自分大学
ディジタル時代が幕開けした。しかしインターネットでわたしたちの生活がより楽しく、充実したものになっただろうか。世界中にはりめぐらされたWEB。フラットな世界。それによって本当に世界が1つになったのだろうか。
むしろ日本から1歩出ると色々な言葉の障壁がいよいよ高くわたしたちの前にそびえ立っている事を知るのではないだろうか。海外旅行をしなくても、インターネットでお隣の韓国のサイトに行くだけでいい。まったく自分の知らない意味不明の世界が広がっているのである。
フラットな1つの世界。本当にそうだろうか。アングロサクソン族の人は英語が世界の言葉だと自分勝手に思い込んでいる。でも何かふにおちない。現実の世界は様々な言葉によって区切られたモザイクの世界なのではないだろうか。
文化は結局は<言葉>である。つまり世界の文化は言葉の数だけあるのだ。
しかしここに革命と言えるほどに変わった点が1つだけある。それはアクセサビリティー。ある情報にタッチできる度合いである。昔は英語の新聞を読むには高い金を出して、丸善等で予約しなくてはならなかった。今はGoogleで<Times>と打ち込む。そうするとすぐに<Times online>が画面に現れるのである。その間数秒。タダである。
そう。変わったのは世界ではなくむしろ自分の側なのである。自分の手の平に自分が求める情報が突然、ポンと載っている。
自分が何を、どんな情報を求めているのか。それをどう使い生かすのかのか。これが焦点になっているのだ。あくまでも自分の側の状況が一変しているのである。
これに早く気がつく事だ。
パソコンはこの観点から見ると、自分大学そのものである。自分のパソコンの中に自分の計画、学習プランがある。そしてパソコンの外には瞬間アクセスできるディジタルな教材がある。これがわたしたちの今の環境なのである。
自分は何を学ぶのか。その具体的なカリキュラムは何か。それをはっきりさせれば、みんな自分大学を始める事が出来るのである。しかも殆どタダで。でもこの大学には卒業はない。卒業証書もない。だから楽しみながらやればいいのである。


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