかくまわれていた台与のもう一人の子供を大和に天皇として迎えた。

これが九州から大和へ向かった神武天皇東征の真相であると。

神話の霧の中に閉じ込められた謎。

日本建国時代は何と多くの謎と秘密に包まれていることか。

2006-04-15

トロヤの謎

日本ではなかなかピンと来ない事がある。

ヨーロッパではホメロスという人が書いた叙事詩<イーリアス(トロヤ)>とか<オデュッセイア(オデッセイ)>は古典中の古典として知られている。

でもどうして、これらの叙事詩がそれだけ重要なのか。

それがはっきりとはつかめないのである。 

Ilion3 何故、マケドニアのアレキサンダー大王はペルシャ攻撃の前にわざわざ、今のトルコ西部のトロヤの故地に立ち寄ったのだろうか。

ローマは自分達の起源をトロヤの落ち武者であるとしている。何故彼等はトロヤを誇りにしているのだろう。

現代の欧米諸国においても、イーりアスとオデュッセイアは知識人の既知の教養として扱われている。それは何故なのだろう。

更に、スタンレー・キューブリック監督の映画<2001年 宇宙の旅>の原題が何故<2001:A Space Odyssey>なのか。

トロヤの起源はBC2600年までさかのぼる。実に今から4600年前である。

トロヤは、エーゲ海から黒海へと向かう、その入り口部分を押さえていた。つまり当時のエジプトとかクレタから見ると貿易幹線の戦略地点を占拠して栄華を極めていたのである。

それがいまから3200年頃、滅亡する。

その頃時を同じくして、トルコの中央部にいたヒッタイト王国も、ギリシャのミケーネという国も、<海の民>とよばれている集団に襲撃され全滅する。

何か当時、とてつもなく大きな出来事がトロヤの背景に横たわっているに違いない。そうでなければ3200年も前の事件がこれほど長い間延々と語り継がれるはずがないのである。

トロヤ戦争は実際にあったのだろうか。

だれが、何故、トロヤを滅ぼしたのだろう。

<海の民>とは誰の事だろう。

謎だらけである。

しかしこういう風には考えられないのだろうか。

Flower32_1 ホメロスの書いた<トロヤ戦争>は実際にあった。

それをやったのはギリシャの本土、スパルタを中心にした反ミケーネ・反ヒッタイト勢力。

もちろん新たに北方から移動してきた民族も混じった混成部隊だったのであろう。

目的はヒッタイトやトロヤなどの鉄や富を独占していた当時の体制の破壊である。つまりトロヤ戦争は鉄と富の争奪戦であったのではないか。

彼等は、今のキクラデスと呼ばれているエーゲ海のギリシャの群島とかクレタも抱き込んでトロヤ、ヒッタイト王国、エジプトを襲撃した。

この当時の世界大戦争の思い出が叙事詩として残された。それが<イーリアス(トロヤ)>という叙事詩である。

長い10年以上の戦役の後に、オデッセイという武者が故郷に帰る長旅を叙事詩にしたのが<オデュッセイア(オデッセイ)>である。

そう考えるとこれらの叙事詩は、青銅器時代から鉄の時代への過渡期を象徴する世界大戦争の2大記念碑であった事になる。

もっと詳しく言うと、この2大叙事詩の中にはそれまで蓄積された知識が全部詰め込まれているのである。それまでの総括であり、またそれは出発点になった。つまり古典になったのである。

一つ確かな事がある。この大戦争の後、エジプトだけは辛くも持ちこたえた。しかし他の地域はトロヤをはじめ、ミケーネ、ヒッタイト等は、地上からほとんど消滅してしまうのである。

ミケーネを失ったギリシャは文字を書くノウハウさえも失ってしまう。それまで作っていた金属や陶器も作れないレベルまでに落ちこむ。

つまりその当時の世界のシステム全体が一時崩壊してしまうのである。

そして、その後、ギリシャでは400年以上にもわたって惨めな暗黒時代が続くのである。Dannoura

上記の叙事詩は口伝えの伝承をホメロスという人が後世にまとめ上げたものなのである。

トロヤ戦争は何となく日本の壇ノ浦の源平の合戦を思い出させるものがある。

日本の幹線、瀬戸内海を押さえて繁栄した平家。東国の新興源氏。両者は大陸への出口、潮の渦巻く関門海峡のあたりでぶつかった。

天下分け目の合戦である。

1185年、栄華をきわめた平家一族は壇ノ浦に沈む。そして平家の残党は地方に四散。

こうして日本の武士の時代が幕を開けるのである。

貴族中心の古代と、武士の時代 中世を分ける戦い。その記念碑が<平家物語>という叙事詩的な軍記物語として残されている。

中世というのは分裂、闘争、不景気の時代である。国の中心ははなやかな京都から、鎌倉へ移る。

そしてようやく秀吉による刀狩がおこなわれたのが1588年。
この間およそ400年。

<COLUMN OF ORION>

2006-04-14

帰って来た鉄腕アトム

日本人で鉄腕アトムを知らない人はいない。少年雑誌に連載された手塚治虫のSF漫画である。連載は1952年から1968年まで15年以上も続いた。つまり6才の子供ならアトムを読み始めて22才の大人になるまで続いたのである。

Atom_1 鉄腕アトムはロボットである。しかし冷たい金属機械ではなく、涙をながしたり、傷ついたり、喜んだり、怒ったりするこころのやさしい正義のコンパニオン(同伴者)である。

戦後日本の復興期において鉄腕アトムの果たした役割は大きかった。将来日本を支える少年少女に未来への信頼と、勇気と正義感を教えたからである。

アトムでロボットに親しんだ団塊の世代は、10万馬力とまでは行かないが相当な馬力をだして働いた。夢と希望を民生技術に託して日本の経済を世界でナンバー2にまで発展させていったのである。

そして今、またロボットに熱い視線が注がれるようになった。

Tsubaki7 SONYのアイボーとか、ホンダのアシモP3などである。これらのロボットはまさにアトム型、つまり普通の人間の形をしたロボットで、別名は<ヒューマノイド>。

ロボットは考えてみると実に不思議である。

<ロボットの側から>人間が作り出した機械類をもう一度見直すと、それらはみんな、全部ある意味でロボットの一種になる。

例えば織機。布から実際に衣類を作ったりする織物機械。これは布を人間に代わって織るロボット。工作機械は金属材料を切削加工するロボットである。人間に代わって溶接をする溶接ロボット。例は限りなくあげることができる。

むかしの機械は人間の筋力の部分を機械に置き換えた織機とか工作機械とが主流であった。そのうち機械はマイクロプロセッサーを使って小型化し、人間の知能部分も組み込むように進化していく。

自動車。これも考えると人間に代わって距離を高速で移動するロボットである。まだ自動運転の知能は備えていないが、いずれはそうなって行くだろう。

飛行機は空を飛ぶロボットである。こちらは既に大半の運転は自動制御が可能になっている。

Momiji_1 更に毎日使っている卓上のコンピューター。これもそういう目で見ると人間の頭脳の機能を拡大拡張したロボットの一種になる。コンピューターはロボットからみると自分の中にある一つの部品になってしまうのである。

という事はロボットは<技術の総合>そのものではないか。

ここで言いたいのは<ロボットから見ると>、機械やコンピューターだけではなく、医学、光学、通信、化学、バイオ、エネルギー等の人間のすべての技術が一つの高速道路の上に一直線に並んで見えるという点にある。その道路を最後まで走らないとヒュ-マノイドは作れないのである。

ヒューマノイドは過去のすべての技術を統合して作られるのである。だからある国が作ったロボットを見れば、その国の技術の性格とか、技術レベルとか技術力の総体がそのまま圧縮されてあらわれてしまう。

当然アメリカが軍需用のロボットに巨大な予算を注ぎ込んでいるのは予想できる事である。アメリカ軍事用。日本民生用。この戦後の技術競争の住み分けがロボットの分野でもう一度繰り返されるのであろうか。

今回はそうではないだろう。その証拠はiPODである。つまり住み分け理論はもう通じないのだ。中印等の安価な生産拠点を使うという新しいやり方があるからである。

ここで一つ確かに言える事はヒューマノイドこそ科学技術レベルを正確に図るものさしであるという点である。

今回は恐らく競争は国別というより企業別である。どこの企業がグローバルな資源を最大に活用して目的に迫るか。そうなると思う。もちろん基本の核の部分はその国の技術を反映したものになる。

ロボットはハイテク先端技術の粋。究極のキーテクノロジー。つまりロボットは技術の最後の統合の段階なのだ。

という事はこの事業は全世界の資源を組み込んだものになるのではないだろうか。

<COLUMN OF ORION>

2006-04-13

王羲之

うちのめされ、自信をなくし、みじめになるような日がある。そのような時、ふと壁の王羲之の書をみる。

そうすると何か広々とした風がこころを洗い流していく。 Houkokucho1_1

王羲之の字で思い出す言葉をひろってみた。

モーツァルト。
富士山。
モネ。
朝のシャワー。

ひばりのよう自由。快活で優雅。自由さの中にどこかやさしさがある。

だんだん自分の心が静かになっていく。

王羲之は中国の琅邪(ろうや)に生まれた。307年とも言われている。いまからざっと1700年前である。

北から騎馬遊牧民が侵入。西晋が滅亡する。これが307年である。

琅邪(ろうや)の王羲之の一族は江南の建康(南京)に移住した。そして建康に東晋王朝が生まれる。

つまり彼は亡国の混乱時に生まれ、新しい王朝の建国の中で育ったのである。

日本はこの頃、弥生時代。邪馬台国の倭王、卑弥呼が中国の魏に使いを送ったのが239年である。

漢字が公式に日本に伝わったのが285年。大和に色々な勢力が集まって<日本>を作り上げる拠点ができつつあったのが300年ごろである。Kenkou_2

王羲之のあざなは逸少。役職は右軍将軍、会稽内史。

考えて見ると不思議である。1700年前に一人の中国人が書いた字が今、これほどの味わいを持っているというのは。

これには何か理由があると思う。

2006-04-07

ヘルメス

いわゆる文明が最初に生まれたのは今の中東地域である。文明という言葉が示すように文明は<文>による開明。文は話し言葉ではなく書かれた言葉、<文字>である。

シュメール人によってメソポタミア(今のイラク)地方で楔形(くさびがた)文字が生まれたのがおよそ4500年前である。またPhoeniciaball_with_glassinsert フェニキア人によってシリア地方でアルファベットの原型が作られたのが今から3000年前と言われている。

文字はものごとを他に広く伝える事を可能にした。世代をこえ国を越えて、知識、ノウハウ、やり方等を伝達できるようになったのである。

ではなぜ中東に文字が最初に生まれたのだろうか。

中東地域を見ると、この地方は元来、砂漠地帯である。砂漠は砂の海である。砂の海に浮かぶ島がオアシス。オアシスを結び物を動かしていたのが中東の人達であった。

中東の意味。<中>は西欧からみてインド中国へ行くときの中間地点。<東>は西欧から見ると東にあることである。

つまり中東の人々はアジア、アフリカ、ヨーロッパ、東西南の人口の多い地帯の中間にあって物流を押さえていた人々だった。物と人とが交差する十字路が中東なのである。

彼等は砂漠を行き来しただけではない。当時林立していた巨大なレバノン杉を使って船を作り地中海にも乗り出したのである。ウガリット、ビブロス、シドン、ティルス等フェニキアの諸都市は地中海全域にネットワークを作り繁栄したのである。

これをみると<文字>は商業や貿易と密接に関係して生まれたという事がわかる。

ギリシャにヘルメスという神様がいる。ヘルメスジンという酒が日本にもあったがあのヘルメスである。別名マーキュリーともいう。

驚いた事にこの神様は商売の神様であると同時に、ばくち打ち、泥棒の神様でもあった。

つまり昔は貿易をする人と海賊は紙一重だったのである。

これは日本人が東南アジア地域に展開した時に鎖国中の中国や韓国から倭寇といって恐れられたのと同じである。

事情がOKなら商売。そうでない場合は腕ずくでやる。これが当時のやり方だったのである。

北欧バイキングの場合も同じである。

 

2006-03-30

山と神

人間は大昔から山をあがめてきた。特に日本人は富士山等の円錐形の美しい形をした山を神としてあがめてきた。エジプトのピラミッド。アラビアのシナイ山の例を見ても山と神は切り離しては考えられない。Yama

山という字を見るとTの字を逆さにした形をしている。

山を神としてあがめてきたという事は、山の形の中に何か大切なものが含まれていたと考えられる。

山の裾野にあたる横線を, 基盤、基礎、ベース、安定を表すものと考えて見よう。

水平、安定、変わらない物、不変な物である。常に巡り来るもの、再生、生成、再生産、循環、サイクル、円、輪、和。女性である。変わらない安定を意味している。

そして真ん中の直立した線は上昇、変化、挑戦、拡大、運動を表しているようである。方向のある直線。男性である。絶え間ない危険な戦いを意味している。

昔の日本人は人間の安定した静かな状態を<にぎたま、和魂>と言った。

それに対して変化運動する状態を<あらたま、荒魂>と言った。

人間の世界に2つのリズムがあると感じていたのである。山はそのリズムを形に表したものでそれが神なのである。山を見るとほっとするのはどっしりとした安定と上に伸びる力のバランスを感じるからである。

大昔から女は家にいて子供を生み育てた。食物になる野生植物を採集した。家の近くに寄ってくる動物に餌や乳を与えた。

稗(ひえ)とか麦とかの野生植物を耕した土に植えて育てる事を考え付いたのは女であると言われている。

また野生の動物を家畜として育てて利用する事を始めたのも女であったと言われている。

要するに文明の始まりはにぎたま、つまり女性が主役を演じたのである。

では男はその時、何をしていたのか。集団で獲物の魚とか動物を追いかけていたのである。落とし穴をみんなで掘り、それにイノシシ等を落とし込んで捕獲した。丸太船に乗り骨製のモリで魚を突いた。槍とか弓矢を使って森で狩をした。常に移動して縄張りを守っていた。時には縄張り争いで他の集団と争って傷つく事もあった。

それにいつも成功するとは限らなかった。むしろ獲物が捕れない時の方が多かったに違いない。男は不安定の中で生きていたのである。危険も多かった。<あらたま>は不安定、賭け、危険の中を生きる男である。

そういう訳で男は古代ではもともと、女の付録のようなものであったと考えられている。

たとえて見れば競輪競馬の博打(ばくち)にはまっている男を女が食わしてやっている。そういう形であったのかも知れない。

夜這いというのも家を切り盛りしている女のところに男が来るのである。あくまでも女がアイデンティティーの中心なのである。そして村も昔は多くの女の酋長(女酋)によって治められていたのである。

邪馬台国にいた倭王、卑弥呼には飲食物を給仕する1人の男しか近づく事が出来なかった。

神功(じんぐう)皇后と補佐役の武内宿称(たけうちのすくね)。

これらの例にその痕跡を見る事が出来る。

男が主役を演じ始めたのは余剰農作物が蓄積できる段階に至り、同時にそれをを管理する文字と金属の武器が出現してから後の事である。

収穫物とか農地を他人から奪取して、それを支配する事が可能になったのである。あらたまの男が主役の時代がこうして始まるのである。

まつりごとは本来は女の仕事であった。作物の豊穣を祈る。老人、子供、おとこたち等で成る集団の生存を守る。それが当時の女の仕事だった。

しかし今では苛烈な男の仕事になってしまった。

どこかの国がやっているのを見て分るようにいかに多くの資源を他から奪うか。

また国民からどれだけ税金を取り上げるか。

それが今のまつりごとの主な仕事になっている。

 

2006-03-27

コピーと循環

考えて見ると多くの人間の営みがコピーという事を基盤に成り立っている。

例えば学習である。これはまねる。つまりコピーである。人間の使う言葉は、大多数の人が使っている言い回しとか書き方をまねて、それを再生産しているのである。

それから多くの機械はある一定の形と機能を持った物を再生産、つまりコピーする仕掛けである。

コンピューターは複雑な人間の思考とかやり方をまねしている。これは言って見ればディジタル信号で人間の思考をなぞる機械である。Jjjjunnkann_1

それからすべての生き物は、遺伝子のコピー機能をベースにして生成を繰り返している。

コピーというのが分れば、多くの事が分る。

コピーは循環とも言える。つまり環、輪である。回転、循環。サイクル。永遠の車輪。

自然との共生と日本人は言っている。
縄文の哲学とも言う。
自然界の許容範囲での再生産をして行く生き方である。
性で言えば女性である。

2006-03-23

オリオン座

Jjjorion 2月の夕方ふと南の天空にのぼるオリオン座を見上げた事があるのではないだろうか。

四つの星がはっきりとした形をしているのですぐにそれと分る。真ん中に横一列に並んだ三つ星が印象的である。

エジプトのギザにある三大ピラミッドはオリオン座の三つ星をかたどって作られたという説もある

オリオン座の三つ星は、むかしは、船で海を渡る人々にとって大切な目印として使われていたらしい。

その証拠は大阪の住吉大社の住吉三神、宗像大社の宗像三神である。住吉では、底筒男命、中筒男命、表筒男命である。筒は星の事。これはオリオン座の三つ星を表していたとされている。

何故かオリオン座を眺めていると勇気が湧いて来る。じっと眺めて、<よし頑張るぞ>とひとり言を言っている自分。

オリオン座は中天にあって今まで色々な地上の時代と人間達の姿を見てきたに違いない。

苦しみ悩み悲しみ、もがき、それでも平然と、時には喜び、挑戦し、そうして永遠の中に溶け込んで行く人間。

いまもオリオン座は世界の様子を天空から見守っている。